After Concert -7-
手元にテープが届いた時には、既に閉館時間に近かった。もう一度通し練習をする時間は無い。
「休みに練習するか…」
ヴィオラの先輩がカレンダーを睨んでいる。本番までに残された時間は充分とは言えない。今は週末の休みも惜しいくらいだ。だからと言って休みに集まる訳にもいかない。
「俺の家にゃピアノ無いからな」
「それ以前に家が遠すぎるよ」
「ピアノ以外は二人ずつで練習出来そうだけど」
そうだった。
友人に言われて思い出した。彼女は姉妹で練習が出来る。ヴィオラの先輩と友人の兄は幼馴染みだ。友人の家に至っては、もう一人の兄がヴァイオリン担当だった。環境としては抜群だろう。
「独り身の寂しさが身に染みる…」
「最初からソロでやるつもりだった奴の言う台詞かよ」
この友人もヴァイオリンが弾けるのだ。家が遠いのが恨めしい。
だが、嘆いても仕方が無い。やれる事をやるだけだ。
校内放送が、静まり返った廊下に響く。下校する生徒の声が遠くに聞こえる。
空は暗い。残り火の様な茜色が、僅かに太陽の色を残しているだけだ。
風に吹かれて、足下の落ち葉が流されていく。昼間だったら色鮮やかで綺麗だったろうな、と思う。
肌寒い。薄手の上着が欲しいところだ。
がらんとした自転車置き場が、余計に寒さを感じさせる。残っているのは僕の自転車を含めて、数台。
それと、一人の生徒。何となく見覚えのある背格好だ。クラスメイトだろうか。
抱えているのは楽器、ヴァイオリンのケースだ。
何やってるんだと声を掛けようとして、息を呑む。
そこに居たのは彼女ではなかった。
彼女の、妹だった。
「一緒に帰ったんじゃなかったの?」
驚きを隠しながら僕は声を掛ける。
確か、二人揃って帰ったはずだった。
彼女の姿は無い。先に帰ったのか、それとも別の用で妹を待たせているのか。
「お姉ちゃ…あ、いえ、姉は先に帰りました」
「そう」
カゴに鞄を放り込む。がたん、と乱暴な音が響く。
「何か別の用事でも?寒いし、早く帰った方が良いと思うよ」
意図的に突き放した感じで告げる。早く帰りたかった。
何かを感じたのか、彼女の妹が押し黙る。表情までは解らない。
解りたくも、無い。
「話が、有るんです」
少しだけ身構える。やはり、と思う。
たが、杞憂であれば良いと願う。僕の予感が当たらないで欲しいと祈りながら、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「曲の事なら、お姉さんに聞いて。そっちのパートは任せてあるし、僕じゃ解らないからね」
それ以外の話は止めてくれ、と言外に匂わせる。
「その事じゃ…無いんです」
この子は、怯まなかった。この子自身の持てる精一杯の「気持ち」が、この子を支えているのだろう。
しかしそれは―――。
「去年、先輩の演奏、聴きました」
意外、とは思わなかった。
有志の演奏や合唱は文化祭の二日目、学校ではなく近くの施設を借りて行われる。初日の模擬店等と違って、生徒の家族が観覧出来る様に開放されているのだ。この子が見に来ていても不思議では無い。
けれど、この子が聴きに行ったのは、僕の演奏ではないだろう。
「お姉さんの演奏を、だろ。僕は有名人じゃない」
聴いてくれたのは嬉しいけど、と乾いた声で僕は笑う。
僕の言葉に、この子は口ごもる。我ながら意地が悪い。
「それで?僕の演奏がどうかしたの?」
「あ…」
「イメージが違う、とか?」
畳みかけるように言う。
「そういう話なら、何も今じゃなくて良いと思うけど。練習の合間で構わないだろう?」
雰囲気が違うなら直すまでだと付け加える。
「私は」
視線を上げるのが解る。彼女に似た動作で、彼女とは違う瞳が僕を見据える。
放り込んだ鞄を睨む。目は合わさない。この子を視界から外す。
だが、否が応でも感じる視線。痛いほどに、そして焼け付くほどに、思い詰めた瞳。
小刻みに震えている事も解る。勿論、寒さのせいでは無いはずだ。
「先輩の演奏に惹かれました。姉の演奏以上に、心に残ったんです」
口は挟まない。僕は黙って、次の言葉を待つ。
「その先輩と、こうやって一緒に…演奏出来るのが、凄く、嬉しいです」
確かめるように、なぞるように、しかし強い声。
この子は、何を確かめようとしているのか。
茜色が、夜の帳に吸い込まれていった。
「休みに練習するか…」
ヴィオラの先輩がカレンダーを睨んでいる。本番までに残された時間は充分とは言えない。今は週末の休みも惜しいくらいだ。だからと言って休みに集まる訳にもいかない。
「俺の家にゃピアノ無いからな」
「それ以前に家が遠すぎるよ」
「ピアノ以外は二人ずつで練習出来そうだけど」
そうだった。
友人に言われて思い出した。彼女は姉妹で練習が出来る。ヴィオラの先輩と友人の兄は幼馴染みだ。友人の家に至っては、もう一人の兄がヴァイオリン担当だった。環境としては抜群だろう。
「独り身の寂しさが身に染みる…」
「最初からソロでやるつもりだった奴の言う台詞かよ」
この友人もヴァイオリンが弾けるのだ。家が遠いのが恨めしい。
だが、嘆いても仕方が無い。やれる事をやるだけだ。
校内放送が、静まり返った廊下に響く。下校する生徒の声が遠くに聞こえる。
空は暗い。残り火の様な茜色が、僅かに太陽の色を残しているだけだ。
風に吹かれて、足下の落ち葉が流されていく。昼間だったら色鮮やかで綺麗だったろうな、と思う。
肌寒い。薄手の上着が欲しいところだ。
がらんとした自転車置き場が、余計に寒さを感じさせる。残っているのは僕の自転車を含めて、数台。
それと、一人の生徒。何となく見覚えのある背格好だ。クラスメイトだろうか。
抱えているのは楽器、ヴァイオリンのケースだ。
何やってるんだと声を掛けようとして、息を呑む。
そこに居たのは彼女ではなかった。
彼女の、妹だった。
「一緒に帰ったんじゃなかったの?」
驚きを隠しながら僕は声を掛ける。
確か、二人揃って帰ったはずだった。
彼女の姿は無い。先に帰ったのか、それとも別の用で妹を待たせているのか。
「お姉ちゃ…あ、いえ、姉は先に帰りました」
「そう」
カゴに鞄を放り込む。がたん、と乱暴な音が響く。
「何か別の用事でも?寒いし、早く帰った方が良いと思うよ」
意図的に突き放した感じで告げる。早く帰りたかった。
何かを感じたのか、彼女の妹が押し黙る。表情までは解らない。
解りたくも、無い。
「話が、有るんです」
少しだけ身構える。やはり、と思う。
たが、杞憂であれば良いと願う。僕の予感が当たらないで欲しいと祈りながら、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「曲の事なら、お姉さんに聞いて。そっちのパートは任せてあるし、僕じゃ解らないからね」
それ以外の話は止めてくれ、と言外に匂わせる。
「その事じゃ…無いんです」
この子は、怯まなかった。この子自身の持てる精一杯の「気持ち」が、この子を支えているのだろう。
しかしそれは―――。
「去年、先輩の演奏、聴きました」
意外、とは思わなかった。
有志の演奏や合唱は文化祭の二日目、学校ではなく近くの施設を借りて行われる。初日の模擬店等と違って、生徒の家族が観覧出来る様に開放されているのだ。この子が見に来ていても不思議では無い。
けれど、この子が聴きに行ったのは、僕の演奏ではないだろう。
「お姉さんの演奏を、だろ。僕は有名人じゃない」
聴いてくれたのは嬉しいけど、と乾いた声で僕は笑う。
僕の言葉に、この子は口ごもる。我ながら意地が悪い。
「それで?僕の演奏がどうかしたの?」
「あ…」
「イメージが違う、とか?」
畳みかけるように言う。
「そういう話なら、何も今じゃなくて良いと思うけど。練習の合間で構わないだろう?」
雰囲気が違うなら直すまでだと付け加える。
「私は」
視線を上げるのが解る。彼女に似た動作で、彼女とは違う瞳が僕を見据える。
放り込んだ鞄を睨む。目は合わさない。この子を視界から外す。
だが、否が応でも感じる視線。痛いほどに、そして焼け付くほどに、思い詰めた瞳。
小刻みに震えている事も解る。勿論、寒さのせいでは無いはずだ。
「先輩の演奏に惹かれました。姉の演奏以上に、心に残ったんです」
口は挟まない。僕は黙って、次の言葉を待つ。
「その先輩と、こうやって一緒に…演奏出来るのが、凄く、嬉しいです」
確かめるように、なぞるように、しかし強い声。
この子は、何を確かめようとしているのか。
茜色が、夜の帳に吸い込まれていった。
After Concert -6-
通し練習、第一回。
教室に入ると、先生が何やら準備をしていた。年季の入ったレコーダらしきものをセットしている。
曰く、客観的に聞くには録音が一番、との事だ。
傍らには人数分のカセットテープ。録音媒体はカセットしか無いらしい。少しばかり古めかしいが、仕方がない。
「劣化はするが、テープが一番綺麗に録れるんだぞ」
「初耳です」
「簡単に言えばちょっと前のデジカメとフィルムカメラみたいなものだ」
要領を得ない回答だったが、音質は期待しても良いらしい。
レコーダは先生に任せて、僕は曲のチェックをする。
「うぅ、緊張する…」
彼女が落ち着かない様子で見回している。先輩達もやや緊張気味だ。
本番の様な緊張感。練習とは思えない。
「兄貴、ビビってんの?あいつは平気な顔してるけど」
友人が野次を飛ばす。有志バンドの練習が無いから、とまた遊びに来ているのだ。
「平気って訳じゃないけど」
「嫌味なくらい謙虚だなぁ」
謙遜している訳ではない。
当然緊張はしている。だが、この緊張感が心地良い。
何かが始まる前の高揚感。呼吸さえも止まりそうな空気。何もかもが、始まりを僕に告げている。その雰囲気が、一番好きなのだ。恍惚、とでも言えばいいのだろうか。
「先生、レコーダの調子は?」
彼女の妹の声が、意識に割り込む。
「ああ、順調に録音してるねぇ」
先生は呑気にそう言っている。
「え、録ってるんですか?」
「それを早く言ってください!」
先輩達が慌てて準備を始める。僕も、曲に意識を集中させる。
「タイトルコールは?」
友人が茶々を入れる。全員の視線が彼女に向く。
「わ、私?」
「名付け主がコールしなくてどうするのさ」
コンミスさんよろしく、と僕は少しだけ意地悪く言ってやった。
彼女は観念したのか、軽く頭を振って気持ちを整える。
