BAA BAA BLACKSHEEPS

BAA BAA BLACKSHEEPS

京都発・新世代エモーショナルロックバンド 【 BAA BAA BLACKSHEEPS 】
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おわび

 

 

 

メンバー多忙につき、今月はセルフライナーノーツ、デモ音源公開は

お休みさせていただきます。

 

いつも読んでくださっている方、

楽しみにしてくださっている方、

ごめんなさい。

 

また次回の更新をお待ちください。

 

 

BAA BAA BLACKSHEEPS

メンバー一同

 

 

 

  デモ音源を公開しました

 

『リハビリテイション』制作以後の楽曲デモ音源公開シリーズ、その第二弾をお届けします。
第二弾は、BAA BAA BLACKSHEEPSの新境地を感じさせる屈指の名曲、『Forget me not』 です。
 

今回のデモ音源も同様、BAA BAA BLACKSHEEPSが、あくまで自分たちの確認用としてクリックも無しに生演奏の合奏で一発録りしたものです。
かつてライブを観に来てくれていた人も、CDや動画でしかぼくらの音楽に触れたことのない人も、誰も所持していない、素のままのBAA BAA BLACKSHEEPSの演奏音源ですから、きっと誰にとっても新鮮な気持ちで聴いてもらえることと思います。

なお、本日公開のデモ音源も録音状態が芳しくなく、スピーカー再生だとスカスカにしか聞こえないため、なるべくヘッドホンかイヤホンを着けた状態でのご視聴をおすすめします。
しかしそれでも、人によっては聴きづらく感じてしまうかもしれません。正規リリース音源を届けられないことがとても心苦しい限りですが、これまで音源で聴いてもらえる機会が全くなかった楽曲ですから、この歌と共に、あなたがわずかでも有意義な時間を過ごしてくれるよう願います。

また、 You Tubeチャンネル (文字クリックでジャンプ) ではなく、ブログから閲覧してくれている方のために、『Forget me not』動画内の説明文を以下に転載しておきました。セルフライナーノーツ記事のように、今回の楽曲についてもメンバーからのコメントを掲載したので、そちらも併せて読んでもらえるとうれしいです。

 

 

 

  『Forget me not』について

 

 

2015年11月8日、スタジオ246KYOTOにてライン接続によるファーストテイク録音。
アルバム『リハビリテイション』全国発売後、BAA BAA BLACKSHEEPSが新曲を制作していた際、メンバー間での確認のため、合奏で一発録りに臨んだデモ音源を特別公開。


全4音源の内、公開第2弾は春季に咲く花・ワスレナグサの英名でもあり、悲恋を象徴するメッセージでもある『Forget me not』。
室町時代の歌集『閑吟集』の一句と、明治後期の詩人 八木重吉の詩をヒントに書かれたこの楽曲の歌詞は、『おまじない』でも用いた敬体的表現や『Blacksheep』同様に英題・英詞を取り入れただけでなく、古語や掛詞をも散りばめるなど、実に修辞性と機知に富んだ意欲作となっている。


本音源は、『リハビリテイション』発売やライブツアーを経て成長を遂げ、新たな境地に至ったBAA BAA BLACKSHEEPSの、高められた演奏練度とグルーヴを存分に感じさせる秀逸なテイク。レゲエを思わせる裏拍子と休符を駆使しながら、全パートが複雑に絡み合いリズムとハーモニーを生み出していく楽曲と演奏は、フロアの観客ではなく、むしろ共演者たちに絶賛された。


公開を記念して、バンドメンバーより楽曲についてのコメントも掲載。

 

 

 

  メンバーからのメッセージ

 

 

Vo.Gt.神部:
ぼくのソングライティングにおける集大成といえる曲であり、ぼくの音楽人生で過去最高傑作と誇るくらいには愛してやまない曲です。本来は春にこそ聴いてもらうべき内容ですが、あえて秋の気配に包まれながらこの音色を聴いて欲しいと思い、このタイミングを選びました。
誰もが一度は忘れられない出遇いを経験し、誰もが一度は忘れられない別れを経験します。しかし、移り気なぼくたちはやがては忘れていってしまう。そして忘れられる(可能・受身)からこそ、生きていけるのかもしれません。そうした記憶の曖昧さを薄情だと非難するのか、穏やかな気持ちで受け容れていくのか、聴いたあなたはどちらを思うのでしょう。
ちなみに、タイトルは「私を忘れないで」という意味の英文ですが、この歌に秘められたテーマは、決してタイトル通りのものではありません。これが分かったら、あなたはもう完璧にバーバーのメンバーです。



Gt.こにー:
バーバーでは全然やってこなかったアプローチの曲だけど、要所要所でメンバーのらしさが出ているのが面白い一曲
大きな起伏がそこまでないのと、言葉の綺麗さから絵本を1ページずつめくっていくような感覚になる曲かな。
ギター的には柔らかい風が吹いて、花がふわりと揺れている感じが出せたらなあと思って音を作っています



Ba.dino:
勿忘草の英名をタイトルに冠した(英語タイトルそもそも結構レア)、誰しもが心に持つであろう気持ちを美しい日本語で綴った一曲。まずは言葉と歌を堪能してほしいのと、BBBSとしてはかなり珍しいアレンジのアプローチをしているので、楽器隊としてはそのあたりも注目してくれると嬉しいかな。
ちょっとレゲエとかに近いアプローチなんだけど、なんやかんやUKリスペクトな一曲というのもなんとなく頭に入れて聞いてもらえると、より深く楽曲を楽しんでいただけると思います。



Dr.江口:
跳ねる曲調、裏拍の効いたアレンジともに、これまでにはない挑戦をした曲ですが、やはり根底にあるのはUKライクとロックだなと感じます。
歌詞に色々な解釈を加えたり、表現する音にストレートなものを使わないようにしていたりと、特徴の無い曲にならないよう色を付けるのはバンドとして当たり前のアプローチですが、この曲はそういう意味でバーバーの捻くれたい欲がふんだんに出ていると思います。

 

 

 

SLN 第6回 『耳鳴り』へつづく

(次回更新は11月19日)

 

 

 

(動画背景画像・ブログ記事カバー画像はShutterstock.comのライセンスに基づいて使用しています - Artist : Zhanna Smolyar)

 

 

 

目次

― 【後半】 ―
3.音像にこめた意図
4.個人的に力説したいこと
5.歌詞について
6.メンバーランキング
7.おまけ

 

 

 

 

  3.音像にこめた意図

 

 

dino:
ベースの音像に関しては第一回目のブログを参照してもらうとして(毎回言ってんなこれ)、フレーズに関しては浮遊感のあるものを意識したと思います。

ほとんどの曲で決め打ちのベースライン持ってくることなかったんですが、この曲に関してだけはほぼほぼ決め打ちです。

楽曲のテーマに絡めていうと、音の配置的には明るいハマり方をしてるけど(ダークな部分はこにーちゃんが担ってくれた)、人間関係という概念そのものにおける浮遊感、バランスの悪さみたいなものは意識したのかもしれないなーと。



江口:
とにかく邪魔しないこと。拍子の頭以外の音が物理的に歌より前に出ないこと。
意識していたのはこのあたりです。でないと主役が分からなくなる曲だと思っていたので。



こにー:
先にも書いた通り、ハーモニクスが印象的なフレーズが多いんだけど、音像という事で言うと、ディレイとかリバースの音とかのほうが作るのに注意してたかな。
一人で頭の中で思い返しては、切なくなったり寂しくなったりする感情を出す為に、記憶の回路を辿っていくみたいな行為を音で表現した感じ。



神部:
ぼくはどの曲でも馬鹿の一つ覚えみたいにギターにオーヴァードライヴを乗せていましたが、『そうなんだ』だけは唯一、クリーントーンで全編弾き通しています。

何のエフェクターも加えなかったのは、シンプルな音色(おんしょく)にしたかったのはもちろん、嘘偽りなく飾らない素直な心情を吐露する曲でもあるためです。

結果的にそのおかげで、浮遊感あるこにーちゃんのギターが、ぼくとリズム隊に生まれた隙間を満たしてくれるような効果も生まれたので、ボーカルギターが主張し過ぎないという基本の大切さや、クリーントーンで弾くテレキャスターの粒立ちの美しさを再認識できました。
 

そんなぼくのギターですが、イントロで全員の音が鳴り始めてから3小節目4拍辺り (0分29秒~) のように、時々タイム感を少しずらして全弦をバラララッと弾いたり、細かなところでピッキングニュアンスを出しているところには着目(着耳?)して欲しいです。

このわずかな“ズレ”も、この曲に通底して漂う倦怠感や無気力感、苛立ちや憤りが胸の中で摩擦となって精神をすり減らしている様をイメージしています。

 

 

 

 

  4.個人的に力説したいこと

 

 

dino:
ある種何かを力説するところと対極にいる(諦観という意味で)と思うんで特に個人的に力説することは無いんですけど、聴いてくれる皆さんの人生における人間関係の煩雑なアレコレに思考を巡らせて聴いてくれたらいいかもなーとは思います。



江口:
この曲は気怠い感じを匂わせておきながら、後半で少し勢いづきます。
そこに「やっぱりこのバンドはそういう展開でくるよね」みたいな安心感が詰まっていて微笑ましいところです。



こにー:
間奏部分の感情の揺れ動きがどの様なものになっているか、言葉がないところだからこそ、たくさん想像して聞いてほしい曲。
それを意識するだけで、曲全体の聞こえ方が変わると思う。



神部:
『そうなんだ』はdinoが「バーバーのメンバーとして」、「ベーシストとして」、最も雄弁で饒舌になっている楽曲です。水を得た魚のように、とても活き活きと詩世界に内包された感情を弾き歌っています。それだけの思いがこめられていると、こんな風に音にも影響が出るのだということ、そして楽器が“歌う”という感覚を、聴き手のあなたにも感じ取ってもらえたらうれしいです。ちなみにぼくはイントロやアウトロのベースラインが口ずさめるほど好きです。

あとは、派手で目まぐるしいパフォーマンスに秀でたくみちゃん (※Dr.江口) が、この曲ではびっくりするぐらいリズムマシン然とした忍耐強いプレイをしているので、寡黙な職人じみたくみちゃん (※Dr.江口) の懐の深い一面を楽しんでください。

『そうなんだ』はぼくにとって、音楽を聴くことさえ疲れている時にも聴ける曲です。あなたにもそうであればいいなと願うし、夕暮れや夜、秋冬、静けさや寂しさを感じる時に聴いてみてください。そうすればきっと、ぼくがこの歌を描いた感覚を共有できることでしょう。
 

 

 

 

  5.歌詞について

 

 

dino:
前回の更新で、この曲の成り立ちに関して結構慈雲が喋ってくれたけど、改めて聴き直すと、なんというかえらい自罰的な諦観という感じの歌詞に思ったりもするな。今はそれなりに歳もとって経験したことも増えたのでそう思えるんやろうけど、当時の自分たちは本当に自分の保護領域みたいなのから出るのが怖く、脆く傷つきやすい人間だったんだろうなと思います。

自分個人はそういうところから一歩くらいは抜け出しているんだろう (そうであってくれというのも含め) と思いますが、今現在、脆く傷つきやすい心を抱えた人たちに寄り添える、良い歌詞なんじゃないかと思います。



江口:
どんな曲でも沁みるかどうかはそのときの心境次第と思いますが、
個人的には許すとか許さないとか、近付くとか離れるとか、そういうことを一通り考え終わった後に聴いてみてほしいなと思います。



こにー:
歌詞についてというよりか、歌詞と共に歌い方含め、Aメロが非常に特徴的やと思っている。気怠く、淡々と始まるんだけど、低い帯域の慈雲の声って結構セクシーで好き。



神部:
『イーハトーヴ』回でも既に似たような話はしましたが、この楽曲は人を嫌ったり蔑んだり憎んだり拒んだりしておきながら、結局は自分自身を傷付けずにはいられなくなる心模様を歌っています。

しかし、誰かと笑い合える場処を求めたはずの『イーハトーヴ』と決定的に違うのは、「誰かと手を取り合うことを否定し、拒絶し、諦めていくしかない悲しみに自ら堕ちていくような、そんな不可抗力に絡め取られてしまう時がぼくらにはある」のだと歌っている点です。


あまり意識して聴いている人がいるとは思えませんが、この曲で一度だけ歌われるサビの、「それがそうなら きっとそうなんだ」という歌詞には、とても奥深い意味が込められています。ずいぶんと抽象的かつ象徴的な物言いではあるものの、この一節が持つ意味を聴き手のあなたにもぜひ一度考えてもらいたいと思います。


余談ですが、「ふさいでいった」と「アウトサイダー以下」で韻を踏んだぼくはすごいなあと今でも自惚れています。こんな韻を思いつく人間はおそらくどこにもいないのではないでしょうか。

 

それと、『そうなんだ』には実は隠し歌詞があって、ライブの時だけはいつも、楽曲の最後に

「そうなんだ 違う生き物だから おしまいさ」

と付け加えて歌っていました。これは「ライブに来てくれた人だけが聴けるアレンジ」というサービス精神的な意味のものでもあり、また同時に、この歌の結論がどこに落着するのかを端的に種明かししたものでもあるのでした。

 

 

 

 

  6.メンバーランキング

 

 

『そうなんだ』 ランキング

dino: 1位
神部: 4位
こにー: 5位
江口: 10位

 

江口:
俺はメンバーの中ではメンタル強度が高い方なので、それが反映されてランキングが低いのかも(笑)。


こにー:
個人的には自分のプレイも結構好きやし、思い出なんかも結構あるけど、良い思い出ばかりではないというのが原因で半端になっている気がするな。
ほんと、自分のプレイはかなり好きなので、僕のギター聴いてください。


神部:
ぼくは思い入れ度で上位3つを選んだから、楽曲として単純に好きなのは『そうなんだ』が実質1位……みたいな感覚で4位になったけど、dinoは前半記事でああ言っていただけあって、堂々の1位だね(笑)。


dino:
そうやなあ、自分の場合は思い入れも楽曲としても堂々の1位なのでダブル受賞やな(笑)。
なんやろうなあ、楽曲としてもシンプルに好みなんやけど、20代前半の精神状態をかなりこの曲に支えられた部分も大きいから、そういう事も順位というか、楽曲への思い入れにはかなり影響してるかもなあ。


神部:
なるほど、どっちの意味でも1位か(笑)。
この曲に「えぐられた」ならまだ分かるけれど、「支えられた」って言ってくれるのはdinoぐらいだろうなあ。
ぼくはただdinoと自分自身のわだかまりをぺっと吐き出して見える形にしただけ。でも、言語化されていない葛藤や逡巡を表象化して認識し直すことで傷の正体に気付けるというか、それ自体が一種のセラピー的なプロセスになり得るのかもしれないね。

 

 

 

 

  7.おまけ

 

 

(※Listen in browserをクリックでこのまま再生できます)

 

神部:

今回は最後に、再生速度200%の『そうなんだ』の音源をお届けします。

 

ぼくの声がザ・フォーク・クルセイダーズかコロ助のようになってしまっているのはご愛敬というか、ご笑納(?)いただくとして、そもそもなぜこんなものをアップロードしたのかと言うと、再生速度を2倍速にしてピッチを上げるだけで、普段は意識して聴いていないベースの動きや、ギターの音色の美しさを感じやすくなるからです。

 

ぼくはリハビリテイションをリリースした当初からずっと、『そうなんだ』の2倍速バージョンをみんなに聴いて欲しい、と思っていました(ようやく念願が叶ったのです)

 

これを聴けば、あなたはすぐに気が付くはずです。

『そうなんだ』という曲が、実はとてもきらびやかな旋律で、レトロゲームのBGMのような可愛らしささえ漂うオケなのだということを。

歌うようにのびのびと跳ねるdinoのベースラインも、音の粒が引き締まって、どんなプレイをしているかよく聴き取れることでしょうし、こにーちゃんの不可思議で幽玄なフレーズも、この速度でなら、よりはっきりと形と流れを捉えやすくなるはずです。

 

(ぼくの個人的なおすすめポイントは、33秒や54秒辺り、ぼくとこにーちゃんのギターが相互に響き合って、透明な音の風がきらめくように感じられる箇所です)

 

