案心価格の完全改定版『人間の設計図』の普及が望まれる今日にて… 【編集中】 | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥

   
   
     http://ameblo.jp/badlife/entry-10007764105.html  このページのつづき。    
   
   
   
                                      ( 犯罪心理学の盲点 その5 ) 
   
   
   
   
   
んで、小学生だった俺は、
ある日、金子君と二人で、初夏の休日の一日を近所の空き地で過ごし、
「今日は何するかぁ?」てなことを吟味していると、
近くを通りかかった自転車のお兄さん(見ず知らずの中肉中背タイプ)が
ムシカゴを持った俺に注目して、一旦は通り過ぎたが、
何を思ったかUターンしてペダルを止めた。
 
「君たち、何か捕まえたの?」(ヘンなあんちゃん)
「いや、別にまだ何も入ってないよ」(俺)
「これからクワ【クワガタ虫の意】を獲りに行くんだ!」(金子)
「そっかぁ・・・。じゃ おれが”いいトコ”教えてやるよ。」(気さくな あんちゃん)
「えぇーっ! ほんとぉーっ!」(興奮気味の金子)
「ついて来いよ、自転車 持ってるんだろ?」(妙なあんちゃん) 
 
ちゅうことで、俺たち二人は家まで自転車を取りに戻って、
数分後にまた同じ場所へ集合。
「どこなの? そこは?」(金子)
「スグそこだよ」(待っていたお兄さん)
「アミも持って来たよ!」(俺)
「そんなの使わねぇーよ。・・・まぁいいや」
 
てなことで、一同、目的地へ向かう。
道中、その者の後ろ、少し距離をおいたところで自転車を転がしながら、
「なんか ヘンなヤツじゃねーか?」(俺)
「何が?」(金子)
「あの人 だれ?」(俺)
「知らね。 いいじゃん、クワの在りか教えてくれるんだから・・・」(上機嫌の金子)
 
んで、現場…穴場らしき場所へ到着。
道端の雑木林の茂みの脇に自転車を置き、
ガサガサと藪をかき分け、入って行く男。
「こっちだ!」
眼を輝かせ、その後ろ姿に追従して行く 金子君 がいた。
(…彼は、美人のお母さん似で、目がクリクリっとした、
年齢の割には背丈の低い男の子だった。)
俺は、茂みの脇で自分の自転車に鍵をかけると、
ムシカゴを置いたまま、別の方向の藪を覗き込み、
「・・・。こんなところにクワガタがいるわけねぇーじゃん!」
と、妙な男の案内に不審を抱く…この辺りは、
   
   ####中略####
   
都会から来た転校生(俺)と田舎のワンパク坊主(金子君)の違い。
 
まもなく、暗い林の影から聞こえる金子君の泣き叫ぶ声、
「なにすんだよーっ! やめろよぉーっ!」
突然の大声に驚く俺。すると、
「大丈夫だよ、あとであっちのヤツにもやるんだから」
変なあんちゃんの声もする茂みの向こう側。
「ナーンちゃーん! 助けてくれぇ゛ーっ!」(俺のことを呼ぶ金子)
「どうしたぁ? なに? どこにいるんだよ!」(不安な俺)
「こっちだよ、こっちぃー!」
次の瞬間、俺が探すまでもなく、金子君は茂みの中から飛び出てきた。
「わ゛あぁぁぁぁっ!」
「なんだよ、何があったんだよっ!」
「アイツがオレに後ろからヘンなことすんだよぉーっ!
南ちゃん、早く逃げようぜっ! オレ、帰るぅ!」
そう叫んで、いきなり自転車を漕ぎ出す金子君。
自転車にかけた鍵を解除する俺。
ふと後ろを見ると、さっきの男が険悪な顔つきで、
地面から捥ぎり取ったらしき筍【タケノコ】(笹の茎だったか)の先を藪に投げ捨てていた。
「あんなモンで何かしたのか?」
疑問な俺、そそくさと逃げる。 
 
