月曜日の話。
成人式で世間が賑わう中、BBBSの4人組で街へと繰り出した。目的は、バンドの新しいプロフィール写真の撮影。
……のはずだったんだけれど、よりによって1月14日の天気は、雨。先方との相談の結果、撮影は延期することに。「雨天中止」なんて言葉を耳にしたのは、それこそ小学校の遠足の時以来かも知れないな。
兎にも角にもその日仕事も休みにして丸一日予定を空けていた僕ら4人は、ミーティングも兼ねてBBBSが始まってから初のオフを過ごすことになった。
ひとまずくみちゃん(※Dr.江口匠のこと。たくみだからくみちゃん。僕しかそう呼ばない)の提案により12時に新京極MOVIXに集合するBBBS。
dinoとこにーちゃんが示し合わせたかのようにダウン。色合い(と身長差)もあいまってコンビみたい。
そして提案したくみちゃん本人は時間通りに来ないという、相変わらずの遅刻王振りを発揮(住まいが一番遠いせいもある)。dinoの説教タイムを早くも予感しつつ、一行はファミレスへ。
正直僕はあまりファミレスが好きじゃないけれど、長時間話し込む時のドリンクバーのありがたみといったらない。
遅れて来た割には堂々としたくみちゃん、くみちゃんをからかう僕とややご機嫌斜めで説教タイムに入るdino、それをなだめるこにーちゃん。僕の好きな、いつも通りの光景だ。
昼食を終えるや否や自然と会話は種々のことについての打ち合わせになっていった。
dinoの髪の色に注目。
正反対の意見が出ても、必ず誰か一人が双方の長所を活かした結論を出すか、あるいは納得いくまで互いの主張を聞き合う。どんなアイディアも頭ごなしに否定はしないみんなの姿勢を見ていると、僕は本当このメンバーでよかったなと思う。幼稚な僕とは大違いで、それぞれからいつも学ぶことの多い、よくできた仲間たちだ。
そう、ここまではよかった。話し合いも笑い話を交えながら着々と進んでいた。しかし、ここから状況は一変する。
ここで、この日が何の日だったか思い出して欲しい。
そう。成人式である。
突如すぐ隣のボックス席にどやどやと流れ着いてきたスーツ姿の若い男たち。注文を聞きに来たお姉さんの顔が、僕らの時と比べてすっかり強張っている(※主観によるものです)。
若者たちは何故か無駄に誇らしげな顔をして(※主観によるものです)煙草を吸い出した。君たち、絶対今までも吸ってたよね。
テレビでよく見る仮装大会出場者みたいなアヴァンギャルドな出で立ちではなかったものの、一般世間で言うところの「大人の世界への仲間入り」を果たした(つもりになっている)ことによるのか、大きいのは気だけでなく声もだった。
僕ら4人の間に不意に訪れるわずかな沈黙、そして再び始まる打ち合わせ。しかし、うるさい。とても話し合いどころじゃない。発言しようとすれば隣の笑い声でかき消され、諦めずに声を発した瞬間にまたかき消されの繰り返し。あっ、くみちゃんが露骨に不機嫌になってきた。
こういう時、メンバー間での意思疎通のスピードは、音速を軽く超える。
BBBS、怒りの退店である。
ある程度主要な議題は一通り話し終わっていたので、それ以外についてはまた別の場所で行うことにした。
せっかくのオフなのに結局考えるのはバンドに関することばかりで、メンバーとしてではなくただの友人同士としてもう少しレジャーを楽しんでもよかったんだけれど、「じゃあプリクラでも撮るか」というあまりにもヤングな提案にくみちゃんが物凄い拒絶反応を示したのであえなく断念。一行はあてもなく雨の商店街を練り歩く。
何故か途中、一本のチュロスを求めて群がる男子4人。
HUBに移動。いつもライブの時は他の3人と違って本番が終わるまでお酒が飲めない僕も、この日は4人一緒に乾杯。みんなでオフを過ごしているということを改めて実感できて、幸せだった。
中尾匠誕生の瞬間。
当日寝不足だったくみちゃんがここでスイッチOFF。なおBBBSはアメリカ海軍と一切関係ありません。
実に7年もの付き合いになるdinoとの愛に溢れたツーショット。dino曰く僕は“弟みたいなお兄ちゃん”なのだそう(dinoは僕より1歳年下)。
そしてここでこにーちゃんが離脱。僕ら3人は新生シリカに会うためにVOXhallへ向かった。
林くんと新しいリズム隊2人(内1人はすっかり顔馴染みの山田くんだけれど)のシリカを見届けて、あいさつもそこそこにVOXhallを後にした僕らは、再び夜の繁華街を歩き出す。向かう先はあの場所。