言うまでもなく、ぼくらはゆったりとしたテンポがベストだと思ってこの楽曲を制作した訳ですが、こんな風に少し突飛な方法を取ることで、逆に今までになかった発見や刺激を得られる場合もある……ということを知ってもらうのも、それはそれで音楽の楽しみ方の一つに数えてもいいのではないでしょうか。

 

あまり『そうなんだ』を聴いていない、好きではないという人にこそ、ぜひ聴いてもらいたいです。神部コロ助を笑いつつ、『そうなんだ』が持つ曲の構造の面白さや、音の響きのきれいさを楽しんでもらえたらうれしいです。

 

 

 

 

それでは、また次回お会いしましょう。

 

 

 

 

デモ音源『Forget me not』公開へつづく

(文字クリックでジャンプ)

 

 

 

 

 

目次

 

― 【前半】 ―

1.自分にとっての『そうなんだ』

 ▶バーバー始まりの曲
2.楽曲制作時のエピソード

 ▶鶏が先か卵が先か

 ▶こにーは偉大

 

― 【後半】 ―
3.音像にこめた意図
4.個人的に力説したいこと
5.歌詞について
6.メンバーランキング
7.おまけ

 

 

 

 

  1.自分にとっての『そうなんだ』

 

 

神部:
ぼくの、ぼくによる、dino (とぼく自身) のための歌」。それが『そうなんだ』です。
日常的に用いられる話し言葉をタイトルに選んでみたり、サウンドはマリン系 (※神部独自の定義) にもかかわらず歌詞と展開がダウナー極まりない気怠さだったり、それでいて最後はグランジ的に感情だけが爆発したり……という摩訶不思議な構造のこの楽曲は、案の定めでたく『薄氷』と並んで

2大リハビリ不人気曲

の称号を冠するに至りました (※自社調べ)
けれど、ぼくはこの歌がとても好き、いや、好きとか云々といった次元を超えています。ぼくにとっては、dinoへの贈り物であると同時に、ぼくの半身のようなフィット感のある楽曲です。こにーちゃんが加入して、いちばん最初に合奏した曲でもあるので、そうした思い入れも強いかな。
リハビリ発売から8年が経過した今、ぼくがいちばん聴いているのはこの曲かもしれません



dino:
「バーバーの楽曲で一番自分っぽい曲を選ぶなら?」

と聞かれたら間違いなくこの曲を秒で選びます。個人の趣味の範疇を出ないと言われたらそれまでですが、メロディー、コード感、アレンジ、歌詞、どれを取っても自分すぎて逆に笑けてくるくらい。墓まで持っていきます


こにー:
結構思い出深い曲だなぁ。バーバーで初めてスタジオ入る前にハーモニクス使った面白いフレーズができて、個人的新境地やったし。細かくは語らないけど、ライブで泣きながら弾いた事もあったな。いろんな場面でいろんな感情を作ってきた曲。



江口:
ダウナーな箸休め、という感じ。曲の宛先が存在していて割り込む余地が無いからなのかは分かりませんが、不思議なもので、演奏するときは重力を感じながら、要所でディノさんを凝視しながら叩かないと迷子になってしまう奇妙な曲でした。
 

 

 

バーバー始まりの曲

 


神部:
アルバムでは5曲目だけど、バーバー4人は『そうなんだ』から始まったんだよね。他者との関係性を諦めていく楽曲でスタートしたぼくらって、ある意味すごいバンド。


dino:
本人も言及してるけど、こにーちゃんが加入して最初のスタジオでやったんやっけな。曲自体は『トゥルーエンド』なんかと同じく3人時代に既に演奏してたけど。慈雲の言うように、心機一転のタイミングでこんな内容の曲いきなり持っていくのもある意味すごいね(笑)。


神部:
そもそもどうして『そうなんだ』から着手しようってなったんだっけね。スタジオ入りする前にいくつか送った音源の中から、こにーちゃん本人が先に考えてきたから……とかだったかな。


dino:
どうやっけね、もはやなんでかは覚えてないな……。結構アレンジとして固まってたからとか?


こにー:
そうやった気がする。他のは基本的にスタジオで合わせて作るって言ってたんやけど、これはほとんど出来てたから。


神部:
そっか、やっぱりそうだよね。
実を言うと、初合わせの日にこにーちゃんが鳴らした『そうなんだ』のフレーズを聴いた時、初めはまったく理解できなくて、
「ん? こにーちゃん、本当にギター弾いてる?」
って思っていたのはないしょ(笑)。
リードギターはキャッチーなメロディやリフを弾くだけではなくて、空気感そのものを作り出したり奥行きや深みをもたらす役割もあるんだって肌身で実感したのはこの曲のおかげだったかな。『そうなんだ』のギターはスルメだと思う。


江口:
こにーちゃんはリードギターであり空間デザイナーなんやと思うわ。縁の下から持ち上げるタイプの。


神部:
いいたとえだね、分かりやすい。
リードギターは目立つ要素が強く出てしまうと思われがちだけど、『そうなんだ』ではこにーちゃんの空間を彩る技能がよく表れていてると思う。

THE VESPERSから3人でのBAA BAA BLACKSHEEPSに変わっていこうとした中で『トワイライト』・『トゥルーエンド』・『夢の出口』・『そうなんだ』が生まれたんだと思うと、当時のぼく(ら)が精神的に相当参っていたのが分かるし、その懊悩に呼応するようにこの時期からぼくのソングライティング術も開花していった気がする。

 

(※Listen in browserをクリックでこのまま再生できます)

 

 

 

 

 

  2.楽曲制作時のエピソード

 

 


神部:
『そうなんだ』は、こにーちゃん加入前の3ピース期に創った曲です。
THE VESPERSとして活動を続けられなくなった後、3ピース編成での活動を見切り発車してしまい、今後の展望も分からぬまま途方に暮れていた時のこと。ある日、ぼくとdinoはJR京都駅で落ち合い、喫茶店で語り合っていました。
その頃のdinoは対人関係でいろいろと思い悩んでいて、ぼくに胸の内を明かしてくれました。ぼく自身も当時、鬱病を抱えながら過ごしていたので、dinoの語る思いに同調ないし共感するところが多々ありました。今でこそ細かな内容は薄れてしまったけれど、二人とも人との関わりに疲れ切っている状態だったということははっきり覚えています。
後日、ひとりギターを爪弾いていたら、適当に鳴らした音が妙に気になり、いつしか繰り返し繰り返し同じ音を弾くぼくがいました (それがイントロのアルペジオ)
それまで一度も鳴らしたことのなかった音色に訳もなく惹かれ、気が付いた時には出だしの歌詞とメロディが一緒に降って湧いてきたように自ずと口から発せられました。「大体」、という言葉から即座に繋がったのは、映画『マルホランド・ドライブ』の台詞に似た一言。
ぼくは自分自身の中に長年積もり積もったわだかまりを一つ一つ言葉に変えながら、それらが同時にdinoの打ち明けてくれた思いにも相通じるものであるのではと考え始めていました。
この曲は、ぼくとdinoとの心を合わせて出来上がっていったんだなと思います。

ちなみに映画中の台詞は
“A man's attitude goes some ways, the way his life will be.”

(意訳:人は自分自身の行いによって相応の報いを受ける)
というものです。



こにー:
楽曲制作時というかサビのフレーズ制作時の話。
元々前身バンドや慈雲のソロとかも聴く機会は結構あって、その中でも慈雲ソロ時代の『ガラークチカ』のイントロがハーモニクスで始まってるのが印象的だったのを思い出して、加入したらハーモニクスと実音を混ぜながら何か出来ないかなーと思ってたのね。
今でも思いついた瞬間の光景は鮮明に覚えてるんだけど、当時住んでたマンションで畳の部屋に寝っ転がりながら、窓から柔らかい光と風が入ってくる状況で、音源聴きながら手を動かしてたらほぼ一発で出てきた。
一聴すると気味の悪いフレーズだけど、アンサンブルで聴くと

「あれ、なんか変だけどハマる」

みたいなのが狙い通りにできたと思う。
このフレーズがサッと出来た時に、多分バーバーでギター弾いていけそうやなという、感覚があった。
これはかなり面白いと思って、メンバーに早く聞いてほしかったんやけど、スタジオで合わせたら意外と反応が薄くて焦った(笑)。



江口:
曲中盤の一番盛り上がる部分は制作時、ライブで演奏する度に温度感が上がっていって現在のようになったはずです。
当時のカンベさんとディノさんは精神的なベクトルが同じ方向にあることが多かったので、作曲時の感覚が共有しやすいのと同時に、ライブでの力の入り方も似ていたのかなと思います。



dino:
他の曲たちもだんだん記憶が薄れていってるけど、『そうなんだ』はマジで印象薄いかもしれん……。
一応目標とする音像みたいなのはなんとなーく3人の時からあって、わりとその目標に関しては達成出来てると思うんやけど、何故そういう音像にしようみたいになったのかが全然思い出せん……。
この曲って歌詞が先に出来上がってたんやっけ?
 

 

 

鶏が先か卵が先か

 


神部:
dinoくんの疑問にお答えしたいところだけれど、ぼくも覚えてないなあ。曲を作る時は、歌詞を先に書いた場合もあれば、浮かんだメロディに言葉を当てはめていく場合もあったし、全部同時に“降りてくる”場合もあって、記録自体を残してないからどの曲がどうだったかってことは分からないんだ。
2012年4月25日に名古屋club rock'n'rollで演ったライブ音源を聴いたら、3ピース期の『そうなんだ』はこにーちゃんのギターが存在しないだけあって、やっぱり面白味に欠けてた。ただ、この時から既にdinoとくみちゃん (※Dr.江口) の伴奏がほぼ完成していたり、ぼくもコーラスエフェクターで弾いているところからすると、割と早い段階からイメージは固まっていたんだなと思うよ。

 

(※Listen in browserをクリックでこのまま再生できます)



dino:
確かに、こにーちゃんが加入した後でも、間奏部分のコードとか尺の見直しはあったけど、土台のアレンジを大きく変えたって事は無かったかな。
今思えば、ある程度アレンジの固まった楽曲に上手いことギター乗っけてくれたんやなあと。上手い事乗りすぎて前項の
「あれ? こにーちゃん本当にギター弾いてる?」
に繋がってくるんやけど(笑)。


神部:
うん、せいぜい2番Aメロの出だしや、その後の間奏ぐらいだよね、変わったのって。
そうそう、本当にこにーちゃんのギターは違和感なく溶け込んでるよね。まるで元からそういうオケだったんじゃないかってぐらい。本人にも言われちゃったけれど、当時のぼくらは全然ピンと来てなかったのが悔やまれるね(笑)。


dino:
まあその辺のズレを埋めるためにも、しばらく修行期間も取ったりしたね……(笑)。


神部:

 

そっか、そういうこともあっての修行期間だったっけ(笑)。

 

 

 

 こにーは偉大

 

神部:
それにしてもこにーちゃんのギターフレーズが『ガラークチカ』きっかけとは知らなかったからびっくりだったな。


dino:
そうやなあ、『ガラークチカ』も確かにハーモニクスが印象的な楽曲やけど、『そうなんだ』のこにーちゃんのフレーズとはまた種類が違うからなあ。元々アイデアの出所は慈雲の曲なんやろうけど、それをこにーちゃんが飲み込んで生産したものがそうなんだになってると思うと、メンバーが増えることによるマジックありがてえなと低音しか出せない人間は思うわけです(笑)。


神部:
そうだね、むしろ『ガラークチカ』のハーモニクスは『おまじない』に転用した通りシンプルなものだったのに対して、こにーちゃんのフレーズは色とりどりの光が次々に瞬くような複雑さだもんね。
低音だけじゃないよ、当時はよく『そうなんだ』のコーラスもしてたじゃない(笑)。


dino:
当時は……ウッ頭痛が……。


神部:
あれっ、触れてはいけなかった……!?


dino:
いや、大丈夫や(笑)。


神部:
焦った……(笑)。


江口:
(カンベとディノの会話に補完する内容が無いと判断した江口は、満足気に微笑むと静かに目を閉じた。どうやらコスモを感じているようだ……)



こにー:
割と自分的にはクリティカルなフレーズやったけど、あまり誰からも褒められなかったなぁ。
もうちょっと弾いてる時にドヤ感出しとけば良かったかな。


dino:
当時は直接的なもの以外はあんまわからんかったんやろなあ……。
今でもわかってるかと言われたら微妙なとこやが。


神部:
今聞くとすごいなーって思うんだけどね。ああいうフレーズを自分の曲に当ててもらうって頭がまるでなくて、おおかた「リードギターはキャッチーなもの」って固定観念にとらわれてたんだろうなと。当時はちゃんと分かってあげられなくてごめんね(笑)。


江口:
みんなよく覚えてるな。
3人体制になった直後は明暗が極端な曲の原型がたくさんできていたので、その中でどちらにもそこまで寄りすぎてない『そうなんだ』は進めやすいっていうのもあったのかな?


dino:
確かに耳鳴りとかも昔はより静と動がパッキリ分かれてるアレンジやったしなあ。そういう意味ではずっと平熱みたいなテンションのこの曲は進めやすかったんかもね。

 


神部:
後にも先にも、あそこまでメロウでローテンションな曲って『そうなんだ』が唯一だし、ぼくらにとっては初めての試みだったはずなんだけれどね。たぶん楽曲への惚れこみようがすごかったdinoが決め打ちのベースラインを作ってきたこともあったりして、くみちゃん (※Dr.江口) もビートの構築が早かったんじゃないかな。


江口:
曲ができるときの経緯を少なからず横で見ていたこともあって、いつもはカンベさんを頂点にした三角形とすると、『そうなんだ』はスリーピース編成の配置通りで、ディノさんも前に出た逆三角形という感じ。
これが尖った三角形だったから、コニーちゃんが入って上手くバランスを整えてくれたのかな(笑)。


こにー:
いやん、照れちゃう!
もっと褒めてぇぇぇぇ!


dino:
今回こにーちゃんアゲ回やな(笑)。


神部:
こにーちゃんのテンション(笑)。

 

 

 

 

 

後半へつづく

 

(次回更新は10月25日)

 

 

 

 

 

 

 

 

  デモ音源を公開しました

 

 

告知から早くも8ヶ月、長らくお待たせしました。

去る 2021年11月のお知らせの記事 (文字クリックでジャンプ) より、かねてから告知していた 『リハビリテイション』制作以後の楽曲デモ音源公開 について、ようやくその第一弾をお届けします。

 

第一弾はBAA BAA BLACKSHEEPSの聴き手すべてに耳を傾けて欲しい、バンドと聴き手双方にとってのテーマソングになるべくして書かれた 『Blacksheep』 です。

 

これらのデモ音源はすべて、BAA BAA BLACKSHEEPSが、あくまで自分たちの確認用としてクリックも無しに生演奏の合奏で一発録りしたものです。

かつてライブを観に来てくれていた人も、CDや動画でしかぼくらの音楽に触れたことのない人も、誰も所持していない、素のままのBAA BAA BLACKSHEEPSの演奏音源ですから、きっと誰にとっても新鮮な気持ちで聴いてもらえることと思います。

 

これまでも既に『明るい曲』、『ヴァイタルサイン』、『春とモノクローム(弾き語り)』の3曲は動画でアップロードしてきました。今回の動画からは試験的に歌詞字幕も加えたので、より一層BAA BAA BLACKSHEEPSの詩世界に浸ってもらえるのではないでしょうか。

 

なお、本日より順次公開していく一連のデモ音源は、いずれも録音状態が芳しくなく、スピーカー再生だとスカスカにしか聞こえないため、なるべくヘッドホンかイヤホンを着けた状態でのご視聴をおすすめします

しかしそれでも、人によっては聴きづらく感じてしまうかもしれません。正規リリース音源を届けられないことがとても心苦しい限りですが、これまで音源で聴いてもらえる機会が全くなかった楽曲ですから、この歌と共に、あなたがわずかでも有意義な時間を過ごしてくれるよう願います。

 

また、 You Tubeチャンネル (文字クリックでジャンプ) ではなく、ブログから閲覧してくれている方のために、『Blacksheep』動画内の説明文を以下に転載しておきました。セルフライナーノーツ記事のように、今回の楽曲についてもメンバーからのコメントを掲載したので、そちらも併せて読んでもらえるとうれしいです。

 

 

 

 

  『Blacksheep』 について

 

 

