フーリガン通信 -30ページ目

青い訃報-その1-(2007年9月29日)

この文章は2007年9月29日に、まだ「フーリガン通信」がサッカー仲間に向けてのメルマガだった時に発信されたものです。2008年5月25日発信の【青い訃報-その2-】を読まれる際に、参考になると思い、バックナンバーとしてアップいたします。


【青い訃報】

痛々しかった。久々に観たプレミア・リーグのライブ中継、しかも"Theatre of Dreams" Old Traffordでのマンチェスター・ユナイテッド(以下マンU)対チェルシー。イングランドのみならず欧州を代表する赤対青の両雄対決は、本来誰もが期待に胸躍らせる好カードであったが・・・


チェルシーにドログバがいなかったから?ランパード、バラックがいなかったから?マンUにハーグリーブス、ネヴィルがいなかったから?それとも開始32分でチェルシーのミケルが一発退場になったから?そうではない。そのゲームそのものだけでなく、ピッチやスタンドに漂う空気ですら、そのすべてが痛々しかったのは、“彼”がいなかったためである。ジョゼ・モウリーニョの退団・・・だれがリーグ序盤でのこの突然の“訃報”を予想したことだろう。

この重要カードの3日前に発表された“事件”のために、人々のこのゲームに対する興味の行方は勝敗とは別の方向に舵を切ったはずである。「“彼”が抜けたチェルシーは大丈夫だろうか?」・・・仕方がない。現在のチェルシーは明らかに“モウリーニョのチーム”であり、モウリーニョの存在そのものが今のチェルシーなのである。言い換えれば、モウリーニョが居なくなればチェルシーは昨日までの“強いチェルシー”ではなくなる・・・それだけ現在のチェルシーというクラブに対しモウリーニョが持つ影響力は大きかったのである。

彼は2003/04シーズンにポルトガルの伏兵FCポルトを率いて欧州CLを制し、直後の2004/05シーズンにロシアの石油王ロマン・アブラモビッチが“買った”イングランドのチェルシーに招かれ、いきなり欧州でもっとも過酷といわれるプレミア・リーグでこのロンドンの古豪を実に50年ぶりの優勝に導き、カーリング杯も制し2冠を達成する。そして翌2005/2006には圧倒的な強さでリーグ連覇を果たし、3年目の2006/07はリーグ王座こそマンUに譲ったが、カップ戦ではカーリング杯、FA杯の2冠を達成した。初めて手にした世界最古のFA杯は決勝でリーグ王者マンUを破っての価値あるものである。残念ながら欧州CLのビッグイヤー(CLカップ)を再び手にすることはなかったが、毎年優勝候補の常連として欧州サッカーシーンに華やかな話題を提供し続けた。もちろんそれはオイルマネーで買い集めた優秀な選手たちがいたからではあるが、チェルシーの近年の成功のすべては、この英語を話す現在44歳のポルトガル人監督の手腕がなければ成し得なかったであろうことを疑う者はいないだろう。



彼がいわゆる一般の名監督と一線を画すのは、ゲームの外での痛烈な批判をこめた挑発的な態度とコメントによるものであろう。ファーガソン、ベンゲル、ベニテス、ライカールトといった対戦相手の監督は当たり前、ゲームで笛を吹いた審判、相手主力選手、そしてメディアにまでその鋭利な矛先は向けられた。決して流暢とはいえない、やさしい単語によって紡がれた短いセンテンスの英語であるがゆえ、そのコメントからは一切の婉曲表現が排除された。「カタラン(カタルーニャ語)で“Cheating(騙し)”とは何て言うんだ?バルセロナには良い劇場がたくさんあることを私は知っているが、きっと彼もそこで演技を学んだのだろう。」・・・欧州CLでのバルセロ戦で、MFデル・オルノがメッシへの反則で退場とされたことに抗議し、“被害者”リオネル・メッシに向けられた言葉である(・・・因みにボビー・ロブソンの通訳、ルイス・ファン・ハールのアシスタント・コーチとしてバルサで働いた彼は“カタラン”も話すことができる)。自らを"Special One"と公言してはばからないその尊大で傲慢な態度と、眼光鋭い不適な面構えは、サッカー界におけるヒール(悪役)として、常に周囲全てを敵にするようなものであった。メディアにとってもモウリーニョは格好の攻撃対象だったに違いない。


