人生をアートで埋める -5ページ目

罪と罰

亀山郁夫による新訳で、ドストエフスキーの「罪と罰」全3巻(光文社古典新訳文庫)を読んだ。「罪と罰」を読むのは2回目か3回目なのだが、どちらにしても前回読んだのは10年以上前の話で、大まかなストーリーは把握していたものの、細かいディテールは完全に忘れていて、初読のように楽しめた。
前回読んだ時はぼくも20代前半だったので、どうしても主人公のラスコーリニコフに共感したものだが、今回読んでかなり印象が変わった。どちらかというと、マラメラードフやスヴィドリガイノフといった、脇役のどうしようもない中年オヤジたちに魅力を感じた。
それにしても、この小説は面白い。個性豊かな登場人物の造形力もすごいが、様々な見せ場があり、中でもラスコーリニコフがヒロインのソーニャに自分の犯した罪を告白する場面や、自首する前に母親と交わす会話などは、涙なしには読めない。この小説はミステリ小説的な要素が多分にあるわけだが、実は恋愛小説であり、メロドラマなのだな、と改めて感じた。本当に面白かった。
亀山郁夫の訳は非常に読み易く、新たな魅力を引き出している。
photo:01




iPhoneからの投稿

大阪の夜2

大阪での仕事が続いている。内容としては良くない。来客が少なく退屈な時間が流れている。
2日目の夜は、関西の現代美術系のギャラリーに勤務している年上の方と飲みに行った。彼の行き着けの居酒屋で絶品の魚料理を堪能した。焼酎と日本酒を飲み、いい気分だった。彼は美術に対して見識も深く、とにかくよく知っている。仕事ができる人、というのはこういう人をいうのだな、と思う。ぼくもがんばらなければ。今回の出張で唯一、有意義な時間だった。



iPhoneからの投稿

大阪の夜

出張で大阪に来ている。二泊三日の仕事だ。今日は展覧会の展示作業、明日からは販売として二日間、店頭に立つことになる。
夜に展示を終え、ホテルに入った。近所で食事をしたあと、書店でいつも買っている雑誌を買い、ホテルに戻った。BS放送で「刑事コロンボ」を観ながらビールを飲んだ。一人静かな夜。


photo:01

iPhoneからの投稿

36歳になった夜

36歳になった。
35歳という年齢は自分にとってとても大きな意味を持つと思っていた。『35歳のリアル』などという本を買ってみたりもした。そこには、それこそリアルなことが書いてあったが、パラパラとめくって放り投げた。「35歳転職限界説」という言葉も知った。思わず笑ってしまった。35歳以上の転職は厳しいものになるらしい。ああ、そうか。なるほどね。日々は流れていくが、錆びつくのをただ待っているわけではない。
36歳。それなりの年齢だ。何か結果を出していなくてはならない年齢だろう。
たとえばドストエフスキーは36歳の時、何をしていたのか?ピカソは?手塚治虫は?ヘンリー・ミラーは?アンディ・ウォーホルは?真崎守は?ボブ・ディランは?
ぼくは何をやっているのだろう。そう考え始めると憂鬱にもなってくるが、いろいろとやってきたじゃないか、ともう一人のぼくが言う。
自分を好きになること。なりたい自分に、今、なること。それ以外に人生の意味なんてない。
ぼくが敬愛する作家の山川健一のブログに次のような文章を見つけた。

「十代の頃の決意が本気だったんだということを証明するために、のこりの人生があるんだと思うよ。」

まったくそのとおりだ、と思った。十代の頃、わずかだが確かなものに出会い、その確かなものを信じ、一つの決意をした。それは端的に言ってしまえば、かっこよく生きたい、ということではなかったか。
かっこよく生きる。馬鹿みたいだが、別に誰にどう思われてもいい。かっこいい36歳になってやる。

