Minstrelsy -6ページ目

Blue Scraper -12-

電車がやってくる。レールを軋ませ、ゆっくりと。
車両は、見る限り満席。ドアが開くとぞろぞろと客が降りてくる。
夕方、六時を少し過ぎた頃。岬は賑やかだった。
いつも岬に陣取っているカメラマンは姿も見えない。その代わりに家族連れやカップルが岬を埋め尽くしている。
浴衣を着た女の子、甚平姿のおじさん、まだ歩き始めたばかりの小さな子供もいる。
皆、今日の花火大会にやってきた人達だ。
その人の流れに押し出されるように彼女がやってきた。
「…お疲れ」
配っていた団扇兼プログラムを差し出す。
「人、多いね」
「この日だけは、特別」
彼女は意外にも軽装だった。小さな鞄一つ。あの大きな一眼レフは持ってこなかったらしい。
「カメラは?」
「デジカメは持ってきたけど…ああ、そうだ」
彼女は鞄を漁ると、一枚の写真を渡してきた。
そこには、モノクロの空が広がっていた。
グレーの濃淡で描かれた青空に、真っ白い筋が引かれている。その先端にはF-2。
「モノクロで撮ってたのか」
「現像したのも、私」
少しばかり胸を張って彼女は言う。
何でも、自宅に暗室があるらしく、親から現像技術を学んでいたらしい。昨日の一眼レフも親から借りたものだという。
戦闘機を追いかけて、一眼レフを使い、尚かつ現像まで自前でやっている。
そんな事は、見た目では勿論解らない。他人の事は、外見が一番アテにならない。
「流石にカラーの現像は出来ないんだけど」
「いやいや…モノクロでも出来る人はあんまり居ないって」
少なくとも、僕は今までに一度も出会ったことは無い。
そう言うと彼女は困った様に笑った。
「さて、と。出店の方でも行く?」
「うん。案内、よろしく」
僕はこっちだ、と彼女を案内する。人の流れに押し潰されそうだ。
振り返ると、案の定、彼女は巻き込まれて立ち往生している。
電車もかなり混んでいたせいで、少しばかり疲れているのかもしれない。或いは、元々人の多い場所を歩くのは苦手なのか。
僕も得意ではないが、そうは言っていられない。人の流れに逆らい、彼女の手を掴む。
掴んだ相手が人違いではない事を確かめ、歩き出す。戸惑う気配。
「迷子になるなって、昨日言っただろ」
「でも……」
何か言ったらしいが、雑音に紛れて聞こえない。
「迷子になられちゃ、案内も出来ない」
僕はそう言うと、彼女の返事を待たずに歩き出す。
元々岬から堤防へ降りる道は幅が狭い。
そもそも人通りが少ない道なのだ。車も通らないし、カメラマンも降りることはない。昨日も一人で歩いた。普段は気にもしていない。
だが、この時ばかりは道の狭さを恨む。毎年、たった一日の事とはいえ、暑い上に人が密集して歩くのだ。
足下に気をつけろ、と繰り返しアナウンスが流れている。どこかで子供が泣いている。暑さで参ったのか、それとも親とはぐれたのか。
道の先、人が群れて固まっている。行く先にあるのは縁日の入り口だ。賑やかさに足を止める人が多いのだろう。
のろのろと行きつ戻りつ、人波が揺れる。はぐれたら、探すのは難しい。
僕は彼女の手を離さないように、きつく掴んだ。


出店の通りに着く頃にはへとへとだった。
狭い道と人の群れから解放され、とりあえず一息つける場所を探す。
彼女も暑さと人混みにやられたのか、ぼんやりとしている。
と、出店に見慣れた顔を見つけた。近所のおじさんだ。中々繁盛している。
やはり、暑い時にはかき氷が一番だ。
僕が顔を出すと、おじさんは僕に気付いた。
「よぉ、来てくれたンか」
「オマケしてくれる約束ですし。儲かってます?」
「上々よ」
「僕の分は?」
「おぉ、三分遅けりゃ売り切れだったな」
そう言っておじさんは豪快に笑う。
ひとしきり笑った後、僕と彼女をしげしげと眺め、ぽつりと呟いた。
「お前、彼女居たンだ」
「へ?」
「隣のお嬢さん、彼女だろ?」
「友達ですよ、ただの」
「そんなにしっかりお手々繋いで言う台詞かァ?」
言われて初めて、彼女の手を掴んだままだと気付いた。
慌てて手を離す。痛かったのか暑かったのか、彼女は軽く手をさすり、曖昧に微笑む。
「照れちまって。お前、結構ウブだな」
「だから違うんですって…」
どう説明しても聞いてくれそうにない。
早いところ忘れてくれることを祈りつつ、かき氷を頼む。
僕はブルーハワイ、彼女は定番のイチゴを選んだ。普通よりちょっと多めの盛り付け。オマケという訳だ。
「二人でゆぅっくりした後で良いから、また顔出してくれよな」
「…解りましたよ」
放っておくと際限なくからかわれそうなので、早々に屋台を後にする。
出店は大賑わいだった。
焼きそばやたこ焼きの香ばしい匂い、カステラや綿菓子の甘い香り、くじ屋台の鳴らすベルの音。
祭りは始まったばかりだ。これからまだまだ人は増えてくる。
火照った身体に、かき氷の冷たさが心地良い。
「一通り回ってみよっか」
「うん」
離れない様に歩調を合わせる。
両手が塞がった状態では手を繋ぐ訳にもいかないし、それにからかわれるのも避けたかった。
彼女は気にしている素振りも見せず、あちこちよそ見をして歩いている。危なっかしい。
「縁日なんて久しぶりだなぁ」
「それは良いんだけど、迷子にならないでよ?」
「大丈夫」
そう答えた彼女は、既に浮ついた様子だった。
「いっそはぐれたら迷子センターで呼び出してやろうか。その方が探す手間が省けて楽だし」
「それじゃはぐれたら迷子センターに行くから。それで、呼び出して貰う。お迎えよろしくー」
あっさり切り返され、何となく負けた気分になる。
呼び出される恥ずかしさに比べれば、彼女を見失わないで歩いた方がよっぽど楽そうだ。
僕はそう諦めて、祭りに浮かれた彼女の後をついていく事にした。

