重ね着してる人は、割とかわいい。 | マイノリティのお話

マイノリティのお話

ずっと人前で自分を出せない、自分でいてはいけないのだと思ってました。カウンセリングを受けたら、育った環境に原因がある事がわかりました。

私以外全員ASDだった。

ASDについて勉強したら、今まで見えてなかった事が見え始めた、そんなブログです。

アメブロさん、アメトピにあげちゃいやん。身バレをしないように、ひっそり、こっそり書いてるブログです。

 

注意書き:私は素人で、心理学も精神医学も全くプロではありません。- ここで私が専門用語を用いてASDだのNPDだの愛着障害だの言っているのは、相手を診断したいからではありません。あくまでも、私自身のため。脳のしくみの違いや言動傾向を知る亊で、私自身が相手と心地よい距離感を取るために使っています。相手がこうだ・・・と決めつけるためではなく、「もし、この人の言動を、発達障碍の・精神障害の・精神疾患の傾向をもとに分析してみたら、私が相手と心地よく共存できる距離感がわかるのでは?」という考えで書いています。そして、あくまでも私が直接関わった、私の人生にかかわる、私の周囲の人を、私が勝手に脳内で分析しているだけの、ものすごく狭い、個人的な、なんならファンタジーでイリュージョンな脳内妄想です。私の脳内で考えている亊は、本人達には、一切、一言も、何も話していません。以上、ご承知くださいませ。

 

Bさん:重ね着しとるん?

 

ここ最近、自己愛性パーソナリティ障害(NPD)について、私が読んだ記事や参考にしたPodcastの内容を紹介してきたんだけど。ここで、間違ってはいけないのが・・・。

 

「ASD積極奇異や尊大型=NPD=すぐ逃げて」の図式にしてしまう事。それは、違うな―と思う。NPDの記事やPodcastを聞いていると、ほとんどが「No contact! (もう連絡をしない事!)」と言っている。でも、ちょっと違うなーと思うのだ。

 

そういう記事やPodcastで言っているNPDは、本当に純粋に、自分の誇大妄想で生きる事が目的になってしまっている人だと思う。「自分はエライ。自分はスゴイ。自分が一番。誰よりも大事にされるべき存在。」これを守る事が根底にある大きな目的で、そこから全然逸れない、真のNPDについて話しているのだと思う。

 

私の周囲の「NPD傾向強いな」と思う人達は、ASD+NPDの重ね着で、ASDが強めである。

 

上手く説明できるといいのだけれど・・・ASDさんってもっと近視的で、その場思考なので。残念ながら、真のNPDほど長期的な目線で自分の目的のために生きられないんだと思う。だから、常に「自分エライ。そういう世界を守る」が目的なわけではないのだ。本当に、もっと近視的思考で、その場しのぎな事が多い。だから、相手を本気で好きな時には本当にその人のために何かをしてあげたいって思って、気遣い行動をしている人が多い。ただ、気遣いがズレてる事が多いだけで・・・(笑)。

 

おかんは、確かにNPD傾向が強めで、自分の自己肯定感無駄に高い事がほとんどだけれど。でも、すべての行動が自分の自己肯定感を上げるため、承認欲求のためとは限らない。確かに、シチュエーションによっては、そればっかりになっている事もあるけれど、長い人生で見ると、本当にそれだけなわけではない。

 

基本的に、家族のためにいろいろやりたいのだ。でも、その気遣いのベクトルがズレてて親切の押し売りみたいになっていたり、あるいは急に自己肯定感が下がってしまってそれを上げるために何かをしていたり・・・。つまり、一貫性がない。

 

 

多分、本格的に純粋なNPDであれば、いろんな出来事をつなげれば、ちゃんと線でつながって、一貫性があるのだと思う。

 

 

でも、おかんも、妹ちゃんも、Bも、一貫性がない。

 

 

例えば、Bとのやり取りを思い返してもそう。NPDが良く使う手口のGaslightingアルアルのセリフ、すんごい何度も使っていたけれど。もはや巧妙さのかけらもなく「おかしいよね?」と思うぐらいまで使いすぎてる。私が冷静に説明して、カッとした理由が自分の誤解だとわかると、急に鎮火して、「君はビタミンB取った方がいい。マグネシウムも」とか、なんか急に人の心配はじめてた。しかも、ブチ切れた原因となった私がお勧めしたTEDの情報までもう一回確認しちゃう感じ。こういう時はNPDの重ね着は脱いでいて、ASDの分厚い何かを着ているだけになってる気がする。

 

 

ズレてるけれど、本気で私を心配しているし、本気で私がお勧めしたTEDから学ぼうとしてる。いや、ズレてるけど(笑)。

 

 

今どき心理学や精神疾患の事は、本やウェブサイトを読みまくればある程度勉強できる。ただ、その情報を全部鵜呑みにするのではなく、それをきちんと理解し、分析し、何が自分にとって必要な情報化を精査するスキルは必要だと思う。鵜呑みにして、そのまま適用するのって、それこそ一貫性が無さすぎるASDのあかんとこ・・・みたいな感じなので、気を付けたいところである。

 

ASDやADHDは確かに生まれ持った脳のしくみで、そのしくみで得手不得手の傾向や程度は決まると思う。でも、程度に差はあれど、コミュニケーションはスキルなので、勉強して実践して身につくものもある。ASDがベースだろうと、ADHDがベースだろうと、自分をきちんと見て、見たくないところも見て、その上で情報を集めて、精査して、勉強して、実践で失敗しながら身に着けたスキルは、もはや職人さんの手わざと同じぐらいに、高等技術になってると思う。

 

 

昨日見たPodcastのお医者さんの言うてる事が、納得だった。

 

 

「あなたは医者じゃないから、診断はできない。僕は医者だけれど、患者が診察を受けに来てくれなければ診断はできない。だから、誰かをNPDとか、そうじゃないとか、あなた自身が診断できるとは思わないでほしい。あなたに出来るのは、僕やほかのドクター・セラピストが発信する情報を見て、自分が一緒に居て心地よくない人の言動が自分にとって毒かどうかは診断する事だ」

 

 

おっしゃるとーり!

 

私は素人なんで、別に診断したいわけじゃない。私がどういう距離感をとっていったら、私自身が心地よいのか悪いのかを勉強するために、家族や同僚や知り合った人の事を、やんややんやいろんな医学用語引っ張り出してブログで整理整頓のために記事書いてます。

 

人間って得体のしれないものにたいして恐怖を覚えると思うのだけれど。

 

私は、家族はもう怖くない。Bさんも怖くない。得体のしれない、私が想像つかない言動を紐解いて、理解する事が出来たから。いざとなったら、どういう風に対処すればいいか、わかったから。

 

ストレスはなくならないけどね・・・。

 

これからも、重ね着している人と知り合いになって、気になったら、何を重ね着してるのか見てみようと思う。意外と一番したに着てるTシャツは、かわいい水玉模様だったりするかもだしね。