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実話かなと思ってあとで調べたら、サイエントロジーなどいくつかのカルトのムーブメントを取り混ぜて一つのストーリーに仕立てたようですね。オウムの例を見ているだけに、展開が気になっていましたが、あんまり社会的な大事になる、というよりは個人の精神世界の物語として描くのが目的だったようです。

日本が相手の太平洋戦争の終結でも、ベトナム戦争同様、トラウマを抱えてスムーズに社会復帰できない人がいた、というのはあんまりちゃんと考えたことがなかったので、ハッとしました。主人公のフレディはそんな人。カルトの教祖ランカスター・ドッドに出会うことで、自己の再発見をしたような気になって、番犬のようについて回ることに。ドッドはドッドで、暴力的だけど忠実で、強力な合成酒を作ってくれるフレディを可愛がる。奇妙な共生。

家族ですら、そのインチキさにうすうす勘づいている似非哲学。ドイルとかがはまった降霊術に近いものを感じます。それでも社交界には一定割合ではまる人が。そんなカモの一人をなぜかローラ・ダーンがやっていて、え?こんなところでオールヌード?とぶっ飛びますがみんながんばってます。

ちょっとわかりにくいのが、ドッドが単に詐欺として確信犯でこれをやっているのか、それとも自分なりに信じてやっているのかというところ。人格者のようでいて、でも行き詰まると人に当たり散らす。一生懸命やっているようで、どこかいい加減。教義が行き詰まりを見せたなら、人が離れていきそうなものだけど、それでもそこそこ人は集まっているようだし。情報が広まるのが遅い時代だったから河岸を変えながらあちこちでやればそこそこだまされる人がいた、ということでしょうか。

フレディが離れたきっかけ、というのは本が売れなかったこと、うさん臭さにそこそこ気づいたことだったんでしょうか。故郷に戻って婚約者ドリスを訪ねると、3年前に他の人と結婚して子供も二人いて遠くで暮らしていると。親にそれを聞いているフレディの態度が、礼儀正しくもなれず、怒りもあらわにできず、ちょっとリアルすぎて怖い。その足でドリスを殺しに行きはしないか、と心配になりました。でもそんなことはなくて、映画館でぼーっとしていると電話がかかってくると。これが夢だ、ということなのかどうなのかわかりませんが、どうしてそこにいることがわかったのか、どうしてドッドがイギリスにいることがわかったのか、いろいろ謎です。そして、いったいどれだけの時間が経っていたのかもわかりにくかったです。教団を離れてから、何年も経っていたのですかね。

そんなわけで、いろいろ腑に落ちないことが後半に立て続けに起きたのですが、どうせカルトを描くならもう少し決定的なインシデントが起きるべきなんじゃないかな、と思ったりもしたのでした。

ドッド役のフィリップ・シーモア・ホフマンは、若いころからいろんな映画にちょい役で出ているのをちょこちょこ見ていましたが、この作品が最高傑作じゃないのかな、と思いました。ディカプリオとマット・デイモンの地味なところと演技力を集めたような人で、好きでしたがドラッグ中毒で亡くなってしまったのは残念。エイミー・アダムスは「魔法にかけられて」の主演が印象的でしたが、亭主をコントロールする奥様役でだいぶたくましくなられた。フレッドと少しつきあうデパートのモデル役がエイミー・ファーガソン。ちょい役なのにいい脱ぎっぷりですね。フレディ役のホアキン・フェニックス、この作品ではすごくいけてない感じをうまく出してますが本当はイケメンなんですよね。「バックマン家の人々」で子役を演じています。来年公開予定の「ジョーカー」で主演の予定だそうです。
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2006年だからもう結構前の作品になってしまうのですが、名優・名監督が組んだウェルメイドでヒューマンなタッチのある作品に仕上がっています。最近よくありがちな流血オンパレードとは違う、格調の高い中に謎が仕掛けられ、ちゃんと最後に伏線を回収する、傑作と言えると思います。

初めは普通の銀行強盗か、「ダイ・ハード」的なトリックで大金をどうせしめたか、が中心の犯罪ものかな、と思いつつ、途中で時系列を無視した形で人質だった人々の尋問風景が挟まり、「あれ?」と思わせます。しばらくして、人質全員に同じ恰好をさせたことの意味がわかってくるわけです。

初めの方で言うことを聞かなかった銀行員がすぐに処刑されるのかな、と思っていたら殴られるだけで済んで、もう少しすると、「待てよ、誰も死んでないな」と気がつくので、この犯人たちの意図が月並みな強盗ではないのかな、と気がつくようになりました。