Blue Scraper -11-

水平線の向こうから現れたそれは、最初は小さな点だった。
空に穿たれた、針の穴のような点。それがみるみる大きくなる。
ヒバリの様に高いところを舞うそれは、しかし美しい歌声ではなくジェットノイズを鳴り響かせる。
甲高い音が激しく空気を震わせ、岬を、僕らを突き刺す。
F-2、支援戦闘機。VIPER ZERO。駅で、僕らの頭上を飛んでいった機だろう。
F-2は高度を取りながら向かってくる。
僅かに機体を傾け、緩く旋回。
機体に施された洋上迷彩と日の丸のマーキングが、光を浴びて煌めく。
立ち上がったレンズが、機関銃のようにシャッター音を連続させる。まるで銃撃だ。
向こうからこちらは見えているのだろうか。
幾つものカメラに狙われるのは、僕ならあまり良い気分ではない。
機体がバンクする。ギャラリーへのちょっとした挨拶だろう。
甲高いエンジン音が、ギャラリーとカメラの存在を掻き消していく。
その一瞬を、彼女は逃さなかった。
デジカメから一眼レフに持ち替え、一枚。レバーでフィルムを送り、最後に一枚。
彼女が狙撃手の様に構えたレンズを降ろした。
それを最後に、シャッター音が止む。F-2の姿は、既に遠い。
ばらばらとカメラマンの群れが散っていく。
彼らはこの僅かな時の為にここに来ている。ほんの、数分にも満たない瞬間の為に。
あっという間だったが、彼女は満足しただろうか。ちらりと彼女の様子を伺う。
彼女は人の流れに背を向け、ぼんやりと突っ立っていた。
何かを待っているのか、それとも余韻に浸っているのか。
「待ってても次はもう来ないけど」
「うん、知ってる」
彼女はもう一度空を見上げ、それから海岸に目を移した。
祭りの準備を眺めているらしい。
「何かのお祭り?」
「うん。明日、花火大会あるから」
「そっか、花火大会あるのか…」
かたかたと電車が過ぎる音が聞こえる。
岬には、僕と彼女だけ。
カメラマン達の姿はもう無い。さっきの電車に乗って帰ったのだろう。
「電車、行っちゃったけど」
「別に。急いでないし」
諦めたような、疲れたような口調で彼女は言う。
ぼんやりと祭りの準備を眺めたまま、動こうとしない。
波の音が聞こえる。
潮を含んだ風が、彼女の髪を撫で、日に焼けた肌を滑っていく。
「写真、上手く撮れた?」
「多分。現像してみないと解らないけど」
「そっか。近くで見た感想は?」
「初めてだったから、ちょっとびっくりした」
「だろうね」
岬は静かだった。
遠雷の様なジェットノイズも、とうに消えている。
「明日」
「え?」
「明日の花火大会、来ても良いかな」
「ああ、うん。時間有るなら、来ると良いよ」
祭りの賑わいをカメラに収めるつもりなのだろう。
「この辺り来たこと無いから…予定合えば、案内して貰えると嬉しいんだけど」
彼女の頬が、ほんのりと染まっている。
陽の加減だろうか。それとも、さほど親しくない僕に頼むのに緊張したからだろうか。
「構わないよ。五時半くらいだったら、電車も混まないで乗れると思う。終点までだから、簡単に来れるだろ?」
「うん」
「明日は休みだから、ここで待ち合わせ」
「解った」
彼女の顔がほころぶ。水面の様に眩しい。
これが、彼女の本当の笑顔なのだろう。
あの子とは違う、柔らかで眩しい笑顔。飾らない、真っ直ぐな瞳。
何となく照れくさくなって、視線を逸らす。
レールの軋む音が聞こえる。電車が来た。
彼女はしばらく海岸を眺めて、ゆっくりと歩き出した。
「じゃあ、また明日」
彼女が駅へと向かう。
「迷子になるなよ」
僕はその背中に言う。大丈夫と彼女は笑い、手を振って電車に乗り込んだ。
程なくして、電車は来た道を戻り始めた。
小さくなる車両が見えなくなるまで、僕はその姿を見送っていた。


岬から、家へと続く坂道を降りていく。
祭りの準備で賑わう堤防を通り越し、路地へ。
あの子を誘うつもりだったのが、思わぬ話になった。
結果的には一人ではなくなったから、良しとしておこう。
特に予定が無ければ、友人達でも誘おうと思っていたところだ。
もっとも、彼らは誘わなくても来るだろう。人混みの中で顔を合わせるかどうかは、また別の話だ。
道の端を、猫が歩いている。トムとボムに似た毛色の猫だ。
そう言えば今日は構ってやらなかったな、とふと思う。
ひと撫でしてやろうと近付いたが、猫は僕に気付くと、首の鈴をちりんと鳴らして茂みに飛び込んだ。
鈴の音が一旦止まって、遠ざかる。
長い昼の残り陽が、猫が逃げた茂みを暗く浮き立たせていた。
その茂みを一瞥し、ぐっと猫のように身体を伸ばし、僕はゆっくりと歩き出す。

Blue Scraper -10-

「そういえば、何でそんなに戦闘機が好きなのさ」
僕がそう切り出したのは、無人の駅を二つ過ぎた頃だった。
誰かが乗り込むこともなく、未だに僕ら二人きり。次の駅を知らせる車内アナウンスが、やけに大きく聞こえる。
「何でって聞かれても…」
彼女は少し困ったように沈黙する。
「単純に格好いいとか、そういう理由?」
「それもあるけど…」
言葉を探すように、視線が流れる。その先の海が陽を浴びて、眩しく輝いている。
「んー…と、どう言えばいいのかな。日本刀ってあるじゃん?」
「あるねぇ」
「あれって、今だと芸術品みたいな感じで扱われてるよね。家宝とか、美術館とか」
「確かに」
曖昧に頷く。彼女は何を言おうとしているのだろう。
「実際綺麗だけど、でもあれは武器。人を殺す為に作られたもの」
陽の光を反射する海が、煌めく刀身と重なる。
鋭く刺す光が、切っ先のように飛び込んでくる。
「人を殺すためのものって、綺麗だと思う」
僕は答えない。
「戦闘機だって、相手を倒す為に作られた。相手より速く、相手より強く、そう作られた。あれはあれで、危うい芸術品だと、私は思ってる」
「…僕にはよく解らないな」
「私もそんなに説明上手い方じゃないから」
重力のくびきから逃れるように、空を掛ける戦闘機。
その鋼の翼は、より速く、より強くある為に。
鳥のような優雅さよりも、純粋に力を求めた姿。
なのに、流れるようなその機体は、芸術とも呼べる美しささえ持っている。
力は正義、ではない。
力は、美しさ。
追い求めたその果てが、見惚れるような美。
危ういからこそ、美しい。
「…綺麗なバラには棘がある?」
「ちょっと違う。棘のないバラはバラじゃない」
そうかもしれない、と僕は相槌を打つ。
棘は力。力が無ければ、戦闘機とは呼べない。
そして棘はバラをより一層引き立てる。
やはり、よく解らない。
肝心の僕はと言うと、戦闘機はそれなりに好きだが、彼女程熱狂的に好きだという訳ではない。
見慣れているせいもあるのだろう。
見上げれば、通り過ぎる影。僕にとっては、ただそれだけの存在だった。
機種とか名前に興味を持ち始めたのは、つい最近だ。
「いつから興味持ち始めたのさ」
ついでに彼女に訊いてみる。
「入学してから」
僕より日が浅かった。それでこれ程までにのめり込んでいるとは。
だが、趣味なんてそんなものかもしれない。時間の差なんて、それこそ些末な問題だ。
長ければ長い程詳しいわけでもないし、偉くもない。
これといった話題も無く、僕らは無言だった。
彼女は時折何かを探すように視線を泳がせ、僕は見慣れた風景に飽いていた。
電車は思い出したように止まり、来るはずのない客を待つ。
あの子はどうしているだろう。先輩と行くお祭りの事で頭が一杯なのだろうか。それとも、諦めて勉強でもしているのだろうか。
僕が気にすることはない、と醒めた頭で思い直す。
隣を窺う。
気付いたら彼女は眠っていた。


