かなり久しぶりのこのシリーズ。編集者時代に撮影させていただいた写真とエピソードを紹介させていただいています。

 

 

これまで、

 

<昔日の一葉 1 > 山口瞳さん(1926.1.19~1995.8.30) ←クリック!!

 

<昔日の一葉 2 > 庄野潤三氏(1921.2.9~2009.9.21)  ←クリック!!

 

<昔日の一葉 3> 宇野千代さん(1887~1996)  ←クリック!!

 

<昔日の一葉 4> 淀川長治さん(1909~1998) ←クリック!!

 

<昔日の一葉 5> 梅原 猛さん(1925~2019)←クリック!!

 

 

の皆さんの写真をご紹介してきました。

 

 

今回ご紹介するシリーズ第6弾は映画監督の新藤兼人さん(1912~2012)。

 

 

 

撮影させていただいたのは1993年の秋。もう27年前です。

 

 

日本の独立プロの草分けでその素晴らしい作品は枚挙にいとまがありません。古い順にほんの一部を挙げると。

 

 

愛妻物語(1951年) 

 

原爆の子(1952年)


第五福竜丸(1959年


裸の島(1960年) 


鬼婆(1964年)


裸の十九才(1970年)


鉄輪(1972年)


讃歌(1972年)原作:谷崎潤一郎


心(1973年)原作:夏目漱石


竹山ひとり旅(1977年)


北斎漫画(1981年)


さくら隊散る(1988年) 


濹東綺譚(1992年) 


午後の遺言状(1995年)

 

三文役者(2000年) 


一枚のハガキ(2011年) 遺作

 

 

僕が一番最初に見たのは「讃歌」だったでしょうか。谷崎の「春琴抄」の映画化。僕が時々「佐助」を自称するきっかけの一つです。

 

 

「心」。今は冷酷な悪役も多い辻萬長さんのまっすぐで純情な青年がよかったなぁ。自殺する寸前、自らを裏切った友を「もう風邪はいいの?」と気遣う姿。そして蓼科の美しい風景。

 

 

「竹山ひとり旅」も忘れられません。いまだにお餅を食べる時、作中、高橋竹山の師匠役・観世栄夫さんのセリフ「餅を食います」の物まねをします。大学時代には、竹山の母役の乙羽信子さんが竹山役の林隆三さんに「十三(とさ)の砂山じゃあ」と叫ぶラストシーンを慕って津軽半島の五所川原の十三湊にたびたび行きました。

 

 

広島で被爆死した移動劇団「さくら隊」の軌跡を追った「さくら隊散る」。最近、ご縁があって再見しました。自分がさくら隊の面々の親の年代になり見る同作は公開時から30年以上たっているのに、当時より現在の問題として感じました。

 

 

上の写真は「濹東綺譚」の興奮冷めやらぬ(僕が)1993年の晩秋に撮らせていただきました。ちょうどそのころ岩波書店から著作選集の刊行が始まり、それをきっかけとしたエッセイを書いてもいただいたのです。撮影場所は新藤監督の事務所である赤坂の「近代映画協会」。

 

 

 

撮影時、いろいろと世話を焼いてくれたのが長年の助手の花安さん。監督の没後、似ても似つかない寺脇康文さんが主演した監督の伝記ドラマでは田中律子さんがその役を演じた人。

 

 

件のエッセイのゲラのやり取りで新藤監督のご自宅に電話した時、電話に出られた夫人の乙羽信子さんとごく短い会話をしたのが今も僕の自慢です。そのほぼ一年後、亡くなられた乙羽さん。その時期は遺作となった「午後の遺言状」の準備をしていた時期と思われます。同作が公開されたのは乙羽さんが亡くなられた翌年でした。

 

 

撮影当時81歳、すでに日本映画界の長老格だった新藤監督。その後100歳で亡くなるまで生涯現役を貫かれました。

 

 

 

 

 

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