しかし、そんな外向けの顔はモウリーニョの世を忍ぶ仮の姿。選手に向けられる愛情はその対極にある。彼は常に選手を信頼し、励まし、称え、そして労った。選手の家族への細かな気遣いも半端ではないという。モウリーニョにとって選手は“誇り”であり、“家族”なのである。メディアに向かう彼の一際尖がった言動は、外部の関心や攻撃の全ての矛先を自分に向け、選手達をメディアのストレスから守るための意識的な“演技”であり、メディアは皆、見事にその術中にはまった。この見解について賛否両論はあるかもしれないが、少なくとも私はそう確信する。その証拠に、自分で種を撒いておきながら、世間からの過剰な反応で更なる混乱が広がりそうな気配がある場合(たとえばアーセナルのベンゲルを「覗き魔」呼ばわりした侮辱発言や、マンUのロナウドに対する「育ちが貧しいから教育水準が低い」という差別発言など)、彼は意外にあっさりと謝罪している。そして何よりも、スター選手達を揃えた豪華チームにはありがちな監督批判や造反など、チーム内部からのモウリーニョに対する不協和音は殆ど聞こえてこなかった。むしろテリー、ランパード、ドログバなどはモウリーニョに対する信頼も強く、彼を自分の親のように慕っているという。FCポルト時代から指導を受けるリカルド・カルバーリョ、パウロ・フェレイラなども、“人間モウリーニョ”を慕って青い縦じまのシャツから青一色のシャツに着替えたのである。


また、モウリーニョの魔法は選手だけでなく、ホームであるスタンフォード・ブリッジのサポーターをも魅了した。その理由はひとつ。モウリーニョの就任以来、プレミア・リーグ戦で、チェルシーはたったの一度も負けていないのである(しかも勝率は圧倒的に高い)。そのおかげでチェルシーのプレミア連続無敗記録は66戦まで伸びており、現在もまだ記録更新中なのである。どんなに人間性に問題があろうが、サポーターにしてみれば「勝つ監督」が「良い監督」であることは間違いない。しかもチームの重要なゴールの際には、過剰なまでのド派手なガッツポーズを見せたり、2005/06シーズンの優勝セレモニーでは優勝メダルを首から外しホームの観客席に投げ入れるというパフォーマンスも見せている。強いだけでなく、サポーターが熱狂するツボを実に良く心得ているのだ。(余談であるが、FCポルト時代から通算したモウリーニョ自身のホーム無敗記録は何と“101試合”だという。)


そんな、チームやサポーターからの信頼も厚く、誰にもまねのできない結果を出してきた優秀な監督が一夜にしてチームを去る。「退団」と伝えられたが、「辞任」か「解任」かと言われたら、限りなく後者に近いものであろう。なぜなら選手やサポーターのために戦う男は、昨年から一番戦ってはならない相手と戦っていたからである。その相手はいわずと知れたロシアの石油王ロマン・アブラモビッチ、チェルシーのオーナーである。


アブラモビッチは「金も出すが、口も出す」男であり、リーグ2連覇を達成した翌2006/2007シーズン、モウリーニョ自身は守備陣の強化を希望していたにもかかわらず、アブラモビッチは自らの夢である魅力的な攻撃サッカーによる欧州CL制覇を果たすために、独断でアンドリュー・シェフチェンコと、ミヒャエル・バラックを獲得した。もちろん、2人を使うというのは至上命令である。4-3-3の攻撃的な布陣を目指したモウリーニョであったが、このためチェルシーは4-4-2に切り替えざるを得なかった。しかもこの2人の獲得に大金を使ったために、冬の移籍マーケットでもモウリーニョが再度訴えたDF獲得は却下された。怪我のため自国開催のW杯ですら満足に戦えなかった満身創痍のドイツ主将、イタリアで十分に使い古された“ウクライナの矢”は既にキャリアのピークを過ぎ、もはやドログバのように「任せた!頼む!」の一言で点を取ってくるFWではなかった。私にしてみれば、そんな使いたくない選手を使いながらもリーグ2位、国内カップ2冠という結果を残したこと自体が驚きであったが、元モデルのイリナ夫人との離婚の慰謝料でその莫大な財産の半分を失ったアブラモビッチは、すぐに22歳の美人と再婚したにもかかわらず、その機嫌は直っていなかったのだろう。あれだけ毎年移籍市場に気前良く金を使ってきたアブラモビッチも今シーズン前は非常に静かであった。モウリーニョの提案した補強方針は再度却下されただけでなく、アブラモビッチはモウリーニョに対し「今後6シーズンで、欧州CLで最低2回優勝せよ。しかも大観衆を魅了するアタッキングサッカーで!」という無理難題を突きつけたという。


