BAA BAA BLACKSHEEPS

BAA BAA BLACKSHEEPS

京都発・新世代エモーショナルロックバンド 【 BAA BAA BLACKSHEEPS 】
オフィシャルブログ


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 親愛なるぬーまさんへ





 ぬーまさん、月日が経つのは本当に早いですね。あれからもう3年です。


 こんな手紙をしたためていることを、あなたがどんな風に受け止めるか、おぼろげながら、いつかのあなたの姿を思い浮かべながら、記しています。きっと照れくさそうにしながらも、なんだかんだ温かいハグのあと、笑ってくれるのだろうと思います。



 ぬーまさん、月日が経つということは、本当に残酷ですね。

 あなたがそちら側に還られてから、たくさんのことが変わっていきました。ぼくについてだけでも、その様々の変化の中には、あなたを悲しませてしまう、がっかりさせてしまうことも少なくないでしょう。ぼくたちは、たかだか数年でこんなにも変わってしまうものなのだと、ぼくも自分の日々を振り返れば振り返るほど、そう、かみしめています。


 そしてその移ろいの中で、ぼくも、あいつも、あの子も、彼も、あの人も。

 自分の望む望まざるにかかわらず、きっと少しずつ少しずつ、この痛みと悲しみが薄らいでいってしまうのだろうと、静かに予感しています。

 愛する心がどんな色であっても、優しい気持ちだけで明けていったはずの夜さえも、何もかも、いつかは壊れて、崩れ去り、灰になって、風に溶けて還っていくのだろうかと。
 

 ぬーまさん。それなのにどうして、こうもぼくらは変われないのでしょう。どうしてぼくらは、いつまでも同じことを繰り返すのでしょう。

 

 


 あなたがあの日、その全生涯を賭してまでぼくらに教えてくださったのは、永遠のものなど無く、ぼくらひとりひとりが、この世に生きとし生けるすべての者が、あらかじめ死すべき者として約束されたいのちを生まれてきたということでした。

 それは液晶画面や、紙切れの向こう側の他人事の非現実ではなく、まさにぼくら自身の、全身の血管という血管に鋭く、冷たく流れ込んできた、どうしようもない絶対不変の真実として、ぼくらの信じていた世界を、瞬く間に変えてしまったのです。

  ぼくらはあの日学んだはずでした。この世に「まさか」なんてことはなかったこと、「まさか」と思っていたのは自分だけだったのだということ。どれだけ日々をよろこびや楽しみで満たそうと努力しても、ある日突然に現実が容赦なく襲い掛かってくるということ。年老いているからと言って直ちにこの世を去る訳でもなく、若いからと言って何十年も生きる保証がある訳でもないということ。どれだけ愛しいひとだろうと、いつかは必ず別れなければならない日が来るということ。

 そんな人生は、そんなぼくらの人生は、生きる苦しみ、老いる苦しみ、病に倒れる苦しみ、死んでゆく苦しみに満ちあふれ、その時その時の出来事に振り回される内に、やがて空しく過ぎ去っていくのだということ……。
 

 それなのに。

 それなのに、ぼくらはそんなことさえ忘れていってしまうのです。自分が今ここで生きている尊さも、かつてすぐそばで生きていたひとがいた尊さも、まだ共に生きるひとがいる尊さも、ろくに見つめようともせず、感謝も詫びもないまま、ただ相変わらず当たり前のように毎日を、いのちをいたずらに消費して、それでなお恥じることもないのです。

 

 


 ぬーまさん。どうしてぼくらは、自分のことしか考えられないのでしょう。どうして自分の都合や、自分の願望や、自分の欲望を満たすことしか頭にないのでしょう。どれほど耐えがたいことだろうと、決して逃げることのできない悲しみがいつか必ず訪れるというのに、いや、むしろぼくらにはすでに訪れていたというのに、どうしてぼくらは、それをまっすぐにありのままに見つめることができず、一時の幸福や快楽という砂の城に目がくらんでしまうのでしょう。
 
 今あるもの、与えられたもの、自らの置かれた境遇を受け止め満足するどころか、不平不満ばかりを口にし、自分にとって好ましく都合のいいものだけを求め、際限なく欲望を満たそうと貪り続け、
 分かり合おうと努力する気もなく、最後まで心砕く誠実さもなく、自分にとって好ましくないものは徹底的に排除し、都合が悪くなれば平然と切り捨てて拒絶し、いつまでも正しいのは自分だけであって、間違っているのは相手だと決めつけ、憎み、おごり、怒り続け、
 そうして、そういう我が身を振り返ることもないまま、自分は誰よりも自分のことを分かっていると錯覚して、誰の言葉にも耳を貸さず、心を固く閉じ塞いで、ゆくべき道もなく迷いを深め続け、

 ……世の中の人々を、そして何より、ぼく自身の心を見つめれば、そこにあるのは常に、あわれな人間の姿しかない。まるで、いつか自分が消え失せていくことなど、残された人たちも消え失せていくことなど、どうでもいいとでも言わんばかりのありさまです。
 すべてはただ、自分さえ、今この瞬間さえ幸せになれれば、悲しみをその場しのぎでどこかに追いやれたなら、それでいいという薄情な生き物。

 


 それが、こうしてまだ生きている、ぼくらなのです。





 ぬーまさん。ぼくは本当に、恩知らずな生き方しかできない人間です。
 あなたがこの世に生まれたこと、
 あなたがいのちを終えていったこと、
 ぼくらに遺してくださったもの、
 ……それらを、本当に大切に受け止めていくということは、無駄にしないということは、なかったことにしないということは。
 かけがえのないあなたの存在に、今あるこのいのちと心に、そしてすぐそばにあったいのちと心に、恥じないよう生きていくことであるべきなのだと、ぼくはそう、教えられたはずでした。
 