なぜか、俺の家の庭に逃げ込んでいた金子君。
もう泣いてはいなかったが、青い顔して、黙りこくっていた。
「なんだよ、何があったの?」
そこには、臆病な子犬のように怯え、俺の質問に応える金子君がいた。
「アイツ、オレの服を脱がせようとしたり、
ヘンな棒でオレの首に後ろからヘンなことしたり、
逃げようとすると引っ張ったりよぉ・・・・・省略。」
 
もう遠い日の記憶にある あの一件。今になって想えば、
どうにもこうにも、町の変質者という者は、
「度胸がないから女の子にはイタズラできなかった」・・・ということではなく、
それぞれにある固有の”好みの問題”なのか、
自分にはない珍しい物が「そこにある」と思うのか、
「コイツなら大丈夫そうだ・・・」
という考えを、次の自由意志の暴走へ駆り立てる変異な欲望。
それを抑えられるかどうかの判断は、その本人の感情に関わってくる。
それでも、
そのようなおかしな存在が近所に出没してることを知らない家庭の家族も、
常日頃から単に、自分の子供に、
知らない人についていっちゃダメだよ 」とか教え、躾けようとしたり、
学校での授業の時間を割いて、笑いながら、そうした訓練をすることが重要でもなく、
「どんなことにも絶対に誘いに乗るな」
「なるべく早く怪しいと感ずいて、スグ逃げろ」
その2点・・・。
繰り返すぜ。
「どんなことにも絶対に誘いに乗るな」
「なるべく早く怪しいと感ずいて、スグ逃げろ」
俺の言い方の語尾はどうあれ、一言一句間違うことなく、
その2点のポイントを子供に伝える。
それを本人が理解するためには(・・・云い方は違うかも知れないけど)、
教え込む、躾けるということでもなく、
過去にあった現実の事例を利用して、
それについて自分が訊いて見て知っているすべてを話して聞かせる。
それには、そこに どんなに残忍で残酷な内容があったとしても、
親は自分の子供に対して、子供自身が、
まだ未熟な自分より強い力を持つ脅威が存在すること、
そして、自分の身は自分で守れという定め、”最期の力”は自分にしかない。
ということについてを気づかせなければならない。
俺は そう思う。
 
んで、
もしも、どうにも逃げられなくなった時は、立ち向かうしかない。
ただ、先日の乳児誘拐事件ではないけど、
本人が幼ければ幼いほど、どう考えても立ち向かえない、そんなことができるわけがない。
というケースもある。
それは、病院や施設の管理体制がどうのこうのと責任問題を問うのではなく、
常に大人が危機感を持って備えなければならない。
保育園も、幼稚園も、小学校も、養護施設も、
そこにいる大人が、ケツの穴を引き締めることを忘れてしまえば、
明日また起る事件・事故、災害・惨事は防げない。
ところが、そんな気を引き締めて日常生活を送っている大人は、
いま全国に、ほとんどいないに等しい。
学校の先生も、保育士も、園長も、教頭先生も、理事も、
そんなふうに神経を研ぎ澄まして生きてる者はいない。
なぜなら、資格取得の試験のための参考書、生徒や園児の教育ガイド。
そうしたマニュアルにはどこにもない。
かといって、どんなに綿密な形でマニュアル化を図ろうとも、
そんなモノが、事件事故の防犯防止になるわけでもない。
 
   もしも、(・・・もしもだよ。)
   町の変質者に該当する者を一人一人洗い出して、
   一ヶ所に隔離することができるなら、
   その連中を見張りながら、
   該当者の持つ”心身の異常”をある程度まで修復するための施設・・・
   そういうシステムも社会に必要か・・・とも思う。
   ・・・厚生労働省が包み隠そうとしてきた悪行の一つ、グリーン・ピアの建設
   にかかった無駄な費用と売却 を考えれば、そんなの難しいことじゃない。
   残る問題は、変質者に該当する者の洗い出しと、
   そこに勤めさせる職員や教官、講師陣の意識の問題で、
   それはそれで、指導できる者を海外から募って教育し直せばいい。
   まぁ、その問題も、あと何十年先の話になるまでもなく、
   それ以前に、これからも頻発する犯罪が世間の意識をどう変えるか?
   どこの何の企業が、そうした取り組みに乗り出すのか?
   国や自治体が介入するまでもなく、
   今はもう子供の少ないの世の中 だ。
   学童保育 の運営をどっかの優良企業が管理するくらいなもんだろ。
   そうなると、やはり、今までの学校や保育施設も要らなくなる
   実際、誰の命を守るためにも役に立たないしな。既に。