初めはジョディ・フォスター演じるマデリーンは敵か?味方か?と疑問に感じる存在ですが、次第に真実に近づくにつれて、出世のためにすべてを犠牲にしたいとは思わなくなってくる。それは横領を疑われながらも地道に努力しながら自分の手で成功をつかもうとするフレイジャー刑事への賞賛の気持ちとの連動なのかもしれません。

結局、最初からの目当ては銀行のケイス会長のナチスとの関係にまつわる情報だった、ということがわかり、半ば犯人側にシンパシーが移った形で進行します。金を奪う様子もないし、穴を掘っている様子は何度か描写されるので、突入後になんでこれがばれないのかな、とちょっと不思議な気がしました。タイトルの「インサイド・マン」は、人質の中の「裏切り者」を象徴しているのかな、と最初は思ったのですが、最後のオチを見たらそうではなく、「ずっと中に隠れていた男」という意味もあったのでしょうね。

スパイク・リー作品らしく、全編を通じて他民族への差別・ヘイトはモチーフとして常に流れていますね。

いま実際に同じような事件が起きたら、マスコミの注目はこの程度じゃ済まないだろうし、関係者の聞き取りはもっと厳しく、人員を割いて行われて、人質になりすました犯人なんていうのはすぐにあぶり出されそうなものですが、そういう捜査が進行しないように圧力が加えられていた、という背景もあるんでしょうかね。

デンゼル・ワシントンは「マルコムX」で主演、ブレイクした人ですね。ウィレム・デフォーは「プラトーン」「ミシシッピ・バーニング」など社会派ドラマでもしっかりした演技をしてきた人です。途中で殴られる人質役と犯人役をやっていたジェームズ・ランソン、ついこの前見た「バッド・バディ!」で最後に殺されるチンピラをやっていた人ですね。
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遺伝子操作に支配された世界というのは、それなりに魅力的な設定で、それによって差別される人が出る、というのはまた今日的にホットなテーマで、取り組み方によっては面白くなったと思うのですが、それでもこの主人公を応援したいとは思わなかったのは、やはり動機はともかく、無茶な偽装工作の結果がどこに結びつくかに思い至らない浅はかさ、ということでしょうか。

結局はヴィンセントはもはや心臓時限爆弾がいつ破裂するかわからない。自分の死に場所を選ぶためだけにいくならそれは勝手ですが、他のクルー全員の命を危険にさらし、ミッションを台無しにする可能性はどうでもいいんでしょうかね。だとすると、地上に残って自殺するジェロームとどこが違うのか、ということになります。

殺人事件の捜査がどこに行き着くか、だいたい見当がついてしまっていたので、途中でなにを目的に見続けたらいいのか、犯罪がばれるかどうかにドキドキできるか、それにしてはヴィンセントは愚行を繰り返し過ぎで、もう苦しい、しかなくなってしまったように思います。

だいたい、なんで車椅子で生活してるのにジェロームの家は螺旋階段なんですか。バリアフリーじゃなさすぎで本当に未来?と思ってしまいました。

刑事が途中からずいぶん目立つな、と思ったらあれアントンなんですか?全然気づかなかった、というかどうでもいい話になってませんかね。最後に兄弟でもう一度水泳対決するのも意味わかりませんでした。あれで兄が勝ったから、犯罪は見逃してくれた、ということですか?変なの。両親は亡くなるにはずいぶん早いように思いましたが、なにか不幸な出来事でもあったんでしょうか。ヴィンセントの家出の理由も実はあんまり納得いかなかったです。

ユマ・サーマン演じるアイリーンはさすがにきれいですね。映像がきれいなので時代感もなく、こんなに昔の映画だったのか、と思いましたが、彼女からしたら、ウソをつかれて激怒するはずのところ、なんで彼を許せてしまったのか、いま一つよく分からなかったです。あんまり心情的には丁寧な扱いを受けてないですね。一方ヴィンセントは大事なミッションを前にこんなにデートを繰り返したり、外泊したりして、大義を見失いすぎじゃないでしょうか。DNAの証拠、残し過ぎでしょう。

アラン・アーキンの刑事の操作方法も物言いはコロンボ的なところもありますが、科学に頼った捜査との整合性があんまりなくて、そんなに鋭い勘が冴えているわけでもなく、ただ行き当たりばったりにあちこちで検査をしたら、犯人がたまたまいた、みたいな話ですね。

あと遺伝子検査をごまかす手口が毎度同じことの繰り返しでちょっと飽きた、ということもあり、うれしい誤算は最後にドクターが見逃してくれたことでしょうか。アレを持つのには利き手を使うものだ、とか。じゃずっと気づいてたわけですね。

