フーリガン通信 -11ページ目

相太の頭 Part 2



平山相太。


この男が記念すべきA代表のピッチに立ったのは先のイエメン戦のこと。


25歳。国見高校時代からその名は全国に轟き、北京五輪の本大会のメンバーに漏れるまでは、常に年代別代表はもちろん、飛び級で一年代上の代表に選ばれていた“怪物”のA代表デビューとしては、遅すぎたデビューと言えよう。それゆえに、彼のイエメンでのハットトリックの大活躍に、翌日の多くのメディアには“覚醒”という文字が大きく躍った。


得点だけではない。昨シーズンの平山はFC東京で城福監督の下で、守備や連動などプレーの幅を広げ、“覚醒”の予感はあったが、彼は今回の標高2300mの高地サヌアでも良く走り、良く守り、かつての「守れない、走れない」というイメージを払拭したようだ。



その証拠に、指揮官・岡田監督も平山については、「3点はものすごく評価すべき」、「練習や途中出場した際の意欲に非常に強いものを感じた」、「ひょっとしたらチームに割って入る可能性を持っているかも」と、その活躍を極めて高く評価した。


しかし、平山は自身の活躍にも浮かれていない。岡田監督のサッカーについて「攻撃も守備も理解できた」とその手ごたえを口にはしたものの、記者からの質問については以下のように大人のコメントを残した。


記者: 代表への意欲は?

平山: 全然ない。

     もう今年は自分がやることをしっかりやるだけで、代表とかより、自分自身をしっかり見つめたい。

記者: アジア杯予選突破についてどう思う?

平山: 本当に勝って良かった。

記者: ヘラクレス時代から成長した点は?

平山: 体が軽くなったというか、日本のサッカーに合うようになってきたかなと思う。


そして、帰国後、大人になった相太に素晴らしいニュースが届いた。1月25日からの指宿合宿と2月のキリンチャレンジカップ・ベネズエラ戦の日本代表に招集されたのである。ご存知の通りイエメン戦は若手中心の“B代表”のようなもの。正真正銘のA代表に初選出である。



過去に何度もその“覚醒”が伝えられたながらその期待を裏切ってきた相太の、“真の覚醒”の時がやってきたのである。私は密かに、彼の成長に胸が熱くなった。

(※ 期待を裏切ってきた相太の過去についてはバックナンバーを参照 ⇒ “相太の頭”


そんな矢先、今朝のネットのニュースでこの写真を見つけた。


写真


左の色紙は平山がこれまで使っていた漢字のサイン。そして右の南アフリカW杯の公式球「ジャブラニ」にアルファベットで"Sota"の文字・・・


「平山は、クラブスタッフからサポーターに贈るボールへのサインを求められると、アルファベットの新サインをつづり「海外仕様っす」とニヤリ。日本代表生き残りをかける平山だが、早くもW杯をにらんだ新サインを披露した。」


代表の合宿に一回呼ばれただけでこの有様・・・


このバカの“覚醒”はまだまだ先のようだ。


魂のフーリガン



世界得点王・岡崎慎司の価値

またまた一週間以上前の話題で恐縮であるが、1月10日、清水エスパルスの日本代表FW岡崎慎司が“世界得点王”の座に輝いたというニュースを見た。

これはFIFAによるものではなく、IFFHS(国際サッカー歴史統計連盟)とかいう組織がは9日に発表した2009年の年間世界得点ランキングによるものである。


私自身このIFFHSなる組織のことは知らなかったが、この組織、この他にも年間最優秀クラブや、年間最優秀監督、最優秀選手など、実に多くの“部門賞”を発表しているらしい。最優秀クラブ:バルセロナ、最優秀監督:グアルディオラ、最優秀代表監督:デル・ボスケとそれぞれお約束の受賞であったから、最優秀選手もてっきりメッシだろと思いきや、何と“シャビ・エルナンデス”。そんなことで、いきなり「ほっ~!」と、このIFFHSのランキングの確かさに感心してしまう自分も情けない。 


で、肝心の世界得点王ランキングのつけ方であるが、各選手の国家A代表での公式戦と所属クラブの国際大会における合計ゴール数により算出され、ゴール数が並んだ場合はA代表での得点が多い選手が上位となるという。