さすがにシーズン前にはアブラモビッチと和解をしたと伝えられ、自ら「魅力的なサッカーをお見せする」と殊勝なことを話し、開幕戦もその通りバーミンガム相手に“らしからぬ”3-2の撃ち合いを演じたモウリーニョであるが、開幕2連勝と順調であった8月を終えると、チームは早くも歯車が狂いだす。92日にアストン・ヴィラに敵地で2-0で破れ、15日には強いはずのホームでブラックバーンに0-0、そして18日の欧州CLの初戦、まったくの無印ノルウェーのローゼンボルグBKをホームに迎えながら1-1という、まさかの醜態を晒すことになる。3つ続いたふがいない戦いを目の当たりにし、アブラモビッチも一度つないだ堪忍袋の緒が切れたのであろう。2010年までの複数年契約で10億円を超える年俸と言われるモウリーニョの途中解任となると、当然のことながら莫大な違約金が発生するはずだが、それでもアブラモビッチはモウリーニョを解任したのである。ニュースはローゼンボルグ戦の翌日深夜(20日早朝)、チームの公式ホームページで告げられた。どれだけ突然のことであるかは、その後任人事を見ればよくわかる。チームのスポーティング・ディレクターのアブラム・グラントが監督に昇格したが、この元イスラエル代表監督の“Yes Man”は、UEFAが定める監督のライセンスを取得しておらず、従って欧州CLの指揮を取ることができないというのである。アブラモビッチの腰巾着CEO、ピーター・ケニヨンがいくら新監督を持ち上げようが、実績がない以上、そこには何の説得力もない。優秀な選手が揃い、経営も安定し、監督として成功するための条件は揃っている。専制オーナーの存在は頭が痛いが、我慢して仕事さえすれば莫大な報酬がもらえるのである。クラブ側がちゃんと準備をしていたのなら、監督候補はたくさんいたはずなのである。


モウリーニョと選手たちとの別れは20日の朝、トレーニングセンターの更衣室に選手を集めて行われた。いくら信じたくなくとも、変わらない事実であることを既にモウリーニョからのメールで知らされていた選手達は、悲しみの中で、精一杯の愛情と感謝を込めて、静かにモウリーニョに別れを告げた。特別なセレモニーもないまま、モウリーニョは部屋を囲む選手一人ひとりを回り、感謝の言葉をかけ、握手し、抱擁した(ただしシェフチェンコとの握手は、まるで「紅茶の入ったマグカップすらも凍らすかのような(スタッフ談)」冷たい儀式だったようだが・・・)。モウリーニョが一人部屋を出た後、更衣室は悲しみで包まれた。ケニヨンが新監督の名を告げたが、チェルシーではなく、モウリーニョへの忠誠心を元に戦ってきた選手たちの魂にその名前は届かなかったに違いない。その時、モウリーニョはオフィスからほんの少しの私物と二人の子供が写った写真を持って、静かにトレーニングセンターを去っていったという。泣ける。