 今や、どんな苦しみからも痛みからも解き放たれた場処にいるあなたから見た時、あなたに恥じないぼくでいたかった。でも、現実は違う。いまだにこの泥沼のように濁り穢れきった世界で、いつまでだってふらりふらりさまよって、半透明な存在で、ゆらり揺れて、どうしようもなく救いがたい自分を一歩一歩、ただ死に近付けているだけです。



 きっとあの日、ぼくの中で確かに何かが壊れました。ぼくがそれまで、もがきながら信じようとしてきたものが、あの時すぐそばにあったもの、すぐ目の前にあったものが、永遠ではないことを知ってしまったぼくに、もはや歌える歌なんかあるはずがないと、そうとしか、思えなくなっていました。
 その絶望が、苦悩が、恐怖が、諦めが、あなたのくれた優しさへの冒涜でしかなかったのです。だってあなたは、つらく苦しい孤独と暗闇の夜が明けていくことを、ずっと待ち望んでいたひとだったのだから。


 何度でも言いますが、優しいあなたが大好きでした。歳は一つしか違わなかったのに、ぼくの実の兄以外にもし兄になるひとがいたとしら、それはあなたみたいなひとだったんだろうと、今でもそう思います。
 ぼくはもうすぐあなたの歳を3つ追い越して、いつかのあなたよりもすっかり歳上になります。けれど、もしあの時のままのあなたが今そこにいてくれたとしても、やっぱりきっとぼくより大人びて、頼もしく、相も変わらずぼくの面倒くさいテンションに、笑って付き合ってくれるのでしょう。
 そんな風に、ひとには優しく明るく振る舞うのに、あなたの書く歌はいつでもさみしげだったことが、何よりぼくがあなたを好きになった理由でした。あなたが大切に聴いていた音楽の中には、傷だらけでつぎはぎだらけの歌もたくさんあったでしょう。あなたはきっと、ぼくと似ているところがあった。似ていないところの方が山ほどあっただろうけれど、ずっと夜明けを待っていた者同士として、通じ合うものがお互いの音と言葉にあったと、そううなずいています。


 あなたが大好きだと言ってくれたぼくの音楽を、さわやかな笑顔でまっすぐに大好きだと言ってくれたぼくらの音楽を、なぜ、もう鳴らす必要なんかどこにもないと、あの時思ってしまったのか。今さらそんなことを考えても、あまりにものごとは移り変わり、ぼくらは過ちを重ね続け、そうこうしている間に、ただ一切は過ぎてゆきました。





 ぬーまさん。ぼくはあなたの最期に立ち会えはしませんでした。結局、一度も見舞いにすら行かなかった薄情者のぼくが、伝え聞きでどうこう言う権利など、はじめからないのかもしれません。

 


 それでも。それでもね、ぬーまさん。

 ぼくはあなたが言った「大丈夫」を、心から信じられるぼくになりたいと、そう思うようになったんですよ。



 あなたにとっての夜明けが、夜の向こう側に待つ世界が、どんな色であったのか。そもそも、あなたがどんな意味で「大丈夫」と言ったのかも、ぼくらには知る術はありません。でも、あなたのその言葉が、一体どれほどぼくに多くのものをもたらしてくれたかは、いくらだって語ることができます。


 ぬーまさん、ぼくらは音楽の現場から離れて久しいし、あなたのよく知るひともどこかへ行ってしまったし、誰もが出遇いと別れの中で、はじまりと終わりの間をさまよっているし、きっとどんなに大切なことでも、ぼくらはいつまでも気付こうとしないまま、自分の都合と感情ばかりを優先して、誰かと争ったり、誰かに盲目になったり、自分で自分の首を絞めてばかりいるのでしょう。
 そしていつかは、どんな幸せもよろこびも形を変えて、壊れて崩れ去っていくのなら、この世に生まれることも生きることも意味なんか無く、ぼくらの一生は、ただ空しく過ぎてゆくだけのものなのかも知れません。



 それでもぼくは誓ったのです。

 拭い去ることのできない醜さも、終わることのない愚かさも、数え切れない後悔も、次から次へと重ねてしまう過ちと失敗も、真剣なまなざしで見つめ合っていた永遠の夕暮れも、まぶたに焼き付いて離れることのない一瞬間のきらめきも、痛みに喘ぐ夜の向こう側に願い続けた光も、何もかも、すべてを胸に抱いたまま、最期には「大丈夫」と言えるぼくを願って、生きてみようと。





 ぬーまさん。どうですか。あなたの夜は明けたのでしょうか。
 あなたに「明けたよ」、と言ってほしいぼくらは、たぶんいまだに夜の暗がりから抜け出せていないのです。
 

 

 何が正解なのか、何が間違いなのか、笑うべきなのか、怒るべきなのか、泣くべきなのかも分からないで、ただただ仕方なくつまらないなりに生きている自分勝手な毎日なのです。


 けれどぼくは、思います。

 この世に生まれ、あらゆる出遇いに育まれて生き、ぼくらの手に叶わないままの約束を遺し、姿も形も色もにおいもなくなって、声も言葉も思いも届かない処に還ったはずの今も、ぼくらにまだ、こうして生きることの悲しさと難しさを問い掛けてくれるあなたが、そんなあなたの人生が、やがて壊れ去るだけの、空しく過ぎるだけのものだったなんて、そんな風に言えるはずがありません。
 三年が経っても、今日という日を縁に、もう一度まぶたの裏のあなたと出遇い直しているぼくが、あなたと「別れた」とはこれっぽっちも思っていません。そして今日という日に限らずとも、あなたを思い描く時に、それはいつでも何度でも叶うのだということも分かっています。



