フーリガン通信 -27ページ目

「善戦」に見る最悪の準備

嫌な予感がした。7月29日の北京五輪準備ゲーム・対アルゼンチン戦の評価である。


案の定、翌日の新聞の見出しには「善戦」の文字が並んだ。メッシはいないが、リケルメ、マスチェラーノ、アグエロ等のビッグネームが並んだアルゼンチン五輪代表に0-1。しかも、日本も本田のシュートがバーを叩くなど、惜しいシーンもあった。反町監督は雷雨による時間を残しての終了を「何が起こるかわからない」として悔やんだ上で、アルゼンチンにひるむことなく、相手を困らせることもできましたし、逆にこちらが相手を驚かすこともできたという点においては、ある意味、評価していいと思います。」と五輪でもやれるという手応えを感じたようだ。


指揮官だけではない。実際に対戦した選手達からも、「世界トップレベルとの差が分かった(香川)」、「いい経験になった(安田)」、「ある程度は守れた(森重)」、「ある程度自信になった(梶山)」といったポジティブな声が数多く聞こえてくる所を見ると、同じように強い、強いと思っていたアルゼンチンと1点差の勝負を演じたことに、一様に満足しているようである。


しかし、問題はこの「感覚」なのである。監督も選手も若いから仕方ないかも知れないが、これまでに日本はこの親善試合の善戦で、どれだけ痛い目を見てきたことだろうか。言っておこう。アルゼンチンにとって日本とのゲームは、ただ「負けなければいい」練習試合だったのだ。国際親善試合であり、しかも4万人を超える観衆を集め、大きなキャッシュをもたらしてくれる「お客様」だから、口が腐っても「建前」は崩さないが、「本音」ではこのゲーム、日本代表が代表抜きのJリーグ・チーム(さすがに大学チームとの練習試合とは言わない)と対戦するようなものなのだ。


一方の日本はこのゲームで「世界」とどれだけ戦えるかを試していた。当然の事ながら、選手は手を抜かず、自分の力を出し切ったに違いない。一方のアルゼンチンは、今更世界とどれだけ戦えるかを試す必要はない。その目的は「調整」である。チェックしなければいけないところをチェックして、実戦で試しきれていない点を試せばよい。あくまでんも本番に向けた、最終調整の場だったのである。そんな場で無理をすることはない。怪我もしたくない。彼らが日本以上にゆっくり回し、当たりも弱く、非常に以上にフェアに戦ったのは、彼らの余裕以外の何物でもないのだ。


しかし、時折、彼らが「テスト・モード」に入った時、日本は混乱に陥り、不要なファウルを繰り返した。日本は思い切りジャンプした頂点で戦ったのである。そして、その結果「勝てなかった」。アルゼンチンを本気にすら出来なかった。そんなゲームなのに、日本は「手応え」を感じ、「自信」を掴んだ。この誤った感覚こそが「世界との差」であることも気付かずに・・・


ユーロ2000直前に行われた2000年6月のハッサン2世杯。日本はの世界王者フランスを常に先行しての2-2(PK負け)と苦しめた。日本は大きな自信を手にしたが、フランスはユーロ優勝と更に大きな結果を手にした。そして翌年3月サン・ドニでの親善試合で0-5と本当の実力差を思い知らされ、先の自信は屈辱に変わった。


ドイツW杯直前の2006年5月30日、レバークーゼンで行われた地元ドイツとの準備試合。日本は高原の2発で2-0としながらも、最後は追いつかれて2-2。ここでも大きな自信を手にしたが、続く小国マルタとの親善試合では1-0と苦戦。本大会もご存知の通りグループリーグ1分2敗で失意のまま大会を去った。一方のドイツは大会で破竹の快進撃を続け、3位の好成績を残した。