そんなわけで、ストーリーそのものは全然ダメなんですが、主演のイーサン・ホークがグレン・グールドの若いころにとても似ていたのは好感持てました。あと、検査医役のザンダー・バークレーは「24」でもジャックの上司メイソン役をやって、プライベートでは同じ「24」のニナ・マイヤーズ役のサラ・クラークと結婚した人ですね。
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予告編で見て魅力的な設定だな、と思って楽しみに見たので、予告編以上のものがないと余計に残念に感じてしまいました。

ジャスティン・ティンバーレイクという、元子役アイドルだからという甘えがあったとはおもわないのですが、彼とキリアン・マーフィの魅力で引っ張りきれるか、というとそれはちょっと無理、という感じです。

行ってみれば未来版ボニー&クライドなのだと思うのですが、未来の犯罪捜査として、こんなゆるゆるのセキュリティーと、個人的な努力に頼った捜査なんていうものはちょっとありえない。いつの間にか犯罪に加担しているシルヴィアの動機付け、スラム出身でありながらウィルを追い続けるレイモンド、娘を人質に取られてどう思っているのかよく分からない父親フィリップ、途中から急に目立ち始める時間強盗の立ち位置など、何も積み上がらないまま終わってしまったな、と残念でなりません。

お金にたとえるならばどんなに巨額を盗んで貧乏人に分け与えても、システムに対する打撃にはならない、どう構造を改革するか、のビジョンがないままに進行して、主人公もなにも学ばなかったとしか思えないのです。

みんなが25歳で成長が止まっている、という設定は画面には非常に魅力的に現れていて、ビジュアルが個性的、目に印象のあるいい役者さんを揃えたな、と思ったので余計に残念でした。

シルヴィア役のアマンダ・セイフライドは「マンマ・ミーア」で出世したんでしたかね。あとツイン・ピークスの新作でウェイトレスのシェリーの娘ベッキー役で出演してました。あとすぐに死んでしまう母親役のオリヴィア・ワイルドは「ラザロ・エフェクト」「カウボーイ&エイリアン」「トロン・レガシー」と、SFホラー専門みたいですが、もっと評価されていい人だと思います。

撮影監督がロジャー・ディーキンスで、「ブレードランナー2049」の他、コーエン兄妹でもおなじみの人で「ビッグ・リボウスキ」で見たばかりでしたが、いい絵を撮りますよね。
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ブルース・ウィリスの「ハドソン・ホーク」を見たことがある人なら、この作品を見て駄作と呼ぶのは酷である、と思うのではないでしょうか。

主役のチャーリー・モルデカイをジョニー・デップががんばっているのはわかるのですが、でも見どころはそこではなく、グウィネス・パルトローの美しさと、それにめろめろになっていいようにあやつられるユアン・マグレガー(髪形へんだけど)を楽しめばいいのだ、ということではないでしょうか。

ジョックの忠実さとか、絶倫ぶりとか、ことあるごとに誤射されるエピソードなどはちょっと悪趣味な単調さだな、とおもったり、そもそも口髭へのこだわりが大して面白くない、ということが序盤のマイナス点につながるのだとおもうのですが、それでも謎解きと、後半の活劇部分はまあ面白かったかな、とおもいます。
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コラテラル、というのは「まきぞえ」とか「まきこまれ」と訳せばいいのですかね。運転手マックスが完全にまきぞえを食ってひどい夜を過ごすことになるわけですが。

スタイリッシュかつ緊張感のある中でストーリーが進行するので、飽きることはなかったです。殺人鬼とタクシー運転手の呉越同舟、というのは珍しいですが、必要に迫られてのミスマッチ感のある道中劇、という意味では「ミッドナイト・ラン」を思わせるものも少しありました。道中で少しずつお互いへの理解を深めながらも、結局は分かり合うところまでは行き着かないもどかしさ。

トム・クルーズ演じるヴィンセントの冷徹な殺し屋としてのバックグラウンドが、やや後半の会話だけで説明されて、マックスに対する微妙な感情移入というのが家族愛への渇望、と見える部分もあるのですが、あまりベタベタするのもどうかと思うし、最後の死に方なんかは、地下鉄での気づかれない死、という前フリのネタをうまく生かしていてよかったんじゃないかな、と。

ジェイミー・フォックス演じるマックスについては、前半の有能だけどちょっとお人好し、リムジン会社を持つと言いながらも実は口だけで本気になれずに12年も過ごしてしまった、という弱さの部分を少しずつあぶり出していくのは面白いなと思いました。それが最後の標的がアニーだと知って、本当の強さを発揮する、という展開。

