フーリガン通信 -18ページ目

白い巨人・夏のお買い物総括 

毎日の自分の環境が一番忙しいはずの6月に5回も発信しておきながら、7月には1回も通信を出せずにいた。理由は簡単。私の“魂”が騒がなかったのである。不思議ではない。Footballの7月は、毎年そんなものである。


さて、この夏を騒がせた“白い巨人”レアル・マドリーのお買い物も、リヴァプールからシャビ・アロンソを獲得してようやく終わったようだ。本当に終わったのかって?クラブGMのホルヘ・バルダーノ自らが終了宣言を発したのだから確かだろう。


たくさん買ったので、改めてここでそれらの“品物”を値段順に並べてみよう。


   品名            原産国  種類   買値   販売店 備考


クリスティアーノ・ロナウド ポルトガル FW  €9,400万    マンU      2008年バロンドール

カカ               ブラジル  MF  €6,700万    ACミラン    2007年バロンドール

カリム・ベンゼマ       フランス   FW  €4,200万   リヨン

シャビ・アロンソ        スペイン  MF   €3,000万   リヴァプール

ラウル・アルビオル      スペイン  DF   €1,500万    バレンシア   

アルバロ・ネグレド       スペイン  FW    €500万    アルメリア     買戻し

アルバロ・アルベロア     スペイン  DF    €410万    リヴァプール

エステバン・グラネロ     スペイン   MF    €400万    ヘタフェ      買戻し

   

  合計 7品     €26,110万 = 約352億円 (@\135/€1.00) 

                 ※あくまでも私の知り得た情報に基づく想定概算


さすが、2000年~2006年の第1期政権時代に「銀河系軍団」で一世を風靡したフロレンティーノ・ペレス会長、その第2期政権でも「一流の選手が揃う華やかなチームを築く」という公約を早くも果たして見せた。しかし、このお買い物に要した金額もタダ者ではない。


世界を襲った金融危機の煽りで、実際に多くの名門クラブの身売り話が出る昨今、実際にこの常軌を逸した金遣いの粗さに対しては、多くの著名人たちから痛烈な批判が飛んだ。ここでも、個人的な賢人序列で、そのいくつかを紹介しよう。


フランツ・ベッケンバウアー/バイエルン・ミュンヘン会長

「今起こっていることは狂気だ。特に多くの人々の生活、仕事が脅かされている時代にね」

「今シーズンの移籍金はバカげた金額だ。だた、それでもお金を捨てるように使う狂った人間がいる」


ヨハン・クライフ/元バルセロナ監督の空飛ぶオランダ人

「一つのクラブがあれだけのお金を払えば、ドミノ効果のように他クラブもそうし始めるだろう」


ミシェル・プラティニ/UEFA会長

「こういった過度の移籍が毎日のように起こっている。これらの移籍は、フェアプレーの概念から危険なチャレンジで、財政的なバランスへの問題となりうるだろう」

「わたしが懸念しているのは、移籍市場においてある特定の動きが普遍化してしまい、それがさまざまな国に広がっていくことだ。限度を超えた出費は移籍市場の高騰を招き、欧州すべてのクラブに悪影響をもたらすインフレの原因を作ることとなる。欧州の半数のクラブが赤字を計上していることを、あらためて思い出すべきだ」


アレックス・ファーガソン/マンチェスター・ユナイテッド監督 

「今年の夏、ビッグネームの移籍に投じられた金額は、どれも“現実的な数字”とはほど遠いものだ。しかし、どういうわけか常軌を逸した金額が実際に支払われている」

「もし巨額の移籍金で選手を獲得することが、ファンを落ち着かせる唯一の方法なのだとしたら、それはバカげたことだ」


これだけ上げれば十分だろうが、最後に他業界からも・・・


ホセ・ルイス・ロドリゲス・サパテロ/スペイン首相 (同国では長引く不況で20%近い失業率が継続中)

