BAA BAA BLACKSHEEPS -2ページ目

BAA BAA BLACKSHEEPS

京都発・新世代エモーショナルロックバンド 【 BAA BAA BLACKSHEEPS 】
オフィシャルブログ

 

2022年1月19日から始まった 『リハビリテイション』 セルフライナーノーツ。第2回は 『ヴァイタルサイン』 をお届けします。

 

 

第1回 『イーハトーヴ』 記事の更新後、Twitterにてアンケートにご回答くださった方々のご希望を受けて、なるべく読み手が読みやすく楽しめるようメンバーとの対談を多めに設けました。そのせいかは分かりませんが、今回の記事はブログの文字数限界をオーバーしてしまったため、前後半に分けての更新となります。

前半ではメンバーの一問一答と対談形式を織り交ぜて、後半ではVo.神部の一人語りを中心にしたためてゆきます。

 

 

あなたがその鼓膜と心で受け止めてきた 『ヴァイタルサイン』 と、ぼくらが歌い掻き鳴らしてきた 『ヴァイタルサイン』 の間には、どんな違いがあるでしょうか。あなたの思いとぼくらの思いを、ぜひ照らし合わせてみてください。

 

BAA BAA BLACKHEEPS 一同

 
 

 

 

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目次

 

― 【前半】 ―
1.自分にとってヴァイタルサインとは
  ▶ “オルタナティブ ” ロック
2.楽曲制作時のエピソード
  ▶イントロのギターリフ
  ▶アウトロの編曲
  ▶バーバーのベーシストとして
3.レコーディング時のエピソード
  ▶自己評価と作品発表のジレンマ
  ▶レコーディング合宿の洗礼
4.音像にこめた意図
  ▶ 歌を押し出す楽器隊
 
― 【後半】 ―
5.メンバーランキング
6.フリートーク
7.個人的に力説したいこと
8.神部の一人語り

  ▶ 楽曲制作に至った背景と当時の心境

  ▶ “OK” or “NO”

  ▶ 生命兆候

  ▶「何者かになる」 という呪い

  ▶ ふたつの孤独

  ▶ 歌詞に忍ばせた意図

9.次回予告

 
 
 
 
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1.自分にとってヴァイタルサインとは
 
 
dino:
歌われてる内容がひとつのバンドとしての姿というか、決意表明的なニュアンスが強い歌詞内容なので、実際演奏する時や、普通に聴いてる時でも気持ちがちょっと引き締まるような楽曲。そういう意味では、音楽が精神にもたらす効果みたいなのをわかりやすく感じる事ができるかな~と。
 
 
江口:
ロックテイストを BAA BAA っぽく解釈して分かりやすく表現しようと試みた曲。
当時は時代とか界隈的な流行りもあって
「これは “ロック” ではなく “オルタナティブロック” でなくてはならない」
と、自分たちや作る曲がオルタナティブであることに固執して、視聴する人からどう捉えられるかを意識していたと思う。
 
 
こにー:
BAA BAA のロックサウンドが形作られた曲の一つだし、ちゃんとらしさも表現できた一曲かなと思う。僕一人で始まる唯一の曲でもあるので、イントロは結構気合入る (そしてライブでは割と緊張する) 一曲。
 
 
神部:
BAA BAA BLACKSHEEPS として、バンドマンとして、創作家としての根源的な叫び。
どれだけ曲を書いても、どれだけライブを繰り返しても、先の見えない、出口のない迷路をさまよっているかのような漠然とした不安と焦燥感に囚われていたぼくにとって、悲鳴と言ってもいいぐらいの思いを文字通り 「削ぎ落とし」 て作り上げた歌です。この感覚は 『薄氷』 や 『耳鳴り』 、『ゲームオーバー』 にも相通じる形で描かれてゆくのだけれど、『ヴァイタルサイン』 に関してはそれらの3曲にはない、まだ光を見出そうとしている意思がこめられています。

「完全新作をアルバム形式で、なおかつ全国流通する」
という目標を前に、今一度自分たちの思いを客体化し、まだ見ぬリスナーの存在を乞い求めるべくして書いたこの歌は、声に出して歌っても、ただ聴いても、自分とバンドメンバーの活動根拠を何度となく再確認させ、また奮い立たせてくれる一曲。その力強さもあってぼくの中では “戦闘曲” だと思っていて、人混みを歩く時や出勤時、高速道路を走る時、定番のお供です。
これまですべての楽曲にメンバー全員から 「尺が長い」 と苦言を呈されてきた経緯もあって、短い分数で密度の高いロックナンバーを作り上げられたのは、自分自身とても満足のいく成果でした。
 
 
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 ▶ “オルタナティブ”ロック ◀
 
dino:
あくまで “俺たち” の “オルタナティブ” って事やとは思うわ、結果論やけど。楽曲としてはどっちかというと姿としてはギターロックという枠組みの中での抗いやとは思うんやけど、当時比較的ポップな楽曲が多かった自分らの中で、これだけ音像がシャープで (ある意味) 攻撃的な楽曲は自分達の中で、文字通り対極、オルタナティブな楽曲として提示する事で、バンドとしての幅を出せた楽曲かもね。
 
江口:
確かに 「尺が長いから短く」 、「幅を出す」 とか、これまでとは毛色の違うものを作りたくて試行錯誤してたな。
尺が短いとライブで使いやすくなる (尺が長い曲が続くと聴き手が疲れたりとか考慮しないといけなかったり) という事情もあったけど (笑)。
 
神部:
当時のバンドシーンって、情緒的でフォーキーな音楽がもてはやされる京都とは違って、大阪や兵庫はアングラで攻撃的なロックサウンドが多かったと思うんだけど、『ヴァイタルサイン』 はぼくらにしては珍しく後者に近い音像で作った曲じゃない?
 
dino:
これも俺たちが身を置いてたシーンがって事な気がする。京都でもネガポジとかはかなりアングラだと思うし、大阪も2nd lineやknaveとかは結構ポップ~ロックな界隈かなと当時の印象では思ったな。ただ結構俺たちが他府県で出入りしてたのが割と濃いめの界隈だったから、慈雲の言う 「後者に近い音像」 に影響を与えてるんかもしれん (笑)。
 
神部:
言われてみれば、いかにも京都っぽいのに大阪拠点のバンドとかもいたし、ぼくの印象は何由来なんだろう、分からなくなってきた (笑)。
くみちゃんの話にもつながるけど、歌心とか詩心に頼らず、単純にバンドサウンド単体で聴いてもらえるような方向性も打ち出せるようになろうとしていた結果の曲だったのかもしれないね。
 
dino:
まあ慈雲の回答にあったように、『薄氷』 なんかに通じるアプローチにも繋がっていくしね。
 
神部:
うん。それまでずっとぼくの書いてきたコード進行と歌メロに合わせてオケを後付けするような形式だったのが、初めてアンサンブルから作ったのが 『薄氷』 だったもんね。リハビリは本当、自分たちにとって未知のことに挑戦しながら頭数揃えていったようなところがあるよね。
 
AIこにー:
ボクモソウオモウ。
 
 
 
 
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2.楽曲制作時のエピソード
 
 
dino:
曲の原型自体は前身バンド時代からあって、当時よくVOX Hallの転換時に (ホール内のスクリーンで) かかってた関東のバンドの曲の質感がかっこよくて、こういうの自分らも作りたいよね~みたいなところからスタートしてた記憶がある。
 
 
江口:
THE VESPERS 時代から存在していた8分の6拍子のギターフレーズがあって、最初はそれをもとに作ったような。
コニーちゃんが参加して曲が形になる頃には、結局そのフレーズは影も残っていなかったけど。
 
 

(※Listen in browserをクリックでこのまま再生できます)

 

神部:
リズム隊の2人の言うように、もともと 『ヴァイタルサイン』 は前身バンド THE VESPERS の頃に 『残像』 という仮タイトルで書こうとしていた曲を一から作り直したものです。
ぼくはリハビリのレコーディングまで長年フェンダーメキシコのテレキャスターを使用しており、トレブル域のジャキッとしたテレキャスター特有の金属音を活かして、直球なロックサウンドの曲を作りたいとかねてより考えていました。
「ヘッドホンの向こう側にいる相手を思い描いて作る」
という課題を自分に課してアルバムに向けた曲作りに臨もうとした当時のぼくは、従来のような人を選ぶ癖の強さを減らして、もっと万人受けしやすいサウンドとテンションで歌いたいと思いました。そんな時、かつてボツにした 『残像』 のテイストを活かすアイディアが浮かんだのでした。
ロックに向かない自分の丸みを帯びた歌声や少しひねくれた詩情はなかなか変えようもなかったので、工夫を凝らせられるのはサウンド面です。いつも通り簡単なコードバッキングだけで済ませてフレージングをこにーちゃんに甘えたままなのは嫌だな、という思いもあり、ぼくはぼくで “聴かせるギター” をどこかに織り込めるよう苦心しました。
その結果、ぼくのギターパートは展開上のアクセントにも効果を生み、過去の楽曲よりもほんの少し成長を感じられるものになったと思います。
 
 
こにー:
イントロがなかなか決まらなくて悩みまくっていた時に、夢に出てきてそこで出来たフレーズが良かったので、飛び起きてすぐに弾いて出来上がった。
ビートルズかよ、と当時は思ったけど、夢でまで考えてたのはよっぽど余裕なかったんかなと思う。
 
 
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▶イントロのギターリフ◀
 
神部:
いざヴァイタル作るよって日にスタジオ入りした時、こにーちゃんが
「夢で考えてきたから聴いて!」
ってすごい興奮気味に言ってきたよね (笑)。
 
dino:
よく覚えてるな (笑)。
当時のこにーちゃんと言えば 「スライドする電車」 みたいな抽象的なフレーズからギターリフを生み出そうとしてたことを覚えてるけど、そういった試行錯誤の果てのリフなんかなと思うと改めて感慨深いものがあるな。
 
神部:
逆にぼくは 「スライドする電車」 が分からない (笑)。
「思い出がリフレインして……」 とかは言ってたような。
こにーちゃんっていつも浮かんだ情景とかそういうキーワードからギターリフ作ってたよね。よく考えるととんでもない才能な気がする (笑)。
ぼくたち3人から 「キャッチーなリフ考えてきてね」 って言われたのがよっぽどプレッシャーだったのか、夢で思い付くとはよもやよもやだ。でもその分最高のイントロになったと思うけれどね。
 
 
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▶アウトロの編曲◀
 
神部:
そういえばアウトロでいったんブレイクして、こにーちゃんがメインフレーズを弾き始めた直後に裏拍でオールインする (2分56秒) のって、確かくみちゃん (※Dr.江口) のアイディアだったよね? まどマギか何かの主題歌を例に挙げて、
「最近は裏拍でインするのが主流になってきてるからな」
とか言ってた気がする。あそこは実際テンション上がるよね。
 
dino:
アウトロのブレイクは確かに江口の案やった気がする。まどマギってところに時間の流れの速さを感じるな……。
実際そのテクニックを上手いこと自分達の曲の中に組み込めたと思うわ。
 
江口:
アウトロのブレイクは言い出したの俺やったかな?
曲終わりの締めは言い出した記憶あるけど……。
あとこにーちゃんのは
「リフレインする電車が……な?」(まあ今ので分かったやろ?っていう顔)
やで (笑)。
 
神部:
リフレインする電車だった (笑)。
それってもしかして 『耳鳴り』 じゃなかった?
「カメラワークを再現するようなギターフレーズ作る」 ギタリストなんて世界中探してもそうそういないと思うよ。
 
こにー:
いや、『耳鳴り』 ではないな、もうちょいポップな感じのやつのはず。ボツになったんかな、多分。
 
江口:
「リフレインする電車」 は 『おまじない』 やで。
 
こにー:
めっちゃ覚えてるやん。
 
江口:
まだカンベさんのバッキングとサビのメロディしかないとき、間奏を作りたくて悩んでたときかな?
 
神部:
よく覚えてるなあ (笑)。
確かに 『おまじない』 は間奏だけこにーちゃんに丸投げした記憶があるから、たぶんそうだね。
 
 
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▶バーバーのベーシストとして◀
 
dino:
楽曲制作時のエピソードほとんど記憶ない……。
 
神部:
こうして思い返していると、どんな曲作りの時でも、dinoが自分のパートでフレーズをどう作るか悩んだり相談してたりって記憶が全然蘇ってこないんだけど……もしかしてdinoって、大体ぼくの持ってきた曲に即ベース当ててくれてたんじゃない?
 
dino:
基本的にバーバーは歌が最優先やから、ギターのコード進行ありきでメロディーが来ると、ベースラインは大抵ルートをなぞる、ちょっと遊んでもオンコードっぽくバッキングギターと分業する + 良いところで裏メロっぽいの入れられそうなら入れる (これは 『イーハトーヴ』 の最後の方とか) って感じでアプローチが限られてるんよなあ……。
もちろん技術的な部分も大きいとは思うけど、ベースでイキってもしゃーないバンドだわな (笑)。
 
神部:
あー……。ずっとdinoには常に足かせをはめてきたんだなあと申し訳なくなってくるな。
そう思うと、そんなdinoがのびのびと歌ってるあの曲とかは貴重だよね。
 
dino:
いやあ、それはそういうバンドってだけやし、必ずしもベースラインがうねうね動いてるだけが凄いのかっていうとそうでもないしね(笑)。
TPOですわ。
 
神部:
そうだね。堅実にひたすらルートを刻んでいくベースが動き回るベースより劣っているなんてことはないもんね。
歳を重ねれば重ねるほどベースの大切さがよく分かるようになったし、「縁の下の力持ち」 とはよく言ったもんだよ。
 
AIこにー:
ディノチカラモチ。
 
 
 
 
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3.レコーディング時のエピソード
 
 
dino:
自分で考えたフレーズやのにレコーディングの時に何故か指弾きで全然上手いこと録音できずNGを連発した苦い記憶。最終的には何故か試しにピックで弾いてすんなりOKになるという……。
 
 
江口:
レコーディングではたしか2~3曲目に録ったかな?
自分が出した想定の音とエンジニアルームで聴く音の差が凄くて、良い機材は奏者の実力が浮き彫りになることを改めて痛感した記憶。
 
 
こにー:
奈良のレコーディングスタジオ MORG で押しに押しまくった結果、ギター録りができなくなってしまったんやけど、どうしてもそこで録りたくて、30分でヴァイタルサインだけ何とか録り切ったので、良い感じに焦燥感が出ていると思う (笑)。
 
 
神部: 
1分31秒でブレイクと共にぼくがソロでバッキングを掻き鳴らす箇所、そこだけ使用ギターが変わります。スネアを含めて7拍子で次の間奏に移行するトリッキーな編曲なので、構成だけでなく音でも聴き手の意識をハッとさせる瞬間になるよう、ギターの音色も何かしら特徴づけたいと考えていました。
そしてそのことをエンジニアである和田直樹さん (空中ループ Gt.) に相談すると、なんと和田さんの部屋に転がっていたフォトジェニック?か何かの激安ボロボロギターを使ってみようという話になり、半信半疑で試してみたところ……これがまた予想に反して、実にちょうどいいアクセントになったのでした。
リハビリのレコーディング中にはエフェクターに激安代名詞のベリンガーをあえて使用した箇所もあり、安い機材にも使い道や面白さはあるんだなと分かったいい経験でした。
 
