空と海を隔てる境界線ないところに、あの虹の架け橋…視えるといいんだけどな。  | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥

 
 
たとえば 
The Rolling Stones の場合、 世界中どこの公演であろうと 
いったん予定が組まれて追加が出ても 
わずか数十秒~数分で完売させたという記録が何度もあるので 
正味1時間てのが それほど騒ぐ問題でもないような気もするけど 
実際に今、世界中のロック・ファンのうち 欧米には 
U2大好き人間が、その年齢層はば拡く 
何億人もいるということは誰も否定できない事実となっている。
単なる流行の人気ロックバンドということではなく 
「たかがミュージシャンに何ができる?!」 とか 
「音楽で世の中の何が変えられる?」 あるいは
「音楽は音楽でしかないだろ」 とか
「大勢いるアーティストのひとつ。ただそれだけ … だのと 
そんなことホザキ垂れてる連中が 
今の日本人の社会常識の狭っ狂しい仲に わずかに何万人いようとも 
そういった体制側で朽ち果ててゆくヒトたちの人生 には関係なく 
1950年代から今日までそして明日から  
ロックンロールが この人類にもたらす影響。そのひとつひとつ には 
どんな役割があるのか? 
問題はここ だ。 
U2の四人組 も それぞれが分相応に 
人間として この人類の一員として 
自分たちにできることに限界があること は じゅうぶん承知のうえで 
CD音源を世界へ発表する話題づくりや 
いつまでも街角の片隅ではなく 
世界中を飛び回って 歌い 演奏しつづけることを天職としている。
 
う~ん。不味いっス! 
いま夕陽の反対のメーカーの、
最近もまだ よく売れてるらしき缶ビールを飲んでるんだけど 
侍JAPANが勝ったのが一部の酒造メーカーのためでなく 
平和に病める今の日本人のみなさんを励ます意味で 
「自分のために頑張ったんだよ…」 
ということを この人類の一員である人間として 
それを連日にわたり生中継で実践してくれたんだ…と信じてる俺なんだけど 
最初から この味が嫌いなら 明治・大正・昭和の常識をひきずっていようとどうしようと 
恵比寿の駅にちかい場所に本拠地を置くメーカーの香りとコクが高いビールとか 
「もろてをあげてライトビール世界ナンバーワン!」などという、
誰の好みのアドバイス受けることもなく わドばイザーでもなんでも 
自分で働いたカネで買ってきて それを堂々と飲みゃぁいいんだけど 
わりぃな。 冷蔵庫にコレしかってねかったんだよ。
 
 
彼らU2の仕事のうち リード・ヴォーカル担当のBONOの場合は 自分を 
旅回りのセールスマンと称して 
 
「僕は街から街へ旅をして、一軒ずつに曲を売っている。
 メロディと歌詞を売っているんだ。 そして、政治の仕事では 
 アイデアを売っている。僕が入っていこうとしているコマーシャルの世界でも 
 アイデアを売っている。 / 
 自分を一族に代々つづくセールスマンのうちの一人と / 
 本当にそう考えている。」 by Paul Houston 2002
 
 
今から7年前の本人の発言なんだけど  
これは今も おそらく替ってはいないにちがいない 。 
 
 
    Stay (faraway, So Close!)   Stay (faraway, So Close!)
       Craig Armstrong - Stay (faraway, So Close!)  
 
 
「僕は今でも自分たちがロックンロール・スターじゃないと思っている。/ 
 どうしてそう思っているのかって? だって 
 今でも旅行へ出かけ、世界各地を警護なしで歩いているからさ。 
 僕は警護の人間を連れていかない。必要だと感じたことは一度もないし、
 なんとか切り抜けられるんだ。もし何かあっても、自分の世話はできるよ。
 それだけじゃない。人々と触れ合うのが好きだし、
 みんなは僕のことをとても近づきやすい人だとわかってくれている。
 みんなが僕に話しかけ、近づいてくる ------- 僕と同世代のアーティストや、
 僕も影響を受けたアーティストに接するのとは違ったふうに接して来るんだ。
 彼らは僕のところに真っ直ぐ歩み寄ってくる。
 たとえ10年前ほどは無邪気じゃないにせよ、みんな僕がオープンだと
 レコード(CD音源も含む)を聴いて知っているから。そして話をしてくれる。
 ニューヨークにいても、街を歩いていると、みんなが 
 『元気ですか?』と声をかけてくれる。
 車のホーンを鳴らしたり、歩み寄って来たりする。
 誰も僕を恐れていないんだ。たぶんロックンロール・スターとしては失格なのかもしれないね。
 たまに有名人マニアが僕をそうであるかのように扱うこともあるけど、
 そんなときは無視して通り過ぎるだけさ。
 僕らの音楽を知っている連中は僕がどんな人間かわかっている。
 彼らは暗い部屋にいて、僕の親友よりも僕のことを知っている。
 だって、親友にはあんなふうに歌わないから。耳に向かって歌わないからね。/ 
 