「これらの値段は、私には度を越えていると思える。それは社会にも大きな影響を与えるだろう」


・・とまあ、カカに続いてロナウドを買った時点から、国内外の至るところから上記のようなの“総口撃”を受けたペレス会長であるが、たとえ外から借りて来たにせよ、それだけの金額を実際に用意し、交渉相手と商いを成立させたのであるから、その行為を外部から批判されるのも確かに筋違いな話ではある。前述のプラティニも、批判の一方で「何か腑に落ちないところがあるのは確かだが、クラブにそれだけの金額を払う経済力がある以上、私には肩をすくめるしか方法はない」とコメントしている。


むしろ、どんなに誹謗中傷を受けようが、世界1、2の選手を含めて、ほぼ希望通りの補強を実現し、昨シーズンはライバルのバルサに総取りされての無冠に終わったクラブを“世界1”注目されるクラブにしたのである。そう考えれば、立派なブランド戦j略と言えよう。会社経営としては見事なV字回復を実現したのである。事業の再生の立ち上がりとしては評価に値するだろう。


私としては“会社経営”としてよりも、“クラブ経営”の観点からの批判が気になった。私自身、「これでチームは強くなるの?」という疑問を持っていたからである。たとえば・・・


アレックス・ファーガソン/マンチェスター・ユナイテッド監督 

「個性のある選手がこれほど大勢いては、本来最も重要なバランスの取れたチーム構成が非常に困難となる」


ジョアン・ラポルタ/FCバルセロナ会長

「チームを作る上で、努力と才能、そして将来のビジョンをベースとして積み重ねていく経営モデルと、“絶対的なパワー”をふりかざした“帝国主義的”で“利益至上主義的”なモデルでは大きく異なる。わたしは、自分が選んだやり方を信じているし、満足している。われわれの方針はより真面目なものであり、資質のある選手を磨き上げ、蓄積していくという方針に基づいたチーム作りが、成功をもたらしてくれるということは、すでに証明されている」


彼らのこういう批判は、決して金持ちに対する嫌味ではない。その裏にはペレス会長自身の第一期政権での「ギャラクティコ(銀河系軍団)の崩壊」という事実がある。


ペレスは2000年にクラブ会長に当選後、その「ジダネス&パボネス(世界最高の選手達とカンテラ出身の選手達の融合)」方針に基づき、次々と以下のビッグネームを獲得していった。


シーズン    品物          原産国   種類  販売店      備考


2000/01 ルイス・フィーゴ      ポルトガル   MF  バルセロナ   2000年バロンドール

2001/02 ジネディーヌ・ジダン   フランス     MF  ユベントス    1998年バロンドール

2002/03 ロナウド           ブラジル    FW  インテル     1997年/2002年バロンドール

2003/04 デビッド・ベッカム     イングランド   MF  マンU

2004/05 マイケル・オーウェン   イングランド   FW  リヴァプール  2001年バロンドール

       ワルテル・サムエル   アルゼンチン  DF  ASローマ

      ジョナサン・ウッドゲート イングランド   DF  ニューカッスル

2005/06 ロビーニョ         ブラジル     FW サントスFC 

      ジュリオ・バティスタ    ブラジル     MF セビージャ

      カルロス・ディオゴ     アルゼンチン  MF  リーベル・プレート

      セルヒオ・ラモス      スペイン     DF  セビージャ

      アントニオ・カッサーノ  イタリア     MF  ASローマ

      シシーニョ         ブラジル     DF  サンパウロFC 


第一期政権も前半は素晴らしかった。2000/01、折りしもFIFAから20世紀最高のクラブに選ばれ、リーガ優勝に欧州CL準優勝。翌年、クラブ創設100周年を迎えた2001/02にはリーガ優勝は逃したが、欧州CLで9度目の優勝を果たした。決勝戦でのジダンの芸術的ボレーはCL史上最も美しいゴールとして記憶される。続く2002/03はUEFAスーパーカップ、FIFAインターコンチネンタルカップ(トヨタカップ)を勝ち取り、リーガも制した。