「えっと…クインテットオリジナル曲、アフターコンチェルト、行きます」
その宣言と共に、全ての音が聞こえなくなった。
彼女が僕を見る。視線が重なる。その一瞬が、合図となる。
チェロの独奏。
涼風のダンス。軽やかな調べに、ヴィオラが乗る。その二重奏をヴァイオリンが追いかける。
弦楽四重奏。風が渡り、空へ。
僕のピアノが、その四重奏を見上げながら歩いていく。暑さからの解放と、実りの季節への期待を携えて。
陽は傾き、実りの季節が通り過ぎた。
ピアノは立ち止まる。夜。<
煌々と輝く月。秋の夜長を、ヴァイオリンが照らす。
時を忘れるヴィオラと、チェロの静けさが交互に訪れる。
夜は更け、朝と冬の気配をヴァイオリンが告げる。
木の葉は舞い落ち、風は涼しさから寒さへと変わる。
チェロが雪の気配を帯び、ヴィオラが木枯らしを吹き付ける。
寄り添うヴァイオリンは、そっと別れを告げて消える。
ピアノは振り返る。ヴィオラもチェロも聞こえなくなった。
独奏。
過ぎていく季節に背を向け、ピアノは冬へと歩き出す。
一人佇む。その背中に、ヴァイオリンが呼びかける。
それは秋の名残か、それとも冬の招く声か―――。
かちり、と先生がレコーダを止めた。それを合図に、全員が大きく息を吐いた。
ふつりと糸が切れたみたいだ。掌にうっすらと汗が滲んでいた。
良い感じだね、と先生が言う。
「それじゃ、帰るまでにダビングしておくよ」
「お願いします」
先生は準備室の奥へとレコーダーを抱えていった。
それを見送った後、最初と違うな、と友人が呟く。
「音の厚みとか、雰囲気とか、それっぽくなってる」
「僕がピアノソロでやった時、居たっけ?」
「酷え。この俺を…親友の存在を忘れるなんてあんまりだなお前」
「そりゃ悪かったな」
友人曰く、ソロもそれなりに良かったが、弦楽団風に編曲した今の方がインパクトはあるとの事だった。
当然だろう。ピアノだけでは表現出来ない事が弦楽器には出来るのだ。
「で、そのベースを作ったお前って、大した奴だと思うよ」
僕を弄りこそすれ、褒める事などまず無い友人の言葉とは思えなかった。
そういえば、この友人もヴァイオリンが弾けると言っていた。それなりに善し悪しや雰囲気を感じ取る事は出来るのだろう。素直に嬉しい。
他のメンバーが個別練習に入る中、彼女だけが楽譜を読み直していた。
「熱心だねぇ」
「兄弟は似るね。先輩も同じ様な事言ってたよ」
「げっ、馬鹿兄貴と同じかよ…」
演奏の腕はどうなのだろう。扱う楽器が違うから差はあるだろうが、友人も「弾ける」と断言するくらいだ。腕は確かなのだろう。
彼女や彼女の妹と比べてどうなのか、それは解らない。
個人的には、彼女の方が上だと思っている。
そう伝えると、惚気るのも大概にしろ、と怒られた。
「しばらく見ない間に随分と仲良しになったな」
「一緒にやってれば、それなりには」
「上手いこと誤魔化したつもりか、それは」
奥手どころか手の早い奴だ、と友人は呆れたように言った。
僕は肯定も否定もしなかった。
教室に入ると、先生が何やら準備をしていた。年季の入ったレコーダらしきものをセットしている。
曰く、客観的に聞くには録音が一番、との事だ。
傍らには人数分のカセットテープ。録音媒体はカセットしか無いらしい。少しばかり古めかしいが、仕方がない。
「劣化はするが、テープが一番綺麗に録れるんだぞ」
「初耳です」
「簡単に言えばちょっと前のデジカメとフィルムカメラみたいなものだ」
要領を得ない回答だったが、音質は期待しても良いらしい。
レコーダは先生に任せて、僕は曲のチェックをする。
「うぅ、緊張する…」
彼女が落ち着かない様子で見回している。先輩達もやや緊張気味だ。
本番の様な緊張感。練習とは思えない。
「兄貴、ビビってんの?あいつは平気な顔してるけど」
友人が野次を飛ばす。有志バンドの練習が無いから、とまた遊びに来ているのだ。
「平気って訳じゃないけど」
「嫌味なくらい謙虚だなぁ」
謙遜している訳ではない。
当然緊張はしている。だが、この緊張感が心地良い。
何かが始まる前の高揚感。呼吸さえも止まりそうな空気。何もかもが、始まりを僕に告げている。その雰囲気が、一番好きなのだ。恍惚、とでも言えばいいのだろうか。
「先生、レコーダの調子は?」
彼女の妹の声が、意識に割り込む。
「ああ、順調に録音してるねぇ」
先生は呑気にそう言っている。
「え、録ってるんですか?」
「それを早く言ってください!」
先輩達が慌てて準備を始める。僕も、曲に意識を集中させる。
「タイトルコールは?」
友人が茶々を入れる。全員の視線が彼女に向く。
「わ、私?」
「名付け主がコールしなくてどうするのさ」
コンミスさんよろしく、と僕は少しだけ意地悪く言ってやった。
彼女は観念したのか、軽く頭を振って気持ちを整える。
「えっと…クインテットオリジナル曲、アフターコンチェルト、行きます」
その宣言と共に、全ての音が聞こえなくなった。
彼女が僕を見る。視線が重なる。その一瞬が、合図となる。
チェロの独奏。
涼風のダンス。軽やかな調べに、ヴィオラが乗る。その二重奏をヴァイオリンが追いかける。
弦楽四重奏。風が渡り、空へ。
僕のピアノが、その四重奏を見上げながら歩いていく。暑さからの解放と、実りの季節への期待を携えて。
陽は傾き、実りの季節が通り過ぎた。
ピアノは立ち止まる。夜。<
煌々と輝く月。秋の夜長を、ヴァイオリンが照らす。
時を忘れるヴィオラと、チェロの静けさが交互に訪れる。
夜は更け、朝と冬の気配をヴァイオリンが告げる。
木の葉は舞い落ち、風は涼しさから寒さへと変わる。
チェロが雪の気配を帯び、ヴィオラが木枯らしを吹き付ける。
寄り添うヴァイオリンは、そっと別れを告げて消える。
ピアノは振り返る。ヴィオラもチェロも聞こえなくなった。
独奏。
過ぎていく季節に背を向け、ピアノは冬へと歩き出す。
一人佇む。その背中に、ヴァイオリンが呼びかける。
それは秋の名残か、それとも冬の招く声か―――。
かちり、と先生がレコーダを止めた。それを合図に、全員が大きく息を吐いた。
ふつりと糸が切れたみたいだ。掌にうっすらと汗が滲んでいた。
良い感じだね、と先生が言う。
「それじゃ、帰るまでにダビングしておくよ」
「お願いします」
先生は準備室の奥へとレコーダーを抱えていった。
それを見送った後、最初と違うな、と友人が呟く。
「音の厚みとか、雰囲気とか、それっぽくなってる」
「僕がピアノソロでやった時、居たっけ?」
「酷え。この俺を…親友の存在を忘れるなんてあんまりだなお前」
「そりゃ悪かったな」
友人曰く、ソロもそれなりに良かったが、弦楽団風に編曲した今の方がインパクトはあるとの事だった。
当然だろう。ピアノだけでは表現出来ない事が弦楽器には出来るのだ。
「で、そのベースを作ったお前って、大した奴だと思うよ」
僕を弄りこそすれ、褒める事などまず無い友人の言葉とは思えなかった。
そういえば、この友人もヴァイオリンが弾けると言っていた。それなりに善し悪しや雰囲気を感じ取る事は出来るのだろう。素直に嬉しい。
他のメンバーが個別練習に入る中、彼女だけが楽譜を読み直していた。
「熱心だねぇ」
「兄弟は似るね。先輩も同じ様な事言ってたよ」
「げっ、馬鹿兄貴と同じかよ…」
演奏の腕はどうなのだろう。扱う楽器が違うから差はあるだろうが、友人も「弾ける」と断言するくらいだ。腕は確かなのだろう。
彼女や彼女の妹と比べてどうなのか、それは解らない。
個人的には、彼女の方が上だと思っている。
そう伝えると、惚気るのも大概にしろ、と怒られた。
「しばらく見ない間に随分と仲良しになったな」
「一緒にやってれば、それなりには」
「上手いこと誤魔化したつもりか、それは」
奥手どころか手の早い奴だ、と友人は呆れたように言った。
僕は肯定も否定もしなかった。
After Concert -5-
演奏しては修正し、修正しては議論をする。僕らの曲作りはそんな調子で進んでいった。
曲の基礎に手を加えることは無かったが、音やリズムの変更は頻繁にあった。そこに「満足」や「完成」といった言葉は無い。
この曲に完成があるとすれば、それは「一番納得の出来る妥協点」なのかもしれない。
作った僕でさえも解らないゴール。でも、それで良かったのかもしれない。
これはもう僕の曲ではない。クインテットの曲だ。
特に彼女は弦楽器パートの調整役として色々アイデアを出してくれる。ピアノの僕との打ち合わせも多かった。最初から指揮者を置いていない為、実質的な指揮者は彼女だった。
勿論、それには理由がある。
「コンサートマスター?」
「細かい事言えばコンサートミストレス、だけど。女の子だし」
略称はコンマス及びコンミス。主旋律のヴァイオリニスト、第一ヴァイオリンの彼女がそういう立場にあるのだ、と友人の兄が教えてくれた。
簡単に言えば、演奏の取りまとめ役だ。
一般のオーケストラでも、第一ヴァイオリンのトップがその職を担うそうだ。彼女が弦楽パートの調整役として僕と打ち合わせするのも当然の事だった。
一応の作曲者は僕で、彼女からすれば指揮者に相当するだろう、と友人の兄は言った。
「ま、一応指揮者の次位って立場なんだけど。ただ、元々指揮者居ないからね」
「はぁ…」
そんな大それたものじゃないです、と彼女は言った。書き込みをしていた楽譜を手にして、僕の隣へ座る。
隣、というか同じ椅子の空いたスペースだ。
「やるからには全力でやりますけど、コンミスには力不足ですよ」
「何を仰いますやら。この頑張り具合は中々だよ」
「それは…その、良い曲ですし」
「んん?別の理由でも?」
「コンミスとしての職務を全うするだけです!」
「おぉ、真面目だねぇ」
含みのある言い方に、彼女は複雑な顔をしている。
先輩の飄々とした雰囲気は友人と同じだ。やはり兄弟、からかい方はよく似ている。ヴィオラの先輩は、やれやれといった感じだ。
「あの…」
おずおずと彼女の妹が口を開く。恐らく、演奏の調整だろう。彼女がそれを受ける。
彼女の妹の表情が曇った様に見えたのは、僕の気のせいだろうか。
明日は一度通して練習すると決めて解散となった。
先輩達は早々に帰り、彼女の妹も教室を出て行った。彼女だけ帰り支度をしていない。
「帰らないの?」
「ん、もう少しだけ」
彼女はまだ楽譜を眺めていた。
「納得出来ない?」
「ううん、そうじゃないの」