その結果によるランキングの上位10選手は以下の通り。


選手名に続いて赤で(所属クラブ/国籍)、青で対象ゴール数(A代表公式戦ゴール数/所属クラブ国際大会ゴール数)となる。

1位:岡崎慎司(清水エスパルス/日本) 15(15/0)
2位:ディディエ・ドログバ(チェルシー/コートジボワール) 15(8/7)
3位:アブデルマレク・ジアヤ(アルイテハド/アルジェリア) 15(0/15)
4位:ダビド・ビジャ(バレンシア/スペイン) 14(11/3)
5位:カルロス・パボン(レアルCDエスパーニャ/ホンジュラス) 14(9/5)
6位:ルイス・ファビアーノ(セビージャ/ブラジル) 13(11/2)
7位:ムリソ・ヌガッサ(ヤング・アフリカンズFC/タンザニア) 13(8/5)
8位:アラン・ディヨコ(マゼンベ/コンゴ民主共和国) 13(5/8)
9位:エディン・ジェコ(ボルフスブルク/ボスニア・ヘルツェゴビナ) 12(8/4)
10位:ミラン・バロシュ(ガラタサライ/チェコ) 12(6/6)
    ブライアン・オモニー(スーパースポート・ユナイテッド/ウガンダ) 12(6/6)

と言うわけで、「生涯ダイビング・ヘッド」の我らが岡崎が確かに1位。あのドログバや、ビジャ、ルイス・ファビアーノを抑えているではないか。


しかも、清水エスパルスがAFCチャンピオンズリーグに参加していないため、クラブ国際大会ゴールはゼロで、その15点はすべてA代表でのゴールである。代表戦だけに限れば、いかに岡崎が数多くゴールネットを揺らしたかが良く分かる。


因みに岡崎の代表15点の内訳は以下の通り。対戦相手と得点を並べてみた。

イエメン-1、フィンランド-2、チリ-2、ベルギー-1、ウズベキスタン-1、ガーナ-1、香港-3、トーゴ-3、香港-1


確かにW杯最終予選5ゲームのうちではウズベキスタン相手に上げた1点のみで、あまり活躍した印象は少ない。南アフリカW杯出場国との親善試合でもチリとガーナから点を取っただけ。オランダ、豪州、南アフリカには沈黙した。そんな内容にはまだまだいくらでもケチのつけようがあるだろう。だから、たとえ世界一の得点王であってもまだ海外から声も掛からない。


しかし、サッカーにおいて、相手がどうであれ互いに国家を背負った国際試合でゴールをあげるのは大変なことなのだ。実際にW杯でも得点王のゴール数は減っている。出場国が増え消化するゲーム数は増えたのに。


クラブチームで得点を量産しても、国際試合でなかなか結果が出ないケースも世界中でよくある話。

そこでクラブでの岡崎の2009年の成績を調べてみた。


清水エスパルスは2009年リーグ戦、ナビスコ杯、天皇杯で41の公式戦を戦った。そこでの岡崎の得点は合計17。その得点率は1試合で0.41得点と言う計算になる。


一方で代表での彼のゴールは16ゲームで15得点。1試合0.94得点という驚くべき数字になる。さらに彼の出場時間から割り出してみると、彼は約80分で1点を取っているのだ。


その「いじられキャラ」ゆえ、どうも怖さと言う表現が似合わない岡崎であるが、彼はコンビネーションができているはずの所属クラブよりも、代表でその得点能力が高まると言う「恐ろしい」進化型ストライカーなのである。


南アフリカで彼が活躍できるかどうかは分からない。しかし、実際に何度かゴールネットを揺らすことができれば、大会後に今度こそ海外から声がかかるであろう。そして、そこに良いパサーがいれば、彼のように勇気があり点で勝負できる選手は、たとえ屈強なDFがいるチームが相手でも、多くのゴールを決めることができるはずだ。


点を多く取ったチームが勝つスポーツである。だから、やっぱりFootballは点を取る奴が一番偉い。岡崎の代表での得点に所属クラブでの国際大会でのゴール数が加わる日、人々はもう少し、岡崎の凄さがわかるだろう。


