たった今、隣に住むDJの兄さんが帰ってきました。その隣に住んでいる私は大学1年の頃に友人にもらったMazzy Star(なんかダサい響きのするグループ)の音楽を久々に聴きながら、そして大分むぎ焼酎二階堂のCMに匹敵するようなノスタルジーに浸りながら、こうして日記を打ち込んでおります。

 今日、学生最後となる授業がありました。最後の授業が教職だったので、とてもいい締めくくりができた気がしました。どうか卒業と免許がもらえればいいんだけれど。ってこんな贅沢な考えをしてしまっていいのか自分?世界中で多くの人間が死んでいるのに、日本じゃ派遣村の村人が苦しんでるっつうのに、卒業単位と卒業後の仕事すなわち“自分”の事で頭がいっぱいで睡眠不足になっていいのか?そんなのよくない!自分は二の次で常に他者のために生きていける人間になりたいのに!え?出家したほうがいいって??たしかにそうかもしれませんね、50まで生きられたらそうしようかな。そんな考えをめぐらせながら、これから当分の間、理想と現実の間で常にもがきながら生きていくしかないんですね。

 ともあれ、大学4年間、たのしかったなー。ほんま、学生って身分は特権身分ですよ。ブルジョアジー!貴族院!公家!バラモン!ああ、たのしかったー。

 中学1年生の頃から慣れ親しんでいたメガネを紛失してしまい、そろそろ変え時だったのだなあと思い、ただいま理想のメガネを探し中であります。

 チェーン店の安いメガネ屋へ行きいろいろ試着してみたところ、最近流行のスタイリッシュなセルフレームメガネよりも私の顔には丸くて大きめで古臭いメガネの方がしっくりくることが判明する。

 メガネ芸能人といえば大木凡人かウディ・アレン。現実逃避型だった2008年下半期は、ウディ・アレンの映画にどっぷり嵌っていたので、やっぱりベストメガネ芸能人といえばウディ・アレン。あの黒縁のでっかいメガネがかわいい。

 なかなか理想とするメガネがないのでヴィンテージメガネをネットで調べてみたところ、メガネの奥深さを知ってしまう。ラウンド型やウェリントン型、それとボストン型などのメガネのかたちがあるらしく、あるメガネ屋のサイトに載ってた80年代ボストン型のメガネが欲しくなる。

 メガネほしいなはは~


 あけましておべてとうございます。ことしもよろしく。

 あとすこして卒業だなんて、友達や先生に会えなくなることがさみしいですが、4年間で出会ってきた人たちともう一度会っていこうと思います。卒業後の進路はというものの、クビにされない限りこんな私を雇ってくれるというありがたい職場で、死ぬ気で頑張ろうと思っております。灰になる一歩手前くらいまで頑張ろうと心に誓っております。

 もうじき卒業がかかっている試験が始まろうとしているので、これから試験勉強でもします。

 今日はこれから待ちに待った新大久保韓国料理ツアーがあります。楽しみでしょうがなかったみたいで、卒論そっちのけでここ2・3日常に頭の中には焼肉とキムチでいっぱいでした。卒論のほうはと言いますと、一昨日から卒論を書く手が止まったままで、3分の1も書けていない状態で停止しております。自分なりに努力をしなんとか書こうと思ってパソコンの前に座るものの、こっちの日記を更新する作業に走ってしまいがちです。

 大学4年間で学んできたもののまとめが卒論らしいけれど、私はそうは思わないねー。4年間学んできたことは、人間でいうならば第2次成長期の期間で、学問の総括なんかじゃなくて出発ですよ。だから、卒論なんて書く暇があったらもっと他のことに時間を費やすべきだわ。たとえば、私のように中学生からの付き合いがある友人と韓国料理を食べながら人生について語り合うとか!来年、2009年がそんな言い訳の通じる年になってほしいものです。

 

