個人的な見方として、私は高市など我が国の右派とアメリカのディープ・ステート、韓国の統一教会は根は同じだと思っていて、どれも1960年代あたりに起源を持っていて、その行動原理は「実際の働き以上の待遇を求める」だと見立てている。

 もっとも、ディープ・ステートというのは選挙によらずに行政に影響力を持つ官僚組織の集合意識という話も聞くし、財界などと結びついた官産複合体とも聞く。租税の額は決まっているので、連中の発想はここでも同じで、「分け前をよこせ」である。租税は国内経済の一部分だが、パイを大きくしようとはついぞ考えない。

 アベノミクスというのも、実態はこれではないかと思える節もある。それまでの日本は輸出立国で、製品を輸出し、外貨で稼いだ金を円に換金して国内の貸借対照表に計上するという、しち面倒臭い処理を行っていた。原材料の支払いや従業員らの給料もそこから出たので資金需要は旺盛で、円はすごく高かった。

 しかし、いつの日からか、たぶん2000年頃に誰かが気づいた。海外で稼いだ金は国内に持ち込まずに、現地で配分すれば良いということを。80年代の日米構造協議をはじめ、先行する例はあまたあった。

 アベノミクスが異なったのは、この内外の収益格差に色を付け、一定の線引きをしたことではなかっただろうか。ありていにいえば、輸出をしてドルで決済する優良企業とそれ以外の企業を類別し、前者を囲い込んで優遇する、そういった政策だったように思われる。かくして円は下がり、国内産業は沈滞し、格差は拡がって市井には貧乏人が溢れることとなった。これは予測可能な事態だったが、優良企業のクラスターとそれ以外の世界は別世界で、実は彼らだけでない、資本主義の弛緩で、世界中で同じような動きが起きていた。アベノミクスは、実はそれほど独創的でも無かったとも思えるのである。

 ここでも言えることは「実際の働き以上の待遇」である。輸出企業に勤務した定年退職者の面倒を見るのは、彼らによってババばかり引かされていた国内経済とその社会である。企業の国外活動に課税しない限り、収支がマイナスになるのは当たり前で、そういった仕組みをねじ込んでいることが不当なのである。彼らの既得権のため、「クラブ」にいない層はそれだけでありとあらゆる不自由を味わされ、不公平な待遇を受ける。

 そして最も富裕な層は報酬を円ではなくドルで受け取る。政治家への報奨もそうだし、政治資金収支報告書などこの状況では紙ペラにすぎないだろう。しかしこれは、彼らが二重経済を創出しなかったら起き得なかったはずのことなのである。

 個人的な見方によれば、これは泥棒に等しい、と、思っている。問題なのは、こういった行為を容認する国民の怒りのレベルが全然足りないことである。およそ30年の長きに渡って、この国の国民は官僚と財界、そして自民党の政治家が結託したこの略奪行為を黙認してきた。

 何千万人もいる就職氷河期の人々が着の身着のまま、何十年もその日暮らしの生活に甘んじなければならなかったのは、彼らの努力が足りなかったからではなく、世界的な経済危機を口実に、彼らが非常に大規模なレベルの追い剥ぎに遭ったからである。どんな金持ちだって強盗に襲われれば身ぐるみ剥がれるのは当たり前だ。

 そして当時において、切り捨てや格差を容認する発想の根底にあったのが、「カルネアデスの板」であり、このささやかな利得感覚であった。働かないけど前職程度の待遇は欲しいという小さな欲望。転職が頻繁なアメリカと違い、キャリア・システムでは日本では機能しないのだ。前職同等の収益手段がないなら、彼の要求は不当要求だが、それまでは通す手段がなかった。

 「いや、それはない」というなら、過去を探ってみることをお勧めする。それが自然科学・あるいは社会科学的に経済社会の必然で、起こるべくして起こったことというなら、私が上で書いたことは間違いであり、私は間違いを正す必要があるだろう。

 しかし、私には確信があるのである。調べさえすれば、過去のある時期に、良心の衣をかなぐり捨て、スイッチを押した人間がいたことを見つけることができるということを。

 それにしても、と、思う。物価高や生活苦は今や世界的な現象だが、人々のこの静けさはどうだろう。ドナルド・トランプの政策は明らかに経済の混乱を招いているし、ウクライナ戦争は物価高の直接の原因だ。にも関わらず、誰も怒らず、誰も不当さを感じず、安っぽい右翼プロパガンダで納得し、生活の劣化を受け容れているのだから、国民というのはマゾの集団か、脳の一部が壊れていてある種の感覚が鈍麻しているのか、私には理解しがたいことである。

 

ホルスト・ヴェッセル

 

 右派活動家のチャーリー・カークがユタ州の大学で銃撃されて死亡したが、事件は「まるでホルスト・ヴェッセルみたいだな」と、トランプ政権とヒトラー政権の類似性を感じさせる不吉な経過を辿った。

 そもそも右派の一活動家にすぎない人物の棺を副大統領が担いで専用機に乗せ、何の奉職も国家への貢献もない人物に大統領が自由勲章を贈るなど、アメリカはどこまで安っぽく腐った国になっていくのだろうか。

 諸般の状況を見るに、この事件はおそらく当局のみでは犯人の逮捕は難しかったはずである。遺留品は少なく、映像記録も不鮮明だった。逮捕は犯行を疑った被疑者家族の告発によるものである。もし彼らが犯人隠避を決意したなら、逮捕はずっと先か、おそらく不可能だったと思われる。

 

※ 日本でもそうなのだが、警察が同じ映像を何度も使いまわしたり、犯人の着用していたシャツのメーカーとか靴紐の色だとか細かいことを言い始めたら、大方において捜査は行き詰まっていることが多い。

 タイラー・ロビンソンが逮捕されるまでの二日間は、大統領を筆頭に要人の発言は当て推量と左派および民主党、あるいはLGBTQへの当てこすりのやり放題だった。この点で、いわゆるMAGAのシンパとされるロビンソン家はアメリカのナチ化を押し留めるのに決定的な役割を果たしたことになるが、もちろん彼らはそう思って息子を告発したわけではない。ユタ州の知事は「犯人は死刑」と公言し、無罪推定の原則がMAGAの世界では機能しないことを示した。

 結局犯人は少し右派的傾向を持つ頭の良い22歳の青年でゲームで身を持ち崩して大学をドロップアウトし、電気工事士の大学に通っている学生だと分かった。問題は左派やLGBTQよりもロビンソン家の教育にありそうである。

