ロシアの成長、日本の停滞 | フーリガン通信

ロシアの成長、日本の停滞

まさか・・・早朝の衝撃を私は忘れない。眠たい目を擦りながらオランダの先制点を待ちわびていた私の目を覚まさせたのは、ファン・ニステルローイでもなく、スナイデルでもなく、白い稲妻であった。


勝敗には常に2つの側面が議論の対象となる。敗者に問題があったのか、それとも単純に勝者の方がより優れていたのかという点である。予選リーグ「死のC組」でイタリアを3-0、フランスを4-1、そしてルーマニア相手には主力を温存しながら2-0とダントツの攻撃力で勝ち進んだ絶好調のオランダ。一方はこともあろうにD組初戦でスペインに1-4で完敗を喫し、ギリシャに1-0の辛勝、そして僅か3日前にスェーデンを2-0で沈め辛くも決勝トーナメント進出を決めたロシア。誰もが私と同じ気持ちでゲームを観ていたに違いない。だから、このゲームの結果は「ロシアの勝利」よりもむしろ「オランダの敗北」として記憶に残るだろう。当然のことながら、人々は「敗者の問題」を問う。「何故オランダは破れたのか?」


しかしこのゲーム、私はオランダの敗因を探る以前に、単純にロシアの選手達の躍動感に魅せられた。ボールを持てば必ずスピードに乗ってDFに勝負を挑み、たった1人で局面を打開しシュート、センタリング、スルーパスでオランダを切り裂いたFWアルシャビン、長身とは思えないほど「消えるプレー」で危険地帯に突如現れては決定的な仕事をするFWパブリュチェンコ、低い弾道の長距離砲で何度も何度も名手ファン・デル・サールを脅かしたDFコロディン・・・彼らのプレーに胸を躍らせなかった観客はいないのではないだろうか。


しかし、ロシアが素晴らしかったのは決して彼ら個人の力だけではない。そのサッカーが、その組織の連動性が素晴らしかったのである。古狸ヒディンクに両翼のスペースを消され、まるで翼を失ったかのように美しく飛ぶことができなかったオランダに対し、ロシアの若い選手達は中盤の高い位置で素早くプレスを掛け、ボールを奪取するや否や、サイドにボールを散らし、ボールを持たない選手はピッチ全体を速く長いランニングで横切った。そして、次から次へとボールを持つ選手をを猛烈なスピードで追い越す白いユニフォームに、オレンジの選手達は着いてゆくことができなかった。圧倒的な攻撃力の裏で、これまで露呈しなかったオランダの守備力の不安は的中した。彼らが出来たことは、混乱の挙句にボールを辛うじて自陣ゴールから遠ざけることだけ。そして、そこをスナイパーのごとく待ち構えていたコロディンが、恐ろしい精度でロングシュートを見舞う。まるでバレーボールのバック・アタックのように。


唯一手元に残されたロッベンという名の翼をも手放し(投入せず)、全くサイドから崩す術を失ったオランダにあって、あくなき闘争心を“シュート”という明確な形で示し続けたスナイデル、絶滅しつつある“ストライカー”という種族の生き残りとして、その鋭利な牙を剥き、凄まじい野生の咆哮を続けたファン・ニステルローイ。その二人のオレンジの魂の融合によるど迫力ゴールで、ゲームは1-1となり延長にはなったが、オランダが示すことができた抵抗はそれだけだった。オランダが全く動けなくなった延長後半のロシアの2点で、3-1でゲームは幕を閉じたが、もしサッカーに判定があるならば、正規の90分の時点でこのゲームは明らかにロシアの判定勝ちが宣言されていただろう。それだけロシアのサッカーは素晴らしかった。オランダが「オランダでなかった」ことも確かではあるが・・・