次の駅が終点だ、とアナウンスが入る。
途中で何人かの客が乗り込んでいた。それでも、十人に満たない。
僕は彼女をそっと起こし、次が終点だと告げる。
駅が見える。あの岬も、待ちかまえるカメラマン達も。
「カメラ持ってる人が一杯いるんだね」
周りを見渡し、彼女はそう言った。
そう言えば、乗り込んできた客の中にはカメラマンらしき姿は無かった。
彼らは一体どれくらい待っているのだろう。そして、何処から来たのだろう。
少なくとも近くの人間では無いはずだ。撮影が終われば、皆電車で何処へともなく帰っていく。
「いつもの事だよ。別に、珍しくない」
人数も大体同じ。それも、毎回違う顔触れだ。
示し合わせたように集まる彼らは、一体何なのだろう。
ぼんやりと考えている間に、彼女もカメラのセットを終えていた。
片手には、いつものデジカメ。首からは古めかしい一眼レフ。
制服を着た女子生徒には似つかわしくない格好だ。お世辞にも様になっているとは言い難い。
それでも、扱う手つきは慣れている。
見た目で判断してはいけない、という事か。
「ねぇ」
「何?」
「いつ頃来るの?」
時計を見る。良い時間だ。
「そろそろだと思うよ」
僕がそう言うと、彼女は望遠レンズで辺りを見回し始めた。
戦闘機の姿を探しているのだろう。
眼下に広がる海には、誰も目を向けていない。空を見上げ、その時を待っている。
僕は一人、海を眺める。
一隻の船がゆっくりと流れていく。空を翔る鋼の翼とは対照的な穏やかさ。
しかしその軌跡は、一条の飛行機雲のように白い。
まるで空を映す鏡だ、と思う。
青い空、青い海。夏を楽しむのには絶好の日和なのに、岬の人達は戦闘機にしか目を向けていない。
彼女も同じだ。カメラを片手に空を眺めている。
(何だか僕だけ浮いてるなぁ)
溜息を一つ。船はもう見えない。
軌跡も消え、穏やかな水面に戻っている。
鏡合わせの空には、二つの点が見える。弧を描く、小さな点。
「来たぞ」
誰かが呟く。
幾つものレンズが、まるで高射砲のように立ち上がった。
彼女もその一群に居る。
妙に張り詰めた空気。頬を撫でる潮風が震える。
空を白く削りながら、それは真っ直ぐにやって来た。

Blue Scraper -9-

補習最終日。
テストが返ってきた。すっかり忘れていた先週のテストも一緒に。
肝心の成績は、先週のテストの方が若干良かった。多分、見直す時間の違いだろう。
先週は穴が空くほど見直したが、昨日は数回見直した程度だ。事実、昨日のテストは簡単なスペルミスで点を落としていた。
あの子を待っていたことが、皮肉にも成績上昇に繋がっていた。
そして当のあの子は、テストを頭から引っ被って凹んでいた。
赤点では無いにしても良いとは言えない点数だったようだ。
「…馬鹿確定?」
「して欲しければそうするけど」
「…点数交換してよぅ。無理なら半分でも良いから分けてよぅ」
「断る」
「何のための補習…」
補習の甲斐が無かったのだろう。頑張れとも諦めろとも言えず、僕はあの子を一瞥してテストのチェックをする。
「スペルミス多かったから、しっかり注意してなー」先生の言葉に、僕も少し凹む。
チェックして解ったのだが、昨日のテストは簡単なスペルミスだけで点数を落としていた。
史上初、スペルミスのみの欠点。ケアレスミスとも言えるだろう。
(ま、今日で終わりだから次気をつければ良いか…)
ちらりと窓の外を見る。澄みきった青空。雲一つ無い。
本日、快晴。
絶好のシャッターチャンスが訪れそうな日だ。


いつも通り友人達を見送って、いつも通り電車を待つ。そして、いつも通り彼女が遅れてやってくる。
そこから先は、いつもとは違う。
「何だか重装備だね…」
現れた彼女は、もう一つ別の鞄を持っていた。
暑い中、こんな重そうな鞄を抱えてくるとは、結構なバイタリティの持ち主だ。
「これ?一眼レフ。デジタルじゃないし、古いけど」
そう言うと、カメラを鞄から取り出しレンズを取り付け始める。
その慣れた手つきは、いつも岬にいるカメラマン達を彷彿とさせる。
「チェックは…ああ、猫が居たんだっけ」
彼女はフィルムをセットし、いつも通りのトムとボムを写す。
レバーでフィルムを送り、何やら調子を見ている。そしてレンズを弄り、カメラの目盛りを弄っている。
見る限り、かなり古いカメラで、相当使い込まれているカメラだと解った。
流行のデジカメの方が綺麗に撮れるのではと素人の僕は思うのだが、敢えて口は出さない。
「よっし、問題なし」
彼女は再びレンズを取り外し、カメラをしまう。
その手際の良さは、岬のカメラマンの様だった。
「…あのさ」
「何?」
「…いや、何でもないや」
「そう?」 少し落ち着いたのか、普段の調子に戻る彼女。 彼女は、一度見たら忘れない強烈な個性の持ち主だ。
初めて見かけてからまだ一週間程度しか経っていないというのに、今ではどこに居ても解る。
あの子や他の女子が「何処にでも居るありきたりな女子」だと片付けられる程だ。
それが魅力的かどうか、趣味が合うかは、ともかくとして。
電車到着のアナウンス。
それを掻き消すような轟音。音の方向を見上げる。
「あれは…」
「ヴァイパーゼロ!」
空が震える程の甲高いジェットノイズ、大きなエアインテーク。
下からは見えないが、恐らく洋上迷彩の青い塗装。
F-2支援戦闘機。
その非公式の愛称を「VIPER ZERO」という。
「あれが近くで見られるなんて!」
「まぁ近くを飛ぶのは帰る時なんだけど…」
「近くで見られるなら構わないわ!」
早くしないと置いていくと言わんばかりの勢いで、彼女は電車に乗り込む。
改めて、そのバイタリティに驚く。
見た目と普段はかなり大人しいのに、戦闘機の話となると、それこそ日本全国何処へでも行きそうな感じだ。
いつもの帰り道が、一人増えるだけでここまで騒々しくなるとは。
彼女の勢いに引きずられるように電車に乗り込む。
そんな僕を、トムとボムは欠伸で見送ってくれた。


一両に、たった二人きり。
ローカル線で、元々人の居ない時間帯だ。別に驚くことではない。
それを見越してか、電車は最初から一両でしかやってこない。
補習期間中ずっと、始発駅から乗り込むのは僕だけだった。
今日は二人。つまり、いつもの倍の客が居るわけだ。鉄道会社もきっと喜んでいるだろう。
ローカル線に、快速や準急といった区別はない。全て各駅停車だ。
それでも片道三十分程度の路線だ。本数も少ない。それ故の「ローカル線」だ。
これぐらいが僕には丁度良い。あくせくしていなくて、のんびりと出来るから。
長椅子の端と真ん中に僕らは腰掛ける。
彼女の視線は、遠い海の先、戦闘機が行った先だ。
しばらくの静寂。
そんな僕らを気にする風もなく、電車はカタコトと小刻みにリズムを刻んで走る。