ようやく顔を上げると、軽く伸びをした。あれだけ集中していれば、疲れるのは当然だろう。
「私の演奏がね、中々イメージ通りにいかないなって」
「イメージ?」
「そう。上手く弾けない」
「…そんな事は無い、と思うけど」
フォローではなく本心だったが、彼女は薄く微笑むだけだった。
実際、彼女の演奏は非の打ち所が無い。僕のピアノだけでは表現しきれなかった部分をしっかり表現してくれている。
それだけでなく、弦楽器パート全体も見てくれているのだ。その彼女がイメージ通りに弾けないのは、コンミスとしてのプレッシャーがあるからだろうか。
僕のピアノは最初からソロだ。
勿論、ブラスバンド部や合唱のピアノならば周りと合わせる。それでも指揮者に従って楽譜通りに弾いていれば、まず問題は無い。自分の演奏に集中していれば良いのだ。むしろそれが大前提で、場を仕切ったり他パートとの調整役を担当したりする事は滅多に無い。
だが、コンミスは違う。
自分以外の面倒も見なければいけないのだ。そのコンミスを任されている彼女は、その素質があるのだろう。だからこそ、それがプレッシャーになって自分の演奏が出来ないのかもしれない。
「だから、そんな大それたものじゃ無いってば」
僕がそう伝えると、彼女は笑って言った。
「プレッシャーじゃないと言えば、嘘になるけど」
「やっぱりね」
「だからって辞める訳にはいかない」
彼女は言い切った。
同級生とは思えない意志の強さが、そこにはあった。
「強いね」
僕には無い、強さ。
「違う。好きだから。作ってくれた曲も、作ってくれた人も」
その微笑みに、僕は応じる。
「そうだね。一緒にやってくれる人が居るから、僕も作っていける」
スペルミスもしてくれる、そう僕が付け足すと、それは頂けないと彼女は苦笑していた。
かちゃり、とドアが開く。
「お姉ちゃん…と、せ、先輩も帰ってなかったんですか…」
彼女の妹が少し驚いた顔で立っていた。その後ろで先生が、そろそろ閉館だと言っている。
結構な時間だ。家に着く頃には暗くなっているかもしれない。慌てて荷物をまとめる。
「あの…」
彼女の妹が何か言いかける。
「明日、通しの練習だから。よろしくね」
僕はそれを遮って家路を急いだ。
あの子がどんな顔をしていたのか、僕には解らなかった。
曲の基礎に手を加えることは無かったが、音やリズムの変更は頻繁にあった。そこに「満足」や「完成」といった言葉は無い。
この曲に完成があるとすれば、それは「一番納得の出来る妥協点」なのかもしれない。
作った僕でさえも解らないゴール。でも、それで良かったのかもしれない。
これはもう僕の曲ではない。クインテットの曲だ。
特に彼女は弦楽器パートの調整役として色々アイデアを出してくれる。ピアノの僕との打ち合わせも多かった。最初から指揮者を置いていない為、実質的な指揮者は彼女だった。
勿論、それには理由がある。
「コンサートマスター?」
「細かい事言えばコンサートミストレス、だけど。女の子だし」
略称はコンマス及びコンミス。主旋律のヴァイオリニスト、第一ヴァイオリンの彼女がそういう立場にあるのだ、と友人の兄が教えてくれた。
簡単に言えば、演奏の取りまとめ役だ。
一般のオーケストラでも、第一ヴァイオリンのトップがその職を担うそうだ。彼女が弦楽パートの調整役として僕と打ち合わせするのも当然の事だった。
一応の作曲者は僕で、彼女からすれば指揮者に相当するだろう、と友人の兄は言った。
「ま、一応指揮者の次位って立場なんだけど。ただ、元々指揮者居ないからね」
「はぁ…」
そんな大それたものじゃないです、と彼女は言った。書き込みをしていた楽譜を手にして、僕の隣へ座る。
隣、というか同じ椅子の空いたスペースだ。
「やるからには全力でやりますけど、コンミスには力不足ですよ」
「何を仰いますやら。この頑張り具合は中々だよ」
「それは…その、良い曲ですし」
「んん?別の理由でも?」
「コンミスとしての職務を全うするだけです!」
「おぉ、真面目だねぇ」
含みのある言い方に、彼女は複雑な顔をしている。
先輩の飄々とした雰囲気は友人と同じだ。やはり兄弟、からかい方はよく似ている。ヴィオラの先輩は、やれやれといった感じだ。
「あの…」
おずおずと彼女の妹が口を開く。恐らく、演奏の調整だろう。彼女がそれを受ける。
彼女の妹の表情が曇った様に見えたのは、僕の気のせいだろうか。
明日は一度通して練習すると決めて解散となった。
先輩達は早々に帰り、彼女の妹も教室を出て行った。彼女だけ帰り支度をしていない。
「帰らないの?」
「ん、もう少しだけ」
彼女はまだ楽譜を眺めていた。
「納得出来ない?」
「ううん、そうじゃないの」
ようやく顔を上げると、軽く伸びをした。あれだけ集中していれば、疲れるのは当然だろう。
「私の演奏がね、中々イメージ通りにいかないなって」
「イメージ?」
「そう。上手く弾けない」
「…そんな事は無い、と思うけど」
フォローではなく本心だったが、彼女は薄く微笑むだけだった。
実際、彼女の演奏は非の打ち所が無い。僕のピアノだけでは表現しきれなかった部分をしっかり表現してくれている。
それだけでなく、弦楽器パート全体も見てくれているのだ。その彼女がイメージ通りに弾けないのは、コンミスとしてのプレッシャーがあるからだろうか。
僕のピアノは最初からソロだ。
勿論、ブラスバンド部や合唱のピアノならば周りと合わせる。それでも指揮者に従って楽譜通りに弾いていれば、まず問題は無い。自分の演奏に集中していれば良いのだ。むしろそれが大前提で、場を仕切ったり他パートとの調整役を担当したりする事は滅多に無い。
だが、コンミスは違う。
自分以外の面倒も見なければいけないのだ。そのコンミスを任されている彼女は、その素質があるのだろう。だからこそ、それがプレッシャーになって自分の演奏が出来ないのかもしれない。
「だから、そんな大それたものじゃ無いってば」
僕がそう伝えると、彼女は笑って言った。
「プレッシャーじゃないと言えば、嘘になるけど」
「やっぱりね」
「だからって辞める訳にはいかない」
彼女は言い切った。
同級生とは思えない意志の強さが、そこにはあった。
「強いね」
僕には無い、強さ。
「違う。好きだから。作ってくれた曲も、作ってくれた人も」
その微笑みに、僕は応じる。
「そうだね。一緒にやってくれる人が居るから、僕も作っていける」
スペルミスもしてくれる、そう僕が付け足すと、それは頂けないと彼女は苦笑していた。
かちゃり、とドアが開く。
「お姉ちゃん…と、せ、先輩も帰ってなかったんですか…」
彼女の妹が少し驚いた顔で立っていた。その後ろで先生が、そろそろ閉館だと言っている。
結構な時間だ。家に着く頃には暗くなっているかもしれない。慌てて荷物をまとめる。
「あの…」
彼女の妹が何か言いかける。
「明日、通しの練習だから。よろしくね」
僕はそれを遮って家路を急いだ。
あの子がどんな顔をしていたのか、僕には解らなかった。
After Concert -4-
そもそも、僕には弦楽器の知識が無い。音域も解らない。
ハ音記号なんて見たことも無ければ聞いたことも無い。
仕方なく、ピアノと同じ雰囲気で弦楽器のパートを埋めていった。
ヴィオラの先輩曰く、合唱と同じ雰囲気で良いとの話だった。つまり、ヴァイオリンをソプラノ、ヴィオラをアルト、チェロをテノールに見立てる。
練習している合唱曲とパッヘルベルのカノンを参考に、何とか形にしていった。
形になったとはいえ出来は酷いだろう。後は、パート担当に任せるしかない。
「そのハ音記号はヴィオラが使うの…音を一つ下げて、オクターブを変えて、読む」
「ト音記号じゃ駄目なのかな」
「音域が違うもの。この…ト音記号の基本のドが、ハ音記号だと真ん中に来る。チェロと、ヴァイオリンの、丁度真ん中の音だからね」
そう言って、彼女はそっと鍵盤を押す。ピアノがそれに応えて歌う。
「僕にはさっぱり解らないな」
音楽室には、僕と彼女の二人だけ。
先輩達と彼女の妹はまだ来ていない。友人はバンドの練習に行っている。
じっくりと話すのは、これが初めてだった。
僕はとりあえず書き上げた楽譜を彼女に渡し、弦楽器について教えて貰う事にしたのだ。
しかし、予想以上に複雑だった。知らない事が、余りにも多すぎる。
「私もよく解らない。専門じゃないし」
「だったら僕は余計に解らないね」
幾分すねた言い方になったかもしれない。それだけ専門外の事は難しくて解らないのだ。
埃っぽい音楽室の空気が、太陽の匂いを含んで流れる。沈黙の隙間を縫って、扉の向こうの喧騒が聞こえてくる。
彼女はピアノの近くに持ってきた椅子に腰掛け、外を見ている。
僕は変わらずピアノに向いたまま。丁度、背中合わせの形だ。
彼女は何を見ているのだろう。
「曲」
「何?」
「曲のタイトル、教えて貰ってない」
「前にも言ったけど、まだ決まってないんだ」
結局、タイトルを考える時間は他のパートの制作に充てられ、考える暇が無かったのだ。漠然としたタイトルも思いつかない。
普通の名前ではつまらない。奇抜なタイトルは相応しくない。
僕がそう伝えると、彼女はしばらく考え込み、何かを譜面に書き付けた。
「これ、どうかな」
彼女が差し出した譜面には、こう書かれていた。
「After Concert」と。
「アフター…コンサート?」
「コンチェルト、よ」
コンサートとコンチェルトは同じ意味だ。しかし、アフターとはどういう意味なのだろう。
簡単に解釈すれば「演奏会の後」という事なのだろうが―――。
「秋は芸術、そして文化祭。終わった後は、それを思い出すでしょ?色々あったな、とか。その曲は…何か格好付けた言い方で恥ずかしいんだけど、秋の記憶だと思う。その曲を聴いて、秋を思う。思い出すのは、いつも終わってから。だから、アフター」
どう言えば良いのか解らない、と彼女はまだ言葉を探している。
演奏会が終われば、様々な思いを抱きながらその余韻に浸る。
彼女の言う演奏会は、秋。
季節の狭間で、その季節が奏でた曲の余韻に浸る。だから「After Concert」。
先輩達に承認されれば、このタイトルが与えられる。
それよりも、僕の心を動かしたのは、彼女の言葉だった。
彼女は僕の曲を「秋の記憶」だと言った。
僕が曲に込めた季節の移ろいを、彼女は感じ取ってくれたのだろうか。
そうだといい、と思う。
「悪い、遅くなった」