『ヴァイタルサイン』 はラストサビで、ぼくがそれまで一度も地声で発声したことのなかった高音域のシャウトがあります。当然発声は困難を極め、やむなくレコーディングに向けて毎日腹筋をしていました。そして歌録りの日にはくみちゃん (※Dr.江口) の補助のもとその場で腹筋をし、直後に一発テイクでシャウトをユニゾン分の2回無事成功させたという思い出があります。
残念ながら今となってはもうあのシャウトは出せそうにありません。それほどぼくには至難の業でしたが、盤に収めることができて心底よかったと感じています。
 
 
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▶自己評価と作品発表のジレンマ◀
 
神部:
ぼくはくみちゃん (※Dr.江口) が MORG の質のいいドラムセットで叩いた瞬間に出音の粒立ちにキレがあり過ぎて感動したんだけどなあ。他の人がそう思わなくても、本人は悔いが残るってケースもあるよね。
 
dino:
これって結構真理というか、ちょっと話はズレるんやけど、作った本人が気に入ってなくてもどこかの誰からはめっちゃ好きになるって事はそれなりにあると思うのよね。なので作った後納得いかんくても世に出すことってのは意味あることやなあと思うわ。もちろん世に出す出さないのジャッジも含めて作り手の力量だとは思うけど。関係ない話スマン。
 
神部:
いやいや、本当にその通りだと思うよ。ぼくもこれまでずっと、自分の創作物に関しては
「中途半端なものは人に見聞きさせられない」
って考え方でいたけれど、世に出さない限りそのアイディアは存在しないのと同じで、とどのつまりは
「それを愛してくれるかもしれない人を初めから失っている」
ってことなんだなって最近では思うもの。
以前WEBで見かけた漫画で、ぼくがとても好きな絵と物語を描く人が、コメント欄では 「絵が下手」 とか好き放題に叩かれたりしているのを見たんだけど、少なくともその人が作品を投稿しなければ “ぼく” という人間の心にまで届くこともなかったんだなって思うんだ。もちろん世に出す以上は批評や批判や好き嫌いと選り好みに曝されてしまうリスクも負わなければならないんだけど、2の嘲笑と7の無関心に甘んじても、1の感動を見つけられたら、ぼくはそれで報われる気がするんだよね。
みんなに過去のデモ音源とかの公開を提案したのもそういう価値観の変化もあったからなんだ。今さら聞き手を選ぶようなところにはいないだろうって。
 
dino:
そもそもこれだけコンテンツが溢れてる世の中で誰かに発掘される確率もかなり低いもんね。俺も絵描きさんの下絵とかスケッチみるの好きやから、デモとかでも全然出す価値はあると思いますよ。なんかめちゃ話逸れちゃった (笑)。
 
神部:
うん。創作家と創作物が可視化されやすくなって星の数ほどのコンテンツが溢れてるこの時代、ものと人がめぐり合うのは途方も無い話だね。
やっぱり本音としてはきれいな音、正しい歌詞、整った演奏で聴いてほしいところだけれど、自分たちの悔しさや恥ずかしさ以上に、求めてくれる人たちの存在を信じなきゃって思うね。
 
AIこにー:
ソレテモイイジャナイ、ニンゲンダモノ。
 
神部:
しかしdinoもぼくも自分で考えたのに実際の演奏と歌唱で苦戦してたりして、『ヴァイタルサイン』 は自分たちの限界突破的な曲だったのかもね。
 
dino:
俺らは自縄自縛的な感じやし、江口もこにーちゃんもそれぞれ大変な部分ありつつで、レコーディングの中では割とハード目な曲やったかもね (笑)。
 
神部:
いやほんとに。正直あんな感じのレコーディングはもうしたくないね。次にする時は予定調和みたいにしゃくしゃく余裕で録りたい (笑)。
 
江口:
カンベさんが良い音!って言ってたのは Pearl の Retro Spec ってドラムかな、確か。
MORG の機材は本当に良い音がして気持ちよかった反面、もっともっと鳴るポテンシャルを感じて適切なチューニングと相応の実力の大切さを教えてもらったなと思う。
 
神部:
すごいなあ、機材の名前まで覚えてたのか。
くみちゃん (※Dr.江口) ってサポートから入ってもらって一緒にやり始めた時がまだ19歳で、リハビリ録ってた時は21歳だったのに、あんなドラム叩けたんだから本当にすごいと思うよ。
それでも、いい機材に触れたことで自分の限界を痛感して謙虚でいるんだからさすがだよね。
 
 
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▶レコーディング合宿の洗礼◀
 
神部:
何日間か奈良の MORG でレコーディングした時、スタッフさんに連れられて 「まりお流」? ってラーメン屋さんに背脂がえげつないラーメン食べに行った記憶があるんだけど、あれは何だったんだろう。
 
dino:
行ったなまりお流……。
小カレー大 ってなんやったんやろな。
 
神部:
その辺の記憶も曖昧なんだけど、誰か写真とか撮ってなかった?
小カレー大って何 (笑)。
 
江口:
そりゃあ小盛カレーの大盛りですよ。
 
神部:
誰か日本語に翻訳してくれる?
 
dino:
どっかにこにーちゃんが完食した小カレー大の皿こっちに向けてる写真あってんけどなあ……。
 
 
(~数分後~)
 
 

dino:

俺のサルベージ力を誉めてほしい。

 
神部:
ナイスサルベージ (笑)。
 
dino:
ちなみにこれはラーメンとセットでないと頼めないという代物で、胃袋の小さき者にとっては地獄よりも辛い責め苦なのであった……。
 
こにー:
若いし痩せてるな。この頃に戻りたい。
正式名称 ミニカレー大 じゃなかったっけ。
まりお流の外の自販機に黒烏龍茶大量にあったの思い出したわ。店主も体に悪いの分かってるんやな。
 
神部:
自販機の中身が全部黒烏龍茶でみんなで爆笑してたねえ。
どうしてMORGの人たちはミュージシャンを必ずまりお流に連れて行くんだろう……。
 
AIこにー:
ナゾヤナ。
 
 
 
 
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4.歌・音像にこめた意図
 
 
dino:
ベースだけに関して言うと、フレージングは良くも悪くも自分の手癖の集大成みたいな感覚があるかも。音色に関しては、実際にライブで演奏するよりもかなりマイルドな味付けで、他パート (特にボーカル) を邪魔しないようになってるかなと思います。
 
 
江口:
カンベさんからこの曲は歌の音程やリズムを攻めているとの話を聞いていたので、少しでも気持ちよく歌録りに臨めるようにとベーシックの時点から声を意識したかな。カンベさんの場合は、
 ロックな曲ほど繊細に
 繊細な曲ほど大胆に
というイメージでドラムを叩くと収まりが良くなる印象。
 
 
こにー:
個人的に BAA BAA っぽいロックには不安定な要素を散りばめるようにしていて、イントロ部分でもそれを助長するような弾き方をしている。
一方で間奏部分は真っ直ぐ目に弾くようにしていて、ここでは結構立ち位置的に少し後ろから全体を包むようにしているんだけど、こういう立ち位置の変化が曲全体として分かりやすくなる様に
・フレーズ
・音色
・弾き方
もパートごとに変えているので、弾き分けを聞いてほしいかな。
 
 
神部:
 1番サビが終わって間奏とブレイクの後、1分33秒辺りの間奏からぼくのオクターブ上下のバックコーラスが入ります。あの 「アーーアアーー」 という歌詞なき声こそが、ラストサビで歌われる 
「小さな祈り」
です。
ぼくは幼少期から仏教徒として、老若男女が高低入り混じった声で共に勤行 (ごんぎょう) を営む声明 (しょうみょう) を日常茶飯事として経験してきました。勤行は決して祈りや願いのためになされるものではありませんが、その厳粛で荘厳な空気感を楽曲のテーマに重ねて取り入れたかった思いがありました。
『薄氷』 では不気味さを醸し出すためにオクターブ下のバックコーラスを加えましたが、『ヴァイタルサイン』 ではそうした寺院の男女混声の声明をイメージしてあの形に収まっています。
 
 
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▶ 歌を押し出す楽器隊 ◀
 
神部:
みんなの回答を読んで感動したのは、バーバーは本当にぼくの歌を第一に考えてくれているんだよなあってこと。ライブ現役だった頃からみんながそういう意識を持ってくれていたのは分かっていたけれど、改めて言語化してもらうとつくづく幸せ者だったなと思うね。
特に面白いのはくみちゃん (※Dr.江口) の話。言われてみるとなるほどというか、ぼくの曲って激しい歌の時ほど脆い感情を、弱々しい歌の時ほど爆発しそうな感情を込めてきた節があるから、なおさらすんなりと納得できたというか。
 
こにー:
まぁ、歌もののバンドやし、みんなその辺りは大分考えるようにはしてたよね。
今新しく作るってなったら、もしかするともう少し別のアプローチとかはチャレンジしても良いかなとかは思うけど。
さっきの話じゃないけど、前はしっかりターゲットとか考えて曲を作ってた部分もあるし、そうなるとパッケージ的には歌ものになるからね。
今はもっと自由にやっていいし、そうあった方が良さそうな気がする。
 
dino:
言いたいこと全部言うてあった……(笑)。
 
神部:
ん……? ということは、次に曲作る時にはぼくの歌を無視して
こにーちゃんが爆音のギター鳴らしたり
dinoくんがファズかましたり
くみちゃん (※Dr.江口) がサンバ叩いたり
する……ってコト!?
 
dino:
一個だけ事実が混じってるんだが?
 
神部:
ファズはむしろよくある話だった。
 
dino:
_人人人人人人人人_
> B I G M U F F <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^ ̄
 
 
解説こにー:
※BIG MUFFとは、ELECTRO-HARMONIX社が発売しているギター用ファズ/ディストーションエフェクターのことで、dinoくんは過去に何度もこのエフェクターをベースに繋いで演奏してきた過去があります。

 

 

神部:
あとくみちゃん (※Dr.江口) よくスタジオでサンバ叩いてたね。
 
dino:
サンバ叩くのムズイらしいから鍛錬の一環やろな。
 
神部:
なるほど、それでだったのか……。
 
江口:
× サンバ叩いてた
○ できないから雰囲気だけ味わってた
 
神部:
くみちゃん (※Dr.江口) の自己評価の厳しさ……。
もっと自分の腕とセンスを誇っていいと思うよ!
 
 
AIこにー:
エグチスゴイ。
 
 
 
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メンバー同士で自身の楽曲を語り合う機会が初めてだったこともあり、当時の思い出話も相まって楽しく対談しているバーバー4人。
 
後半ではメンバーのイチオシポイントやランキングコーナーなどの後、Vo.神部が 『ヴァイタルサイン』 を余すことなく語り尽くします。どうぞ後半も併せてお読みください。
 
(文字クリックでジャンプ)
 
 
 

 

前回の記事にも書いた通り、今日から 『リハビリテイション』 のセルフライナーノーツを連載していきます。
 
 
第1回はもちろん 『リハビリテイション』 の1曲目 『イーハトーヴ』 。
初回ということもあり、試験的にメンバーと語り合った対談形式を顔アイコン付きでお届けします。
次回以降のセルフライナーノーツの形式は、Twitterでのアンケート等で皆さんの反応を見て決めたいと思います。
 
 
(※なお今回はGt.こにーとDr.江口が多忙のため、主にVo.神部とBa.dinoのふたりが中心になって語っていきます)
 
 
 
 
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目次
 
1.自分にとって 『イーハトーヴ』 とは
2.タイトルの由来
3.タイトルの印象について
4.韻を踏むことへのこだわり
5.制作時・演奏時に意識してきたこと
6.余談
7.Gt.こにーからのコメント
8.Dr.江口からのコメント
9.メンバーランキング
10.神部の一人語り
  ▶ 楽曲制作に至った経緯と当時の心境
  ▶ 歌詞について
11.次回予告
※追記※
 
 
 
 
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1.自分にとって 『イーハトーヴ』 とは
 
 

【神部】
早速だけどdinoの中で 『イーハトーヴ』 はどんな曲?
 
 

【dino】
そうやなあ、個人的にはシンプルなエイトビートで構成されていながらも皮肉っぽい導入の歌い出しや歌詞のある種モラトリアム感もあって、ある意味自分の中の20代を表したような曲かなと思う。
 
 
【神部】
そうだね。言ってしまうとすごく単純な作りの曲だし、後半で感情の昂りとともに音が激しくなるところとかも王道なロックサウンドだと思う。
歌詞が皮肉っぽいのは2番もだけど、ただ斜に構えてるだけのひねくれた内容では終わってないよね。
 
 
【dino】
そうやね、あくまで皮肉っぽいという体裁ではあるけど、個人的に 『イーハトーヴ』 の歌詞は現状を変えたい、自身が変わりたいけど変われない自分へのフラストレーションとか、そういうところに良さがあるんじゃないかなあと思うよ。
慈雲的には 『イーハトーヴ』 はどういう曲?
 
 
【神部】
自分の中ではとても優しい曲だと思ってるんだけど、さすがに外見上は攻撃的な内容だから、歌詞を書き上げた当初は 「こんな言葉を歌にしていいのか?」 って少し不安になったことを覚えてるよ。自分にしては思い切ったなあって。形にするのは結構勇気が要る歌だった。
『イーハトーヴ』の中にある悪意とか敵意とか皮肉は、やっぱり
「変われない こんな不甲斐ないぼくでも 明日を迎えたいよ」
って気持ちの裏返しというか、満たされたいからこその苛立ちや悲しみの表れだと思っていて。
 
 
【dino】
前身バンド時代の慈雲には書けなかった歌詞かもしれんね。そういう意味でもこの曲がアルバムの1曲目にきてるっていうのはバンドの (というか慈雲の) 成長みたいなのを提示できたかもしれんね。
 
 
【神部】
『アドバイス』 (※前身バンドTHE VESPERS 『昨日のおとしもの』収録曲) の経験が活きたのかも。
下手をすればいきなり反感を買うような、しかもキラーチューンでもないこの曲をアルバム1曲目に持ってくる辺りでぼくらのひねくれ具合がよく分かるよね(笑)。 試聴機でこれを最初に聴いただろう人のことを考えると、今さらながらちょっと申し訳ない気持ちになる。
この歳になって読み返すと、どうしても不満を叫んで駄々こねてるだけのように見えてしまう部分もあるんだけど、共感してくれる人はきっといるはずだって思って作ったんだよね。
そうそう、dinoは三条木屋町モダンタイムスでこの曲を演った時のこと覚えてる?
 
 
dino】
モダンタイムスでのライブで 『イーハトーヴ』 やったこと……正直あんまり覚えてないな。なんかトピックスあったっけ?
 