Blue Scraper -8-

補習を一日残しての総まとめテスト。明日はテストの返却とそれの補習ということらしい。
「出来たら解散なー」
前回より少しだけレベルアップしたテストだったが、割合早く仕上がった。隣のあの子は相変わらず苦戦しているようだった。
それを横目に、僕は席を立つ。あの子は驚いたように僕を見て、小声で訊いてきた。
「終わるの早くない?」
「実力の差」
僕も小声で返す。
前回は単にあの子を待っただけだ。待つ必要がなければ、すぐに帰る。
「こないだ一緒くらいだったじゃん。少し待ってよー…」
「やなこった」
僕はそう言い捨て、答案を提出して帰る。
誰が彼氏持ちの為に待つものか、と心で返す。半分以上は嫉妬。
勝手に惚れて勝手に振られておいてあまつさえ嫉妬している。お門違いなのは解っている。
恋しさ余って憎さ百倍という奴なのだろう。
けれど、解っていてもどうにもならない。感情なんてそんなものだ。
温室のような廊下を抜ける。割合早く退室したからか、歩いている生徒は少ない。
この時間ならば、いつもより早めに家に着くだろう。
相手に合わせる必要が無いと、気が楽で良い。
そう考えながら、一人で歩く。
「あっ」
ぱたぱたと誰かが走ってくる。それも、僕に向かって。
あの子がテストを終えるか諦めるかして追いついてきたのだろうか。
まさかとは思うが、一応立ち止まる。
この暑いのにと思いつつ振り返った僕は、足音の主とぶつかりそうになった。
「わ…っと」
「ひゃあぁぁ」
情けない声で引っ繰り返ったのは、僕ではなく相手の方。
その相手は、彼女だった。
「何、やってんの」
「す、姿見えたから、走って、追いかけてみた…」
引っ繰り返ったまま、ぜいぜいと息を切らしながら彼女は言う。
慌てて僕は彼女を引っ張り起こした。何というか、あられもない姿だった。
男として何だか見てはいけないような気がしてならなかった。
「部活、終わったの?」
「ちょっと休憩。もうちょっとしたら、戻る」
「そっか」
二筋のラインが青空に引かれていく。シルエットと、エンジン音。
あれはT-4、中等練習機。丸みのある機体は、どことなく愛嬌がある。塗装は赤。
流石に青い塗装の機体は見られない。
「カメラ持ってこれば良かった…」
「戦闘機大好きだよね」
「まぁ、うん。変わってるってよく言われる」
「だろうね」
僕が出るのを躊躇う程の陽射しの中、彼女の眼差しは機影を追う。
じりじりと照りつける太陽が肌を焼いていく。このままだと熱射病になりかねない。
「倒れるぞ。早いとこ部室戻れよ」
「え、あ、そうだね」
ぼんやりと機体の行き先を見つめていた彼女が、慌てて日陰に入る。先に日陰で涼んでいた僕と並ぶ。
「あの練習機、何処行くのかな」
「知らないの?」
かなり意外だった。
あれだけ戦闘機を追い回している彼女だったが、どうやら通り過ぎた後のことは知らなかったらしい。
「僕の降りる駅の…まあ、終点なんだけどさ。そこ、岬になってて。多分その沖合で飛行演習とかするんだろうね。帰る時に近いところを飛ぶから、そういうの好きそうな人がカメラ持って居るよ?」
「ホント?」
「うん。翼振ったりとかするよ?」
彼女の目の輝きが倍増する。本当に知らなかったらしい。
「あ、あの、あのあの…」
興奮しきった彼女は、僕に掴み掛かりそうな勢いで迫ってくる。
「案内とか、案内とか、してくれないかな?あ、暇な時で良いから!無理しなくて良いから!」
彼女の目は一応僕を見ているが、恐らく見えているのは明後日の方向だ。
「い、良いけど…」
「ホント?良いの?いつ?いつ?」
やたらと高いテンションに、僕は思わず後ずさる。
豹変という言葉は、きっとこの為に存在するのだろう。
猫の様に大人しい彼女が、こうも変わるものか。
僕はもう怯えていると言っていいかもしれない。
「時間が合えば…明日でも良いけど…」
「あの、えっと、部活終わるのと補習終わるのと同じくらい、だよね?駅で待ってていいかな?その、あの、遅かったら、待っててくれると嬉しいんだけど」
「解った…」
僕の態度に我に返ったのか、彼女の顔が赤くなる。
「ご…ごめんなさい。私、つい…」
それでも、テンションの高さは隠せない。遠足前の小学生みたいな感じだ。
「いや、別に、気にしなくていいよ」
半分は自分に言い聞かせる為に。好きなものが見られるのだから、はしゃいで然るべきだろう。
「それじゃ、また明日。そろそろ部室に戻るから」
「あぁ…また明日…」
熱中症で倒れそうなテンションのまま、彼女は部室へと帰っていく。
その熱気に当てられた僕は、軽く眩暈がしていた。
(もしかして、僕はとんでもないことを言ってしまったのか?)
ぬるくなったお茶を一気に飲み干し、僕は駅へと向かう。
軽くならない眩暈は彼女のせいなんだろうなと思いながら、ふらふらとした足取りのまま歩いていく。
グラウンドの歓声が、蜃気楼のようにぼんやりと遠く聞こえていた。


練習機が帰る。赤い塗装のT-4が。
翼を振って、僕の頭上を飛び越して行く。
夕暮れと呼ぶにはまだ早い空に、その軌跡を描きながら。
シャッターの音と潮騒が混ざりながら、昼の青さが残る海に溶けていく。
何度と無く見た光景だ。僕にとっては、馴染み深い、いつもと変わらない日常。
それは、彼女にとっての非日常で、ある意味羨ましい光景なのだろう。でなければ、ああもはしゃぎはしない。
「何黄昏れてやがンだい」
声のした方を向く。近所の顔なじみのおじさんだ。
何やら機材を運んでいる。見る限り、明後日の花火大会の準備だろう。
「少しくらい青春を満喫させてくれても」
「はっはー、若えなぁ」
そう言って豪快に笑う。
「おじさんも店出すんですか?」
「おうよ。夜店の定番のかき氷だ。お前さんも来るだろ?」
あの子を誘うつもりだった花火大会。少しだけ胸が痛む。
「まー、そのつもりです。予定が合えば友達とかと一緒に行きますよ」
誰かを誘う予定は今のところ無い。当日になれば、近くの友達には会うだろうけど。
「そん時ァ、ウチの氷喰ってけよ」
「オマケしてくださいね」
「ちゃっかりしてんなー」
じゃあな、とおじさんは作業に戻る。
堤防沿いを覗いてみると、出店の機材が所々並べられている。幾ら人も車も通らない場所だとはいえ、流石に準備が早すぎるような気もする。
けれど、年に一度の行事、しかも普段は滅多に人の集まらない場所だからか、気合の入れ方が違うということなのだろう。
水平線のすぐ近く、水色に塗装されたC-130Hが飛んでいく。
四発のターボプロップ・エンジンの音は、潮騒に紛れて聞こえない。
その姿が空と海の間に消える頃には、祭りの準備も一区切りを迎えていた。

Blue Scraper -7-

明日はまとめのテストだという担当先生の言葉を背に、僕はある場所へと急いだ。
行く先は、美術室。全く縁のない場所なので、とりあえず職員室で場所を聞いてから向かう。
駅に近い補習教室とは違い、美術室は最果てにあった。電車に乗り遅れるのも無理からぬことだ。
美術室に近付くにつれ、油絵の具の匂いや造形に使う粘土の匂いがしてくる。美術室独特の匂いだ。
廊下はしんと静まり返っている。
本当に誰か居るのだろうか。
「失礼しまーす…」
恐る恐る覗き込むと、二人の生徒と先生が居た。
一人は熱心にキャンバスに筆を走らせ、もう一人は何かを作っている。美術部員で間違いないだろう。
ならば、先生は顧問のはず。
比較的暇そうな先生に話しかけてみる。
「あのぅ…」
「どうしたの?」
「ここの部員さんの忘れ物を届けに来たんですけど…」
「えーっと、誰の?」
そういえば、彼女の名前を知らない。どう説明したものか。
名前は知らないんですけど、と前置きして彼女の特徴を述べる。
「デジカメ持ち歩いてて空とか飛行機の写真撮ってる子なんですけど」
「ああ、あの子ね」
通じたらしい。
やはり美術部内でも目立つ特徴の持ち主だったらしい。
「ちょっと前に帰ったわよ」
「え、帰っちゃったんですか」
「五分か十分か…そのくらい前かな。探し物があるからって、いつもより早めに出てったわ。擦れ違わなかった?」
「いえ…」
行き違いだった。
「まぁ、今ならまだ駅の辺りに居るかもしれないけど…。どうする?良かったら預かっておくわよ?」
「えっと…追いかけてみます。駄目ならまた明日届けに来ますんで」
失礼します、と美術室に背を向ける。
慣れない場所は、中々に居心地が悪い。
それよりも彼女を追いかけなければ。
まだ帰っていないことを祈りつつ、急いで駅へ向かう。
学校の最果ての地である美術室から、駅へ向かって走る。
なるほど、ここから急げば息も切れるはずだ。