崩壊が始まったのは2003/04からである。優勝監督デル・ボスケ、鉄人DFフェルナンド・イエロを解任、右サイドでフィーゴと重なるベッカムを人気優先で獲得、そして陰の功労者マケレレは自らクラブを出て行った。世界ツアーや映画公開で世界的に上がるクラブ知名度とは裏腹に、チームは攻撃偏重のチームはジダネスの老化とパボネスの成長不全で船体のバランスを崩していった。そしてケイロス、カマーチョ、ルシェンブルゴと次々と挿げ替えられた船頭も、白い巨船の航路を修正できず、ついに3年間無冠という屈辱と共にペレスは2006年2月27日に会長職を辞任したのである。


前述のファーガソン監督やラポルタ会長のコメントは、間違いなく、またも繰り返されるペレスの“ギャラクティコ”に対する皮肉を込めたものだ。いずれもペレス会長がいない間に、独自のクラブ哲学によって成功を収めていたクラブだけに説得力がある。


では、3年後に再び会長の席についたペレスは、同じ過ちを繰り返すことになるのだろうか?実は私はそうは思わない。彼はもちろんレアル・マドリーのソシオであるが、その本業は会社経営者。スペイン最大・欧州第3位の建設会社ACS社を作り上げた辣腕社長である。そんな男が、一敗地にまみれた会長の座に再び名乗りを上げたのである。親会社から出向し、9割方決まっていた商談一つまとめられず、自らの給料を50%カットしたあげくに体調不良で休職・退任するような弱いサラリーマン経営者ではない。前回の「痛み」を知っているペレス会長が、同じ過ちを犯すことはないだろう。「失敗」から学び、次にもっと大きな「成功」を手にする。それが名経営者というものである。


因みに、前回の痛々しい最後の印象が強いペレス会長であるが、その在任時にはロレンス・サンス前会長時代の2億4千万ドルもの莫大な負債を都心にあった旧練習場の売却により一掃、一方でサンチャゴベルナベウを改装し、新練習施設シウダード・レアル・マドリーを完成した。ピッチ外でやるべきことはしっかりやっていたのである。


ピッチ上に話を戻して、今回の「お買い物」の内容をもう一度見てみよう。前回のように1人ずつ大物を買い足すのではなく、一度に多くの選手を買っている。それだけ大鉈を振るわなければならない状態であったかもしれないが、毎年新しい血を入れるたびに、その同化に苦労した前回の反省が活かされている。


そして、DF-MF-FWのバランスを考えた品揃え。ここでも知名度重視の結果、極端な攻撃偏重に陥った前回の反省が見られる。今回もロナウド、カカ、ベンゼマを買ったまでは攻撃偏重の悪夢が存在したが、後方から彼らをサポートするアロンソを獲得することで、バルダーノが満足するよう結果となった。


また、前回批判を受けた多国籍の銀河系軍団への反省として、ペレスは“スペイン人化”も進めている。7品目中国産品が5品。これにはFIFAブラッター会長がかねてから提唱し、近い将来導入される可能性がある「外国人制限(ブラッター持論はチームの先発に国内選手6人起用)」を見据えてのことだろう。


また、前回は「ジダネス&パボネス」といいながら、カンテラ育ちパボンやポルティージョを育て切れなかった。買戻しオプション行使で2品のカンテラ作品を買ったのにも、スペイン化とともにカンテラ回帰の傾向が見られる。もっともネグレドは再売却の噂もあるが・・・


そして、ペレス会長は自らの側近も固めた。前回のGMホルヘ・バルダーノをGM兼副社長、“あの”ジネディーヌ・ジダンが会長アドバイザーだという。そして監督はビジャレアルを一流クラブに育て上げた智将マヌエル・ペジェグリーニ。経営における組織作りも手抜かりはない。