2015年11月8日、スタジオ246KYOTOにてライン接続によるファーストテイク録音。
アルバム『リハビリテイション』全国発売後、BAA BAA BLACKSHEEPSが新曲を制作していた際、メンバー間での確認のため、合奏で一発録りに臨んだデモ音源を特別公開。
全4音源の内、公開第一弾はバンド名の由来となった社会心理学用語、「黒い羊」の意である『Blacksheep』。

本レコーディングは未だ実現していないものの、ボロフェスタ2014をはじめ様々なステージにおいて、バンドそのものを象徴する楽曲として高らかに演奏され、その力強いメッセージ性とドラマチックな展開から数々の称賛を浴びた。
公開を記念して、バンドメンバーより楽曲についてのコメントも掲載。



 

  メンバーからのメッセージ




Vo.Gt.神部:
ぼくら4人がBAA BAA BLACKSHEEPSとしてステージに立ち、音を鳴らし声を響かせる、その道程と地平の遠く向こう、いつも思い描いていた光に名前を与えた、紛うことなきぼくらの“アンセム”


仲間外れにされたり、アイデンティティに悩み苦しんだり、出口のない毎日に閉じ込められた片隅の“黒い羊”にとって、すぐそばにあって勇気づけられるような、その人自身の“テーマソング”として共に歩めるような歌であって欲しい」。

そんな特別な祈りを込めて書いた歌です。


バーバー初の英題・英詞、そしてサウンドから、90年代のブリットポップやJ-ROCKが醸し出していたあの空気感を、少しでも感じてもらえたら。



Gt.こにー:
僕らの曲の中ではシングアロングしやすい、サビの頭で歌詞がリピートするという珍しい楽曲。サビの部分でステージの上から、フロアを見るのが好きでした。
僕らのバンドはあまりシングアロングは似合わないかもしれないけど、この曲に関しては、群れの中で傷ついた人たちが、ライブハウスに集まって声を上げられる優しい曲だなと思う。



Ba.dino:
ひとつのバンドが、そのバンド名 (の一部) を冠した曲を作るってことは、ある意味ではそのバンドの真の姿に近い楽曲だと言えるかもしれません。楽曲に優劣があるとは思わないけど、我々の歴史の中ではちょっとリボンをつけたくなるような、我々そのものに少し近い、そういう曲かもしれませんね。



Dr.江口:
色んなライブの〆でやってた曲で、それぞれ思うところあるから一言にまとめるのは難しいけど。
ちょっと喧嘩して雰囲気悪い中ステージに立ったりとか、練習時間を取れてなくて調整に不安が残ってたりとか、それでも演奏し始めれば皆と曲の中で手を繋いで歩いていけます



 

  第二弾の公開日について

 

次回第二弾のデモ音源公開日は未定ですが、できるだけ今後のセルフライナーノーツ記事更新と同時進行で公開していきたいと考えています。

次回公開の際には、またこのようにブログ記事内でも告知しますから、時々チェックしてみてください。

 


 

 


それでは、また次回お会いしましょう。

 

 

SLN 第5回 『そうなんだ』へつづく

(次回更新は8月19日予定)

 

 

 

(動画背景画像・ブログ記事カバー画像はShutterstock.comのライセンスに基づいて使用しています - Artist : fotografaw)

 

 
 
― 【後半】 ―
6.歌詞について
 ▶ 誰のための音楽か ◀

 ▶ 身近な人間からの重圧 ◀

7.メンバーランキング
8.リスナーの声
 
 
 
 

  6.歌詞について

 

 
dino:
歌詞については、どの楽曲もノベルゲームの選択肢みたいに何個かある案から慈雲がみんなに相談という形で持ってきてくれたのを、「楽曲のイメージに合うのはどちらか」とか「文字の並びが楽曲に合ってるのはどれか」などをメンバーみんなで頭を捻って考えてた記憶があります。
『薄氷』ももちろんそのひとつで、印象的だったのは出だしの歌詞とメロディーがガバッと変わったこと。出だしの歌詞が変わるって結構珍しいというか、サビと出だしって同じくらい重要だと思うので、そこを結構ざっくり変えたので、なんというか慈雲かなり苦労したなという意味でも、この曲は強く印象に残ってます。
 
 
こにー:
アルバムを通して聴いたときに、ラストの『リハビリテイション』に行き着くまでにいろんな苦行があるよね。『薄氷』では多くの人が感じたことのある、怒りや悔しさみたいな部分が出てると思う。
『イーハトーヴ』もそういう意味では、多くの人が感じてると思うけど、『薄氷』の方がよりバーバーらしい形で表現できたんじゃないかな?
 
 
江口:
アルバム通して視野狭窄という意味では一番底にいるかも。詰みを感じて冷や汗をかく感覚と追い立てるサウンド面の噛み合わせを聴いてもらえたらなと。
 
 
神部:
「踏み抜くか 踏み外すか」、「息絶えるか 生き残るか」、どちらを選んでも苦痛という二律背反の窮地に立たされた人間からすれば、周囲から浴びせられるどんな叱咤も激励も、暴力と何ら変わりないでしょう。
いつ割れるとも知れない氷の上をあえて進もうとする者に対して、安全地帯から「行け」と呼び掛けるのか、「諦めて引き返せ」と止めるのか、嘲笑うのか、はたまた無関心に見向きもしないのか、それとも……。あなただったらどうするでしょうか。
 
「相手を称賛しようが非難しようが、その結果として本人が何を選んでどんな結末を迎えようと自分の与り知るところではない。なぜなら全ては“自己責任”だから」。
そういう態度の人間ばかりの世界なら、そこは望まずとも、凍てつく風の吹きすさぶ氷の上に早変わりするのでしょう。
 
 

 

 誰のための音楽か

 

dino:
慈雲の言うところの“自己責任”みたいな雰囲気はリリースした当時よりも色濃くなってるように個人的に感じるので、リリースから年数を経た今、以前よりもっと多くの人に届くような気がするなあ。届く人が多くなるってのが果たして良いことなのかどうかはさておき……。
 
神部:
ぼくの発言にそういう所感を述べてくれてありがとうね。
そうだね。苦境に立たされても、誰もかばってはくれないし助けてくれないのは、それだけ周りも同じように自分のことで苦しんだり精一杯な人だらけになってしまっているからなのかもしれないって考えた時もあった。でも、助けを求めている人に適切な支援が行き届かないばかりか、弱者に石を投げたり、あまつさえ犠牲になった人にも鞭打つような人間が本当に多くなったと思う。そうすると、先に脱落していった人たちの選択をなぞった方がいっそ楽なんじゃないか……なんて、極端な思考回路になっていってしまう人が増えていくのも当然だよね。
『薄氷』は夢を見る代償、誰かに夢を見させる功罪、そして夢が潰えていく末路を描いた楽曲ではあるけれど、言葉の断片からでも自己投影してもらえるものがあるかもしれない。
でもdinoの言う通り、ぼくらの音楽が届く人が多かったら、それはあまりよくないことなんだと思う。ぼく自身の懺悔として、もっと聴き手に生きる希望やよろこびをもたらす音楽を創るべきだったんじゃないかって悔いは、未だにわだかまっているよ。
 
dino:
聴き手に生きる希望や喜びをもたらす音楽を創るべきだったのかもしれないというのは、わだかまる気持ちはとてもよくわかる反面、そこまで気にしすぎることもないのかな、と思うわ。どんなにネガティブな音楽だったとしても、誰か1人には希望の歌になり得るかもしれんし、もしそうなったら (別にならなくても、俺たちにとっては意味のある曲やし) 、この曲はこの曲の装いで産まれてきた価値があるよね。
 
神部:
うん、ありがとう。そうなんだよね。事実としてぼくも傷口をえぐるような絶望的な歌に何度となく抱き締められてきた過去があるし、dinoが言ってくれたようなことを自分自身言い聞かせてきたつもり。
たださ、『Peacewall』や『羊とアスピリン』なんかを聴いてると、本当はもっと優しい歌を歌える人になりたかったはずじゃないのかなって考えてしまう日もある……って言ったら伝わるかな。
まあ、リハビリを聴いたことで人生が望ましくない方向に大きく傾いたって話を聞かない限りは、いたずらに罪悪感を抱く必要もないのかな。
 
dino:
もっと優しい歌を歌える人になりたかった、というのはわかるよ。そして事実優しい曲もあるしね。
俺が言いたかったのは要するに、作品をポジティブに受け取るのもネガティブに受け取るのも、極論受けて次第というか。俺たちがアウトプットした録音物は瞬間の切り取りなので形は変わらず (事実変えようも無い) 、受け手側の受け皿がそのタイミングでそれらにどうフィットするというか、それ次第で変わると思うなあ。もちろん、伝えたい願いや思いはこちらサイドにもあるんだけども、と言う感じ。こんなこと言うとちょっとおこがましいかな?
 
神部:
そっか。dinoが言わんとしてくれたことを履き違えてたかも。
ぼくらが形作って、発信して、実際に届いて受け止めてもらったその先は、ぼくらのコントロールできるものではないし (しようと思うべきでもなく) 、聴き手の心に委ねるしかないんだもんね。
 
dino:
そうね、作品を発表する事は例えば祈りとかみたいにわりと一方的で、それを受け止める神的な存在として聴き手の皆さんが居て、みたいな。で、もちろん神が全て受け入れる存在かというとそうでもないし、と言う感じかなあ。余計分かりにくいかな。しかもなんか本筋からちょっと脱線したね、すまぬ。
 
江口:
>別にならなくても、俺たちにとっては意味のある曲やし
これに全部詰まってるな。まず自分達のために音楽をやるわけなので。
ただそういう葛藤を抱くことは良いことやと思う。迷うおかげで人も曲も成長する気がする。
 
dino:
自分達のために音楽やってる、その通りですわ。他の人たちが正味なところどうなんかはわからんけど、何かしらの創作活動をする人は少なからずそう言うエネルギーを持ってみんなやってると思うわ。
 
 

 身近な人間からの重圧

 

神部:
そういえば
「いつ終わるんだ いつ止めるんだ」
って歌詞は、バンド活動している間に複数の人間から何度となく言われた言葉だったなって思い出してとても苦々しい気持ちになってきた。
 
dino:
やっぱこれって家族親族や友人から言われると辛いワードよな……。
幸い俺んとこは家族は良い意味で放任だったし、友人の輪もバンドで出会った人がほとんどやったから、そこはあんまり無かったかなあ。でもこれって音楽に限らずやけど、いわゆる“真っ当”な道筋を歩もうとしない人は言われるケースかなりあるんじゃないかな……。
 
 
 

 

  7.メンバーランキング

 

 

 『薄氷』 ランキング

 

dino: 4位
江口: 5位
こにー: 6位
神部: 10位
 
神部:
ぼくの最下位はこちらでした。
みんなと話しながら聴き直していたら改めて『薄氷』の魅力に気付かされたりもしたけれど、いかんせん他の曲への思い入れが強過ぎるんだよね……。
楽器隊3人はきれいに456と並んだね。
 
dino:
まああくまで相対的なランキングやからさ……。最下位だからといってこの曲を嫌いなわけじゃないやろうし(笑)。
 
こにー:
もちろん嫌いな訳じゃないと思うけど、慈雲が10位なのは結構意外やなー。
 
神部:
自分らしくない歌い方や作曲にあえて挑戦してみようと思った歌でもあるからね、その辺が大きかったかなあ。
ぼくももっと3人と同じくらい楽器パートで面白いことができれば違ったかも。
 
江口:
素直なアンサンブルとか歌い方じゃなかったりと簡単じゃないし、奏者側として見てるからこそのランク付けかもな。
 
神部:
くみちゃんナイス。本当そんな感じかな。
というかぼくが『薄氷』最下位だったことをみんなにフォローしてもらう流れになってしまった気がする(笑)。
先に旧版『夢の出口』があったおかげで創れた曲でもあるし、みんなで洋楽を聴いてやいのやいの言いながら創れたのは楽しかったから、いい思い出のある曲だよ。
 
 

  8.リスナーの声

 
 
今回、『薄氷』のセルフライナーノーツを投稿するにあたって、とある聴き手の方が『薄氷』への思いをツイートしてくださっていたので、ご本人の許可を得て掲載します。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

メンバー全員でうれしいね、ありがたいねと話しながら拝読しました。そんなくずきり。さん、今回のセルフライナーノーツ記事の更新も楽しみにしていてくださったようです。

 

 

 

かつてたくさんの人がぼくらの音楽について思いをしたためてくれていたとは言え、まさか今でも楽曲に対する思いを語ってくれる人の存在があるだなんて、うれしさはもちろんですが、同時に驚きも隠せません。

 

作品を生み出し、ひとたび世に出してしまえば、後のことは聴き手に委ねるしかない。今回のSLNではまさにそんなことも話題に上りました。

しかしこうして、自分たちさえ不憫に思った曲でも、確かに受け止め、味わい、好きだと感じ、その思いを表してくれる人がいるんだという事実を、今でも実感させてもらえるBAA BAA BLACKSHEEPSは幸せ者です。

 

思わず笑みのこぼれるような元気いっぱいの「好き」を表現してくださった、また一連のツイートの掲載許可もくださったくずきり。さん、ありがとうございました。

 

 

 

  おまけ

 

本編で語り忘れていました。

2018年にVo.神部がツイートしたBAA BAA裏話で、『薄氷』のアイディアの元になったのは一枚の絵だったというお話です。

Radioheadは世界中のミュージシャンに影響を与えた偉大なバンド。ぼくらもしっかり影響を受けていました。

 

 

 
今回はここまで。
それでは、また次回お会いしましょう。
 
 

(文字クリックでジャンプ)

 
 

 

 

 

目次

 

― 【前半】 ―

1.自分にとって薄氷とは

 ▶ 蔑ろにされた『薄氷』

2.楽曲制作時のエピソード
 ▶ 旧版『薄氷』の違い
3.レコーディング時のエピソード
4.音像にこめた意図
 ▶ UKロックの影響
5.個人的に力説したいこと
 ▶ 声を揃えて「馬鹿ばっか」
 ▶ 歌メロと譜割りの奇怪さ
 
― 【後半】 ―
6.歌詞について
 ▶ 誰のための音楽か

 ▶ 身近な人間からの重圧

7.メンバーランキング
8.リスナーの声
 
 
 
 

  1.自分にとって薄氷とは

 

 
dino:
バーバーの楽曲内では「人気がない」ということになっている可哀想な一曲というイメージがどうしても拭えない。実際ライブで演奏する事が皆無だったのは、他にわかりやすく伝わりやすい、なおかつ演奏難易度がそこまで高くない曲などが登場してレギュラー落ち(笑)したというのが主な要因かなと思います。
個人的には結構自分達にしては挑戦的なアレンジで、楽曲としてかなり好きです『薄氷』。
 
 
こにー:
あんまりライブでやってなかったけど、ライブと音源で結構違う印象になってたかなと思う。
音源では結構不穏な空気やクールな感じで終始行くけど、ライブでは特にギターは結構感情の揺れを出してた。二面性があって面白い曲かなと思う。
 
 
江口:
ライブでの登場頻度は多くなかったかもしれませんが、音源とは違いダンスチューンのような側面が強めに出ていた印象なので、ライブでこそ聴いてほしい曲の一つでした。
 
 
神部:
曲作りにおいては大抵、ぼくが詩とメロディを先に書き上げ、そこに伴奏を肉付けして創ってきましたが、『薄氷』は伴奏ありきで創った初めての楽曲です。バーバーの4人全員でゼロから生み出した、思い出深い一曲となりました。
『ヴァイタルサイン』では掘り下げなかった「創作の“負の面”」を凝縮したようなテーマということもあり、限られた人にしか共感できない内容の歌でしょう。事実、自分たちで「通称不人気」と自虐的に扱ってきた面があるくらい、楽曲に対する聴き手の反応が乏しく、それに伴ってライブで演奏される機会も減っていった不遇(?)の曲です。とは言っても、ぼく自身は結構気に入っています。メンバーもたぶんそうなんじゃないかな。
バーバーのみんなが好きなUKロックや北欧のポストロックにオマージュを捧げつつ、あくまで神部慈雲の泥臭さと呪詛のような嘆きを軸に据えたこの曲は、アルバム中においても序盤の3曲から『そうなんだ』や『耳鳴り』、『夢の出口』に向かうための橋渡しとして重要な役割を担っています。
 
 
 