幸い彼女は駅にいた。
その顔には、焦燥と諦めの色が浮かんでいる。散々探し回ったのだろう。
僕に気付きはしたものの、構っている場合では無いらしい。
「あのさ」
肩を落とす彼女に、昨日のカメラを差し出す。
「多分、君のじゃないかなって思うんだけど」
彼女の目が驚愕に満ちている。
「何故あなたが…」
「昨日ベンチにあって、悪いとは思ったけど写真見たんだ。君の撮ってた写真だって解ったから」
「…」
「で、美術室に寄ったらもう帰ったって言うから、急いで駅まで来た」
少し、息を整える。
汗で濡れたシャツが肌に張り付く。今すぐにでも脱ぎ捨てたい気分だ。
「あの…ありがとう、ございました」
カメラを受け取ると、彼女はホッとした表情になった。
僕もそれを見て、少し安心した。
「駅員さんに聞いても無いって言われたので…諦めてたんです」
届けなかったのは、彼女に直接渡そうと思ったからだ。
週末までにもし逢えなければ勿論駅員に届けるつもりだったし、見当たらなければ顧問の先生に渡すつもりだった。
「拾った相手が良かったんだよ」
ネクタイを緩めながらそう冗談を言うと、彼女も笑う。
「他の人だったら、帰ってこなかったかもしれませんね」
「敬語は止めてくれないかな…ただでさえ暑いのに、その上堅苦しいのは嫌だし」
同年代に敬語を使われるのは、正直よそよそしくて好きではない。
全く知らない相手やそれ程仲が良くなければ使うだろうが、それでも多少は砕けた口調になるものだ。
彼女のようにきっちりと敬語で喋られると、どうも居心地が悪い。
「だって…その…名前も知らないし」
「お陰で顧問の先生に、写真好きの部員さんは知りませんかって聞くハメになったよ」
「ご、ごめん…」
彼女はようやく少し砕けた口調になる。
大人しめなのには変わりない。けれども、今までよりは明るい雰囲気だ。
快活というよりは、柔らかな明るさ。これが、本来の彼女なのだろう。
そう考えると、一昨日の彼女はまるで別人だ。
打ち解けていないにしても、あまりにも不自然な態度だった。
「先週と…あと一昨日のこと」
「あ…」
「やっぱり、見てたの?」
沈黙。彼女が視線を逸らす。
しばらくして、こくりと頷いた。
「その、見るつもりもなかったし…聞くつもり無かったんだけど」
それに関しては僕が全面的に悪い。気付いたのは、しばらくしてからだ。
人通りが少ないとは言え、往来でやりとりしていたのだ。見られても聞かれても、文句は言えない。
むしろこっちが文句を言われる方だ。
「別に怒ってないけどさ…その、あの後」
「……あの、後」
「気になるじゃん。何で声かけてきたのかって」
「…それは…」
言いにくそうに彼女は続ける。
「その、すっごい落ち込んでたし…えっと、週明けたら少しは大丈夫かなって思ってたけど、やっぱすっごい落ち込んでたし…」
よっぽど酷かったらしい。つまり、見ていられなかったのだろう。
黙って見ていられないし、かといって猫を構うだけというのも限度がある。
それで、話しかけてきたということらしい。
「飛び込み自殺するかと思った」
あんまりな一言だが、傍目にはそう見えていたということだ。
それこそ、彼女が何か言わなければやりかねないような雰囲気だったのだろう。
「それはそれで凹むな」
「そ、そんなつもりじゃ…」
「気にしないでってば。一々反応しすぎで逆におもしろいけどね」
む、と彼女がむくれる。少々機嫌を損ねたらしい。
「で、本題なんだけど」
そう、僕には聞かなければいけないことがある。
「僕に嫌われてまで伝えたいことって、何だったの?」
彼女がはっと息を呑む。今までとは違う沈黙。
嘘をつくとか誤魔化すことが苦手なんだろう。
そして、本音を言うことも苦手なのかもしれない。
もしくは、ただ嫌われることを恐れているのか。
「別に、嫌ったりとかしないし…」
「そんなの、解んないじゃん」
「それは、聞いてないから僕も同じだよ」
「そんなの…」
消え入りそうな声で彼女は呟く。
問いつめるつもりは無かったのにな、と今更ながら後悔する。
言ってしまった後悔。後戻りは出来ない。
その気まずさを打ち破るように電車到着のアナウンスが流れる。
彼女は口を閉ざしたまま、線路を見つめる。
お馴染みの、金属音。耳が潰れそうな程の、甲高い悲鳴のような音。
ゆっくりと彼女が首を振る。言えない、と唇が動く。
これ以上問い続ける事は出来なかった。
「解った。でも、これだけは教えてくれないか」
強張った横顔。
発着ベルが鳴る。
「君の名前は?まだ、聞いてなかったよ」
強張った横顔に、驚きの色が浮かぶ。安堵している様に見えたのは、気のせいだろうか。
ベルに掻き消されそうな声で、彼女は名前を言う。
そして、僕も名乗る。
扉が閉まり、車両が軋む。
遠くなるホームで、ぎこちない自己紹介を見届けたトムとボムが電車を見送っていた。