 昨日、お友達に誘われて浜松町で開催されたスーパージャンクショーという骨董市へ行ってきた。主にアメリカのヴィンテージ雑貨や衣料品を販売する店が終結した骨董市だった。私はアメリカ製よりもヨーロッパ製のアンティーク雑貨や衣料品の方が私は好きなので、せいぜいリボンとボタンを買ってお終いだろうと考えていた。が、しかし!会場入りして1分でアメリカ製の古いタバコの缶を購入してしまう、まさかの事態が生じたのであった。

 ジャンクショーには、やはりファイアーキングの食器が沢山売っていた。マグカップ1つでも2千円から1万円近くするものがあり、相場だったり本物と偽物の見分け方がいまいち私には解らなかった。それなのに、絶対に買うまいと思っていたファイアーキングの食器を数点即決購入してしまう。1つめは、白地に“わたくしの印”と決めている赤いバラのイラストが入った、プレートとコップのセット。もう1点は、白地にホップのイラストが入った小皿を2枚。このホップ柄の食器に関しては、そういえば姉が集めていたような気したなぁとプレゼントに決定。

 他、シールとハンコ、リボンを買っておしまい。本当のところ、ホウロウの鍋や釣り竿、カメラなどなど、道具類が欲しくてしょうがなかったが、物の置き場所を考え買うのを諦める。お友達はタミーちゃん人形を思い切った値段で買っていた。びっくりするほど高額な人形だったが、観ていると自分までかわいこちゃんになれる気がして、買って悔いは無いだろうなと思った。

 と、めちゃくちゃはしゃいでしまった一日だった。そこそこお金を稼げればいいかな、と思うときもあるが、善い物を目の前にすると購買欲が騒ぎ出し、お金を稼いであれもこれも欲しいよーっと思ってしまい、それが人間てものなんだと感じた。人間には、誰かの為自分の為って意外に、あれもこれも手に入れたいっ!!ていう感情もあるからこそ我慢して労働に勤しむことができるのかなー、と思った。購買欲ってもんは、人間が社会で生きていくのに必要な意識で、ある意味では社会で生きていかなければいけないという足枷なのかもしれませんね。なんとなーく。

 逃避行する!といっても、今回ばかりは目の前の課題から逃れられっこないわけで。何がそんなに重荷になっているかって?それはもう、あと3ヶ月で大学卒業を控える人にとってはあれしかないでしょ。ええ、ええ、それです。そのとおりです、卒論です。

 今日は今年最後となるペットボトルの回収日、でしたので早起きしてゴミ置き場へ持って行く。コーヒーを入れてバナナを食べて、テレビをつけるとフジコ・ヘミングが繊細且つ重厚にピアノを弾いていた。ゆったりとした朝がなんだかうれしくて、そんなちっぽけなことなのに、今日一日充実しそうな予感がした。ついでに卒論も上手くいきそうな。

 お外は太陽が昇り、気持ちのよい師走の朝です。今日も一日、ぼちぼちがんばろう。

 先日、実家へ帰省した。今回は3ヶ月ぶりに地元へ戻ったのだけども、たった3ヶ月間しか経っていないのに、近所の道路の拡張工事が済まされ、我が家のパソコンやらコンロやらの電化製品がリニューアルされ、そして何より驚いたのが自分の体重が6キロ減っていたという、びっくり出来事の数々があった。

 “3”という数は何かと物事の目安にされる数字みたいだ。現代だと、転職するタイミングは就職してから3年間経った後がベストらしく、童話の世界だと、浦島太郎は3年間竜宮城で楽しく暮らした後、陸の世界へ戻るとそこは浦島太郎が居た世界の300年後だったと。あ、あの世界のナベアツだって3の倍数で馬鹿売れしたし。こんなふうに、“3”には何かがあるみたいよ。

 何はともあれ、体重が減っていたことが今年最大のクリスマスプレゼントだわなー、と思いました。このまま順調に体の贅肉皮下脂肪をやっつけるため、今日からバナナダイエットであります。


私が16歳か17歳のころ、わかっていたのは、一つのことだけでした。学校での生活が、外部からの脅威や政治から守ってくれる環境だったのです。勉学の環境のなかに、知的な環境のなかに保護されて生きているという考えに私はいつも夢中になりました。私にとって、「知識」とは、個人の存在を守るべく役にたつものであり、また外部の世界を理解させてくれるものなのです。私はそう思っています。「知識」とは、物事を理解することで、生きてゆくための手段となるものなのです。(桜井哲夫「フーコー知と権力」講談社1996年から「エスト誌」インタビュー)



