フーリガン通信 -15ページ目

ゴンへの磐田の愛情

J2コンサドーレ札幌のマーケティングが活発なようだ。年明け早々クラブを挙げてのチケット販売、宮の沢の練習場「白い恋人サッカー場」へのファン誘致キャンペーン計画などを続けて発表。もちろん磐田から獲得したゴン中山雅史(42)の特需を生かしてのことである。



ゴンは昨季、J1磐田でリーグ戦出場が1試合に終わり、戦力外通告を受けた。磐田一筋20年の功労者に対し、クラブ側はアドバイザー転向を要請したが、中山は現役続行を希望。複数のクラブから誘いを受けたが、最終的に体調管理面での施設が充実している札幌を選んだ。


札幌では推定年俸750万円の単年契約。磐田での2200万円からは大幅のダウンである。しかし「選手に対して強い情熱がある」、「まだまだうまくなりたい」というゴンは金ではなく、プレーするための環境を選んだ。



ゴン加入のマーケティング効果はてき面だった。クリスマスイブに札幌のホテルで行われた入団会見には100人以上の報道陣、10台以上のテレビカメラが並び、恐らくスポーツを報じるすべての日本のメディアでそのニュースは伝えられた。この会見一の広告宣伝効果だけで、ゴンの年俸数年分に当たるだろう。



余談だが、その前にも札幌は、年間2億円のユニホーム胸スポンサーからの撤退を決定していた「お値段以上ニトリ」を、ゴンの移籍を条件に来季袖スポンサーとして年間5千万で契約している。



人気選手の獲得はクラブの立派なマーケティング戦略である。だから、札幌の積極的な活動にとやかく言うつもりはないが、プレーを求めてたった年俸750万円の契約を呑んだ選手にプレー以前にここまで活躍させるやり方には、ゴンを客寄せパンダにしようとする魂胆が明らかで、私は個人的には好きではない。



磐田はゴンを一人の現役プロ・フットボーラーとして扱っていた。だからこそ、(顔見世の意図で出場させた最終節以外は)ピッチに立たせることなく、来季戦力外を通告した。間違いなくマーケティング効果のあるゴンを、飼い殺し状態にすることなく、その意志を尊重して送り出した。



磐田のゴンに対する態度を冷たいと見た人もいるだろう。しかし、私は磐田というクラブに、ゴンに対するの深い愛情を感じる。ゴン自身の幸せを願う無償の愛を。



ゴンも磐田に対し愛情を感じているだろう。彼の磐田での最後の挨拶は感謝に満ちていた。

「20年間、色々とありがとう。札幌では磐田で成長させてもらった魂を胸に、ピッチで走りたい」


私もゴンの幸せを願う。それは現役でプレーできる喜びである。


魂のフーリガン
























大分トリニータ前社長の“天下り”

1月4日に新しい観光庁長官の就任のニュースがテレビに流れた。「新長官に溝畑宏氏が就任・・・」


名前を聞いても分からなかったが、画面を見て驚いた。なぜなら、それは11月にサッカー以外で日本サッカー会を騒がせた、あの大分トリニータを12月に辞任したばかりの、あの社長の顔であったからである。そしてすぐに思った。・・・「何故?」


前原国土交通相によれば、大分をゼロから立ち上げ、J1昇格、ナビスコ優勝にまで導いたその「経営手腕」を、今後の観光振興に生かすことを期待しているという。


ちょっと待って欲しい。溝畑氏の辞任の理由はJ2降格という「成績不振」ではなく、「経営不振」であったはずだ。


しかも、Jリーグの公式試合安定資金からの緊急融資を申請した際は、当初2億円程度の資金不足と見られていたが、そのわずか5日後に4億円の不足に上方修正するお粗末さ。結局10億円の基金から6億円もの融資が決定したが、その際に鬼武Jリーグチェアマンは大分の経営について「経営破綻に近い、あってはならない経営」と吐き捨てた。