 蔑ろにされた『薄氷』

 

dino:
マジでこの項目で全員が全員「ライブで演奏される回数」について言及してんの笑う(笑)。
俺が思うにやねんけど、慈雲の回答にあるように初めて4人でゼロから作った曲やから、各パートの序列がかなりイーブンに近くて、ライブを重ねるごとに歌の重要度が上がっていった俺たちにとって扱いづらい曲になったんではなかろうか (主観やけど) 。
 
こにー:
歌の重要度も含まれると思うけど、もう少し分かりやすい曲をメインでやる様になったし、アレンジとか曲作り的にもリハビリ以降の曲はそういう風にしていってたよね。
 
神部:
ぼくらもライブ演奏中心のバンドである以上、聴き手からリアクションをもらえる楽曲をなるべくセットリストに入れたいって思いはあっただろうし、メロディや詞のキャッチーさって面で否応なく他の楽曲にお株を奪われていったところがあったんじゃないかなあ。
実際こにーちゃんの言う通り、リハビリ以降は曲ごとの方向性やテイストを分かりやすくパッケージングしたものが増えたしさ。
リハビリはフルアルバムだし、全A面なんてことも当然なくて、言い方は悪いけれどアルバムの中の「捨て曲」的なポジショニングというか、分かる人だけ分かってくれたらいいやって思って収録した節はあったよね。
 
dino:
まあ『薄氷』がキャッチーかと言うと確かにキャッチーではないなあ。
かと言って必ずしも難解な曲かと言うとそうでもないと思っていて。そもそもバーバーの曲に、例えばなんやろうな、語弊はあるかもしれんけどプログレみたいな難解さの曲はないと思うんやが、その辺はやはりパッケージングなどなどなんやろなあと思うよ。なのでこの曲を好きと言ってくれる人のことはまぁまぁ好きです(笑)。
 
神部:
難解どころか分かりやすい音楽だと自分では思ってるけれど、共感性とか大衆性ってところでどうしても『薄氷』は聴き応え的にいちばん美味しいところが後半の16小節だけなんていう、あえて勿体ない作りにしてあったりするし、作り始めた段階で人気が無いだろうことは分かっていて創ったからね。やっぱり当時のぼくらってひねくれてたなあ。
たった一人、THE VESPERS時代からずっと応援してくれていた聴き手のCさんが、ライブ中に満面の笑みでハンズアップしながら一緒に「馬鹿ばっか!」って叫んでくれたのがとってもうれしかった。演ってる人間も音楽も暗いけど、ぼくはああいう風に楽しんでもらえると本望だな。
ごくごく一部だけど、他にも『薄氷』を好きでいてくれる人たちも確かにいて、自分たちの創るものに本当の「捨て曲」なんてないのかもしれないなって、考えを改める契機をくれた楽曲でもあるね。
 
dino:
>自分たちの創るものに本当の「捨て曲」なんてない
これはほんまそうやと思うわ。例えあまり頻繁に聴かれないとか、たくさんの人には届かない、とかでも、ほんの少しでも受け取ってくれる人が居るなら本当にありがたいよなあ。
 
江口:
ライブする人みんなが思ってることやと思うけど、限られた30分の演奏時間に色々なものを詰め込もうと思うとどうしても足りんのよな……。他に優先したい要素が強すぎるから登場頻度が低くなる、みたいな。
 
こにー:
それなー。まぁ、バンドが成長していく以上、必ず訪れるものではあるよね。新曲やりたくなるし。演奏側は結構楽しいんやけどね、この曲。
 
神部:
本当くみちゃん (※Dr.江口)こにーちゃんの言う通りなんだよね。そんな感じでセットリストに組む曲が一部のものだけでパターン化していくと、結局は外された曲が必然的に認知されないから評価されるはずもなくて、負の連鎖みたいになってしまうんじゃないかなあ。
 
dino:
今思うと、定期的に長尺の自主企画を組んでそういう曲たちが日の目を見る場を作ってあげられたら良かったよね。当時は金なさすぎて企画するだけでアップアップやったけど……(笑)。
 
 
 
 

  2.楽曲制作時のエピソード

 

 
こにー:
曲の全体像が決まるまで結構かかってた気がするけど、江口の印象的なドラムフレーズが固まった時点で曲の全体の印象が見えた感じがするよね。
 
 
江口:
紆余曲折あり、作り始めた時とはあらぬ方向に着地したなと思いますが、結果としてアルバムの中で上位に好きな曲になりました。
2分22秒辺りの間奏やアウトロで流れるアルペジオは、カンベさんお気に入りのフレーズで手癖として度々スタジオで弾いていたもので、これがこの曲の根幹となるフレーズです。
 
 
神部:
くみちゃん (※Dr.江口) が語ってくれたように、『薄氷』は間奏とアウトロでぼくが弾いているアルペジオが起点になっています。
というのも実はこの曲、『夢の出口』を新版として作り直す時に、編曲の都合上消えてしまった旧版イントロのコード進行を転用して創られたものなのです。ぼくはこの和音をアルペジオで弾くのが好きで、くみちゃん (※Dr.江口) に指摘されるくらい無意識の内に弾いていたようです。
深夜のスタジオでみんなと洋楽の音源をいくつか聴いて、ああでもないこうでもない……と悩みながら取り組んでいた光景を、どうしてか今でもよく覚えています。なのに、自分が歌詞とメロディを考えた時のことはほとんど覚えていません。どうしてなんだろう。
 
 
dino:
『薄氷』って確かアルバムの中では割と初期から存在してたと思うんやけど、歌詞の改訂があったり、ギターソロが無くなったりと、産まれたて当時と、音源として世に出た時では装いが結構違います。
個人的にはごく初期のバージョンにあったギターソロがかなり好きだったんですが、ギターソロからラストサビへの熱量の持って行き方でメンバー全員が迷子になり、実際にギターソロが演奏されたのはほんの数回だったと思います。
 
 
 

 旧版『薄氷』の違い

 

神部:
どうしよう、初期の歌詞もギターソロも全然思い出せないんだけど。そんなのあったっけ?
 
こにー:
僕もギターソロ分からん。
 
神部:
なんてこった。本人すら覚えてない。
 
dino:
マジか、誰も覚えてない(笑)。
歌詞は出だしが「歓送迎会」のやつで、ギターソロは間奏と最後のサビの間にキメが入ってそっからギターソロ入るやつなんやが……。
 
 
(~ 翌日 ~)
 
 
(※Listen in browserをクリックでこのまま再生できます)
 
 
dino:
わたしがサルベージ神だ。
 
神部:
まさかのライブ音源をサルベージしてくれたのびっくりした(笑)。
 
dino:
おれもまさかサルベージできると思ってなかったからびっくりした(笑)。
まあ昔のライブテイクなんでアレやけど、多少微笑ましく聴けるような気がする(笑)。
 
神部:
聴いてようやく分かったよ。2012年11月29日のnanoって、曲作りとアンサンブル強化のための活動休止期間、その直前のライブだよね。
dinoが言った「歓送迎会」って何それ? と思ってたら本当に歌ってた。自分でも当時何を考えていたのか分からないんだけど、どうやら
「歓送迎会 最終回 連日 全生命体 対象内 戦慄」
って歌ってるみたい。中国語かな。
今聴いたら歌い方はひどいわ、演奏は雑だわ、ところどころ溢れんばかりの青臭さに心が折れそう。
 
dino:
でもこのライブ音源のギターソロ (3分23秒~) はなんか好きなんだよなあ(笑)。
 
神部:
間奏終わりに全員8分でキメて、スネアロールのブレイクからギターソロが始まるのはぼくも今聴いても結構好きだった。いかんせん歌詞にしても編曲にしても、詰め込み過ぎない勇気の大切さがよく分かるというか……今の形になってよかったなと思うね。
 
江口:
「なんでもかんでも盛り上げて抑揚つけて良いライブ風に持っていくのは卒業しよう」、みたいな話してたの思い出したな~。
 
dino:
それは確かにあったなあ。そんで一旦アレンジを見直すためにこの音源のライブ後、休止期間に入ったんやっけね。
 
こにー:
ここから歌の背後にあのフレーズが行ったと思うと、スマートなアレンジになってるよね。
 
 
 
 

  3.レコーディング時のエピソード

 

 

dino:
レコーディングの時のエピソード覚えてないな……なんか奈良のスタジオで泊まって、翌日朝イチの1曲目とかでヒエ~ってなってた印象があるけどどうだったっけね……。
前回の『トゥルーエンド』とはまた違ったタイプの難しさに苦戦した思い出があります。
 
 
江口:
ライブ感溢れる打ち込み、のようなイメージで生音を刻む演奏方法やREC構成を模索していたと思います。当時、スネアをハンドクラップみたいにしたいだとか、
「キックは“ボッ”ではなく“ドッ”です」
みたいなことを事前相談をせずに伝えてしまい、エンジニアの和田さんを困らせたなと……。
 
 
こにー:
1分14秒からの「成功者だけ」のところの音は意味合い的にも潰れてるけど聴き取れる感じにしたくて、和田さんと相談して、ギターにかけるエフェクターをボーカルにかけてる。この音作りできた時は結構嬉しかった。
後は和田さんがいろいろやってくれたであろう、リバースの音が全体を通してかなり世界観を作ってるよね。
 
 
神部:
『薄氷』はエンジニアである和田直樹さん (空中ループ Gt.) の手腕による演出効果が大きいです。こにーちゃんの話にもあるように、全楽曲の中で唯一のボイスエフェクトとなった「成功者だけ」の箇所はもちろん、ぼくの歌声をリバース (逆再生) にした上でエフェクトを載せたものをイントロ・アウトロに配してくれたことで、『薄氷』の持つ暗澹としたテーマがより補強されたと実感しています。
驚くべきことに、このミックス上の編集は和田さんによる発想で、ぼくらが予め提案したものではありません。『1st demo』、『リハビリテイション』のどちらのレコーディングでもそうでしたが、ぼくらが特に楽曲の解説やコンセプトの説明をした訳でもないのに、和田さんはレコーディング中にご自身の解釈で様々な提案をしてくれました。しかもそれがぼくらのイメージや美学から逸脱せず違和感なくマッチしたどころか、曲をよりよくしてくれるアイディアばかりだったので、和田さんの理解力とプロデュース力には今でも感謝の念が尽きません。
 
ちなみにぼくは『薄氷』のレコーディング時、同じギターリフを延々と弾き続けなければならなかったせいで、クリック音と自分の演奏音がゲシュタルト崩壊を起こしてつらかったです。
 
 
 

 

  4.音像にこめた意図

 

 
神部:
この楽曲の根底にあるイメージは、ぼくの故郷である北海道の冬です。本州とは質の違う、湿度が低く肌を刺すような寒さ、地吹雪で視界が白く霞む様を思い浮かべ、それらが音から感じ取れる伴奏であればいいと考えながらギターを鳴らしていました。ボーカル面で言えば、アウトロの細く高いファルセットも寒々しさや荒涼感を印象づける狙いで歌っています。
 
また、『ヴァイタルサイン』回でも先述したように、後半の
「足元 また一つひびが入って」
から (3分10秒~) は不気味さとおどろおどろしさを醸し出すために、オクターブ下の低い声で歌をユニゾンしています。
これはぼくの幼少期の出来事なのですが、たまたま目にしたサスペンスドラマの一場面で、雪を払い除けた薄い氷越しに苦悶の表情を浮かべた人間の死体が現れる……という映像を見てしまった時の恐怖と衝撃が忘れられず、その時の感覚を曲の結末に用いたいと思案したことに端を発しています。
氷の下に蠢く亡者たち (=無念の内に夢を諦めていった人間) の誘惑の声と、それを認めず抗おうとするも同調してしまいそうな自身の内なる声が重なる悲愴なラストを、あの16小節で表現しようとしたのです。
 
 
dino:
音像と言われるとどうしても音色の事と思ってしまうので、あらかじめ断っとくと、このアルバムを通してベースの音はどノーマルです。なのでフレージングに関して今回も書きますが、この曲のベースラインは (自分なりの) ポストパンクリバイバルもとい、初期のBloc Partyに勝手に敬意を表した感じのベースラインにしたつもりです。思いっきりオマージュみたいなのはバンドの毛色的にかましてないけど、この話聞いて、Bloc Party聴いて「あぁ~」と思ってもらえれば幸いです。
 
 
こにー:
基本的には空気感の伝わる様な冷たい音作りを意識している。
薄氷の冷たさと、冷えた空気で少し霧がかかってるような、白い空気感が伝われば何より。
 
 
江口:
ハイハット、スネア、キックの3点のフレーズにはBloc Partyを好きな人が聴けば、すぐにピンとくるほどに「それっぽさ」が散りばめられていると思います。立体感のあるフレーズを組むのはパズルみたいだ……と思いながら取り組んでいました。
 

 

 

 
 

 UKロックの影響

 

dino:
うちのメンバーでBloc Party通ってないのってこにーちゃんだけやっけ?
というのも、多分全員が全員Bloc Partyという共通認識でアレンジに取り組んだら単純な焼き直しになりそうやから、これくらいがいい塩梅よな~と思って。通ってたらごめん(笑)。
 
こにー:
全然通ってません!
 
神部:
くみちゃん (※Dr.江口) がマット・トンじみたドラム叩いたら面白いよねって話だったし、曲全体を通してBloc Partyらしさがあるかと言うとまったくそんなこともなくて。ただKashmirは今聴くと安直な発想だったかも。
 

 

ぼくら全員の共通認識といえばRadioheadだけど、あれはむしろ音作りではなくて精神性の話に近い気がする。トムヨークの厭世的な視座とか、およそ一般的に好まれるものとはかけ離れた発声や歌メロとか。
 
dino:
Radioheadの音作りは、俺たちだけでなく大半のバンドが真似できない、あるいは真似しづらいものやと思うわ(笑)。
なんでほんと慈雲の言う通り精神性やね。精神性もバンドにとってはとても重要な要素やね。
 
神部:
音作りはまず無理だろうね(笑)。
今でこそRadioheadの皮肉とか風刺の要素はもうお腹いっぱいだけど、当時のぼくは多分に影響を受けてたと思うし、Radiohead好きが集まってる時点でバーバー全体の気質もなんとなく伺い知れるんじゃないかな。
ところで『薄氷』を思わせるRadioheadの曲って何かあったかな。
 
dino:
どうやろう、曲のニュアンス的には『Idioteque』とか?アイスエイジもカミングしてるし……。
 

 

神部:
“Ice age coming”(笑)。確かに曲のニュアンスでは『Idioteque』かな。ファルセットの使い方は『Optimistic』にヒントがあった気がする。
 

 

dino:
どちらも『KID A』に収録されてる楽曲ですな。
 
神部:
『KID A』なくしてRadioheadは語れないし、バーバーみんなも好きだよね。
 
こにー:
どうでもいいけど、僕のTwitterアカウントの @kid_c は『KID A』からきてるよ。
 
神部:
そういえばそうだった。
当時、Radiohead好きのバンドマンとはすぐに仲良くなれた記憶がある。やっぱり“creep”同士、気が合ったのかも?
 