話をゲームに戻そう(毎度のことながら、恐るべき遠回り。でも、そんなの関係ねえ~。)。プレミア・リーグ序盤の天王山、マンU対チェルシーはそんな状態で行われた。こういう場合に起こりうるケースは2つ。ひとつは元気のないチェルシーが、ズルズル負けてゆくケース。そしてもうひとつがこの悲しい事件をバネにして、チェルシーが意地を見せて勝つというケースである。今回は後者のケースも十分に予想された。なぜなら対戦相手のマンUも決して良い状態とはいえなかったからである。入団時のゴタゴタで合流が遅れたテベスは、周囲との連携にまだ問題がある。バイエルンから移籍した期待のイングランド代表MFオーウェン・ハーグリーブス、主将のイングランド代表DFガリー・ネヴィルは共に負傷欠場、攻めの支柱であるウェイン・ルーニーは何と開幕戦で何と左足甲を亀裂骨折。これまた信じられないことに既にゲームに戻ってはいるが、やはり本調子ではないだろう。長くチームを支えてきたライアン・ギグス、ポール・スコールズも加齢による衰えが目立つ。その結果として、昨季見せた爆発的な攻撃力は影を潜め、今季もここまでで、まだ2点以上取ったゲームがないという悲惨な状態。前イングランド代表監督エリクソンを監督に迎えたマンチェスター・シティーとのローカル・ダービーも落としている。手負いのチェルシーにとっても十分に勝機はあり、この最悪の状態でマンUを叩いておけば選手も大きな自信を手にすることになる。


しかし、やはりチェルシーはおかしかった。ドログバ、ランパード、カルバーリョという“背骨”を失ったチームは、まるでモウリーニョを失ったことを象徴しているかのように迫力と安定感を欠いた。攻撃は単発。ボールが繋がらず、シュートにまで至らない。イングランド代表ジョー・コールのキープもプレーを遅らすだけ、シェフチェンコに至っては何も出来ず、ただただ「私が選んだ選手ではない」というモウリーニョの“公言”が思い出された。ゲームの展開も不運。前半32分にジョン・オビ・ミケルを不可解な一発退場(中盤でのイエローで十分なタックル)で失うと、以降はサンドバッグ状態。失点も時間の問題かと思われた。それでもマンUの拙攻に助けられて前半も終了と思ったが、エキストラの2分を明らかに過ぎた48分に、遂にゴールを割られる。


マンUの左からの攻撃を一旦跳ね返したボール(ここで前半終了の笛が吹かれても良かった)を右に展開され、右サイドに張り出していたギグスが落ち着いて右足アウトでゴール前に上げたクロスを上げる。スピードがなく、短い。GKチェフがキャッチに飛び出す。しかし、その鼻先、ニアサイドに物凄い速さで身体を投げ出したのは、この日のマンUで最も背が低いテベス。テベスのヘッドは守護神が離れたゴールに容赦なく叩き込まれた。この時、ヘッドでは誰にも負けない主将テリーはゴール前中央で他の選手をマークしていた。マンUの攻撃も見事であったが、これもまた不運であろう。


後半もマンUの攻勢は変わらない。イングランド代表MFマイケル・キャリックが何度も右から逆サイドまでの長距離クロスでチェルシー守備陣を揺さぶる。ベッカムのような精度もスピードもないが着弾ポイントが遠く、クロスの弧が大きいためにDFの頭に当たらない。そこに走りこむのはルーニー、テベス。一人少ないチェルシーには厳しかっただろう。そしてアルゼンチン代表、ウェストハムから移籍したテベスはいい。その動きは野生的でダイナミック。敵陣であればどこにでも顔を出し、常に前に向かう“無謀”さは昨年までには見られなかったアクセントとなる。連携不足が伝えられていたが、このゲームを見る限りもう問題はない。ルーニーとキャラがかぶる点は若干気になるが、今季初ゴールも決め、少し力みがなくなれば更にブレイクするだろう。ルーニー、ロナウド、テベス、ナニ、サハ、誰が出てもこの活きの良い“若い悪魔”達はこれから対戦相手を悩ますに違いない。


常に鋭い視線で戦況を見つめ、表情を変えないモウリーニョに対し、新監督アブラム・グラントは老け顔で、同じようにむっつりしていても、その表情自体に苦悩が浮かんでいるかのようである。(この日に限っては、その苦悩は真実であると思うが・・・)まったくの私見であるが、この手の顔相でいい監督はいない。やはり監督は常に安心感を与えるような、自信に満ちたものでなければならない。負けていてもそういう顔を見れば選手は頑張れるものなのだ。しかし、後半のチェルシーは監督の顔に関係なく、「1点差」という状況にすがる様に戦った。テリー、フェレイラ、A・コール、マケレレ、エシアンの頑張りでマンUの波状攻撃を跳ね返す。こういう展開では当然のことながら試合は荒くなる。マンUは後半10分ルーニー、35分ブラウン、チェルシーは28J・コール、38分テリーにイエローカードが上がる。中でもコールのクリスティアーノ・ロナウドのへのタックルは、酷いものだった。右サイドを駆け上がるロナウドに左後方からスライディング、そのスパイクのポイントをロナウドの後ろ足の足首に突き刺した。どう見ても一発退場ものの邪悪なタックルである。足首を湾曲させて大きく倒れこんだロナウドが大事に至らなかったのは幸運であろう。守備に走らされるだけで、何も出来ずにいたコールの苛立ちは、後半のチェルシーを象徴していたのかもしれない。そしてコールは直後の31分、大ブーイングの中ピサロと交代で退いた。


