フーリガン通信 -25ページ目

UAE戦に見た「いつか見た風景」

ジーコという生き方(後編)を次号で…と言っておきながら、結局“後編”をお届けする前に新潟での日本代表-UAE戦を迎えてしまった。しかも、その内容も語らずにはいられないものだった。


そもそも、親善試合である上に、ACL参加の浦和と大阪の両トップクラブの選手を呼べなかったため、何かの評価を下すことが難しいゲームであった。しかし、相手は日本が苦手とする中東のUAE、別グループながらW杯最終予選に残る日本と同等の力を持っている相手で、カタール、バーレーンという中東国をホームに迎えた時の戦い方の予習になる。私はその観点から観戦した。


興梠の新鮮な動き、19歳香川の代表初得点、岡崎の前線での奮闘など、明るい話題がないわけではなかった。しかし、地方都市での親善試合らしい弛緩した雰囲気の中でのゲームであり、そのまま評価する訳には行かない。彼らはW杯予選のベンチに入ることはできても、ピッチに出てくる時間はないか短いかのいずれかであろう。その意味では日本にとって真の朗報は稲本の活躍のみ。ウズベキスタンやオーストラリアといった欧州型のチームとの対戦で、彼の強さは絶対に必要であろう。彼の参戦は遅すぎたくらいであったが、本番前に何とか間に合った。


しかし、それでも中東対策としての模擬試験の結果は11。涼しいナイトゲーム、しかもパスが通りやすくなるために、芝を短めに刈り、ゲーム前には水をまいたというホームでの引き分けは敗戦に等しい。またも赤点を取ってしまったようなものだ。しかも、これまでと“同じ問題”を今回も解くことができずに。


この“問題”とは攻撃陣と守備陣の両方に課された難問である。まず攻撃陣に対しては、ベタ引きで固められた相手ゴールをどうやって割るかという問題。守備陣に対しては、相手にカウンターを許した際に、スピードと個人技が豊かなFWに広大なスペースを与えた際にどう対処するかという問題である。


攻撃陣に対しては、まず「シュートを打たない」という批判があるが、あれだけ人をかけて守られると、そう簡単にシュートを打てるものでもない。中東のDFは結構背が高いから、ロングボールを放り込んでも小柄な日本人攻撃陣では跳ね返されるだけである。そこでボールを回して相手を揺さぶって、最後はサイドをえぐって早く正確なクロスで中央の選手にピンポイントで合わせるという攻撃が考えられる。サイドを抉られている状態ではDFは横か自分のゴールを向くことになるから、中央で攻める側はフリーになる確率が高い。シュートが防がれても、シュート前につぶされても、相手DF陣は混乱しているから、こぼれ玉を拾える可能性も高くなるし、2の矢のシュートもよく入る。


今回の日本代表は、特に後半その形でチャンスを多く作った。実際に点を取ったのもその形である。引きこもったUAEに対しあれだけチャンスを作れたのだから、攻撃におけるトライは悪くなかったと言え、岡田監督の狙い通りであったはずだ。しかし、相手ゴールを割ったのはその1回きり。あれだけ手間をかけて、チャンスの数を増やしても、やはりシュートが下手すぎるのである。大久保のフカシや、香川のヘッドはもうお粗末過ぎて話にならない。得点のシーンでもその前の興梠のヘッドで普通は決めるものだ。


日本人のシュートの精度が低いことは今始まった問題ではない。構造的な問題を通り越して、もはや民族的、文化的な問題かもしれない。シュートが下手ならば、チャンスの数を増やすことで得点の可能性を高めるという方法論は、ジーコが日本代表監督時代によく口にしていたことであり、現在ほぼ同じ選手達を使う岡田も他の良策はない。シュート力を向上させるには、練習で打って、打って、打ちまくることしかない。フェルナンド・トーレスやルート・ファンニステルローイのような選手が育っているという話は聞かないので、ここは現代表のFW各自に練習を重ねてもらうしかないだろう。どんなゲームでもチャンスがゼロということはないのだから、後は最後の仕上げ(シュート)の質を高めるしかない。それがうまくいかないのが一番悩ましいのだが…


