今日は仕事で、久しぶりに通訳をした。

工場内通訳。

成型ラインの工程を説明する、というものだった。


通訳とは、不思議な仕事だ。


自分で英語で話すのとは、本当に違う。

ものすごい集中力で相手の言っていることを記憶して、

それを瞬間で英語、または日本語に変える。


同時通訳をする技術はないので、逐次でやっている。


「記憶ロボット」という部分が一番難しいのだ・・・


人と人のコミュニケーションなんて、こんなもんか~~と思うほど、

私たちは、

ほとんど相手の言ったことを、

詳しく覚えてなんていない!!!


それでも、通訳する時は、集中力マックスで、

相手の言ったことの内容に番号付をして
(実際指で数えながら記憶する)

できるだけ、正確に、すべて伝える努力あせるをする


それに加え、私は通訳時、よく紙を使うメモ

これは、ずるいと言う人もいるだろうが、

いいじゃん、便利だもん。

それに、書いてる間に、相手の言っていることがどんどん先に進んで、

実際は余計に覚えられないという人もいるが、

私はそんなに細かく書かないので、

(ほとんど、記号みたいなものしか書いていない)

あまり問題に思ったことはない。


例えば、価格の話になって、数字で比べなければならなくなったら、

日本語でだって、

紙に書いて見比べた方が、良くわかる。


大勢の外国人を相手に、私一人が通訳する時で、

ヘッドセットヘッドフォンを使わない場合は、

もう、全員、私の後ろに来てもらって、(会議でも)

要点を、紙に超特急で、

羅列していった方が、

相手が喜ぶ。

紙に書けば、あとに残るし。

通訳が「聞こえない」と不機嫌になる人もいない。


ただこれは、社内通訳で長くやってるから、

その会社でのみ通じることかもしれない。

結構、好き放題なやり方で、通訳している。


通訳で一番苦手なのは、電話会議の通訳だ電話

しかも、外国人が電話の向こうにいて、私が日本人側にいる場合、

ほとんど通訳不可能である。

そういう設定の場を作るのが、間違っていると思う。


通訳に比べ、翻訳は地味で退屈だが、

確実にチマチマできるので、嫌いではない。

通訳も翻訳も、どちらもあると、気分転換になっておもしろいが、

たいてい、どっちかに片寄る時期がずっと続く。



通訳・翻訳というのは、

結局、誰かのことばを訳すのであって、自分のことばで語ることはできない。

そこがまたたまに、いらっとくるむっ

特に通訳は、私の性格では、どうしても、口を挟みたくなってしまうひらめき電球

製造業の日本人男性というのは、

大人しい、言葉数の少ない人が多いような気がするが、

うちの会社だけだろうか・・・。

それに引き替え、

結構何でもガンガン聞いてくるアメリカ人などには、

私が代って答えたろかΣ\( ̄ー ̄;)