以上はあえてかなり前向きにフロレンティーノ・ペレス会長を評価してみたが、決して「ありえない」とはいえないことばかりであろう。それは全て彼が批判される「失敗」以外に、数多くの「成功」を手にしてきた男だからである。


実際に、ペレスのお陰で世界中に拡大したソシオやサポーターは、今期のレアル・マドリーに大きな期待を寄せているに違いない。ペレスにとってはそれで良いのである。クラブ経営という点においては、レアルに何の利益ももたらさない人たち、レアルと敵対する人たちからはそっぽを向かれても、レアルに利益をもたらす人たちから評価されればよいのである。


事実、カカの入団発表には5万5千人、クリスティアーノ・ロナウドの入団発表には何と8万人を超えるサポーターが、ホームのエスタディオ・サンチャゴ・ベルナベウに集まった。ただ1人の選手の入団発表だけにである。元々スター選手の獲得を歓迎するレアルのソシオであるが、異例のことであろう。既にペレス会長が連れて来た選手達は、多くの人々に大きな喜びを与えているのである。そして、その喜びと期待と同じだけ、彼らをつれてきたペレス会長への感謝が込められている。


1984年、ナポリのスタディオ・サン・パオロにで行われた1人の男の入団会見に、7万5千人ものサポーターが集まった。その男の名は“ディエゴ・マラドーナ”。そして、その日からナポリの人々は“幸せ”の中にいる。彼がナポリを去って相当な年月が過ぎた今でも。「俺は毎週マラドーナを見たぜ」・・・胸を張ってそう言えることほど、幸せなことはない。


サンチャゴ・ベルナベウのピッチで、クリスチアーノ・ロナウドやカカが、マラドーナのような活躍を見せてくれる保証はまだない。しかし、レアルがロナウドに払った値段に対し多くの批判が出たなかで、1人だけ異論を唱えた男の言葉を最後に紹介しよう。


「他の選手を見てほしい。ロナウドの9300万ユーロは安かったと感じるはずだろう。俺たちが話をしているのは、世界最高の選手についてなんだ」 ロイ・キーン


Footballの興奮と楽しみは、やはり“組織”を切り裂く“個人”の技術や閃きに他ならない。システムや戦術に口角泡を飛ばす輩が多い昨今、我々ももっと素直になるべきではないだろうか。キーンのように・・・


魂のフーリガン 


                 




サラリーマン社長の悲劇

1950年2月19日生まれ(59歳)。東京大学法学部卒。1972年4月に日産自動車㈱に入社し、同社では国内営業部門を経て、商品企画部門で中長期の商品戦略立案を手がけ、その後人事部でキャリアコーチとして将来のリーダー候補の育成に従事。2007年4月に横浜マリノス㈱顧問、2008年6月に代表取締役社長に就任・・・


この経歴の持ち主は、今回グラスゴー・セルチックのMF中村俊輔の獲得を逃した齋藤正治(さいとうまさはる)Fマリノス社長。因みに横浜マリノス㈱とは、Jリーグ1部に加盟する横浜F・マリノスの運営会社である。


ご存知の通り、横浜F・マリノスの前身は日産自動車サッカー部。現在の株主構成でも日産自動車が約93%を保有する筆頭株主である。親会社から子会社の社長が派遣されるのはビジネスの世界では当然であり、むしろ日産からすれば上記のような人事の経歴を持つ齋藤氏は適任だったのであろう。しかし、そこに今回の悲劇が存在した。


そもそも事業としてみた場合、横浜F・マリノスは赤字経営。しかし、カルロス・ゴーンを迎えた日産が数多くの不採算事業から撤退してきた中、Football好きのゴーン氏はクラブを「別格」と位置付け、NISSANがオフィシャルパートナーとしての広告費で増え続ける赤字を補填してきた。


しかし、親会社である日産自動車も、昨年来の金融危機に伴う世界的な自動車不況を受け業績が急激に悪化。まさに無い袖は振れない状況になり、昨年末には持株売却と第三者割当増資でこの赤字クラブのスポンサー費用を削減、持株比率を33%以下まで下げて経営権を手放すことも視野に入れていることを発表した。