 
【神部】
その日はぼくら目当てじゃない社会人のお客さんが結構いたんだけど、『イーハトーヴ』 はライブで演奏しても全然人気のない曲だったのに、2番Aメロの
「全然頼りにならない上司」
辺りからお客さんたちがウオオって盛り上がり始めて(笑)。ライブが終わった後にも、初めて会う人たちが
「めっちゃ分かります、うちの上司もほんとにひどくて……」
なんて話し掛けてくれたんだよね。
その時に、「ああ、必ずどこかに分かってくれる、共感してくれる人はいるんだなあ」 ってしみじみ感じたんだ。だからぼくはその日のことをよく覚えてる。
 
 
【dino】
なるほど(笑)。
確かに 「全然頼りにならない上司」 ってフレーズは会社勤めの人にとってはめちゃくちゃキラーフレーズやろうな(笑)。
そういう一期一会の出会いで一発で共感してもらえるという意味でこの曲の持つ力は凄いなと思う。
 
 
【神部】
「頼りにならない」 どころか殺意さえ抱く人もいると思うし、というかぼく自身がまさにそうだったし、歌詞をそう書いてもよかったんだけれど、人の憎悪を増長させるための曲ではなかったからやめたんだよね。
今の時代だったら 『うっせぇわ』 とかの方がはるかにそういう共感を呼んだだろうけれど、『イーハトーヴ』 は似たようなこと言ってるようでまったく別の意図をこめてるから、この曲にはこの曲の “役割” があったんだろうなあ。
意外にも 『イーハトーヴ』 がいちばん好きだって聴き手もいたし、どんな形で自分たちの音楽が受け止められるかは、相手の手に委ねてみないと分からないってことがあるのかもね。
 
 
【dino】
そうなんよね、ライブで盛り上がる曲だけが人気があるってわけじゃないもんね。人には人の音楽の受け止め方があるから、書き上げた当初慈雲は少し不安だったやろうけど、実際世に出してみて受け入れてくれる人がいて……っていうのは本当にありがたい事やね。どの曲にも言えることやと思うけど。
 
 
【神部】
本当にdinoの言う通りだね。ともすればただの “公衆トイレの落書き” とか “チラ裏” とか言われて終わるかもしれないって不安も、誰かが意味のあるものとして受け止めてくれると、作ってよかったなって思えるよね。
 
 
【dino】
ある意味音楽における歌詞って、どんな有名な曲でも突き詰めれば “チラ裏” なんかもしれんよな、とちょっと思ったわ。めちゃくちゃ暴論やし言い方はアレやけど、どんな便所の落書きからも汲み取れる思いがあって、それを気にいる人がどこかには必ずいると思うのよね。もちろん僕らや、慈雲は便所の落書きと思ってやってるわけではないんやけどさ(笑)。
 
 
【神部】
確かにそうかも。言いたいことはとてもよく分かるよ。あくまで始まりはものすごくパーソナルなものであって、それ以上でも以下でもないんだよね。あとはどれだけ多くの人がそれを 「自分と同じだ」 って錯覚できるかってところにウケるウケないの境目があるのかも。もちろんそれ以外の要素だって山ほどあるけれどさ。
ぼくらはそれこそ “BAA BAA”(メーメー) だから、狭いマンションの一室から弱々しく叫んだ思いが、こうして思いも寄らない形で他者の耳と心に届いていくってことは幸せなことだよね。
そしてぼくらにとってはそんな瞬間こそが、あの曲で歌った 「誰かと笑い合える場所」 、つまり 「イーハトーヴ」 なんじゃないかな。
 
 
【dino】
そうね、ここじゃないどこか、つまり劣悪な現状から抜け出した先で笑い合えるところこそが 「イーハトーヴ」 なんやろうな。
 
 
【神部】
うんうん。 『イーハトーヴ』 で言う 「ここじゃない」 の 「ここ」 っていうのは、単純に自分が置かれている境遇や環境だけではなくて、本当は 「自分自身が他者を憎んだり侮ったり蔑んだりしている心の在り方」 なんだってぼくは思ってる。
「“ぼくだけの”イーハトーヴ」 なんて存在しないに決まってるんだよね。全部を否定して拒絶して孤独の中にいる人間が、理想郷に辿り着けるはずがないんだからさ。
 
 
 
 
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2.タイトルの由来
 
 
【dino】
ちなみに 「イーハトーヴ」 っていう言葉の引用元は?
 
 
【神部】
これ前にも話したことあったっけ? 「イーハトーヴ」 は宮沢賢治の物語に出てくる理想郷のことなんだよ。岩手県の 「いはて」 を文字って 「イーハトブ」 とか 「イーハトーヴォ」 とか、宮沢賢治はいろいろな表記をしていたみたい。
個人的にいろいろな観点から宮沢賢治をそこまで好ましく感じている訳ではないんだけれど、たぶん小さい頃によく読んだ物語が頭の片隅に引っ掛かってて、拝借したくなったんだろうなと思う。あんまり曲のタイトルになさそうな独特の響きってところも好きで。
でもよく考えたらサン・テグジュペリの 『夜間飛行』 を拝借したりもしていて (※前身バンドTHE VESPERS 『昨日のおとしもの』収録曲) 、これはもうぼくの趣味みたいな領域なのかもしれないね。
 
 
【dino】
なるほどね。自分はあんまり活字読む習慣のあるタイプではないから、宮沢賢治も正直国語の授業で習ったくらいの話しか知らんかったのよね。
小説や英語から楽曲のイメージやタイトルを拝借するってのは (もちろんその逆も) 割とよく目にするけど、引用元は個人が歩んできた道によって違うから、そういうのはイチ受け手として単純に楽しんでる。なので今後も良い趣味としてとっといてください(笑)。
 
 
【神部】
国語の教科書なら 『やまなし』 とか?  「クラムボンはかぷかぷわらつたよ」 のやつ。ぼくは 『オツベルと象』 だったよ、ってこれどうでもいいね。
ぼくの中では宮沢賢治はオマージュ、サン・テグジュペリはリスペクトって感じで名付けたけれど、どういう思いや願いでつけるかっていうのは本当に千差万別だろうから、作り手ごとのこだわりやクセみたいなものも作品鑑賞の醍醐味かもしれないね。今後も何かそういう出典元ある系の曲作れたらいいな。
 
 
【dino】
そうそう、 『やまなし』 だったな。 『オツベルと象』 はもはや分からんな……。
楽曲内で他楽曲のフレーズや音色なんかの引用なんかも作り手のバックボーンが見えて聴き手としては楽しかったりする部分でもあると思うけど、他媒体の作品からの影響がある作品ってのは今後も単純にあっても楽しいよねと思うよ。
 
 
【神部】
この話がやまなしオチなしだった(笑)。
うんうん。 「このフレーズって絶対あの曲のオマージュでしょ」 って気付く時とか楽しいもんね。
実はもうずっと前から他媒体のタイトルを拝借したい、というか、その作品の内容自体を曲にしたいと思っているアイディアとかもあったんだけど。結局形にできずじまいで今日まで来てしまった、なんてこともあるね。
 
 
 
 
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3.タイトルの印象について
 
 
【神部】
dinoはこのタイトルを聞いた時、どう思った?
 
 
【dino】
『イーハトーヴ』 ってタイトル自体、個人的に聴き慣れない単語やったから、説明受けるまで 「なんのことなんやろう?」 くらいに当時思ってたような気がする。でもまあ、説明を受けて腑に落ちた感じかな。理想郷を表す単語は他にも色々あると思うけど、「イーハトーヴ」 っていう語感は慈雲っぽいなと思った。
俺の知る限り慈雲は 「エルドラド」 とか 「ニライカナイ」 とかじゃないやん(笑)。
 
 
【神部】
今言われて思い出した。そうなんだよ、ぼくが 「ユートピア」 とか 「アヴァロン」 って歌うのは違うだろうって思ってた(笑)。
 
 
【dino】
アヴァロンはギリギリかろうじて言ってそうかな……(笑)。
 
 
【神部】
一部の人はアヴァロンが別の言葉のルビとして脳内再生されてそうだから絶対に言わないよ(笑)。
 
 
 
 
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4.韻を踏むことへのこだわり
 
 
【神部】
タイトルを 『イーハトーヴ』 に選んだもう一つの理由は、
「イーーハトーーヴ」
って歌に対して、
「いいーやとーー」
とか
「しーーたをーー」
って韻が踏みたかったってこともあったかな。この曲も韻を踏むことを大事にしてる曲だから。
 
 
【dino】
そうやね、この曲に限らず慈雲は結構同メロディーの韻を大切にする傾向はあるな。
 
 
【神部】
その辺はやっぱり洋楽や海外の童謡、あとJラップの影響だと思う。しっかり韻を踏んだ歌っていうのは、1番と2番とか、全体を通して聴いた時に、無意識レベルで心地よく感じられるものだと思っているし、ぼくの書く歌は内容的に楽しくないメッセージ性の強いものだから、せめてどこかに 「音」 を 「楽」 しむ要素があって欲しいなって。
 
 
【dino】
あくまで歌をひとつの楽器として見た時に、単語の響きを楽しめるってのも音楽としての大きな要素やもんね。
 
 
【神部】
そうそう。言葉はメッセージだけでなく、同時にリズムだったり音色 (おんしょく) だったりするから。
たとえばトレモロイドの小林陽介さんの書く歌詞は、ぼくには絶対真似できないような言葉の組み合わせで、もはや意味内容を超えた質感としての “音” を歌詞にしてるんじゃないかとさえ感じさせられるんだよね。歌詞と一口に言ってもいろいろな役割があるなあと思う。
 
 
【dino】
言葉としての内容を保持しつつ韻もしっかり踏んでいくってなると、これまたちょっと職人仕事っぽい感じになるわけね。
 
 
【神部】
そうなのさ。書き表したいことと、メロディ上の文字制限、それらの大前提の上で韻を踏むっていうのはすごく難しい作業なんだよ。そこに心血を注いできたし、上手くいった時はかなりの達成感があったね。
それだけ苦労していたからこそ、いつもスタジオでみんなにどこがどう韻を踏んでるかって力説してきたけれど、大体はこにーちゃんに 「分かってるから」 って冷たくあしらわれて終わってたなあ……(笑)。
 
 
【dino】
まあこにーちゃんは分かってるかもしれんけど、他の人は分かってないかもしれんから元気出して(笑)。
 
 
 
 
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5.制作時・演奏時に意識してきたこと
 
 
【dino】
曲全体に対しての 「歌」 もそうやけど、慈雲はギター弾きながら歌ってるわけで、その辺りでなんか特に 『イーハトーヴ』 を作ったり演奏したりする中で気を付けてたこととかある?
 
 
【神部】
この曲はよくも悪くも音数が少ないから、バッキングギターがきちんとリズム隊と融合して、歌・リードギター・リズム隊の圧って3要素にまとまって聞こえるように心掛けたかな。
そもそも 『リハビリテイション』 を発売する前に、バンドとしてもっと成長しなきゃいけないって意識が高まって、バンドアンサンブルを整えることに注力した時期があったじゃない? その時にくみちゃん (※Dr.江口) から指摘を受けてドラムとバッキングのリズムを揃えることの大切さを改めて気付かされたおかげで、シンプルな 『イーハトーヴ』 にも説得力が出たんだろうね。
レコーディングするにあたって、バンドアンサンブルって観点でもこの曲は以前よりきちんとした構造で組み立てられたんじゃないかなと思ってるよ。
 
 
【dino】
そういえばアンサンブル強化期間として少し時間を設けたことあったね。
イーハトーヴは曲がシンプルな分そういった基本的な事が露骨に演奏に出る曲かもしれんね(笑)。
 
 
【神部】
あの時は3ヶ月間のライブ活動休止でも長く感じたのが、今では5年だからなんとも言えないね。
 
 
【dino】
ほんまになあ。わからんもんですな……。
 
 
【神部】
この曲はdinoもぼくと同じでずっと8分連打だけど、演奏しててやり甲斐とか楽しさを感じるのはどのへんだった?
 
 
【dino】
自分は演奏面においては8分音符を連発する事は常なので、気を付けてることは慈雲と大体同じかな。
基本的には大体どのライブでもわりとほぼ同じフレーズを弾いてるけど、フレーズ構成については後半の歌詞や歌唱での気持ちの昂りに合わせて気持ちを盛り上げるようなフレーズを意識して作ってはいるかなあ。
 
 
【神部】
うん、塩むすびと同じで、シンプルな分だけ素材や作り方にこだわらなきゃいけないってことだね。 
dinoは (特にぼくの) 歌心をとてもよく理解しているベーシストだから、昔から曲の展開に合わせてフレージングしてくれるよね。
 
 
【dino】
先述のように曲がシンプルだからこそ丁寧に演奏して、曲を波に乗せて行くみたいなイメージで演奏してて、それは楽しいかな。
 
 
【神部】
丁寧に演奏しつつ、 「曲を波に乗せていく」 って表現いいね。その感覚とてもよく分かる。全員が同じグルーヴを刻んで音の塊になった瞬間ってすごい恍惚感だからなあ。
 
 
【dino】
なんかステージ上である種の 「すごく整理されたカオス」 っていうと相反するものに感じるけど、そういうものに全員でなる感覚っていうのも独特よやあ。
 
 
【神部】
dinoは相変わらず面白い言い方をするよね。みんなもそうなのかは自信がないけれど、ぼくの場合は自分とみんなの境目がなくなって、途轍もなく長い時間が瞬きする間に過ぎ去っていくような感覚になっていたよ。
日本橋ヨヲコ先生の言葉を借りるなら、
「こんなに溶け合えるもの、ほかにないわ」
としか言いようのない、神秘的な体験だよね、あれは。
 
 
 
 
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6.余談
 
 
【神部】
そういえば中学3年生のぼくの甥っ子が 『イーハトーヴ』 をよく歌ってくれているらしくて。
自分の親戚が時を越えて聴き手になってくれるっていうのは、びっくりな話だよね。
 
 
【dino】
音源、作っとくもんやなあ……。
そういう風に今でも親しんでくれてるのはありがたいなあ。
 
 
 
 
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7.Gt.こにーからのコメント
 
 
【こにー】
『イーハトーヴ』 はギターがいつも使ってるメインのギターじゃなくって、ジャガー使ってるんよな。
これによって、他の曲に比べてちょっと音が軽い感じになってるんやけど、個人的には特に江口のドラムを聴いて欲しいなーと思ってやってたのよね。
シンプルなビートって、すごく単調な毎日みたいなものが現れてる気がしてて、特にこの曲の江口のスネアの叩き方が結構好きでそこが目立つような音作りにしてる感じ。
 
あと個人的にはそのギターは弦ごとの音の分離感があって、ワンストロークの中でもどの弦にアクセントを置くかでコードの表情が変わるから、同じようにジャーンと弾いてる部分でもそれぞれの違いを聞いてもらえると嬉しかったりする。
 