容疑者とされるタイラー・ロビンソン

 ただ、この家族については私も一言言いたいことがある。私が父親だったら、この状況で息子は絶対に売らないだろうからだ。ただ、自首するよう説得はすると思う。

 たぶん、と、思うのだが、息子は確かに社会不適合者だが、父親の方は知力ではおそらく息子に追い越されかけていたのではないだろうか。だからといって何が変わるものでもないが、父となった男性にとって、負けを認めることは結構複雑な心境である。アッサリ認めることができる父もいるが、そうでない父もいる。前者の父ならおそらく息子は売らない。

 事件直前のカークの主張についての家族の議論は、おそらくタイラーには満足行くようなものではなかった。息子はカークに潜在する危険性を鋭く見抜き、排除を主張したが、それを包摂しうる語彙と論理と説得性を父は持たなかった。あるいは、かなり前からそうだったのかもしれない。

 こういう分析は国家にとっては些細なことだが、教育科学の知見としては探求の余地のあるものである。なので、とりあえず書いておく。

 事件については、真相は二日で明らかになり、これ以上掘り下げようもない感じである。が、ナチ党員でチンピラ同士のケンカで命を落としたホルスト・ヴェッセルの死が準国歌(ホルスト・ヴェツセル・リード:現在のドイツでは演奏禁止)となったり、通りの名や師団や航空団の名として人口に膾炙して、ナチスの戦争を象徴する存在となったように、この事件がどう扱われるかは、今少し注視の必要がある。

 たぶんそう思っていた者は誰もいないが、カークの死は民主党にやらしい誕生日カードを公開され、卑わいな「キミとボクのヒ・ミ・ツ」が文句としてあり、陰毛の位置に書かれたトランプのゲジゲジサインも相まって、後は現場写真を押さえるだけになっていたエプスタイン事件の隠れ蓑になったことはある。



 これに対する応対は、民主党の面子は少なくともトランプ陣営よりは本は読んでいるだろうから、ホルスト・ヴェッセルくらい知っているだろう。ヴェッセル事件は死んだ党員を殉教者として祭り上げようとしたナチ党に共産党がムキになって反発したことから影響が拡大した。90年後も同じ手に乗るこたあない。

 無視がいちばんであり、せいぜい「暴力は良くない」程度のコメントにとどめておき、細部には関心を示さず、挑発には乗らない方が賢明だろう。この事件については、私もこれくらいにしておく。
 

 先に我が国における太陽光発電について一覧したけれども、我が国ではFIT(固定価格買取)制度が縮小し、自家用については落ち着いてきているが、工場やメガソーラなど企業規模のものは増えているという印象である。全般としては系統電力よりも自家消費に誘導しているようで、太陽光発電はイニシャルコストの高さ(およそ300万円)もあり、家庭用は魅力のある選択肢ではなくなっている。

※ 系統電力とは送電網に繋ぐこと、我が国では「系統蓄電池」というコンデンサ込みのものに置き換えられているが、諸外国の用法とは違う。

 ウクライナでは真逆の事情があり、太陽光発電はむしろ分散型が推奨されている。現在、ウクライナの電力の20%が再生可能エネルギーによるものであるが、太陽光発電はその多くを占め、2024年度は13GWhを昼間電力として輸出した実績がある。ウクライナでは昼間は太陽光を中心に発電した電力を輸出し、夜は電力を輸入するという運用が定式化している。



※ 戦前のウクライナは自家消費が中心で、系統接続された太陽光発電は1GWに満たず、SolarGapなど廉価な家庭用で、自家消費向けの商品がリリースされていた。これは太陽光を自動追尾するパネル付きのブラインドである。

 もっとも、ロシアの侵攻で主要なメガソーラや風力発電所は軒並み破壊され、戦前からあった装置は壊滅していることがある。火力、原子力も攻撃され、火力発電所などは虫の息である。なので、輸出に充てられている電力はほとんどが開戦後に設置された新電力(太陽光及び風力、バイオ発電)で、太陽光で分散型が推奨されている理由は戦争による。公的資金はほとんど投入されておらず、EUによるウクライナ支援の枠組みである復興会議でも議題に上っていない。

 

※ 他のエネルギーのような具体的な計画や予算がないというだけで、言及していないわけではない。



 このことはこのエネルギーの普及につき示唆を与えているように見える。こういったものを議論する場合、先に挙げた小川淳也氏の著書にあるように、国が音頭を取り、大規模な投資をして大型施設を建設するというのが一定のパターンである。おおよそ3キロ四方の太陽光で原発1基分の電力を生み出すことができ、メガソーラの多くも沿海地域やゴルフ場の跡地を利用した数平方キロの規模である。それはそれで有意義であるが、中国資本など外資に牛耳られたり、恩恵を受ける企業が限られるなどの問題がある。

※ 小川氏は元大蔵官僚なので、提案も国や第三セクター主導を念頭に置いているようである。ウクライナも同様であったが、戦争により機能しなくなってしまった。

 ウクライナの場合はファシリティの自己資金要件(100万ユーロ)があり、太陽光発電を扱う業者の多くが入札から締め出されていることがある。昨年の報告書を読むと、EUはウクライナの中小企業支援や再生可能エネルギーに関心を持ってはいるが、実際に融資されたのはウクライナ国鉄のガス発電1.8億ユーロやウクルナフタ石油会社の非常用ガソリン発電2億ユーロ、ドイツのゴールドベルク社の大型太陽光プロジェクト(500MW)といったものであり、大企業や外資に偏していることは否定できない。

 太陽光も全く無視されているというわけではなく、送電会社ウクルネルゴへの1.5億ユーロは変動発電である太陽光発電に照応した送電網の強化が盛り込まれており、事実として太陽光を含む電力が輸出されている以上、送電網に与えるダメージについては、その手当はしているといった様子である。太陽光発電が送電網を撹乱することについては戦前にすでに指摘があり、我が国の場合も系統電力への接続を求める要望は相当量あるが、実際に接続されたのは620MWと、要望された240,000MWの0.2%しかないことがある。

※ 太陽光発電の場合は稼働効率という概念があり、見た目のワット数は大きくても、実用できる数字はかなり小さい。上記の数字も環境省の書面では6.2GWと2,000GWとなっているが、表記の統一のため、こちらで修正した。

※ 系統接続についてはウクライナでも業者が大量参入した時に送電網への負荷が問題化したことがあり、報告によるとその影響は「壊滅的」という話である。


 要するにウクライナでは、政府が資金援助をほとんどしていないにも関わらず、民需主導で太陽光発電は増え続け、政府も国民もそのメリットを享受していることがある。戦時中なので正確なデータは伏せられているが、多くは一般家庭の売電によるものと思われる。

