フーリガン通信 -24ページ目

マラドーナに向けられる74%の反対の意味

ブログにすればもう少し自分自身へのプレスが効いてボールの手離れも良くなる(テンポ良く発信する)と思っていたのだが、どうも自分はリケルメのようなタイプのようで、スルーパスが出せるまで一人でボールをゆっくりと持ち続ける癖があるようである。それでいて最後に出すパスの切れ味(記事の内容)はリケルメとはほど遠い。情けない限りである。

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もうまったくニュース性のない話であるが、11月4日にあのディエゴ・マラドーナがアルゼンチン代表監督に就任した。マラドーナといえば、「神の手ゴール」、「5人抜きゴール」など数々の伝説を残したスーパースターで、あの皇帝ベッケンバウアーをして「サッカー史上もっともスペクタクルな選手(ちなみにもっとも素晴らしい選手はペレらしいが・・・)」と言わしめた正真正銘の天才プレイヤーである。


しかし、その晩年はコカインに手を汚し、クラブや警察とのトラブルを繰り返し、最後はサッカー界から追い出されるように引退。その後も不摂生は続き、薬物依存の体質と極度の肥満で一時は病院で生死の境を彷徨い、胃の除去手術まで施し、やっと人前に出てこられる現在の体型になったのである。


何歳になっても人格に問題を抱えた「やんちゃな子供」のまま。普通なら人々は愛想を尽かすだろう。しかし、引退後10年以上が経ってもなお、マラドーナは母国アルゼンチンの国民的英雄である。どんなトラブルを起こしても、FIFAから追放されても、その程度の負の事実で消すことができないほどの栄光を、マラドーナはアルゼンチン国民の脳裏に焼き付けてきたのである。彼がいるだけで、すべての夢と希望が実現されたからである。


アルゼンチンサッカー協会(AFA)のマラドーナ監督招聘の裏には、前述のマラドーナの持つカリスマ性と圧倒的な人気という要因があったはずだ。アルゼンチンはW杯南米予選で全18試合中10試合を終え4勝4分2敗(勝ち点16)の3位。上位4チームが本大会出場権を獲得(5位は大陸間プレーオフに進む)するため、まだ焦ることはないのだが、1015日に元アルゼンチン代表監督ビエルサ率いるチリに“35年ぶり”に敗れたことでバシーレ監督が辞任した。本来ならリケルメ、メッシ、アグエロ、マスチェラーノと共に北京五輪で金メダルに輝いたセルヒオ・バティスタが後任に就任するのが妥当である。しかし、AFAは国民の批判をかわすだけでなく、一挙に強力なサポートを得るための「神の手」として、自身でも監督の座に熱烈なラブコールを送っていたマラドーナをあえて指名したのだ。(・・・と、私は勝手に確信している。)


しかし、そんなマラドーナ監督就任というニュースに対する国民の反応は厳しいものだった。アルゼンチンの有力紙が実施したインターネット調査で、なんと74%が「反対」に投票したのである。しかも「賛成」に投票したのはわずか9%、残りの17%は態度を保留した。この結果の背景には、彼が人間として犯してきた様々な過ち以外にも、確固とした“実績”がある。

マラドーナは1994・95年に、短期間ではあるがアルゼンチンでマンディジュ、ラシンという2つのクラブで指揮を取ったが、その通算成績は3勝8分12敗(合計23試合)と惨憺たるものだった。その指導もかなりいい加減で、練習に2時間も遅れて来ては「今日はどんな練習をしたの?」と聞いたという逸話もある。86年W杯の僚友で、レアル・マドリーで選手としてもフロントとしても成功したホルヘ・バルダーノも、マラドーナの経験不足を理由に彼の監督就任を不適切と唱えた。名選手が名監督になるとは限らない。国民の多くが不安を示すのも無理はないのである。


順風満帆とは程遠い、前途多難な船出…しかし、74%の国民の反対は本当に彼らの真意であろうか。地球の裏側にいる私はそうは思わない。アルゼンチン国民の74%はマラドーナに対し、残りの26%以上に期待しているのではないだろうか。何故ならマラドーナという男はこれまでに、常に人々を“裏切って”来たからである。それは「期待はずれ」とは反対の意味である。


1986年にマラドーナがキャプテンとしてW杯優勝を果たした時も、実は代表に対する前評判は低かった。決勝戦の終了後にフィールドに降りたサポーターが掲げた横断幕「Perdon BILARD Gracias」は、マラドーナとの心中に賭けたビラルド監督への、自分たちの批判的予想に対して“よくぞ裏切ってくれた!”という最大限の感謝に他ならない。セリエAでも、当時豊富な財力をバックにスターを揃えた北イタリアのユベントスやミラノ勢を抑えて、貧しいナポリに2度のスクデッドをもたらすなど、誰が真剣に期待していただろうか。90年のイタリアW杯でも満身創痍の身体でありながら、ほんの一瞬の閃きでブラジル、イタリアを倒し、決勝で最後までドイツを苦しめるなど、誰が想像したであろうか。そう、マラドーナは人々が予想した最高値をはるかに超えて見せ、人々に喜びを与えてきたのである。