ゲームは後半44分にマンUのサハがPKを決め、20で幕を閉じた。耐えに耐えながら、最後に力尽きるかのように2点目を献上した展開は、チェルシーの選手達の苦悩を更に深めたことだろう。仕方がない。訃報の後、初七日も過ぎていないのだ。しかし、選手達は理解している。自分達の苦悩よりも、このゲームをどこかで観ているであろうモウリーニョがこれまでに味わった苦悩の方が遙かに深いものであるということを。彼らにとっての救いは、モウリーニョがまだ暫くは他のクラブの監督をしないということである。当然遅かれ早かれどこかのクラブで指揮を執るだろうが、今回彼は自分から望んでチームを離れたのではなく、莫大な契約金を積まれてクラブを移ったのではない。選手とサポーターたちへの大きな愛情を持つモウリーニョは、まだ他人のものではない。モウリーニョが心の中にいる限り、チェルシーの復活は十分にありうるだろう。いや、是非そうあって欲しいものである。


しかし、だからと言って監督が要らないわけではない。ポイントはやはり“繋ぎ監督“アブラム・グラントの跡に誰が招かれるかである。昨年から噂される元イタリア代表のW杯優勝監督マルチェロ・リッピ、審判に対する不正疑惑でセリエBに落ちたユヴェントスを1年で首位昇格させた直後に突如辞任したディディエ・デシャンの名前が既に挙がっている。そして、マンU-チェルシー戦をアブラモビッチの一列後ろで観戦していた現オランダ代表監督のマルコ・ファン・バステン。何故オランダ代表選手が1人も出ていないゲームを観ていたのか、しかもチェルシー関係者のVIP席で・・・。全ての契約を破棄しても問題がないだけの資金力を持つアブラモビッチだけに、何が起こっても不思議はない。いずれにしても新しい監督は、モウリーニョと同じ“Special One”でなければならない。でなければ、来季我々はドログバ、ランパードのいないチェルシーを観なければならなくなる。しばらくはピッチの外からも目が離せない。


やめられませんな~。これだから、Footballは!


魂のフーリガン

青い訃報-その2-

2008年5月21日(日本時間の早朝)、モスクワで欧州チャンピオンズリーグ2007‐08決勝戦が行われ、マンU(Manchester United FC)が9年ぶり3度目の王座に輝いた。記事としてタイミングを逸していることは承知している。しかし、語らねばならないだろう。愛するマンUのDouble Crown、しかも世界一のプレミア・リーグと、ビッグ・イアーの2冠である。そしてその二つの冠を争った相手が、あの青いチームだったのだから・・・


CL決勝の戦評はもう良いだろう。書けば長くなるだけだし、既に多くのメディアが詳細を伝えている中で、読者の皆様も疲れるだけだろう。そこで、赤と青の明暗を分けたものが何であったのか、その点について、私の視点を語ろう。


チーム力には差はない。むしろ、個々の選手の質を見れば、チェルシーの方が優位であろう。中盤の将軍ランパードを母の死で欠きながらも、4月26日にホームでマンUとの直接対決を2-1で制したように、この2つのクラブであれば、どちらが王者になってもおかしくはない。しかし、2つの大きなトロフィーは、共にマンUの選手達によって掲げられた。その結果は何が導いたのだろうか?