 適切な枠組みがないため、政府を通したEUの資金はガス発電など見当外れなものに投資されており、有効性が限られる上に、民間経済への寄与はほとんどなく、外資や大企業に利ざやを搾取されているといった構造があり、これは先月のキーウやハリコフでのデモの遠因になったものである。

 太陽光発電については小川氏以外にも様々な意見が聞かれるが、やはりハードウェアの本質を無視はできない。発電効率はその仕組みから家庭用もメガソーラも効率に大差はない。また、メガソーラは大面積を要することで自然破壊をもたらすことがあり、有事の際には格別に脆いことは、緒戦でロシア軍がメガソーラを率先して破壊したウクライナ戦役で明らかになったことである。

 彼らは一見愚鈍なように見えるが、こういうインフラについては念入りに調べ上げ、執拗に攻撃したことがある。今でも老人ホームや幼稚園、マンションを攻撃しているのはテロだけが理由ではないだろう。が、これでも一般家屋に設置された太陽光パネルを根絶するには至らないのである。ミサイルやドローンを投入するにはこれらの目標は小さすぎ、価値が低すぎることがある。

 昼間電力を太陽光で補完する場合、我が国では各々50平米のパネルを屋根に取り付けた場合は400万戸もあれば十分という試算もできる。ウクライナでも同様の試算が行われているが、計算上は同国のエネルギー需要を十分に賄えるものである。

※ 我が国の戸建て住宅の戸数はおおよそ3,300万戸。

 なお、夜間は稼働できないという性質上、太陽光のみで全ての電力を賄うことは現実的ではない。多くて30%程度が限界であり、残りの70%は原子力と水力、10%は火力発電とし、電力ピーク時に需要を賄う(110%)のが現実的であるが、ウクライナの例を見ると、太陽光に関してはどうもトップダウン型では上手く行かず、一般家庭を巻き込んだボトムアップ型(50kw以下)の推進が、このエネルギーの本来の姿であるように見える。

 

※ 現実的には基幹電力として原子力30%、水力40%、昼間電力として太陽光など再生可能エネルギー30%、火力10%くらいが座りの良い線である。太陽光発電の電力を揚水電力に用いれば、揚水発電を増やして原子力への依存度は減らせる可能性がある。また、環境省との関連でほとんど利用されていない地熱エネルギー、波力エネルギーも見当の余地のあるものである。

 

※ 原子力は現行3基の新設計画を8基とし、40~42基の稼働が望ましい。現在稼働可能な原子炉は33基。

 

※ 現在は火力発電が約70%、原子力と水力が各々8%ほど。

 

 定期的に更新しているYahooニュースの禁則リストだが、今月までの禁則ワードは以下。

 

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与沢翼

 

合計181ワード

 

 先にも述べた通り、これで困ることは全く無いし、偏っているとも感じていない。ヤフーのニュースフィードは想像しているよりずっと大規模なもので、これだけ排除しても情報の受け手に対する影響はほとんどないものになっているが、私としては不快な表現や話題はできるだけ排除したいことがある。

 

 

 先に紹介した小川淳也氏の本は再生可能エネルギー(特に太陽光)についてかなりの頁数が割かれていたが、再生可能、特に太陽光パネルの扱いについてはどこも色々あるみたいである。

 まず、前提として、各々の発電施設の1kwhあたりの発電コストを例示すると以下のようになる。

 原子力発電(送電コスト込み) 約20円
 火力発電(同上) 約30円
 水力発電(同上) 約30円
 太陽光発電(送電コストなし) 約10円


 送電コストは概ね数円程度とされているが、太陽光発電の場合は日本でも30%以上の自家使用が前提であり、パネル設置費用以外は支出項目がないので、1kwh/10円という数字は、現在の設備を前提にしても割と受け容れられる数字としてあることがある。

※ 設置費用300万円、パワコン交換費用30万円、その他保守費用28万円とし、30年間の総発電量を36万kwhとして計算。

 現在開発中のペロブスカイト太陽電池の変換効率は現用シリコン電池の1.5~2倍のため、上記の発電コストはさらに下がることが予想され、これに送電コストを加えても、電力コストは現在最廉の原子力を大きく凌ぐことがある。

 なので、太陽光発電が原子力など他の発電方法に比べ発電コストで劣位にあるとは言い難いのだが、現在の我が国の電力料金の基準は31円/kwhで、これに再エネ賦課金を足した33円/kwhほどが請求され、諸々の発電方法を合算した発電コストは26円/kwhほどである。差額の7円は事務処理経費で、電力会社の社員はおよそ16万人なので、一人あたりの額はおよそ4千万円である。



 ここで夜間発電用として原子力発電と大規模水力発電の比率を50%に、残りを太陽光発電に置き換えたとすると、発電コストは15円/kwhになり、合理的根拠のない再エネ賦課金を廃止したとすると、電力料金は20円/kwhとなり、これは現在の60%で、コストはずいぶん下がることになる。

 と、ここまで書いていたがくたびれてしまった。まとめると以下の通り。

① 太陽光発電のコストは現用のどの発電所にも劣らない。むしろ低コスト。
② 従って、「再エネ賦課金」には賦課する根拠がない。
③ 賦課金がなくても、現状で20円/kwhくらいの売電料は十分賄える。
④ さらなる性能向上の余地があり、発電コストは今後ますます下がる


 平たく見ても上の線は固いと思うが、設置の状況を見るともう少し言えることもある。

 例えば売電の条件として電力会社から義務付けられ、12Vの直流を107Vの交流に変換するパワーコンディショナー(インバータ)は15年ごとの交換が義務的経費(30~40万円)としてあるが、回路図を見ると自家使用のみならば寿命はもう少し伸ばせるだろうし、変換効率の低下に目をつぶれば、交換せずにパネルの寿命(30年)まで使いおおせるようにも見える。

※ 「義務的~」と書くのは、この装置の価格が平均的な性能の同種品に比べかなり高いからである。

 10kwの太陽光発電設備の場合、家庭での消費電力はその半分程度である。無理をさせなければインバータの主要部品である誘導コイルの負荷も減り、結果的に長持ちすることもある。冷蔵庫など良い例だ。

※ 冷蔵庫の場合は家庭用は開閉頻度が低く、庫内も一定温度に保たれ、業務用に比べ実際の使用に余裕があることもあるように思う。

 もちろん自家使用よりは売電した方がいくらかの収入が得られるため、設置費用の回収という点でもそちらの方が望ましいが、電力品質の担保は設置者ではなく、むしろ電力会社が負担すべきコストである。購入した電力に発電コストの2倍の手数料を上乗せして販売している実情を見れば、インバータの交換を設置者に負担させることはただ乗りといえ、売電を前提にするならインバータ交換費用と契約期間中の保守費用は電力会社が負担するよう制度を改正すべきである。

