猿たちの☂ネタ:「ひかりカエサル」って見たことある?
参加中なんだけど
“Mind Resolve” ~ 月刊 『育つ場所がちがう』 総特集
教育によって破壊された母体 最新版 ☚
ということで、これ を…ここまでの内容 を申し訳ないほど長々と、すべて読んだあとで…、
『考えても答えは出せないことの答え』 November 09, 2007
http://ameblo.jp/badlife/entry-10054612979.html
たとえば ☝ このページ を読むと、自分自身が何なのか?
その解答が非常に判りやすくなってくる人も世の中にはいる…と想うんですけど
どうでしょうか?
但し、これらの内容を読んで、なにか素晴らしいとか、
返す言葉もないほど圧倒されてしまい…とかいう、そういうアリキタリの
感想やら意見など もってのほかで、こんなことは素晴らしくもなんともないし、
この世に人間が創られた時、無から有に変わる「ゼロ」の時点から
決められ、定められていた、アッタリメェのことであって
誰かの何かを驚かせるようなことで終わりにするつもりで書き直して公開したもんじゃない。
人間は今、人類は今、何十年も、
それこそ日本なんて、あの敗戦前夜の焼け野原から立ちあがる以前 に
もう江戸時代末期の開国時期から 、こうした創られ方の基本から外れてて
この地球上に生きて生かされる人間として怠けて生きてきた ことの、
そこから もう一歩、前へ進まなければならない時期 ・・・・
そのタイミング も、もう、1985年以降は、とっくの昔に過ぎちまってるんだけど
『明日に架ける風』♪。 その歌 にもあるように
欲深いサル達。ナマケモノは、猿にもできる反省をしてる暇もなく、
嘆いたり、慰めあったり、同情しあい、
再び何者かを悪者あつかいすることで小さくまとまって終わる…という、
これまた、“よくありがちな”人生の完結、完成、ヒラキナオリ。
もうザマミロなほど の、そんなことを これ以上もう繰り返してる場合ではないし、
ケータイ も地上波デジMONOテレビ もバリアフリー も耐震基準 もクルマ もインターネットの情報の氾濫 も
必要以上に著しく発達して、メディアに汚染され 、
もうそこには追いついて行くのがやっとの状態の世の中と
激しく変化する自然界の中で、天にツバ吐いて逃げ惑ってはいられない。
まず自分自身が、本物の人間として目覚めなければ
たかだか数千年だけど、この人類までもが無様に終わってしまう。
俺は、そんな中で、のうのうと自分勝手に生きていたくはないね。
必ず役目、役割があるはずなんだ。
それを早く見つけてくれ! どなた様も。 人間ならな。
☞ この内容 は、1994年の秋に書かれたもので、俺が書いたものではない。
それについては、既に昨年中に公開済みの、『人類の道理』
と題したページの中で説明してあるので、その内容(かなりの長文)をすべて読み通したあとで
ここから先を読んでもらえると、幾分、筋の通った内容として把握できる方もいる…と想う。
「理解できる」とか「私には わからない」という感想や価値観の相違等による理屈は抜きにして
重要なのは、なんのために書かれたのか? ここだ。
確かに、変えられるものなら変えてみたい 。
そして ときどき想う。
今なら大丈夫。今の俺なら… それは俺ばかりじゃなく
きっと、ほかのみんなも一人一人が、今なら、あの何倍もの力で
あのころ以上にやれる。だから先生、生き返ってくれ。
そしてもう一度、この仕事を
最期の最期までやり遂げるために
再びまた、みんなが解らないことを教えてくれよ。
でないと俺にはもう、この世が地獄にしか見えなくなっちまう。
と、そんなふうに素直になってみても
時間は過ぎ去るばかりで、世界は変わらない。 ならば
いっそのこと、ぜんぶ叩き出して
ヒトが人として生きられる世の中を
もうちょっと獲り戻して、誰の肉体も心も
それが現状のまま維持、持続できるよう、そこに役立つのなら
俺の中からもすべて叩き出す。
そういう勝手な想いで、今日ここに、ここまでを編集して公開 した。
それだけのことだよ。
今はな。
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「わたくそサルでは御座いりません」って、どうみても猿じゃん!