そんな中、今回の俊輔の復帰は俊輔側の希望によりスムーズに進展していたという。イタリア、スコットランドと7年間を欧州で過ごし、セルチックではクラブとしても個人としても一定の成功を収めた。30歳になる俊輔は、残り少なくなった選手としての将来、ドイツで悔しい思いをしたW杯への想い、家族の生活、それら様々な要素を考え抜いた上で、「帰国」というオプションを選んでいた。そして、帰国するなら2002年に中心選手であった自分を暖かく送り出してくれた「マリノス」と。それは俊輔自身も語り、周囲の誰もが既定路線と考えていた。


金ではない。セルチックは帰国が濃厚と言われた俊輔に対し、年俸3億円、しかも契約期間は本人の希望次第という、破格の条件での残留要請を提示していた。その他、今回移籍することになったエスパニョールを含め、何と14ものクラブからオファーを受けていたという。にもかかわらず、俊輔はそれらのクラブに断りをいれ、交渉先をセルチックの約半分の年俸しか出すことができないマリノス一本に絞っていた。


移籍発表は間近・・・しかし、亀裂はそんな段階から始まった。詳細な理由は報道されていないが、契約前のイベント参加、俊輔の体調を無視したデビュースケジュール等、年俸以外の部分で俊輔側に負担を強いたとも伝えられる。恐らく、その内容はピッチの外でのマーケティング面での効果を狙ってのものだったのだろう。


カリスマ経営者として知られる京セラ創業者の稲盛和夫氏によれば、経営の要諦は「売上を最大限に伸ばし、経費を最小限に抑える」ことだという。業績悪化に喘ぐ「親会社」から派遣された「元親会社社員」である齋藤社長にしてみれば、俊輔という資産を出来るだけ安く手に入れ、その資産を上手く運用して少しでも多くの利益を上げたいと思うのは当然である。トントン拍子に進んだ相思相愛の交渉の中で、少しでも良いディールを引き出そうとした齋藤社長のスケベ心も、サラリーマンとしてならば理解できる。その実績が親会社からの評価に繋がるからである。


しかし、残念なことに俊輔は「会社」にとっては「商材」であっても、「自動車」と違って「魂を持った人間」だったということだ。齋藤氏は人事のバックグラウンドがあったかも知れないが、日産一筋、移籍(転職)の経験もなく会社が敷いたレールをひたすら走り続けてきたサラリーマンである。自らの意志で、自らのスキルで人生を切り開いてきた俊輔の気持ちは実のところよく分からなかったのであろう。だから一旦は横浜に落ち着きかけた俊輔の魂は、スペインへと離れていったのである。


エスパニョールへの移籍を自らのHPで報告した俊輔は、その中でエスパニョールについて「自分のことを本当に必要としてくれて・・・」、「サッカー選手として成長できる環境は得た。死に物狂いでプレーすれば、また大きな財産を得ることができる」と語っている。言い換えれば、横浜F・マリノスは「自分のことを本当に必要としてくれていなかった」、そして「サッカー選手として成長できる環境ではない」ということである。


この俊輔のコメントでのキーポイントは「サッカー選手として」という部分であろう。あくまでも俊輔個人は1人のフットボーラーであり、それ以上でもそれ以下でもない。俊輔の付加価値を利用して利益を得ようとするのは、俊輔を欲しがった全てのクラブ同様の狙いである。エスパニョールも日本人観光客の集客や俊輔のユニフォーム販売を期待しているはずであるが、エスパニョールはあくまでも「フットボーラーとしての俊輔」を評価し、その思いを交渉の場でぶつけたに違いない。メディカルチェック免除という特別待遇もその現れである。そしてその熱意ある交渉姿勢が、最後は俊輔の魂を揺さぶったのである。