 僕はセレブレティではない。/ 
 僕の友人の多くが従えている付き人連中なんて、必要ないと云っているだけさ。/ 
 ステータスなんだと思うよ。とても序列的な商売だからね。
 レストランでどのテーブルに案内されるかで自分のキャリアの状況がわかる。
 僕には何度も起ったことだけど、レストランやクラブに行って、ちゃんと予約がされていなくて、
 列に並ばされるか追い返される。ちょっとばつのわるい思いをしている姿や、連れの手をとって
 帰っていくところをパパラッチが写真に撮るんだ。そういったことは警備担当を連れているか、
 あらかじめパーティに呼ばれるように手配する係がいれば解決するんだろうけど、
 それは僕のスタイルじゃない。だから、お付の連中と一緒に歩くのも、時には役に立つんだろう。
 でも、僕はストリートからあまり遠くに離れたくないんだ。ペントハウス暮らしが苦手だと
 云ってるわけじゃないよ ------- でも、地下室暮らしも得意なんだ。
 それが僕にとってのプライドのよりどころだ。どっちも得意だということがね。
 贅沢な暮らしも得意だし、貧乏な暮らしだって大丈夫だ。その中間では僕は迷ってしまう。
 
 ビバリーヒルズでの大きなパーティへ向かうときに、
 付き人(大きな体格の男でトランシーバーを持って歩いているような連中)
 を連れた車で乗り付つけないで、坂を歩いて上ってくる。
 すると、みんなすごく混乱するんだ。僕が最も誇りに思っていることは、 
 人生の中でそれを一度も見失っていないことさ。
 僕らはセレブレティのレーダーから外れたところにいるんだよ。/ 
 パパラッチですら、プライバシーに関する僕らの立場を尊重することを学んだと思う。
 パパラッチを勢いづけるのは、もちろん彼らから逃げたり、彼らにパンチを浴びせたりすることさ。
 数回そんな瞬間もあったけど、普段はこう云うだけだからね。
 『なあ、僕はここにいるよ。写真が欲しいのかい?撮りなよ。』
 おかしなことに、彼らと飲みに行ったことさえある。おごったりはしないよ。でも、
 彼らも生活のためにやってるんだ。それで彼らの多くを好きになったよ。だから、
 人々が概して僕のプライバシーをとても尊重してくれていると強く感じている。/ 
 僕の友人だったマイケル・ハッチェンス がこう云っていたね。
 『これはスターをファックする仕事なんだ。でもって、最悪のスター・ファッカーはスターたち自身なんだ』。
 つまり、
 『誰も僕の写真を撮らない。もし誰も僕のサインを欲しがらなかったら僕は存在しない。
  僕の新作アルバム は駄作に違いない』というシンドロームがあるんだ。
 無意識のレヴェルで、みんな注目を集めたい人間たちだ。僕だってその独りに違いない。でも、僕は
 作品において充分な注目を集めているから、私生活ではそれを求めないんだ。/ 
 常に重きを置いているのはプライバシーの方だ。僕はダブリンとアイルランドに引きこもることが大好きさ。
 そのことが両方の世界において最良なものを僕に与えてくれる。
 出かけていってスターを演じる。たとえ自分が特にスターに見えなくて、
 舞台を降りたらそう振る舞っていないつもりでも。そして、
 もうひとつの生活を取り戻したかったら、ダブリン、ニース、ニューヨークでそれを手に入れられる。
 僕はニューヨークで多くの時間を過ごす
 人々は僕を見かけても、すごくクールに接してくるんだ。警官だってね。
 ニューヨークの警官の多くがアイルランド系だ。9.11が起きて、
 U2があの街を支援してから、たっぷりの愛情がある。僕は本当によくしてもらっている
 時にはタクシーをつかまえようとしていると、パトカーが近づいてきて 
 『Hey!BONO、どこでもお望みのところまで送っていくよ』なんて云ってくれる。最高だよ。」
 
