先日シューカツがあって、私の前に座った女の子がずっときょろきょろしたりでっかい鏡を出して化粧したりかなり目障りだった。私が永田洋子だったら速攻総括させているだろうなぁ、なんてしょうもない空想をしながらその日は終わった。結果は自己批判。
就職活動を地道に続けている。最近というか毎回、試験中や面接中になると『私このまま働くのかな?うわぁ、働きたくねぇー』といった心の奥底からおっきいぼやきが聞こえてきてしまい、それでもなんとか『だめだめ、働きたくてここまできたんでしょ』といったように葛藤をし気持ちを抑えつけている。
今日、「宗教とは人間にとって受け入れがたい死を受け入れるためにある」と教授が言っていた。人間にとっての受け入れがたいモノって「死」よりも「生きていくこと」じゃないのかなーと最近思う。他人の死は別として、個人の死なんてものは来てしまったらその時はその時でしょ。私は生と死の間にある「生きている時間」のほうがよっぽどおっかない。だって死ぬまで生きないといけないんだから。人間の義務ってのは人権の尊重や自由平等なんかじゃなくって、「生きていくこと」なんだよね、多分。社会の一員として誕生した以上、みんながみんな勝手気ままに生きることを放棄する=自殺していったら社会が成り立っていかないし。自殺したいって訳じゃないけど、「生きていく」というか「生きなければならない」束縛が「生きるもの全てに死が訪れる」ことよりもよっぽど恐怖だわ。
生死についてうんぬんかんぬん考えてたら、シューカツに成功した(内定もらった)人たちは本当に幸せなのかなーとか、街を歩いている金持ちそうな奥様たちは本当に幸せなのかなーとか、くだらないことで頭がいっぱいになった。そしたらなんだかシューカツせんでもええじゃないかって思ってしまった、いかんな。
今日はこんなことを書いたけど、新左翼じゃないしカルト教徒でもないしアナーキストでもないし、ごく普通の女の子ですので。