 こうすると、360万円の設置・運用コストは300万円に下げることができるが、残るパネルの費用も高すぎといえば高すぎである。諸外国の例を見ても10kwの設備は150万円くらいが適正価格である。

⑤ 設備費用については設置費用、保守費用とも下げる余地がある。
⑥ 保守費用の費用分担の現状は不適切であり、優越的地位の濫用である。


 近年の再生可能エネルギー(太陽光パネル)や電気自動車を巡る議論は一見して分かりにくいものが多く、どうも余分な経費を上積みされているような歯切れの悪さがある。ウクライナでも事情は同じであるが、議論の前に、今回はまず前提となる事実を確認しておきたい。


(補記)

 上図は太陽光パネルのパワーコンディショナー(パワコン)の回路図だが、見ての通りソリッドステート回路で、寿命がありそうなものは昇圧を担当する誘導コイルくらいである。これはエナメル線でできた芯に銅線を巻いてはんだ付けしたもので、寿命は概ね20年程度だが、設置条件や使用状況によりかなりの差があるものである。電力会社では15年で交換を推奨しているが、これは安全率を考慮したものといえ、必ずしもこの時間で破損するものでもない。が、パワコンの焼損は太陽光パネルの事故の3分の2を占め、NITEでも注意を促しているものである。

※ 回路図にはコンデンサもあるが、これは電解コンデンサのように寿命が短いものもあればフィルムコンデンサのように寿命がないものもあり、またコンデンサ自体の製造品質もあるので一概には言えない。

 が、構造的にはコイルを交換すれば回路は再使用が可能で、交換の仕方は様々だが、回収した古いパワコンを補修、あるいはレストアして再販売することは十分成り立つ。回収作業を定期的に行い、レストア工場を作って再生することは個人より企業に向いた仕事であり、この点でもパネルの保守管理は電力会社が費用を負担することについては一定の合理性があることになる。
 

 高市早苗というと、奈良県に行くと櫻井よしことツーショットの香ばしいポスターが貼られているが、そういえば奈良は「安倍晋三元首相殉難の地」でもあった。元首相の蝋人形は山口県の松蔭博物館に岸信介、安倍晋太郎と並んですでに展示されているが、奈良県も自慢できるのが大仏とスタミナラーメンばかりでは心もとない。奈良県初の総理大臣にして初の女性首相、ええんじゃないの?

 

※ 山口県出身の首相経験者は安倍晋三含め8人である。

私も写真を撮ったが、整理してしまったのでウェブから拝借した。

 と、思ったので、例によってパソコンに二礼二拍手一礼し、ChatGPT様に女性首相の政策についていろいろ尋ねてみた。最初は改憲や積極財政、成長戦略など威勢のよい施策が並んでいくが、短い付き合いだが、IQ155のコイツのツッコミどころは知っている。だんだん問い詰めていくと、詰まる所は「労働分配率を何とかせんとダメ」に収斂する。具体的には非正規雇用と格差社会だ。これを直さん限り、10年経っても20年経ってもダメという。以下、ご託宣の内容をまとめておく。

※ 画像はポインタを合わせて右クリックし、「新しいタブで画像を拡大」を選択すると見やすく見れる。

 小川淳也氏の本は読了したが、巻末を見ると本は氏と彼の支持者の共著のようだ。論点は極めて多岐に渡っており、一度に論じ尽くせるものではないので、これは折りに触れ紹介したいと思う。再生可能エネルギーは次回扱う。

 

 

 

 

 下は参考までに検討した「小川風」改革案のまとめ。もちろん作者はGPTで小川氏本人ではないし、彼の意見とも限らない。

 

 

 こういう議論を始めると「嫌儲」とか「ひがみ」といった堀江貴文風戯言をネットで言い出す奴らが必ずいるが、政策傾向の違う二人の政治家で検討したら、同じ論点が浮かんでくることは偶然ではないのである。ディティールアップには手を貸したが、論点は絞ったとはいえ、こういう問題にまじめに向き合う必要があるのは、高市だろうが小川だろうが同じだろう。

 

 それにこれは「覚え書き」である。雑音にはそもそも耳を貸さない。

 

 両院議員総会まで開いて石破氏に「首相ヤメロ」、「敗戦の責任を取れ」とやっているのは自民党だが、実を言うと石破氏の続投は既定の方針で、総会云々はいわば禊(みそぎ)で、自民党議員は8月以降の政権に対しては存在感を誇示、恩を売っているだけではないだろうか。この期に及んでも次期リーダーの姿形さえ見えない様子を見るに、そう思う。

※ 80年談話が踏み絵になっているように見える。石破氏が首相の座に固執する人物なら、談話の取り止めとトレードオフで続投することを考えるだろう。それに実際に辞められると自民党も困るのではないか?

 私としては石破氏には別に辞めてもらってよく、麻生太郎(84歳)が次をやりたければやればよいだろう。就任する時にはご高齢あるいは半病人で、辞める時には病人か半死人、あるいは死人と決まっているからだ。麻生氏、あるいは茂木氏も国葬の前渡しということで生前葬も済ませてから首相就任すれば?



 そんな話はさておき、立民の小川氏の本については3分の2まで読了した。前は読んでいなかったので、「特に感銘を受けなかった」と通り一遍の回答しかしなかったが、ある程度読み進むと、10年前の本とはいえ、どうも「参謀タイプ」の人ではないようだ。政治家としてはエマニュエル・マクロンに近いものがある。

 

 

 


 全部は読んでいないので批評は差し控える。それに本が書かれた2015年とはコロナやウクライナ・ガザ戦争、AIの普及と世界も大きく変わった。なお、外国人問題に対する氏の主張は現在の主流派の意見とは真逆のものである。

 ただ、本でも触れられていた職能や収入の二極分化については、特に社会的孤立の問題については提案がないこともない。氏は終身雇用制や厳格な解雇法理などこれまで日本社会を成り立たせてきた要素に原因を求める傾向があり、それは私も同意だが、いつまで経っても政権の足掛かりさえ築けない立民と同じく、問題提起が正しくても、原因を伝統的要素に押し付けすぎている嫌いがある。

 なぜ社会的孤立かというと、この問題は実は日本など先進国より発展途上国の方でより顕著なことがある。理由は農村社会の影響を強く残した多産と都市化による社会の歪み、貧困や教育の不足、それによる育児放棄やネグレクトなどだが、途上国では孤立は労働力人口の2~3割に達する。

 北欧など人口が少なくても高い生産性を挙げている国がセーフティーネットと職能の再教育に熱心で、それで大学では造船工学を専攻した労働者も生涯のうちにITや金融、漁業など様々な職種を渡り歩き、それが可能な制度設計になっていることは氏も指摘しているが、孤立の原因が社会的機会と教育機会の不足という点では、現在の我が国とこれら途上国とでは原因も結果も一致していることがある。

 これが何を意味するかというと、従来、我が国の問題として捉えられてきた問題のいくつかについては、特に他国と原因と結果を同じくするものについては、我が国だけで対処しなくても良いということである。これでだいぶ気が楽になる。

 情報をスマホに頼る途上国の窮民と、参政党やNHKなどネットグルに唆されて政治不安要因を作り出す非正規の氷河期世代とは、いる場所が違うだけで、情報の受け取り方も行動も似ていないこともない。ヒマの用い方も、途上国はカラシミコフ銃だが、我が国ではネットテロやSNSでの誹謗中傷などである。後者にカラシミコフ銃を持たせたら、躊躇なく市井や政治家に発砲するのではないか?