 ぬーまさん。あなたの存在は、ただの存在を越えて、他に比べるものもなく、ただ有り難く、尊かった。
 そしてそれは、あなただけでは、なく。



 ぼくも、あいつも、あの子も、彼も、あの人も、みんな、これからも同じようなことを繰り返していくでしょう。

 神妙に物知り顔しながら、そのくせ自分自身の苦しみと悲しみは散々持て余して、そこから逃れようとしてかえって生傷を増やすだけの惨めな日々も送るでしょう。よかれと思って、正しいと思ってやってきたことに裏切られて、何を信じればいいか分からない長い夜も来るでしょう。そうやって期待して、諦めて、それでも臆病で、本当の気持ちだけが置き去りになっていくこともあるでしょう。

 

 やがて時間は流れ、ぼくらは歳を取り、汚れて、傷付いて。


    たとえ遅すぎてもいい。時間がかかってもいい。手遅れだとあざ笑われてもいい。
 まごころから祈って、手を合わせて、その手をつなぎ合わせて、いつかはそう、振り返り笑って、そして遠く待ち焦がれて、向こう岸のあなたと同じように、辿り着いていけたらと、そう思うのです。
 悲しいぼくらの人生だけど、「これでよかった」、と言えるゴールに。



 それまでは、きっと相も変わらずぼくはどうしようもないぼくを生きてしまうと思います。そういうぼくだけれど、そういうぼくなりに、今のぼくには夢があるんですよ。
 それはたとえば、さよならをさよならで終わらせない未来、悲しみを悲しみで終わらせない未来、過ちを過ちで終わらせない未来をたぐり寄せること。わかり合えなかった人、謝れなかった人、許せなかった人、愛しても愛しきれなかった人、そしてもう二度と会うことのできない人たちと、もう一度出遇っていける世界を、ぼくは追いかけていたいと思うのです。





 だから、ぬーまさん。





 必ず、必ず、そこで待っていてください。

 

 ぼくも自分の縁が尽き果てたなら、必ず、必ず、遇いにゆきます。
 

 いつかすべての苦しみと悲しみを捨て去って、倶に一つの処で会えると、心から信じています。
 

 

 

 

 

 もしまた、ぼくがばかなことをしていたら、あの時みたいにぜんぜん押しつけがましくない、ちょっと頼りない先輩風を吹かせて、ぼくを叱ってやってください。










 深い恩愛の情をこめて

 あなたの後輩のひとりより

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 沼田祐揮殿 祥月命日勤行 式次第

 

 総礼

 三帰依文

 伽陀 先請弥陀

 表白

 阿弥陀経

 念仏讃淘三

 回向 願以此功徳

 御文 四帖目第九通 疫癘

 総礼


テーマ:


 ぼくがここにいたことを
 いつか同じ時を生きていたことを
 思い出さないで済むように
 忘れないでいてくれますか



                  ――『Forget me not』





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1億2614万4000秒。



210万2400分。



3万5040時間。



1460日。















4年。















『リハビリテイション』発売から、今日で4年が経ちました。





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ご無沙汰です、と言うには、あまりに長い時間が過ぎ去りました。



季節はめぐり、


誰かが去り、


誰かが訪れ、



何かを失い、


何かを得て、


いまだ留まる形、


絶えず移ろう形、


その景色の中で、


哀しみに暮れる夜、


よろこびに笑う朝、


その繰り返しの中で、



お元気で、お過ごしですか?




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人の関心など瞬く間に消え失せ移り変わっていくこの時代に、これだけの時が流れてもなお、まだこうしてこの記事を読んでくれているあなたに、一体どれだけのことを謝らなければならないでしょう。




BAA BAA BLACKSHEEPSが2016年5月5日のVOXhallでのライブを機に、大したご報告もないまま活動のペースを極端に落とすことになってしまったこと。


ホームページをドメインの契約切れのまま消失させてしまったこと。


『リハビリテイション』の流通を取り止め、廃盤にしたのち、再販のご案内をしなかったこと。


そのまま2年もの月日が過ぎてしまったこと。




……そうして、いつでもぼくらの足取りを見守ってくれていたあなた、ひとりひとりの温かい気持ちを踏みにじってしまったこと。











ごめんなさい。











ご心配をおかけしたと思います。あるいはぼくらに失望して、去っていったひともいるでしょう。いずれにせよ、ぼくらが今いる場所が、ほとんどのひとが望んでいなかった場所であることは確かです。



ただ、ひとつだけ言えることがあるとすれば、BAA BAA BLACKSHEEPSは決して“終わって”はいない、ということです。



今日は改めて、BAA BAA BLACKSHEEPSの現在についてご説明したいと思います。それが、今のぼくらにできるせめてものお詫びだと信じて。





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■なぜ止まってしまったのか■



結論から言うと、生活環境の激変が最大の原因です。


不甲斐ない話ですが、バンドマンとしてその日暮らしの生活を続ける内に、どうしてもそのままでは生きていけない現実の壁にぶち当たってしまった、ということがひとつあります。


そしてもうひとつは、メンバー同士の距離が物理的に開いてしまったこと。現在、Vo.神部とDr.江口は、諸事情により京都を離れ、別々の土地で生活を送っています。そのため継続した定期的な活動をすることが難しくなってしまいました。


メンバーの生活がそれぞれに様々に変化していったことで、ライブ活動だけではなく、スタジオ入りすらも限られた時にしかできなくなりました。


就職をしていても、遠方に住んで離れていても、精力的に活動を行っているバンドはたくさんあります。しかし、ぼくらの場合はそれだけのバイタリティを生み出す現実的な余裕が、残念ながらまだありません。
お金も時間も有り余っていれば可能な話、などどいう発想がただの甘えだということも分かっていますが、実際問題としてどうしてもその点は否めません。




しかし、何もそうした現実的側面だけがすべてではありませんでした。


これはメンバーというよりぼく・神部の個人的な問題に過ぎませんが、3年前、あることが原因で、「音楽」だとか、「歌うこと」だとか、「届けること」だとか、「遺っていくこと」だとか、「生きること」だとか。そういう、根本的なことを根本から見つめ直さざるを得なくなった出来事がありました。


何のために歌うのだろう?

