松井と達也 | フーリガン通信

松井と達也

W杯最終予選の初戦、バーレーン戦、残り5分の2失点は余計だったが、アテネ五輪予選から続いた“苦手”を相手にしてアウェイで勝ち点3を積み上げた「結果」は十分に評価できる。前にも述べたとおり、最終予選は「結果がすべて」。予選で内容を論じることが許されるのはほんの一部の強豪国が安全パイの弱小国を相手にした時くらいで、最終予選のようなあるレベルの以上のチームに絞られた中での戦いではそんな余裕はない。内容を問うのは、南アフリカで世界の強豪国を相手にしたときにしよう。なぜなら、そこでは「勝利」という結果は得られないことが多いからだ。そこでは「負けた」場合でも、明日の勝利のヒントがたくさん得られれば良い。日本はまだそんなレベルである。


話をバーレーン戦に戻そう。豪快なFKを始めとする俊輔のクオリティの高さ、日本を終始落ち着かせた遠藤の独特なリズム、攻守に活躍しすぎた闘莉王の闘争心・・・うれしいことに勝った時にはいくつも勝因があるものだが、私は二人の選手の姿勢をあげたい。その二人とは松井大輔と田中達也である。


二人に共通の姿勢とは、ボールを持った時に、自分から仕掛ける姿勢である。松井も田中も開始早々からボールを持ったら、まず自分で抜くことを考えていた。個の力で局面を切り開こうとしていた。彼らにとってはパスは第2の選択肢だったはずだ。二人とも以前からそういう姿勢は見せていた選手であるが、この日はそれが際立っていた。違うだろうか。


日本は調子が悪い時でもパスを回せる。しかし、その多くは崩せないと判断した場合の「逃げのパス」と「預けのパス」である。行き詰まった時に、横や後ろにパスが出され、その間に相手の中央の守備はますます強固になり、そのうちに網にかかってカウンターの逆襲を食らうのである。しかし、相手が前を塞いでも、そこをドリブルで突破できればすべてのストーリーが書き換えられる。


左サイドで松井が抜けば、相手DFはもう一人松井の進路を阻むためにサイドに引き出され、必然的に内側にスペースができる。そこにフリーの日本選手が入れば、松井の選択肢は増える。その味方にパスを出してもよし、相手の注意をひいた味方にパスを出す振りをしてもう一人抜いてもよし。個人技のある松井の場合はもう一人抜きにかかることが多く、その時は相手はパニックになり、さらに決定的なチャンスが待っている。


達也の場合は松井のような切り返し一発で相手の裏を取るような鋭さはないが、スピードがあるから走力で相手を抜き去ることができるし、直線的なドリブルだから相手のファールも受けやすい。ゴールに近い地点でファールを受ければ日本には俊輔や遠藤、場合によっては阿部という性能の高い飛び道具がある。流れから点が取れない日本にとって、達也のような選手は重要な武器になるのである。


さらに松井と田中の攻撃的な姿勢は守備でも見られた。欧州でもまれている松井は局地戦で激しく体を寄せ、相手の足もとに深く足を入れた。この日の警告で次のゲームは出場できないが、そのために躊躇するようでは戦士とは呼べない。達也は前線で相手を追い続けた。コースを押さえるのではなく、ボールを奪いに。暑く湿気が高い敵地でありながら、彼には戦場であることに代わりはなかった。とにかく、私は俊輔や遠藤より、そして他のどの選手達よりも、彼ら二人に「魂」を見た。そして彼ら二人に感じた。「飢え」に似た、勝利への意欲を。闘う本能を。


なぜだろうか?それは簡単な理由だろう。共に谷間と呼ばれたアテネ世代。松井も田中も、彼らはまだW杯に出ていない。彼らは純粋にW杯という最高の舞台でプレーしたいのだ。それでいい。それがFootballerというものだ。


魂のフーリガン