 問題の解決については、それでも途上国の方が我が国より平易だろうとは思える。通貨価値もあり、同じ1万円を使うなら、途上国の方が我が国よりより多く(2~3倍、あるいは10倍)のことができる。

 途上国で彼らがスマホに頼るのは、それが唯一の情報知得手段だからだが、より偏屈で精神的に捩れ曲がった氷河期ニートはそうではない。なので、平易な方から解決に取り組むのが良い。先にも述べた通り、氷河期ニートに使う1万円は、彼の国では10万円である。より多くのことができ、より効果的な手段を用いることができる。

 これは双方にメリットのある枠組みになる。途上国では労働力の質の改善と社会的孤立の解消が期待でき、おそらく出生率にも好適に作用する。我が国はこの問題につき、現地で多くの知見とノウハウを得ることができ、加えて、身元が保証された信頼できる外国人を移民として受け入れることができる。現地で得たノウハウを社会改良に用いれば我が国の社会の質も向上する。日本で機会のない人間が海外に出て活躍することもはるかに平易になる。

 特定の外国人の受け入れや定住化を中国人など他の外国人より優先することは、その国の国内政策の問題で、ここで外国人を我が国との関わりの程度で差別したからといって、国際的に非難される筋合いはないものである。国内における反発もはるかに摩擦少なく小さいものが期待できる。

 国を跨いだ問題というと、環境問題とか地球温暖化など分かりやすい問題がまずイメージされるが、そういった問題を引き起こすのも人間である。もう少し視野を広げてみれば、共同して対処できる問題はまだまだあるように見えるが、これを国民に説得するにはまず成果を挙げることが肝心である。

 こういう話だと、年齢的に若く、知力体力に恵まれた国際海外援助隊員みたいな面子がまずイメージされるが、これは援助ではなく戦略であり、施策の内容を考えれば、必ずしも日本人が出張って現地指導の必要もないように思える。方策は様々が考えられる。

 A国とB国で共通する課題を見出し、共通する内容を強調し解決策を示唆することはそれなりの規模の人員を雇用すべき、立派な戦略的機関の仕事である。地球ないし人類問題対策庁など提案してはどうか。作ればそういう機関は(国連を除けば)我が国にしかないから、我が国が全人類のその種問題のメッカとなる。ただし、国連と違い、まず我が国の国益に奉仕する点が異なる。

 今回は割と取り組みやすく見える「社会的孤立」に的を絞ったが、個人的には小川氏の(数多い)提案には首肯できる部分が少なくない。が、これを空中楼閣ではなく実現可能な提案にするには、上に書いたようなことも考えた方が良いのではないかと思った。まずはNPOなど国に面倒を掛けない在り方から、次いでより大規模な施策に耐えられる理論的基礎の構築を。別に野党だからやって悪いという話ではない。

 

"When you tell authorities 'you're wrong,' you stay within a model of respect that doesn't frighten them. When you say 'you've lost your fucking minds,' it means questioning their very legitimacy. And that scares them."
(Oleksandr Rachev, strategist)

(訳)「当局に『あなたは間違っている』と言う時は、彼らを怖がらせない程度の敬意の範疇に留まる。『正気を失っている』と言う時は、彼らの正当性そのものを疑うことになる。そして、それが彼らを怖がらせるのだ」
(オレクサンデル・ラチェフ、戦略家)

 

 ウクライナで汚職撲滅委員会(NABU)に国家保安庁(SBU)の強制捜査の手が入り、ラーダでNABUの独立性を剥奪する法案が可決され、ゼレンスキーが署名したことでウクライナ国民の反感が高まり、ドローン攻撃の中、各都市でおよそ1万人がデモに繰り出したことで、この問題はウクライナのEU加盟にも影響を及ぼしている。

 独立行政委員会の廃止はどこの誰が見ても民主制に対する暴挙で、西側ではキーウ政権に対する疑惑が持ち上がっている。ウクライナ国民の敵は第一はロシア軍、第二は自国の政権という言葉も出ているくらいだ。反感の大きさを見て、ゼレンスキーは直ちに修正法案を出し、独立性については担保を国民に約束した。

 ウクライナには5つほどの腐敗監視のオンブズマン的組織があり、独立行政委員会はNABUを含む2つであり、戦時下のウクライナで最後に残った委員会であったことも反感の強さに繋がったようだ。早急な廃止には独立機関の捜査が大統領周辺に及んでいたためという噂もある。ウクライナは旧ソ連の影響で官僚制に対する不信感が根強く、その点で活動の実態はともかく、NABUの検察庁下部組織化には強い拒否感があったものと思われる。

The slogan "I need a system that works for me" would be fine for intellectuals. But "Why the fuck do I need a system that works against me?" reaches ordinary people's minds. "Because that's exactly how they talk."