 
【神部】
こにーちゃんは普段はポールリードスミスだけど、 『イーハトーヴ』 だけジャガーだったか。
くみちゃん (※Dr.江口) が叩いてる8ビートの、特にギターソロ辺りのビート感、あの辺とかとてもいいよね。いつもスタジオ練習やライブの時に、音の勢いが増すにつれてダンサブルな叩き方になるくみちゃん (※Dr.江口) を見てるのが好きだったなあ。
ブログ記事 「“さいしょ”の聴き方」 でも少し触れたように、そういうこにーちゃんのギターや各メンバーの演奏の細かなニュアンスにも耳を研ぎ澄ませてもらえたら、ぼくらとしては本望だよね。
 
 
【dino】
あ、こにーちゃんのギターのくだりで思い出したんやけど、この曲だけリッケンバッカー使ってるお。
他の曲は今は手放したジャズべで弾いてるんやけど、この曲はシンプルな構成なのでちょっとベースの音にアクセントが欲しかったからっていう単純な理由でした(笑)。
 
 
 
 
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8.Dr.江口からのコメント
 
 
【江口】
演奏時のイメージとしては 「泥臭いもがき」 で、無力な自分を見ないふりして、打破したい現状を無理やり押し進めているような感じ。
シンプルなリズム隊は粗が目立ってしまうので、それを隠すという意味合いも重ねてドシドシ突き進むように意識してた。
 
アルバムの中でこの曲だけカンベさんのブレスから始まるから、演者の俺たちにとって特別な始まり方 (曲の機嫌をカンベさんに委ねる形) になること、加えて歌詞の冒頭が 「疲れた」 で始まってアルバムタイトルの “リハビリテイション” の意味合いをいきなり聴き手にぶつけるから、 「始まりの曲」 って認識が強くなって、アルバムの曲順決める時にこの曲は迷いがなかった気がする。
 
あとライブとCDの違いというか、俺たちのアンサンブルは基本的に清流じゃなくて濁流になるようにできているので、そういう意味でも自己紹介というか口上というか、 
「俺らこんな感じやから期待してた感じと違ったらすまんな!」
って観客にジャブできる曲という認識。
 
 
【神部】
くみちゃん (※Dr.江口) はこれまた簡潔明瞭、かつ核心にも触れるコメントをくれたね。改めて感じるのは、うちのメンバーはミュージシャンとしてのプレイヤー的な意識はもちろん、表現者としての視座もしっかりと持ち合わせて楽曲に向き合ってくれるよね。そういうところがバーバーの自慢だな。そして締めくくりには自分たちのことながらちょっと笑ってしまった。
 
 
 
 
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9.メンバーランキング
 
 

『イーハトーヴ』 ランキング

 

神部: 9位

こにー: 4位

dino: 5位

江口: 7位

 

 

 

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10.神部の一人語り
 
 
▶ 楽曲制作に至った経緯と当時の心境 ◀
 
『イーハトーヴ』 は、 『リハビリテイション』 発表に向けて楽曲を次々に作っていた2012~2013年にかけて、ガス抜きの気持ちで書き始めた記憶があります。ドラマチックだったりキャッチーな印象の歌は他の楽曲がその役割を負ってくれるだろうと思ったので、あまり複雑なフレージングや奏法はしないシンプルな構造で、かつアルバム収録予定曲の中では少なかった明るめの音像で作ろうとしました。
 
当時のぼくはアルバイトに出勤する時やライブハウスに向かう時、 二条livehouse nano の店長 もぐらさんから貸してもらった中村一義の 『セブンスター』 をよく聴いていました。

オブリを効かせたメロディアスなギターを、飾らないストレートなエイトビートに乗せて、どこか宙を漂うような飄々とした声で歌われる、現実への落胆と理想の自分を希 (こいねが) う思い。この楽曲のそんな音像と詩世界に同調していたぼくは、自分にとっての

「クソにクソを塗るような 笑い飛ばせないこと」
が何なのだろうと考え、またそれをどうにかして歌に落とし込みたいと思っていた節があったような気がします。
 
『イーハトーヴ』 を生み出す一つの契機というか、ヒントになってくれたことに違いはないので、興味を持たれた方はぜひ一度聴いてみてください。
ちなみにぼくは1番サビ終わりのリバースエフェクターによるギターフレーズから楽曲が始まる、アルバム 『100s』 収録版の方が好きです。
 

 

 
 
▶ 歌詞について ◀
 
これまで様々な楽曲で他者への怒りや皮肉めいた負の感情を歌にしてきたように、この歌でも同様のエナジーを出発点に書こうとしたぼくの頭に最初に降って湧いたのは、身も蓋もない
「疲れた」
の一言でした。くみちゃん (※Dr.江口) もコメントしてくれていた通り、これが結果的に 『リハビリテイション』 の11曲を紐解くための重要なキーワードになるとは自分自身思いもよらなかった訳ですが、結果的によかったと感じています。
なぜこのアルバムが 「疲れた」 の一言から始まるのか。これから一つずつ楽曲を語っていく上で、ぜひこの問いを抱きながら付き合ってもらえたらと思います。
 
歌詞の内容はおおよそ実体験に基づいて書かれたものです。ただ、以前に スタジオラグ様から取材いただいた際のインタビュー でも語ったように、私小説的にぼくの体験をありのまま馬鹿正直に書き連ねたという訳でもありません。
 
一部の鋭い聴き手の人からは既に指摘された過去もあるのですが、ぼくの書く楽曲はいつも、
「ここにいる」
「ここにいない」
という存在の有無、自己と他者、その心の所在がテーマとして根底にあります。 『イーハトーヴ』 はまさにそんなぼくの特徴が顕著に表れた歌で、実際サビでも自身の置かれている境遇について 「ここじゃない」 と繰り返しています。その点ではこの楽曲も紛れもなく “ぼくの歌” と言ってもいいでしょう。
ですが多かれ少なかれ、誰しも一度は集団の中で居心地の悪さや疎外感、場違いに思える感覚を抱いた経験があるのではないでしょうか。自分の現状、自分を取り巻く環境に対する不満やもどかしさならなおのこと思い当たる節があるはずです。
 
『イーハトーヴ』 ではそういう鬱屈とした感情の原因を他者や環境に見出そうとしていて、自分の不快感や嫌悪感を根拠にさえすれば、どこまでも他人を侮蔑し貶めていいとでも言いたげな独白が続いていきます。
しかし、他者に向ける刃は結局どこかで自分に返ってきてしまう定めなのかもしれません。不満や渇望や苦悶によって機能不全に陥っていく心の、本当の在り処を求める思いが人として自然な葛藤なのだとしても、たとえば
「もしも自分がもっと違う生き方ができたなら」、
「もしも誰かを恨まず妬まずにいられたなら」、
といった自己嫌悪や自責の念をひとたび抱いてしまえば、真に問題なのは自らを取り巻く環境でも周囲の人間でもなく、自己自身に他ならないのではと気が付いて、愕然としてしまう場合もあるでしょう。
そして、それ自体もまた結論とするには不十分です。これではただ傷付ける相手を、他者から自己に変えただけの話になってしまっているからです。しかも自分を苦しめる環境も他者も、既に現実の問題として起きてしまっている以上、何の解決にもなりはしません。
それならぼくらは一体、心をどんな色にして歩むべきなのか?
 
1番2回目のAメロの終わりも
「泥だらけの尊厳は どこで報われていく?」
という、どこに向かって叫んでいるのかも分からないような悲鳴じみた問いで結ばれていますが、これらの問いへの答えは、すでにdinoとのやり取りで語った通りです。
 
誰からも罵られず、誰からも嗤われずにいられる場処を見つけていく意思と欲求は、誰にだって必要で、守られるべきものです。ただ、それだけを追い求めていくと、自分でも知らずしらずの内に生ぬるい甘やかし合いの場へと逃避していく在り方になり兼ねません。
嗤われない安全圏に逃げ続けるのではなく、嫌気が差すほど不甲斐ない “ぼく” と “あなた” のままで、いつか笑い合って、ゆるし合えたなら。
 
その時にはきっと、ぼくらが立っている場処はほんとうの
ここ = イーハトーヴ
になるのではないでしょうか。
 
まったく同じとまではいかなくとも、顔では笑って心では怒りや恨みを蓄えた過去のある人たちが、この歌を聴いて、もしも自分の悲しみや苦しみを見出してくれるのなら。その後でも構わないから、どうかそんな思いを互いに抱ける日が来ますようにと、願っています。
 
 
 
 
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11.次回予告
 
 
ライブで演奏する機会は少なかった曲だけれど、こうして話してみると、やっぱりぼくら一人ひとりの中にきちんと根を張った曲だったんだな、と思い直しました。
 
メンバー自身が楽曲を語っていくセルフライナーノーツ第1回、『イーハトーヴ』はいかがだったでしょうか?
このメンバー間のやり取りを読んで、また違った味わい方でもう一度耳を傾けてみてもらえたらと思います。
 
 

 

※追記※

Web上から直接ブログにアクセスされている方向けに、Twitterのバンドアカウントでツイートしたアンケート投票のリンクを貼付しておきます。

その下はちょっとしたおまけです。

 

 

 

 

 

 

 

 

次回のセルフライナーノーツ第2回は全バンドマンと創作家にとって永遠のテーマを歌にしたあの名曲、『ヴァイタルサイン』をメンバーが語ります。

更新は2月19日頃を予定していますので、一ヶ月後をお楽しみに。それまでに未発表デモ音源の公開も一つできたらと考えています。

 

 

皆さん、どうぞ身体と心を大切にお過ごしください。

 

 

 まだ続いていく

 きみのいない明日を

 終わらせない

 痛いほど 優しさをくれた日々を

 

 まだ きみが見た夢の続く明日を

 終わらせない

 いつかまた

 同じ場所で会う日まで きっと 

 

 

     ―― 『さよならだけがすべてなら』

 

 

 

 

 

 

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■お知らせ■

 

1.音源の複製・譲渡・配布・配信のフリー化

 

2.デモ音源の特別公開

 

3.メンバー対談・セルフライナーノーツ公開

 

4.10周年記念イラスト

 

 

 

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1.音源の複製・譲渡・配布・配信のフリー化
 

 

 

これまでBAA BAA BLACKSHEEPSが発表・発売した、

 

『セミホロウ』 (SFR-001)

『昨日のおとしもの 』 (SFR-002)

『Baa Baa Blacksheeps 1st demo』 (SFR-003)

『リハビリテイション』 (SFR-004)

 

以上の4アルバム計21曲について、これらすべての音源の複製や譲渡ないし配布、また動画等の配信目的での利用を、今後は自由に行っていただいて構いません。

 

 

 

「許可」と言うよりはむしろ、「奨励」と言った方がふさわしく思います。

 

 

新しい音源の制作・発表が叶わなくなって、せめてもの思いで『リハビリテイション』のサブスクリプション配信を開始しましたが、これからもまだ幾人もの人たちがぼくらの音楽と出会ってくれる機縁となるのであれば、できうる限りその可能性を広げたいとぼくらは考えました。

 

 

なぜなら、ぼくらにとってこれらのCDと音源はもはや、「活動資金を得るための収入源」などではなく、あなたたち聴き手一人ひとりとぼくらが同じ時間を共に生きた証だからです。

 

 

 

10年の歳月が経過した今、BAA BAA BLACKSHEEPSとしては、今でもぼくらの音楽に耳を傾けてくれる方がいるだけで、それはとても幸せなことです。

 

聴く人を幸せな気持ちにしてあげられるような音楽ではなかったかも知れないけれど、あなたや、まだ見ぬ誰かが、で始まる時間の中に何かの意味を見出してくれるなら、ぼくたちは過去・現在・未来を飛び越えて何度でも出会い直せるはずだと。そう、思います。

 

 

 

もしも、この記事を目にしたあなたが望むのならば、お手持ちのCDや楽曲データをコピーするなりCD-Rに焼くなり、ドライブ経由で送信するなり、どんな形でも構わないので、ご家族やご友人に手渡してあげてください。

 

 

そうして、あなたやあなたの周りにいる人たちが、ぼくらの音楽を毎日の彩りに添えてくれたのなら、よろこびは尽きません。

 

 

 

 

 

 

ただ、決して著作権を放棄した訳ではないので、その点だけご留意ください。

 

 

 

もし商用利用、または明らかな利益獲得のための利用であれば、事前に

b.b.b.sheeps■gmail.com (■を@に置換)

までご一報いただきますようお願いします。

 

 

また、動画や創作物等での使用時には、

制作:BAA BAA BLACKSHEEPS (「制作:」はなくても可)

( あるいは 作詞作曲:神部慈雲 )

といった表記でクレジットに明記していただければ幸いです。

 

 


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2.デモ音源の特別公開



BAA BAA BLACKSHEEPSが活動を休止するまで、ライブでは演奏していたものの、レコーディングには遂に至らなかった『リハビリテイション』制作以後の楽曲群について。

 

 

過去、メンバー同士の確認や復習のために練習スタジオで簡易的に録音したデモ音源を、今後You Tube上 (←クリックでチャンネルにジャンプ) にて順次公開していくことにしました。

 

 

 

楽曲の骨子が一通り完成した際、ライブでの演奏に向けて暫定的に記録を取る意味で録音したものなので、ところどころ演奏ミスや歌い間違いもありますし、中にはスマホ録音による音質が劣悪なものもあります。

 

 

ぼくらからするとあくまで完全に身内限定の、恥ずかしさも残る音源ではありますが、ライブに足を運んでくれていた方もそうでない方も、既知の音源以外にぼくらの楽曲を聴いてもらえたらという願いをこめて、公開を決意しました。

 

 

 

各曲ごとに簡易的な動画を制作し次第アップロードしていくので、ぜひYou Tubeのぼくらのチャンネルを登録の上お待ちいただければと思います。




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3.メンバー対談・セルフライナーノーツ公開
 

 

 

この10年を振り返って、BAA BAA BLACKSHEEPSのメンバー4人で、改めて自分たちの足取りについて語り合う時間を設けたいと考えてきました。

 

いちばん望ましいのは映像や音声配信等でお届けすることですが、何分メンバー全員の生活時間がかみ合わないこともあり、もしかするとこのブログでの文字による発信になるかも知れません。

 

いずれにせよ、単純な思い出話や雑談に留まらず、これまで制作した楽曲のセルフライナーノーツ的な話も、メンバー全員から語ることができればと思っています。

 

 

 

そして、対談に先立ち、もしもあなたからBAA BAA BLACKSHEEPSに聞いてみたいこと、教えて欲しいことなどがあれば、ぜひ質問や要望などをお聞かせください

 

 

 

BAA BAA BLACKSHEEPSのTwitterアカウントにて同様の質問・要望を募集するツイートをするので、そちらのリプライ欄でも結構ですし、他ユーザーに見られたくないということであれば、DMでも、

b.b.b.sheeps■gmail.com (■を@に置換)