誰のために歌うのだろう?

それがどんな意味をもたらすのだろう?

その先に待ち受けているものは何だろう?


それは。今まで散々、自問自答を続けては、何度もうなずき、確かめていったはずの「答え」が、「信念」が、揺らぐほどのことでした。そしてその揺らぎを受け止め、飲み込み、消化(昇華)するためには、長い長い時間が必要でした。


言うまでもなく、世間はふつう、立ち止まることを許してはくれません。常に前へ前へと進み、努力して何かをつかみ取るドラマを、人は自分にも他者にも求めます。

 

 

なりふり構わず、恥も外聞も無く、いったんすべてをノンアクティブな状態に戻して立ち止まり、振り返り、考え込み悩み抜かなければ動き出すことさえできなくなってしまう、それがぼくという人間の欠落(のひとつ)です。


以前ぼくは、二条nanoの店長・もぐらさんに「音楽を奏でる人間としての本筋とは関係のないことばかりで足踏みを続ける」、「細かいことばかり気にして臆病に何も行動できない」と言われたけれど、たぶん、もう一度そこに戻ってしまったのでしょう。

自分自身、つくづくどうしようもないやつだなと情けない思いでいっぱいです。


けれど、この「3年前の出来事」について、いずれ近い将来、きちんとした形で書き綴りたいと思います。その時は、みんなにも耳を傾けてもらえたらうれしいです。





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■現在の状況について■



有り体に言えば、今のぼくらはほとんど「活動休止」と言っても差し支えないと思います。次のライブの予定も未定ですし、新しくお届けできるコンテンツもなければ、何かみんなに喜んでもらえるようなうれしい報せもありません。


けれど、ぼくら自身のよろこびとして、ひとまずはメンバー全員が元気に生きている、ということは、お伝えしてもいいかなと思います。


離れたことで、定期的に当たり前にライブができなくなったことで、見えてきたもの、感じられたものがあったのかも知れません。


少なくともぼくにとって、BAA BAA BLACKSHEEPSというバンドが、単なる自己実現の手段だとか、夢や目標に向かうためだけの乗り物ではなく、ぼくが人として生きる上でとても大切なものを与えてくれる場所なんだということを、ぼくはこの2年で改めて感じていました。


BAA BAAのみんなといる時のぼくは、いいところもだめなところも含めた、飾らないぼくのままでいられます。そこには上下も優劣もありません。


バンドという交点を除けば、それぞれ異なる人生を生きている者同士。それでも、楽しいことは笑い合い、苦しいことは慰め合い、意識しなければ感じることさえ忘れてしまうぐらい自然に自然でいられる……そんな関係でいてくれるところがBAA BAAのみんなの器の大きさをよく表しているというか、人間として素敵なところなのだと思います。


そういう意味で、活動自体すっかり鳴りを潜めてしまってはいますが、メンバーの絆は今も変わっていません。仲違いとかでバンドが止まった訳ではありませんから、その点はご安心ください。



dino、くみちゃん、こにーちゃん、そうだよね。





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■今後の活動やリリースについて■



これに関しても、今のところ確実なお話は何一つできません。できるだけ機会を見つけ、というよりは作り、前向きにやっていきたいと考えています。


BAA BAAとしては単純に「ライブがしたい!」という気持ちも当然ありますが、前述の通り『リハビリテイション』からもすでに4年が経過してしまったので、『夢の出口』やアルバム発売をきっかけに出遇ってくださった方々、そして今もなお気に掛けてくださる方々に、ライブでしか披露できていない新曲たちを形にして届けたいという願いも、ぼくらはまだ一切捨てていません。


どれだけ時間がかかってもいつかは聴いて欲しいと願う、その理由は、まだ日の目を見ないあの曲たちを、時代や流行に関係なく必要としてくれる人たちがきっといるからだと、信じて疑わないからです。


ただ、レコーディングには膨大なお金・時間・体力が必要ですから、その準備にはまだまだ時間がかかりそうです。


気長に辛抱強く待ち続けてもらうのはぼくらとしても心苦しいばかりです。その内にまた何か出すんだな、と頭の片隅にでも置いておいてもらえれば、ぼくはそれだけで十分です。





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■『リハビリテイション』再販について■




2016年9月に廃盤とし、流通を取りやめましたSFR-004『リハビリテイション』ですが、流通から戻ってきた分が若干数あります。


今後、ライブ会場等で長い時間をかけて少しずつ販売していくつもりでいましたが、最近Twitter等で「入手先が分からない」とお困りの方がいることを知ったので、これを機に通販を始めたいと考えています。その際には過去のCD・ライブ会場での物販で販売していた物なども含める予定でいます。


これだけの月日を経てもなお、インディーズバンドのアルバム1枚を求めてくださる方がいることに驚きを隠せませんが、本当にありがたいことです。

 

 

