ナイトハンター。
夜は、みんな眠りにつく時間だ。
人工的な明かりの存在しないこの世界では、夜は暗い。
吸い込まれそうな深い闇の世界が、あらゆるところに居座り、
わずかに自分の周りを照らすのみのタイマツは、儚く、心細い。
そこに一人立っていると、なんだか世界に取り残された気持ちになる。
しかも、ここには、人智を超えた生き物たちがいる。
この、頼るもののない、ひたすら暗い世界のどこから、彼らがいつ襲ってくるかも知れない。
一瞬の油断も許されない。
でも、そんなとき、私はふと、空を見上げる。
そこには、空を覆い尽くすほどの星たち。
そこから零れ落ちる、幾スジもの流れ星。
オンラインゲームの「MHF」
では、時間が常に流れている。
そこで暮らしていれば、いつか夜もやってくる。
逆らう術などないのなら、それを楽しむほうがいい。
ということで、私のブログにも夜の帳を降ろしてみました。
いつかまた、日が昇るときまで。
同世代。
私は、外に出かけるとき、ケイタイ電話を携帯しない。
さらに、腕時計もしない。
もっというと、腕時計などは、持ってさえない。
自分と同じ年齢の友人たちを見回しても、こんな人間は一人もいないし、
きっと日本中探しても、そんな人は、ほとんど、いないんじゃないだろうか。
友人にいわせると、
「いないかどうかはわからないが、恥ずかしいのは確かだな」
ということらしい。
ふーんだ、私はぜんぜん平気だからいいんだいっ。
私は、そもそも何かを持って歩くのが苦手だ。
一人でただ、外を歩くだけのときは、できるだけ身軽でいたい。
それで、カバンはもちろん、携帯も腕時計も、財布さえ持たないで外に行くことが多い。
だって、このほうがずっと気が楽なんだよ。
たとえば、何か持っていると、なくしたり、落としたりする可能性があるけど、
最初から持っていかなければ、当然そんな心配もない。
ついつい、衝動買いで買い物をしてしまって、あとになって、
ああ、もっと考えてから買えばよかった、なんて思うことがよくある。
買ってみたら、別の店でもっと安く売ってて、先にこっちに来てさえいればっ!
とかさ。
でも、最初から財布を持っていかなければ、そんな心配がない。
だって、買いたくても、お金持ってないんだもん。
友人と遊びに出かけたりするときは、さすがにそんなわけには行かないけど、
一人でいるときは、何も持たずに出かけても、全然気にならない。
それで、友人などからは、
「急にどうしてもお金が必要になったらどうするんだ?」
「すぐ、人に連絡とらなくちゃいけない場合だってあるだろ?」
とよく訊かれるんだけど、そのたびに私は、
「本当にどうしても、緊急を要するような場合は、
恥をしのんで、周りに助けを求めたらいいんじゃないのかなあ」
と答えるようにしている。
別に、言葉の通じない外国に、一人で生活しているわけじゃないんだからさ。
電話だって、公衆電話みたいなものは、確かにほとんど撤去されてしまって
ほとんど見かけることもないけれど、よくよく考えてみると、
道を歩いているほとんどの人たちは、携帯を持っているはずだから、
これって、電話が歩いているようなものだよ。
いざというとき、これほど困ることのない世界もないんじゃないだろうか。
「そうか、よほど電話してきてくれる友人が少ないんだな、お前て・・・・・・」
ぐっ。
お金だって、どうしても必要なときは借りたらいいと思うんだ。
財布を持たずに、買い物に行くってわけじゃないんだよ。
お金を使う予定がなくて、ただ外に出かけるだけのときは、
財布なんて持っていかない、てだけなんだ。
それで、いきなり何十万なんて大金が、
突然必要になるなんてことはありえないだろうし、
これも、そんなに問題ないと思うんだ。
なんて、そんな話をして以来、友人たちが私といるときに、しきりに
「今日は財布持ってきたよな!?」
「ケイタイ持ってきたよな!?」
と、うるさいくらい確認してくるだけじゃなく、
なんとなく自分の財布や携帯を使うときに、私の見えないところで使っているように感じるのは、
私の気が小さいせいなんだろうか。
うーん、悩むなぁ・・・・・・。
逃走ハンター。
私は勇敢だったと思う。
人のあとを追うのをやめた。
絶対に間違いのない目の前の道を行けば、全てがうまくいくことを知っていて、
それでも、誰も行かない道を歩いてみようと決めた。
それに、思い切りがいいことと、ただ無謀なのとは、全く違うことを知っていた。
だから私は、必死に走っていたけれど、ときにはゆっくりとその体を休ませた。
でも、ときには、そんな難しいことを全て捨てて、
ただ走らないといけない時が人にはあるようだ。
わ、ばかっ、来るなっ、私は餌じゃないぞぉーっ!