やっと来た先輩達に楽譜を渡す。ヴィオラの先輩に「ハ音記号が解らなかった」と謝ると、構わない、手間を掛けたと逆に気遣われてしまった。
「ところで、曲のタイトルは?」
「それは彼女が…」
僕は彼女の楽譜を示して言った。アフター・コンチェルト、と。
しばらく黙っていた友人の兄が、ぽつりと言った。
「コンチェルトならConcertoだ。oが抜けてるぞ」
単純なスペルミスだったが、彼女は耳まで真っ赤にして黙り込んでしまった。
「そのままで行きましょうよ。逆に印象に残って良いかもしれませんし」
僕が入れたフォローも、彼女の耳には届かなかったかもしれない。
「ま、それも一興だな。Concertでコンチェルト、と読ませることにしよう」
全会一致。これで、曲のタイトルは決まった。
音楽は、時として全てを盗む。
季節を、風景を、そして生命さえも。
全てを捕らえ、音へと変換していく。
人はそれを芸術と呼び、それに魅了される。
作り手は太古の神の様に生命を賭して全てを織り込み、聴き手は心の譜面にそれを書き付ける。
そうして音楽は生き続ける。何十年も、何百年も。
記憶を伝え、季節を伝え、時を越えた息遣いをも再現させる。
奏者は吟遊詩人の様に、その歴史を楽器で紡ぐ。
ピアノを弾く時、時折そんな考えが心を捕らえる。
何故かは、解らない。
ぼんやりと思いながら、僕は自分自身に問い掛ける。果たして僕にそんな曲が書けるのか、と。
この曲は、「After Concert」は、その曲だと言えるのか。一人前にすらなれていないのに、そう思うのはただの思い上がりだろうか。
曲が終わる。僕の思いが、曖昧になって消えていく。
いつもそうだ。演奏が終われば、夢から醒めた心地になる。決して爽快とは言えない。はっきりとしない思いだけが残される。
しかし一度演奏が始まれば、夢の様にはっきりとした思いが蘇ってくる。
何故だろう、と呟く。
僕の存在が、音楽に盗まれてしまっているのだろうか。
「どうかしたの?」
顔を上げると、彼女が僕を覗き込んでいた。
何か思い詰めた顔をしていたらしい。何でもない、と軽く返す。
真昼の月が夢の残り香の様に、白く淡い光を放っていた。
ハ音記号なんて見たことも無ければ聞いたことも無い。
仕方なく、ピアノと同じ雰囲気で弦楽器のパートを埋めていった。
ヴィオラの先輩曰く、合唱と同じ雰囲気で良いとの話だった。つまり、ヴァイオリンをソプラノ、ヴィオラをアルト、チェロをテノールに見立てる。
練習している合唱曲とパッヘルベルのカノンを参考に、何とか形にしていった。
形になったとはいえ出来は酷いだろう。後は、パート担当に任せるしかない。
「そのハ音記号はヴィオラが使うの…音を一つ下げて、オクターブを変えて、読む」
「ト音記号じゃ駄目なのかな」
「音域が違うもの。この…ト音記号の基本のドが、ハ音記号だと真ん中に来る。チェロと、ヴァイオリンの、丁度真ん中の音だからね」
そう言って、彼女はそっと鍵盤を押す。ピアノがそれに応えて歌う。
「僕にはさっぱり解らないな」
音楽室には、僕と彼女の二人だけ。
先輩達と彼女の妹はまだ来ていない。友人はバンドの練習に行っている。
じっくりと話すのは、これが初めてだった。
僕はとりあえず書き上げた楽譜を彼女に渡し、弦楽器について教えて貰う事にしたのだ。
しかし、予想以上に複雑だった。知らない事が、余りにも多すぎる。
「私もよく解らない。専門じゃないし」
「だったら僕は余計に解らないね」
幾分すねた言い方になったかもしれない。それだけ専門外の事は難しくて解らないのだ。
埃っぽい音楽室の空気が、太陽の匂いを含んで流れる。沈黙の隙間を縫って、扉の向こうの喧騒が聞こえてくる。
彼女はピアノの近くに持ってきた椅子に腰掛け、外を見ている。
僕は変わらずピアノに向いたまま。丁度、背中合わせの形だ。
彼女は何を見ているのだろう。
「曲」
「何?」
「曲のタイトル、教えて貰ってない」
「前にも言ったけど、まだ決まってないんだ」
結局、タイトルを考える時間は他のパートの制作に充てられ、考える暇が無かったのだ。漠然としたタイトルも思いつかない。
普通の名前ではつまらない。奇抜なタイトルは相応しくない。
僕がそう伝えると、彼女はしばらく考え込み、何かを譜面に書き付けた。
「これ、どうかな」
彼女が差し出した譜面には、こう書かれていた。
「After Concert」と。
「アフター…コンサート?」
「コンチェルト、よ」
コンサートとコンチェルトは同じ意味だ。しかし、アフターとはどういう意味なのだろう。
簡単に解釈すれば「演奏会の後」という事なのだろうが―――。
「秋は芸術、そして文化祭。終わった後は、それを思い出すでしょ?色々あったな、とか。その曲は…何か格好付けた言い方で恥ずかしいんだけど、秋の記憶だと思う。その曲を聴いて、秋を思う。思い出すのは、いつも終わってから。だから、アフター」
どう言えば良いのか解らない、と彼女はまだ言葉を探している。
演奏会が終われば、様々な思いを抱きながらその余韻に浸る。
彼女の言う演奏会は、秋。
季節の狭間で、その季節が奏でた曲の余韻に浸る。だから「After Concert」。
先輩達に承認されれば、このタイトルが与えられる。
それよりも、僕の心を動かしたのは、彼女の言葉だった。
彼女は僕の曲を「秋の記憶」だと言った。
僕が曲に込めた季節の移ろいを、彼女は感じ取ってくれたのだろうか。
そうだといい、と思う。
「悪い、遅くなった」
やっと来た先輩達に楽譜を渡す。ヴィオラの先輩に「ハ音記号が解らなかった」と謝ると、構わない、手間を掛けたと逆に気遣われてしまった。
「ところで、曲のタイトルは?」
「それは彼女が…」
僕は彼女の楽譜を示して言った。アフター・コンチェルト、と。
しばらく黙っていた友人の兄が、ぽつりと言った。
「コンチェルトならConcertoだ。oが抜けてるぞ」
単純なスペルミスだったが、彼女は耳まで真っ赤にして黙り込んでしまった。
「そのままで行きましょうよ。逆に印象に残って良いかもしれませんし」
僕が入れたフォローも、彼女の耳には届かなかったかもしれない。
「ま、それも一興だな。Concertでコンチェルト、と読ませることにしよう」
全会一致。これで、曲のタイトルは決まった。
音楽は、時として全てを盗む。
季節を、風景を、そして生命さえも。
全てを捕らえ、音へと変換していく。
人はそれを芸術と呼び、それに魅了される。
作り手は太古の神の様に生命を賭して全てを織り込み、聴き手は心の譜面にそれを書き付ける。
そうして音楽は生き続ける。何十年も、何百年も。
記憶を伝え、季節を伝え、時を越えた息遣いをも再現させる。
奏者は吟遊詩人の様に、その歴史を楽器で紡ぐ。
ピアノを弾く時、時折そんな考えが心を捕らえる。
何故かは、解らない。
ぼんやりと思いながら、僕は自分自身に問い掛ける。果たして僕にそんな曲が書けるのか、と。
この曲は、「After Concert」は、その曲だと言えるのか。一人前にすらなれていないのに、そう思うのはただの思い上がりだろうか。
曲が終わる。僕の思いが、曖昧になって消えていく。
いつもそうだ。演奏が終われば、夢から醒めた心地になる。決して爽快とは言えない。はっきりとしない思いだけが残される。
しかし一度演奏が始まれば、夢の様にはっきりとした思いが蘇ってくる。
何故だろう、と呟く。
僕の存在が、音楽に盗まれてしまっているのだろうか。
「どうかしたの?」
顔を上げると、彼女が僕を覗き込んでいた。
何か思い詰めた顔をしていたらしい。何でもない、と軽く返す。
真昼の月が夢の残り香の様に、白く淡い光を放っていた。
After Concert -3-
話に花を咲かせるカルテット(改め親類縁者と愉快な友人)を尻目に、僕は練習の準備に入る。
書き上げた曲にざっと目を通す。三分強の短い曲。
今のところ、訂正箇所は見当たらない。
このまま行けば良いのだけど、と譜面を広げる。
「せ…先輩、手書きの譜面なんですか?」
ぎょっとして振り向く。いつの間に来たのか、背後に彼女の妹が居た。
「うん、自作だし」
「自作…って、その、えっと、先輩が作られたんですか…?」
「そうだよ」
僕の楽譜を見ようと彼女の妹が屈み込む。顔が近い。
それでは見られないだろう、と身体をずらす。
「あっ、ごめんなさい!」
何もそんなに驚かなくても良いだろうに、大慌てで下がっていった。
その様子に、話をしていた他のメンバーも何事かと集まって来る。
「お前、妹ちゃんに何したんだー?」
「何もしてない」
「じゃあ何でお前に怯えてるんだよ」
「だから何もしてないって」
僕をからかう友人を尻目に、彼女と先輩は僕の楽譜を覗き込んでいた。彼女の妹も、その脇から顔を出している。
最初は興味本位の視線だったか、次第に音を追う目に変わっていく。
流石はカルテット、音楽への関心は高いらしい。友人とは大違いだ。
ただ、可能であれば僕を囲んだまま覗き込むのは止めて欲しかった。数人に囲まれると、結構な威圧感がある。
「これは―――」
ヴィオラの先輩が口を開く。視線は楽譜に向いたままだ。
「君が書いたのか」
「え、ええ…そうです」
「そうか」
静かに、そしてゆっくりと、譜面を目で追っている。友人もそれに加わった。
誰も何も言わない。
引き絞られた弓の様な緊張感。背筋を、一筋の汗が伝う。
痛い沈黙を、彼女がようやく破ってくれた。
「ねぇ、弾いてみてくれないかな」
囁く様にそう言って、彼女は僕から離れる。先輩達も席へ戻った。
「弾…くって、これを?」
僕とピアノだけが取り残される。
「勿論。興味有るんだ、純粋に」
そう呟く彼女は、何だか同い年には見えない。
「いやいやまさか…自作するヤツがいるとは、思わなくてね」
言葉だけは愉快そうに先輩が言う。
「題名は、まだ決まってないんだけど…」
僕は軽く頭を振って、気持ちを切り替えた。
静寂が、色を変えて降りてくる。
黒鍵と白鍵が指先で踊る。
秋。
それは、実りの季節。
夏の暑さに別れを告げ、冬の寒さを迎えるまでの、穏やかな時。
或いは、寂寥の季節。
黄金色の陽に染まった葉が舞い散る季節。そこに感じるのは、一抹の寂しさ。
名前の無いこの曲は、そんな季節への詩。
最初は暑さからの解放感。汗を拭う風、訪れる実りの季節への喜び。そして期待。
それを過ぎる頃、秋は落ち着き、穏やかさがやって来る。