溝畑社長はそんな経緯があって12月5日のシーズン終了後に引責辞任したのである。


優秀な経営者でも経営がうまく行かないいことはある。しかし、せめて辞任前に後処理をするのが経営者であろう。しかし、その後の調べで、2009年1月期の債務超過5億5800万円は、9億円以上になることが判明。基金からの融資の実行には12月10日までに後任社長を決定することが条件であったが、辞任後の社長代行となった副社長も翌週に辞任、後任社長は未定のまま青野経営企画部長が代表取締役代行を務める。年間9億円規模が望ましいとされた来期運営予算も、11億円規模から削減できず、Jリーグも融資の実行を緊急停止した。

こんな状態でありながら、溝畑氏は長官就任について「失敗は教訓とし、新たな職務を全うすることで恩返ししたい」と引き受けたという。


決意を新たに再起を図るのは結構。後任社長を決めるのも、次期予算を立てるのも次のマネジメントの仕事かもしれない。しかし、私だったらそんな「後を濁し放題」でクラブを離れる無責任な男を「経営者」とは思わない。


そして自治省高級官僚の職を投げ打って民間に下りたはずの男が、いつの間にか観光庁の長官に堂々と「天下り(天上がり?)」。それを「抜擢」と呼ぶ民主党政権もまた、私はまったく信頼できない。


溝畑氏が大分の社長時代、クラブは平均3万人の観客動員を目指す「3万人プロジェクト」を推進していた。偶然にも観光庁は現在「外客3千万人を目標とする観光政策を推進している。業績が問われない行政で、大分時代の調子で国家予算を浪費することだけは避けて欲しいものだ。今回使うのは我々の税金、国民が株主なのだから。


魂のフーリガン


老いた王子の帰還

「4月に決める。状態が良く、チームに望まれ、リッピ監督が招集してくれれば戻るだろう。」

セリエAのローマ所属のFWフランチェスコ・トッティ(33歳)が1月2日に地元のメディアに対して語った、アズーリ復帰への意欲である。


トッティは2006年のドイツ大会で優勝を飾って後、自身の怪我、代表で受ける批判、クラブと代表の過密スケジュール等を理由としてアズーリを離れたが、その後彼の去就は迷走する。2007年7月に正式な引退表明を行い、周囲は彼の「決断」を尊重したが、ユーロ2008の敗退、、リッピ監督の復帰、そしてコンフェデ杯の惨敗など、アズーリの環境が変わる中で、周囲の期待と彼自身のはっきりしない態度と発言により、一度引かれたはずの幕は何度も揺れ動いてきた。


元々1-0の勝利がもっとも美しいというイタリアである。決定力の高いトッティの復帰は、その1点を取ることだけを考えればプラスであろう。実際に、アズーリのキャプテン、カンナバーロから直接説得があったとも聞くが、私はトッティの復帰がもたらすアズーリへの影響は、決して好ましいものだけではないと考える。


現在のW杯は前回大会の優勝国も予選を戦わなければならない。そしてアズーリはトッティ抜きで予選を突破した。アイルランド、ブルガリアといった競合国と同じグループで、現在のチーム力を考えれば決して楽な予選ではなかったが、それでもチームはイタリアらしく堅実に10ゲームを7勝3分0敗という成績で勝ち抜いた。


そこにトッティは大会直前になって「ご苦労!後は任せろ!」といった感じでチームに加わるというのである。予選を戦ったメンバーにしてみれば、面白いはずがないだろう。


Footballは言うまでもなく、チームスポーツである。ベテラン監督であるリッピも当然、トッティの招集に伴うリスクは承知しているはずだ。その証拠に、トッティは昨年にも「リッピ代表監督の選択と自分のコンディション次第。リッピにはたくさん借りがある」などと語っていたが、一方のリッピはトッティとの過去の良好な関係に配慮しながらも「最終的に(代表復帰を)決めるのが私だ」と語ってきた。


トッティが「4月には」といっている以上、リッピの最終的な決定ももう少し先になるのだろう。しかし、その結論がどういうものになろうが、リッピには次のような選手がいることも、十分に考慮しなければならない。


「代表に呼ばれなくなったら現役を引退する。それが俺の考え方なんだ。」


アズーリに選ばれることの重さが決して軽くないことが良く分かるだろう。

・・・アズーリの守護神ブッフォンの言葉である。


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