「自分に都合の良いシステムが必要だ」というスローガンは知識人には有効だろう。しかし、「一体なぜ自分に都合の悪いシステムが必要なんだ?」という問いは、一般人の心に響く。「だって、彼らはまさにそう言うから」
(ラチェフ、上掲)
 

 ほか、背景にはトランプ政権による支援の後退を挙げるものもある。独立行政委員会は元々アメリカ発祥の組織で、そのためNABUもバイデン政権の強い後援を受けていた。が、次のトランプ政権はウクライナの法の支配に興味がなく、軍事援助を含む支援を早々に切り上げた、その間隙を突いて政権側が反撃に出たという説である。

 一連の話を聞いて首を傾げるのは、いわゆるゼレンスキーと彼の政権というのは与党の名前が「国民の僕(スルハ・ナロード)」であることもあるように、いわば庶民の代表であり、いくら戦時下とはいえ、こういう非民主的な政策を率先して進める政権には見えなかったことがある。

 つい先日公開されたゼレンスキーの資産内容では、大統領一家の昨年の年収は5千万円ほどだが、不動産の売却益がなければ3千万円ほどであり、多くは売れっ子脚本家である細君(オレーナ・ゼレンシカ)の収入で、あとは保有するテナントの賃料収入である。車は本人と妻で二台を保有しているが、ベンツとレンジローバーではあるものの、12年落ちと10年落ちの旧々型である。ロレックスの時計は保有しているが、俳優時代に購入したもので、政治家時代には大きな資産形成はなく、むしろつましい暮らしをしている。大統領としての報酬は年俸800万円ほどである。

 

 イェルマークなど彼の閣僚も似たようなものであり、ゼレンスキー政権の閣僚は先に辞めたクレバやレズニコフも含め、芸能界や学会で成功した収入はあっても、極端な金持ちは一人もいない。前国防大臣のウメロフがたぶんいちばん金持ちだが、オリガルヒと肩を並べるほどではない。

 こういう連中がアメリカの隙を狙って汚職捜査部門を攻撃、というのは考えにくいし、捜査されて困るほどの利権があるとも思えない。ゼレンスキーについては隠し資産の報道が幾度となくされているが、多くはフェイクで、石油会社やチョコレート会社との癒着もロシアが血眼で探している割にはなさそうなのである。

 

 ただ、報じられている内容が全てではないかもしれない。例えばプーチンは公式には彼よりよほど少ない年収(年俸1,600万円ほど)だが、比べ物にならないほどの資産を実質的に保有している。公的には、確か彼の資産はモスクワ市のマンション2区画だけである。

 

This difference reveals an ironic truth: Western youth don’t know how good they have it. They’ve never lived without independent courts, free press, or anti-corruption agencies. They can afford to attack these institutions because they’ve never experienced their absence.
(Alya Shandra, journalist)

(訳)欧米の若者運動との対照は、これ以上ないほど鮮明だ。アメリカやヨーロッパの若者は、しばしば民主主義制度そのものを標的とし、救いようのないほど腐敗していると見なす制度の打破を要求する。一方、ウクライナのZ世代は、権威主義に支配されないように民主主義制度を守り、強化するために闘っている。
(アリア・シャンドラ、ジャーナリスト)

 制度的に見るならば、独立捜査機関の権限が検事総長の直轄になったとしても、それだけで組織の独立性が損なわれるわけではない。こと西側諸国の基準では検察官は各々独立しており、検事総長も進行している捜査を直接指揮できるわけではない。政権は検事総長を解任することで好ましくない捜査に対する政権の意向を示す。検察庁は行政機関であるが、準司法機関でもあり、それ以上の介入は許容されていない。

 こういうものであれば、ゼレンスキーが懸念を示すライエンほかEU代表に説明して同意を得たように、検察庁の下部組織でも独立性は維持できるように見えるが、現に西側諸国では同種の捜査は通常の捜査機関が行っているが、ウクライナの場合は裁判官も二千人の不足が言われているように法曹教育が不十分で、キエフ経済大学法学科を卒業したゼレンスキーもイェルマークも卒業したことで弁護士の資格を持っているが、司法制度の精密な運営というものがこの程度の教育ではできないことも明らかなことである。「国民の僕」では、腐敗した裁判官に代わって神父が判事に任命されていた。法科卒のゼレンスキーでもその程度の認識なのである。

 

When Ukrainian Gen Z hit the streets to defend anti-corruption agencies, they turned protest signs into an art form. Armed with cardboard, markers, and three years of war-induced gray hair, they created what might be the most literate protest movement in recent memory.

These weren’t your typical angry slogans. Protesters quoted Taras Shevchenko alongside modern poets, mixed classical Ukrainian literature with creative profanity, and crafted messages that read like Twitter threads gone beautifully offline. “Do cattle low when NABU is whole?” riffed on 19th-century novels. “Nations don’t die of heart attacks—first their NABU and SAPO are taken away” played with national poetry. And yes, plenty of signs just said “fuck” in various creative arrangements.
(Christine Chraibi, translator)

(訳)

 ウクライナのZ世代が反汚職機関を擁護するために街頭に繰り出した時、彼らは抗議のプラカードを芸術の域にまで高めた。段ボール、マーカー、そして3年間の戦争で白髪になった髪を武器に、彼らは近年で最もリテラシーの高い抗議運動を繰り広げたと言えるだろう。

 これらは典型的な怒りのスローガンとは一線を画した。抗議者たちはタラス・シェフチェンコの詩や現代詩を引用し、ウクライナ古典文学と独創的な冒涜表現を織り交ぜ、まるでTwitterのスレッドがオフラインになったかのようなメッセージを作り上げた。「NABUが完全だと牛は死ぬのか?」は19世紀の小説を翻案した。「国家は心臓発作で死ぬのではない。まずNABUとSAPOが奪われるのだ」は民族詩を翻案した。そしてもちろん、多くのプラカードには様々な独創的なアレンジで「ファック」とだけ書かれていた。
(クリスティン・クライビ、翻訳家)


 ウクライナから少し距離を措くと、この事件は同時期に提訴されたカルロス・ゴーンとダチ文科相の贈収賄事件と併せて、ロシアによるハイブリッド攻撃の一環と見ることもできる。抗議運動自体は本物だが、便乗して政権打倒を叫ぶロシア工作員の存在が確認されている。

 

 実を言うとNABUの実績は芳しくなく、10年間の活動で訴追された高官が数人しかいないなど、職員個人のロシアとの繋がりや、組織の無能についてはかねてから言われていた。ゼレンスキーの措置はたぶん大筋では正しいが、ウクライナ国民の官僚不信の根深さを見誤ったことにミスがあった。

 なお、上に挙げたダチ文科相というのは元欧州議会議員で、現大統領のマクロンの懐刀で、来年のパリ市長選に立候補が予定されている人物である。ロシア・中東に強く、ゴーンのアフトバス買収でも、プーチンの別荘(ダーチャ)に前大統領のサルゴジと共に個人的に招かれるなど存在感を示した。

 

 金に汚いことでも有名で、ルノーやアゼルバイジャンの石油会社を巡る収賄につき、黒い噂の絶えない人物でもある。なぜマクロンがこの人物を重用しているかについては、政権内でも疑問の声がある。一説にはラシダ・ダティ(文科相の本名)はマクロンの妻ブリジットのお気に入りで、それで数々のスキャンダルから護られてきたとも言われている。起訴した予審判事を彼女は攻撃し、大統領府も擁護したために、司法の中立につきパリ刑事裁判所長官が異例の声明を出す事態に発展している。

 