通販のショップサイトや購入方法などに関しては、準備が整い次第、こちらのブログやTwitter等で告知していきます。今しばらくお待ちください。







そして、『リハビリテイション』再販にあたって、みなさんへの注意喚起なのですが、




決して中古品の
『リハビリテイション』
を買わないでください。





廃盤となり、入手困難になったことが原因してか、どうやら中古CDショップがプレミア価格を付けているようです。

 

 

ぼくらがネット上で確認した限りでは、1万円・5千円もの価格で2枚が販売されていました。

 

 

有名バンドのインディーズ期の数量限定CDなどがメルカリやヤフオクなどのオークションサイトで取引されているのはよくある話ではありますが、なぜかぼくらのアルバムまでがそういう対象になっているようなのです。


みなさんが中古品を買うことで得をするのは、中古CDショップだけです。多少はアマゾンにも入るかも知れませんが、BAA BAA BLACKSHEEPSにも、流通の恩恵をくださった株式会社ジャパンミュージックシステムにも、何らの利益もありません


それどころか、プレミア価格でも買うユーザーがいることが分かれば、中古CDショップは味を占めてより買い取りを強化するでしょうから、簡単に『リハビリテイション』を手放すひとも現れるでしょうし、もしかしたら転売目的で入手しようとする人間も現れるかも知れません。

(と言ってもその場合は、ぼくらのCDの価値がそこまでだったということでもありますが)



そして、本当に欲しいと思ってくれているひとの手元には渡らず、

“ほ ん と う の 価 値”

が見失われたまま、ぼくらのアルバムがネット市場を漂うだけになってしまうのは、何一つぼくらの望みではありません。

 

 

何より、買う方ご本人にとって損でしかないと思います。もうすぐ再販もしますし、中古CDショップ以外誰も得をしないことですので、くれぐれもご注意ください。

 

 




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少し矢継ぎ早な説明となってしまいましたが、現時点でお伝えできることを取り急ぎすべて書いたつもりです。

 

 

もし万が一、この記事を読まれた方で、BAA BAA BLACKSHEEPSのメンバーへのご質問・メッセージなど送りたいという方がおられましたら、

 

b.b.b.sheeps■gmail.com (■を@に変換)

までメールをお送りください。誹謗中傷目的など、悪意があるもの以外のメールには必ずお返事致します。




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誰に届くか、伝わるか分からない言葉を送り出す時は、いつもステージに立って最初に歌い始める、あの瞬間のような感覚になります。

 

 

これだけ書き綴った今、それでもまだ信じられるもの。それは、ぼくらの音楽に、ぼくらの生きた時間に出遇ってくださった、同じ今を生きているあなたのかけがえのないいのちです。

 

 

だから、送信ボタンを押して、きっと受け止めてくれるだろうその心を思い描いて、ぼくらもまた明日からを生きていきたいと思います。

 

 

 


ここまで読んでくれてありがとう。

 

 

ぼくらからお返しできるものはあまりに少ないけれど、どうかあなたの日々が、少しでも穏やかなものでありますように。

 

 

 

 

 

 

それじゃあ、また。


テーマ:
お久しぶりです。こにーです。

ついに9月がやってまいりました。今年は秋が早くやってくるようですね。
夜には秋の虫が鳴き始めました。風情、風情(    ’∀`    )

ちなみに昆虫は変温動物のため、温度によって羽をすり合わせる速度が変わるんですが、それが鳴き声に影響されるので、鳴き声によって季節の移り変わりが聞いて取れるわけですd(゚∀゚*)

あ、そんな豆知識はどうでもよいですかc⌒っ゚Д゚)っ
もう次回から私のブログは、動物ブログかお料理ブログに変えます。そうします。


ところで、みなさんは夏を満喫しましたかね。僕たちは8月結構いっぱいライブしましたね。
でもまだ、夏を満喫しきっていない気がする。。
花火もビアガーデンも台風で行けなかったし、バーベキューはしたけど、べろべろであんまり覚えてないしね。。なんちゅーこったllllll(-ω-;)llllll

まぁ、でも確実に季節は過ぎ行くわけですね。
8月頭には西院フェス、8月の終わりにナノボロフェスタに出演、どちらも久々の再会もあったり、楽しかったな~。関わってくれたみなさん、ありがとう。こういうのは夏感でてるよね。
もちろん、ほかのライブも楽しかったですけど。


僕らの9月のライブは久々、1本だけです。ライブが少ないということは、実はバンドマンにとっては、しっかり曲に向かう時間が増えるので、時々あると楽しかったりします。スタジオではいろんなことが進行していますよ。
ぼくらが次に皆さんに会えるのは

9/24(水) 二条GROWLY
"企画屋UTAGE presents 「THE MUSIC SPACE vol.4~熱狂編~」"
Baa Baa Blacksheeps ヨレタンゴ / Lammy / アイラブユー / sheep's / レゴカメレオン / 序ノ口 / nyara / and more...
16:00open/16:30start adv:¥1800+1d/door¥2000+1d

これですね。若者たちの企画集団のイベントにお呼ばれしました☆´∀`☆
わっしょい!

10月のライブもHPにアップしたので、チェックしてください!
まだまだ面白いライブ追加していきますが、10月はボロフェスタ本祭もあるからとりあえず今回はここまでの公開ですね( ^∀^)


あ、でも全然自分まだ夏終了してないつもりなんで、まじで9月ビアガーデン行くつもりなんでそこんとこヨロシクっす(*`皿´*)ノ行く友が少ないけどな!!!だれか誘ってくれてもいいんやで!!