 
 

 

  5.個人的に力説したいこと

 

 
 
dino:
ベースに関しては前項で大体言ってしまったので、この曲に関してはこにーちゃんのまさに“薄氷”の上を歩くようなリードギターに注意して聴いて貰えるといい感じかもしれない。
 
 
こにー:
3分9秒からの音は氷にヒビが入っていってる音を表現してるので、そのつもりで聴いてほしいと思います。映像が見えたら嬉しい。
あと、この曲の前半の方のリズム隊の絡みが好き。かっこいいよね。
 
 
江口:
演奏時は曲名の通りの冷たさや無機質さを感じられるように意識していますが、四つ打ちのキックになる時はどうしても気分が高揚してしまうというのもあり熱が入るので、曲の前後半での熱量の対比が濃く出ていると思います。
 
 
神部:
毎回言っている気もしますが、この曲はぼく以外の楽器隊3人の演奏音にぜひ耳を傾けてください。やはりオケ作りから始まった楽曲なので、それまでは歌に寄り添ってきた3人が、楽器に「歌わせ」ようと創意工夫しているのが感じられると思います。
dinoとくみちゃん (※Dr.江口) のどっしりとしたコンビネーションの心地よさ、他に類を見ない独自のテクスチャで詩世界にリアリティを持たせるこにーちゃんの音色とフレーズ。今回の記事更新のために『薄氷』を聴き直しながら、改めて「楽器隊を味わう曲だなあ」としみじみ振り返っています。そして個人的には特にくみちゃん (※Dr.江口) の3点 (キック・スネア・ハイハット) を堪能して欲しいところです。
 
ぼくの作曲史上唯一の巻き舌を使っている点も面白いかなと思いますし、いつかまたライブで演る時に備えて、「馬鹿ばっか」のコールアンドレスポンスを予習してもらうのもいいかもしれません。
歌の内容的には、営業職の人や仕事に疲れている人、夢を追い求めて荊棘の道を進む人に聴いてもらえたらうれしいなと思います。
 
 

 

 声を揃えて「馬鹿ばっか」

 

dino:
「馬鹿ばっか」でコールアンドレスポンスしたら会場すごい雰囲気になりそうやな……(笑)。
 
神部:
一度でいいからそんな光景見てみたい(笑)。よく訓練された羊さんたちだけのライブとか絶対に楽しいよね。
 
dino:
サビの良いところでブレイクしてコールアンドレスポンスするとなるとかなり時空が歪みそうですな(笑)。
DJプレイ的にそのポイントを止めてお客さんに叫んでもらう、とかは現実的かも。
みんな (自分達も含め) 練習しておいてね♡
 
 

 

 歌メロと譜割りの奇怪さ

 

dino:
あとこの曲のひとつ注目してほしいところというか、普通と違うことしてんなあというところは、ラストサビのメロディと楽器隊の譜割りが違うところかなあ。このアンバランスさが慈雲のオクターブ下のバッキングボーカルと組み合わさってかなりおどろおどろしい雰囲気を醸し出してると思う。
 
神部:
そうそう、このことを忘れてた。
ここは違和感を覚えてもらいたくて、あえてオケ隊から分離するような奇妙な譜割りにしたんだよね。
特に
「諦めろ 楽になるよ 水面下から 声が」
の歌メロの間延び感は気持ち悪い面白さがあると思う。
 
江口:
1番最後の「聞こえる」のメロディは何パターンも作ってめっちゃ吟味したよな(笑)。
 
神部:
えっ、そうだったっけ?
またしても新事実が浮上した(笑)。
 
江口:
歌の音階もリズムも色々練って、最終的に採用されたのが俺の発案? なので覚えてる!
 
神部:
そっか、くみちゃん案だったか。なんだかいろいろ忘れてるなあ……。
 
江口:
最初はもうちょっとスッキリしたメロディになってたのを、終わり際を後味悪くしようってことで、ギリギリの気持ち悪さを狙った感じにしたんやで。
 
神部:
ああ! そうだった気がする!
あの終わり方、確かに絶妙にスッキリしないもんね。
でもそう考えると、『薄氷』は全曲の中でもとにかくみんなと一緒に考えて仕上げていった曲なんだろうな。


 

(文字クリックでジャンプ)

 

 

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目次

 

― 【対談編 後半】 ―

4.音像にこめた意図

 ▶ テンポ感の難しさ

 ▶ ジャケットの親和性

5.個人的に力説したいこと

 ▶ 歌詞の視点
6.歌詞について

7.メンバーランキング

 

― 【真相編】 ―

8.神部の一人語り

 

 

 

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4.音像にこめた意図

 

 

神部:

音像、というよりもぼくの場合は詩情について。

この曲に込めたかった最大の感情は “切なさ” です。歌われている言葉の一つ一つやぼくの声色から、聴く人が少しでもセンチメンタルな痛みを覚えてくれたらいいなと思っていました。

(実際に聴き手から得た反応として、死別の経験、忘れ難い人との望まぬ別れ、それらがもたらした悲しみや未練を想起させられたという声もありました)

 

音像については、曲全体を通して 「走馬灯」 のような、過去の記憶と現在の思念が頭の中で何度も交錯する目まぐるしさを感じさせられるものにしたいと望んでいました。

「あの人に会いたい」 、けれど 「もう会えない」 、そんな空虚さや惨めな現実から逃避しようとする焦燥感にも似た渇望、それらを曲調からも感じ取れるようにと、旧版よりBPMを上げた訳です。おかげでメンバーはレコーディングもライブも大変だっただろうけれど(笑)。

ぼくはちょっと頭の作りが普通と違うので、思わず身体が揺れ動くような疾走感のある曲調でも、進行と歌詞次第で勝手に切なくなったり涙してしまえる人種なのですが、聴き手の方はどうだったでしょうか。

 

ちなみに2番Aメロ後半 (1分34秒~) 、

「鏡の向こうに嫌気が差す夜更けには 届かない手紙をしたため続けているよ」

という歌詞のバックでぼくが弾いているきらびやかなフレーズは、おそらく歌やこにーちゃんのギターに隠れて、ほとんどの人が聴き取れていないんじゃないかなと思っています。ぼくの感覚では、透明感とか光を表したい場合に高音を用いるのが主ですが、 『トゥルーエンド』 では違う意味を与えました。

どこにも届けられない思いを胸の中で言葉に変えては、それらを幾重にも募らせていく内に、やがて目元から溢れ出していった一滴一滴。鈴のように針のように高く鋭く鳴らした音は、胸の痛みとその表出 = 涙 を意図しています。

 

 

こにー:

『ヴァイタルサイン』 と似て非なる感じの音像にしていて、さらにそこから2本のギターが絡む分、ちょっと艶っぽい感じにしている。

間奏から (2分28秒~) の奇妙な音は、理想と現実とか絶望と希望みたいなものを色に置き換えて、最初はまだらになった奇妙な色が混ざることで一色になっていくイメージで、最後のサビ (一色) がよりクリアに聞こえるように、敢えてすごく奇妙な音に作り込んでる。

 

 

dino:

音像に関しては正直前回の 『ヴァイタルサイン』 の時にも触れたけど、アルバムを通して比較的プレーンな音像になってます。フレーズ的には、イントロやAメロ部分はちょっと翳りのある雰囲気に合わせてベトッとしたベースラインを意識したのと、サビ部分はドラムフレーズの手数の細かさを借りて、気持ちのびやかなフレーズをあてることでなんとなく都会の夜みたいな雰囲気を演出しようとはしているかなあ。

 

 

江口:

流れるように聴いてほしいところと、流れを止めて詰まったようにしているところの落差を意識しています。

これらが切り替わるタイミングでは強く意識しないと、テンポとか意図しない部分に違和感が出たり、逆に意図したような違和感が出せなかったりするというのも。

 

 

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▶ テンポ感の難しさ ◀

 

こにー:

江口もリズムについて言ってるけど、この曲は結構リズム意識して練習してた気がするよね。

 

神部:

確かにこの曲はスタジオ練習でも全員でクリック聴きながら合わせたりしてたね。

イントロがハーフテンポ、2番サビ終わりからまたハーフテンポで、間奏はいったんリズム隊が消えて、大サビで盛り上がった後、またアウトロでハーフテンポになったり……と大忙しな分、全員のテンポ感の統一とキープにとにかく苦戦した思い出があるね。

 

 

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▶ ジャケットの親和性 ◀

 

神部:

あとdinoの話だけど、イントロ~Aメロの 「翳りのある雰囲気でベトッとしたベーライン」 とか、サビは 「伸びやかなフレーズで都会の夜みたいな雰囲気」 っていうところがぼくのイメージしてる通り過ぎて改めてびっくりした。

『トゥルーエンド』 は人工的な光に囲まれた夜の片隅で木漏れ日に焦がれているような詩世界の曲だから、dinoのこういうねらいでもアーバンな空気を醸し出せていたらいいよね。

(どうでもいい話だけど、『トゥルーエンド』 はぼくの音楽の中では 『夜間飛行』 と並んで2大 「夜の高速道路で聴いて欲しい曲」)

 

dino:

そう言っていただけるとありがたい(笑)。

ちょっとズレるけど、『リハビリテイション』 のジャケットの色味に一番近いのが 『トゥルーエンド』 やと自分の中で勝手に思ってるわ。

背景に都会の灯りがあって、歩道橋に佇む少女が飛んでいったマフラーを見つめて (?) いるという構図やと思うけど、結構 『トゥルーエンド』 の世界観と個人的にはマッチするなーと思ってる……という余談でした。

 

神部:

分かる。とっても分かる。

どちらかと言うと怖さや寂しさを感じてしまうような都会の夜の中で、おぼろげな街灯に照らし出された少女の孤独感がよく表れた作品だよね。真っ黒と見せかけて黄色が混ざったダークグリーン調だったり、色味や明暗のバランスは 『トゥルーエンド』 の持つ印象にぴったりだと思う。

リハビリの時は麺類子さんにはあえて何も指定せずにご本人にお任せして描いてもらって、『昨日のおとしもの』 の時と同じ夜の絵になったのがうれしかったな。分かってくれてるなあ、って感動してた。

きちんとぼくらの曲の詞や音像から着想を得て描いてくれたのが伝わってきたし、ジャケットはぼくの予想を上回る形で 「リハビリテイション」 というテーマを表現してくれたと思う。麺類子さん、お元気にしてるかな。

 

dino:

そういや特にお題というか縛りとか無しで描いてくれたんやったっけ。

本当に聴き込んで、理解して描いてくれたんやろうなというのがどちらの作品からも伝わるよね。 『リハビリテイション』 は特に、このジャケじゃないとって感じがするわ。

黄色ってバンドのイメージ的には (こにーちゃんのタイパンツ以外) あんまり持ってなかったんやけど、初めてジャケットのアガリ見た時、これやなあってなった記憶ある。

 

こにー:

ジャケットのこれやな感は確かにそうね。個人的には 『トゥルーエンド』 ももちろんだけど、このアルバムを通して聴きながらジャケットを見てると、曲ごとにジャケットの印象が変わる気がしててすごく不思議な感じ。

それはとても素敵な事だし、このアルバムを好きでいてくれる人たちも同じなんじゃないかなーと思ってる。

 

神部:

そうそう。 『昨日のおとしもの』 の時の感動を信じて、麺類子さんにあえてお任せしたよ。

実はぼくも 『リハビリテイション』 が黄色を基調とした画で上がってくるとは思ってなかったんだよね。それでも後から後から 「これしかなかったな」 って実感が湧いていったんだから不思議。

振り返ってみると、リハビリって自分が思っていた以上に暗くて悲しいアルバムで、優しさとか透明感みたいな色調とはかけ離れていたんだなって気が付いて。そう思うと、麺類子さんはもしかしたらぼくら以上にこのアルバムの持つ表情を読み取ってくれていたのかもしれないよね。

こにーちゃんの話もそう。曲が絵の印象を変えるのか、絵が曲の印象に寄り添ってくれるのか、聴く人と見る人の心を映す鏡のような面白さがあるよね。

単一のアルバムのジャケットとしても見れるし、各曲ごとのビジュアルとしても見れる、そんな魅力のある絵だと思う。

 

 

江口:

そういえば 「夜の高速道路で聴いてほしい」 ってずっと言ってたな(笑)。

 

神部:

9年経っても言い続けていくよ(笑)。

その2大ソングについては、そもそも自分が高速道路で聴きたくて創ったところもあるからね。

 

 

 

 

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5.個人的に力説したいこと

 

 

神部:

全楽器隊が、バーバーの楽曲中トップクラスの難度とBPMで演奏するこの曲は、どのパートも隅々まで味わい尽くして欲しいと思うほど緻密で凝った作りになっています。

 

跳ねるような疾走感あるビートを盤石に固めてくれたリズム隊。

dinoの粘り気のあるベース音は休符の取り方が粋だし、1番Aメロと2番Aメロの譜割りの変化の面白さ、サビやアウトロなど聴かせどころでの躍動感は文句なしです。

くみちゃん (※Dr.江口) は一曲の中で見本市のように様々なビートを刻んでいる点や、これでもかと言わんばかりにねじ込んでくる精緻かつ圧倒的なフィルに注目 (注耳?) してください。特にラストサビ終わり、「あなたに会いに行くよ」 からの怒涛のフィルインは神がかり的です。

ぼくもこの曲では珍しくギタリスト然とした演奏をしているので、アルペジオのピッキングニュアンスを感じてもらえればと思いますし、2番目Aメロ後半の美しさにも気付いてもらえたらうれしいです。

こにーちゃんはもはや言わずもがな、『トゥルーエンド』 においてもう一つの “歌” として詩世界を彩ってくれた手腕をつくづく讃えたいです。こにーちゃんのリフがなければ、この曲をここまで昇華することはできなかったでしょう。

 

 

こにー:

上でも書いてしまったけど、自分の中でのリードっぽいイメージを結構入れ込んだ曲なので、1番と2番のアプローチの違いとか、サビでの動き方など、リードギターに耳を向けて一曲通して聴いてみるとまた違ったストーリーが見えて来そうな感じなので、そういう聴き方を一度してみてもらいたいです。

 

 

dino:

意外に思われるかもしれませんが、バーバーの中では数少ない

「男女の関係性 (の成り行き)」

みたいなものにスポットをあてた珍しい曲。もちろん他にも 「君と僕」 みたいなモチーフの曲はあるんやけど、他の楽曲が生活の延長みたいな感じやとしたら、『トゥルーエンド』 は少しスパイスが効いてて刺激的な曲だなあと思ってます。

あと、「1.自分にとってトゥルーエンドとは」 で触れたような理由で録音版とライブ演奏版のベースのフレーズが一番違う曲というのも個人的にはあります、それが良いのか悪いのかは別として(笑)。

 

 

江口:

マルチエンディングが用意されているストーリーの中でのトゥルーエンドは通常、一度の試行では掴みとれないルートになっていると思います。

これは比較対象がない初回で確認されては困るという制作サイドの都合もあると思いますが、

「真実に到達するのは容易ではなく、また苦難の道を乗り越えたからといって必ず大団円が待っているわけでもない。けど進めるの?」

と覚悟を求められているようなメッセージにも見えますね。

個人的な言葉への見解ですみません、詳しくは当時そのあたりを力説していたカンベさんに委ねます(笑)。

 

 

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▶ 歌詞の視点 ◀

 

神部:

dinoの言う通り 『トゥルーエンド』 はああいう視点で描いたからか、リスナーにも恋愛色が強めの歌として捉えられてる節があるよね。もちろんあらかじめそう受け取ってもらってもいいように書いたつもりだし、その点では想定内の反応だったな。

似たようなポジションに 『耳鳴り』 や 『明るい曲』 があるけれど、あの辺とはまた一線を画す位置にあって、確かにほどよいアクセントになってくれたのかもしれないね。

 

dino:

『耳鳴り』 とか 『明るい曲』 も似たようなポジションではあるんやけど、なんというかこの2曲は日常生活の中の苦悩とか葛藤みたいな気がするんよね。そういう意味では 『トゥルーエンド』 はもう少し違うレイヤーに居るというか。

何というか上記の2曲より 「関わり合い」 そのもの に重きが置かれてる気がするな、と。

 

神部:

そうだね。この歌詞を読んだだけでは 「僕」 と 「君」 がどんな関係性なのか具体的には分からなくて、せいぜい読み取れるのは

「再会を誓った後に引き裂かれ、そのまま離れ離れになった二人」

ってことぐらい。だからこそ聴き手がそれぞれの別離や未練、つまりは “自分だけの物語” を重ね合わせる余地が生まれると思ってぼくもああいう風に書いていて。

多種多様な他者との関わり合いの中で、心に深く刻まれた出会いと別れ、ただその一つを思い描ける一曲になればと考えていたから、dinoの印象は的を射ていると思うよ。

 

 

 

 

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6.歌詞について

 

 

神部:

ちょうど歌詞の話になったし、『イーハトーヴ』 や 『ヴァイタルサイン』 の時にはあまり触れられなかったから聞いてみたいんだけど、みんなは 『トゥルーエンド』 の歌詞について何かある?

 

江口:

ずっと思ってたんやけど、「湿気った風」 が吹いてる 「地下鉄」 って烏丸のこと?

 

神部:

そう。ぼくの中では京都市営地下鉄線と阪急線が交差する四条烏丸駅のことだね。市営地下鉄線も大概なんだけれど、特に阪急烏丸駅は年中電車が来るたびに埃っぽくて気持ち悪い風が吹いて、いつも気が滅入ってたんだ。そして京都市営地下鉄線も阪急線も、ぼくが本当に行きたい場所には絶対に辿り着かない路線でしかないって思いもあった。

『耳鳴り』 でも電車の描写が出てくるように、ぼくにとって近畿圏の公共交通機関は、

「望んでなんかいなかったはずの場所に来てしまった」

って感覚をもたらすものとして描かれるパターンが大半だね。

 

江口:

確かに!!