その時、岡崎はどんなユニフォームの胸を汚しているだろうか。そのダイビング・ヘッドで・・・

その夢は“喜望峰”の先にある。


魂のフーリガン


名波浩がいた時代

ちょっと前のことだが、素敵な思い出について語りたい。110日に名波浩の引退試合である。



私はこのゲームを観戦していない。だからゲームについて語るつもりもない。ただ、ニュースでゲーム後の名波の清々しい顔を見て、嬉しくなった。



ゲームは2002年ジュビロ磐田完全優勝時のメンバーを中心としたSTELLE JUBILO1998年フランスW杯日本代表選手を中心としたAZZURRI GIAPPONEの対戦で、主役の名波は前半はアズーリ・ジャポーネ、後半はステッレ・ジュビロでプレーをした。


集まった選手の顔ぶれは以下の通り (失礼だが芸能人は除いている)



【ステッレ・ジュビロ】
大岩剛、大神友明、奥大介、川口信男、河村崇大、清水範久、鈴木秀人、高原直泰、田中誠、中山雅史、服部年宏、福西崇史、藤田俊哉、松原良香、三浦文丈、森下仁志、山西尊裕、山本浩正



【アズーリ・ジャポーネ】
秋田豊、井原正巳、岡野雅行、小村徳男、北澤豪、佐藤洋平、澤登正朗、城彰二、相馬直樹、中田英寿、中西永輔、名良橋晃、西澤明訓、柱谷哲二、平野孝、本田泰人、前園真聖、三浦知良、望月重良、森島寛晃、山口素弘



そして、エコパスタジアムに集まった観客は公式発表で43,077。エコパでは2002年日韓W杯以来の記録だと言う。



引退して既に1年経っている37歳の選手のために、これだけ豪華な顔ぶれが集まり、お世辞にも便利な立地とは言えないエコパにこれだけ多くの観客が集まった。どうしてだろうか?



その理由を考えるに当たって、改めて名波浩というプレーヤーを振り返る。



「亀にブレーキ」とも言われた鈍足、軸足としての役にしか立たない右足、その頭がヘディングに使われた記憶は少ない・・・それらはサッカー選手としては大きなハンデですらあるといえるだろう。



しかし、名波には、それらのマイナスを補って余りある“インスピレーション”と、そのアイデアを具現化する“左足”があった。たった二つの要素・・・しかし、それらは半端なものではなかった。それだけで名波はチームと我々に大きな喜びを与えたのである。



もちろん名波が率いたチームは強かった。ジュビロは黄金時代を築き、日本代表は1998年フランス大会で、悲願のW杯に出場した。しかし、ただ「強い」だけでなく、名波がピッチにいたサッカーは「楽しかった」。その左足から放たれるボールは、しばしば観る者の想像力を超える軌跡を描いた。時に繊細で、時に滑らかで、時に力強く。そのパスやシュートの一つ一つに、私は何度胸を躍らせたことだろう。



2000 AFCアジアカップレバノン大会の決勝トーナメント・対イラク戦で、中村俊輔がゴール前の密集を避けて真横に蹴ったFKを名波がダイレクトボレーで叩き込んだゴール。新旧の天才レフティの“左足”が紡いだ夢のようなゴールは、今も私にとっての日本代表のベストゴールである。



さて、前述の疑問にもどろう。どうしてだろう?どうして多くの選手が、多くの観客が集まったのだろうか?



私は確信している。選手は名波とプレーした時代に、観客はピッチ上の名波を追った時代に戻りたかったのだ。なぜなら、名波がいた時代・・・それは日本サッカーが最も強く、最も楽しかった時代だからである。



KAZUは日本人に「夢」を見させてくれた。

中田は日本人に「自信」を与えてくれた。


そして、名波は我々日本人にサッカーの「楽しさ」を教えてくれた。


違うだろうか?



名波は最後の試合でも期待通り、我々に「楽しさ」を与えてくれた。


ありがとうナナ。また「楽しいサッカー」を見せてくれ。今度は指導者として・・・



目一杯の助走をつけて

あのボーダーラインを飛ぶんだ

風向きを味方につけて

猫背を気にしながら   Mr.Children I'll be」より)


魂のフーリガン