 
 
さて、そういう無駄ではないようで無駄なことも無駄にしたくない
と考える暇な連中が多い世の中で、
そこに、心身の健康のバランスを保っている人が何人もいない事実については、
前回までの内容 を読んでもらって、
少しは納得できた部分もあったり、俺が書いている内容そのもの、
全面的に、何一つ素直に受け止められない人もいる・・・かも知れない。
ところが、
教育によって破壊された人類の母体 ”・・・女性の身体について、
これまで何の文献にも、何者によるどこの教育にもなかった内容・・・。
それについっては、今後も必要に応じて解説を加えてゆく。
 
さしあたり、教育によって破壊された母体と、性犯罪者が
どこでどう繋がって どういう関係にあるのか? 
性犯罪者…町の変質者を産んだ母親は、
どのような肉体の状態だったのか。
   
このページを読んでいるだけの人にとっては ちょっと難解かも知れないけど、
要するに、現実の世界に生きるための肉体という容器が
ほとんど壊れかけているために、
その中身である心(精神 / 魂)が、
その苦しい肉体の操作を怠ってしまっている状態。
もっと細かく云うと、
変質者という者は、生まれながらにして
肉体(全身の筋肉)の異常が ”精神の奇形”に反映され、同時に
精神が司る肉体の異常が コントロール不能の精神を破壊…変貌させてしまっている。
同時進行であっても先天性でない部分は微妙なところで
犯罪実行に到るまでには人によって様々な要因がある。(例えば修学旅行など
それは決して、人間社会とは別のところで生活しているわけではないので、
犯罪実行時の本人に自覚があった・ないかについては、
結果的な段階で精神鑑定などをしてみても…意味がない。まったく。   
   
必ず、産まれる以前に問題があった。母体に。
ところが、母親の胎内にいるときも、この世に産み落とされても、
育つ場所が違う。
本人の持つ能力(魂の程度)と肉体の異常(全身の筋肉の異変)が、
まったくもって、この世の生活には合わない。
 
脳に異常があるわけではない。
どこかの遺伝子の中に”犯罪者としてのプログラム”が組み込まれているわけでもない。
例えば、メンデルやダーウィンの進化論や遺伝学の嘘からはじまって、
カール・ユングやジークムント・フロイドの精神分析学など、
かつて彼等が生きた時代には彼等なりに、
その研究や診断結果の集計が必要だったかも知れない。
もしも今の時代、それを学問とは捉えず、
「相手の心を聞く」「最初から最後まで聞いてあげる」というようなことが、
そうした仕事(カウンセラーやソーシャル・ワーカーなど)に必要なら、
一旦、すべての学識(書物の知識)や、
過去に誰かが行った内容をなぞるようなことは捨てる気持ちで、
自らがゼロからスタートする、”心の問題の解決”に取り組むべきであって、
学問や学識の派閥やシガラミの中で物を言う連中との付き合いもやめるべき。
と思うよ。本当に相手を思いやる気持ちがあるならな。
 
今それほど、過去の症例や過去に生きた人々の時代に役立った方法や策は
現代…今の時代、この”世の中”という現実に生きる人間には
ほとんどまったく ・・・かえってマイナスになるくらいに
役に立たなくなってしまった。
 
で、そういうことに気づいてる柔軟な姿勢・・・・・何とかして、
時代の変化に対応した、やわらかい頭の構造で生きようとする学者(あるいは学者離れの人)も
今のこんな時代になっても、まだ何人かは存在する。
それが今日、どこにいるのか?
地方の少年院の中にいるのか?
檀家に囲まれ贅沢をしてる自分に疑問を抱く、どこかの寺にいる住職なのか?
学問や教育、膨大な知識や思想ほど、今の時代の人間にとっては「毒でしかない」
と、そう気づきはじめた、中学・高校の学校の先生なのか?
それは、30代や40代の、指導者を失った世代には存在しない。
かろうじて、50代~60代。(2006年1月現在)
その年代の中に、必ず存在してる。
 