宛に直接メールでも構いません。BAA BAA BLACKSHEEPSの4人の対談中に取り上げて欲しい話題をお伝えくださると、とてもうれしいです。

(言うまでもなく、悪意ある発言・誹謗中傷を目的としたメッセージにはお答えしません)

 

 

 

これまであまり語ることがなかった側面、BAA BAA BLACKSHEEPSの素顔について、新たに知っていただけるようなものになることを願っています。

 

 

 

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4.10周年記念イラスト

 

 

 

イラストレーター・comaco様よりBAA BAA BLACKSHEEPS10周年を記念してお祝いのイラストをいただきました。Twitterにも掲載しますが、せっかくなのでこちらにも掲載しておきます。

 

一切の無駄をそぎ落としたシンプルな線にもかかわらず、どれが誰かもはっきりと分かる卓越したデフォルメ感に、思わず感嘆の笑みがこぼれる素敵な一枚だなと感じています。

 

 

 

 

 

comaco様はイギリスの映画監督、エドガーライト監督からも評価を受けているイラストレーターです。

ご興味のある方はぜひ上記のリンクからcomaco様のInstagramアカウントも覗いてみてください。

 

 

 

 

 

 

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今までだったら、最後の一言は大体

 

「それじゃあ、またヘッドホンの中でお会いしましょう」

 

と締めくくってきたところだけれど、これだけの歳月が過ぎ去った今、ぼくらがあなたとヘッドホンの中で会えることも、もうほとんどなくなっただろうと思います。むしろ、これから先必ず、ボタンが押される日が来なくなることも分かっています。

 

 

 

けれどそれは、何も悲しいことばかりではないのです。

 

 

 

大切なことは、どんなにたくさんのものが手のひらからこぼれ落ちていったとしても、あなたがあなたを続けているという尊さです。

 

失って、傷付いて、迷って、思い悩んで、すり切れて、疲れてもなお、かすかな光を求めて、自分自身や、自分以外のすべてを問い続けるしかなかった、かつてのぼくらのように。

 

あなたもきっとまた、あなたがあなたでいるための理由を、明日を待つための理由を探し求めて、大して面白くもない、ともすればうんざりするような毎日と戦いながら、それでも時々は、ささやかな幸せに笑っているはずだと、そう信じています。

 

いつどんな形で別れが来て、その時に悔やむのか、それとも「これでよかったんだ」とうなずけるのかも、まだ分からないかも知れません。

 

その問いかけと、答え合わせの繰り返しこそが、ぼくらのゆくべき道なのだろうと。そんなことを、最近は考えています。

 

 

 

言い尽くせないほどのありがとうと、言い足りることのないごめんなさいが、今でもこうしてぼくの心臓を締め付けてやみません。この温かさも、この痛みも、すべてはあなたがぼくの生きる毎日に刻みつけてくれた、忘れがたき勲章です。

 

 

 

多くは望みません。ただ、いつかぼくと同じ景色を見て、同じ風に呼吸して、同じ夜にきらめきを夢見たあなたが、ただただそのいのちを少しでも穏やかに全うしていけるよう、ささやかでも願わせて欲しいのです。

 

 

 

そうして、時々でもいいから、ふっと思い出してくれることがあれば。あなたのまぶたの裏側で、あの頃の姿のまま、ぼくは優しく笑っていることでしょう。

 

 

 

だからあなたも、どうか笑っていてください。

 

 

 

■でも終わらない、時間の中で。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

深い恩愛の情をこめて

 

 

 

Vo.Gt.神部慈雲

 親愛なるぬーまさんへ





 ぬーまさん、月日が経つのは本当に早いですね。あれからもう3年です。


 こんな手紙をしたためていることを、あなたがどんな風に受け止めるか、おぼろげながら、いつかのあなたの姿を思い浮かべながら、記しています。きっと照れくさそうにしながらも、なんだかんだ温かいハグのあと、笑ってくれるのだろうと思います。



 ぬーまさん、月日が経つということは、本当に残酷ですね。

 あなたがそちら側に還られてから、たくさんのことが変わっていきました。ぼくについてだけでも、その様々の変化の中には、あなたを悲しませてしまう、がっかりさせてしまうことも少なくないでしょう。ぼくたちは、たかだか数年でこんなにも変わってしまうものなのだと、ぼくも自分の日々を振り返れば振り返るほど、そう、かみしめています。


 そしてその移ろいの中で、ぼくも、あいつも、あの子も、彼も、あの人も。

 自分の望む望まざるにかかわらず、きっと少しずつ少しずつ、この痛みと悲しみが薄らいでいってしまうのだろうと、静かに予感しています。

 愛する心がどんな色であっても、優しい気持ちだけで明けていったはずの夜さえも、何もかも、いつかは壊れて、崩れ去り、灰になって、風に溶けて還っていくのだろうかと。
 

 ぬーまさん。それなのにどうして、こうもぼくらは変われないのでしょう。どうしてぼくらは、いつまでも同じことを繰り返すのでしょう。

 

 


 あなたがあの日、その全生涯を賭してまでぼくらに教えてくださったのは、永遠のものなど無く、ぼくらひとりひとりが、この世に生きとし生けるすべての者が、あらかじめ死すべき者として約束されたいのちを生まれてきたということでした。

 それは液晶画面や、紙切れの向こう側の他人事の非現実ではなく、まさにぼくら自身の、全身の血管という血管に鋭く、冷たく流れ込んできた、どうしようもない絶対不変の真実として、ぼくらの信じていた世界を、瞬く間に変えてしまったのです。

  ぼくらはあの日学んだはずでした。この世に「まさか」なんてことはなかったこと、「まさか」と思っていたのは自分だけだったのだということ。どれだけ日々をよろこびや楽しみで満たそうと努力しても、ある日突然に現実が容赦なく襲い掛かってくるということ。年老いているからと言って直ちにこの世を去る訳でもなく、若いからと言って何十年も生きる保証がある訳でもないということ。どれだけ愛しいひとだろうと、いつかは必ず別れなければならない日が来るということ。

 そんな人生は、そんなぼくらの人生は、生きる苦しみ、老いる苦しみ、病に倒れる苦しみ、死んでゆく苦しみに満ちあふれ、その時その時の出来事に振り回される内に、やがて空しく過ぎ去っていくのだということ……。
 

 それなのに。

 それなのに、ぼくらはそんなことさえ忘れていってしまうのです。自分が今ここで生きている尊さも、かつてすぐそばで生きていたひとがいた尊さも、まだ共に生きるひとがいる尊さも、ろくに見つめようともせず、感謝も詫びもないまま、ただ相変わらず当たり前のように毎日を、いのちをいたずらに消費して、それでなお恥じることもないのです。

 

 


 ぬーまさん。どうしてぼくらは、自分のことしか考えられないのでしょう。どうして自分の都合や、自分の願望や、自分の欲望を満たすことしか頭にないのでしょう。どれほど耐えがたいことだろうと、決して逃げることのできない悲しみがいつか必ず訪れるというのに、いや、むしろぼくらにはすでに訪れていたというのに、どうしてぼくらは、それをまっすぐにありのままに見つめることができず、一時の幸福や快楽という砂の城に目がくらんでしまうのでしょう。
 
 今あるもの、与えられたもの、自らの置かれた境遇を受け止め満足するどころか、不平不満ばかりを口にし、自分にとって好ましく都合のいいものだけを求め、際限なく欲望を満たそうと貪り続け、
 分かり合おうと努力する気もなく、最後まで心砕く誠実さもなく、自分にとって好ましくないものは徹底的に排除し、都合が悪くなれば平然と切り捨てて拒絶し、いつまでも正しいのは自分だけであって、間違っているのは相手だと決めつけ、憎み、おごり、怒り続け、
 そうして、そういう我が身を振り返ることもないまま、自分は誰よりも自分のことを分かっていると錯覚して、誰の言葉にも耳を貸さず、心を固く閉じ塞いで、ゆくべき道もなく迷いを深め続け、

 ……世の中の人々を、そして何より、ぼく自身の心を見つめれば、そこにあるのは常に、あわれな人間の姿しかない。まるで、いつか自分が消え失せていくことなど、残された人たちも消え失せていくことなど、どうでもいいとでも言わんばかりのありさまです。
 すべてはただ、自分さえ、今この瞬間さえ幸せになれれば、悲しみをその場しのぎでどこかに追いやれたなら、それでいいという薄情な生き物。

 


 それが、こうしてまだ生きている、ぼくらなのです。





 ぬーまさん。ぼくは本当に、恩知らずな生き方しかできない人間です。
 あなたがこの世に生まれたこと、
 あなたがいのちを終えていったこと、
 ぼくらに遺してくださったもの、
 ……それらを、本当に大切に受け止めていくということは、無駄にしないということは、なかったことにしないということは。
 かけがえのないあなたの存在に、今あるこのいのちと心に、そしてすぐそばにあったいのちと心に、恥じないよう生きていくことであるべきなのだと、ぼくはそう、教えられたはずでした。
 

 今や、どんな苦しみからも痛みからも解き放たれた場処にいるあなたから見た時、あなたに恥じないぼくでいたかった。でも、現実は違う。いまだにこの泥沼のように濁り穢れきった世界で、いつまでだってふらりふらりさまよって、半透明な存在で、ゆらり揺れて、どうしようもなく救いがたい自分を一歩一歩、ただ死に近付けているだけです。



 きっとあの日、ぼくの中で確かに何かが壊れました。ぼくがそれまで、もがきながら信じようとしてきたものが、あの時すぐそばにあったもの、すぐ目の前にあったものが、永遠ではないことを知ってしまったぼくに、もはや歌える歌なんかあるはずがないと、そうとしか、思えなくなっていました。
 その絶望が、苦悩が、恐怖が、諦めが、あなたのくれた優しさへの冒涜でしかなかったのです。だってあなたは、つらく苦しい孤独と暗闇の夜が明けていくことを、ずっと待ち望んでいたひとだったのだから。


 何度でも言いますが、優しいあなたが大好きでした。歳は一つしか違わなかったのに、ぼくの実の兄以外にもし兄になるひとがいたとしら、それはあなたみたいなひとだったんだろうと、今でもそう思います。
 ぼくはもうすぐあなたの歳を3つ追い越して、いつかのあなたよりもすっかり歳上になります。けれど、もしあの時のままのあなたが今そこにいてくれたとしても、やっぱりきっとぼくより大人びて、頼もしく、相も変わらずぼくの面倒くさいテンションに、笑って付き合ってくれるのでしょう。
 そんな風に、ひとには優しく明るく振る舞うのに、あなたの書く歌はいつでもさみしげだったことが、何よりぼくがあなたを好きになった理由でした。あなたが大切に聴いていた音楽の中には、傷だらけでつぎはぎだらけの歌もたくさんあったでしょう。あなたはきっと、ぼくと似ているところがあった。似ていないところの方が山ほどあっただろうけれど、ずっと夜明けを待っていた者同士として、通じ合うものがお互いの音と言葉にあったと、そううなずいています。


 あなたが大好きだと言ってくれたぼくの音楽を、さわやかな笑顔でまっすぐに大好きだと言ってくれたぼくらの音楽を、なぜ、もう鳴らす必要なんかどこにもないと、あの時思ってしまったのか。今さらそんなことを考えても、あまりにものごとは移り変わり、ぼくらは過ちを重ね続け、そうこうしている間に、ただ一切は過ぎてゆきました。





 ぬーまさん。ぼくはあなたの最期に立ち会えはしませんでした。結局、一度も見舞いにすら行かなかった薄情者のぼくが、伝え聞きでどうこう言う権利など、はじめからないのかもしれません。

 


 それでも。それでもね、ぬーまさん。

 ぼくはあなたが言った「大丈夫」を、心から信じられるぼくになりたいと、そう思うようになったんですよ。



 あなたにとっての夜明けが、夜の向こう側に待つ世界が、どんな色であったのか。そもそも、あなたがどんな意味で「大丈夫」と言ったのかも、ぼくらには知る術はありません。でも、あなたのその言葉が、一体どれほどぼくに多くのものをもたらしてくれたかは、いくらだって語ることができます。


 ぬーまさん、ぼくらは音楽の現場から離れて久しいし、あなたのよく知るひともどこかへ行ってしまったし、誰もが出遇いと別れの中で、はじまりと終わりの間をさまよっているし、きっとどんなに大切なことでも、ぼくらはいつまでも気付こうとしないまま、自分の都合と感情ばかりを優先して、誰かと争ったり、誰かに盲目になったり、自分で自分の首を絞めてばかりいるのでしょう。
 そしていつかは、どんな幸せもよろこびも形を変えて、壊れて崩れ去っていくのなら、この世に生まれることも生きることも意味なんか無く、ぼくらの一生は、ただ空しく過ぎてゆくだけのものなのかも知れません。



 それでもぼくは誓ったのです。

 拭い去ることのできない醜さも、終わることのない愚かさも、数え切れない後悔も、次から次へと重ねてしまう過ちと失敗も、真剣なまなざしで見つめ合っていた永遠の夕暮れも、まぶたに焼き付いて離れることのない一瞬間のきらめきも、痛みに喘ぐ夜の向こう側に願い続けた光も、何もかも、すべてを胸に抱いたまま、最期には「大丈夫」と言えるぼくを願って、生きてみようと。





 ぬーまさん。どうですか。あなたの夜は明けたのでしょうか。
 あなたに「明けたよ」、と言ってほしいぼくらは、たぶんいまだに夜の暗がりから抜け出せていないのです。
 

 

 何が正解なのか、何が間違いなのか、笑うべきなのか、怒るべきなのか、泣くべきなのかも分からないで、ただただ仕方なくつまらないなりに生きている自分勝手な毎日なのです。


 けれどぼくは、思います。

 この世に生まれ、あらゆる出遇いに育まれて生き、ぼくらの手に叶わないままの約束を遺し、姿も形も色もにおいもなくなって、声も言葉も思いも届かない処に還ったはずの今も、ぼくらにまだ、こうして生きることの悲しさと難しさを問い掛けてくれるあなたが、そんなあなたの人生が、やがて壊れ去るだけの、空しく過ぎるだけのものだったなんて、そんな風に言えるはずがありません。
 三年が経っても、今日という日を縁に、もう一度まぶたの裏のあなたと出遇い直しているぼくが、あなたと「別れた」とはこれっぽっちも思っていません。そして今日という日に限らずとも、あなたを思い描く時に、それはいつでも何度でも叶うのだということも分かっています。



 ぬーまさん。あなたの存在は、ただの存在を越えて、他に比べるものもなく、ただ有り難く、尊かった。
 そしてそれは、あなただけでは、なく。



 ぼくも、あいつも、あの子も、彼も、あの人も、みんな、これからも同じようなことを繰り返していくでしょう。

 神妙に物知り顔しながら、そのくせ自分自身の苦しみと悲しみは散々持て余して、そこから逃れようとしてかえって生傷を増やすだけの惨めな日々も送るでしょう。よかれと思って、正しいと思ってやってきたことに裏切られて、何を信じればいいか分からない長い夜も来るでしょう。そうやって期待して、諦めて、それでも臆病で、本当の気持ちだけが置き去りになっていくこともあるでしょう。