監督マラドーナに対するアルゼンチン国民の不安は正直な気持ちであろう。しかし、彼らは同時に、マラドーナの“裏切り”を今回もまた期待している。心の底ではマラドーナが彼らの前で見せてきたマジックの再現を待っているのである。彼らはマラドーナの悪魔のようなフェイントにだまされる快感を忘れていない。そして信じている。1986年のアステカ、ほんの数十メートル前で「神の手」によるゴールと、流れるようにイングランドのDF陣を切り裂いた「5人抜きゴール」という2つの“マジック”を見せつけられた私もまたその一人である。

だから私には分かる。そう、忘れられるわけがない。生きている限り、あの喜びは・・・


魂のフーリガン 






戦争を知らない子供達

ウズベキスタン戦で、もう1つ言わせてもらいたいことがある。それは引き分けという名の“敗北”の後のことである。


テレビカメラは、目の前の結果を消化しきれず、呆然と立ち尽くす日本サポーターの姿を捉えていた・・・彼らの気持ちはよく判る。戦争に敗れたのだ。勝てる相手に勝てる試合をしながら・・・共に闘った者なら当然の感情であろう。


しかし、カメラは彼らとは対極の“奴ら”も映し出した。彼ら彼女たちは、“敗れた”直後であるにもかかわらず、テレビカメラに喜色満面で手を振り、仲間同士で肩を組み笑顔ポーズで記念撮影をしていた。皆、代表と同じ青いユニフォームを着て・・・デジカメを構える男の背中にはNAKAMURAの文字・・・


最終予選前の通信で、私は「最終予選は戦争である」と述べた。それは選手たちにとってだけでなく、我々サポーターにとっても同じはずである。汗びっしょりの闘莉王は今にも泣き出しそうな顔でピッチを後にした。俊輔は接触プレーで切った唇をかみ締めていた。彼らの苦渋に満ちた表情は、彼らが闘った証拠である。


なのに、同じ空間に居て、同じく気を吸っているはずなのに、へらへら笑っている人たちがいる。一緒に闘っていなかった人がいる。毎回見かけることなのだが、私は彼ら彼女たちを見るたびに違和感を感じるのだ。そして考える。スタジアムに集まったサポーターたちの何%の人たちが本当に闘っているのかと。


仕事を持つ私も埼スタに行くことはできず、今回もTV観戦組である。高い入場券を払ってスタジアムに行き、少なくともゲーム中は日本を応援しているサポーターにしてみれば、余計なお世話かも知れない。しかし、こんな事実が日本サッカーの発展を妨げるような気がしてならない。


もちろん、興行的にはスタジアムに多くの人には来てもらいたい。観客動員が低下している昨今では尚更である。そのためにはライト・ファンの来場も歓迎する。サッカーを文化にするためには、彼らの中から少しでも多くのコア・ファンを生み出すことも重要である。ならば、彼らに本当にサッカーそのものを楽しんでもらいたい。集まって騒ぐことを楽しむのではなく。


前から日本代表のゲームを見ていて気になることがある。一本調子でダラダラ続くチャント、相手へのブーイングの少なさ、そして殺気のなさ。浦和のゲームと比べてみればその温さは良くわかるだろう。私自身、これは、ひとえにスタンドにいても本当に闘っていないサポーターが存在しているからだと感じていた。たかがテレビのワンシーンにこれほど反応してしまうのも、私自身のそんなネガティブな思いが具現化されてしまったからかもしれない。本当に見たくないものを見てしまった。「絶対に負けられない・・・」とか騒いでいるTV局も、本当にそう思っているのなら、カメラマンもしっかり教育すべきだ。「場違いな映像は映すな!」と。


ウズベキスタン戦でも、何気なくスタジアムに来た人の中で、青く染まった満員の観客による地響きに似た応援と、照明に浮かび上がった鮮やかな緑のピッチで繰り広げられる男達の闘いに魅せられて、次のホーム戦も見に来たい、Jリーグにも行ってみようという人がいたはずである。あんなゲームでも、そう感じてくれた“青葉サポーター”が、1人でも多くいてくれたことを願って止まない。君達は熱く歓迎しよう。「ようこそFootballの世界へ」


魂のフーリガン

2年間の後悔

10月15日ホームでウズベキスタンに引き分けた。最悪の結果は避けられた?冗談じゃない。相手はスペインでもブラジルでもない。ホームでの引き分けは負けである。日本は勝ち点を1つ積み上げたのではなく、2つ失ったのだ。明らかに弱い相手に。