「頭の良し悪し」とは何をもって決められるのだろう。私は学習が出来るか否かだと考える。「失敗」は誰にでもある。しかし、その失敗から次に生かされる「学び」があれば、その「失敗」は失敗とは呼ばず、「経験」と呼ばれるのだ。日本もいい加減に、過去の痛い失敗から「学ぶ」べきだ。自分達と世界との「本当の距離」を。


私の言うことが考えすぎかどうか、アルゼンチン五輪代表のセルヒオ・バチスタ監督(1986年メキシコW杯でマラドーナと共に優勝を果たした名MF)の、試合後の会見での談話を伝えよう。

「10日後に第1戦を控え、最終の準備としては自分たちの目的を果たせたと思っています。フィジカルの部分でまだ足りない部分は多少ありますが、戦略の部分では100%できたと思っています。現在のレベルは60%から65%の段階ですが、これは当初からの予定通り。8月7日の(五輪本大会初戦)コートジボワール戦に向けてベストの状態に持っていけるように準備してきたので、そういった意味では満足しています。そして、今日の試合は最終の準備としては非常に役立ったと思っています。」


参考までに、冒頭で紹介した反町監督のコメントの続きも紹介する。

「ただ当然、結果はこういう形ですので、あと(北京五輪の初戦まで)1週間強をうまくコントロールして、米国戦でこの2倍くらいの力強さを見せればと思っています。」


アルゼンチンは自分達の100%を知っている。その上で今回の日本戦で「勝利」という結果を出しながら、「調整」という目的をしっかり果たした。一方の、日本は、“惜敗”という「結果」を頼りに、“自信”という「目的」を果たしたのかも知れない。しかし、そもそも60~65%の相手に対して「やれる」と判断する「感覚」がどれだけ甘く危険なことか。そして、そのような甘い判断を基に、あと1週間でまだ見ぬ最高の状態(100%)に到達することを「期待」し、指揮官自らが本番では「2倍くらいの力強さ」とは・・・


この時点で既に、私は日本と世界の間には「決定的な距離」が存在すると考えている。正直、遠すぎる。違いますか?


魂のフーリガン


※文中コメントは「スポーツナビ」より引用

EURO2008私的総括

お久しぶりである。


EUROに関する通信が、どうも締まりのないまま終わっていることが気になっていた。自分に余裕がないのか、世の中のフットボールの流れが速いのか。おそらくその両方であろうが、そんなことを考えているうちにもうすぐ北京オリンピックが始まってしまう。せめて身体がもう2つくらい欲しい今日この頃である。


とは言っても巷には既にEURO総集編が書店に並び、明らかに後手に回っている。何を言っても既に誰かがコメントしていることだろうし、全く逆の説が紹介されているかも知れない。そんな前提を承知の上で、あえてコメントをしよう。それが“魂のフーリガン”である。構わず、わが道を行ってみようではないか。


まずEUROは成功であったか?成功・不成功を見る場合2つの視点があろう。一つは興行的な側面、もう一つはサッカーの質の側面である。


まず興行面であるが、これは決して成功とは言えないだろう。最大の理由は開催国の早期敗退である。今回はスイス・オーストリアの共同開催であったが、結局両国ともグループリーグで敗退した。EUROを含めてこのようなスポーツイベントはそもそもお祭りであり、お祭りの開催地が盛り上がらないといけないのに、彼らが幾ら盛り上がりたくとも祭りがこれからという時期に、肝心の担ぐ神輿がなくなったのである。盛り上がるはずがない。


思い出して欲しいのは日韓共催のW杯である。トルシエ・ジャパンが敗退するまでは、国中が青いシャツで溢れた。サッカーを知っていようがなかろうが、老若男女全ての国民がW杯という初めての祭りに熱中し、代表の闘いにのめり込んだ。にわかライト・ファンを巻き込んだだけの一時的な現象であろうが、祭りは盛り上がればよい。祭りというものは非日常のイベントだから、まったくそれで構わないのである。