            以上、『Bono on Bono ~ ボノ インタヴューズ(RittorMusic社)67p~71pより抜粋。
 
 
んで、そうしたこと の実践が見事なまでに判りやすいのが 
今回のアルバム を掲げてのワールドツアー ということなんだけど 
音楽的なセンス・バランス・タイミングが充実してる意味では 
日頃の俺の中では あの、ストーンズ に勝るとも劣らぬほど 
曲づくりといい、演奏スタイルといい、それを世に送り出すやり方といい、 
1990年代からは申し分なく 
そこいらで有象無象に音楽やってるアーティストとは一線を画する わけよ。 
その証拠に多くのアーティストが彼らのヒット曲をカヴァーしてしまう ことはおろか 
今日こうしている間にも
民間人の方々がギターを片手にネット上へ公開されたりするほど 世界的に 
ロックンロールが人類の心の奥底へ浸透するエネルギーは凄まじく  
それはもう パンク出身の叛逆精神の持続だの、カウンターカルチャーがどーしただの、
体制を揺るがすほどの影響力を持ったミュージッシャンだの…と 
日本国内どこぞの音楽評論家の方々に よくありがちな、
そういった浅墓な表現や中途半端な解釈なんてのには関係なく 
国境・人種・民族・時代・ジャンル・年齢・性別・血筋…を超えたところで 
常にオープンマインドで 対・人間。 対・人類。 対・人類の行く末。 
そういうところ に 
今この時代、この世に生きる人間としての素直さを感じられるわけ。
率直に。 しかも強く、タフに、ストレートに。 
ただ、対・自然界! という意味では 
自然界と対象に創られた、人間の創られ方の基本を踏まえると 
我らが Tetsuya Itami や そのファンであるバンソウコウ男って野郎ほどでもなく 
あのU2でさえ、ここまでが限界…という感じで、
叫び、ひるまず、歌いつづけている事実
があっても 
まだまだアマちゃんだけど な。 
誰が?って、その取り巻きのプロデューサー陣もふくめての、U2のみなさんが…だよ。 

 
でもって、彼らが生涯にわたり、この人類に対して常に 
「おれら人類、このまんまでいいのかよ!」 
ってメッセージを贈りつづける四人組が
今なお長年にわたり 解散も分列も自然消滅もなく  
ロックバンドとしての基本である4人編成(g、ds、b、vo)  を崩さずにいる理由に近くして 
とても興味ぶかいところでは 
まず、ドラム叩いてるヒトラリーさん が もう随分と前から 
JAZZに精通した優れたミュージシャンであること 
そして、リード・ギターのエッジさんが 
そこで今ギター一本を持って なにか一曲のフレーズを奏でるなら 
その音がスグに誰の音なのか? どこのバンドの一員の音なのか? 
ハッキリと判ってしまうところが 
とにかく ストーンズにも似ている感じがして 
よっつ以上の音が組み合わさっても シンプルに 
ひとつのまとまった音に聴こえる部分! 
こりゃぁねぇ、楽器を演奏できないトオシロの俺であろうと 
もう随分と以前に亡くなられた ヘルベルト・フォン・カラヤン であろうと 
ドイツもコイツもウィーンもベルリンの人たちも 
それ をいったん耳にしてしまったヒトなら 
もうその事実からは逃れられないわけよ。 
フツーに音楽を聴ける環境にいられる人間であるならな。 
 
さて、今日もまた くだらん能書が態度もデカクして長くなっちまったけど 
べつに かまうこたぁねぇだろ。 
読んでるヒトの数も限られてることだし。
 
 
  今日のもう一曲。 
 
アルバム空と海を隔てる線はないという新作 からじゃなくって 
 
 
    Walk to the Water
    U2 - Walk to the Water