って気分になってくる。



私の周りでは、ホームスクーリングをしている人が、結構何人かいる。

といっても、日本人はひとりもいない。


昨日書いたディスレクシアの彼も、ホームスクーラーで、大学まで学校に行ったことがない子だった。

(イギリス)。



それから、前夫の妹も、シングルマザーで、カナダでふたりの子供をホームスクールしている。

現在、11歳と、6歳の女の子。

  シングルマザーでホームスクーリングできるカナダはやはりすごい。

  良いか悪いかは別として。

  高い税金を払っている人々のおかげで、生活保護で、ホームスクーリングして生活して

  いけるというわけなのだから。。。


カナダには、もう一人、5人の子供をホームスクールしている知り合いがいた。

子供は4人女の子で、1人男の子だった。



たまに仕事で一緒になるアメリカ人にも、ホームスクールしている人、3人いる。

彼らは時々出張で日本に来るだけなので、ホームスクールはもちろんアメリカでしている。



ホームスクーリングをする理由はいろいろあるようだ。


・ 学校では、良いことも、悪いことも学んでくるので、

 できるだけ悪いことから遠ざけるために、ホームスクールしてる。


・ 超自然に生きたい、という哲学で、有機野菜しか食べないベジタリアン、

  テレビもコンピュータもない生活、学習は、すべて本物を通して

  教室ではなく、本当のものを自分の目で確認して学ぶためにホームスクール。


・ 宗教的な理由(キリスト教)で、ホームスクール。


で、アメリカでもカナダでも、ホームスクーリングをしている人は多いので、

州によっては、教科書やコンピュータを、貸し出してくれるところもあるという。

大学、専門学校なんかも、もちろん、試験を受ければ行ける。


ホームスクーラーはホームスクーラー仲間とコミュニティを作って、

他の子供たちも一緒に学ぶので、(小さい規模だが)、子供たちが全く他の子供から

隔離されているわけでもない。


勉強においては、ホームスクーリングをうまくやれば、学校へ通う子供たちよりも、

優秀な成績を出せるという報告がある。

少数の子供につきっきりで教育するのだから、そうなるのは当然かもしれない。


私の仕事友達のアメリカ人たちは、キリスト教の教えを汚さないために、

ホームスクーリングしている。

キリスト教徒の多い地域を、英語でBible Belt (聖書のベルト)というが、

彼らはまさに、Bible Belt地域に住んでいる。


ダーウィンの進化論とインテリジェンス・デザインとの論議があるような地域なのかもしれない。


そんな彼らの一人は、

ハロウィーンも参加しない。

あんな悪魔を祭るようなイベントは、恐ろしい、と言っていた。

祭るのは、唯一神のみ、という考えであろうか。


まさに、彼からしたら、

私なんて、

まっさかさまに地獄行きだろう・・・ダウン

SIN (罪悪)だらけの人間だ・・・ 汗



私も一時、ホームスクーリングでもいいかも!と思った時が、なかったわけでもない。

でも、毎日子供について、お勉強している場合ではなく、仕事仕事の毎日になっている。。。


学校は学校で、学ぶことも、多い。

何事も、どう見るかによって変わってくる。



「この道しかない」

と思いつめると、

行き詰ったとき、人は本当に、行き場がなくなる。

その道で失敗したときに、すべてが「終わり」になってしまう。


人生、一回しかないのだから、

ひとつの道で失敗したら、また別をトライしたらいい。


学校がダメなら、ホームスクーリングだっていいと思う。

思い切って貯金はたいて、インドなんかに行ってみるとか。

小さな世界で行き詰っていたことが、

外の世界を見ると、

本当にちっぽけに見えたり・・・。


木登りしてみるとか・・・。


逆立ちしてみるとか・・・。


遠回りして帰るとか・・・。


そんなちっぽけなことを筆頭に。

本当に、いろいろな道があって、いい。


イギリスの大学に行っていたころ、

ディスレクシアの友達が何人かいた。

実際、そのころ付き合っていた彼氏がディスレクシアだった。


ディスレクシアの友達は、文字が書けない/読めない等の問題を抱えているので、

試験になると、特別、別の方式で試験を受けられるよう、違う教室に移動していた。


私はディスレクシアは、アルファベットのような文字を使う人々に顕著に現れるのだと、

勝手に勘違いしていたけれど、

日本にもいると、こないだ新聞で読んで、驚いた。

が、よく考えると、当たり前のことかもしれない。


だけど、日本語って、

ひらがな

カタカナ

漢字

という、3パターンの文字形式のある、特殊な言語だ。

(私たちはその言語をありがたく、子供たちに受け継いでいかなければならない、と思っている)

(言語=思考だと思うので、言語力をつけることは、大切だ。特に母国語において)。


で、

漢字って

象形文字なので、

絵 霧

のような感覚で、

認識されると、私は信じている。


それに比べ、

英語は脳での認識され方が、まったく違うのではないのだろうか?


で、ディスレクシアの話に戻ると、

ディスレクシアの人って、

そういう、絵的な漢字でも、分からないのだろうか・・・?