隣の韓国はもっと凄かった。日本が決勝トーナメント一回戦でトルコに敗退して、国中に広がった青い波が引いていったのに対し、韓国は何とイタリアに勝って勢いに乗り、スペインにも勝ってベスト4。準決勝でドイツには敗れたが、韓国内最後のゲームとなった3位決定戦にまで残り、そこでも3-2と善戦しての大会4位。その赤い波は大会を通して国の隅々に広がり、引くことはなかった。


考えてみれば、2006年のドイツW杯でも開催国ドイツは3位と意地を見せ、ポルトガルでのEURO2004もポルトガルが決勝まで残った。いずれの大会も、最後まで祭りは盛り上がった。しかし、今回はスイスもオーストリアもサッカー好き以外の関心は自国敗退と共に薄れ、後はゲームの行われたスタジアムとその街だけが勝ち残った国のサポーターで溢れて盛り上がる程度。国を挙げてのお祭りムードはなくなってしまった。設けられたファン・サイトにも思ったほど人は集まらず、用意された土産物や飲食物はたくさん売れ残ったという。隣国のドイツが決勝に残ったが、残念ながらドイツはおらが国のチームではなかったのである。やはりW杯やEUROは料理が盛られる器(スタジアム)も大事であるが、レストラン(開催国)の雰囲気も大切ということである。そう思うと、今から南アフリカという辺境のレストランの雰囲気が心配でたまらない・・・


ではもう一つの側面、サッカーの「質」はどうであったか?こちらの評価は非常に高かった。オランダの復活、ロシアの台頭、そして“無敵艦隊”スペインの戴冠に、人々は喜びと共に高らかに「攻撃の復権」を賛美した。確かに前回2004年大会で、相手の良さを消すことにしか興味を示さなかったギリシャが優勝したことを考えると、明らかにより楽しい大会ではあったが、果たして本当に「攻撃サッカー」は復権したのだろうか?私はそう素直には思えない。私の見方では何も「攻撃サッカー」が復権したというよりも、「よく走ったサッカー」が勝利したというだけのような気がする。それは攻撃だけでなく守備も含めての話で、しかも「ただ走る」だけではなく、「質の良い走り」である。


グループリーグで話題を独占したオランダは質の良い走りを見せた。サイドを広く使って、ダイナミックなサッカーを見せたが、あれほど速く大きく展開されたボールの先に人がいるということは、選手がよく走っていたということだ。そして彼らがロシアに負けた原因は、明らかに「走り負け」であった。一度ボールを持った時のロシアは回りの選手が一斉に走り出し、次々と複数の選択肢を創っていった。やはりシーズンの疲れが出たのか、このゲームに限ってのオランダは、春にシーズンが始まったばかりであるロシアのフレッシュでエネルギッシュな動きに着いていけなかった。


そのロシアをスペインが破った。ここでも序盤はロシアはよく走ったが、スペインは彼らのプレスをギリギリでかわすようにパスを回し、オランダ戦で走りすぎたロシアの消耗はことのほか早かった。走れないロシアが勝てないのは自明。しかし、ロシアを走れなくしたスペインの素早いパスワークの裏には、常に複数のパスコースを創出するためのスペインの若い選手達の質の高い走りがあったという事実を忘れてはならない。そして3つの素晴らしい得点も全て縦への走り込んだ“点で”完璧な仕事が遂行されたものである。守りでもアルシャビンに抜かれることのなかったセナ、ジルコフを完封するだけでなく最前線まで何度も果敢に攻めあがったセルヒオ・ラモス、肝心な場面には必ず走り込んで身体を張るプジョル・・・とにかく、全員がこんなによく走るスペインを見ることはこれまでになかった。