 なお、ゴーンがラシダとの折衝に用いたのはRNBVのムナ・セペリというイラン人の女性弁護士である。当時の彼はロシア・中東をルノー・日産のブルーオーシャンとみなしていた。実はゴーン事件を調べると、日本から現在のウクライナ・ロシアについていろいろ分かることがある。

 

 そしてこういった人物につき、ロシアが弱点を周到に調べ上げていることも、いつものことである。そもそもゴーン事件さえ、ウクライナ侵略との絡みで眺めるならば、また違った像が見えてくる事件でもある。

 

But more often, cyber operations are part of a strategy of Russia’s hybrid war, in which Russia aims to alter the decision-making processes of its adversary. A cyberattack targeting infrastructure is unlikely to cause significant permanent damage, but it will definitely spread panic among the government among the general population, who start feeling insecure, start protesting, being afraid, and blame the government. And that is exactly the goal of such an attack. 
(Shandra, above)

(訳)しかし、多くの場合、サイバー作戦はロシアのハイブリッド戦戦略の一部であり、ロシアは敵の意思決定プロセスの変更を目指しています。インフラを標的としたサイバー攻撃が重大な恒久的な被害をもたらす可能性は低いですが、 政府や一般市民の間でパニックが広がることは間違いありません。人々は不安を感じ、抗議活動を始め、恐怖に駆られ、政府を非難するようになります。そして、まさにそれが、このような攻撃の目的なのです。
(シャンドラ、上掲)

 弱小与党の総裁はなり手がいないし、なりたがる奴(高市、小泉)はBAKAだし、まるで沖縄に突撃する戦艦大和の艦長のような役回りは石破さんに引き続き担ってもらうことで決まったようだ。

 石破さんの辞める辞めないの話は私には最初からブラフの匂いがしたし、決着を焦るトランプ政権に対して切った最後のカードだろうとは思ってはいた。選挙の結果で石破内閣に抵抗力がなくなったことは分かっていたし、たぶんそれしか手の打ちようがなかったのだろう。

 

 ガセネタを掴まされた毎日新聞の記者には気の毒なことになったが、こういう所が私が彼を「戦術家」と評価する由縁である。毎日新聞とのコネは彼には捨てても良いものだったのだろう。

1.経済的降伏・・・トランプ関税

 交渉は結局我が国の無条件降伏のような結果に終わったが、15%の関税は十分に高いし、5500億ドル(80兆円)の対米投資はGDPの15%だ。これだけ見るとさながらフィリピンのように、この交渉で日本国民は「トランプの軛」を背負わされたように見えるが、私個人はこんな交渉の結果はどうでも良いと思っている。

※ というのはMAGAはTikTok集団で、表面的な勝利(映え)しか気にしないために、ここで合意が履行されずに後で損しても、その時には前のことは忘れているからである。

 むしろ内訳で米のミニマム・アクセスの対米比率増加、ボーイング航空機100機購入などを見れば、前任者の安倍だったら手っ取り早い軍事兵器(F-35、イージス、スターリンク)に走ったと思うから、民需品に限ったことは見識と評価できる。実際、兵器を購入する方がずっと簡単なのだ。

 

(追加)対米投資の枠組み 7/25 Bloomsburg

 この結果だと曲がりなりにも均衡していた我が国の富が持ち出され、いずれ破産すると思われるので、貿易バランスは均衡させつつも対米投資からは徐々に撤退する枠組みが必要である。黒字も投資もついでに持ち出しでは経済が持たないことは子供でも分かることだ。長期的な出口戦略を立てる必要がある。

※ こういうものを作っても、たぶんトランプも誰も気にしない。気づいた頃には退任しているからだ。

 現在の政治体制が、そういった計画の立案と実行に適していないことは明らかだ。自民党の総裁は1年続くことは稀で、かつては派閥、現在はポピュリズムの均衡の上に立つ。政権交代を可能にする二大政党制は取り沙汰されて久しいが、自民党に抗し得る強大な野党は今だ育ってはいない。その上、現在の自民党は少数与党である。これまでも公明党の力を借りてようやく政権を維持してきた。安倍内閣は例外であるが、最低でも6年、できれば10年続く安定した長期政権が望ましい。

 先の日曜討論を見ると、立民の小川幹事長は今だ二大政党制の夢を捨てていないようだ。が、私が見るに、自民党を現在の脆弱な体制のまま温存し、立民ほかの野党が見解の相違で衝突を繰り返している現状は政治が機能していない状態である。こんな体制で出口戦略の立案など到底不可能だ。

 

2.政界再編シミュレーション



 

 ここで少し考えてみると、こんなシミュレーションもできないことはない。石破氏も、このまま行ってもロクなことにならないことは明らかだ。

1.なので党を割る。石破氏を中心に30人ほどの「新自民党」を作り、解散総選挙に打って出る。



2.石破党の世間受けを見て、宏池会系の岸田が続けて党を割る。議員100人ほどの「改革自民党」を作り、先行した石破は国民(27議席)やれいわ(9議席)、場合によっては共産と次期政権の交渉をする。



3.参政党は解党して国民民主に合流する。党首の神谷ほか少数のカルトには消えてもらい、自民党は残った旧自民党(110議席ほど)が「保守自民党」あるいは「正統自民党」になり、維新(38議席)は保守自民に合流する。ほか、菅義偉氏など中心に官僚の支持の篤い「実務自民党」が、旧民社党のようなものとして、これらとは別に成立する可能性もある。

 



※ 私は参政党はトランプのおもちゃと考えているので、解党して国民に合流するなんざ簡単である。日本政治におけるアメリカの手札は参政党と国民民主党である。

4.総選挙を行い、新自民、改革自民、国民、れいわが議席を伸ばす(180議席以上)。これに議席を減らした旧自民党(保守、実務)や立民の一部が50~60名ほど合流し、230~240議席ほどの連立政権を発足させる。

 



※ 旧自民党は長期的には衰退し、かつての社会党のようになると思う。

5.閣僚の顔ぶれは、新首相は岸田文雄、副総理兼外務大臣は石破茂、官房長官は河野太郎、財務大臣は玉木雄一郎。国交大臣は石井啓一、行政改革・地方創生担当大臣は小川淳也、文部科学大臣は山本太郎など。なお、二大政党制に代わる多党連立の理論的枠組は山口二郎、田中秀征などにより予め提示しておく(他の政治学者も可)。



 と、こんなことも考えてみたが、なにぶん私は日本政治にまるで興味がなく、政治家もガクシャもあまり知らないために、この程度のことしか書けないことがある。なにぶん思考実験なので、この私が理解できれば良いとしておく。