時を忘れる夜、煌々と輝く月。
やがて僕らは、冬の声を聞く。
駆け抜ける風。木々の間を走る。
葉が舞い落ち、その風は「木枯らし」と名を変える。
静かで穏やかな、しかし寂しさを残して秋は過ぎる。
そしてそっと佇むのは、冬―――。
僕が出来る、精一杯の表現だった。
聞く人が、少なくとも彼女や友人、先輩達がどう感じるかは解らない。
黒と白の、三分と少しのダンスが終わった。
緊張を解き、息を整える。
「え、ええと…大体こんな感じ、です」
興味が有るのか無いのか、友人の兄はじっと考え込んでいる。ヴィオラの先輩も、彼女もそうだ。
やはり、素人が作った曲を発表するのは無理が有ったのだろうか。
友人だけは呆気に取られたような顔をしているが、それはいつもの事だ。
「あのさ」
挙手したのはヴィオラの先輩。
「君、弦楽器のパートも書けるかな」
「え?」
「いや、弦楽器じゃなくてもいいや。主旋律書き足したり、伴奏書き足したりするのは可能かな」
「やろうと思えば、出来ると思います」
比較的素直に答えた。やってやれない事は無いはずだ。
しかし、話が見えない。先輩は何を考えているのだろう。
「一つ提案があるのだけど」
僕の心が解ったのか、友人の兄が口を開く。
「は、はい」
「俺らと組まないか」
「…え?」
寝耳に水。鳩に豆鉄砲。蛇に睨まれた、のは違う。
混乱している。彼らは何を言っているのだろう。
「だからさ、君のその曲、一緒にやらせて貰えないかなって事」
ヴィオラの先輩がそう付け足す。
彼女が後ろで小さく頷いた。
「うん、組んでみたいなって」
たかが素人の曲だ。当然、渾身の一曲ではあるけれど、僕はプロなんかじゃない。
思ってもみなかった。
僕と、カルテットが組む。
言葉が出てこない。
「そろそろ閉館なのだけど」
先生が顔を覗かせる。
丁度良いところに、と先輩達が先生を呼ぶ。
「四人だとカルテットって言いますけど、五人だったらどう言います?」
「五人?五重奏って意味なら、クインテットと言うな」
「クインテット、ですか」
呆気に取られた僕を置いて、先輩達は宣言していた。
「エントリー変更で。俺ら、ピアノ入れます。クインテットで行きます」
「そう。一緒にやるのか。それじゃ実行委員にそう伝えとくと良いよ」
本日付で、カルテット改めクインテットとなった彼ら。
その中には僕も含まれている。僕の意志など関係なく、当然の様に。
事の重大さに気付いたのは、家に帰ってからだった。
書き上げた曲にざっと目を通す。三分強の短い曲。
今のところ、訂正箇所は見当たらない。
このまま行けば良いのだけど、と譜面を広げる。
「せ…先輩、手書きの譜面なんですか?」
ぎょっとして振り向く。いつの間に来たのか、背後に彼女の妹が居た。
「うん、自作だし」
「自作…って、その、えっと、先輩が作られたんですか…?」
「そうだよ」
僕の楽譜を見ようと彼女の妹が屈み込む。顔が近い。
それでは見られないだろう、と身体をずらす。
「あっ、ごめんなさい!」
何もそんなに驚かなくても良いだろうに、大慌てで下がっていった。
その様子に、話をしていた他のメンバーも何事かと集まって来る。
「お前、妹ちゃんに何したんだー?」
「何もしてない」
「じゃあ何でお前に怯えてるんだよ」
「だから何もしてないって」
僕をからかう友人を尻目に、彼女と先輩は僕の楽譜を覗き込んでいた。彼女の妹も、その脇から顔を出している。
最初は興味本位の視線だったか、次第に音を追う目に変わっていく。
流石はカルテット、音楽への関心は高いらしい。友人とは大違いだ。
ただ、可能であれば僕を囲んだまま覗き込むのは止めて欲しかった。数人に囲まれると、結構な威圧感がある。
「これは―――」
ヴィオラの先輩が口を開く。視線は楽譜に向いたままだ。
「君が書いたのか」
「え、ええ…そうです」
「そうか」
静かに、そしてゆっくりと、譜面を目で追っている。友人もそれに加わった。
誰も何も言わない。
引き絞られた弓の様な緊張感。背筋を、一筋の汗が伝う。
痛い沈黙を、彼女がようやく破ってくれた。
「ねぇ、弾いてみてくれないかな」
囁く様にそう言って、彼女は僕から離れる。先輩達も席へ戻った。
「弾…くって、これを?」
僕とピアノだけが取り残される。
「勿論。興味有るんだ、純粋に」
そう呟く彼女は、何だか同い年には見えない。
「いやいやまさか…自作するヤツがいるとは、思わなくてね」
言葉だけは愉快そうに先輩が言う。
「題名は、まだ決まってないんだけど…」
僕は軽く頭を振って、気持ちを切り替えた。
静寂が、色を変えて降りてくる。
黒鍵と白鍵が指先で踊る。
秋。
それは、実りの季節。
夏の暑さに別れを告げ、冬の寒さを迎えるまでの、穏やかな時。
或いは、寂寥の季節。
黄金色の陽に染まった葉が舞い散る季節。そこに感じるのは、一抹の寂しさ。
名前の無いこの曲は、そんな季節への詩。
最初は暑さからの解放感。汗を拭う風、訪れる実りの季節への喜び。そして期待。
それを過ぎる頃、秋は落ち着き、穏やかさがやって来る。
時を忘れる夜、煌々と輝く月。
やがて僕らは、冬の声を聞く。
駆け抜ける風。木々の間を走る。
葉が舞い落ち、その風は「木枯らし」と名を変える。
静かで穏やかな、しかし寂しさを残して秋は過ぎる。
そしてそっと佇むのは、冬―――。
僕が出来る、精一杯の表現だった。
聞く人が、少なくとも彼女や友人、先輩達がどう感じるかは解らない。
黒と白の、三分と少しのダンスが終わった。
緊張を解き、息を整える。
「え、ええと…大体こんな感じ、です」
興味が有るのか無いのか、友人の兄はじっと考え込んでいる。ヴィオラの先輩も、彼女もそうだ。
やはり、素人が作った曲を発表するのは無理が有ったのだろうか。
友人だけは呆気に取られたような顔をしているが、それはいつもの事だ。
「あのさ」
挙手したのはヴィオラの先輩。
「君、弦楽器のパートも書けるかな」
「え?」
「いや、弦楽器じゃなくてもいいや。主旋律書き足したり、伴奏書き足したりするのは可能かな」
「やろうと思えば、出来ると思います」
比較的素直に答えた。やってやれない事は無いはずだ。
しかし、話が見えない。先輩は何を考えているのだろう。
「一つ提案があるのだけど」
僕の心が解ったのか、友人の兄が口を開く。
「は、はい」
「俺らと組まないか」
「…え?」
寝耳に水。鳩に豆鉄砲。蛇に睨まれた、のは違う。
混乱している。彼らは何を言っているのだろう。
「だからさ、君のその曲、一緒にやらせて貰えないかなって事」
ヴィオラの先輩がそう付け足す。
彼女が後ろで小さく頷いた。
「うん、組んでみたいなって」
たかが素人の曲だ。当然、渾身の一曲ではあるけれど、僕はプロなんかじゃない。
思ってもみなかった。
僕と、カルテットが組む。
言葉が出てこない。
「そろそろ閉館なのだけど」
先生が顔を覗かせる。
丁度良いところに、と先輩達が先生を呼ぶ。
「四人だとカルテットって言いますけど、五人だったらどう言います?」
「五人?五重奏って意味なら、クインテットと言うな」
「クインテット、ですか」
呆気に取られた僕を置いて、先輩達は宣言していた。
「エントリー変更で。俺ら、ピアノ入れます。クインテットで行きます」
「そう。一緒にやるのか。それじゃ実行委員にそう伝えとくと良いよ」
本日付で、カルテット改めクインテットとなった彼ら。
その中には僕も含まれている。僕の意志など関係なく、当然の様に。
事の重大さに気付いたのは、家に帰ってからだった。
After Concert -2-
「で、お前、そのカルテットと一緒に練習してる訳?」
「うん」
「へぇ…去年の変わり種二組がねぇ」
一限目終了後、友人は呆れとも感心ともつかぬ声でそう言った。
結局昨日は殆ど練習にならなかった。件のカルテットに気を取られていたのもあるし、あの時点では自分の演奏曲が未完成だったというのもあった。
まだ誰にも伝えていないが、今年は自作曲を発表するつもりなのだ。昨日家に帰ってから、ようやく完成した。題名は、決まっていない。
正直、かなり悩んでいた。
クラシックをやるか、今流行の曲をピアノアレンジでやるか、それとも作曲に挑戦してみるか。
勿論、有名な曲の方が受けは良いだろうし、何より弾いた後の反応も大きい。しかし、ありきたりだ。
それにブラスバンド部や他の有志バンドの発表と重複する可能性がある。第一、ブラスバンド部の補欠ピアノ要員としてそういう曲を練習している。僕が弾かなくても、ブラスバンド部は演奏する。
敢えて「僕が」やる必要は無いのだ。その思いが「自作曲発表」を躊躇っていた僕の背中を押した。
作曲は当然ながらそう簡単にはいかなかった。僕だけのオリジナルを作り出すのがこれ程難しいとは、正直想像以上だった。
「んで、今日も放課後は練習?」
「その予定」
「俺暇だから、顔出しても良いか?」
「良いけど…バンド組むって言ってなかったっけ」
「今日はお流れ。クラスの手伝いだとよ」
「ふぅん…まぁ、お好きに」
自作曲初お披露目の相手は、この友人になりそうだ。
放課後の廊下は、どこもかしこも賑やかだ。
僕と友人は、その喧騒から少し離れた音楽室へ向かっていた。
「おーぅ、たのもー」
「道場破りじゃないんだから…」
やたらとハイテンションな友人がドアを開けると、既に先客が居た。
同級生の彼女。彼女の視線が、僕から友人へと移る。
「久しぶりじゃねーか」
「どの辺りが久しぶりよ。毎日顔合わせてるじゃない」
友人と彼女は慣れた様子で喋っている。
状況はよく解らないが、どうやら顔馴染みらしいという事は解る。
「え、じゃあ、ピアノの人って同じクラスなの?」
「何だ、知らなかったのか」
「だって昨日殆ど喋ってなかったし」
「それじゃ自己紹介もしてないのかよ」
ぐい、と腕を掴まれる。会話に参加しろ、という事らしい。
「痛い…」
「奥手だな、お前。自己紹介くらいしろよ」
「そんな余裕無かったし」
「んもぅ、照れちゃって」
「……凄まじく気持ち悪いから放してくれ」
「ちぇ、連れねえのー」
友人曰く、彼女とは去年クラスが同じで、それ以来の付き合いだという事だ。
彼女は隣のクラスの生徒だったのだ。
隣のクラスにも何人か友人は居るが、彼女の存在には全然気付かなかった。特に接点も無かったから、当然と言えば当然だろう。
ついでに、と友人が言いかけた時、誰かが音楽室のドアをノックした。