そして決勝、スペインのゴールを決めたのも“走力”であった。ドイツDFラームに前を取られたトーレスは、ボールをラームの前に晒しながら、背後からラームを追い越した。そしてGKレーマンの鼻先でボールを突っついてゴールに流し込んだ。驚くべきことにトーレスはラームにも、レーマンにも触れていない。所属するリバプールで縦への走り込みを常に意識しているトーレスならではの素晴らしいゴールであった。ロシア戦の途中ビジャの離脱から復活した、セスク、シャビ、イニエスタ、シルバの「クアトロ・フゴーネス(4人の創造者)」の、めまぐるしい動きの中で繋がる速く浮くことのないパスワークはこの日もドイツを圧倒、そしてセナはバラックを完封するだけでなく、相手ゴール前の決定的な場面にまで顔を出した。1点差でも十分な余裕を感じさせたのは、スペインのパスワークを可能にする選手たちの質の高い走りが最後まで落ちなかったからである。


当然の事ながら「走れない」チームは敗れ去った。2年前のW杯からトッティとカンナバーロが抜けただけの優勝国イタリア、ジダンが抜けただけの準優勝国フランスが、当時は若すぎたがその後メンバーが欧州各国のリーグで経験を積んだオランダに切り裂かれたのは必然である。前回大会からルイ・コスタ、フィーゴといった選手は去ったが、デコ1人でその穴は埋めきれず、トップに結局前々回大会にブレークしたヌーノ・ゴメスを起用せざるを得なかったポルトガルは、クリスティアーノ・ロナウドの疲労と共に敗れ去った。グループ・リーグを見ても、既にサッカーシーンから消えていたヘンリク・ラーションを引っ張り出さなければならなかったスウェーデン、前回大会からネドベドばかりかロシツキーさえも失い老巨人コラーをトップに据えたチェコ・・・昔の名前で出ていた「走れない」チームは皆に消えていった。


こうしてみると「走れずに消えていった」チームは皆、世代交代に失敗していたとも言えよう。年老いた選手はもう走れない。そして衰えた走力を補うような圧倒的な個性も、残念ながら見られなかった。例えばドイツW杯でのジダン、リケルメ、トッティ、フィーゴといった何者にも替え難い“怪物”達である。スペインの老将ルイス・アラゴネスが、国内の世論を押し切って“至宝”ラウルを外して大会に臨んだことも、今思えば“世代交代”を成し遂げるための英断だったのかも知れない。


現在、世界のサッカーの中心は欧州である。その欧州の最大の大会であるEUROは、通常なら世界のサッカーのトレンドをセットすることになる。前回大会で優勝したのは伏兵ギリシャであったが、誰もが眉間に皺を寄せるようなアンチ・フットボールであったがゆえに、欧州のサッカーは逆のトレンドを進んだ。しかし、今大会、「走るサッカー」のトレンドが正しいことは誰も見誤ることはないほど明らかである。そして我々日本人はそのトレンドを1年前から指し示していた1人の老人の名を思い出すだろう。・・・イビチャ・オシム。それは一時ではあったが、我々日本は恵まれた数ヶ月を過ごしていたのだ。


現在「走らない」日本代表を率いる男は、EUROの解説をしていた。メガネを通した彼の目には、EURO2008はどのように映っていたのだろうか。メガネが曇っていなかったことを祈りたい。


ふう~。これでやっとEURO特集の雑誌が読める。


魂のフーリガン

アルゼンチンの狂気と本気

アルゼンチンサッカー協会が現地時間の2日、北京五輪に臨む代表選手18名を発表した。発表されたメンバーは以下の通りである。

GK:
ウスタリ(ヘタフェ/スペイン)
ロメロ(AZ/オランダ)

DF:
サバレタ(エスパニョル/スペイン)
モンソン(ボカ・ジュニアーズ)
ガライ(レアル・マドリー/スペイン)
ファシオ(セビージャ/スペイン)
アコスタ(セビージャ/スペイン)
ブルディッソ(インテル/イタリア)

MF:
ソサ(バイエルン/ドイツ)
バネガ(バレンシア/スペイン)
ガゴ(レアル・マドリー/スペイン)
リケルメ(ボカ・ジュニアーズ)
マスチェラーノ(リバプール/イングランド)