ちなみに、さっきウィキペディアでディスレクシアを調べたら、

黒柳徹子がそうだと書いてあってますますびっくり。


学校で字が読めなくて、怠けていると叱咤され、障害と気がつかない子供も、

日本ではとても多いことだろう。

本当にかわいそうだと思う。

もっと、このような障害が認識されるべきだ。


ディスレクシア

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%B9%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%82%A2



ところで、うちの子供が行っていたカナダの幼稚園で、

うちの子の様子が他の子と違うと指摘されたことがある。

その幼稚園は小学校の中にあり、スピーチセラピストが毎週一回、

学校を訪れて、なんらかの問題を抱えている子どもたちを、

数人指導してくれた。

うちの子供も、行っていた。


日本も、少しずつでも、

問題を抱えている人たちに、もっと優しい国になっていってくれたら、と思う。

学校は以前よりは、ましになってきていると、信じたい・・・。


私が初めて読んだ河合隼雄の本は、

中沢新一と対話形式の「仏陀の夢」。


河合隼雄の箱庭療法がとても興味深かった。


もちろん、中沢新一も、泣けることをたくさん書いていた。


それから、河合隼雄の本は、結構沢山読ませてもらった。

中でも、子育てについてや、

日本が母性社会で、北米が父性社会であるなど、

日本と北米の比較などについても、

普段、

腑に落ちないことが、

彼の本を読むと、

腑に落ちる。


なによりも、優しさを感じる。


子育ての本では、これがいい。

Q&Aこころの子育て―誕生から思春期までの48章 (朝日文庫) (文庫)

http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4022642777/250-6515322-9145825?SubscriptionId=0G91FPYVW6ZGWBH4Y9G2



子育て本だけでなく、彼の他の本には、心を癒され続けてきている。

最近亡くなられてが、とても、残念だった。

すばらしい言葉を、残していってくれた人だ。




はたして、子供が大人になったとき、

子供はいったい、親のような人間になるのかしら・・・。

自分のことを考えると、私の場合、

自分の親は良いお手本でありまた、反面教師でもあった。

特に

亭主関白の父と、

自分の意見は持たない方が良い主義の母のようには、

なりたくないと、思ってしまう(今でも)。

一方良いお手本として、

生きていくうえでの正義とか、

善悪の判断というのは、やはり両親から教えられてきたのだ。


それにしても、

その良い影響と悪い影響を、バランスよくコントロールして、自己を生み出すこと。

なかなか、難しいと思うけれど、

家族というのは、負の部分をも、受け入れてゆける関係でありたい。

それが容易にできる時期と、

ものすごく難しい時とあるが、

年を取って、以前より寛大になったような、気がしないでもない。

英語でこういうことを、

Mellow down という。

Mellow というのは、

熟成する、やわらかくなる、という意味のほかに、落ち着くという意味もある。


前夫の、私の前の妻は、カナダ人でヒッピーだった。

彼女は、シングルマザーで3人の子供を育てていた。

一人目は、彼女の最初の夫の子供。

二人目は、養女。

三人目は、彼女の2番目の夫=私の前夫との間の子供。

だけど、生活保護で、シングルマザーだけが住めるCo-Op住宅に安く住み、

(庭付き3階建て)

仕事も一度もしたことがなかった人だ。

(それで暮らしていけるカナダはすごい・・・)

島に住んでいた彼女は、普段はローカルライブハウスで、歌を歌っていた。


私が結婚してからは、夫と彼の前妻の間の子供が、毎週末、そして、夏と冬の大型連休に、

うちに泊まりにきていた。

今では二十歳になってしまったけれど、そのころは本当に可愛い幼い子供だった。

彼女は私の子供(自分の父親違いの兄弟)の面倒もよく見てくれる、やさしく明るい子だった。

今考えると、私はもっと、彼女を可愛がってあげたらよかったのにと後悔してしまう。


それから私は離婚したので、彼女とは連絡を取っていないが、

前夫から、彼女が高校を卒業して、会社に就職し、幸せにやっている話を聞いて、

本当に彼女のことを、誇りに思ったものだ。


が、こないだ前夫と話をすると、

突然彼女は仕事をやめて、アメリカのウィスコンシン州に行ってしまったと言う。

実は、恋人ができて、彼とウィスコンシンにいるというのだ。

しかも、ワークビザでなく、観光で入っているので、数ヶ月ごとに、カナダに戻っているらしい。

仕事はネットで在宅でやっているけれど、不安定という。

そして、恋人がジャズドラマーで、

彼女はウィスコンシンの田舎で、歌を歌っているというではないか。。。


・・・お母さんも田舎の島で、歌を歌っていた。

私は結構、これが反面教師で、娘は結果、メインストリームをいっていたように思ったのだけど。

そうではない影響が、あったのかしら、とか、つい、考えてしまう。


もちろん、それが悪いとか、そういう批判の話ではなく、

本人が幸せなら、責任もって生きていれば、彼女の生き方を周りがとやかく言うことではない。


ただ、ふと、親の影響というのは、どんなものかと、考えるきっかけになった。。。


ちなみにウィスコンシンって、あまり知られてない州だ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%90%88%E8%A1%86%E5%9B%BD


