青い訃報-その2- | フーリガン通信

青い訃報-その2-

2008年5月21日(日本時間の早朝)、モスクワで欧州チャンピオンズリーグ2007‐08決勝戦が行われ、マンU(Manchester United FC)が9年ぶり3度目の王座に輝いた。記事としてタイミングを逸していることは承知している。しかし、語らねばならないだろう。愛するマンUのDouble Crown、しかも世界一のプレミア・リーグと、ビッグ・イアーの2冠である。そしてその二つの冠を争った相手が、あの青いチームだったのだから・・・


CL決勝の戦評はもう良いだろう。書けば長くなるだけだし、既に多くのメディアが詳細を伝えている中で、読者の皆様も疲れるだけだろう。そこで、赤と青の明暗を分けたものが何であったのか、その点について、私の視点を語ろう。


チーム力には差はない。むしろ、個々の選手の質を見れば、チェルシーの方が優位であろう。中盤の将軍ランパードを母の死で欠きながらも、4月26日にホームでマンUとの直接対決を2-1で制したように、この2つのクラブであれば、どちらが王者になってもおかしくはない。しかし、2つの大きなトロフィーは、共にマンUの選手達によって掲げられた。その結果は何が導いたのだろうか?


私は2つのチームの差は経験値であったように思う。それも監督の経験値。マンUのアレックス・ファーガソンは22年という信じがたく長い間、チームの指揮官に君臨し数多くのタイトルを獲ってきた。1998-99シーズンにはリーグ、FA杯とともに“カンプノウの奇跡”で欧州CLを制し"The Treble(3冠)"を達成した。2005年にクラブそのものがアメリカの実業家マルコム・グレーザーに買収されてからも、チームは好成績を続けており、もはや解任の理由は見当たらない。「瞬間湯沸し器」の異名を取り、気性が激しいことでも有名で、自らが育て上げたベッカムがレアルに去った時の騒動は記憶に残るが、ここ最近は余裕が感じられるほど悠然と指揮をしており、強豪ゆえに向けられる多くの挑発に乗ることもない。チームに全体に安定感をもたらしている大きな要因であろう。


一方の“Blues”チェルシーンの監督アブラム・グラントはどうであろう。ご存知の通り、昨年9月20日、“Special One”ことジョゼ・モウリーニョの電撃“退団”の後を受け、コーチから昇格したイスラエル人。イスラエル代表監督の経験はあったが、その時点ではUEFAの指定する監督ライセンスさえ持っておらず、欧州CLで指揮は取れないという噂もあった。前任のモウリーニョが、がその歯に衣を着せない攻撃的な発言で常に話題を提供してきたのとは対照的に、その気難しい表情と寡黙な態度は、まったくといっていいほどその個性を隠していた。超過激な監督の後任としてはむしろその方が良かったのか、モウリーニョが去った直後こそ主力選手のモチベーション低下が伝えられたものの、青い戦士達は見事に立ち直り、プロフェッショナルとしての自律性を発揮した。そして、決して派手さはなくとも、着実にリーグでは勝ち点を積み上げ、CLでは勝ち上がってきたのである。


個性豊かなスター選手をまとめる監督として成功するには2つのタイプがある。絶対的な実績とカリスマ性のある監督と、まったく個性を出さずに裏方に徹するタイプである。かつてバルセロナで“ドリームチーム”を率いたヨハン・クライフが前者であれば、後者はレアル・マドリードの“銀河系軍団”を率いたデル・ボスケを思い浮かべればよくわかるだろう。そしてグラントは明らかに後者のタイプである。“Special One”(特別な存在)モウリーニョと“Absolute One”(絶対的な存在)オーナーのロマン・アブラモビッチの激しい確執を目の前で見てきたからであるかどうかは定かではないが、グラントはチームについて多くを語らず、選手もグラントについて多くを語らなかった。(実際には双方が何らかのコメントを発していたはずであるが、それが伝えられなかったということは、大きな問題がなかったことを、そして彼らが大人であったことを意味している)。そしてシーズン途中で崩壊してもおかしくなかったチームは、誰にも頼ることなく、一つにまとまっていった。まるでモウリーニョに「ジョゼのためにも、俺たちは倒れない」とメッセージを送っているかのように。