彼女が応じると、女子生徒が顔を覗かせた。カルテットのもう一人、後輩の子だった。
「あ、お姉ちゃん、先に来てたんだ」
「ん。早く終わったからね」
「…お姉ちゃん?」
「妹なの。二人とも、ヴァイオリン」
彼女の妹がちょこんと頭を下げる。よくよく見れば、確かに似ている。
僕以上に奥手なのか、楽器ケースを抱えてうつむいてしまった。慣れない人と話すのは苦手なのかもしれない。
「ちなみに、よく似てるけど、先輩はヴィオラなの」
彼女の妹に遅れること数分、先輩二人が来た。
チェロ担当の先輩が、友人を見て唖然としている。
「いよう、馬鹿兄貴」
「何でお前が居るんだ、愚弟」
愚弟とは時代がかった言い方だが、つまり先輩は友人の兄という事だ。
「あれ、知らなかった?去年ヴァイオリンやってたのも、俺の兄貴なんだよ」
「先輩卒業しちゃったからね。それで、私の妹がメンバーに入ったの」
こくり、と応じる彼女の妹。
話を整理する。
去年のカルテットは、彼女、ヴィオラ担当の先輩、友人の兄二人で編成されていた。
今年は卒業した友人の兄の後継者として、彼女の妹がメンバーになった。
「ヴィオラの先輩は…誰かの兄弟、とか?」
僕の質問に、先輩はいいや、と首を振る。
「こいつの幼馴染み。幼稚園から一緒だな。兄弟みたいなものだけど」
こいつ、とは友人の兄の事。当然俺も同じだ、と友人が付け足す。
カルテットが親類縁者で組まれていたとは思わなかった。
何だろう、この疎外感は。
僕だけ話が解らない。
「何で俺誘ってくれなかったんだよ、馬鹿兄貴」
「男ばっかだとむさ苦しいじゃねえか、愚弟」
「以下同文」
先輩達は慣れた様子で友人を弄っている。
しかし、友人が誘われなかったとむくれるのは何故だろう。
「お前、ヴァイオリンとか弾けるの?」
「弾けるよ?言ってなかったっけ」
「聞いてない」
疎外感、倍増。
カルテットが親類縁者、ご近所様で組まれているとは。
それにしても、とふと思う。
この学校に「音楽専門コース」とか「音楽特待生」の様な制度は無い。至って普通の学校だ。それなのに、何故こんなにも「音楽家」が多いのだろう。
そして最大の疑問が、その音楽家が親類縁者や知り合いで占められている事だ。
ここまで揃うと感覚が麻痺してくるのか、驚きも感心も出来ない。何かの間違いで普通の学校に来たとしか思えなかった。
そんな人達に囲まれた僕は、この中では浮いた存在なのかもしれない。
「うん」
「へぇ…去年の変わり種二組がねぇ」
一限目終了後、友人は呆れとも感心ともつかぬ声でそう言った。
結局昨日は殆ど練習にならなかった。件のカルテットに気を取られていたのもあるし、あの時点では自分の演奏曲が未完成だったというのもあった。
まだ誰にも伝えていないが、今年は自作曲を発表するつもりなのだ。昨日家に帰ってから、ようやく完成した。題名は、決まっていない。
正直、かなり悩んでいた。
クラシックをやるか、今流行の曲をピアノアレンジでやるか、それとも作曲に挑戦してみるか。
勿論、有名な曲の方が受けは良いだろうし、何より弾いた後の反応も大きい。しかし、ありきたりだ。
それにブラスバンド部や他の有志バンドの発表と重複する可能性がある。第一、ブラスバンド部の補欠ピアノ要員としてそういう曲を練習している。僕が弾かなくても、ブラスバンド部は演奏する。
敢えて「僕が」やる必要は無いのだ。その思いが「自作曲発表」を躊躇っていた僕の背中を押した。
作曲は当然ながらそう簡単にはいかなかった。僕だけのオリジナルを作り出すのがこれ程難しいとは、正直想像以上だった。
「んで、今日も放課後は練習?」
「その予定」
「俺暇だから、顔出しても良いか?」
「良いけど…バンド組むって言ってなかったっけ」
「今日はお流れ。クラスの手伝いだとよ」
「ふぅん…まぁ、お好きに」
自作曲初お披露目の相手は、この友人になりそうだ。
放課後の廊下は、どこもかしこも賑やかだ。
僕と友人は、その喧騒から少し離れた音楽室へ向かっていた。
「おーぅ、たのもー」
「道場破りじゃないんだから…」
やたらとハイテンションな友人がドアを開けると、既に先客が居た。
同級生の彼女。彼女の視線が、僕から友人へと移る。
「久しぶりじゃねーか」
「どの辺りが久しぶりよ。毎日顔合わせてるじゃない」
友人と彼女は慣れた様子で喋っている。
状況はよく解らないが、どうやら顔馴染みらしいという事は解る。
「え、じゃあ、ピアノの人って同じクラスなの?」
「何だ、知らなかったのか」
「だって昨日殆ど喋ってなかったし」
「それじゃ自己紹介もしてないのかよ」
ぐい、と腕を掴まれる。会話に参加しろ、という事らしい。
「痛い…」
「奥手だな、お前。自己紹介くらいしろよ」
「そんな余裕無かったし」
「んもぅ、照れちゃって」
「……凄まじく気持ち悪いから放してくれ」
「ちぇ、連れねえのー」
友人曰く、彼女とは去年クラスが同じで、それ以来の付き合いだという事だ。
彼女は隣のクラスの生徒だったのだ。
隣のクラスにも何人か友人は居るが、彼女の存在には全然気付かなかった。特に接点も無かったから、当然と言えば当然だろう。
ついでに、と友人が言いかけた時、誰かが音楽室のドアをノックした。
彼女が応じると、女子生徒が顔を覗かせた。カルテットのもう一人、後輩の子だった。
「あ、お姉ちゃん、先に来てたんだ」
「ん。早く終わったからね」
「…お姉ちゃん?」
「妹なの。二人とも、ヴァイオリン」
彼女の妹がちょこんと頭を下げる。よくよく見れば、確かに似ている。
僕以上に奥手なのか、楽器ケースを抱えてうつむいてしまった。慣れない人と話すのは苦手なのかもしれない。
「ちなみに、よく似てるけど、先輩はヴィオラなの」
彼女の妹に遅れること数分、先輩二人が来た。
チェロ担当の先輩が、友人を見て唖然としている。
「いよう、馬鹿兄貴」
「何でお前が居るんだ、愚弟」
愚弟とは時代がかった言い方だが、つまり先輩は友人の兄という事だ。
「あれ、知らなかった?去年ヴァイオリンやってたのも、俺の兄貴なんだよ」
「先輩卒業しちゃったからね。それで、私の妹がメンバーに入ったの」
こくり、と応じる彼女の妹。
話を整理する。
去年のカルテットは、彼女、ヴィオラ担当の先輩、友人の兄二人で編成されていた。
今年は卒業した友人の兄の後継者として、彼女の妹がメンバーになった。
「ヴィオラの先輩は…誰かの兄弟、とか?」
僕の質問に、先輩はいいや、と首を振る。
「こいつの幼馴染み。幼稚園から一緒だな。兄弟みたいなものだけど」
こいつ、とは友人の兄の事。当然俺も同じだ、と友人が付け足す。
カルテットが親類縁者で組まれていたとは思わなかった。
何だろう、この疎外感は。
僕だけ話が解らない。
「何で俺誘ってくれなかったんだよ、馬鹿兄貴」
「男ばっかだとむさ苦しいじゃねえか、愚弟」
「以下同文」
先輩達は慣れた様子で友人を弄っている。
しかし、友人が誘われなかったとむくれるのは何故だろう。
「お前、ヴァイオリンとか弾けるの?」
「弾けるよ?言ってなかったっけ」
「聞いてない」
疎外感、倍増。
カルテットが親類縁者、ご近所様で組まれているとは。
それにしても、とふと思う。
この学校に「音楽専門コース」とか「音楽特待生」の様な制度は無い。至って普通の学校だ。それなのに、何故こんなにも「音楽家」が多いのだろう。
そして最大の疑問が、その音楽家が親類縁者や知り合いで占められている事だ。
ここまで揃うと感覚が麻痺してくるのか、驚きも感心も出来ない。何かの間違いで普通の学校に来たとしか思えなかった。
そんな人達に囲まれた僕は、この中では浮いた存在なのかもしれない。
After Concert -1-
鞄から楽譜を取り出し、セットする。
ピアノと僕だけの時間。深呼吸を一つ、鍵盤に指を滑らせる。
ドビュッシー「月の光」。
練習前の指慣らしとして、飽きるくらい弾いている曲だ。
放課後なのに、校内は賑やかだった。
それというのも、迫っている文化祭の準備に追われているからだ。模擬店舗の打ち合わせや、各部活の出し物、気の合う連中と組んでやる出し物―――有志発表の練習がそこかしこで行われている。
ただ、僕の居るこの音楽室だけは静かだった。他に、誰も居ない。
ブラスバンド部は専用の練習場所でやっているし、他の有志バンドは別の音楽室や教室に居る。つまり、ここは貸し切り状態という訳だ。
かく言う僕も、有志発表のメンバーだ。ただし、組む相手は居ない。僕一人だけだ。
去年の文化祭も、一人で演奏をやり切った。
幼い頃からピアノをやっていて、合唱コンクールの演奏を頼まれたついでにエントリーをしたのだ。
今回は単純に「どうせなら今年もやってみる」、それが理由だ。
勿論、今年も合唱コンクールの演奏を頼まれている。更に言えば、ブラスバンド部の補欠ピアノ要員でもある。練習する曲は大量にある。お陰で自分の発表曲を練習する時間は少ない。
けれども、趣味でピアノをやっている僕にとっては苦にならない。弾く曲が多くて嬉しいくらいだ。
曲が中盤に差し掛かった時、教室のドアが開いた。
顔を覗かせたのは、この教室を担当している先生。それと、後ろに何人かの生徒。
演奏を止める。閉館するにはまだ早い時間だ。
「今日は早めに閉館ですか?」
「いや。実は今年有志バンドが多くてな。君に相部屋を頼もうと思うんだが…構わんかね?」
「構いませんが……一体誰と?」
先生は後ろの生徒達を教室へ招き入れる。
男子と女子が二人ずつ。男子生徒は二人とも先輩、女子生徒は一人が同級生、一人は後輩だ。
彼らが携えているのは、弦楽器。チェロと、恐らくはヴァイオリンとヴィオラ。チェロ以外は見分けが付かない。
「悪いね、居候させて貰うよ」
先輩が僕に笑いかける。僕はその顔に見覚えがあった。
確か、去年も居た。そして同じ四人編成で発表をしていたはずだ。
僕の記憶に間違いが無ければ、彼らは―――。
「もしかして、カルテット…の方々、ですか?」
「ん、覚えててくれたんだ?」
「ええ、去年はパッヘルベルのカノンでしたよね」
四人編成、故にカルテット。この学校唯一の弦楽四重奏団。
忘れる訳が無い。バンド形式の発表が大半を占める中、ピアノソロの僕とこの四人組は異色だったと言われていたのだ。
カルテットなんて、単純極まりない何の捻りもないネーミングだ。だがその腕前は群を抜いている。