若いころには、色んなことをして、沢山学ばなければならない。

私の中の彼女は、まだ小学生なのに、子供はあっという間に、

親の手の届かないところにいくのだなと、感じた。



カナダ行きの件で、

カナダ大使館とやりとりしているのだけど、

ちょっと困ったことがあって、

カナダの、昔弁護士をしていた友達に相談すると、

私の言いたいことを、とても上手くまとめてくれて、

そのまま大使館に出せるよう、手配してくれた。


たまにしか連絡しない、もう3年会っていない友達なのに、

本当にいつも、

この人には沢山助けられる。


彼は、カナダ人だけど、禅のお坊さんだ。

昔は弁護士をしていた。

でも、仕事や生き方に疑問を感じて、

ある程度年を取ってから仕事の数を減らして、

禅(曹洞宗)の修行に励んでいる。

奥さんも弁護士なので、今は奥さんが外で働き、

彼が家事をしている。

子供は女の子が3人。


私がカナダにいた頃は、よく禅堂に一緒に行って、

般若心経を英語で読んで

座禅をした。


般若心経は英語で、"Heart Sutra" と呼ばれていて、

実際、北米の禅堂などでは、英語で般若心経を読む。


英語であれを読むと、ああ、般若心経って、こんなことを言っていたのかって、

英語の方がよく意味がわかる。

まあ、あんなの日本語で読んでても、ただの「音」で、

意味なんて、考える人いないか・・・。


Heart Sutra

http://webspace.ship.edu/cgboer/heartsutra.html


日本の仏教を、北米で経験するのは、

とても新鮮だった。

私は宗教家ではないけれど、日本の精神で誇れるものを、

北米の人の方が一生懸命になって追及しているというのは、

なんとも、皮肉に思えた。


それはちょっと日本と違うというような、

北米人の仏教観が感じられたこともあったけど、

(私もそれほど仏教観なんて定義は分からないが)、

でも、

宗教も、

特に仏教なんかは、

どこで誰によって、親しまれるかにより、

その形を変えていくものなんだな・・・、と思ったりした。


もし、北米の禅が、今度はまた日本に逆輸入されたりしたら、

いったい、どんな風になるのだろう。。。


とか、いろいろ思った。



ロンドンにいた頃の私の部屋の絵が出てきた。

-1997年作- 

今年もなった、インゲン豆。

どんどんなるので、毎日インゲン豆を食べられるほど・・・。

モルモットのモモも、喜んで食べている。



今回はジョニー・デップと全然違う。

「小さな恋のメロディー」って超昔の映画を観た。


内容は・・・、まあまあだった。


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映画を観ていて・・・

ロンドンに住んでた頃のことを、懐かしく思い出した。

特にテムズ川の向こうにビック・ベンが見えるあたりをバスで走るシーン。


昔付き合っていた人がいて、

彼はロンドン生まれ、ロンドン育ちの、ハーフ・スパニッシュの人だった。

彼が育ったのはビクトリアあたりの、BBC英語を話す地域(らしい)かったが、

私と会った時は、ロンドン・ブリッジに住んでいた。


ロンドン・ブリッジからウォーター・ルーあたりをよく散歩した。

テムズのほとりを歩いて、

昼間からパブに酔ってラガーを飲んで、

そのあと、

ロンドン・ブリッジの彼のアパートに立ち寄る・・・。

どこかで赤ん坊が泣いてて、

アパートの花壇からバラの匂いが漂っていて・・・。

彼の作るご飯はおいしくなくて。


いろんなギャラリーやミュージアムに連れて行ってくれた。


本当に付き合うのは大変な人だったけど、

ロンドンというものを、とても沢山見せてくれた。

懐かしい思い出だ・・・。


もちろん今でも連絡取っているけど、

彼は今、シンガポールで活躍している、アーチストだ。

"I am so bloody fed up with London" (ロンドンがいやになった) らしい。