守備陣の問題も深刻である。この日は左右に長友、内田、中央を中沢と寺田(高木と交代)で固めたが、相手がいつも通り引いていたため、守備機会は少なく、左右のDFも相手陣内でプレーすることが多かった。もちろん、全員が上がるわけではなく、ボランチの稲本、長谷部を含め誰かが上がれば誰かがその部分をケアするわけだが、それでも中央の二人がカバーしなければならない範囲は広い。カウンター攻撃というのはそういう状態で急に襲ってくる。かなり前方に張った第1の砦を突破されると、一気に緊急事態に陥るのだ。この日は左サイドからその“槍”が飛んできた。香川の1点で元気な日本は、追加点を狙って畳み掛けるような一方的な攻撃を繰り返していた。その時、カウンターのボールが日本の右サイド、中盤のタッチライン沿いにいたアルハマディに渡る。この時、右DFの内田は日本の波状攻撃の右の翼となっていたため、そこにはボランチの長谷部が絡んだが、交代出場のアルハマディは体格もよい上に交代出場で疲れていなかった。長谷部を強引にはがして、目の前の広大な日本サイドをゴールに向かって一気に駆け上がった。この時点で普通なら中央のDFの一人が中央のコースを切りに行くのだが、右サイドを並走していたUAEで最も危険なイスマイル・マタルに気が行ったからかもしれないが、中沢の寄せは遅れ、アルハマディは難なくゴール正面への侵入に成功。中沢にできたことは、高木とともにシュートに足を出すだけだった。ご存知の通り、シュートは高木の足に当たってコースを変え、楢崎の手を掠めながら日本のゴールに飛び込んだ。スピードと技術があるFWに対して、高さ強さはあってもスピードの無い日本DFの課題が露呈したシーンであった。後半のUAEのシュート数は1本。日本があれだけ人数と手間をかけて取った1点を、日本はたった1人の1回の突破、1つのシュートで失い、勝ち点2を失ったのである。


籠城する相手を攻めあぐね、やっと崩しても放つ矢は的を逸れ、盾に当たる。そうして攻め疲れたころに敵の一騎駆けに突破され、致命傷を喰らう。日本は中東相手にこの悪夢を何度も見せられてきたはずだ。十分に注意もしていたであろう。しかし、我々はいつも同じ悪夢を見ることになる。「本番前に課題が見えた」多くの論評は前向きに語るが、私には「前からあった課題がさらに深刻になった」としか思えない。せめて選手たちは、自分たちの足元を見つめなおし、猛烈に反省してほしい。そして反省の中から、次のゲームでは同じ失敗を繰り返さないように、高い意識で練習に取り組んでほしい。難しい話ではない。それがプロというものである。


頼むぜ、日本。もう我々は中東相手に「いつか見た風景」を見たくない。


魂のフーリガン

ジーコという生き方(前編)

当通信読者の方ならご存知であろうが、元日本代表監督のジーコがウズベキスタンのクルブチの監督に就任した。これは日本代表とW杯アジア最終予選を争うウズベキスタン代表が最終予選の開幕2連敗のため先月20日にイニレーフ監督を解任、後任として昨年の同国クラブチャンピオン(現在AFCチャンピオンズリーグでもベスト4に進出)クルブチの監督であったカシモフ氏が就任し、その空席にジーコが招聘されたもので、いわば国家レベルの「玉突き人事」の結果である。


その証拠に、ジーコはウズベキスタン協会から代表アドバイザー就任を要請されている。既にカシモフ新監督に自らが良く知る日本代表選手の情報を伝授し、15日に埼玉で行われるW杯最終予選日本-ウズベキスタン戦の前々日には来日するとのことであるから、協会の要請も快諾したということであろう。


巷ではそんなジーコの行為によほど意表をつかれたようで、マスコミも一斉に警戒感を煽る報道を始めている。危機感の無い者には成長はないから、そういう傾向を別に否定する気もないが、私はむしろジーコの行動に驚き、慌てる日本人に対して驚いている。我々がまず認識しなければならないのは、ジーコはプロのサッカー監督であるということである。雇い主がいて、その条件が本人にとって満足の行くものであれば、プロの監督はどこでも仕事をするし、その決定に対し他人がとやかく言える筋合いではない。ジーコは契約に基づき日本代表監督を務めた。契約が終わっても、ジーコと何らかの関係を保っていたければ、日本サッカー協会はそういう契約を結べばよかったのである。前監督のオシムとの関係のように。しかし、それを日本サッカー協会はそれをしなかった。だから、ジーコは前の職場である“日本”に対し何の気兼ねもする必要がない。何をしても自由なのである。


結果として、ジーコは近年の自分の経験とノウハウが最も活かせる立場に立つことになった。AFCチャンピオンズ・リーグでも代表でも、目前に日本との重要な対戦が控えるクルブチとウズベキスタンは、「雇い主」として短期間で最大の効果が期待できるオプションに投資をしたのである。その行為はコンプライアンス上の問題のない、当たり前の経済行動なのである。しかし、してやられた日本側は慌てて、一部ではジーコの決断を“裏切り”とする声も聞かれる。愚かなことだ。そして甘い。