オンラインゲームの「MHF」 では、休むことがとても難しい。
動物の会話。
私が勝手に憧れている人に「コンラート・ローレンツ」という人がいる。
動物の「刷り込み」という現象をご存知だろうか。
子供が生まれてきて最初に見たものを自分の親だと思う現象のことで、
少しずつ覚えていくのではなく、まさにこの世界に生まれてきたその瞬間に見たものを、
そうだと記憶することから、「刷り込み」と呼ばれているんだって。
コンラート・ローレンツはそれを最初に見つけたことで有名な人。
1973年には、「個体的および社会的行動様式の組織化と誘発に関する研究 」で
ノーベル賞もとっているそうだ。
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また、この人はいわゆる、動物行動学とよばれる分野の研究者で、
その先駆けとも呼ばれる、すばらしい研究成果をたくさん残している人なのだけど、
私が憧れているのは、そういったこととは、少しだけ、別の話。
私が心を奪われたのは、コンラート氏のある逸話を聞いたからなんだ。
というのも、この人は動物と会話することができた、といわれているんだ。
ペットの飼い主であれば、誰でも、
「私はこの子のことなら、なんでも言ってることがわかるの!一心同体なのっ!」
なんて言ったりするものだけど、コンラート氏の場合は会話は
そういった、なんとなく通じ合う、といったものじゃなくて、
本当の会話だった、と言われている。
元々、彼の刷り込み現象の発見は、
家で飼っていたハイイロガンの子供が生まれてきた際に、
実際に自分のことを、親だと勘違いするのを
目の当たりしたことが、きっかけだったそうなんだけど、
その、自分のことを親だと勘違いしたハイイロガンと暮らしていくうちに、
ガンの鳴き声が、しっかりと言葉になっていることに、気づいたのだという。
ハイイロガンの子供は、親の姿を見えないと、いつも同じ言葉で鳴いた。
まず自分の場所を「ビッ、ビッ」と鳴いて教え、相手の場所を「今どこにいるの?」と訊いてくる。
コンラート氏が自分の場所を鳴いて教え、「寂しくないよ」と鳴く。
子供たちはそれを聞くと、安心してやってきて親を見つけ、着いてきたんだって。
うーん、なんか、かわいいなぁ。
でも、コンラート氏が反対に、それに何も答えないでいると、
ハイイロガンたちの子供たちは一斉に、「寂しいよ、不安だよ」と
悲しんで鳴き始めるのだとか。
ただ、そんなコンラート・ローレンツだけど、
あまりに動物に密着した生活環境から生まれた研究経過であったことから、
多少、動物たちを擬人化しすぎていて、正当性に欠けている、
なんて批判も現在ではあるんだそうだ。
へーえ、そんなものかなぁ。
でも、実際の気持なんて分かりもしないのに、
無理やり人間と同じような服をペットに着せて満足している飼い主などと比べれば、
「自分たちが動物たち側のたって、まず考えること」こそを、
何よりも大切にしたコンラートという人は、
私には、とても素敵に思えるんだけどなあ。
体力ハンター。
昔から、ことあるごとに、人生は長い長い道だ、と、人は言った。
山あり谷ありの、長い道なのだと。
道で休んでいる人をみると、人はため息をついた。
みんなは、必死に先に進もうと努力しているのに、君は何をしているんだね、と。
でも、休むことは、そんなに悪いことだろうか。
いま、私たちの前には、きれいに整備された道がある。
すでにたくさんの人が通り、すっかり安全が保障された、完成された道路だ。
脇には親切すぎる看板がいくつもたっていて、
迷うことのないよう、私たちを導いている。
私は考える。
この道を外れた先には、いったいなにがあるんだろうか、と。
はるか昔、人生を道にたとえた人々は、地図さえなく、
日が沈む向きと、満点の星空から、進むべき方角と距離を導きだした。
そして、その先にある、窺い知れない未知の世界に怯え、夢を見た。
でも、生まれたときから、空白など存在しない地図を見て育ってきた私たちは、
全ての道が、結局はどこかにつながっているのを知っている。
ずっと先までつづく、長い長い道は、もはや、迷うことなく誰でもいける、
簡単な道になってしまった。
だから、人は言うのだ。
何を迷っているのか、と。
ただ、先に進めばいいじゃないか。
立派な道が、すでに君の前にはあるのだから。
でも、私は、そうじゃないと思っている。
休ませていた体を持ち上げ、私は道の外へと一歩、踏み出してみた。
まだ、誰も通ったことがない、踏み荒らされる前の荒野を、
もし、歩くことができたなら、その先にはなにがあるのだろうか。
試してみよう。
力一杯走って、その先を見てこよう。
準備はいい?
じゃあ、いっちょう、行ってみようか。
オンラインゲームの「MHF」 では、スタミナゲージというものがあって、
それがなくなるまで走り続けることができる。
目一杯走って、ゲージが全てなくなったとしても、
休んでいれば、またすぐに回復して、走れるようになる。
延々と走り続けることができないのは、この現実と同じだ。
うん、やっぱり、そうなんだ。
休むことは、悪いことなんかじゃない。