Blue Scraper -6-

ロクに眠れないまま翌日の補習を受けた。
程よく調整された室温が、良い具合に眠気を誘う。寝る寸前で、隣から突かれて目を覚ます。
昼休みまでに、それを四回は繰り返したと思う。
「あんた、寝てないの?」
昼休み、あの子は呆れた様子でそう言ってきた。
「暑くてねぇ」
「クーラーとか扇風機とか、タイマーにして寝ればいいじゃん」
「僕はエコロジストなんだよ」
持ってきたサンドイッチが喉を通らない。食欲もあまり無いのだ。
「ホントに夏バテしてんの?」
「かもね」
事実、夏バテ気味だ。だけど、理由は他にある。
一つは、言うまでもなく失恋のショック。
そしてもう一つは、彼女の事。何かを僕に伝えようとした、彼女。
暑くて眠れないのに考え事をしたせいで眠れなかったのだ。
そう、彼女の事。
(どうして気になる?)
自分に問えば問うほど訳が解らなくなる。
無茶苦茶になった考えを絶つために、僕は極めつけの質問をあの子にぶつける。
つまり、ショック療法。勢いよく傷口が開くのは、もう覚悟の上だ。
「一つ聞いていい?」
「ふぇ?」
「付き合ってくれって、先輩には君から言ったの?」
むぐ、とあの子がおにぎりを詰まらせた。それを大急ぎでお茶で流し込む。
「な、な、な、な、何よいきなり?」
質問の内容のせいか、目を白黒させている。
「で、どっち?」
僕は無視して訊く。
あの子はしばらく黙っていたが、観念したらしい。ようやく口を開く。
「一応、あたし」
「そうだったのか」
失血死しそうな勢いで傷口が開いたのを自覚する。
だが、まだ斃れるわけにはいかない。本題はここからなのだ。
「嫌われる、とか、考えなかった?」
あの子が喋りかけて、一時停止する。
どうやら質問の意図が掴めないらしい。
「言ったら気まずくなるとか、嫌われるとか、思わなかった?」
意図なんて、最初から説明するつもりは無い。だから、僕は淡々と訊く。
「え、ええと…そりゃまあ…そう思ったよ?もし駄目だったら明日から顔合わせらんないなーとか、喋れないなーとか、気まずくなるなーとか」
「じゃあ、何で言おうと思ったのさ」
「そんなの簡単じゃん」
ふと、あの子の顔から笑みが消え、真剣な目になる。
「言わなきゃ何も変わらない。例え嫌われてでも、どうなっても、伝えなきゃ駄目」
その言葉は、昨日の彼女と同じ言葉だ。
「黙ってても解るとか、言わなくても解るなんて、そんなの滅多に居ないって」
「よく恋愛小説とかドラマであるね、そういうの」
「だーかーらー、そんなのは無いの!滅多に!普通は言わなきゃ解らないんだから」
「後悔とか、しないの?」
「そんなの知らない。だって、言った後じゃなきゃ解らないし、言った後じゃ言わなきゃどうなったか解んないし。確かめようが無いじゃん」
嫌われてでも、伝える必要。
敢えて渡る、危険な橋。
そして、その意味。
むしろそれは、賭けに近い。
けれど、大切な事。
そう思って、僕はようやく気付く。
恋愛関係以前の、至極当たり前の人間関係ではないか。
極端で解りやすいのが恋愛関係なだけだ。
余計なことを考え過ぎなのかもしれない。
それは、多分以前から、そしてこれからもきっと同じだ。
「サンキュ、参考になったわ」
僕はそうあの子に言って、食べかけのサンドイッチを頬張る。
「…変なの。やっぱ夏バテじゃない?」
「だろうね」
それでも少し、眠れない原因は無くなっただろう。
ちっぽけな僕の決断。
それは、あの子には伝えないこと。
そして、彼女には伝えること。
それがどんな結果になっても、僕はきっと後悔しない。


彼女は居た。
ただし、通り過ぎる電車の中だ。
一瞬だけ、目が合う。
驚きと、少しの気まずさ。
それがあっという間に遠ざかる。
彼女は電車に間に合ったのか、それとも間に合わせたのか、それは解らない。
ただ、僕が伝える機を逸したことは間違いない。
諦めて、ベンチに座る。
「ん…?」
ベンチに置いてある、銀色の、手のひらサイズの何か。デジタルカメラだ。
駅には僕しか居ない。間違いなく、誰かの忘れ物だ。
(誰のだろう?)
悪いとは思いつつ、電源を入れて写真を確かめる。
液晶に広がる、目の覚めるような青空。それを何かが横切っている。
点のようなそれを、じっと見つめる。
この形は、間違いない。F-15J、イーグル。
日付は、先週の月曜日。
間違いない。彼女のカメラだ。
他の写真も再生してみる。
空と、戦闘機。あとはトムとボム。
(結構綺麗に撮れるもんだなぁ…)
ようやく僕は思い出した。
イーグルを撮っていた日の、彼女の表情。トムとボムを撫でているときの表情。
昨日みたいな人形のように無表情なんかじゃない。
声だってそうだ。至って普通の、それこそ血の通った等身大の女の子だった。
ならば昨日の彼女は、何だったのか。
あの子の言葉と彼女の言葉、そして昨日の状況を考えてみる。
「嫌われても、伝えておきたかった」と彼女は言っていた。
なら、それを伝えるための、演技なのか。
違う、と僕は否定する。
伝えようとしたからこそ、表情を、感情を消さなければならなかったのではないか。
わざとじゃなかったのかもしれない。ああやって装う他になかったのかもしれない。
意図的に感情を消して、ただ、淡々と。
とはいえ、それは本人にしか解らない。
ただ、僕はそう思う。確証はない。
(彼女は何を伝えたかったんだろう?)
改めて訊く以外に無いだろう。
それこそ、言って貰わねば解らないことだ。
手の中の青空は青く透き通っていた。
僕の心よりも、青く、高く、そしてどこまでも遠かった。

Blue Scraper -5-

土日にしていたことと言えば、昼くらいまでだらだらして、夜は夜でだらだらして、夏休みの暑さ生活を満喫していたことくらいだ。
復習がどうとか担当の先生が言っていたような気がするが、真面目にやっているはずがない。
多分、僕以外でも同じことだろう。
あの子は、もしかしたらやっているかもしれない。
(赤点が勉強出来るとこ目指すんだったら、それくらいやるだろうなぁ)
恋っていうのは、そういうものだろう。メールでからかってやろうとも思ったけれど、止めた。
残念ながら、傷はまだ癒えていない。
メールで長々と彼氏のことでも書かれていたら、きっと僕は立ち直れない。
(案外、僕って駄目だったんだな)
夜だというのに、蝉が鳴いている。蛙の合唱が、こだまのように聞こえてくる。
明日から、また補習が始まる。あの子とまた顔を合わせなければならない。
眠れないのは、きっと暑さのせいじゃない。


「おっはよん…って何?元気無いじゃないの」
「多分夏バテ」
何も知らないあの子は、変わらずに明るい声で話しかけてくる。それが嬉しくて、辛い。
もし好きだとでも言っていれば、もっと気まずかっただろうか。それとも楽になれたのだろうか。
もう確かめるつもりも、気力も無い。
だるい補習が始まる。今週で終わりだ。今日を含めて、五日間。それで解放される。
終わったら気晴らしに縁日に行こう。あの子を誘った、花火大会に。
一人で散策するのも悪くない。近くで見る花火は良いものだ。時間が合えば、誰か適当な奴を誘えば良い。
そこまで考えたところで、ふと気付く。
(でもカップルばっかりなんだろうなぁー)
気の滅入る光景が頭をよぎった。そろそろ古傷になりそうなのに、真新しい傷になってしまいそうだ。
花火だけなら、家からでも見られる。もういっそ、それで良いような気がしてきた。
だるい補習が続く。それでも、気を紛らわせるには役に立つ。隣も何も意識しないでいられる。
それで成績が上がれば、受けた甲斐もあるというものだ。