「猛スピードで走る特急」 = 止まらない = 烏丸 か!

めっちゃすっきりした(笑)。

 

神部:

あれ、烏丸は特急も止まらなかったっけ?

一応 『耳鳴り』 は竹田駅なんだけどね(笑)。でも西院とか大宮駅なら特急は止まらなかったから、よく過ごしてたあの辺も印象付いてる一部なんだとは思う。

 

dino:

『耳鳴り』 って勝手に京阪とか近鉄の丹波橋くらいやと思ってた(笑)。良くも悪くも俺と慈雲は学生時代にあの辺りに思い出あるしね……(笑)。

『トゥルーエンド』 に関してはこっちも勝手に京都じゃなくて東京とか首都圏かなーと思ってたわ。曲の雰囲気からかな? なんでかはわからんが……。

 

神部:

それだと完全にぼくとdinoの学生時代になるね(笑)。竹田駅も含めて、近鉄線にはろくな思い出がないなあ……(笑)。

あくまでぼくの中ではの話だし、曲を創る上では田舎から東京に上京した人をイメージして書いていたから、むしろ同じ近畿圏にいたdinoがそう感じてくれたならうれしいね。

 

 

 

 

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7.メンバーランキング

 

 

『トゥルーエンド』 ランキング

 

神部: 1位

こにー: 9位

dino: 10位

江口: 2位

 

 

神部:

ぼくとくみちゃん (※Dr.江口) 、こにーちゃんとdinoでまさかの上位と下位にきっぱり別れたね(笑)。
 
dino:
『トゥルーエンド』 は自分の中のランキングでは一番下なんやけど、これも相対的なもので実際順位が低いからどうこうとかではないんよね……。
単純に楽曲の (主にアレンジ部分) 個人的な好みで選んだらこうなったという。
 
神部:
まあ、たぶんぼくだけでなくみんなも、どの曲に対してもそれぞれの愛着はあると思うし、好き嫌いとかじゃなくて自分の価値基準と照らし合わせての相対的な順位だろうからね。
こにーちゃんは 『トゥルーエンド』 ではかなりいろいろ面白いことしてると思うんだけど、それ以上のお気に入りが他にあったのかな。
ぼくとしてはくみちゃんが上位に入れたのが結構意外だったね。
 
こにー:
多分プレイスタイル的なところがリードリードしてる部分もあるのと、バーバーにおけるリードギターの立ち位置がこの頃からは随分と変わったのもあるしね。
あと、使い勝手が良くて頻出してた分、ライブとかですごく印象に残ってるみたいなのが少ないのかもしれない。
 
江口:
単純にメロディが好みというのもあるけど、曲として聴きやすくて馴染みが良いのが気に入ってるかな。
カンベさんの言う 「高速道路で聴いてほしい」 感というか、例えば不意にFMラジオで流れてきても違和感がないような感覚というか。
 
 
 
 

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真相編へ続く
 
 
 
 

 

2022年1月19日から始まった 『リハビリテイション』 セルフライナーノーツ。更新が2ヶ月ぶりとなってしまいましたが、第3回は 『トゥルーエンド』 を語ってゆきます。

 

 

『ヴァイタルサイン』 回同様、今回もブログの文字数限界をオーバーしてしまったため、前後編+特別編に分けての投稿です。

前後半ではメンバーの一問一答と対談形式を織り交ぜた「対談編」を、また後日にはVo.神部が 『トゥルーエンド』 に隠された物語を語り尽くす「真相編」をお届けします。

 

 

 

 

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目次

 

― 【対談編 前半】 ―

1.自分にとってトゥルーエンドとは

  ▶ “ギタリスト”こにー

 ▶ セットリスト採用率の高さ

2.楽曲制作時のエピソード

 ▶ レコーディング観の変化

 ▶ メンバー間での指摘と提案

3.レコーディング時のエピソード

 ▶ “総監督”神部慈雲

 

― 【対談編 後半】 ―

4.音像にこめた意図

 ▶ テンポ感の難しさ

 ▶ ジャケットの親和性

5.個人的に力説したいこと

 ▶ 歌詞の視点
6.歌詞について

7.メンバーランキング

 

― 【真相編】 ―

8.神部の一人語り

 

 

 

 

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1.自分にとってトゥルーエンドとは

 

 

部:

ぼくが詞を書き、メロディを乗せ、歌い、演奏する、それらの行為すべての動機を形にしたもの。たとえ誰になんと思われようと、この曲は

「ぼくが創らなければならなかった歌」

だと受け止めています (理由は真相編で後述)

ぼくが生み出した楽曲の中で、これほど特別な思い入れのあるものはそうそうありません。歌詞に描かれている思いや状況からは様々な変化を経た今も、変わらず心のすぐそばに置いてある大切な一曲です。

この曲を聴きさえすれば過去の記憶や心象風景が色鮮やかに蘇るのも、ぼくの言葉と声に対し、それだけの音を飾り付けてくれたメンバーのおかげだと感じています。

 

 

こにー:

3人でのデモ音源があったので、そこからリードギターというものを音でも役割でも作る様にチャレンジした曲だった。元々リードギターというようなギターを弾くタイプのプレーヤーではないので。

 

 

dino:

バンド再編時からバンドの実態が流動 / 変化していくのに合わせて一緒に変化してきた楽曲。録音も2バージョンあるので、その時々の自分の中のモードがそれぞれのバージョンからわかるので、ある意味自分の合わせ鏡みたいな曲。

それゆえに曲と対峙する瞬間 (録音とかライブとか) 毎にその瞬間の自分がモロに出るので、手放しで「大好きです!」 とは言えない複雑な関係性の楽曲。

 

 

江口:

そう長くなかった3ピース期間にも録っている曲で、『夢の出口』 と並んで計り知れない苦悩が詰まった思い出深い曲。

ライブでは使い勝手の良い曲調だったのと初めて聴く人に受けが良い傾向だったというのもあって、打算の部分で頻出させているところもあったと思います。

 

 

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▶ “ギタリスト”こにー ◀

 

神部:

ぼくらの音楽を長年聴いてくれていた人からしても、こにーちゃんが 「THE・リードギター」 的なタイプのプレイヤーではないってところは驚かれるかもね。でも 『トゥルーエンド』 に着手した辺りから既にその才覚と適性は十二分に見て取れたし、事実この曲でのこにーちゃんの果たした役割はとても大きいと思う。

 

dino:

こにーちゃんの真の姿というか、ソロ活動や前バンド時代を知ってる人からしたらバーバーでのこにーちゃんは “ギタリスト” 的な色がかなり前面に出てきてるプレイヤーに見えるかもね。そういう意味ではこにーちゃんのセンスと器用でなんでもこなせる所がかなり良く反映された曲のうちのひとつかも。

 

神部:

そうそう、正にその通り。

ぼくは今でも忘れないんだけど、こにーちゃんに

「こういう “ギタリスト” みたいな弾き方ばかりさせてしまっていいの?」

って聞いたら、それに対してこにーちゃんが

「慈雲の曲という制限のある中で、どういう音作りをして弾くかとか、こだわれるところや遊べるところはたくさんあるからな。僕はそういうのも楽しいで」

って返してきて、

「わあ……この人すごーい……」

って感動したよ(笑)。

 

こにー:

リードギターっていう感じのは今でも得意ではないけど、幅は広がったかなとは思うね。

それにしても慈雲よく覚えてるな(笑)。

そのやりとり全く覚えてないわ。

 

神部:

ほら、そういうところ(笑)。これだけリードギター然とした演奏とリフなのに自分の本領発揮ではないってすごすぎるし、マルチな才能だよ。

言葉選びはもう少し違ったかも知れないけれど、ぼくにとっては負担を掛けたり抑圧してしまうかなと心配したことを、好意的な挑戦として受け止めてもらえたのは衝撃的だったね。

 

 

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▶ セットリスト採用率の高さ ◀

 

神部:

あと 『トゥルーエンド』 はライブで、曲間を繋ぎつつフロアに熱を与えていく使い勝手のいい曲だったから、相当重宝したね。

 

dino:

確かに、ライブでの演奏回数は新曲が出来て他の曲がレギュラー落ち(笑)していく中で 『夜間飛行』 や 『耳鳴り』 と競るくらい 『トゥルーエンド』 は頭抜けてる気はするな。

 

神部:

使い勝手のよさの代償として、ぼくらがチューニングや水分補給をしている間、くみちゃん (※Dr.江口) は延々とリムショットさせられるという拷問を受けていたけれど(笑)。

 

江口:

テンションが高まってる中で、カンベさんの言うような曲間の繋ぎがMCの兼ね合いとかで長くなってしまった時、たまに

「おい……急に関係ないフレーズ叩いてむちゃくちゃしてやろうぜ……」

って囁いてくる悪魔がいたんやけど、これはあるあるなのかな(笑)。

 

神部・dino・こにー:

(笑)

 

 

 

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2.楽曲制作時のエピソード

 

 

神部:

『トゥルーエンド』 はこにーちゃんが加入する前、まだ BAA BAA BLACKSHEEPS がぼくとdinoとくみちゃん (※Dr.江口) の3人だった最初期に制作した楽曲 (旧版) です。

前身バンド THE VESPERS から BAA BAA BLACKSHEEPS に名を変えて再出発した際、リードギター不在の状態ではそれまでの楽曲が演奏できなくなったという編成上の問題と、新バンドとして新たな曲作り・レコーディングに早く挑まなければならないという活動上の課題が生まれました。そうしてこの時期に作られたのが 『トゥルーエンド』 、『夢の出口』 、『そうなんだ』 などです (未レコーディングの 『トワイライト』 も同時期)

『トゥルーエンド』 は1st demo の旧版レコーディングの歌録り直前まで歌詞がまったく書けず、エンジニアの和田さんをお待たせして寒空の下書き上げ、完成した歌詞を目視しながら歌録りしたという経緯があります。推敲を重ねることなくその場の勢いで書いたにもかかわらず、今でもこれ以上手を加える必要はないと思える詞になってくれたのは僥倖でした。

旧版制作から1年後、こにーちゃん加入後に編曲を一から見直してリハビリに収録することとなり、ぼくのたっての希望で旧版よりBPMを少し上げて、みんなでアンサンブルを見直し、この形になりました。4人編成での再編曲として試行錯誤した分、それぞれのパートに魅力のある、納得の仕上がりになったと思います。

 

 

こにー:

イントロの2本のギターが絡む部分は、スタジオでみんなに一服しておいてもらっている間に一人でループマシンを使って重ねて考えたのをよく覚えてるな。

 

 

dino:

前身バンドからバーバーに名義が変わった直後くらいに出来た曲なので、当時こにーちゃんがまだ加入する前のスリーピースの状態で、どのように曲を構築していくかを模索した気がする。

この曲と 『夢の出口』 は 1st demo に録音されてるんやけど、当時のバージョンの 『トゥルーエンド』 は曲の終わりがフェードアウトだったりとなかなか (今思うと) 苦肉の策をもって録音されてるなーとちょっと当時を思い出してほっこりした。

(ちなみに余談ですが、旧版のレコーディングはたまたまその場に居合わせた空中ループのBa.森勇太さんのベースをお借りして録音したのでなんかかなり良い感じの録り音になってる)

 

 

江口:

この頃 (3ピースの時) からカンベさんのバッキングとかディノさんの音作りとかに意見することが増えてきていたなと。

やっぱりそれぞれがこだわりを持って制作しているし、口出しされるのは鬱陶しい部分もあるはずなのに、2人とも嫌な顔せずに聞き入れてくれて。

4人で制作しているときはギターの音が増えて+1されたことはもちろん、一緒に考えて構想してくれる人数も+1で二度美味しいなあとか感じていました。

 

 

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▶ レコーディング観の変化 ◀

 

神部:

旧版の 『トゥルーエンド』 がフェードアウトで終わってるのは、単純にぼくが 「こういうのがいい」 って希望したからだよ。

最近あまり聞かなくなったよね、フェードアウトで終わる曲。一昔前は邦楽洋楽問わず定番の手法だったけれど、世界的な潮流としてトレンドから外れていったんだろうね。

ぼくは 『トゥルーエンド』 を、何かの映画とかゲームのエンディング曲に感じられるような曲にしたかったっていうのもあるし、生演奏では物理的に不可能な演出としてフェードアウトで終わっていくのはありだと思ってた。

リハビリ収録曲のどれもがしっかり演奏しきって終わっているのは、ぼくらがライブバンド的な自覚と自負が根差していった影響が色濃く出たんじゃないかな。結果論的な見方かもしれないけれどね。

 

dino:

そうやったっけ……なんか旧版の終わり方に関しては割と話し合った結果ああなった記憶があった気がしたけど、なんせだいぶ前やし記憶が不確かやわ……(笑)。

ライブバンド的な自覚と自負に関しては結果的にそうかもな。フェードアウトって録音技術の上でしか再現できないし、それを使わないというのはひとつそういう自信みたいなのがついたからかもしれんね。

 

神部:

そう言われたら急に自信なくなってきちゃった(笑)。

ぼくは大学時代にTRICERATOPS の 『Jewel』 をよく聴いていてさ、あれもフェードアウトで終わるし、今思うと曲調も相当影響を受けてる気がするんだよね。

そうそう。自分たちの音楽が

「CD収録した音を基準に演奏するもの」

ではなく、

「ステージで演奏している音を基準に収録するもの」

に変わっていったようなところはあったと思うんだ。

 

 

dino:

今思えばなんやけど、別にステージで演奏するものを基準にする必要は必ずしもなかったんやろうけど (録音物でしか表現できない世界もあるし) 、当時初めて出すフルアルバムって事でなるべく身の丈に合った物を録音しようとしたんかもしれんね。

 

 

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▶ メンバー間での指摘と提案 ◀

 

dino:

身の丈に合った物を録るとか作るとかいう話では、結構江口のアドバイスはタメになったかも。江口自身は口出ししてたって思ってたかもやけど、技術的な向上心に関して江口はバンド内でおそらく他3人よりもよりストイックやったから (というと角が立つかもやけど笑) 、信頼して江口の言うこと試してみようと思った事がそれなりの回数あった気がするな。

 

神部:

うん。曲を創るのがぼくである以上、どうしても否応無しにぼくの発言権の強さみたいなものを感じさせてしまう部分もあるんじゃないかって思ってたから、くみちゃん (※Dr.江口) やみんなから自発的に指摘や提案をしてもらえるのはうれしかったな。ぼくがただ書いたに過ぎない歌を、よりよいものにしようとして言ってくれてることだからね。

 

江口:

自分達が演奏して気持ち良くなるほど聴いてる側も移入しやすくなって相乗効果が発生するはず……みたいな思いがみんなの中に共通であったと思うし、だからその一端になる編曲とかアレンジにも気合い入っていくのかなあと。

 

神部:

「自分たちがまず誰よりも先に熱狂・感動できなきゃ始まらない」

って意識がみんな共通の観念としてあったよね。

後から粗探しをするのは簡単だけれど、出来上がったものを耳にすれば、編曲やアレンジを当時みんなで悩み抜いただけはあったと思う。

 

dino:

そういう意味では難所を抜けてきた曲たちが並んでるアルバムやし、当時の自分達のモードをなるべく最善の形でパッキング出来たんではなかろうかと思うね。

 

神部:

うん。ぼくもまったく同じ気持ち。

大体曲作りの時はいつもどこかで難航してストップして考え込んだり唸ったり、ああでもないこうでもないって話し合ってたもんね。

 

dino:

確かに、いずれの曲も必ず何かしらの難所があって、その難所を越えられずに眠ってる曲たちも多々あるな……(遠い目)。

 

神部:

最後まで紡げなかった音と言葉がどれだけあったことか……(ため息)。

 

 

 

 

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3.レコーディング時のエピソード

 

 

神部:

歌録りにほんの少し悔いが残っている以外には、あまりレコーディング時の記憶がありません。唯一思い出せるのは、こにーちゃんの考えたイントロのリフを、1番Aメロ後半でミュートピッキングから少しずつ開放にして弾く箇所が、自分でも思っていた以上に綺麗な収録になった感動です (ここはライブでも特に意識して弾いていましたが、我ながらよくあれを弾きながら歌っていたなと思います)。

こにーちゃんのギターリフを筆頭として、 『トゥルーエンド』 は歌なしの空オケ音源を聴いて欲しいと思う程度には、楽器隊が本当にいい仕事をしてくれています。その分スムーズに歌に入り込めたからこその記憶の乏しさなんだろう、というのがぼくの所感です。

 

 

こにー:

サビの部分でもよく動く曲なんやけど、多分メンバーも気づいてない位の動きをしてたので、レコーディングの時に

「こんな事になってたんや」

と言われたのが印象的。同じようなフレーズでも微妙に違ってたりするし、アルペジオっぽいリフやカウンターメロディっぽい部分があったり、今では作らなさそうなフレーズが結構ある。

 

 

dino:

『イーハトーヴ』 以外は当時持ってたジャズベースで録音したんやけど、1st demo 録音時に森勇太さん (空中ループ Ba.) からお借りしたベースにバルトリーニのピックアップが載ってて、それを意識して自分もバルトリーニのピックアップに載せ替えたのがデモの録音から紐づいて、ある意味エピソードといえばエピソードかも (笑)。

個人的にはレコーディング時にテンポキープにめちゃ苦心した印象がある……。

 

 

江口:

3人のトラックは夜中にVOXhallスタジオで、4人のトラックは昼に奈良のスタジオで。

実は1番のAメロがとても苦手で。ライブでも毎回冷や汗をかきながら演奏してたけど、REC時はどちらも思ったよりすんなり録れて内心胸を撫でおろしまくっていました (笑)。

 

 

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▶ “総監督”神部慈雲 ◀

 

dino:

当たり前やけどみんな自分のパートについて回答してくれてるから、こんなこと考えてたんや、と何故か感心してる自分がいる……(笑)。

多分 『トゥルーエンド』 以降の曲は、リズムトラックは奈良、ウワモノは京都で録音したんやんね?

