「善戦」に見る最悪の準備 | フーリガン通信

「善戦」に見る最悪の準備

嫌な予感がした。7月29日の北京五輪準備ゲーム・対アルゼンチン戦の評価である。


案の定、翌日の新聞の見出しには「善戦」の文字が並んだ。メッシはいないが、リケルメ、マスチェラーノ、アグエロ等のビッグネームが並んだアルゼンチン五輪代表に0-1。しかも、日本も本田のシュートがバーを叩くなど、惜しいシーンもあった。反町監督は雷雨による時間を残しての終了を「何が起こるかわからない」として悔やんだ上で、アルゼンチンにひるむことなく、相手を困らせることもできましたし、逆にこちらが相手を驚かすこともできたという点においては、ある意味、評価していいと思います。」と五輪でもやれるという手応えを感じたようだ。


指揮官だけではない。実際に対戦した選手達からも、「世界トップレベルとの差が分かった(香川)」、「いい経験になった(安田)」、「ある程度は守れた(森重)」、「ある程度自信になった(梶山)」といったポジティブな声が数多く聞こえてくる所を見ると、同じように強い、強いと思っていたアルゼンチンと1点差の勝負を演じたことに、一様に満足しているようである。


しかし、問題はこの「感覚」なのである。監督も選手も若いから仕方ないかも知れないが、これまでに日本はこの親善試合の善戦で、どれだけ痛い目を見てきたことだろうか。言っておこう。アルゼンチンにとって日本とのゲームは、ただ「負けなければいい」練習試合だったのだ。国際親善試合であり、しかも4万人を超える観衆を集め、大きなキャッシュをもたらしてくれる「お客様」だから、口が腐っても「建前」は崩さないが、「本音」ではこのゲーム、日本代表が代表抜きのJリーグ・チーム(さすがに大学チームとの練習試合とは言わない)と対戦するようなものなのだ。


一方の日本はこのゲームで「世界」とどれだけ戦えるかを試していた。当然の事ながら、選手は手を抜かず、自分の力を出し切ったに違いない。一方のアルゼンチンは、今更世界とどれだけ戦えるかを試す必要はない。その目的は「調整」である。チェックしなければいけないところをチェックして、実戦で試しきれていない点を試せばよい。あくまでんも本番に向けた、最終調整の場だったのである。そんな場で無理をすることはない。怪我もしたくない。彼らが日本以上にゆっくり回し、当たりも弱く、非常に以上にフェアに戦ったのは、彼らの余裕以外の何物でもないのだ。


しかし、時折、彼らが「テスト・モード」に入った時、日本は混乱に陥り、不要なファウルを繰り返した。日本は思い切りジャンプした頂点で戦ったのである。そして、その結果「勝てなかった」。アルゼンチンを本気にすら出来なかった。そんなゲームなのに、日本は「手応え」を感じ、「自信」を掴んだ。この誤った感覚こそが「世界との差」であることも気付かずに・・・


ユーロ2000直前に行われた2000年6月のハッサン2世杯。日本はの世界王者フランスを常に先行しての2-2(PK負け)と苦しめた。日本は大きな自信を手にしたが、フランスはユーロ優勝と更に大きな結果を手にした。そして翌年3月サン・ドニでの親善試合で0-5と本当の実力差を思い知らされ、先の自信は屈辱に変わった。


ドイツW杯直前の2006年5月30日、レバークーゼンで行われた地元ドイツとの準備試合。日本は高原の2発で2-0としながらも、最後は追いつかれて2-2。ここでも大きな自信を手にしたが、続く小国マルタとの親善試合では1-0と苦戦。本大会もご存知の通りグループリーグ1分2敗で失意のまま大会を去った。一方のドイツは大会で破竹の快進撃を続け、3位の好成績を残した。

「頭の良し悪し」とは何をもって決められるのだろう。私は学習が出来るか否かだと考える。「失敗」は誰にでもある。しかし、その失敗から次に生かされる「学び」があれば、その「失敗」は失敗とは呼ばず、「経験」と呼ばれるのだ。日本もいい加減に、過去の痛い失敗から「学ぶ」べきだ。自分達と世界との「本当の距離」を。


私の言うことが考えすぎかどうか、アルゼンチン五輪代表のセルヒオ・バチスタ監督(1986年メキシコW杯でマラドーナと共に優勝を果たした名MF)の、試合後の会見での談話を伝えよう。

「10日後に第1戦を控え、最終の準備としては自分たちの目的を果たせたと思っています。フィジカルの部分でまだ足りない部分は多少ありますが、戦略の部分では100%できたと思っています。現在のレベルは60%から65%の段階ですが、これは当初からの予定通り。8月7日の(五輪本大会初戦)コートジボワール戦に向けてベストの状態に持っていけるように準備してきたので、そういった意味では満足しています。そして、今日の試合は最終の準備としては非常に役立ったと思っています。」


参考までに、冒頭で紹介した反町監督のコメントの続きも紹介する。

「ただ当然、結果はこういう形ですので、あと(北京五輪の初戦まで)1週間強をうまくコントロールして、米国戦でこの2倍くらいの力強さを見せればと思っています。」


アルゼンチンは自分達の100%を知っている。その上で今回の日本戦で「勝利」という結果を出しながら、「調整」という目的をしっかり果たした。一方の、日本は、“惜敗”という「結果」を頼りに、“自信”という「目的」を果たしたのかも知れない。しかし、そもそも60~65%の相手に対して「やれる」と判断する「感覚」がどれだけ甘く危険なことか。そして、そのような甘い判断を基に、あと1週間でまだ見ぬ最高の状態(100%)に到達することを「期待」し、指揮官自らが本番では「2倍くらいの力強さ」とは・・・


この時点で既に、私は日本と世界の間には「決定的な距離」が存在すると考えている。正直、遠すぎる。違いますか?


魂のフーリガン


※文中コメントは「スポーツナビ」より引用