名前なんてただの飾り。彼らにとっては音符一つの価値も無いのだろう。
「今年は何を?」
「ヴィヴァルディの四季から、聞いたことありそうなのを選んでやる予定」
「ヴィヴァルディ、ですか…」
四季と言われても「春」くらいしか解らない。その「春」も、僕からすればかなり難しい曲だ。それをやるという彼らは、僕と同じく幼い頃からやっていたのだろうか。
「じゃ、仲良くやってね」
先生はそう言って音楽室から出て行く。
さて、と練習をしようにも、カルテットの面々の邪魔になりそうで手を付けられない。
所在ない僕の気分を知ってか知らずか、彼らは各々の楽器を取り出し準備を始める。
良い機会だ。彼らの練習風景がどんなものなのか、じっくりと見学出来る。
調弦が始まった。飛び立つ前の雛鳥の様な音が、徐々に整い始める。
そして、ぴたりと止まる。呼吸する事さえ忘れそうな緊張感。
同級生の彼女が、一度だけ僕を見て、メンバーに合図を送った。
―――ヴィヴァルディ、ヴァイオリン協奏曲「四季」、協奏曲第一番「春」、第一楽章。
圧倒、の一言だった。それ以外に表現する術が無い。
彼らのアレンジのせいか、それとも、近くで聞いているからか。
何にせよ、彼らの実力は相当のものだと身を以て理解した。
同じ舞台に立つのかと思うと、少し怖い。畏怖と言うべきかもしれない。
これが、有志として文化祭に出ると言うのか。少なくとも僕は、同列には扱えない。
多分、彼らは学外でも活動をしているのだろう。そうとしか思えない。
僕の目を一際引いたのが、同級生の彼女だ。
主旋律のヴァイオリンの彼女。僕を見た時は「同級生」だったのに、演奏時の目は「奏者」そのものだった。
彼女の操るソロヴァイオリンの歌声が、まだ頭の中で響いている。
とんでもない人達と共に練習する事になってしまった。いっそ、自宅で練習するだけにした方が良いかもしれない。
「それじゃ、後は個人練習って事で」
各々の練習する音が、余韻を奪っていく。夢から醒めるような心地。
負けてはいられない、と弱気な心を叱咤し、僕も練習に入る。
ピアノと僕だけの時間。深呼吸を一つ、鍵盤に指を滑らせる。
ドビュッシー「月の光」。
練習前の指慣らしとして、飽きるくらい弾いている曲だ。
放課後なのに、校内は賑やかだった。
それというのも、迫っている文化祭の準備に追われているからだ。模擬店舗の打ち合わせや、各部活の出し物、気の合う連中と組んでやる出し物―――有志発表の練習がそこかしこで行われている。
ただ、僕の居るこの音楽室だけは静かだった。他に、誰も居ない。
ブラスバンド部は専用の練習場所でやっているし、他の有志バンドは別の音楽室や教室に居る。つまり、ここは貸し切り状態という訳だ。
かく言う僕も、有志発表のメンバーだ。ただし、組む相手は居ない。僕一人だけだ。
去年の文化祭も、一人で演奏をやり切った。
幼い頃からピアノをやっていて、合唱コンクールの演奏を頼まれたついでにエントリーをしたのだ。
今回は単純に「どうせなら今年もやってみる」、それが理由だ。
勿論、今年も合唱コンクールの演奏を頼まれている。更に言えば、ブラスバンド部の補欠ピアノ要員でもある。練習する曲は大量にある。お陰で自分の発表曲を練習する時間は少ない。
けれども、趣味でピアノをやっている僕にとっては苦にならない。弾く曲が多くて嬉しいくらいだ。
曲が中盤に差し掛かった時、教室のドアが開いた。
顔を覗かせたのは、この教室を担当している先生。それと、後ろに何人かの生徒。
演奏を止める。閉館するにはまだ早い時間だ。
「今日は早めに閉館ですか?」
「いや。実は今年有志バンドが多くてな。君に相部屋を頼もうと思うんだが…構わんかね?」
「構いませんが……一体誰と?」
先生は後ろの生徒達を教室へ招き入れる。
男子と女子が二人ずつ。男子生徒は二人とも先輩、女子生徒は一人が同級生、一人は後輩だ。
彼らが携えているのは、弦楽器。チェロと、恐らくはヴァイオリンとヴィオラ。チェロ以外は見分けが付かない。
「悪いね、居候させて貰うよ」
先輩が僕に笑いかける。僕はその顔に見覚えがあった。
確か、去年も居た。そして同じ四人編成で発表をしていたはずだ。
僕の記憶に間違いが無ければ、彼らは―――。
「もしかして、カルテット…の方々、ですか?」
「ん、覚えててくれたんだ?」
「ええ、去年はパッヘルベルのカノンでしたよね」
四人編成、故にカルテット。この学校唯一の弦楽四重奏団。
忘れる訳が無い。バンド形式の発表が大半を占める中、ピアノソロの僕とこの四人組は異色だったと言われていたのだ。
カルテットなんて、単純極まりない何の捻りもないネーミングだ。だがその腕前は群を抜いている。
名前なんてただの飾り。彼らにとっては音符一つの価値も無いのだろう。
「今年は何を?」
「ヴィヴァルディの四季から、聞いたことありそうなのを選んでやる予定」
「ヴィヴァルディ、ですか…」
四季と言われても「春」くらいしか解らない。その「春」も、僕からすればかなり難しい曲だ。それをやるという彼らは、僕と同じく幼い頃からやっていたのだろうか。
「じゃ、仲良くやってね」
先生はそう言って音楽室から出て行く。
さて、と練習をしようにも、カルテットの面々の邪魔になりそうで手を付けられない。
所在ない僕の気分を知ってか知らずか、彼らは各々の楽器を取り出し準備を始める。
良い機会だ。彼らの練習風景がどんなものなのか、じっくりと見学出来る。
調弦が始まった。飛び立つ前の雛鳥の様な音が、徐々に整い始める。
そして、ぴたりと止まる。呼吸する事さえ忘れそうな緊張感。
同級生の彼女が、一度だけ僕を見て、メンバーに合図を送った。
―――ヴィヴァルディ、ヴァイオリン協奏曲「四季」、協奏曲第一番「春」、第一楽章。
圧倒、の一言だった。それ以外に表現する術が無い。
彼らのアレンジのせいか、それとも、近くで聞いているからか。
何にせよ、彼らの実力は相当のものだと身を以て理解した。
同じ舞台に立つのかと思うと、少し怖い。畏怖と言うべきかもしれない。
これが、有志として文化祭に出ると言うのか。少なくとも僕は、同列には扱えない。
多分、彼らは学外でも活動をしているのだろう。そうとしか思えない。
僕の目を一際引いたのが、同級生の彼女だ。
主旋律のヴァイオリンの彼女。僕を見た時は「同級生」だったのに、演奏時の目は「奏者」そのものだった。
彼女の操るソロヴァイオリンの歌声が、まだ頭の中で響いている。
とんでもない人達と共に練習する事になってしまった。いっそ、自宅で練習するだけにした方が良いかもしれない。
「それじゃ、後は個人練習って事で」
各々の練習する音が、余韻を奪っていく。夢から醒めるような心地。
負けてはいられない、と弱気な心を叱咤し、僕も練習に入る。
After Concert~静寂~
終わりは始まりだと、人は言う。
だが、終わりは終わりでしか無い。
その先には、何も無い。
誰が為に、と彼は思う。
何の為に、と彼は問う。
その一瞬が、その儚さが、永遠に変わる。
永遠と言う名の、最果て。
永遠と言う名の―――。
だが、終わりは終わりでしか無い。
その先には、何も無い。
誰が為に、と彼は思う。
何の為に、と彼は問う。
その一瞬が、その儚さが、永遠に変わる。
永遠と言う名の、最果て。
永遠と言う名の―――。
Blue Scraper~碧海~
碧。
鏡の如き純粋と、深淵に等しき深さ。
全てを包み、全てを飲み込む色。
碧。
それは静寂の色。
全ての色。
触れ合う色。
水面を空に映し、白波の雲を引く。
魂の紡ぐ絆。境界無き心。
少年と少女の見つめる先、水面は何も答えない。
その心を映し、ただあるがままに。
鏡の如き純粋と、深淵に等しき深さ。
全てを包み、全てを飲み込む色。
碧。
それは静寂の色。
全ての色。
触れ合う色。
水面を空に映し、白波の雲を引く。
魂の紡ぐ絆。境界無き心。
少年と少女の見つめる先、水面は何も答えない。
その心を映し、ただあるがままに。
Blue Scraper -13-
黄昏色の空が群青に変わる頃、僕らは出店から少し離れた堤防に腰掛けていた。
活気と熱気から離れるだけで、風がこんなにも涼しくて気持ちが良い。
「…良かったの?」
「何が」
「その、友達」
彼女の言う友達とは、あの子の事だ。少し前、出店で逢ったのだ。
一緒にいた相手は、先輩ではなく、クラスメート。女子グループで集まってここに来ていたのだ。
何でも、近くのお祭りは来週だったらしい。それで僕から聞いていた花火大会に友達と来た、という訳だ。
連絡しようと思ったんだけど、とあの子は笑っていた。
先輩は来られなかったらしい。それで女子グループを誘ってここに来たという。
せっかくだからと僕に「一緒に出店を回らないか」と誘ってきたのだ。
女子ばかりだし、詳しい人も居ないから丁度良いと思ったようだ。
僕はそれを断った。
僕は僕で友達と一緒だから、そう答えた。
何かを察したのか、彼女は近くに居なかったけれど。
勿論、あの子は気にもしていないだろう。それは僕も同じ事だ。
「あの子、苦手だろ」
「別にそんな事は、無いけど」
「無理しなくても良いって」
「……ちょっと、苦手」
「だろ」
あの子のグループと別れる前、花火を見る絶好のスポットは無いかと聞かれた。
僕は岬の上が一番だと教え、反対方向の堤防へ彼女と向かったのだ。
岬の上は絶好のスポットだ。それは嘘ではない。
高台にある上に、海上から打ち上げられる花火が一番綺麗に見られる場所だろう。
ただし、それを目当てに人がかなり集まってくる。一度行ったことはあるが、二度と行きたくない。それぐらい混むのだ。
当然僕は岬には行くつもりはなかった。通りを抜け、堤防に彼女を連れて行った。
混まない上に花火がそれなりに綺麗に見られる場所が、今居る堤防なのだ。
岬の上は、ここからでも解るくらい混んでいる。行かなくて良かったと心底思った。
あの子達は今頃あの人混みの中に居るのだろうか。
「静かだね」
「まあ、人居ないからね」
「こっちに来る人も、居ないみたいだけど」
「そりゃ、穴場だし」
実際今までは地元の友人達と来るのがお約束だった。奴らと別行動なのは、多分今年が初めてだろう。
そう言えば友人達と連絡を取っていない。向こうからメールくらいは来ても良いはずだ。
とはいえ、僕から送ろうと言う気にもならない。向こうは向こうで楽しんでいるのだろう。