私は2つのチームの差は経験値であったように思う。それも監督の経験値。マンUのアレックス・ファーガソンは22年という信じがたく長い間、チームの指揮官に君臨し数多くのタイトルを獲ってきた。1998-99シーズンにはリーグ、FA杯とともに“カンプノウの奇跡”で欧州CLを制し"The Treble(3冠)"を達成した。2005年にクラブそのものがアメリカの実業家マルコム・グレーザーに買収されてからも、チームは好成績を続けており、もはや解任の理由は見当たらない。「瞬間湯沸し器」の異名を取り、気性が激しいことでも有名で、自らが育て上げたベッカムがレアルに去った時の騒動は記憶に残るが、ここ最近は余裕が感じられるほど悠然と指揮をしており、強豪ゆえに向けられる多くの挑発に乗ることもない。チームに全体に安定感をもたらしている大きな要因であろう。


一方の“Blues”チェルシーンの監督アブラム・グラントはどうであろう。ご存知の通り、昨年9月20日、“Special One”ことジョゼ・モウリーニョの電撃“退団”の後を受け、コーチから昇格したイスラエル人。イスラエル代表監督の経験はあったが、その時点ではUEFAの指定する監督ライセンスさえ持っておらず、欧州CLで指揮は取れないという噂もあった。前任のモウリーニョが、がその歯に衣を着せない攻撃的な発言で常に話題を提供してきたのとは対照的に、その気難しい表情と寡黙な態度は、まったくといっていいほどその個性を隠していた。超過激な監督の後任としてはむしろその方が良かったのか、モウリーニョが去った直後こそ主力選手のモチベーション低下が伝えられたものの、青い戦士達は見事に立ち直り、プロフェッショナルとしての自律性を発揮した。そして、決して派手さはなくとも、着実にリーグでは勝ち点を積み上げ、CLでは勝ち上がってきたのである。


個性豊かなスター選手をまとめる監督として成功するには2つのタイプがある。絶対的な実績とカリスマ性のある監督と、まったく個性を出さずに裏方に徹するタイプである。かつてバルセロナで“ドリームチーム”を率いたヨハン・クライフが前者であれば、後者はレアル・マドリードの“銀河系軍団”を率いたデル・ボスケを思い浮かべればよくわかるだろう。そしてグラントは明らかに後者のタイプである。“Special One”(特別な存在)モウリーニョと“Absolute One”(絶対的な存在)オーナーのロマン・アブラモビッチの激しい確執を目の前で見てきたからであるかどうかは定かではないが、グラントはチームについて多くを語らず、選手もグラントについて多くを語らなかった。(実際には双方が何らかのコメントを発していたはずであるが、それが伝えられなかったということは、大きな問題がなかったことを、そして彼らが大人であったことを意味している)。そしてシーズン途中で崩壊してもおかしくなかったチームは、誰にも頼ることなく、一つにまとまっていった。まるでモウリーニョに「ジョゼのためにも、俺たちは倒れない」とメッセージを送っているかのように。


そんな寡黙なグラントであるが、リーグとCLでのチェルシーの快進撃が続くなかで、次第にそのつまらないコメントも伝えられるようになる。その殆どはニュース性のない優等生的な内容であったが、時折自身ではどうしようもない愚痴を吐くようになった。明らかに相手監督、相手の主力選手、そしてゲームを仕切る審判を挑発することを目的としたモウリーニョの戦略的な“毒舌”とは異なるものである。アフリカ選手権でシーズン途中にドログバ、エッシェン、カルーなどの主力選手を獲られることを嘆いたコメントなどは、むしろ自身の価値を下げるような見苦しいものであった。アフリカ選手権はずっと前に決まっていた訳だし、アフリカ選手に頼らなければならないチームで戦ってきたのもまたグラント自身だからである。


そんな矢先、あるグラントの発言が私の魂を刺激した。リーグ最終節を前にしたコメントである。奇跡の逆転勝利を願い、ことある毎に「今季チェルシーで我々が成し遂げたことを誇りに思う」、「優勝の望みを最後まで捨てない」という、つまらないながらも前向きな発言を繰り返していたうグラントが、「すごく弱い相手に対しては、大量点を取ることができる。勝ち点が同じなら、両者の実力は同じということ。同勝ち点ならプレーオフを戦って決める方がいい」と、得失点差で上回ったチームが優勝するという現在のリーグ方式に不満を漏らし、プレーオフ制度の導入を希望するような発言をしたのである。