やしリズム隊とウワモノが触れ合う機会が 『ヴァイタルサイン』 とかよりも少ない気がして、改めてこうやって読むと新鮮やなーと。

 

神部:

やっぱりメンバーごとに当時考えていたことを聞けるのは純粋に楽しいし、うれしいよね。

そうだね、リズム隊を奈良、ボーカルとギターを京都って録り分けたはず。しかも当時はみんな仕事休みが限られていたから、立ち会ってない収録もあったよね。

すべてのレコーディング現場に居合わせたのは最終的にぼくだけだったんじゃなかったかな。ぼくも大変だったよ、歌とギターだけじゃなくて監督もしなきゃいけなかったから本当つらかった(笑)。

 

dino:

そうやね、レコーディングが進むにつれ慈雲以外の3人のうち誰かが欠けてる現場ってのもチラホラあったね。

確かに慈雲は歌 (バッキングボーカル含む) 、ギター、監督と、レコーディング中は仕事量多かったな(笑)。

 

神部:

ぼく自身 「ぼくが立ち会わずしてどうする」 って思いは当然あったけれど、みんなも 「やっぱり慈雲がおらへんと」 って思っていてくれたようだったのがうれしかったな。ぼくは決してエンジニアでもプロデューサーでもないのに、自分たちの音楽の最終形を判断するって責任の伴うところで、みんなに信頼してもらえていたのかなって。ぼく一人のうぬぼれだったら恥ずかしいけれど。

 

dino:

まあ実際俺たちの音楽って、

「神部慈雲という人間から出た物を3人で編集もとい編曲 (慈雲自身も編集するから結局4人で、かな) → 監督 (慈雲) のゴーが出る → 世に出る」

ってプロセスやと解釈してるから、少なくとも俺も慈雲が立ち会わんとそもそも話にならんとは思ってたし、今でもそれはそうやと思う。

仮に他のメンバーが作詞作曲したらその曲においてはそのメンバーが監督になるとは思うけど、それを盤にまとめる場合の最終チェックは慈雲やろなあと思ってるよ。

『リハビリテイション』 を経て、セッション的な曲作りで生まれたフレーズ (すでにパーツだけなら割とあるよね) を使った曲が完成したとしたら、その辺はまた役割変わるかもしれんけど、それでも最終的なゴーは慈雲やと思うなあ。

 

こにー:

それofそれ。

細かいところではそれぞれが意見してくれたりはあるけど、慈雲がやらなあかんよね、それは。

他のメンバーがやってたら全然違うアルバムになってると思うし。

 

神部:

ふたりともありがとう。なんて言えばいいのかな、みんなにとってはそれが前提意識になってること自体というか、当たり前にそう思ってくれてることがすごいと思ったんだよね。

だってもしかしたら、「神部慈雲が作った曲だろうが知らん、俺はこういう音作りと完成形がいいんだ」 って人だっているかもしれないじゃない?

ぼくの中にある 「これは美しい」 、「これは美しくない」 、「これは仕方ない」 って価値観はあくまでぼくのものでしかない。人によって千差万別の価値基準をぼくのそれに一任してもらえる誇らしさと重さとを感じていたよ。

リハビリはエンジニアの和田直樹さん (空中ループ Gt.) のミキシング・マスタリング技術によってぼくらのポテンシャル以上に相当磨きをかけてもらったから、ぼく本人の手柄ではないのは言うまでもないけれど。ぼくの取捨選択の一つ一つを確かめていった成果として、あの盤はできたんだろうなとは思って……いいよね?(笑)

 

dino:

神部慈雲の曲だろうが知らん、っていってこうしたいんだけどって相談じゃなくて無理くりその方向に持っていくやつは多分一緒にバンドできんと思うよ(笑)。

レコーディングのとき結構細かい表現とかタイミングまでちゃんと細かくチェックしてたから、その成果で間違いないと思うよ。

 

神部:

それもそうか(笑)。

いずれにしても、わがまま太郎なぼくにも合わせてくれたり、大事な時にはしっかり意見をくれたり、みんな大人なメンバーだと思うよ。

そう言ってもらえてよかった、ありがとう。

 

 

 

 

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対談編 後半へつづく

(文字クリックでジャンプ)

 

 

 

 

 

【訂正】 2022.03.20 追記

 

先日2月20日に投稿した本記事において、Vo.神部による一部の文章中、読み手の方に対し、神部本人の意図や願いとは異なる心証を与えかねない箇所が見受けられたので、加筆修正の上、記事を再投稿しました。

既に本記事を読まれた方にはお手数ですが、今一度ご一読いただければ幸いです。

 

 

 

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目次

― 【後半】 ―
5.メンバーランキング

6.フリートーク
7.個人的に力説したいこと
8.神部の一人語り

  ▶ 楽曲制作に至った背景と当時の心境 ※追記

  ▶ “OK” or “NO”

  ▶ 生命兆候

  ▶「何者かになる」 という呪い ※追記

  ▶ ふたつの孤独 ※追記

  ▶ 歌詞に忍ばせた意図

9.次回予告

 

 

 

 

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5.メンバーランキング
 

今回から楽曲ごとのメンバーランキングを発表していきます。
『リハビリテイション』 全11曲の内、
 7.ベランダの向こう
 8.夢の出口
を単一曲扱いにして、計10曲を各メンバーがお気に入り度順にトップテン方式でソートしてみました。あなたは誰のランキングといちばん近いでしょうか?
※なお 『イーハトーヴ』 のメンバーランキングについては、該当記事に再度追記しておきました。興味があればそちらも覗いてみてください。
 
 
『ヴァイタルサイン』 ランキング
 
神部: 3位
こにー: 7位
dino: 3位
江口: 8位
 
 
神部:
ぼくとdinoがまったく同位で、くみちゃん (※Dr.江口) とこにーちゃんが低めという結果になったね。dinoはやっぱり 「BAA BAA としての矜持」 的な内容でってところかな?
 
dino:
特にバンドメンバーとして、っていうのを強く意識した結果ってわけでは無いかな、期待に添えない回答で申し訳ないけど……。
なるべく今回ランク付けするに当たって、シンプルに 「楽曲としての自分の趣味趣向」 を最優先した結果こうなったってのが正直なところかな。もちろんその中で歌詞の内容っていうのも大きい割合を占めてるけど、楽曲、歌詞、アレンジのトータルバランスを自分の色眼鏡を通して見たらこんな順位になったよって感じ。だから、割と 「リスナーとしての自分」 のランキングかもね。
プレイヤーとしてはどの楽曲も (個人的な好みに引っ張られる部分はあれど) 同じくらい好きよ。
 
神部:
ごめん、「BAA BAA としての矜持」 はぼくの話だった。
楽曲としての趣味嗜好を優先するとぼくはまたランキング変わっちゃうかもしれないな。事前にみんなにその辺の話あんまりしていなかったけれど、ぼく個人は思い入れ度とか楽曲が自分の中で持つ意味合いって側面が強い並びになってしまったかも。
こにーちゃんくみちゃん (※Dr.江口) もどんな基準で選んだのか気になるところだね。
 
江口:
矜持を排除して趣味嗜好で選んだつもりではいるけど、完成までの道程やその後の演奏を重ねた思い出とか、作った側としての感情は殺せてないと思う。
 
こにー:
僕も江口と同じ感じかな。あとは周りの意見とか、ライブでのお客さんの反応的な部分は少なからず反映されてる気がする。
 
神部:
うん、くみちゃん (※Dr.江口) こにーちゃんもありがとう。
『ヴァイタルサイン』 はライブでの再現難度が高くて楽しさより必死さの方が印象強く残ってるし、単純にライブでの演奏回数が少なかったから必然的にリアクションも限られていたしね。2人の感覚で言えばそういう面でも他の曲が上位に浮かんでくるのはなるほどって感じるな。
 
 
 
 
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6.フリートーク

 
 
神部:
そういえばタワーレコード京都河原町OPA店のインストアライブの時に、店内で大音量の 『ヴァイタルサイン』 が流れたのはうれしかったなって思い出した。せっかくだからあの時に撮った動画も貼っておこう。
 

 
この時のdinoくんがぼくとおそろいで買ったジップアップブルゾン着ていたことに気が付いてさらにうれしくなった。
 
 
インストアライブ中の写真がこちら。全員がいい顔していてとってもお気に入りの1枚。
 
dino:
この写真いいよね、俺も好きやわ。
 
神部:
自分たちの演奏してる姿って、言うまでもなく自分たちでは見られないからさ、撮ってくれた人に感謝だよね。
 
dino:
そうね、今思えば自主イベントの時とか大きいイベントの時とかはカメラマンさんに声かけたりしても良かったなあと今更思うわ (笑)。
 
神部:
いつでもカメラマンさんがいてくれたらどんなによかったか……。でも当時のぼくらにはギャラを支払う余裕どころか、力量と機材を備えた人を探し当ててコンタクトを取る余裕さえなかったからね。レポーター付きのイベントとかで、他バンドのついでに撮ってもらった写真なんかを見つけては保存させてもらうのが関の山だったなあ。
 
dino:
そしてこの時まあまあな音量でライブして下の階に怒られへんかったっけ……(笑)。
 
神部:
えっ、そんなことあったっけ?
 
dino:
なんか音うるさいって怒られんかったっけ? なんか微妙にそんな記憶が……。
 
神部:
ぼくはインストアライブに関してはね、機材とか音量の限界があったのに、音響担当してくれた竹内良太さん (LLama Tp.) を困らせるような無茶な要求ばっかりしてしまった申し訳無さと後悔が激しくて、そっちの記憶が強いんだよね……。
 
dino:
確かに竹内さんには色々無茶いうた気がするな……しかしまあ、むしろ色んな無茶振りに対応してくれたんは申し訳ないと思いつつも感謝してるわ……。
 
神部:
そうだね。振り返ってみると、後から後から感謝を伝えたい人と出来事ばかりだなって思うよ。
あのインストアライブで出会えた大切な聴き手の人もいて、まさしく
「▶で始まる時間の中で」
「めぐり合え」
たから、インストアライブはただただありがたい日だったね。
 
 
 
 
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7.個人的に力説したいこと




dino:
とにかく普段の慈雲からは想像出来ない、曲の一番最後のシャウトがかっこよくてかなり好きなので、これだけでも個人的には聴く価値あると思う。



江口:
曲終盤のカンベシャウトと、サビで鳴ってるコニーちゃんのギターリフの2回し目の2点かな。
カンベシャウトの方はディノさんも述べている通りという感じやけど、ギターリフ……文章で説明するのが難しすぎる……。
「曲始まりと同じ内容かと思いきやアレンジされたものがサビで鳴る」
という手法に俺が弱くて、かつ、いつものコニーちゃんよりちょっとロジカルな動き方してそう (多分) な感じが良い。



こにー:
間奏の手前に一回だけ7拍のところが出てくるんだけど (1分31秒) 、7拍が変に聞こえないようになってるのは割と好きなポイントで、気付いてない人もいる気がする。
あとシャウトもやけど、その後のスネア連打から一気に加速してく部分がバンド的には一番テンション上がってると思ってる。



神部:
ぼく自身もラストサビのシャウトは気に入っているし、自分史上最高音を出せたという思い入れも強いから、みんなもそう言ってくれてうれしい(笑)。
こにーちゃんの言う通り、アウトロのスネア連打からの展開はぼくも大好きなんだよね。自画自賛になってしまうけれど、アウトロの締めくくりはぼくが考えたバッキングの中でも群を抜いて冴えていると思っているので、最後まで気を抜かずに聴いて欲しいです。

この曲はAメロのdinoのベースラインや、くみちゃんのタム回しとか全体的なフィル、こにーちゃんがサビのバックで一緒に歌うリフとか、一言には書ききれないぐらい楽器隊がいい仕事をしているから、聴き手にもメンバーみんなのこの気迫を、何かに臨む時の勇気に変えてもらえたりしたらうれしいです。
自分たちの存在証明を懸けて叫ぶ、『ヴァイタルサイン』 という弱々しくも猛々しい羊たちの啼声を、五感を澄ませて全身で受け止めてください。




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8.神部の一人語り
 
 
▶ 楽曲制作に至った背景と当時の心境 ◀ ※追記
 
2012年11月。たくさんの方から 「バーバーとしての音源はいつ出すの?」 と聞かれたことでアルバム制作が現実的な目標に変わっていき、そのための楽曲制作やアンサンブル強化を目的としていったん活動休止を決めた頃。
ぼくたちは活動休止直前のライブで、それでも世界が続くなら と サモナイタチ とのスリーマンに出演しました。
その日、ぼくらのライブを観ていたシンガーソングライター ゆーきゃんさんと、それでも世界が続くなら のVo.しの (篠塚将行) さんと3人、打ち上げの席で 「曲作りとどう向き合っていくか」 について論議していました。

会話の途中、ゆーきゃんさんがぼくに対して、

「僕は、慈雲が今よりももっと、音楽の向こう側にいる相手のことを考えて創った歌が聴いてみたい」
と告げてきた、その一言によって、ぼくは胸の奥でくすぶり続けていた何かに急に火がついたような感覚を抱きました。
ぼくはそれまでも当然、自分の音楽の聴き手を思い浮かべながら曲を書いてきたつもりでいました。けれどもしかしたら、心の内奥にある情動を言葉に変えて “歌” に昇華するプロセスにばかり固執して、肝心の聴き手の存在を置き去りにしていた自分がいたのではないか……と思い直したのです。
『ヴァイタルサイン』 の場合は、それが契機となって書かれた背景があります。今となっては、ゆーきゃんさんの一言を受けたとは言え少し愚直過ぎる紡ぎ方だったような気もしていますが、時を同じくして 『おまじない』 も書いたことを思えば、ぼくのソングライティングは過去のものよりも聴き手に向かって開かれるようになったと感じています。
 
ぼくはこの歌を、ものづくりに携わる人すべてが共感してくれるはずだと信じて書きました。自分の生み出したものがどう思われるのか、必要としてくれる人はいるのか、一体どこで誰にいつどうやって手渡せば望んだ通りの充足感が得られるのか……一度でも真剣に何かを創った人なら、きっと理解できる苦悩でしょう。
もっとも、世間において名を成し、常に多くの注目を集めるような位置にいるクリエイターには、 「誰も見向きもしないステージ」 にいるのとはまた違った苦悩と重圧がのし掛かっているのでしょうが、ぼくにとっては声なき声、姿無き姿、暗がりにいる人々が何かを発信し始める時の思いを代弁できる歌でありたいと願って創った楽曲です。
 
普通、リスナーはミュージシャンが用意した音響と詩世界に能動的に耳を傾けていって、それぞれの共感や感動を見出していくものだと思います。 『ヴァイタルサイン』 はそういうリスナーひとりひとりの鼓膜に対し、
「きみはどこにいるの」
と、むしろ “音楽側” から語り掛け、
「BAA BAA BLACHSHEEPS 対 あなた」
の図式を直ちにその場で構築します。
この、直接ヘッドホンの向こうから聴き手の存在そのものをミュージシャンが問い掛けてくるというメタ的な構造によって、
「あなたと同じ生身の人間が音を出し、歌を歌い、 “あなた” に届けようとしているのだ」
というメッセージを強く伝えようと試みたのでした。
 
創り、歌い、響かせ、届けるぼくら側からすれば、そうした思いを歌っているのが “ぼくらにとっての 『ヴァイタルサイン』 の本質” だということになります。
しかし、ぼくは単純に上記のような作り手目線での思いを綴っただけの歌というつもりはありませんでした。
もしかしたら、誰も見向きもしないような場所で
「ここにいるよ 見つけ出してよ」
「きみはどこにいるの 巡り合えるの」
と叫んでいるかもしれない、聴き手本人の思いをすくい取りたいという願いをも込めて、ぼくはこの歌を書いたつもりです。
 
BAA BAA BLACKSHEEPS というよく分からないインディーズバンドを主語にして聴くのか、それとも自分自身の心の奥底にある声を主語にして聴くのか。この歌は、聴き手の心模様によって、どうとでも捉えることができます。
それこそが、ゆーきゃんさんに願われた
「音楽の向こう側にいる相手のことを考えて創った歌」

に対する自分なりの応答なのではないかと考えています。

 

 

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▶ “OK” or “NO” ◀
 
『ヴァイタルサイン』 の1番目Aメロは
「(嗚呼) オーケー」
というたった一言の歌詞から始まります。
この 「オーケー」 の何がオーケーなのか、そしてなぜカタカナ表記なのか、考えたことのある方はいるでしょうか?
 