終わってから連絡を取れば良いだけだ。奴らの事だ、どこかに居るのは間違いない。
ふと気付くと、彼女は一枚も写真を撮っていない。花火を収める様子もない。
「写真、撮らなくて良いの?」
「ああ…うん。花火、綺麗に撮れないし」
「そういうものかな」
「それに、たまにはゆっくり楽しみたいし」
「なるほどね」
ひゅるる、と風笛の様な音が聞こえる。一筋の光条が上っていく。それが、大輪の花と変わる。数瞬遅れて、轟音が肌を打つ。
そこかしこで歓声が上がり、出店の方も一層賑やかになった。
最初の一つを合図に、次々と打ち上げられる花火。赤や青の光が、街を照らしては消えていく。
寄せては返す波音、人々のざわめき、それを全て包み込む花火の音。
終わった夏と、終わらない夏の狭間で、儚い夢のような煌めきだけを残していった。
帰り道、大増発にも関わらず駅はかなり混んでいた。
単線でそもそも人の利用が少ないのだ。たまにしか利用しない連中に文句を言う資格は無い。
僕がそう言うと、彼女は「空いてから帰るから気にしない」と笑っていた。
人が減ってきた出店で、僕らは混雑する駅を眺めていた。
手には揃ってかき氷。閉店サービスだ、とおじさんがくれたのだ。
結局、地元の友人達と顔を合わせなかった。あの混雑に紛れてもう帰ってしまったのだろう。
「ねぇ」
「何?」
そう僕に声をかけて置きながら、しゃりしゃりとかき氷をかき混ぜ、彼女はしばらく黙っていた。
「疲れた?」
「ううん、平気」
言いかけては口ごもる、それを数回繰り返した後、ようやく彼女は言葉を紡ぐ。
「えっと、たまには遊びに来ても良いかな、と」
そんな事かと吹き出しそうになる。それを堪えて僕は応える。
「そりゃ勿論、構わないよ。戦闘機撮りに来るならいつでも…」
「ああ、そうじゃなくって…。昼間とか、海綺麗だし」
「…ふぅん。地元に住んでると特に何とも思わないけどな。案内なら任せろ。こんな場所で良けりゃ、好きなだけ案内してやるよ」
「ありがとね」
岬を見上げる。どうやらピークは過ぎたらしい。
彼女もそれに気付いたのか、そろそろ帰る、と歩き出す。
「送ろうか」
「一人で帰れるから、平気」
「そう?」
「明日、また来る。だから」
「迎えと案内よろしく、だろ。解ったよ」
そう告げると、彼女は軽く微笑み、僕に背を向けた。
僕はその背中が見えなくなるまで、会場の端で見送っていた。
片付けの始まった出店を後にして、彼女と花火を見ていた堤防へと向かう。
祭りの賑やかさはもう無い。ただ、潮騒だけが聞こえている。
その静けさを、携帯の着信音が破った。地元の友人からだ。
「…もしもし?」
『中々に良い雰囲気だったじゃんか』
気配を感じて辺りを見回す。少し離れたところで、友人達がにやにや笑いながら手を振っている。
溜息を一つ。電話を切る。
「勘違いすんな。ただの友達だ」
「へーぇ?こんな場所で良けりゃ好きなだけ案内してやるーって言っといて?」
「遠回しに付き合おうぜって言ってるようなもんじゃねーの」
なぁ、と互いに顔を見合わせ、僕に向かってにやにやと笑っている。
どうやら一部始終を見ていたらしい。
「居るなら声かけてくれりゃ良いのに」
「いやいやいやいや。邪魔する訳にゃいきませんぜ」
「そんな野暮ったい真似は出来ん」
「だからこっそり見守っていたんだよ」
なぁ、とまた顔を見合わせて笑う。
見ていたどころか、尾行していたらしい。人が悪い事この上無い。
「馬鹿じゃねえのかお前ら」
「そう怒るなって。いつもの様に打ち上げに顔出すんだけど、お前も来るだろ」
「おう、そうするわ」
「色々話も聞きたいし」
「…やかましい」
足下に小石を投げつける。わぁっと逃げる様に走り出す友人達。僕はその後を歩く。
岬も幾分静かになった。
電車の走る音が聞こえる。彼女は乗れただろうか。
「置いてくぞー」
「すぐ行くっての」
僕は海を一瞥し、友人達を追いかける。
花火の光も人々の喧騒も飲み込んだ海は、闇のように穏やかだった。
明日もきっと良い天気だ。
絶好のシャッターチャンスが訪れる事だろう。
活気と熱気から離れるだけで、風がこんなにも涼しくて気持ちが良い。
「…良かったの?」
「何が」
「その、友達」
彼女の言う友達とは、あの子の事だ。少し前、出店で逢ったのだ。
一緒にいた相手は、先輩ではなく、クラスメート。女子グループで集まってここに来ていたのだ。
何でも、近くのお祭りは来週だったらしい。それで僕から聞いていた花火大会に友達と来た、という訳だ。
連絡しようと思ったんだけど、とあの子は笑っていた。
先輩は来られなかったらしい。それで女子グループを誘ってここに来たという。
せっかくだからと僕に「一緒に出店を回らないか」と誘ってきたのだ。
女子ばかりだし、詳しい人も居ないから丁度良いと思ったようだ。
僕はそれを断った。
僕は僕で友達と一緒だから、そう答えた。
何かを察したのか、彼女は近くに居なかったけれど。
勿論、あの子は気にもしていないだろう。それは僕も同じ事だ。
「あの子、苦手だろ」
「別にそんな事は、無いけど」
「無理しなくても良いって」
「……ちょっと、苦手」
「だろ」
あの子のグループと別れる前、花火を見る絶好のスポットは無いかと聞かれた。
僕は岬の上が一番だと教え、反対方向の堤防へ彼女と向かったのだ。
岬の上は絶好のスポットだ。それは嘘ではない。
高台にある上に、海上から打ち上げられる花火が一番綺麗に見られる場所だろう。
ただし、それを目当てに人がかなり集まってくる。一度行ったことはあるが、二度と行きたくない。それぐらい混むのだ。
当然僕は岬には行くつもりはなかった。通りを抜け、堤防に彼女を連れて行った。
混まない上に花火がそれなりに綺麗に見られる場所が、今居る堤防なのだ。
岬の上は、ここからでも解るくらい混んでいる。行かなくて良かったと心底思った。
あの子達は今頃あの人混みの中に居るのだろうか。
「静かだね」
「まあ、人居ないからね」
「こっちに来る人も、居ないみたいだけど」
「そりゃ、穴場だし」
実際今までは地元の友人達と来るのがお約束だった。奴らと別行動なのは、多分今年が初めてだろう。
そう言えば友人達と連絡を取っていない。向こうからメールくらいは来ても良いはずだ。
とはいえ、僕から送ろうと言う気にもならない。向こうは向こうで楽しんでいるのだろう。
終わってから連絡を取れば良いだけだ。奴らの事だ、どこかに居るのは間違いない。
ふと気付くと、彼女は一枚も写真を撮っていない。花火を収める様子もない。
「写真、撮らなくて良いの?」
「ああ…うん。花火、綺麗に撮れないし」
「そういうものかな」
「それに、たまにはゆっくり楽しみたいし」
「なるほどね」
ひゅるる、と風笛の様な音が聞こえる。一筋の光条が上っていく。それが、大輪の花と変わる。数瞬遅れて、轟音が肌を打つ。
そこかしこで歓声が上がり、出店の方も一層賑やかになった。
最初の一つを合図に、次々と打ち上げられる花火。赤や青の光が、街を照らしては消えていく。
寄せては返す波音、人々のざわめき、それを全て包み込む花火の音。
終わった夏と、終わらない夏の狭間で、儚い夢のような煌めきだけを残していった。
帰り道、大増発にも関わらず駅はかなり混んでいた。
単線でそもそも人の利用が少ないのだ。たまにしか利用しない連中に文句を言う資格は無い。
僕がそう言うと、彼女は「空いてから帰るから気にしない」と笑っていた。
人が減ってきた出店で、僕らは混雑する駅を眺めていた。
手には揃ってかき氷。閉店サービスだ、とおじさんがくれたのだ。
結局、地元の友人達と顔を合わせなかった。あの混雑に紛れてもう帰ってしまったのだろう。
「ねぇ」
「何?」
そう僕に声をかけて置きながら、しゃりしゃりとかき氷をかき混ぜ、彼女はしばらく黙っていた。
「疲れた?」
「ううん、平気」
言いかけては口ごもる、それを数回繰り返した後、ようやく彼女は言葉を紡ぐ。
「えっと、たまには遊びに来ても良いかな、と」
そんな事かと吹き出しそうになる。それを堪えて僕は応える。
「そりゃ勿論、構わないよ。戦闘機撮りに来るならいつでも…」
「ああ、そうじゃなくって…。昼間とか、海綺麗だし」
「…ふぅん。地元に住んでると特に何とも思わないけどな。案内なら任せろ。こんな場所で良けりゃ、好きなだけ案内してやるよ」
「ありがとね」
岬を見上げる。どうやらピークは過ぎたらしい。
彼女もそれに気付いたのか、そろそろ帰る、と歩き出す。
「送ろうか」
「一人で帰れるから、平気」
「そう?」
「明日、また来る。だから」
「迎えと案内よろしく、だろ。解ったよ」
そう告げると、彼女は軽く微笑み、僕に背を向けた。
僕はその背中が見えなくなるまで、会場の端で見送っていた。
片付けの始まった出店を後にして、彼女と花火を見ていた堤防へと向かう。
祭りの賑やかさはもう無い。ただ、潮騒だけが聞こえている。
その静けさを、携帯の着信音が破った。地元の友人からだ。
「…もしもし?」
『中々に良い雰囲気だったじゃんか』
気配を感じて辺りを見回す。少し離れたところで、友人達がにやにや笑いながら手を振っている。
溜息を一つ。電話を切る。
「勘違いすんな。ただの友達だ」
「へーぇ?こんな場所で良けりゃ好きなだけ案内してやるーって言っといて?」
「遠回しに付き合おうぜって言ってるようなもんじゃねーの」
なぁ、と互いに顔を見合わせ、僕に向かってにやにやと笑っている。
どうやら一部始終を見ていたらしい。
「居るなら声かけてくれりゃ良いのに」
「いやいやいやいや。邪魔する訳にゃいきませんぜ」
「そんな野暮ったい真似は出来ん」
「だからこっそり見守っていたんだよ」
なぁ、とまた顔を見合わせて笑う。
見ていたどころか、尾行していたらしい。人が悪い事この上無い。
「馬鹿じゃねえのかお前ら」
「そう怒るなって。いつもの様に打ち上げに顔出すんだけど、お前も来るだろ」
「おう、そうするわ」
「色々話も聞きたいし」
「…やかましい」
足下に小石を投げつける。わぁっと逃げる様に走り出す友人達。僕はその後を歩く。
岬も幾分静かになった。
電車の走る音が聞こえる。彼女は乗れただろうか。
「置いてくぞー」
「すぐ行くっての」
僕は海を一瞥し、友人達を追いかける。
花火の光も人々の喧騒も飲み込んだ海は、闇のように穏やかだった。
明日もきっと良い天気だ。
絶好のシャッターチャンスが訪れる事だろう。