このシリーズは編集者時代に撮影させていただいた写真とエピソードを、ほぼ僕自身の備忘のために紹介させていただいています。
 

これまで、

①  山口瞳さん (1926~1995)  ←クリック!!

②  庄野潤三さん (1921~2009)  ←クリック!!

③  宇野千代さん (1887~1996)  ←クリック!!

④  淀川長治さん (1909~1998) ←クリック!!

⑤  梅原 猛さん (1925~2019) ←クリック!!

⑥ 新藤兼人さん(1912~2012) ←クリック!!

⑦  小沢昭一さん(1929~2012) ←クリック!!

⑧  田辺聖子さん(1928~2019)←クリック!!

⑨ ナンシー関さん(1962~2002)←クリック!!

⓾ 佐野洋子さん(1938~2010)←クリック!!

の皆さんの写真とエピソードをご紹介してきました。

 

 

今回ご紹介するシリーズ第11弾はラジオタレント、テレビタレント、作家、エッセイスト、放送作家、作詞家の永六輔さん(1933~2016)。

 

 

その偉業を列挙するだけで日が暮れてしまうほどの偉大な人です。テレビ草創期に伝説の音楽バラエティ「夢であいましょう」を作り、旅番組の元祖「遠くへ行きたい」を世に出ました。ラジオ番組「永六輔の誰かとどこかで」は半世紀近く続きました。

 

作詞家としてのヒットは「黒い花びら」「黄昏のビギン」(水原弘)、「夢であいましょう」(坂本スミ子)、「上を向いて歩こう」「見上げてごらん夜の星を」(坂本九)、「こんにちは赤ちゃん」(梓みちよ)、「帰ろかな」(北島三郎)、「おさななじみ」「いい湯だな」「女ひとり」「筑波山麓合唱団」(デューク・エイセス)、「遠くへ行きたい」(ジェリー藤尾 )、等々、枚挙にいとまがありません。

 

 

僕は中学生のころからの大ファンです。物心ついた時からテレビでお顔やその口調は見知っていましたが、中学生のころ読み始めた雑誌「話の特集」でファンになりました。小沢昭一さん、野坂昭如さんと組んだ「中年御三家」は高校時代の僕にとって「神」でした。当時出ていたお3人の本はすべて読みました。

 

 

上の写真を撮影させていただいたのは1992年の12月。場所は、さる方との対談会場です。

 

 

この対談のセッティングが大変でした。組み合わせは決まったもののとにかくお二人ともとにかくお忙しい方です。お二人が同時に東京を「通過」する瞬間をなかなか捉まえることができません。やっと決められたの日程が12月の26日でした。しかも夜の22時から。

 

 

そうなると会場はホテルしかありません。東京駅に近い場所がいいとのご指定だったので銀座のシティホテルのスイートを一泊で押さえました。会社の退勤後チェックインして準備、22時から対談を収録して終了後はお二人をお見送りして僕はスイートにそのまま一泊、翌朝はホテルから出勤という作戦を立てました。「でも年間予算を大幅にオーバーしちゃうなぁ、銀座のホテルのスイートだもの」と悩んでいたところに吉報。お仕事が一本キャンセルになり別の日の午後のお二人のスケジュールが抑えられました。まだ仮予約だったので銀座のホテルはキャンセルチャージなしでキャンセルさせてもらえました。

 

 

その別の日というのが12月29日。貸会議室の類はもう正月休みに入っていて軒並み断られました。インターネットなどない時代です。電話帳とホテルガイドで調べました。ようやく受けてくれたのが当時、千代田区三番町にあった「霞友会館」。外務省の外郭団体が経営するクラシカルな研修・会議施設です。そういうところだと年末年始は休みになりそうだけど運営がホテルオークラだったのでやっていたのです。小宴会場を衝立で仕切って渋い対談会場を設えてくれました。

 

 

僕の企画したものとしては2本目の対談。テーマが甘く、今でも思い出すと赤面するような安易なテーマでした。永さんと言えば日本文化に通暁した人でお相手も日本文化を体現するような方なのでと今でいう「和風総本舗」みたいなテーマだったのです。あー恥ずかしい。でもお二人は見事にベタな線をはずして面白い対談をしてくれました。

 

 

対談を終えて社に戻ると会社には誰もいませんでした。12月29日は社も仕事納めの日だったのです。

 

 

正月休み返上で対談の構成をして、1月後半にゲラを手にすることができました。事情があって予定よりも遅れました(後述)。永さんには郵送でなく手渡しでお届けする約束になってました。もう一度お会いしたかったからです。

 

 

お届け先は赤坂。建て替え前のTBS。土曜日の午後に行きました。「土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界」の終了に合わせたのです。ちょっと早めについて、ラジオのスタジオが並ぶ地下で待ちました。急に耳元で男の人の声がしました。見回しても誰もいません。目を凝らすと遠くに紙を持ったセーター姿のおじさんが歩いてくるのが見えました。どうやらアナウンサーさんがニュース原稿の下読みをしているのでした。あんな遠くにいるのに耳元で声が聞こえるなんてプロはすげぇなあと感心したのを妙に覚えています。

 

 

番組の終了時間になったら永さんご一行がにぎやかに出てこられました。長峰由紀さんが輝くように美しかったです。この後、反省会とのことなので手短に対談収録時に語られたことと原稿内容を変えたことについて説明しました。永さんは快諾してくれました。

 

 

というのが貴花田関(現・貴乃花光司氏)と女優・宮沢りえさんの婚約問題です。お二人のことがおめでたいこととして対談で話題になったのです。ところが面倒なことに、対談収録時の二人は婚約直後だったけど1月後半にお二人は婚約を解消し、またそれと相前後して「貴花田→貴ノ花」と改名していたのです。そこでいったん出力した初校のその部分を直したのでゲラ出しが少し遅れました。後日、永さんから返送いただいたゲラはほとんど直しがなかったと記憶しています。

 

 

 

永さんとはその後もほかの雑誌でのインタビューで何度かお世話になりました。また僕が好きなエッセイストの朴慶南さんや動物物まねの江戸家まねき猫さん、スタンダッブコメディの松元ヒロさんの応援者でもあったので、イベント会場でご一緒することもしばしばありました。

 

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またわが「同級生」のオオタスセリさんの強力な応援者でもありました。

 

 

最後にお会いできたのも四谷のライブハウス「コタン」でのスセリさんのライブでした。

 

 

 

上に書いてように対談としてはヘボなテーマ設定でお二人にはご苦労をおかけしたのですが、永さんには褒めていただいたことがありました。当時の僕の髪型は永さんとお揃いで角刈りでした。

 

 

とてもよく似合っている、と。そして、よく見ると頭の形がいいわけではないのにきれいに仕上がっている、あなたが行っている床屋さんは腕がいいから大事にしなさい、と。ちなみに国立は旭通り中央に今もある「エルム」さんです。

 

 

そして当該対談のお相手については明日、書かせていただきます。多分。

 

 

そして今気づいたけど、当時の永さんって今の僕より年下なんですね。

 

 

 

【これまでの「昔日の一葉」】

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③  宇野千代さん (1887~1996)  ←クリック!!

 

④ 淀川長治さん (1909~1998) ←クリック!!

 

⑤ 梅原 猛さん (1925~2019)←クリック!!

 

⑥ 新藤兼人さん(1912~2012)←クリック!!

 

⑦ 小沢昭一さん(1929~2012) ←クリック!!

 

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