かくして俊輔の「魂」は、遠くカタルーニャに彼が望む環境を求めて、彼の野望と興奮と共に飛び去った。横浜に残されたのは、東大法学部を卒業し、日産自動車という大企業にその人生を重ねたエリートサラリーマンの悲劇。貴重な戦力を失った木村監督のみならず、社員からも辞任の要求がある中で、齋藤社長自身は「責任といっても、どこに問題があるのか真実はよく分からない。(責任の)所在の問題がある。できる限りの説明はしている」として、退任の意志は見せない。仕方がない。彼は親会社の命を受け子会社の社長に就任しただけである。彼の処遇を決めるのは、彼自身ではなく、彼の親会社なのだから。


親会社から子会社に出向したサッカーを知らないサラリーマン社長、親会社の業績の影響をモロに受ける経営、親会社からの広告宣伝費で補填される赤字・・・今回の騒動では、未だに企業スポーツから脱却できないJリーグクラブの問題点が改めて浮き彫りにされた。


因みに、齋藤氏が2008年6月9日に社長就任会見で発表した経営方針は以下のとおりである。

【経営の3本柱】

① 挑戦者としてのリスタート

② 更なる地域密着

③ 風通しの良いクラブ

【経営の目標】

・ 2010年にはホームゲームで年間入場者数100万人突破


何と夢のない方針であろうか。やっぱりサラリーマン社長には、はじめからプロサッカークラブの経営は向かなかったのである。齋藤社長は語らなかったが、彼は今回の責任の所在は「俺を社長にした親会社」にあると思っているのではないだろうか。しかし、思ってはいてもその通りには語れない・・・それもまたサラリーマンの悲劇である。


魂のフーリガン







「アジアで4位」・・・カタール戦に見た現実

「ホームでいい試合を見せたかったが、選手を生かすことが出来ませんでした。申し訳ない。」


・・・ゲーム後の岡田監督の謝罪の言葉である。私は思わず先のWBC世界フライ級タイトルマッチで王者内藤が、判定で5度目の防衛を果たした直後に観客に向かって発した言葉を思い出した・・・


「このためにわざわざ来てくださったお客さんに、こんなしょっぱい試合を見せてしまって済みませんでした。」


期せずしてほぼ同じコメントとなった訳であるが、内容は異なる。負ければタイトルを失う王者・内藤に比べ、結果がどうであれW杯出場権は失わない日本代表。一度ダウンを喫していながら持ち返し3-0の判定で勝った内藤、挑戦者に苦戦し引き分けた日本代表。どちらがより“しょっぱかった”かは一目瞭然であろう。


事実、闘莉王は自ら「腐った試合」と怒りを込めて吐き捨てた。その通り、日本-カタール戦はしょっぱいどころか、「とても食えたものではなかった」。


岡田監督の不在、遠藤と長谷部の欠場、審判の怪しいジャッジ、ウズベキスタン戦後の疲労、W杯出場決定後のモチベーション低下と気の緩み、カタールのモチベーションの高さ・・・


苦戦の理由を上げればきりがない。しかし、どんな理由があろうと、たとえ不利な条件があったとしても、戦っている以上は全て覆して結果を出すのが「強豪」である。内藤大助はそれを実践して見せたが、日本は最後まで我々に何も見せてくれなかった。そう、カタール戦の日本には「内容」も「結果」も存在しなかった。


私は常々「日本と世界の距離」について語ってきた。日本はまだまだ南米・欧州の世界標準から離れた位置にいる。距離があること自体は問題はない。重要なのは、正しくその距離を把握することなのだ。客観的な目でその位置を正しく把握していれば、強みと弱みを正しく認識していれば、然るべき指導者の下で日本は強くなる。Jリーグの発足以降、強くなるための土壌は着実に出来ている。あとは強化のアプローチを間違わなければ良いのだ。


しかし、多くの人はその「世界との距離」を見誤る。何も分かっていない人たちが、その場その場で一喜一憂し、大衆を誤解させる情報を無責任に垂れ流すからである。そして牧場の中しか知らない迷える子羊たちは、彼らでいくら儲けるかということしか考えない羊飼いに導かれ、過度な自信と期待という毛を纏って行く。やがてむしり取られるとは知らずに。