確かにジーコには、日本に対して「復讐」する正当な理由はある。トルシエの後任監督の選定の際に、当時の日本サッカー協会の会長は、もっともリスペクトされるべき強化委員会の判断を無視し、独断でジーコを選んだ。しかしながら、「信頼」という言葉以外に何のサポートもしないままドイツW杯のグループリーグ惨敗の全責任をジーコ1人に押し付け、自らの責任が問われる前に契約前の「オシム」の名を出してその矛先をかわした。そんな卑怯な男がいまだに“名誉会長”として権力の座に居座る日本サッカー協会である。日本は、まったくの部外者である私でも怒るような仕打ちをジーコにしたのである。当事者であるジーコが「復讐」を考えてもおかしくはない。


しかし、誤解してはならない。ジーコはそんなくだらない男ではない。ジーコを馬鹿にしてはいけない。そもそも多くの日本人はジーコという存在を、そしてその生き方を正しく理解していないのだ。私はジーコの今回の決断は実はとても自然で簡単だったのではないかと思う。なぜかって?それは、「なぜジーコが1991年に日本に来たのか?」という問いに対する答えと同じだからである。


毎度のことながら話が長くなった。ジーコの生き方について、次号でもう少し語りたい・・・


魂のフーリガン

松井と達也

W杯最終予選の初戦、バーレーン戦、残り5分の2失点は余計だったが、アテネ五輪予選から続いた“苦手”を相手にしてアウェイで勝ち点3を積み上げた「結果」は十分に評価できる。前にも述べたとおり、最終予選は「結果がすべて」。予選で内容を論じることが許されるのはほんの一部の強豪国が安全パイの弱小国を相手にした時くらいで、最終予選のようなあるレベルの以上のチームに絞られた中での戦いではそんな余裕はない。内容を問うのは、南アフリカで世界の強豪国を相手にしたときにしよう。なぜなら、そこでは「勝利」という結果は得られないことが多いからだ。そこでは「負けた」場合でも、明日の勝利のヒントがたくさん得られれば良い。日本はまだそんなレベルである。


話をバーレーン戦に戻そう。豪快なFKを始めとする俊輔のクオリティの高さ、日本を終始落ち着かせた遠藤の独特なリズム、攻守に活躍しすぎた闘莉王の闘争心・・・うれしいことに勝った時にはいくつも勝因があるものだが、私は二人の選手の姿勢をあげたい。その二人とは松井大輔と田中達也である。


二人に共通の姿勢とは、ボールを持った時に、自分から仕掛ける姿勢である。松井も田中も開始早々からボールを持ったら、まず自分で抜くことを考えていた。個の力で局面を切り開こうとしていた。彼らにとってはパスは第2の選択肢だったはずだ。二人とも以前からそういう姿勢は見せていた選手であるが、この日はそれが際立っていた。違うだろうか。


日本は調子が悪い時でもパスを回せる。しかし、その多くは崩せないと判断した場合の「逃げのパス」と「預けのパス」である。行き詰まった時に、横や後ろにパスが出され、その間に相手の中央の守備はますます強固になり、そのうちに網にかかってカウンターの逆襲を食らうのである。しかし、相手が前を塞いでも、そこをドリブルで突破できればすべてのストーリーが書き換えられる。


左サイドで松井が抜けば、相手DFはもう一人松井の進路を阻むためにサイドに引き出され、必然的に内側にスペースができる。そこにフリーの日本選手が入れば、松井の選択肢は増える。その味方にパスを出してもよし、相手の注意をひいた味方にパスを出す振りをしてもう一人抜いてもよし。個人技のある松井の場合はもう一人抜きにかかることが多く、その時は相手はパニックになり、さらに決定的なチャンスが待っている。


達也の場合は松井のような切り返し一発で相手の裏を取るような鋭さはないが、スピードがあるから走力で相手を抜き去ることができるし、直線的なドリブルだから相手のファールも受けやすい。ゴールに近い地点でファールを受ければ日本には俊輔や遠藤、場合によっては阿部という性能の高い飛び道具がある。流れから点が取れない日本にとって、達也のような選手は重要な武器になるのである。


さらに松井と田中の攻撃的な姿勢は守備でも見られた。欧州でもまれている松井は局地戦で激しく体を寄せ、相手の足もとに深く足を入れた。この日の警告で次のゲームは出場できないが、そのために躊躇するようでは戦士とは呼べない。達也は前線で相手を追い続けた。コースを押さえるのではなく、ボールを奪いに。暑く湿気が高い敵地でありながら、彼には戦場であることに代わりはなかった。とにかく、私は俊輔や遠藤より、そして他のどの選手達よりも、彼ら二人に「魂」を見た。そして彼ら二人に感じた。「飢え」に似た、勝利への意欲を。闘う本能を。


なぜだろうか?それは簡単な理由だろう。共に谷間と呼ばれたアテネ世代。松井も田中も、彼らはまだW杯に出ていない。彼らは純粋にW杯という最高の舞台でプレーしたいのだ。それでいい。それがFootballerというものだ。


魂のフーリガン