ふと書棚から手にとった本。秋山駿の『舖石の思想』(講談社文芸文庫)をめくると、こんな記述に出会った。

「このノートを決して手放すな。白い紙を前に、ただ緊張して待っているその時間を失ってから、お前の堕落はひどいものだった。」

ぼくは堕落していた。生温い現実に心を奪われ過ぎていた。日々の仕事に追われ、自分の本当にやるべきことを見失っていた。
真っ白い紙、それは未来だ。緊張し、煩悶し、鬱屈し、歓喜し、陶酔し、これからの自分を描いていきたい。
ぼくという人間は、きっともっとすごいはず。と言い聞かせて、がんばります。

バリ島のことなど

・4月17日から22日まで、妻とバリ島に旅行に行ってきた。今年に入ってから、4月の上旬まで仕事でほとんど休みのない状況だった。仕事がとりあえずひと区切りついた段階で、思いきって休みをとって行ってきた。バリ島ではシュノーケリングやシーウォーキング、その他マリンスポーツを堪能した。ゾウの背中に乗って公園を歩き回り、ゾウと戯れたりした(ぼくが世界で一番好きな動物はゾウなので、これにはとても感激した)。多少観光地を巡ったり、マッサージを受けたりと、なかなか充実した日々を送ることができた。食べ物もおいしかった。現地の代表的なビール、ビンタンビールを飲みまくった。楽しかった。バリ島には、街のあらゆる場所に仏像や神話をモチーフとした石像などがあり、それらを売る店も多数あった。島のあらゆるところに神がいる、という印象。神秘的で面白かった。ぜひまた行きたいと思っている。

・原寮という作家の作品を続けて読んだ。(原寮。この「寮」という字は間違っていて、正確にはウ冠のない字なのだが、その字がコンピューターで印字されないので便宜上「寮」という字にさせていただく。)デビュー作となった『そして夜は蘇る』(ハヤカワ文庫。以下すべて同)、直木賞を受賞したという『私が殺した少女』、短編集『天使たちの探偵』、大著『さらば長き眠り』、最新作となる『愚か者死すべし』の5冊を一気に読み、『ミステリオーソ』『ハードボイルド』という2冊のエッセイ集も読んだ。ジャンルでいえば、ミステリ小説もしくはハードボイルド小説ということになる。こういうジャンルの小説というのはあまり読んだことがないのだが、珍しく夢中になって読んでしまった。変にセンチメンタリズムに流されることなく、クールな文体に魅力を感じる。著者は大変寡作で、数年に1冊のペースで長編小説を発表しているようだ。早く新刊が出ないか、待ち遠しい。

・同じく広瀬正の本も読んだ。代表作『マイナス・ゼロ』を皮切りに『ツィス』『エロス』『T型フォード殺人事件』(いずれも集英社文庫)と4冊読んだ。集英社文庫から全集と称してあと2冊出ているのでそれも読んでしまいたいと考えている。ジャンルでいえばSF小説やミステリ物だが、文体は非常にのんびりしていてどこかユーモラスだ。しかし、ラストに向かっていつもドキリとする展開が用意されていて、そこでガラッと印象が変わる。その瞬間こそがまさに読書の醍醐味で、小説のもつ根本的な楽しさを教えてくれる小説である。

・携帯電話を、iPhoneに変えた。ぼくはもともとアップルファンで、10年前に初めてiMacを買って以来それは一貫している。といっても、それほど熱心なユーザーでもないのだが、とにかくアップルという会社には信頼を寄せていて、iPodももちろん愛用している。たまたま携帯電話もJ-PHONEから引き続いてソフトバンクだったので、無理なくiPhoneに乗り換えることができた。iPhoneにしても、話題のiPadにしても、アップルの製品には何かワクワクさせるような雰囲気がある。機能性そのものよりも、インターフェイスを含めて、商品としてものすごく魅力的で、何かこれからとてつもなく面白いことが起きるんじゃないか、という気持ちにさせてくれる気がする。iPhoneも、携帯電話という枠を超えて、自分の相棒のような可愛らしさや親密感を煽るところがある。また一つ生活が楽しくなった、というのが今のぼくのiPhoneへの感想だ。