それがいわゆる「やけっぱち」だったのか、ただの「現実逃避」なのかは解らない。
多分、どちらも大差ないのだろう。電車を見送りながら、僕はそう思っていた。
ぱたぱたと足音が聞こえる。彼女だ。
彼女は僕の姿を認めると、ベンチに腰掛ける。
背中合わせの、向こう側。先週は、僕の隣(とはいえかなり端に寄っていたが)に座っていたのに。
そして、違うところがもう一つ。
彼女は慌ててはいなかった。あんなに急いで乗ろうとしていたのに、今日は息一つ乱れていない。
諦めたのか、それとも、敢えて見送ったのか。
上空からプロペラ音が聞こえる。ヘリとは違う。民間のセスナでもない。
T-7、初等練習機。赤いペイントが見える。
ターボプロップ・エンジンの、戦闘機より穏やかな、しかし旅客機やセスナより鋭い音。
それが静かに、空を滑っていく。
「あなたは…男女の友情を信じているんですか?」
誰に訊いているのかと振り向きかけて、止めた。駅には、僕と彼女しか居ない。
敢えて電車を見送ったのだと悟る。きっと、僕と話す為に。
「本当に、あれで良かったんですか?」
やはり見られていたのだ。あの子との、やりとりを。
そして、僕の問いをも聞いていたのだ。
「そんなの解るものか」
「考えたくないだけでしょう」
容赦のない言葉が突き刺さる。傷に塩を塗り込まれたような、嫌な気分だった。
何もかも見透かしているような、抑揚の無い、まるで機械のような声。
彼女は続ける。
「今はただ、考える必要が無いだけです。答えは、見付かるものですから」
街頭に立つ妖しい宣教師のようだ。
何もかも知っていると言わんばかりの、態度。
トムとボムは、成り行きを離れたところで見守っている。
近付き難い雰囲気なのは、彼女のせいか、それとも僕のせいなのか。
「気に入らない」
僕はそう言い、振り向く。
彼女は微動だにしない。それが、僕の心を逆撫でる。
「人が振られるのがそんなに愉快か。それを眺めて、心の中では笑ってたのか」
あの時、何か言いたげだった彼女を思い出す。彼女は心の中で嘲笑っていたのだろうか。
だとすれば、さぞ愉快だったろう。これ以上は無い振られ方を晒していたのだから。
「違います」
表情も声も変えずに、彼女は即答する。
あの子のようで、それが僕を動揺させる。
「慰め方を知らないだけです。言葉が見付からないだけです」
ふっと、彼女の表情に影が差す。
憂いと言うよりは、哀しみ。
哀しみと言うよりは、憐れみ。
「そんなの…余計なお世話だ」
ベンチの背を掴む手に、力が入る。
そうでもしていないと、耐えられない衝動。
それと同時にこみ上げる戸惑い。
この気持ちは、一体何なのか。
自分の気持ちが解らない。こんな経験は初めてだった。
「そうですね。余計なお世話でしたね」
僕の状態を知ってか知らずか、彼女の表情はまた無機質なものに戻る。
感情の無い人形のようだ。
冷たいという言葉では生ぬるい。冷徹という言葉が似合う。
感情が無いくせに、人の心に土足で上がり込む。図々しい。
嫌な奴だ。
「だけど私は」
アナウンスが流れる。そろそろ、電車が来る。
「普通にあなたと話してみたかった。少しだけでも」
彼女が立ち上がる。僕に背を向けたまま。
陽の当たる場所に居たからか、汗でブラウスが薄く透けている。
「嫌われても、伝えておきたかった」
解らない。彼女は何を伝えたいのか。
「私の…」
扉が、僕と彼女を隔てる。
それだけじゃ解らない、と僕は心の中で叫ぶ。
嫌われてまで、何を伝える必要があると言うのか。
彼女は、嫌な奴だ。
何故僕にここまで構うのか。名前も知らない、クラスも違う、何の関係もない僕に。
感情を無くした声が頭にこびりついている。
憐れむような表情も、何もかもが離れない。
嫌な奴だ。
なのに何故、僕をここまで動揺させるのか。
あんなに嫌な奴だと思うのに、どうして、彼女を嫌いだと断言出来ないのだろうか。
そして僕は、何故ここまで動揺しているのだろうか。

Blue Scraper -4-

帰りに聞き出す、と意気込んでいたからか、授業中は落ち着かなかった。
焦っていたのかもしれない。
隣のあの子に「何か必死そうな顔してるー」とまで言われてしまったくらいだからだ。
トドメは、担当先生の一言。
「まぁ、今日で半分だからな。中間テスト代わりにちょっとやるぞー」
えぇーっというブーイングに構わず、用紙を配り始める先生。
そりゃ無いよ、と僕も肩を落とした。焦りに拍車が掛かる。
「まー、終わった者から提出して帰って良いからなー。土日あるからって復習忘れるなよ」
終われば帰れる、の言葉に教室が一気に静かになった。かりかりと書き込む音だけがしている。
僕は今までの数倍の早さでテストを仕上げる。
一応、授業はまともに受けていたからそれなりに出来ているはずだ。
そして、あの子がテストを終えるのを待つ。
次々とクラスメート達が退室していく中、あの子はまだ終わらないらしい。
横目で伺うと、本気で頭を抱えていた。
(赤点って言ってたしなぁ)
何度も目を通し、自己採点である程度大丈夫だと数回確認した頃、あの子がようやく席を立った。
少し遅れて、僕も席を立つ。
残っているのは数人だった。


教室から一歩出ると、そこは温室だった。
これでもかというくらいに蒸し暑い。
その廊下を歩くあの子の肩は外れそうなくらいに落ちていた。
「あーもーやだ…テストなんてこの世から無くなっちゃえば良いのに」
僕の姿を認めると、そうこぼした。
「特に英語!何あの訳の解んないアルファベット!」
そう叫びはするものの、いつもの覇気が無い。よっぽど疲れたらしい。
「赤点じゃあねぇ」
「放っといてよ!もう…」
火に油だったらしい。
気を取り直して、本題を切り出す。
頑張れ僕、と自分を励まし、深呼吸を一つ。
「あ、あのさ…」
「そうそう、言わなきゃいけないことあったのよ」
僕の勇気、粉砕骨折。しばらくの休養が必要だ。
「え、何?」
挫けた気分を悟られないように、少しだけ前を歩く。
「昨日の話。えーっと、ほら、花火大会」
「ああ」
「来週の土曜だっけ」
「うん」
「ごめん、行けそうに無いや」
あの子は、申し訳なさそうに微笑んでいる。
校舎から、外へ。
外はあの温室の廊下がまだマシだと思える暑さだった。
「部活か何か?」
「へへー、いやまぁ、ちょっと男子バレーの先輩とね」
先輩というと、男子バレー部の部長だろう。時折、話をしていたからすぐに見当が付いた。
ただ、その話し方から察すると、嫌な予感がする。
「ひょっとして、先輩というか彼氏?」
「ピンポーン!大当たりぃ!」
嬉しくない大当たりだった。
「うちの近くでもお祭りあってさ、せっかくだから一緒に行こうかなぁって誘われて」
「あぁ、そうだったの」
何てことはない。最初から相手が居たのだ。
聞くまでも、聞く必要も、何も無かったわけだ。
思い返す。
その先輩の話をよくするようになったのが、夏休みの前。
きっと、そのくらいから付き合っていたのだろう。
「ほら、あたしってあんまり勉強出来ないけど、先輩って勉強も出来るのよ。推薦貰えそうなくらい」
「へぇ…」
「だからさ、あたしも先輩と同じとこいけるくらいまで頑張りたいのよ」
「ふぅん」
「だーかーら、この嫌な補習も頑張ってるってこと。お祭りはそのご褒美ね」
あの子はいつもの様に明るく笑う。
だけど僕は笑えない。
グラウンドから聞こえる笛の音。
校舎から微かに聞こえるブラスバンドの練習。
電車の音。
全部が混ざり合って、陽炎のように揺らめき、そして遠くなる。
「うあぁーん、また乗れなかった…」
昨日までの僕なら、一緒に居られると喜んだだろう。
知ってしまった今では、ただ辛い時間だ。
知らなければ良かったと思う。
あんなに知りたいと、自分で望んでいたことなのに。
ただそれが、解っただけだというのに。
「せっかくだから買い物にでも行くよ。反対側なら後少しで来るしー」
駅に着くとあの子はそう言って、踏切の前で手を振った。
警報機が鳴っている。通過列車が、近付く。
「あ、あのさ!」
「なーにー?」
警報機に負けない様に、僕は聞く。
最後の、勇気。
「男女の友情って、成立すると思う?」
あの子はきょとんとした顔で僕を見る。何故、という顔。
「男と女は友達とか親友になれると思う?」
「なれるよ」
即答だった。
そして、決定打だった。
「だって、あたしとあんたは、友達じゃん」
列車が猛スピードで通り過ぎていく。
束の間の、静寂。
「それじゃ、また明日…じゃない、来週ね」
「ん、またね」
あの子は踏切を渡っていった。
線路が隔てる向こう側。さながら、僕には絶対に越えられない線の様だ。
二度目の警報機が鳴る。あの子の乗る電車が来る合図だ。
僕は改札を通り、反対側のホームを眺める。
あの子の姿は、もう見えなかった。