さて、多くの通信読者は、当然の事ながら、同日夜のW杯アジア3次予選最終戦・日本対バーレーンをご覧になったことだろう。すでに両国ともに最終予選への進出を決めていたが、アウェーでバーレーンに苦杯を喫している日本代表はホームで勝たなければならないというプライドがある。また1位でグループを抜ければ、最終予選でそれだけ有利なグループに入る可能性も高い。そして、それ以前の問題として、日本人の代表が、日本人の目の前で負けることはもちろん、引き分けすら面白くない。しかし、単独のゲームとしてみれば、一般の興味はその程度のお気楽なものだったであろう。そして、終了間際の、“EUROでは絶対に観ることのできない”ような、セルジオ越後氏は「コメントに困る」といい、松木安太郎氏は「素晴らしい」と評価した内田のトホホ代表初ゴールで、日本はグループ首位を奪還したのであるから、めでたし、めでたしということなのだろう。


しかし、早朝のオランダ対ロシアを観た人達の本心は、実は複雑だったのではないだろうか。個人技とスピードに弱い日本のDFはアルシャビンを止められるだろうか。高さがある上に変幻自在のパブリュチェンコを誰がマークできるのか。ファン・デル・サールがやっとはじき出せるようなコロディンのミサイルを、背の低い日本のGKが触ることができるのか・・・。答えは“NO”ではない。“NEVER”である。


欧州とアジアのレベルの違いは間違いなくある。サッカー文化の差と同様に、平均的な戦力のレベルの差はあるだろう。親善試合ではいわゆる欧州列強国にそこそこのゲームができる日本であるが、やはり本番では歯が立たないレベルであろう。だから、オランダ対ロシアと、日本対バーレーンを比べることに無理がある・・・そうであろうか?思い出して欲しい。2002年の夏、日本がW杯と言う真剣勝負の舞台で初めて破った相手は欧州勢だった。そう、他ならぬ“ロシア”だったのである。


ご存知の通り、同大会で日本はグループ首位でベスト16に進出を果たした。大会後にはジーコを監督に迎え2004年のアジア・カップを制し、2006年のW杯は地区予選首位で堂々の3大会連続参加。一つ下の五輪世代も順調に2004年アテネ五輪に参加した。クラブでも2007年に浦和レッズがアジアチャンピオンに輝く。つまり、アジアの枠の中ではあるが、日本は着実にその地位を固めてきたといえよう。


しかし、一方のロシアは停滞が続いた。EURO2004本大会に出場はしたが、いきなりの2連敗で早々にグループリーグ敗退、2006年のドイツW杯には出場すらしていない。アルシャビン27歳、バブリュチェンコ、コロディン26歳、老け顔のジルコフですら24歳ということから逆算すると、出場していて当然であるはずのアテネ五輪にも出場していないのだ。そう。明らかにロシアは停滞していた。


しかし、そのロシアは見事に復活してみせた。その裏には2006年W杯後ヒディンクという名将を迎えたということはあろうが、今回のオランダ戦で見事な活躍を見せたのは、代表の停滞の中で育っていた若い選手達であるということを忘れてはならない。しかも、彼らが見せたそのサッカーは、オシムが示唆しながら、実現はまだまだ先と我々が諦めかけていた「考えて走るサッカー」ではなかったか。


一方の日本は、実は停滞していながら、周囲はその停滞を容認してきた。アジアというマイナーな世界でかろうじてトップレベルでいられただけなのに、マスコミは集客力と集金力のある日本代表を好意的に持ち上げてきた。いくらオシムが将来を見据えても、マスコミのみならず日本サッカー協会の幹部ですら目先の勝利に一喜一憂し、結局日本のサッカーは進歩をすることが出来なかった。その姿がバーレーン戦の日本代表である。


私も日本人である。日本代表の勝利という結果は素直に喜びたい。しかし、その一方で、もう1人の私が囁く。もし、日本があの早朝のロシアのサッカーに到達することができるのであれば、五輪やW杯の出場権を1つや2つ失っても惜しくないのではないだろうか・・・。日本対バーレーンの放送が終了した後に、私の魂は恐ろしいほど冷めていた。


魂のフーリガン