いうなれば、「正しく人間を理解しよう」と思ってる人。
 
ところが、その人たちの欠点というか、今ひとつ腰が弱い部分は、
「自分が指導者の器ではない」と思っている。
仕方ない。戦後から今日まで、みんながみんな、
指導者なら指導者と呼べる時代の先覚者を失って生きて来たんだからさ。
その上、その人たち自身も、肉体という道具。
その、身体そのものが おぼつかないでいる。
それは単に、「疲れている」とか「余分な知識が邪魔をしてる」ってことでもない。
根本的に、朝・昼・晩に使う肉体が、自分の思うようにままならない。
   http://ameblo.jp/badlife/entry-10004163650.html  (self text 参照)
まず、全身の筋肉が冷え切って硬くなってしまっている状態。
それはまた、倦怠期や老化ということではなく、
腎臓と肝臓と心臓の機能に従ってバランスよくあるはずの、
すべての血管と血液そのもの。それによる血液循環が、
本来の人間として正常ではない。   
   
   
ここまでの内容に対して、まったく意味が通じない人もいれば、
なんとなく判るような気がしてきている人もいると思う。
できることなら、ほかのページ も繰り返し読んでみて、
もしもどこかで、”自分の今” と ”本来の人間の創られ方”の違いが摑み取れるなら、
別に俺に連絡してくれる必要もないけど、
その気づきを、明日の自分の仕事の中で、
これからの世の中を もっとしっかりと生きていく中で、
俺が書いてしまった内容の一部を利用してもらいたい。
・・・なんて、決して俺は、そんな立派なもんじゃないんだけど…。
今はもう、みんなが切羽詰ってる。
「自分はこれからどうして生きてゆけばいいのか」
その不安でいっぱいだ。誰もが。
俺も同じだよ。同じ時代に生きてて。
 
だから(?)、半年前から書いてる俺のページの至るところで紹介してきた
初版『人間の設計図 』(定価¥8,000 / 刊行1993年)という本の内容も、
「もう今の世の中では役に立たないかも知れない」というほど、
時代は大きく変わってしまった。
「変わった」というより、本来、人間全員が生きるべき道から大きく外れてる。
 
このまま何千万人かは、
今日までの時代の精算(戦後教育の歪や弊害など)の犠牲になって
あっという間に死んでしまうかも知れない。
自分自身が、そこに生き残れる保障は何もない。
「明日はわが身」という言葉も、他人事でしかない今、
どうして自分が自分を救える手立てを見つけようとできるものなのか・・・。
 
んで、自分のスグ隣り近所、自分のスグそばで、
バタバタと死んでゆく人(まずは大勢の子供や老人・・・)を見てゆく中で、
不幸にも何千万人か生き残った人たちのうち半数以上は、
また今まで通りに、嘘で嘘を塗り固めた生活を取り戻そうとするかも知れない。
それでも、中には、生き残った自分達の次の世代に、
何かを期待するだけにとどまらず、何かを残そうとする。
それが単に土地や建物の財産なのか、絵空ごとの宗教にある言葉なのか、
そういうモノばかりではないと思う。
 
確かに、俺の書いている、俺の云い方にある内容には、
極端な解釈や、世間一般常識から外れたモノが多い。 (それは認めます)
でも、今はもうすべてが、今まで通りではない。
どこにある? 今まで通りのモノが。
ないでしょ、どこにも。
   
   
さて、そのつづきは、今後、”明日の鮮しい読者”の中から出てくるであろう、
俺のゴタクを踏み台にして生きる力を持った人。
・・・迷惑トラックバックとか送り付けない人な。
その人たちが現れて(・・・いつかな)、その人たちの”前向きなディスカッション”
の中での展開に任せることにして、
本題の、母体と精神異常性犯罪者の関係だな。
 
 
                         つづく。
http://ameblo.jp/badlife/entry-10007994807.html