テーマ:

ご無沙汰です。

気付けば『リハビリテイション』発売からちょうど4ヶ月が経ちました。僕らの予想をはるかに上回る勢いでたくさんの方が手に取ってくれたようで、全国で売り切れの店舗が結構出たようです。ライブ会場でも家に連れ帰ってくれる人たちが毎回必ずいて、僕らの手持ちの在庫も無くなりそうになってきました。

それから前回の記事、『“さいしょ”の聴き方』 についても、意外にもたくさんの方が実践してくれたようで(中には元々あの聴き方をしていたというすごい人もいましたが)、つくづく創り手冥利に尽きる思いです。

みんな、ありがとう。






さすがに4ヶ月も経つと聴きこむ、を通り越して聴き飽きてきた頃かなと思うけれど、『リハビリテイション』というアルバムについて、また一つここでみんなに伝えたいことがあります。


それは、CDが産声を上げるために決して欠くことのできなかった存在について、です。



一つのCDを創るためには、まずバンドメンバーの存在があり、楽曲があり、楽曲を演奏するための楽器や機材があり、それを録音するためのスタジオなどの施設があり、録音の専門知識と技術を持ったエンジニアの存在があり、……一つ一つを挙げればきりがないほど、いくつもの大前提が必要です。
そんなことは言うまでもなくみんな分かりきったことだと思いますし、「最終的に形となって出てきた音楽そのものこそが大事なのであって、舞台裏のことまでは興味がない」、という人も、もしかしたらいるかも知れませんね。

ただ、少し、考えてみてください。突然だけれど、仮にあなたが絵を描く人だとしましょう。そしてある時、あなたが描いた絵がCDのジャケットに使われることになったとします。では、そこに至るためには一体どんなことが必要でしょうか?

僕なら、こう考えます。まず初めに、あなたが“あなた”として生まれること。あなたの親があなたの親であり、天文学的な確率によってあなたの生が決定したことはもちろん、さらに途方もない話をすれば、あなたの代まで命が絶えず連綿と受け継がれてきたことさえも必要不可欠でしょう。そしてあなたは、あなたという人格や意思が編み上げられるだけの無数の経験を経て、その過程で絵を描くことを選んだのです。
そのきっかけが何だったのかも大事ですし、初めはどんなに拙いものでしかなかったとしても繰り返し描き続けたこと、そうして少しずつ習熟していったこと、時には自分の作り出したものに嫌気が差し、時には夢中になり、やがて人の目に触れる場へ投げ掛け、この仮定のお話の中では、それがあるバンドマンの目に留まったこと。何よりも、あなたがその瞬間まで、“あなた”として生き続けてきたこと……。

そう、とどのつまりは、人ひとりの人生そのものが必要なのです。



前にも言ったように、僕らは僕らが生きた証を音で遺したい。その音で誰かの生きる時間を彩ることができたならば、僕ら自身も、それを受け取ってくれた人も、互いに互いの生きた時間を証明できる(少なくとも、この時代においてだけは)。そう信じてやっています。
けれど、それは何も音楽を作っている僕らと、それを聴いている人たちだけに限った話ではありません。

僕らがこれまできちんと形にしたCDの歌詞カードには、全てスペシャルサンクスの記述があります。どんなCDにも大概記されていることだから、別段目を引くような箇所ではないし、よほどのことがない限り注視することもないとは思います。
それでも僕らにとって、スペシャルサンクスという項目は、とてもとても大事なものなのです。

その理由は、さっき散々無駄にややこしく綴った内容で、もう十分お分かりですね。同じ時代に生まれ、死ぬことなく生き続け、ある時に出会い、同じ時間を共にし、同じものを共に作ろうとすることができた(ものを作ろうとする時に支えてくれた)人たちの存在も、僕らはまた遺したいと願っているのです。



……すっかり前振りが長くなってしまったけれど、要するに今日は、『リハビリテイション』歌詞カードのスペシャルサンクスに書き記した人のことを、少しだけではあるけれどちゃんとしたためておきたいと思った、そんな記事です。
あなたには関係ないようで、けれど僕らの音楽に出会ってくれた以上、やっぱりどうしようもなく関係のあることだから、どんな人たちがいて初めてあなたの手のひらにCDが載せられたのか、それを知ってくれたなら嬉しいです。






ここで、まずは僕個人の思いとして、誰よりもdino、くみちゃん、こにーちゃんの3人の名前を挙げさせてください。あくまでメンバーだけれど、彼らがいなければ僕はとっくの昔に歌うのを止めていたからです。僕はもうこの3人以外、誰かと音楽をできる自信が全くありません。
(詳しくは
『第二の家族』参照)






(以下 スペシャルサンクス)



僕らが胸を張って自分たちの音楽を鳴らせるようになるまで、一緒に泣いたり笑ったりしながらずっと見守ってきてくれた[livehouse nano]の名物店長、[もぐら]さんと、nanoの影の総支配人(?)、[まさこ]さん。


僕が生きていくこと、歌を歌っていくこと、その根本に、かけがえのない理由と意味を与えてくれた孤高のシンガーソングライター、[ゆーきゃん]さん。


たった数回しか会ったことがないのに、僕がどんな人間であるかを音楽だけで見抜いて、同じステージに立つ者として次に進むべき道を指し示してくれた、[それでも世界が続くなら]の[しの]さんこと[篠塚将行]さん。


僕らを可愛がってくれるスタッフの皆さんの愛ある仕事で、毎回あり得ないぐらい気持ちのいいライブをさせてくれる[GROWLY]


いつも練習時間以上の長い時間居座っても笑って許してくれる(と信じたい)、[Studio hanamauii]の皆さん。


『リハビリテイション』の音が形に残るその根本を支えてくれた[
MORG]、[Nakamachi Sam Studio]、[JUNSHOJI STUDIO]。


ギターと車とLUNA SEAをこよなく愛する、『リハビリテイション』の全てのレコーディングエンジニアを担当してくれた[空中ループ]と[ミナワ]のリードギター、[和田直樹]さん。好きなお菓子はグミ。