 このフーコーさんの言っていることが、痛いほど解る今日この頃。ああ、私はこのままどうなっていくのか、22歳のわたしよ。大学という空間に守られ大学生という肩書きが与えられ、その場から離れ外部の世界で生きていくことがどんだけ大変なものかという、とても余計でとても必要な「知識」までもわたしは得てしまったのです。そんな「知識」が本当に生きてゆくための手段となるのか、わたしはフーコーさんの主張には反対します。習得した「知識」によって物事を考える力が増した結果、それが物事を実行するにあたっての妨げとなってしまう原因の1つとなる、そう思うんです。あれま、なんだか説得力に欠けてしまいました。

 あと20日で卒論提出だっつうのに、レポートが2・3個のこってるっつうに。こんな独り言をつらつらと書いている暇があったらやるべき事をやっておしまいなさい、とマリア様がおしゃっております。

 いや、私はクリスチャンではないんだけどね、前世が修道女だった気がするんです。ヒッピーみたいな欧米人と日本人の女性がやっている雑貨屋で、この前マリア様×イエスのシールを購入しました。ある人がヨーロッパの街を貫くキリスト教版お遍路をしたいと聞いた瞬間、もしやこれはこの人と一緒にそこへ行く運命なのかも、と勝手な想像をしてしまいました。それからそれから、友人に私の前世は修道女か宗教関係だったと思うんだよねと話すと、うんうん、そんな感じがする、というような返答が必ずあるんです。だからそう思うんです、なんとなく。

 ということで、今から雑念を取り去り、ポート作成へと勤しみます。


 


 

 めでたく今日で22歳になりました。本当にめでたいのか疑問に思うところもありますが、22歳になりました。

 去年までは、とにかく誰でもいいから「おめでとう」と言われたかったけれども、今年はそうでもありません。先日、友人と食事をしているときに手帳を取り出して予定の確認をしていたときの事、12日に印がついているのを見つけ何の用事を入れたのかさっぱり思い出せず、友人に「12日に予定を入れたはずなんだけど何を入れたのか忘れちゃったんだよねー」と話したら「あんたの誕生日だよ!」という思ってもいなかった返答をされ、すさまじい衝撃を受けました。やばいなぁと。

 私は無意識のうちに22歳になることを避けていたのだと思います。22歳なんて大した歳でもないのだけれど、30歳まであと8年だと考えると気分が重くなってきます。憂鬱にさせる原因には、8年間で思うように生きれるかという不安があり、月日の速さを何処まで超えられるかという焦りがあります。「未来は過去を修正するものだ」なんて考えてられないくらい、これからの私の8年間は突っ走ていかなければならない8年間にさせるのだと、心に決めているのです。

 私に「おめでとう」といってくれた人たちへ、「ありがとう」。この言葉は私の中にある感謝を伝える言葉の中で一番価値のある言葉です。ありがとう。

 ここのところ疲れてるみたい、自分。めったに寝坊なんてないのに寝坊するし、シューカツ説明会に遅刻し辞退したし、そしてそして貴重品を紛失さよなら。もー、なんだか貴重品を拾った誰かが私に成りすまして生活していたらどうしようって考えたら胃が痛くなってきた。

 さっきテレビでタワレコミニが出来たというニュースをやっていて、お客さんが「時間つぶしにはいいかも」って言っとった。私も時間をつぶすってたまに使うけど、つぶすってなんなんでしょうね。つぶすってマイナスな表現ですよね。なんかもったいない感がするんだわモッタイナイスピリッツニッポンジンとしてはさ。日没が早くなったせいもあるのかなー。

 11月が終わるんだよ!卒業まであと少ししかないから、やることやんなきゃ。だるいのがまんしてぼけーっとするのもがまんして、密度の濃い日々を時間をうめていかなければっ。