“Mind Resolve” ~ 月刊 『育つ場所がちがう』 総特集
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ということで、これ を…ここまでの内容 を申し訳ないほど長々と、すべて読んだあとで…、
『考えても答えは出せないことの答え』 November 09, 2007
http://ameblo.jp/badlife/entry-10054612979.html
たとえば ☝ このページ を読むと、自分自身が何なのか?
その解答が非常に判りやすくなってくる人も世の中にはいる…と想うんですけど
どうでしょうか?
但し、これらの内容を読んで、なにか素晴らしいとか、
返す言葉もないほど圧倒されてしまい…とかいう、そういうアリキタリの
感想やら意見など もってのほかで、こんなことは素晴らしくもなんともないし、
この世に人間が創られた時、無から有に変わる「ゼロ」の時点から
決められ、定められていた、アッタリメェのことであって
誰かの何かを驚かせるようなことで終わりにするつもりで書き直して公開したもんじゃない。
人間は今、人類は今、何十年も、
それこそ日本なんて、あの敗戦前夜の焼け野原から立ちあがる以前 に
もう江戸時代末期の開国時期から 、こうした創られ方の基本から外れてて
この地球上に生きて生かされる人間として怠けて生きてきた ことの、
そこから もう一歩、前へ進まなければならない時期 ・・・・
そのタイミング も、もう、1985年以降は、とっくの昔に過ぎちまってるんだけど
『明日に架ける風』♪。 その歌 にもあるように
欲深いサル達。ナマケモノは、猿にもできる反省をしてる暇もなく、
嘆いたり、慰めあったり、同情しあい、
再び何者かを悪者あつかいすることで小さくまとまって終わる…という、
これまた、“よくありがちな”人生の完結、完成、ヒラキナオリ。
もうザマミロなほど の、そんなことを これ以上もう繰り返してる場合ではないし、
ケータイ も地上波デジMONOテレビ もバリアフリー も耐震基準 もクルマ もインターネットの情報の氾濫 も
必要以上に著しく発達して、メディアに汚染され 、
もうそこには追いついて行くのがやっとの状態の世の中と
激しく変化する自然界の中で、天にツバ吐いて逃げ惑ってはいられない。
まず自分自身が、本物の人間として目覚めなければ
たかだか数千年だけど、この人類までもが無様に終わってしまう。
俺は、そんな中で、のうのうと自分勝手に生きていたくはないね。
必ず役目、役割があるはずなんだ。
それを早く見つけてくれ! どなた様も。 人間ならな。
☞ この内容 は、1994年の秋に書かれたもので、俺が書いたものではない。
それについては、既に昨年中に公開済みの、『人類の道理』
と題したページの中で説明してあるので、その内容(かなりの長文)をすべて読み通したあとで
ここから先を読んでもらえると、幾分、筋の通った内容として把握できる方もいる…と想う。
「理解できる」とか「私には わからない」という感想や価値観の相違等による理屈は抜きにして
重要なのは、なんのために書かれたのか? ここだ。
確かに、変えられるものなら変えてみたい 。
そして ときどき想う。
今なら大丈夫。今の俺なら… それは俺ばかりじゃなく
きっと、ほかのみんなも一人一人が、今なら、あの何倍もの力で
あのころ以上にやれる。だから先生、生き返ってくれ。
そしてもう一度、この仕事を
最期の最期までやり遂げるために
再びまた、みんなが解らないことを教えてくれよ。
でないと俺にはもう、この世が地獄にしか見えなくなっちまう。
と、そんなふうに素直になってみても
時間は過ぎ去るばかりで、世界は変わらない。 ならば
いっそのこと、ぜんぶ叩き出して
ヒトが人として生きられる世の中を
もうちょっと獲り戻して、誰の肉体も心も
それが現状のまま維持、持続できるよう、そこに役立つのなら
俺の中からもすべて叩き出す。
そういう勝手な想いで、今日ここに、ここまでを編集して公開 した。
それだけのことだよ。
今はな。
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