 上の連立政権の難点は国民民主党に参政党(国民に併合)と、MAGAの影響下にある勢力が政権でも一定の地位を占めることである。これらをテコにアメリカの協力が得られることがあるが、この計画では自民党側の中心は改革自民党(岸田のリベラル勢力)、野党側の中心は国民民主党(MAGAの手先の日本の右翼政党)である。この二つはその成り立ち上、各々各勢力へのアクセスに使いやすい位置にあり、石破の新自民や維新(あるいは立民)では取り替えが効かないことがある。

※ 間接的に政権に参画することで、アメリカが日本政治に正当な影響力を持つ分には別に悪い計画ではない。それにあからさまに売国的な政治家は選挙でも落ちることがある。我が国はフィリピンやラオスとは違う。

 立憲民主党を忘れているのではないかというかもしれないが、少なくとも私の計算では立民と参政党は無視して良い勢力である。立民の小川が閣僚名簿にいるが、これは脱党して新政権に参画したとしておく。

 多党連立の良い所は、合意形成には法外な時間が掛かるが、一度合意すると着実に実行することである。二大政党が政権交代を繰り返す政治モデルはアメリカやイギリスなど比較的余裕があり、失政にも持久力のある(特にアメリカ)豊かな社会で機能してきた。我が国に向いているとは必ずしも言い難い所があり、私としてはいつまで経ってもできない二大政党制よりは連立制のほうが我が国の国情に合っていると考えたことがある。

 石破氏のような戦略家ではない地味な人物にこういった策略が実行できるとは私は夢にも思っていない。才能があるとも思えない。それにこの人物の場合、健康状態にも不安がある。しかし、このまま泥舟自民党でズルズルと衰弱死の道を選ぶより、彼が国家に貢献できる方法は、まだあるのではないか?

 

 私の考えはこれだが、もっと良い提案は誰か他の人に考えてもらうことにしよう。

 

 今日の夜には敗戦した石破首相の辞任記者会見が見られるかと思ったが、レームダック確実のねじれ国会で総理大臣をやりたがる物好きはいないようで、首相は続投するようだ。

※ 正確にはねじれではなく少数与党、やりにくいことに変わりはない。

 これまで首相の独擅場であった外交においても、片足をもがれたことは間違いない。中国や韓国と同調しての持久戦術はもはや取り得なくなった。参政党が一定の議席を占めたことで、これをレバレッジとしたMAGA、財務長官のベッセントが圧力を掛けてくることは間違いないからだ。党内でも恐慌した恐米病の自民党の重鎮や軽躁な小泉などが揺さぶりを掛け、大幅な譲歩を強いられることは間違いない。

 今回の選挙での参政党の役割とはここまでで、MAGAとしては与党の過半数割れを実現し、一定の数の議席を確保してキャスティングボードの役割を果たせればそれで良いのである。交渉がトントン拍子に進めば、同党の自民合流はあり得るかもしない。合流しなくても台風の目にはなろう。外国人排斥などは付録にすぎない。それにしても、あからさまに「外国の代理人」である政党が、国会にこれだけの位置を占めたことが今までにあっただろうか?

 おそらくは近いうちに政局、衆議院の解散総選挙の話が出てくることだろう。が、反対も根強いと思うので、合間に総裁選などあり、政治の停滞が1年ないし2年続くというのがいちばんありそうである。いずれにしても自民党は泥舟で、誰が総裁になっても、何もできはしない。

 

 


 今日届いた立民幹事長の小川淳也氏の本は10年前の本だが、80ページまでは読んだ。読むとテレビの様子では参謀的な人物に見えたが、どうも錯覚で「参謀の参謀」が必要な人物に見えた。東大法学部以降慌ただしい経歴で、本を読む機会もなければ、じっくり考える機会もなかったのかもしれない。文章についてはPoorという印象である。

 が、仕方がない。私が求めているのはタダの秀才ではなく、100年に1度出るか出ないかの天才なのであって、そういう人物と比べたら貧弱というだけで、決して悪い評価ではない。おそらく彼が本当に言いたいことと、使われている言葉にはかなりのギャップがある。秀才では無理からぬことだ。

 一つ指摘できることがあるとすれば、この人物に限らずリベラル系の知識人はみんなそうだが、退却戦(デフレ)に対する認識が甘いということがある。小川氏も弁護士や行政書士など自営業の知り合いはいても、販売業の知己はほとんどいないようだ。いれば分かったものを。

 彼の提案では国民はかなり長い間「坂の下の崖」を見下ろすことになるが、それが何を意味するのか、どうも実感としては掴めていないようだ。が、彼の知る財務省などの責任ある人々が現実逃避に走ったり、無責任であったことのそもそもの原因はここにあったのである。

 故兵貴勝、不貴久、故知兵之將、生民之司命、國家安危之主也

(書き下し文)
 故に、兵は勝つことを貴び、久しきを貴ばず。故に兵を知る将は、民の司命、国家安危の主なり(孫子・作戦篇第二)。

 崖をくぐり抜ける方法は、上の通りである。別に天才でなくても思いつく。

 秀才は上長と下僚の間に棲むが、天才は神と人の間に屹立する。私が見る所、現存している彼の先達の政治家や政治学者に、彼に物を教えられる人間はいない。表現したい内容はよりスケールの大きいもので、彼らの知らないものであり、小川氏も今の書き方では、これが通るとは思えない。

 ギフティッドという言葉があるが、たぶん産まれた大半のGATEは見出される機会もなく、科学的に測られることもなく、不本意な(そしてほとんどの者が経験しない)様々な軋轢を経験して成人するはずである。学歴さえまともなものが得られるか分からない、職業さえも。

 それで暮らしていけるのなら、事故や戦争死など不幸な死に方をせずに一生を送れるなら、それはそれで良いのではないかと私は思うが、たぶん、人生のどこかの時期で嫌でも自覚させられる時が来るとも思うのである。与えられた力を何に使うか、自分で決めなければいけない時が必ず来る。

 だから「神と人の間」と書いた。世の中の98%が理解できないものを、誰に尋ねれば良いというのか、声なき声(VOX)を聞く以外ないのであり、それだけでは何も起こらないので、形にしなければならないのである。

 Noli Deum rogare.(神に尋ねることなかれ)

 80ページ以降の内容は一応一覧したが、技術的な内容で、筋は通っているが、私はあまり感銘を受けなかった。これでは著者が気の毒なので、もう少し読み進めるが、所感はそれから物しても遅くはないと思う。

 

※ 自公政権は過半数を割ったが、それなりに善戦したというのが私の見方である。それが二大政党制にせよ、多党連立制にせよ、政権交代にはそれなりの時間と、もう三~四回の選挙が必要だろう。