 

 やがて時間は流れ、ぼくらは歳を取り、汚れて、傷付いて。


    たとえ遅すぎてもいい。時間がかかってもいい。手遅れだとあざ笑われてもいい。
 まごころから祈って、手を合わせて、その手をつなぎ合わせて、いつかはそう、振り返り笑って、そして遠く待ち焦がれて、向こう岸のあなたと同じように、辿り着いていけたらと、そう思うのです。
 悲しいぼくらの人生だけど、「これでよかった」、と言えるゴールに。



 それまでは、きっと相も変わらずぼくはどうしようもないぼくを生きてしまうと思います。そういうぼくだけれど、そういうぼくなりに、今のぼくには夢があるんですよ。
 それはたとえば、さよならをさよならで終わらせない未来、悲しみを悲しみで終わらせない未来、過ちを過ちで終わらせない未来をたぐり寄せること。わかり合えなかった人、謝れなかった人、許せなかった人、愛しても愛しきれなかった人、そしてもう二度と会うことのできない人たちと、もう一度出遇っていける世界を、ぼくは追いかけていたいと思うのです。





 だから、ぬーまさん。





 必ず、必ず、そこで待っていてください。

 

 ぼくも自分の縁が尽き果てたなら、必ず、必ず、遇いにゆきます。
 

 いつかすべての苦しみと悲しみを捨て去って、倶に一つの処で会えると、心から信じています。
 

 

 

 

 

 もしまた、ぼくがばかなことをしていたら、あの時みたいにぜんぜん押しつけがましくない、ちょっと頼りない先輩風を吹かせて、ぼくを叱ってやってください。










 深い恩愛の情をこめて

 あなたの後輩のひとりより

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 沼田祐揮殿 祥月命日勤行 式次第

 

 総礼

 三帰依文

 伽陀 先請弥陀

 表白

 阿弥陀経

 念仏讃淘三

 回向 願以此功徳

 御文 四帖目第九通 疫癘

 総礼


 ぼくがここにいたことを
 いつか同じ時を生きていたことを
 思い出さないで済むように
 忘れないでいてくれますか



                  ――『Forget me not』





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1億2614万4000秒。



210万2400分。



3万5040時間。



1460日。















4年。















『リハビリテイション』発売から、今日で4年が経ちました。





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ご無沙汰です、と言うには、あまりに長い時間が過ぎ去りました。



季節はめぐり、


誰かが去り、


誰かが訪れ、



何かを失い、


何かを得て、


いまだ留まる形、


絶えず移ろう形、


その景色の中で、


哀しみに暮れる夜、


よろこびに笑う朝、


その繰り返しの中で、



お元気で、お過ごしですか?




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人の関心など瞬く間に消え失せ移り変わっていくこの時代に、これだけの時が流れてもなお、まだこうしてこの記事を読んでくれているあなたに、一体どれだけのことを謝らなければならないでしょう。




BAA BAA BLACKSHEEPSが2016年5月5日のVOXhallでのライブを機に、大したご報告もないまま活動のペースを極端に落とすことになってしまったこと。


ホームページをドメインの契約切れのまま消失させてしまったこと。


『リハビリテイション』の流通を取り止め、廃盤にしたのち、再販のご案内をしなかったこと。


そのまま2年もの月日が過ぎてしまったこと。




……そうして、いつでもぼくらの足取りを見守ってくれていたあなた、ひとりひとりの温かい気持ちを踏みにじってしまったこと。











ごめんなさい。











ご心配をおかけしたと思います。あるいはぼくらに失望して、去っていったひともいるでしょう。いずれにせよ、ぼくらが今いる場所が、ほとんどのひとが望んでいなかった場所であることは確かです。



ただ、ひとつだけ言えることがあるとすれば、BAA BAA BLACKSHEEPSは決して“終わって”はいない、ということです。



今日は改めて、BAA BAA BLACKSHEEPSの現在についてご説明したいと思います。それが、今のぼくらにできるせめてものお詫びだと信じて。





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■なぜ止まってしまったのか■



結論から言うと、生活環境の激変が最大の原因です。


不甲斐ない話ですが、バンドマンとしてその日暮らしの生活を続ける内に、どうしてもそのままでは生きていけない現実の壁にぶち当たってしまった、ということがひとつあります。


そしてもうひとつは、メンバー同士の距離が物理的に開いてしまったこと。現在、Vo.神部とDr.江口は、諸事情により京都を離れ、別々の土地で生活を送っています。そのため継続した定期的な活動をすることが難しくなってしまいました。


メンバーの生活がそれぞれに様々に変化していったことで、ライブ活動だけではなく、スタジオ入りすらも限られた時にしかできなくなりました。


就職をしていても、遠方に住んで離れていても、精力的に活動を行っているバンドはたくさんあります。しかし、ぼくらの場合はそれだけのバイタリティを生み出す現実的な余裕が、残念ながらまだありません。
お金も時間も有り余っていれば可能な話、などどいう発想がただの甘えだということも分かっていますが、実際問題としてどうしてもその点は否めません。




しかし、何もそうした現実的側面だけがすべてではありませんでした。


これはメンバーというよりぼく・神部の個人的な問題に過ぎませんが、3年前、あることが原因で、「音楽」だとか、「歌うこと」だとか、「届けること」だとか、「遺っていくこと」だとか、「生きること」だとか。そういう、根本的なことを根本から見つめ直さざるを得なくなった出来事がありました。


何のために歌うのだろう?

誰のために歌うのだろう?

それがどんな意味をもたらすのだろう?

その先に待ち受けているものは何だろう?


それは。今まで散々、自問自答を続けては、何度もうなずき、確かめていったはずの「答え」が、「信念」が、揺らぐほどのことでした。そしてその揺らぎを受け止め、飲み込み、消化(昇華)するためには、長い長い時間が必要でした。


言うまでもなく、世間はふつう、立ち止まることを許してはくれません。常に前へ前へと進み、努力して何かをつかみ取るドラマを、人は自分にも他者にも求めます。

 

 

なりふり構わず、恥も外聞も無く、いったんすべてをノンアクティブな状態に戻して立ち止まり、振り返り、考え込み悩み抜かなければ動き出すことさえできなくなってしまう、それがぼくという人間の欠落(のひとつ)です。


以前ぼくは、二条nanoの店長・もぐらさんに「音楽を奏でる人間としての本筋とは関係のないことばかりで足踏みを続ける」、「細かいことばかり気にして臆病に何も行動できない」と言われたけれど、たぶん、もう一度そこに戻ってしまったのでしょう。

自分自身、つくづくどうしようもないやつだなと情けない思いでいっぱいです。


けれど、この「3年前の出来事」について、いずれ近い将来、きちんとした形で書き綴りたいと思います。その時は、みんなにも耳を傾けてもらえたらうれしいです。





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■現在の状況について■



有り体に言えば、今のぼくらはほとんど「活動休止」と言っても差し支えないと思います。次のライブの予定も未定ですし、新しくお届けできるコンテンツもなければ、何かみんなに喜んでもらえるようなうれしい報せもありません。


けれど、ぼくら自身のよろこびとして、ひとまずはメンバー全員が元気に生きている、ということは、お伝えしてもいいかなと思います。


離れたことで、定期的に当たり前にライブができなくなったことで、見えてきたもの、感じられたものがあったのかも知れません。


少なくともぼくにとって、BAA BAA BLACKSHEEPSというバンドが、単なる自己実現の手段だとか、夢や目標に向かうためだけの乗り物ではなく、ぼくが人として生きる上でとても大切なものを与えてくれる場所なんだということを、ぼくはこの2年で改めて感じていました。


BAA BAAのみんなといる時のぼくは、いいところもだめなところも含めた、飾らないぼくのままでいられます。そこには上下も優劣もありません。


バンドという交点を除けば、それぞれ異なる人生を生きている者同士。それでも、楽しいことは笑い合い、苦しいことは慰め合い、意識しなければ感じることさえ忘れてしまうぐらい自然に自然でいられる……そんな関係でいてくれるところがBAA BAAのみんなの器の大きさをよく表しているというか、人間として素敵なところなのだと思います。


そういう意味で、活動自体すっかり鳴りを潜めてしまってはいますが、メンバーの絆は今も変わっていません。仲違いとかでバンドが止まった訳ではありませんから、その点はご安心ください。



dino、くみちゃん、こにーちゃん、そうだよね。





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■今後の活動やリリースについて■



これに関しても、今のところ確実なお話は何一つできません。できるだけ機会を見つけ、というよりは作り、前向きにやっていきたいと考えています。


BAA BAAとしては単純に「ライブがしたい!」という気持ちも当然ありますが、前述の通り『リハビリテイション』からもすでに4年が経過してしまったので、『夢の出口』やアルバム発売をきっかけに出遇ってくださった方々、そして今もなお気に掛けてくださる方々に、ライブでしか披露できていない新曲たちを形にして届けたいという願いも、ぼくらはまだ一切捨てていません。


どれだけ時間がかかってもいつかは聴いて欲しいと願う、その理由は、まだ日の目を見ないあの曲たちを、時代や流行に関係なく必要としてくれる人たちがきっといるからだと、信じて疑わないからです。


ただ、レコーディングには膨大なお金・時間・体力が必要ですから、その準備にはまだまだ時間がかかりそうです。


気長に辛抱強く待ち続けてもらうのはぼくらとしても心苦しいばかりです。その内にまた何か出すんだな、と頭の片隅にでも置いておいてもらえれば、ぼくはそれだけで十分です。





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■『リハビリテイション』再販について■




2016年9月に廃盤とし、流通を取りやめましたSFR-004『リハビリテイション』ですが、流通から戻ってきた分が若干数あります。


今後、ライブ会場等で長い時間をかけて少しずつ販売していくつもりでいましたが、最近Twitter等で「入手先が分からない」とお困りの方がいることを知ったので、これを機に通販を始めたいと考えています。その際には過去のCD・ライブ会場での物販で販売していた物なども含める予定でいます。


これだけの月日を経てもなお、インディーズバンドのアルバム1枚を求めてくださる方がいることに驚きを隠せませんが、本当にありがたいことです。

 

 

通販のショップサイトや購入方法などに関しては、準備が整い次第、こちらのブログやTwitter等で告知していきます。今しばらくお待ちください。







そして、『リハビリテイション』再販にあたって、みなさんへの注意喚起なのですが、




決して中古品の
『リハビリテイション』
を買わないでください。





廃盤となり、入手困難になったことが原因してか、どうやら中古CDショップがプレミア価格を付けているようです。

 

 

ぼくらがネット上で確認した限りでは、1万円・5千円もの価格で2枚が販売されていました。

 

 

有名バンドのインディーズ期の数量限定CDなどがメルカリやヤフオクなどのオークションサイトで取引されているのはよくある話ではありますが、なぜかぼくらのアルバムまでがそういう対象になっているようなのです。


みなさんが中古品を買うことで得をするのは、中古CDショップだけです。多少はアマゾンにも入るかも知れませんが、BAA BAA BLACKSHEEPSにも、流通の恩恵をくださった株式会社ジャパンミュージックシステムにも、何らの利益もありません


それどころか、プレミア価格でも買うユーザーがいることが分かれば、中古CDショップは味を占めてより買い取りを強化するでしょうから、簡単に『リハビリテイション』を手放すひとも現れるでしょうし、もしかしたら転売目的で入手しようとする人間も現れるかも知れません。

(と言ってもその場合は、ぼくらのCDの価値がそこまでだったということでもありますが)



そして、本当に欲しいと思ってくれているひとの手元には渡らず、

“ほ ん と う の 価 値”

が見失われたまま、ぼくらのアルバムがネット市場を漂うだけになってしまうのは、何一つぼくらの望みではありません。

 

 

何より、買う方ご本人にとって損でしかないと思います。もうすぐ再販もしますし、中古CDショップ以外誰も得をしないことですので、くれぐれもご注意ください。

 

 




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少し矢継ぎ早な説明となってしまいましたが、現時点でお伝えできることを取り急ぎすべて書いたつもりです。

 

 

もし万が一、この記事を読まれた方で、BAA BAA BLACKSHEEPSのメンバーへのご質問・メッセージなど送りたいという方がおられましたら、

 

b.b.b.sheeps■gmail.com (■を@に変換)

までメールをお送りください。誹謗中傷目的など、悪意があるもの以外のメールには必ずお返事致します。




+‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥+

 

 

 

 

誰に届くか、伝わるか分からない言葉を送り出す時は、いつもステージに立って最初に歌い始める、あの瞬間のような感覚になります。

 

 

これだけ書き綴った今、それでもまだ信じられるもの。それは、ぼくらの音楽に、ぼくらの生きた時間に出遇ってくださった、同じ今を生きているあなたのかけがえのないいのちです。

 

 

だから、送信ボタンを押して、きっと受け止めてくれるだろうその心を思い描いて、ぼくらもまた明日からを生きていきたいと思います。

 

 

 


ここまで読んでくれてありがとう。

 

 

ぼくらからお返しできるものはあまりに少ないけれど、どうかあなたの日々が、少しでも穏やかなものでありますように。

 

 

 

 

 

 

それじゃあ、また。

お久しぶりです。こにーです。

ついに9月がやってまいりました。今年は秋が早くやってくるようですね。
夜には秋の虫が鳴き始めました。風情、風情(    ’∀`    )

ちなみに昆虫は変温動物のため、温度によって羽をすり合わせる速度が変わるんですが、それが鳴き声に影響されるので、鳴き声によって季節の移り変わりが聞いて取れるわけですd(゚∀゚*)

あ、そんな豆知識はどうでもよいですかc⌒っ゚Д゚)っ
もう次回から私のブログは、動物ブログかお料理ブログに変えます。そうします。


ところで、みなさんは夏を満喫しましたかね。僕たちは8月結構いっぱいライブしましたね。
でもまだ、夏を満喫しきっていない気がする。。
花火もビアガーデンも台風で行けなかったし、バーベキューはしたけど、べろべろであんまり覚えてないしね。。なんちゅーこったllllll(-ω-;)llllll

まぁ、でも確実に季節は過ぎ行くわけですね。
8月頭には西院フェス、8月の終わりにナノボロフェスタに出演、どちらも久々の再会もあったり、楽しかったな~。関わってくれたみなさん、ありがとう。こういうのは夏感でてるよね。
もちろん、ほかのライブも楽しかったですけど。


僕らの9月のライブは久々、1本だけです。ライブが少ないということは、実はバンドマンにとっては、しっかり曲に向かう時間が増えるので、時々あると楽しかったりします。スタジオではいろんなことが進行していますよ。
ぼくらが次に皆さんに会えるのは

9/24(水) 二条GROWLY
"企画屋UTAGE presents 「THE MUSIC SPACE vol.4~熱狂編~」"
Baa Baa Blacksheeps ヨレタンゴ / Lammy / アイラブユー / sheep's / レゴカメレオン / 序ノ口 / nyara / and more...
16:00open/16:30start adv:¥1800+1d/door¥2000+1d

これですね。若者たちの企画集団のイベントにお呼ばれしました☆´∀`☆
わっしょい!