ウズベキスタン戦の苦戦の真実も、「W杯予選最速突破」という派手なベールに隠された。アウェーとはいえ、自らのアイデンティティとしてあれだけ拘っていた「自分達のサッカー」が何も出来ないまま、辛くもしのいだという悲惨な「内容」は、運よく付いてきた「結果」に隠された。しかし、一番ほしかった「結果」が手に入ったから、あえてその「内容」を問う人は殆どいなかった。


そして迎えたカタール戦は、最終予選で最も組み易しとされた相手だけに凱旋ムード一色。観客の多くは迂闊にもキリンカップで信じてしまった「強い日本代表」を見にスタジアムに集まったはずだ。強い日本、当然のことながら「内容」も「結果」も、その両方は戦う前から日本のものだった。そして開始わずか2分のラッキーな先制点で、観客の期待は一段と高まったが・・・


カタールがまだ3位の望みを残していたこと、セバスチャンを始めとする主力を欠いて野心豊かな18-20歳の若手中心のチームであったことが、カタールに最後までモチベーションを維持させたのかも知れないが、日本は格下と思っていた相手にも「自分達のサッカー」を見せることが出来なかった。そしてゲームの後になってはじめて、多くの観客は気付いたことだろう。キリンカップの日本代表が“幻想”であったことに。そして目の前の日本代表が真実であるということに。


今回のアジア最終予選で日本は組み合わせに恵まれた。グループ1は、オーストラリアと日本の力が突出しており、戦前の予想通りその2カ国が予選突破を決定した。一方、強豪が集中し混戦が予想されたグループ2では、まず韓国が突破を決めたが、最終節を残して北朝鮮、サウジアラビア、イランが2位の座を争っている。


日本は最終節でオーストラリアを倒せばグループ1位となるが、現時点では勝ち点で2つ上回り、全7戦無失点のオーストラリアの方が力は上と見るべきだろう。韓国はFIFAランクでは日本より下であるが、タフなグループ2を日本と同じ勝ち点、同じタイミングで勝ち抜けた実力と、W杯での実績を考えればこれもまた日本の上とすべきだろう。


では、北朝鮮、サウジアラビア、イランと戦って日本は勝てるだろうか。バーレーン、カタール、ウズベキスタンにあれだけてこずった日本が・・・


「世界で4位」が目標なら、「アジアで4位」が現状のレベル・・・そう言えば2007年のアジア杯での日本の順位も4番目だったっけ。


しかし、だからと言って日本の弱さを嘆き、危機感を煽るだけでは、それもまたまったく意味のない作業である。むしろ、「腐った試合」だからこそ学ぶことは多い。だから、私は今回のカタールに大いに感謝している。その理由は日本の覚醒を促してくれたからである。日本サッカー協会、監督、選手、サポーター、マスコミ、その多くが「日本は決して強くない」という真実を、今は多くの人々が素直に受け止めている。


悪いことではないのだ。大事なのは、自分の弱さをできるだけ早く知ることであろう。今日の弱さを認めることが、明日の進歩のスタートだからである。そして、自分達の中にある負の要因をとことん追求・分析して、次のゲームまでに修正する努力をするのである。ここで注意すべきは、自分達の外にある要因は徹底的に無視することである。他人や環境にいくら苦情を言っても、それは結局自分では解決できないことなのだから、とっとと忘れて自分達の欠点修正に集中したほうがいい。


本大会まであと1年。今の日本がこれから急に強くなることは不可能である。早々に親善試合でしか具現化できない「自分達のサッカー」という幻想への執着は捨てて、一歩一歩出来ることを確実に続けて行くしかない。それが結果として「世界4位」への近道なのである。たとえ、それが2010年でなくても・・・


慌てることはない。Footballとはそういうものだ。


魂のフーリガン