そんな寡黙なグラントであるが、リーグとCLでのチェルシーの快進撃が続くなかで、次第にそのつまらないコメントも伝えられるようになる。その殆どはニュース性のない優等生的な内容であったが、時折自身ではどうしようもない愚痴を吐くようになった。明らかに相手監督、相手の主力選手、そしてゲームを仕切る審判を挑発することを目的としたモウリーニョの戦略的な“毒舌”とは異なるものである。アフリカ選手権でシーズン途中にドログバ、エッシェン、カルーなどの主力選手を獲られることを嘆いたコメントなどは、むしろ自身の価値を下げるような見苦しいものであった。アフリカ選手権はずっと前に決まっていた訳だし、アフリカ選手に頼らなければならないチームで戦ってきたのもまたグラント自身だからである。


そんな矢先、あるグラントの発言が私の魂を刺激した。リーグ最終節を前にしたコメントである。奇跡の逆転勝利を願い、ことある毎に「今季チェルシーで我々が成し遂げたことを誇りに思う」、「優勝の望みを最後まで捨てない」という、つまらないながらも前向きな発言を繰り返していたうグラントが、「すごく弱い相手に対しては、大量点を取ることができる。勝ち点が同じなら、両者の実力は同じということ。同勝ち点ならプレーオフを戦って決める方がいい」と、得失点差で上回ったチームが優勝するという現在のリーグ方式に不満を漏らし、プレーオフ制度の導入を希望するような発言をしたのである。


このコメントは意外とさらりと報道されたが、見方を変えれば、その時点でグラントはリーグの優勝を諦めていたことにはならないだろうか。マンUに届かない自身のチームを“Good Loser”と決めつけ、真のチャンピオンは自分達であると負け惜しみを言っていたのではないか。グラントが自己矛盾に気付いていたかどうかは分からないが、この指揮官は戦う前から負けを認めていたのである。だから、少なくともその発言を聞いた時点で、私自身はマンUのリーグ優勝を確信した。。「グラント、敗れたり」。まさに宮本武蔵が、刀の鞘を捨てて勝負に挑んだ佐々木小次郎に対して言った言葉が思い浮かんだ。


そして迎えたリーグ最終節。マンUはアウェイでウィガンにC.ロナウドとライアン・ギグスのゴールで2-0の完勝、一方のチェルシーはモウリーニョが去ったあとも連続不敗記録を続けるホーム、スタンフォード・ブリッジで降格争いにあるボルトン相手に終了間際のロスタイムに追い着かれ1-1、仮に「同勝ち点ならプレーオフ」という情けないグラントの提案が通ったとしても、そのプレーオフにも参加できない正真正銘の“2位”に沈んだのである。なんという皮肉であろう。


器の小ささを暴露してしまったグラントではあるが、青い選手たちは見事に闘った。CLの準決勝では鬼門リバプールを、因縁のPK戦で倒し、得失点差が問われない決勝戦で、再び赤い悪魔たちに立ち向かった。しかし、結果はご存知の通り。ロナウドに先制を許すもランパードのゴールで追いつき、後半は怒涛の攻撃でマンUゴールを脅かす。試合は緊張感を保ちながら延長、PK戦へとその決着の場面を移し、マンU3番手ロナウドのPKをチェフがはじき出し、チェルシーはビッグ・イアーに一度は手を掛けた。しかし、勝利を決めるはずの5人目、キャプテンのテリーが軸足を滑らせ右に外し、最後はサドンデスの7人目、ニコラ・アネルカの甘いキックがマンUGKファン・デル・サールに阻まれ、死闘は終わった。最後に蹴った男アネルカは、モウリーニョが去った後に、グラントが冬の市場で獲得した唯一のビッグ・ネームである。このゲームでも99分にゲームを決めるべく、期待をもってグラントがピッチに送り出した男である。そんな“男”がクラブの準優勝を決めたのも、私には偶然に思えない。


2つのタイトルを獲るチャンスを、2つとも逃したグラント。シーズン終了後には、ドログバ、カルバーリョを始めとするモウリーニョ・キッズたちの離脱は誰もが覚悟をしていた。しかし、5月24日、シーズン終了後、最初にチェルシーのフロントから発表されたニュースは、他でもない「グラントの解任」だった。やはり・・・というのは2つのタイトルで準優勝監督となったグラントには失礼かもしれないが、彼は所詮“繋ぎ監督”であることに変わりはなかったのである。そう思うと老練なファーガソンが22年掛けて作り上げてきたマンUは、獲るべくしてその2つのタイトルを獲ったのだと思えてならない。


1シーズンで2つの訃報。来たるシーズンもチェルシーは、アブラモビッチが巨額を投じて著名な監督を招き、豪華な選手を揃えるだろう。しかし、葬式の後は喪に服するものだ。私にはチェルシーが輝くとは思えない。モウリーニョがいたときのようには・・・


魂のフーリガン