『リハビリテイション』のM-10『おまじない』、M-11『リハビリテイション』を、透明感のある声で彩ってくれた[ミナワ]の[長谷川尚子]先生。


CDの顔となるジャケットにおいて、THE VESPERS時代の『昨日のおとしもの』以来、もう一度快く繊細華美な世界で僕らの音を彩ってくれたイラストレーター、[
麺類子]さん。


CDのデザイン及びレイアウトにおいて、デザイナー対クライアントの関係を軽々と飛び越えて僕らの人間性・音楽性をどこまでも真摯に視覚領域で表現しようと向き合ってくれたデザイナー、[
おばけのくに]。


ひょんなご縁から友人になり、僕らのわがままにも懲りることなくHPを作成してくれたWEBデザイナーの[
さかいしょういち]くん。


『明るい曲』
のPVにおいて、打ち合わせの時点で音源を数百回聴き込んでくるという労苦を費やし、バンド人生初の本格的なPVを制作してくれた[樽見孝弘]さん。



アーティスト写真と歌詞カード最後部のオフショットを撮影してくれた、[有限会社ブロス]の[中内基]さん、[増田早希]さん。


3ピース版『夢の出口』に手描き動画を寄せてくれたことからご縁ができた、可愛らしさと毒を併せ持つ絵で『ゆめにっき』ファンを唸らせるイラストレーター、[6274]さん。


『夢の出口』制作・収録・流通及び販売に当たって、特別にご許可をくださった『ゆめにっき』原作者の[ききやま]様。


そして、僕らが僕らである理由の大部分を作ってくれている、僕らの家族と、いつも笑い合ってくれる友人。






……これだけ
の人数、誰一人欠けても、『リハビリテイション』があなたの手に届くことはありません。この場を借りて、愛すべき彼らに心から感謝をお伝えします。



もちろん、ここには書ききれなかった人たちだってたくさんたくさんいます。その人たちには、直接会った時に僕らの笑顔をもって感謝を伝えていきたいと思います。
曲を書いた、という事実だけをもってすれば、曲を書くに至る苦痛を与えられた人たちにさえも、もしかしたら感謝しなければいけないのかも知れません。
いずれにせよ、僕らは何人もの人の人生に支えられて歌っているのだなと、月並みなことしか言えない自分に反吐が出るけれど、でもやっぱり、心からそう思います。



どうでしょう。今度からCDの歌詞カードを読む時、スペシャルサンクスを読むあなたの気持ちは、少しでも変わ
るでしょうか?

別に変わらなくても、それはそれでいいと思います。ただなんとなく、あなたがあなたを生きているように、誰かもまたその人を生きていることで、その人たちがいることで、一つのものが作られているのだということ、頭の片隅にでも留めておいてくれたら、僕は幸せです。













それじゃあ今日は最後に、もう一人だけスペシャルサンクスを綴らせてください。
それは僕らの音楽を受け取ってくれた、あなたのことです。






あなたがあなたとして生まれたこと、あなたとして生きてきたこと、その道のりの途中で僕らの音楽を手に取ってくれたことで、僕らはまたステージに立つことができます。もしもあなたにとってはたった1枚のCDを選び取ったに過ぎないとしても、そのためにはまずあなたの人生が必要だったのだと、大げさ過ぎるかも知れないけれど、どうか今日はそう言わせてください。






本当に、ありがとう。


テーマ:
いよいよ明日、12日水曜日に『リハビリテイション』が発売されます。僕は仕組みがいまいち分からないのだけれど、もう今日の時点で手に入る人もいるみたい? 何はともあれ、僕らの記念すべきアルバムがみんなの手元に届き、それぞれの生活の中で鳴り響く瞬間まで、あとわずかとなりました。



という訳で、フラゲ組がいることも考えて、今日は『リハビリテイション』の“最初の”聴き方について、今の内に綴っておきたいと思います。






CDを家に持ち帰って、あなただったらどう聴きますか? とりあえずコンポにセットして流し始めますか? それとも早速iTunesに取り込んでiPodやiPhoneで聴き始めますか?
……これはずっと気になっていたことなんだけれど、みんなは音楽を聴く時、どんな風にして聴いているのでしょう。たとえば再生機器はPCなのか、iPodや携帯プレーヤーなのか、コンポなのか、はたまたポータブルCDプレイヤーなのか。座って聴くのか、立って聴くのか、歩きながら聴くのか。朝なのか、昼なのか、夕方なのか、夜なのか、真夜中なのか、明け方なのか。スピーカー、ヘッドホン、イヤホンのメーカーはどこなのか、またその質はどの程度なのか、……音楽を聴く時の状況、環境は千差万別だと思います。
では、全く同じ音源が収録されたCDだとしても、それだけ人によって異なる条件下で聴かれる音楽が、果たして誰のもとでも同じ響きを以って伝わるのでしょうか? それは断じて、違います。



そこで、『リハビリテイション』を手に取っていただいたせっかくの機会に、みんなにぜひ一度試してみて欲しい聴き方があります。それはあなたの身体を、「音を聴くためだけの機関に変えてしまう」という方法です。
僕がこの聴き方をするのは、その音楽が自分にとってとても大切な、敬愛するものである時なのですが、実際音楽を味わう方法としては理想に近いものだと考えています。
僕は、とても大事にしているアルバムを以下の手順で聴いた時、ただひたすら音と音が織り成す空気の色に圧倒され呑み込まれて、自分の今いるところとは一つ別の領域にシフトしてしまったような、そんな感動すら覚えた経験があります。そこまで大袈裟な話に限らずとも、たとえば普段「聴いている」と思っていたはずの曲の聞こえなかった音に気付いたり、歌詞やメロディといったすぐ耳に飛び込んでくる表層の部分よりもっと奥深くで鳴っている“音なき音”にも耳を傾けられる自分を知りました。