10月のライブもHPにアップしたので、チェックしてください!
まだまだ面白いライブ追加していきますが、10月はボロフェスタ本祭もあるからとりあえず今回はここまでの公開ですね( ^∀^)


あ、でも全然自分まだ夏終了してないつもりなんで、まじで9月ビアガーデン行くつもりなんでそこんとこヨロシクっす(*`皿´*)ノ行く友が少ないけどな!!!だれか誘ってくれてもいいんやで!!


ご無沙汰です。

気付けば『リハビリテイション』発売からちょうど4ヶ月が経ちました。僕らの予想をはるかに上回る勢いでたくさんの方が手に取ってくれたようで、全国で売り切れの店舗が結構出たようです。ライブ会場でも家に連れ帰ってくれる人たちが毎回必ずいて、僕らの手持ちの在庫も無くなりそうになってきました。

それから前回の記事、『“さいしょ”の聴き方』 についても、意外にもたくさんの方が実践してくれたようで(中には元々あの聴き方をしていたというすごい人もいましたが)、つくづく創り手冥利に尽きる思いです。

みんな、ありがとう。






さすがに4ヶ月も経つと聴きこむ、を通り越して聴き飽きてきた頃かなと思うけれど、『リハビリテイション』というアルバムについて、また一つここでみんなに伝えたいことがあります。


それは、CDが産声を上げるために決して欠くことのできなかった存在について、です。



一つのCDを創るためには、まずバンドメンバーの存在があり、楽曲があり、楽曲を演奏するための楽器や機材があり、それを録音するためのスタジオなどの施設があり、録音の専門知識と技術を持ったエンジニアの存在があり、……一つ一つを挙げればきりがないほど、いくつもの大前提が必要です。
そんなことは言うまでもなくみんな分かりきったことだと思いますし、「最終的に形となって出てきた音楽そのものこそが大事なのであって、舞台裏のことまでは興味がない」、という人も、もしかしたらいるかも知れませんね。

ただ、少し、考えてみてください。突然だけれど、仮にあなたが絵を描く人だとしましょう。そしてある時、あなたが描いた絵がCDのジャケットに使われることになったとします。では、そこに至るためには一体どんなことが必要でしょうか?

僕なら、こう考えます。まず初めに、あなたが“あなた”として生まれること。あなたの親があなたの親であり、天文学的な確率によってあなたの生が決定したことはもちろん、さらに途方もない話をすれば、あなたの代まで命が絶えず連綿と受け継がれてきたことさえも必要不可欠でしょう。そしてあなたは、あなたという人格や意思が編み上げられるだけの無数の経験を経て、その過程で絵を描くことを選んだのです。
そのきっかけが何だったのかも大事ですし、初めはどんなに拙いものでしかなかったとしても繰り返し描き続けたこと、そうして少しずつ習熟していったこと、時には自分の作り出したものに嫌気が差し、時には夢中になり、やがて人の目に触れる場へ投げ掛け、この仮定のお話の中では、それがあるバンドマンの目に留まったこと。何よりも、あなたがその瞬間まで、“あなた”として生き続けてきたこと……。

そう、とどのつまりは、人ひとりの人生そのものが必要なのです。



前にも言ったように、僕らは僕らが生きた証を音で遺したい。その音で誰かの生きる時間を彩ることができたならば、僕ら自身も、それを受け取ってくれた人も、互いに互いの生きた時間を証明できる(少なくとも、この時代においてだけは)。そう信じてやっています。
けれど、それは何も音楽を作っている僕らと、それを聴いている人たちだけに限った話ではありません。

僕らがこれまできちんと形にしたCDの歌詞カードには、全てスペシャルサンクスの記述があります。どんなCDにも大概記されていることだから、別段目を引くような箇所ではないし、よほどのことがない限り注視することもないとは思います。
それでも僕らにとって、スペシャルサンクスという項目は、とてもとても大事なものなのです。

その理由は、さっき散々無駄にややこしく綴った内容で、もう十分お分かりですね。同じ時代に生まれ、死ぬことなく生き続け、ある時に出会い、同じ時間を共にし、同じものを共に作ろうとすることができた(ものを作ろうとする時に支えてくれた)人たちの存在も、僕らはまた遺したいと願っているのです。



……すっかり前振りが長くなってしまったけれど、要するに今日は、『リハビリテイション』歌詞カードのスペシャルサンクスに書き記した人のことを、少しだけではあるけれどちゃんとしたためておきたいと思った、そんな記事です。
あなたには関係ないようで、けれど僕らの音楽に出会ってくれた以上、やっぱりどうしようもなく関係のあることだから、どんな人たちがいて初めてあなたの手のひらにCDが載せられたのか、それを知ってくれたなら嬉しいです。






ここで、まずは僕個人の思いとして、誰よりもdino、くみちゃん、こにーちゃんの3人の名前を挙げさせてください。あくまでメンバーだけれど、彼らがいなければ僕はとっくの昔に歌うのを止めていたからです。僕はもうこの3人以外、誰かと音楽をできる自信が全くありません。
(詳しくは
『第二の家族』参照)






(以下 スペシャルサンクス)



僕らが胸を張って自分たちの音楽を鳴らせるようになるまで、一緒に泣いたり笑ったりしながらずっと見守ってきてくれた[livehouse nano]の名物店長、[もぐら]さんと、nanoの影の総支配人(?)、[まさこ]さん。


僕が生きていくこと、歌を歌っていくこと、その根本に、かけがえのない理由と意味を与えてくれた孤高のシンガーソングライター、[ゆーきゃん]さん。


たった数回しか会ったことがないのに、僕がどんな人間であるかを音楽だけで見抜いて、同じステージに立つ者として次に進むべき道を指し示してくれた、[それでも世界が続くなら]の[しの]さんこと[篠塚将行]さん。


僕らを可愛がってくれるスタッフの皆さんの愛ある仕事で、毎回あり得ないぐらい気持ちのいいライブをさせてくれる[GROWLY]


いつも練習時間以上の長い時間居座っても笑って許してくれる(と信じたい)、[Studio hanamauii]の皆さん。


『リハビリテイション』の音が形に残るその根本を支えてくれた[
MORG]、[Nakamachi Sam Studio]、[JUNSHOJI STUDIO]。


ギターと車とLUNA SEAをこよなく愛する、『リハビリテイション』の全てのレコーディングエンジニアを担当してくれた[空中ループ]と[ミナワ]のリードギター、[和田直樹]さん。好きなお菓子はグミ。



『リハビリテイション』のM-10『おまじない』、M-11『リハビリテイション』を、透明感のある声で彩ってくれた[ミナワ]の[長谷川尚子]先生。


CDの顔となるジャケットにおいて、THE VESPERS時代の『昨日のおとしもの』以来、もう一度快く繊細華美な世界で僕らの音を彩ってくれたイラストレーター、[
麺類子]さん。


CDのデザイン及びレイアウトにおいて、デザイナー対クライアントの関係を軽々と飛び越えて僕らの人間性・音楽性をどこまでも真摯に視覚領域で表現しようと向き合ってくれたデザイナー、[
おばけのくに]。


ひょんなご縁から友人になり、僕らのわがままにも懲りることなくHPを作成してくれたWEBデザイナーの[
さかいしょういち]くん。


『明るい曲』
のPVにおいて、打ち合わせの時点で音源を数百回聴き込んでくるという労苦を費やし、バンド人生初の本格的なPVを制作してくれた[樽見孝弘]さん。



アーティスト写真と歌詞カード最後部のオフショットを撮影してくれた、[有限会社ブロス]の[中内基]さん、[増田早希]さん。


3ピース版『夢の出口』に手描き動画を寄せてくれたことからご縁ができた、可愛らしさと毒を併せ持つ絵で『ゆめにっき』ファンを唸らせるイラストレーター、[6274]さん。


『夢の出口』制作・収録・流通及び販売に当たって、特別にご許可をくださった『ゆめにっき』原作者の[ききやま]様。


そして、僕らが僕らである理由の大部分を作ってくれている、僕らの家族と、いつも笑い合ってくれる友人。






……これだけ
の人数、誰一人欠けても、『リハビリテイション』があなたの手に届くことはありません。この場を借りて、愛すべき彼らに心から感謝をお伝えします。



もちろん、ここには書ききれなかった人たちだってたくさんたくさんいます。その人たちには、直接会った時に僕らの笑顔をもって感謝を伝えていきたいと思います。
曲を書いた、という事実だけをもってすれば、曲を書くに至る苦痛を与えられた人たちにさえも、もしかしたら感謝しなければいけないのかも知れません。
いずれにせよ、僕らは何人もの人の人生に支えられて歌っているのだなと、月並みなことしか言えない自分に反吐が出るけれど、でもやっぱり、心からそう思います。



どうでしょう。今度からCDの歌詞カードを読む時、スペシャルサンクスを読むあなたの気持ちは、少しでも変わ
るでしょうか?

別に変わらなくても、それはそれでいいと思います。ただなんとなく、あなたがあなたを生きているように、誰かもまたその人を生きていることで、その人たちがいることで、一つのものが作られているのだということ、頭の片隅にでも留めておいてくれたら、僕は幸せです。













それじゃあ今日は最後に、もう一人だけスペシャルサンクスを綴らせてください。
それは僕らの音楽を受け取ってくれた、あなたのことです。






あなたがあなたとして生まれたこと、あなたとして生きてきたこと、その道のりの途中で僕らの音楽を手に取ってくれたことで、僕らはまたステージに立つことができます。もしもあなたにとってはたった1枚のCDを選び取ったに過ぎないとしても、そのためにはまずあなたの人生が必要だったのだと、大げさ過ぎるかも知れないけれど、どうか今日はそう言わせてください。






本当に、ありがとう。

いよいよ明日、12日水曜日に『リハビリテイション』が発売されます。僕は仕組みがいまいち分からないのだけれど、もう今日の時点で手に入る人もいるみたい? 何はともあれ、僕らの記念すべきアルバムがみんなの手元に届き、それぞれの生活の中で鳴り響く瞬間まで、あとわずかとなりました。



という訳で、フラゲ組がいることも考えて、今日は『リハビリテイション』の“最初の”聴き方について、今の内に綴っておきたいと思います。






CDを家に持ち帰って、あなただったらどう聴きますか? とりあえずコンポにセットして流し始めますか? それとも早速iTunesに取り込んでiPodやiPhoneで聴き始めますか?
……これはずっと気になっていたことなんだけれど、みんなは音楽を聴く時、どんな風にして聴いているのでしょう。たとえば再生機器はPCなのか、iPodや携帯プレーヤーなのか、コンポなのか、はたまたポータブルCDプレイヤーなのか。座って聴くのか、立って聴くのか、歩きながら聴くのか。朝なのか、昼なのか、夕方なのか、夜なのか、真夜中なのか、明け方なのか。スピーカー、ヘッドホン、イヤホンのメーカーはどこなのか、またその質はどの程度なのか、……音楽を聴く時の状況、環境は千差万別だと思います。
では、全く同じ音源が収録されたCDだとしても、それだけ人によって異なる条件下で聴かれる音楽が、果たして誰のもとでも同じ響きを以って伝わるのでしょうか? それは断じて、違います。



そこで、『リハビリテイション』を手に取っていただいたせっかくの機会に、みんなにぜひ一度試してみて欲しい聴き方があります。それはあなたの身体を、「音を聴くためだけの機関に変えてしまう」という方法です。
僕がこの聴き方をするのは、その音楽が自分にとってとても大切な、敬愛するものである時なのですが、実際音楽を味わう方法としては理想に近いものだと考えています。
僕は、とても大事にしているアルバムを以下の手順で聴いた時、ただひたすら音と音が織り成す空気の色に圧倒され呑み込まれて、自分の今いるところとは一つ別の領域にシフトしてしまったような、そんな感動すら覚えた経験があります。そこまで大袈裟な話に限らずとも、たとえば普段「聴いている」と思っていたはずの曲の聞こえなかった音に気付いたり、歌詞やメロディといったすぐ耳に飛び込んでくる表層の部分よりもっと奥深くで鳴っている“音なき音”にも耳を傾けられる自分を知りました。



同じ日に、この国のあちこちで、色々な人が一つのCDを手に取って、もしも同じような聴き方をしたとしたら、あらゆる感受性の前に晒されるその音も、少しでも近い響きを以って届くのではないでしょうか。
いずれにせよ、僕らの初めてのフルアルバムである『リハビリテイション』が、一人でも多くの人が新たな「聴く喜び」を知るきっかけとなれば、幸せなことだなと思います。もちろん、『リハビリテイション』に限らず、あなたの大好きなCDでもぜひ試してみてください。自分の愛する音楽をこの方法で聴いた時、たとえそれがすっかり聴き慣れた曲だったとしても、今までとは違う魅力をきっと再発見できることと思います。
音楽を聴く、ということは、実はそれなりの体力や精神力、そして“真摯さ”が必要なのです。僕らのアルバムがそれを向けてもらえるに相応しいかは分かりませんが、もしあなたがこの記事を読んで今までとは違う音楽との向き合い方を知ってくれるのなら、僕はそれだけでも十分意味があると思っています。






【聴き方手順】
1.時間帯は夜か深夜が望ましいです
2.1時間近く誰にも邪魔されない状況を作ります(携帯の電源も支障がない限り切りましょう)
3.トイレは済ませておき、水分補給もし、空腹でも満腹でもない適度な状態でいましょう(これが意外と大事です)
※お香やアロマオイルなどを日常的に使う人は、自分の好みの香りを炊いてみるのもいいでしょう
4.PCかコンポにCDをセットし、ヘッドホンを接続しておきます
※PCでの再生の場合、HDDに取り込んだデータ再生でも構いませんが、その際はあくまで「.wav」形式、つまり無損失で取り込んだデータにしましょう。mp3形式とwav形式では聴ける音もその聞こえ方もまるで別物ですし、作り手側が「こんな風に聞こえて欲しい」と意図して整えた音の像が壊れてしまいます
※上記に加えて、iPodやiPhoneはそもそもプレイヤーとしての音質がそこまで優秀な訳ではないので、mp3形式を避ける意味でも相応しくはありません(あくまで日常的に気軽に多量の音楽を聴けるという利便性に特化した機器だと認識した方がいいです)
※ただ、コンポも物によって音色や質感が多少変わってしまう可能性がありますし、コンポがない・PCからではヘッドホンが届かない、などといった場合には、iPodやiPhoneも止むを得ないと思います。何よりも原音の大切さをお伝えしたい思いからこのように書きました
5.部屋の電気を消して真っ暗にします(室温も快適な温度に設定しておきましょう)
6.布団・ベッドに仰向けに寝転がり、脚を軽く開き、胸の辺りに両手を置くか、あるいは両手を広げましょう
※ポイントは、「なるべく皮膚感覚に刺激を与えない」ということです。布団の中に入るのもありですが、その場合は布地が鼻や顎に触れないよう、布団を被るのは胸元までにし、両手も布団の上に出しておきましょう
7.ヘッドホンを着けます(ヘッドホンが理想ですが、お持ちでなければイヤホンでも構いません)
※再生音量は、曲中の音が大きくなる箇所で不快感を覚えない・変に我慢せずに聴けるぎりぎりの大きさまで上げることをお勧めします。ヘッドホンを外した時に歌詞が聞き取れるぐらいの音が漏れ出ているのが目安です。もちろん鼓膜に悪影響を及ぼしては元も子もないので、その点は十分ご注意ください
8.再生ボタンを押して、目を閉じて、全身の力を抜いて、ゆっくり呼吸をしながら聴き始めます
※1曲目の『イーハトーヴ』は、「音量調整や姿勢の安定のための時間」ぐらいの心づもりで聴くのがちょうどいいと思います