このコメントは意外とさらりと報道されたが、見方を変えれば、その時点でグラントはリーグの優勝を諦めていたことにはならないだろうか。マンUに届かない自身のチームを“Good Loser”と決めつけ、真のチャンピオンは自分達であると負け惜しみを言っていたのではないか。グラントが自己矛盾に気付いていたかどうかは分からないが、この指揮官は戦う前から負けを認めていたのである。だから、少なくともその発言を聞いた時点で、私自身はマンUのリーグ優勝を確信した。。「グラント、敗れたり」。まさに宮本武蔵が、刀の鞘を捨てて勝負に挑んだ佐々木小次郎に対して言った言葉が思い浮かんだ。


そして迎えたリーグ最終節。マンUはアウェイでウィガンにC.ロナウドとライアン・ギグスのゴールで2-0の完勝、一方のチェルシーはモウリーニョが去ったあとも連続不敗記録を続けるホーム、スタンフォード・ブリッジで降格争いにあるボルトン相手に終了間際のロスタイムに追い着かれ1-1、仮に「同勝ち点ならプレーオフ」という情けないグラントの提案が通ったとしても、そのプレーオフにも参加できない正真正銘の“2位”に沈んだのである。なんという皮肉であろう。


器の小ささを暴露してしまったグラントではあるが、青い選手たちは見事に闘った。CLの準決勝では鬼門リバプールを、因縁のPK戦で倒し、得失点差が問われない決勝戦で、再び赤い悪魔たちに立ち向かった。しかし、結果はご存知の通り。ロナウドに先制を許すもランパードのゴールで追いつき、後半は怒涛の攻撃でマンUゴールを脅かす。試合は緊張感を保ちながら延長、PK戦へとその決着の場面を移し、マンU3番手ロナウドのPKをチェフがはじき出し、チェルシーはビッグ・イアーに一度は手を掛けた。しかし、勝利を決めるはずの5人目、キャプテンのテリーが軸足を滑らせ右に外し、最後はサドンデスの7人目、ニコラ・アネルカの甘いキックがマンUGKファン・デル・サールに阻まれ、死闘は終わった。最後に蹴った男アネルカは、モウリーニョが去った後に、グラントが冬の市場で獲得した唯一のビッグ・ネームである。このゲームでも99分にゲームを決めるべく、期待をもってグラントがピッチに送り出した男である。そんな“男”がクラブの準優勝を決めたのも、私には偶然に思えない。


2つのタイトルを獲るチャンスを、2つとも逃したグラント。シーズン終了後には、ドログバ、カルバーリョを始めとするモウリーニョ・キッズたちの離脱は誰もが覚悟をしていた。しかし、5月24日、シーズン終了後、最初にチェルシーのフロントから発表されたニュースは、他でもない「グラントの解任」だった。やはり・・・というのは2つのタイトルで準優勝監督となったグラントには失礼かもしれないが、彼は所詮“繋ぎ監督”であることに変わりはなかったのである。そう思うと老練なファーガソンが22年掛けて作り上げてきたマンUは、獲るべくしてその2つのタイトルを獲ったのだと思えてならない。


1シーズンで2つの訃報。来たるシーズンもチェルシーは、アブラモビッチが巨額を投じて著名な監督を招き、豪華な選手を揃えるだろう。しかし、葬式の後は喪に服するものだ。私にはチェルシーが輝くとは思えない。モウリーニョがいたときのようには・・・


魂のフーリガン

【ライオンに追われたウサギ】

3月26日に行われた2010年W杯3次予選の第2戦、日本はアウェーでバーレーンと闘い0-1で敗れた。岡田監督のコメントは 「結果としては残念ですが、アウェーだし、今度ホームで勝てばいい。予選はまだまだ続きますし、これからまだ時間もあります。」 というものであったが、口から出る淡々とした言葉とは裏腹に、その表情からは内心穏やかでないことが十分に感じ取れた。


仕方がない。アウェー、気温の高さ、凸凹のグラウンド、欧州組の不在、国内組主力の怪我、3-5-2システムへの準備不足、新しいボール・・・細かな理由を上げればキリがないが、岡田監督には全ての情報が集約され、それら全ての条件を前提としての采配だったはずであり、その結果の完敗である。最初から最後まで何ひとつやりたい事ができなかったという事実に、内心穏やかでいられるはずはないのである。