同じ日に、この国のあちこちで、色々な人が一つのCDを手に取って、もしも同じような聴き方をしたとしたら、あらゆる感受性の前に晒されるその音も、少しでも近い響きを以って届くのではないでしょうか。
いずれにせよ、僕らの初めてのフルアルバムである『リハビリテイション』が、一人でも多くの人が新たな「聴く喜び」を知るきっかけとなれば、幸せなことだなと思います。もちろん、『リハビリテイション』に限らず、あなたの大好きなCDでもぜひ試してみてください。自分の愛する音楽をこの方法で聴いた時、たとえそれがすっかり聴き慣れた曲だったとしても、今までとは違う魅力をきっと再発見できることと思います。
音楽を聴く、ということは、実はそれなりの体力や精神力、そして“真摯さ”が必要なのです。僕らのアルバムがそれを向けてもらえるに相応しいかは分かりませんが、もしあなたがこの記事を読んで今までとは違う音楽との向き合い方を知ってくれるのなら、僕はそれだけでも十分意味があると思っています。






【聴き方手順】
1.時間帯は夜か深夜が望ましいです
2.1時間近く誰にも邪魔されない状況を作ります(携帯の電源も支障がない限り切りましょう)
3.トイレは済ませておき、水分補給もし、空腹でも満腹でもない適度な状態でいましょう(これが意外と大事です)
※お香やアロマオイルなどを日常的に使う人は、自分の好みの香りを炊いてみるのもいいでしょう
4.PCかコンポにCDをセットし、ヘッドホンを接続しておきます
※PCでの再生の場合、HDDに取り込んだデータ再生でも構いませんが、その際はあくまで「.wav」形式、つまり無損失で取り込んだデータにしましょう。mp3形式とwav形式では聴ける音もその聞こえ方もまるで別物ですし、作り手側が「こんな風に聞こえて欲しい」と意図して整えた音の像が壊れてしまいます
※上記に加えて、iPodやiPhoneはそもそもプレイヤーとしての音質がそこまで優秀な訳ではないので、mp3形式を避ける意味でも相応しくはありません(あくまで日常的に気軽に多量の音楽を聴けるという利便性に特化した機器だと認識した方がいいです)
※ただ、コンポも物によって音色や質感が多少変わってしまう可能性がありますし、コンポがない・PCからではヘッドホンが届かない、などといった場合には、iPodやiPhoneも止むを得ないと思います。何よりも原音の大切さをお伝えしたい思いからこのように書きました
5.部屋の電気を消して真っ暗にします(室温も快適な温度に設定しておきましょう)
6.布団・ベッドに仰向けに寝転がり、脚を軽く開き、胸の辺りに両手を置くか、あるいは両手を広げましょう
※ポイントは、「なるべく皮膚感覚に刺激を与えない」ということです。布団の中に入るのもありですが、その場合は布地が鼻や顎に触れないよう、布団を被るのは胸元までにし、両手も布団の上に出しておきましょう
7.ヘッドホンを着けます(ヘッドホンが理想ですが、お持ちでなければイヤホンでも構いません)
※再生音量は、曲中の音が大きくなる箇所で不快感を覚えない・変に我慢せずに聴けるぎりぎりの大きさまで上げることをお勧めします。ヘッドホンを外した時に歌詞が聞き取れるぐらいの音が漏れ出ているのが目安です。もちろん鼓膜に悪影響を及ぼしては元も子もないので、その点は十分ご注意ください
8.再生ボタンを押して、目を閉じて、全身の力を抜いて、ゆっくり呼吸をしながら聴き始めます
※1曲目の『イーハトーヴ』は、「音量調整や姿勢の安定のための時間」ぐらいの心づもりで聴くのがちょうどいいと思います



……あとは、ひたすら歌詞を聴き取るのもよし、ギターの音色やフレーズを聴き込むもよし、ベースやドラムの刻むビートを追うもよし、ただ音の波に身を任せてぼーっとするもよし、歌の息継ぎ一つ一つさえも聴き漏らさないほど神経を研ぎ澄ませるもよし、音から様々な景色・感情・誰かの面影・記憶を呼び起こすもよし……。音が鳴り出してからそれをどう味わうかは、あなたの心の赴くままです。
再生ボタンを押してから、どうかそれを約47分30秒、最後まで続けてみてください。そうしたらきっと、曲がアルバムの最後に向かうにつれて何かが見えてくるはずだと、僕は信じています。



そして、それから続く日常生活の中で、今度は普通に垂れ流すように聴いてみたり、携帯やmp3で聴いてみたり、家電店に行って試聴用の様々なヘッドホンで聴いてみたり、あえて安物のヘッドホンやイヤホンでも聴いてみたり、時間・場所・天候・季節ごとに聴いてみてください。“最初の”音との違いを確かめられるはずですし、また同時にその楽しさも感じられると思います。






それから、もしかしたら後日、僕らとリスナーみんなで同時刻から『リハビリテイション』を再生し、Twitterでリアルタイムに曲やアルバムの注目(注耳?)ポイントを綴っていく「全国同時リハビリ会」、みたいなものをする……かも知れません。お知らせのツイートが50RT以上でもいかない限りはしないことにしようかなあと思っているので、愛ある応援をお待ちしています☆






それじゃあ、また。次はヘッドホンの中で、お会いしましょう。


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