……あとは、ひたすら歌詞を聴き取るのもよし、ギターの音色やフレーズを聴き込むもよし、ベースやドラムの刻むビートを追うもよし、ただ音の波に身を任せてぼーっとするもよし、歌の息継ぎ一つ一つさえも聴き漏らさないほど神経を研ぎ澄ませるもよし、音から様々な景色・感情・誰かの面影・記憶を呼び起こすもよし……。音が鳴り出してからそれをどう味わうかは、あなたの心の赴くままです。
再生ボタンを押してから、どうかそれを約47分30秒、最後まで続けてみてください。そうしたらきっと、曲がアルバムの最後に向かうにつれて何かが見えてくるはずだと、僕は信じています。



そして、それから続く日常生活の中で、今度は普通に垂れ流すように聴いてみたり、携帯やmp3で聴いてみたり、家電店に行って試聴用の様々なヘッドホンで聴いてみたり、あえて安物のヘッドホンやイヤホンでも聴いてみたり、時間・場所・天候・季節ごとに聴いてみてください。“最初の”音との違いを確かめられるはずですし、また同時にその楽しさも感じられると思います。






それから、もしかしたら後日、僕らとリスナーみんなで同時刻から『リハビリテイション』を再生し、Twitterでリアルタイムに曲やアルバムの注目(注耳?)ポイントを綴っていく「全国同時リハビリ会」、みたいなものをする……かも知れません。お知らせのツイートが50RT以上でもいかない限りはしないことにしようかなあと思っているので、愛ある応援をお待ちしています☆






それじゃあ、また。次はヘッドホンの中で、お会いしましょう。


今この記事を読んでくれている人のほとんどは、もうTwitterで知ってくれていると思います。



今年、2014年3月12日水曜日、僕らの初のフルアルバムが、初の全国発売となりました。
タイトルは『リハビリテイション』。ライブでは未発表のタイトル曲を含む全11曲で、タワーレコードなど全国のインディーズ取扱有名CDショップやオンラインショップなどで販売されます。





2012年にライブ会場限定で発売したデモ音源以来、BAA BAA BLACKSHEEPSとしての正式な音源を一度も出せなかったことをずっと心苦しく感じていました。昔に発売したCDの曲もライブで演奏することはあったけれど、それもほんの一部に過ぎず、ライブを観終わった人から新しい曲やCDに未収録の曲について「CDで聴きたいです」と言われるたび、早く作らなければ、早く作らなければと焦りが増す一方でした。



そうして2013年の2月から少しずつレコーディングを始め、予算も時間も労力も今までで一番費やして完成したアルバムを全国流通させようという話になり、それが実現することになり、……これまでの長い長いバンド活動に、ようやく光が射すような気持ちです。



生まれた場所も、見てきた景色も、呼吸してきた空気も、何もかも違う、全く別の時間軸を生きている人たちに自分たちの音楽が届き、その毎日に彩りを添えられるのだとしたら、今日まで僕らが続けてきたことはそれだけで十分なほど意味があったんじゃないかと思います。誰かの生きる歴史という、果てしなく分厚い本にたった1ページでも刻まれること……僕らは、そうやって自分たちの生きた証を残したいのです。


もちろん、言うまでもなくこの今に至ることができたのも、ライブハウスでしかその存在を誇示することのできなかった無力な頃から、僕らを見守り続けてくれたたくさんの人たちのおかげだと思っています。



改めて、ここでお礼を言わせてください。みんな、ありがとう。







……過去から連綿と果てしなく積み上げられてきた膨大な量の音楽がすでにあり、また誰でもある程度のお金をかければ気軽に音楽を作れるようになった、文字通り星の数ほどの音楽が存在するこの時代。それは同時に、星の数ほどの音楽が日の目を見ることなく埋れ、時の流れと共に消え去っていくことと同義だ、と言い直しても、別に言い過ぎることではありません。僕らが特別騒ぎ立てなくとも、毎日のように世界中あらゆる場所で数え切れない量の新しい音楽が売られています。


そんな無数の音と声の中から、自分たちの音と声が誰かに見つけられ、拾い集められていくことが、いかに奇跡的な確率の話になるか、想像してもらえるでしょうか?



これは、本当に残念なことだけれど、僕らの音楽は万人受けするような作りになってはいません。


一つの新しい時代を切り拓くような革新的なサウンドを鳴らしている訳ではないし、あちこち傷だらけの血生臭く青臭い衝動と感情がただひたすらに希望への飢餓感を歌う曲を集めたCD、それを求める人たちがもしも100万人でもいようものなら、その国はもはや病気です。



『リハビリテイション』に対して、あるいは僕らが今までに作った曲に対して、ある人は「素晴らしい」と言い、ある人は「全然よくない」と言うでしょう。その理由も千差万別でしょう。一つの事物の価値を判断する物差しのつくりはそもそもみんなバラバラで、信憑性もないはずのそれが別個に“絶対のもの”としてそれぞれに根差している……そういうものだからです。


たとえば、圧縮に加えてさらにエンコードで劣化した音を大して性能もよくないスピーカーやヘッドホンで一度聴いただけで良い悪いを判断できてしまえる人たちが多いのは、鑑賞と批評の前提条件にそれを加えるということが頭の中に無いからでしょう。Radioheadのコリンが記者会見の時に記者たちに言い放った「そもそも君たちは僕らの音楽を正しく理解できるような環境で聴いているのかい?」という言葉が、自分が創り手になってからというもの余計に肌身に沁みます。


しかし、このアルバムが僕らにとって“絶対の”自信を以って人に差し出せるものかと言われれば、首を振らざるを得ません。僕らにはまだ足りないものがあるし、最後まで形にできなかったものもあるし、環境や資金など、色々なことに限界があります。上に書いたようなことでもしかしたら一方的に身勝手に切り捨てられるだけのこともあるかも知れませんが、同時に僕らもまた欠けた部分を持っている以上、これを認めないのはただの自慰行為に過ぎません。


それでも、短くない時間をかけて、血肉を削ぎ落として、耳を傾けてくれる人たちの心のどこか一箇所でも触れられるようにと努力した音が、誰にもどこにも響かないなんて、そんなはずはないと信じています。それだけの思いをこめて僕らはやってきたし、それだけの意欲をまたたくさんの人たちから与えられたからです。




ここまで読んで、あなたはどう思いますか?


『リハビリテイション』を、僕らの音を、聴いてみたいと思うでしょうか。それとも、“完璧”に創られたものしか欲しくない、と思うでしょうか。







最後に。今日、これだけは言わせてください。

“あなた”たちリスナー一人一人が、バンドを終わらせるのも、バンドを成功させるのも、容易い話なのだということを。



ライブに行かず、CDを買わず、情報にも目もくれず、「昔の方がよかった」と言い新しく生み出されるものを否定し続け、あるいはネットで誹謗中傷を書き殴り、全く別の新しいお気に入りを探し、……たったこれだけのことで、一つのバンドを終わらせるためには十分なのです。


そうやって途中で死に絶えた音楽がこの世には一体どれだけ存在するのだろう、と嘆きながらも、また同時に、それは仕方のないことだと思っています。人の求める心を掻き立てられなければ、どんなものでも自然淘汰されていくのがこの世の道理だからです。音質や視聴環境とは全く関係のない領域で、どうしようもなく人は「好き」か「嫌い」かという感覚的な部分だけで片付けてしまうという現実もあります。


否定され、拒絶され、無視されるのであれば、それはやはり音楽側に理由があるのだと僕は考えています。人の心の移ろいやすさは、それに比べればまだかわいらしい理由なのかも知れない、とさえ。



だからこそ、音楽を創る人たちは絶えず葛藤し闘い続けるのです。


中には手癖の集大成で簡単にことを成し遂げてしまえる人もいるし、お金のために音楽という手段を選んだ人もいます。さらには、今の日本では何の祈りも願いもこめられていない使い捨ての音楽こそがむしろ存在を許され求められているという現状もあります。それでも、絶えず闘い続けている人たちもまだたくさんいて、文字通り“一人”でも多くの人の耳と胸に届けられることを彼らは心から願って、音を鳴らしています。


そんな人たちの声無き声の欠片がもしもあなたのところまで届いたとして、それを生かすことも殺すこともできるほどの力が“あなた”一人には宿っているのだということを、どうか、覚えていてください。




あなたが少しでも「好き」だと感じてくれたなら、感動を覚えてくれたのなら、そのことをツイートするのでも(RT一つでも)、ブログに綴るのでも、誰かに話すのでも何でもいい、何かの形で表現・発信してください。


ライブに来ることができなくても、これからはどこにいてもCDが買えます。CDを買うお金が無くても、ネットで△ボタンを押せば聴ける歌があります。


僕らの音楽がそこで鳴っていることを許せるのは、証明できるのは、続けさせられるのは、あなただけなのです。今の僕らがまだ色々に欠けているとして、僕らの努力だけではなく、あなたの力が加わることで初めて、それがより素晴らしいものに成長していくのです。



これまでに何を見て、何を感じて、何を聴いて、何を知って、何を味わってきたのか。
その無数の選択と経験の集積の最先端で今、何を見たいのか、何を聴きたいのか、何を知りたくて、何を味わいたいのか。
答えは、はじめから全て“あなた”一人一人の中にあります。それをもし僕らのアルバムと照らし合わせてくれるのなら、その時に、僕たちが血肉を注ぎ込んだものがあなたに新しい喜びや感動をもたらすものであるよう、祈るだけです。


全国のどこでも手に入ることで、ネットに出回ることで、やがては無情な“匿名性の暴力”に晒されるだろう覚悟も、もうできています。

大丈夫。僕らの為そうとしていることを受け入れてくれる、喜んでくれる、求めてくれる人たちが、今は数え切れないくらいいるから。あとは、その愛すべき人たちの心を、より動かすことができるように自分たちの音楽に忠を尽くしていくだけだと思っています。


そしてその先で、僕らも、僕らを応援してくれるみんなも、共に笑顔になっていられるような、そんな未来がくることを祈っています。そのために、この身を捧げようと僕とメンバーは誓ったのです。


そこまでして僕がなぜ歌い続けるのか、なぜ僕とメンバーがまだ全てを諦めず捨て切らずにいるのか、その辺りの話についても、いずれ近い内にこのブログでお話したいと思います。







ここまで読んでくれてありがとう。少し中途半端だけれど、今日はここでタイプを終えたいと思います。




(以下、アルバム情報)

リハビリテイションJKT


BAA BAA BLACKSHEEPS 1st Full Album
『リハビリテイション』


<収録曲>

01.イーハトーヴ
02.ヴァイタルサイン
03.トゥルーエンド
04.薄氷
05.そうなんだ
06.耳鳴り
07.ベランダの向こう
08.夢の出口
09.明るい曲
10.おまじない
11.リハビリテイション


<商品情報>

品番:SFR-004
発売元:Snow Flakes Records
販売元:株式会社ジャパンミュージックシステム
全国主要インディーズ取扱店にて販売
価格:\2,000(tax in)

※予約購入者限定で特典付!


<アルバム概要>

ゲストコーラスに長谷川尚子(ミナワ)、レコーディングエンジニアに和田直樹(空中ループ/ミナワ)を迎え、過去最高の音質で送られるBAA BAA BLACKSHEEPS初のフルアルバム&全国リリース盤。
観衆のみならず多くのバンドマンから絶賛された不朽の名曲『耳鳴り』をはじめ、ライブでおなじみの哀しいバラード『明るい曲』、PCフリーゲーム“ゆめにっき”のオマージュ曲としてニコニコ動画で反響を呼び遂には原作者ききやま氏公認となった現体制での再録版『夢の出口』、ライブでは未発表のタイトル曲『リハビリテイション』など、これまでのBAA BAA BLACKSHEEPSの総決算的アルバム。
また、美麗なアートワークには前作と同じく麺類子氏を起用。アルバム全体の音像が凝縮された仕上がりとなっている。



<予約ページ>

・タワーレコード

http://tower.jp/item/3437893/


「ありがとう」とか「好きだよ」とか
そういう"使い古された言葉"にイラッとしてしまうのって
もしかすると、その言葉を、テレビに出ている安っぽい歌手にいわれるよりも
一番大事な人に言ってほしかったからなんじゃないかって思った。
何処の誰とも分からん奴に、知った風なクチきかれたくはないよな。


風呂に入りながらそんなことを考えていました。
dinoです、お久しぶりです。

前半で今日全部言いたかったこと言い切っちゃったんでライブの予定投下しますね。

1/23(木)大阪・福島2nd line
Baa Baa Blacksheeps / BARE GROUND HALIJION / CK-Mock

open18:00/start18:30
前売¥2,000/当日¥2,500(+1drink¥500)


1/27(月)京都GROWLY
アベフミヒコ/狸囃子/ムッティー/林田裕馬/尾島隆英/神部砂漠
food:遼ちゃんの巨大餃子/肉じゃがとおかふぁー

open18:00/start18:30
tickets¥500(+1drink¥500)

GROWLY恒例のフロア弾き語りイベント
※神部砂漠ソロでの出演


2014年02月18日(火)『共鳴化学』
出演:Alice Kitela/Stigmatic/Baa Baa Blacksheeps/Laugh of Dawn/Dead Eye Dick

open18:00/start18:30
前売¥2000/当日¥2500(+1drink¥500)


2/24(月)京都GROWLY
yumemiru kimi/カラシゴロシ(東京)/Baa Baa Blacksheeps

open/start:未定
前売¥1,500/当日¥2,000(+1drink¥500)



初めて出るライブハウスが2カ所あります。両方大阪。心細いからきてください(笑)



あと、お昼に発表がありましたが、
BBBSは京都のライブサーキット
「いつまでも世界は...」に参戦します!


個人的には第一回から関わらせてもらってます。
おおきなイベントが続いていくのって本当に大変だと思います。
そんな中、出演という形で協力させて頂けて光栄です。是非皆さん遊びにきて下さいね。

ライブの予約はいつものようにHPのメールやコメント、ツイッターのリプライ、DMなどありとあらゆる方法で受け付けてますので、
お名前カタカナフルネームと枚数、希望公演日を教えてください。

ではでは、お待ちしていますね。