シングル『昨日のおとしもの』を持っている人なら分かる(販促)、例のお店。
何故この日の僕がうつむいてばかりなのかというと、たぶん安心しきっているのだと思う。姉夫婦の飼っている犬もソファの上でよくこんな感じになる。僕は犬か。
そんなこんなで、BBBS初のオフはお開きになった。
いつも当たり前みたいに一緒にいるのに、プライベートで全員が揃っているというのはとても不思議だった。
去年(そう、もう去年だ)の11月29日のライブを境にライブ活動を休止した訳だけれど、ライブをしていなくてもそれぞれ色々なことに追われて、あっという間に時間が過ぎていく。
それでもやっぱりそうしただけのことはあったと思う。この数ヶ月で僕らは確実に何かが変わり始めている。各人の意識やスキルの向上はもちろん、バンドとしても今までになかった系統の曲作りやアンサンブルの強化に勤しむ日々。何よりも互いの精神的な繋がりが増したように感じられて、僕はそれがただ嬉しい。
……思えば去年の4月、まだこにーちゃんが加入していない、choriバンドと一緒に東名スプリットツアーに行った時のこと。最終日の新宿Motionで、僕は思うようなライブができなかった苛立ちをメンバーにぶつけてしまい、自分の中のわだかまりも堪えて励ましてくれたdinoさえもひどく傷付けた。
帰りの夜行バス、小さな声でくみちゃんが僕に言った一言を、僕はたぶんこの先も忘れない。
「神部さんはもしこのバンドが終わった時、俺たちと友達でいたいですか? それともメンバーだから、一緒にいるだけですか?」
僕は本当に器の小さい人間だ。悩みを抱えているのも、苦しいのも、いつでも自分が一番だと考えていた気さえする。バンドを始めるまで、自分がいかにわがままか僕は知らなかった。
皮肉なことに、そもそも僕がバンドに求めていたものは“こんな自分でも一緒に同じ今を生きてくれる仲間”だったというのにね。
京都に帰って来てから、僕はこれまでの自分の在り方を振り返った。そこには吐き気や、怒りや、恥や、痛みを覚える自分ばかりがいて、本当につらかった。酒を浴びるように飲んで、結局その後ひどい自己嫌悪と頭痛に悩まされた日もあった。
誰もいない春の夜更けの公園、缶チューハイと一緒にベンチに仰向けに横たわってろくに見えもしない星空を眺めながら、メンバーのことを考えて僕が導き出した答えは、ただただみんなが好きだということだった。僕は以前、自分がバンドの中心となってみんなを引き連れてきたとばかり考えていたけれど、本当はまったくその逆で、いつでもみんなに助けられてここまで生きてきていたんだと分かった。
そうして、それからだったと思う。色々なひとに「変わったね」と話し掛けられるようになったのは。
星の数ほどミュージシャンが存在する時代、ただ一つのバンドがライブをしなくなっただけ。すぐ忘れ去られていくし、そもそも初めからそれほど気にも留められていない。そんなことは他人に言われるまでもなく、僕ら自身が一番分かっている。
だからこそ、だ。
生活が安定するほどの金が動くバンドになれたらそりゃあ誰だって願ったり叶ったりに決まっている。そんな夢物語を馬鹿正直に追い掛ける無謀さにやり甲斐と喜びを見出す、それもいい。けれど、僕はあくまで今のメンバーとこれからも一緒にい続けるためにもっと大きな景色に辿り着きたい。そのために必要なことなら、どんなに苦痛を伴うことであっても、僕は嬉々として取り組むだろう。今ならそう胸を張って言える。昔と比べると、自分自身とんでもない変化だと思う。
自分の病気や社会的障害を言い訳にしてたくさんのことから逃げ続けてきた僕をここまで変えてくれたメンバーと、僕はまだまだたくさんの喜びも哀しみも分かち合いたい。そうして、昔の僕がそうであったように、心の支えを求めて喘いでいる人たちのところまで僕らの音楽を届けたい。いや、きっと届けてみせる。
そのためにも、こんなしょうもない記事でもいまだに熱心に読んでくれるあなたと、まずは早くステージで再会したいな。
どうかそこで、待っていてください。
バンドって、本当不思議だ。それまで全く別々の人生を送ってきた赤の他人同士だったのに、今ではもう一つの家族のようにさえ思える。
そう言えば去年の暮れ頃、くみちゃんはこんなことも口にしていた。
「売れるために一緒にいるよりも、これからも一緒にいるために売れたいよね」。
僕はまた、泣かされた。