前半のウズベキスタンのプレッシャーについて、指揮官はゲーム後に「相手が予想以上に激しく来た」、「これまで見たゲームでは最初から来ることはなかったので・・・」と驚いていた。“負けた”ことに対する言い訳が入っていたとしても聞きたくないコメントだった。相手はすでに最終予選で2連敗を喫しているのだ。こう負けられないのに、これまでと同じ戦い方で望んでくる訳がないだろう。言い訳ではなく、本当に予想外であったのであれば、岡田は危機管理能力がなさ過ぎる。そういう人間には監督をする資格はない。


しかも、相手にはジーコがいるのだ。彼は日本がこれまでどういう相手に苦戦をしたかは、自分の痛みとして認識している。だから日本に、日本の個々の選手にどうのように対処したらよいかを熟知してる。日本がウズベキスタンの予想外の戦い方に苦戦したということは、過去の日本代表監督であるジーコの方が、現代表監督の岡田よりも上手だったということを意味している。日本国民があれほど無為無策と罵ったジーコに、岡田は“負けた”。


ジーコが4年間日本代表監督を務めたのに対し、一方の岡田は1年未満。選手に関しても、昨日の日本代表先発メンバーでジーコ監督の経験が無いのは19歳の香川のみ(内田は鹿島で良く知っているはず)。こうしてみると、岡田の分が悪い。では、岡田はジーコに勝てるはずはないのか?そんなことはない。問題は、ジーコ後の2年間の話なのである。


日本はジーコと共に闘ったドイツでの惨敗の反省から、新たなコンセプトを求めなければならなかった。どういうサッカーをしたいのか、それが決まればそのサッカーを実現するための選手が代表に呼ばれることになる。そしてジェフ千葉に魔法をかけて見せた知将オシムを迎え、日本サッカーの「日本化」という改革に着手した。“決定力不足”という永遠の課題は引き継いだが、ピッチで展開されるサッカーの質は明らかに変わった。ビッグ・ネーム中田英寿の変わりに、数多くのスモール・ネームがピッチを駆け、選手の動きは速く大きくなり、しかも連動性が見て取れた。横と後ろにしか行かなかったボールは、前に飛び出す選手が増えるにつれ、前方への選択肢が増えた。結果はなかなか出なかったが、より攻撃的になった日本代表に、少なくとも将来に対する期待は持てた。


しかし、ご存知の通り改革の途中でオシムは病に倒れ、その後にフランスW杯予選で救世主となった岡田が登場した。就任当初はオシムサッカーの継承を託され、自身もそう宣言していたが、やはり監督というのは我が強いものでサッカー観の違いは隠せない。結果が出ない中、最後は開き直って“オレ流”に戻した。そして気が付くと、オシム・チルドレンは消え、ピッチの上ではボールは動くが選手が動かない、“個”に頼ったサッカーに戻ってしまった。いつか見た、ジーコ時代と同じような・・・


日本がジーコに勝つためには、ジーコの後に新しく積み上げた部分を武器として闘わなければならなかった。そんな武器があれば、ジーコの持つ過去の情報はむしろウズベキスタンにとって逆効果となるはずである。しかし、途中まで積み上がってきた新しいコンセプトを岡田は否定し、自ら崩してしまった。崩す行為そのものを否定するものではないが、重要なのは次に何を積み上げるのかについての明確な意図・プランである。しかし、残念ながら、岡田自身がオシムの後に新たに積み上げたものはないし、どういうものを積み上げようとしているのかの意図も私には見えない。


ウズベキスタンのカシモフ監督はゲーム後の会見でジーコのアドバイスが有効だったか?という質問に対し、「彼の情報の一つ一つが非常に役立った。」と答えた。つまり、日本代表はジーコ時代と同じ選手達が、同じようにプレーし、同じコンセプトのサッカーを展開した・・・「ジーコのアドバイス」が生きたということは、そういうことなのだ。日本は2年間進歩がなかったことが証明されたのだ。いや、正確に言うと進歩がなかったのではない。オシムと共に間違いなく一歩進んだ日本サッカーは、岡田と共に一歩後退した・・・違うだろうか。


しかし、まだ最終予選も2試合が終わったばかり、敗れたわけでもないし、下を向く必要もない。私自身、日本は南アフリカに行けると信じている。しかし、岡田が連れて行ってくれるとは思っていない。連れて行ってくれるのは選手達である。2006年のドイツでの痛みと悔しさ心と身体で覚えているのは岡田ではなく、実際に闘った彼ら、そして行きたくても行けなかった彼らだからである。


11月のカタール戦、彼らの魂の咆哮に、私は期待する。


魂のフーリガン