今回は戦術的、技術的な評論は多くの専門家諸氏にお任せして、1つだけ気が付いた点に言及したい。それはわが日本代表は「闘ったのか」ということ。言葉を置き換えると「走ったのか」ということである。


選手は「走った」と言うだろう。試合開始時点で33度の気温であり、日本と同じようには行かない環境ではあったが、代表選手として決してサボってはいないと主張するに違いない。しかし、このゲーム、日本代表選手で足が攣った選手はいただろうか?私が見落としていなければ、一人もいなかったはずだ。では、一方のバーレーンの選手はどうだったか?実に多くの選手が足を攣らせてピッチで動けなくなった。0-0の時点から見られた現象であり、彼らの時間稼ぎではない。


足を攣らせる原因には二つある。ひとつはオシムが「ライオンに追われたウサギは肉離れを起こしますか?(肉離れを起こすということは)ただの準備不足です。」というのと同じで、単なる準備不足。要するに日頃の鍛え方が足りないと言うケース。そして、もう1つは「限界を超えて走った」と言うこケースである。私は今回のバーレーン選手達が「限界を超えて走った」のだと考える。もし、彼らが日頃の鍛え方が足りなくて攣ったのであれば、日本はそんな準備不足のチームに敗れたことになる。それは心情的に考えたくない見解であり、バーレーンの展開が速く直線的だったこともあるが、実際に彼らが良く走ったということは紛れもない事実であろう。


この日の日本は、遠藤という潤滑油が後半途中までピッチにいなかったせいもあるが、いつになくパスのつなぎが悪かったように思う。足元から足元、回すタイミングは遅く、パスのスピードそのものも遅く感じた。実際にそうだったのかもしれないが、いつも以上に遅く見えた1つの原因は、私はバーレーンの選手の寄せの速さだったように思える。序盤は「ホームだからプレッシャーをかけに来たな」と思って見ていたが、一向に様子は変わらない。バーレーンが高めの位置から仕掛て来るために、日本は容易に前に行けず、前述のような逃げのパスを回さざるを得なかったのである。日本のシュートが少なかった理由はそこにある。


いわゆる引いて守ってカウンターという中東のサッカーではなく、赤い選手達は序盤から実に速く日本選手に向かってプレスをかけ続けた。そして彼らは終盤にバタバタと足が攣るほど良く走った。限界ギリギリまで走り続けた。今回のバーレーンはライオンのように闘ったのだ。そしてウサギは闘わずに逃げた。走らずに逃げた。そして、ウサギ達が明らかに引き分けを狙い始めた時に、長い後方からのクロスに対し、左サイドを最後まで走ったイスマイル・ハサンがボールに追いつき、エンドラインギリギリから魂のこもったクロスを上げた。そのボールが川口の手をはじいた所を、つめていたフバイルがヘッドで押し込んだ。ハサンのトラップはハンドかも知れないが、私はあの時間帯にあそこまで走りきった彼の勝ちだったと思う。バーレーンは勝利に値した。日本のマスコミが格下、格下と形容した中東の小国は間違いなく日本より良いサッカーを展開した。それは彼らが、魂を込めて走り続けたことで実現したサッカーだった。パスでつなぐサッカーは一見美しく高度に見える。しかし、最後はより走ったチームが勝つのだ。


試合を終えた時、私は思い出した。325日、前日本代表監督イビチャ・オシム氏が病院から“開放”された時の本人からのメッセージの最後の一節である。

「また、皆様には次のようにお願いします。スタジアムに足を運び、選手たちに大いにプレッシャーをかけて下さい。もっと走れ、もっとプレースピードを速くしろと。そして選手達が良いプレーをした時には大きな拍手を与えてくださるように。」

サポーターと日本代表にに向けられたメッセージであるが、皮肉にもそのメッセージを実践したのが、日本代表ではなく対戦相手のバーレーンだった。だから、私は今回バーレーンに拍手を贈ろう。日本人ももう「格下に負けた」などというくだらない感情は捨てて、素直にバーレーンをリスペクトすべきである。そうしないと、次回もこのライオンに追われて、ウサギたちは何もできなくなる。


魂のフーリガン