FW:
メッシ(バルセロナ/スペイン)
アグエロ(アトレティコ・マドリー/スペイン)
ラベッシ(ナポリ/イタリア)
ディ・マリア(ベンフィカ/ポルトガル)
ボナノッテ(リバープレート)


多くの人が驚いたであろうこのメンバー構成。私の驚きは3つあった。


まず1つは、大体の読者の皆様も同じ驚きと思うが、赤文字の3選手、。“リケルメ”、“マスチェラーノ”、“ブルディッソ”である。彼らはOA(オーバーエージ)枠の選出である。この実績十分の3人の名前を見ればアルゼンチンが本気で金メダルを取りに来ていることが容易に想像できる。OA枠招集で大久保、遠藤のレベルで騒いでいる日本からしてみれば、こんな贅沢な人選はまさに反則ものであろう。それにしても、まさか“リケルメ”とは・・・。もう、「まったく、そこまでやるか?」という感じである。


2つ目の点は、メッシ、アグエロといった所属クラブでバリバリのエースたちが、U-23の正規枠であるという事実である。日本の北京五輪代表でA代表はおろか、所属クラブでエースと呼べる選手がいるだろうか?A代表経験のある内田、本田、安田、長友といった選手はいるが、相手は世界のメッシと、その後継者といわれるアグエロである。幾ら人材の宝庫と言われるアルゼンチンといえども、正直ヤバ過ぎる。


そして3つ目。選出された18名のうち、何と15名が欧州のクラブ所属という点である。しかも、国内組のうち1人はバルサはでは不遇であったが、ビジャレアルで絶対君主として、クラブを欧州レベルに引き上げた“あの”リケルメである。FWのボナノッティという選手も只者ではない。リーベル所属の彼はその才能をメッシと比較され、現在欧州で1000~1200万ユーロの評価をされているというから、欧州での活躍の日も近い。もう1人のモンソンも記録を見ると“世界のボカ”でレギュラーを張っているDFのようだ。日本にもオランダで2部落ちの本田、セルチックでゲームに出られない水野、フランス2部のグルノーブルからとっくに帰国した梅崎と“欧州組”はいるのだが、比べることすら自虐的な行為である。


1つでも十分に驚くような点が3つあるのだ。驚かない人はいないだろう。噂ではブラジルはロナウジーニョが出るかもしれないし、オランダもマカーイの名前が上がっている。これから、まだまだいくつもの驚きが出てくるだろう。EURO2008に出た欧州の選手達は北京には行かないだろうが、南米やアフリカからはビッグネームが出てくるであろうし、欧州だって代表から漏れたベテランを始め、出たくて仕方がない有能な選手達は幾らでもいるだろう。


一方で、得点より反則の方が多い大久保に拒否され、頼みの職人・遠藤は体調を崩して合宿にも参加できないという苦悩の“反町ジャパン”。今のメンバーなら明らかにOA枠を使った方が戦力は上がるだろうが、上がったところで勝負にならないのは目に見えている。EUROで我々はA代表レベルでの欧州各国との歴然とした差を見せ付けられたばかりだ。だから私は提案したい。ここは一つ、五輪でメダルなんてアホらしい期待は持たないで、北京を若手の“武者修行”の場としたらどうだろう。北京五輪なんぞ、捨てていい。次のA代表を目指す若い選手達が、先輩に頼ることなく、自分達だけで同世代の世界、そして世界トップレベルのOA枠選手達と闘うのだ。たとえ勝てなくとも、世界との距離を肌で実感できる。


一昔前と違って、生きのいいプロの若手にとってはその才能を売る“市場”となり、W杯を手にした強豪国がまだ手にしていない金メダルを真剣に奪いに来る大会となったオリンピック。まだ何も手にしていない日本にとって、そんな“利用方法”もあるのではないだろうか。いや、むしろ中途半端なOA枠を使ってお茶を濁すようならば、その方がよっぽど価値がある。明日の日本サッカーのために・・・違いますか、川淵さん。


魂のフーリガン