完膚無き失恋だった。
これ以上無いくらいの振られ方だ。
入り込む余地だとか、二人の仲をどうにかする隙間なんて、僕には無かったのだ。
僕とあの子は、友達だ。その関係に変わりはない。
それが救いでもあるし、痛みでもある。
好きだと伝えなかった。だからこそ、友達でいられる。
そして、それ以上にはなれない。
(とはいえ、今さっき振られたばっかりの身には辛いなぁ)
大きく息をついて、ベンチにもたれる。
すぐ近くで、トムとボムが誰かにじゃれている。
シャッターの音がしなければ、それが彼女だと気付かなかっただろう。
あの二匹が誰かに懐くのは、初めて見る。
人見知りはしないけれど、懐くこともない二匹。そんな二匹が、彼女に懐いている。
珍しいこともあるもんだ、とぼんやり思う。
僕に気付いて、彼女は何か言いたげに口を開いた。けれど、すぐにつぐんでしまった。
さっきのやり取りを見ていたのかもしれない。
彼女の目が少しだけ僕を捉え、そして猫達に戻る。
(どうでもいいや…)
今は、何も考えたくない。
彼女に甘えるような二匹の鳴き声が、僕の気を紛らわせてくれた。

Blue Scraper -3-

何故か、駅には僕を含めて三人の待ち人。
僕と、自称美術部の彼女と、そして僕の女友達。
「ああもう最っ低!何であたしが電車に乗り遅れんのよ!!」
大人しい彼女と比べ、この子はとてつもなく騒がしい。
まぁ、目の前でドアが閉まれば、叫びたくなるのも解る。
「乗り遅れるなんて珍しいな」
「全くよ!」
彼女とこの子は対照的だ。
如何にも文化系な彼女に比べ、この子は体育会系の部活に入っている。
女子バレー部員が、何故部活を休んでまで補習を受けているのか。
「赤点取ったから補習って言われたー…」
補習初日の一言がこれだった。
僕としては、不謹慎ながら歓迎すべき事態だった。
と、いうのも、少しばかりこの子との関係を進展させたいからだ。
つまり、一夏の何とやら。
ついでに、隣の席にもなった。炎天下の中、この面倒な補習をサボらない理由の一つでもある。
「そういえばさ、部活良いの?」
「えー?そんなの顧問から言われたよ。赤点取る子はお勉強しなさーいってさ」
そういって口を尖らせた。
「ま、次期部長が馬鹿じゃあねぇ…」
「あんたまでそう言うこと言う!?」
ぐいっと耳を引っ張られる。痛い上に熱い。
「そりゃあさー…勉強頑張んないと。部活辞めたくないし」
女子バレー部の次期部長と言われるこの子。
すらりとした肢体、小麦色の肌。
一応日焼け止めは塗っているらしいが、それでも焼けると愚痴をこぼしている。
明るい快活な性格と相まって、結構魅力的だ。
少々短めのスカートと、第二ボタンまで開けたブラウスから覗く白い肌。
目のやり場に困って、何となく空を見上げる。
高々度を行く旅客機。遅れて小さく音が聞こえる。
「ここって飛行機すんごく飛んでくるよね」
「え、あぁ、うん」
「嫌いじゃないけど、好きでもないなぁ。たまに話とか聞こえないし」
「それはあるね」
美術部の彼女は、旅客機に興味は無いらしい。
時折、僕らを気にしているようだったが、別に声をかけてきたりはしなかった。
「ねぇ」
「何?」
「あっちの子、知り合い?」
僕が彼女の方を伺ったのを見られたらしい。
「いや、名前も知らない。たまたま電車に乗り遅れて、一緒に待ってるだけだよ」
「ふぅん」
彼女は自分のことが話に上るとは思っていなかったらしい。明らかに、緊張している。
多分、この子みたいな体育会系の女子は苦手なのだろう。
猫に構いながらそれとなく距離を置く。
そんな様子を見ていたこの子は、ちょっと考えてからこう言った。
「案外、あんたと気が合うかも」
「へ?」
「いやいや、良いカップルになるかもよってことよ」
暑さのせいとは違う嫌な汗が背中を濡らす。
よりにもよって、この子に言われるとは思わなかった。
「え、あ、ほら、僕は明るい子が好きだから」
「今は大人しいけど、仲良くなると明るくなるかもよ?」
今までとは少し違う言い方に戸惑う。
何故そんなことを言うのだろう。答えに窮する。
水を打ったような静けさ。うるさいほどに蝉が鳴いていると言うのに。
耳が痛いほどに蝉が鳴いているというのに。
暑ささえも、感じられない静けさ。
沈黙を破ったのは、僕だった。
「来週さ、土曜日、花火大会あるんだけど…良かったら行かない?ほら、補習も終わってるし」
「う、うん…そうね。考えとく。部活あるかもしれないし…」
一応土日だけは顔出すのよ、と付け加える。
「暇があれば遊ぼうかなってだけだから」
「そうねぇ。予定、確認しとくよ。明日か明後日くらいにならないと解らないし」
「まぁ、何人かで行っても良いしね」
本当は二人で、と言いたいところだったけれど、敢えてそう誤魔化す。冗談でも言いづらい。
電車到着のアナウンスが流れる。
「あー…やっと来たかぁ」
「そお?僕はもう慣れたけど」
半分は、この子と居られたせいだろう。
いつもは待ち遠しい到着時間だったが、今日ばかりは少し恨めしい。
「あんたって大変ねえ」
「よく言われるよ」
「じゃ、また明日ね」
「ん、また明日」
互いに別の電車に乗り込む。
窓から手を振る姿が見える。僕も応じて振り返した。
小麦色の肌が遠ざかる。
ふっと駅を振り返る。
あの彼女は、まだ駅に残っていた。


「え、美術部で戦闘機に詳しくてカメラを持ち歩いてる女子生徒ぉ?」
「しッ、声がデカい」
「そんな強烈な女子、一度見たら忘れないと思うけど」
「俺も知らんなぁ。第一、美術部に友達居ないし」
「そっかぁ」
翌日の休み時間、件の彼女について友人達に聞いてみた。
「まぁ、美術部員ってそう目立つ存在じゃないし」
「言っちゃ悪いが、確かにな」
言われてみれば、僕の友達にも美術部員は居ない。
帰宅部も多いし、一目で何部か解るのは大体体育会系の部員だ。
後は、楽器を持ち歩くブラスバンド部員くらいか。
あの彼女についての情報は得られなかった。
授業が始まる直前、僕ら話を聞いていたらしいあの子が話しかけてきた。
「なぁに?気になってんの?」
にやっと笑ってそう囁く。
「違うって。昨日そっちに言われたからどんな子かなって思っただけだよ」
「まったまたぁ~。照れちゃって」
「だから違うって」
本命の子にそう思われるのは心外だ。早いところ何とかしないといけない。
(いきなり告白ってのは無いよなぁ…)
とりあえず、好きな子が居るかどうか。
まずそこから聞いてみることにしよう。
勝負は今日の帰り。
どう転んでも、二日は顔を合わせることは無い。