冒頭でアニーとヴィンセントの交錯するシーンがあり、これは偶然じゃないよな、と思っていたのですが、最後にやっぱりターゲットなのか、と思って、ならなんで最初に殺さなかったのかな、というのは少し謎。ターゲットのリストって、殺す優先度まで指定してたんですかね。

監督のマイケル・マンは、「Heat」の長い銃撃戦も撮った人。アクションの見せ方には手慣れたものがありましたが、クラブでの銃撃戦など、圧倒的に多勢に無勢のところであんなに派手に撃ち合いをしてなぜあの結果か、客がもっと早く騒いでもいいのに、というようなご都合感は少しありましたか。

そう言えば、ジェイソン・ステイサム、アクションができる人なのになんであんなちょい役なんでしょうね。友情出演?
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ユニークな作家が、ユニークな俳優をたくさん起用して自分だけの映画を作った。そのことを喜べばいいのかなと思います。随所に湾岸戦争の断片が挟まり、その時代の空気をどこかで負っているのだな、と感じました。

まあ、ブラック・コメディーだから全部が全部、腑に落ちなくてもいいのだろうとは思いますが。

話全体の広がり方は、ウォルターが途中で介入することでしか新しい局面に入らないので、その点は「ノー・カントリー」や「バーン・アフター・リーディング」などに比べると、少し強引な印象だったかもしれません。

ウォルター役のジョン・グッドマンって、ルックスがいかにものコメディアンだからゆるいコメディーが本業のように思えるのですが、ドリフターズのいかりや長介が名優であったのと同じように、「バートン・フィンク」やこの作品のような狂気を地で演じられる、希有な存在だなと思います。ロバート・デ・ニーロが「ブラジル」とかで変な役に挑戦しているのは、ジョン・グッドマンみたいになりたいからなんだろうな、と思っています。

スティーヴ・ブシェミ、ジュリアン・ムーア、フィリップ・シーモア・ホフマン、ピーター・ストーメア、ジョン・タトゥーロ、みんな大好きな俳優さんが嬉々として変な役を演じているのをみると、うれしくなりますね。
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トビー・マグワイヤのスパイダーマンシリーズはここで終了するわけですが、三部作の最初の2本に較べてのこの行き詰まり感からすると仕方がないかな、という感じではありました。

親友ハリーとの関係の破綻と記憶喪失によるいったんの回復、その後の決裂と最後の和解、というのがいかにも目まぐるしく、苦しい。

MJの女優としての行き詰まりを全く察してあげることのできないピーターの無神経さはちょっと我慢できない。

おじさんの死にまつわる経緯をいまさらひっくり返して悪役を作り出す無理な設定。結局、フリント・マルコの娘はどうなったんですかね。

一服の清涼剤になったのは、レストランのマネージャー役のブルース・キャンベルと、大家さんの娘ウルスラの健気さですかね。

宇宙からやって来た不思議な黒い物質でスパイダーマンが悪くなるのって、原作にあったエピソードなんですかね。すでにいろいろと込み入ってややこしくなっているところに偶然この問題まで起きるのは、ちょっと無理があるというか、盛り込みすぎでは?と思えてしまいました。

どうせなら、2本に分けて話を整理した方がよかったのかもしれませんね。
こわれたブルーレイプレイヤーを修理すると、元の値段とほぼ変わらないぐらいかかるとわかったので、次世代の4Kに対応できるプレイヤーを新しく買いました。

壊れたままのプレイヤーは、ヤフオクでも売れそうにない、ただのゴミと化したようです。

最新のプレイヤーは、Hulu、YouTube、Netflixとの連動がデフォルトのようですが、中でベルリン・フィルのデジタルコンサートがお試し期間付きでありました。

7日間はコンサートが聞き放題です。

いままであんまりちゃんと見てこなかったサイモン・ラトルとベルリン・フィルはどんな演奏をしているんだろう、と「春の祭典」を聞いてみました。

ずいぶんロマンティックに演奏するんですね。技術的には確かなのですが、表情付けの濃さやフレージングの変更、特定の楽器の突出など、ちょっと違和感を感じる部分もありました。
むかしっから、そろばんが得意な人は何か特別な人という思いがある。数という抽象的な思考を、珠の並び方という図形的な次元に置き換えることの不思議さよ。

初めはあのそろばんをパチパチやっているだけだったのが、いつのまにかそろばんも使わずに暗算をする、という技術になるのもすごい。

いまそろばんがどのくらい流行っているのか知らないけれど、脳の使い方の拡張という意味ではあんなに刺激になるものはそうそうないんじゃないかと思う。

似たものでは、階名でメロディを読むとそのメロディが頭に浮かぶ、というのに似ていると思う。絶対音感じゃなく、相対音感で。