その後の歌詞は
「生き延びてきただけの日々 何も誇れるものなどないまま早幾年」
と続きますから、その通りに 「何も誇れるものなどないまま早幾年生き延びてきただけの日々」 について 「オーケー」 と歌っているのは当然誰しも理解できると思います。ですが、それならどちらかと言うと 「オーケー」 より 「ノー」 と言いたくなるのが普通ではないでしょうか。
 
ここで一度、前の曲に戻ってみましょう。
「疲れた」 から始まった 『イーハトーヴ』 でしたが、締めくくりは
「僕でも明日を迎えたいよ 誰かと笑い合える場所で」
という言葉で終わっていました。
「僕でも誰かと笑い合える場所で明日を迎えたい」 と歌うのが 『イーハトーヴ』 という曲の結論だったのだとして、では一体どうやってそんな 「明日を迎え」 るのか。
そのための方法論として 「創る」 という手段を選んだ人間が 『ヴァイタルサイン』 の主人公です。しかしながら彼 (彼女) は、それまで自らの辿ってきた道程が
「何も誇れるものなどないまま生き延びてきただけの日々」
でしかなかったと気付いてしまいます。何か他人より秀でた才能や特別さを持たず、何者でもなく 「誰も見向きもしない」 存在。それが自分という人間なのだと。
そして、一度気付いてしまったその事実を 「ノー」 と拒絶したかったとしても、事実を受け入れられないのであれば、「そうではない自分」 になるしか道はありません。では、急ごしらえで才能を開花させ、特別な者になれる人間が、この世にどれだけいるのでしょう? いるにはいるとしても、果たして自分こそがそうなれるかどうかとなれば、まったく非現実的な話に思えないでしょうか。
 
『ヴァイタルサイン』 の主人公は、とても冷静に客観的に自分の平凡さと無力さを知っています。「ノー」 と言ったところでどうにもならない現実を分かっています。
その上で、彼 (彼女) は遂に結論を出すのです。
「(嗚呼) 分かったよ、オーケー」
と。
持たざる者である自分。それ自体は決して変えようのない事実であることを認め、諦め、半ば投げやりになりかけながらも、しかしそのままの自分で創作という戦いに挑んでいく決意を、外界に向かって声に出しているのです。だからこそ、ここは漫画のセリフや現実の語調に感じられるよう、カタカナ表記で 「オーケー」 と綴っています。
 
この 「オーケー」 はとどのつまり、 BAA BAA BLACKSHEEPS にとっての 
「“BAA BAA” (メーメー)」
と同じ意味を持つ言葉なのです。
 
 
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▶ 生命兆候 ◀
 
タイトルに選んだ 「ヴァイタルサイン」 という言葉は、本来医療関係者の間で頻繁に用いられる医療用語です。体温・脈拍・呼吸・血圧、これらの4数値をもとに、医療従事者はクランケの状態を確認します。
看護師として勤務していたぼくの古い友人は、この曲のタイトルを聞いた時に 「なんでバイタルを歌にしたの」 と笑っていましたが、むしろこの単語なくしてこの曲を創ることはできませんでした。

体温・脈拍・呼吸・血圧が正常かどうかを確かめるということは、単純に言えば 「身体が (正常に) 生きているかどうか」 を確かめるということ。そして、この歌においてはそうした身体的な生命活動だけを指すのではなく、

「心が (正常に) 生きているかどうか」

を何よりも問うているのです。この視座は 『夢の出口』 の歌詞にも通じる話ですが、

「ただ身体的な生命活動が正常なだけで、本当に “生きている” と言えるのか?」

という問いを、ぼくは自分自身に対して、ただひたすらに抱き続けてきました。

 

この問いを解く手掛かりとして、

「明日を待つための理由」 と

「昨日を捨てるための理由」 をもたらしてくれる人、つまり

「僕の生命兆候を 君が定義してくれ」 る出遇い

が必要なのだと、『ヴァイタルサイン』 では歌っています。

 

 

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▶ 「何者かになる」 という呪い ◀ ※追記

1番目Aメロの先ほどの歌詞、
「何も誇れるものなどないまま早幾年」
について、この 「早幾年」 というフレーズは一時代前の卒業式でよく歌われていた 『仰げば尊し』 からの出典です。
『仰げば尊し』 では、学生視点で、学び舎で過ごした日々の早さに感嘆するニュアンスで 「教えの庭にも早幾年」 と歌われています。気付けばもうこんなにも年月が経っていたのだな、という感慨深さを思わせるフレーズです。
『ヴァイタルサイン』 ではまったく違うニュアンスでこの言葉を用いています。 「何も誇れるものなどない」 のに、気付けばもうこんなにも年月が経ってしまっていただなんて、という絶望や焦り、自己嫌悪と憤り。それがこの歌詞の大意です。

成人し、精神疾患を抱えてからというもの、あらゆる事物にひねくれたものの見方しかできなくなっていたぼくにとって、学校で過ごした日々など、何の役にも立たない負の歴史としか思えなくなっていました。だからこそ、教員の理想のようなお行儀のいい生徒が感慨深げに学生生活への名残惜しさや教員への謝意を歌ったこの曲を、ぼくは到底受け入れらなかったし、それと同時に、その割には学生生活を終えた後の自分の惨めな体たらくに嫌気が差していたので、どこかでこの二つの苛立ちを皮肉混じりに歌う必要があったのでしょう。
 
しかし、ぼくはこの 「何も誇れるものなどない」 ことが悪であり罪だとでも言いたげな歌詞を、他者に対しても当てはめるべき尺度として書いたつもりはありません。 「何も誇れるものなどない」 という言葉は、言い換えれば
「人間は何か誇れるものが無ければ無価値である」
という前提意識があって出てくるものです。そしてぼく自身は、決してそうは思いません

「誇れるもの」 があるような 「何者かにならねばならない」 という意識は、呪いです。
これまで多くの人が罹ってしまった呪いです。当時のぼくも、ご多分に漏れずこの呪いに陥っていました。
この呪いの恐ろしさは、自分がただ “自分” としてそこにいることが許せなくなるところにあります。自分の立場、自分の能力、自分の持ち物、自分の成せること、一つ一つに見栄えのいい 「理想」 が浮かんでは消え、それに呼応するように 「理想とは違う自分」 が何度となく浮き彫りにされていきます。
何かを獲得し所有しなければ、賞賛されなければ、自分の存在を認めることができない。それはとても悲しい在り方です。そして、いつまでも満ち足りることのない貧しい心です。
それなのに、ぼくたちは気が付けばいつの間にか 「何者かになろう」 としてしまいます。有名でなければいけないとか、賢く有能でなければいけないとか、裕福でなければいけないとか、若く美しくなければいけないとか、結婚しなければいけないとか、家族や友人がいなければいけないとか、働いてなければいけないとか、……一体この強迫観念はどこから、誰からもたらされているものなのでしょうか。そんなに何者かにならなければ、ぼくらは幸せになれないのでしょうか。自分が自分として生きていることを、心からよろこべないのでしょうか。
 
そんな訳ありません。
 
たとえ何かが欠け落ちているのだとしても、どこかの誰かのようにはなれなくても、生きている、ただそれだけのことが、本当はとても愛おしく尊いことのはずです。
そして、ぼくらはそううなずけるようにと、この毎日を生きているはずです。
 
誇れるものがない、なんてこと自体が本当はない。人間ひとりの存在の重さというのは、虚栄心や自尊心を満たすような肩書きだとか属性とは、まったく違うところにこそ宿っているのだと思います。
たとえば体温だとか、呼吸だとか、そんな些細なようで、とても重大なところに。
 
後はそれをうなずけたら、今度こそぼくらはなれるんじゃないでしょうか。呪いから解き放たれ、歩むべき道を見つけた、 「何者か」 に。
 
 
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▶ ふたつの孤独 ◀ ※追記
 
今回はサブスク側の自動生成動画ではなく、ぼくらが過去にアップロードした動画を貼り付けています。動画中の背景に用いた画像を見て欲しかったからです。この背景に選んだ写真は、ボーカルなら誰でも目にしているだろう光景です。
 
ステージの上、一本のマイクの向こうには多くの人たちがいて、自分たちがこれから鳴らす音を試すような、期待と不安 (あるいは諦めや侮蔑) の眼差しで待ち受けている。ひとたび演奏を始めれば、声を出せば、それがどんな出来栄えだったにせよ、その場にいる一人一人に好き勝手に評価を下されてしまう。
日本橋ヨヲコ先生風に言うなら、 「孤独過ぎて寒くてたまらん」。それがステージの上です。
 
ぼくは人前で歌を披露し始めた頃から、自分が歌声を出すと 「場の空気が変わる瞬間」 を肌身で体感するようになりました。ある意味 「場を掌握する力」 と言ってもいいかもしれません。それがいいものなのか悪いものなのかはさておき、ぼくの歌声がその場にいる人たちの心に何かしらの影響を与えることだけはなんとなく理解していました。
それでもやはり、ぼくにとってステージの上は孤独な空間でした。自分の声と音でどれだけ観客の目と耳を惹き付けたことが体感できようと、ステージに立つことは常に言葉では言い表せない不快感をぼくの心身にもたらしました。それを 「緊張」 と呼ぶ人もいるのかもしれませんが、あがることはまずなかったので、自分自身ではもっと違う感触だったと思います。
 
いずれにせよ、そんなぼくが息を吸い、マイクに向かって声を吐き出し、言葉とメロディを響かせる行為に順ずることができたのは、それを至上の目的として共に音を掻き鳴らす仲間がいたということ、そして、マイクの向こう側で、ぼくの目を真剣に見つめながら耳を傾け、ある時は涙を流しながらスポットライトの光に照らし出されていた、あの聴き手の存在があったからこそでしょう。
 
『ヴァイタルサイン』 ではそうした演者としての孤独を
「誰も見向きもしないステージの上」
「誰も気付きもしないぼくの遠吠え」
という言葉で表しているかのように見えますが、「▶ 楽曲制作に至った背景と当時の心境 ◀」 でも述べたように、これもぼくらがぼくら自身の苦悩を直接的に書いた箇所ではありません。
 
家庭、学校、職場、どんな場所にいても、孤独を感じている人にとってはそこが 「誰も見向きもしないステージ」 になるのでしょうし、その孤独を紛らわしたりごまかそうともがく行為は、どれも気付いてくれと言わんばかりの 「遠吠え」 のようなものではないでしょうか。
 
ぼくらの孤独と、 “あなた” の孤独。ふたつの孤独は、普段は決して交わることはありません。だからこそぼくらはここから歌ったのです。あなたの孤独と響き合えるように。

マイクとスピーカー、音と鼓膜、スポットライトの光とフロアの影、その境界線でふたつの孤独が重なり合う瞬間、とどのつまりは

「▶で始まる時間の中で」、

ぼくらはもう独りぼっちじゃなくなります。
 
あなたがぼくらの、ぼくらがあなたの生命兆候を、お互いに定義し合えるのなら。
 
 
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 
 
▶ 歌詞に忍ばせた意図 ◀
 
これは今までメンバーにも、誰にも明かしたことのなかった話です。
2番目Bメロの歌詞、
「何度だって崩して組み立てる」
「組み立」 = 「くみた」 は、実はドラマー江口匠 (※くみちゃん) の名前、 「たくみ」 をアナグラム的に忍ばせたものです。江口の名前を入れつつ、そして該当箇所の歌詞を
 「何度だって崩して組み立てる」
と書いたことに、自分なりに深い意味を持たせました。
 

よく聞くと1番サビでも 「ここにいるよ」 の箇所で 「こにー」 と歌っているのがお分かりだと思います。もちろんそれが誰から見聞きしても分かるものになっては元も子もないので、あくまで譜割上の聞こえ方に感じられるように意識して歌っています。

ただ作詞の都合上、どうしても 「ディノ」 と発語しているように聞こえる単語だけは歌詞中に書けませんでした。dinoくんごめん、と思いながら、そこはお互い普段の生活で深め合ってきた信頼感に免じて、最終的には 「この歌を創ることこそが彼に対する謝意そのものになるだろう」 と割り切りました (dinoくんごめんね)。
 
過去のブログ記事、「第二の家族」 (※文字クリックでジャンプ) で語ったこともありました。

BAA BAA BLACKSHEEPS にまだこにーちゃんも加入していなかった3ピース時代、ぼくの幼稚な態度でdinoやくみちゃんを振り回し、困らせてばかりいた時、くみちゃんの放った一言で、ぼくは自分の心を入れ替えたいと願いました。こにーちゃんが加入してからも結局はメンバーの気持ちを害してばかりのぼくでしたが、あの出来事を経て 『ヴァイタルサイン』 を作り始めた時、

「ぼくは一体、誰のおかげで今ここで歌えているのか」

という自戒めいた問いを、何かしらの形にして残したかったのです。

 

ぼくがバンドを続ける希望と熱意を与えてくれて、いつも誰よりもぼくに寄り添い続けてくれた dino 、バンドにもしかしたら永遠に欠けたままかもしれないと思っていたドラマーを正式加入で担当してくれて、ここぞという時には大事な一言で目を覚まさせてくれたくみちゃん (※Dr.江口) 、そして他バンドからの加入を経て、バンドがより上を目指すため、楽曲をよりよい形にするための力を態度でも音でも分け与えてくれたこにーちゃん。彼ら3人がいなければ、ぼくは自分自身の能力の欠如と他者とのくだらない諍いの中で、ただ無力に何もできないまま気が狂いそうな日常に埋没していただろうと思います。

何度も間違えてしまったし、今でもそうなのかもしれないけれど、一度崩れてしまったものも、また何度でも組み立てて、みんなと一緒にこの先を見に行きたい。そういう思いをこめて、あの歌詞は生まれました。

 

そうした意味では、この 『ヴァイタルサイン』 の中にさえ、既に 「リハビリテイション」 へと向かおうとしている心が表れていたのではないかと、自分では考えています。

 

 

 

 

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9.次回予告
 
 
『ヴァイタルサイン』 回はブログの文字数限界の関係で前後編でのお届けとなりましたが、どちらも読んでくださった方、ありがとうございました。
 
次回の更新は3月19日頃を予定していましたが、諸般の事情で4月19日となってしまいました。待っていてくださった方にはごめんなさい。
次回も曲順通り、 『トゥルーエンド』 についてメンバーと語ります。
 
また、そろそろYou Tubeのチャンネル上に未公開デモ音源動画もアップロードする予定でいますので、そちらもどうぞご期待ください。
 
 
 
それでは、また次回お会いしましょう。