昨日大阪からきて、この木金に仕事をしていくはずの古い知り合いがいるのですが、呼んで後悔しています。なぜなら仕事にならないからです。

いや通常の状況ならば仕事はよくできるし、人間としてもつきあいやすい男だし、なにも不満はないのですが、今は、そして今日は時期が時期でした。阪神が優勝してしまったのです。

そもそも、僕が大阪で仕事をしていたときに知り合って、東京に転勤してきてからも時々仕事を頼んだりしていた関係だったのですが、この男の出身地は京都で。なにをそんなに阪神タイガースに肩入れする必要があるのかはよくわかりませんが、とにかく、熱狂的な阪神ファンなのです。今日の夕方から、仕事そっちのけで1回表からテレビの前にかじりついて離れないので、もう今日は仕事してもらうのをあきらめて、明日一日に賭けようかなぁ、ということになってしまいました。

本当に、阪神というのは大阪と神戸のことで、京都は入っていないんですが、そんなに京都人はタイガースが好きなんでしょうか。京都人はもう少しひねくれて(失礼!)いそうなもんですが。
いろいろとありますが、田尾監督の解任、まあ仕方ないのかな、と思う部分もあります。

一つには、楽天には、今までのプロ野球の型にはまらない、新しい体質のチームを作ってプロ野球の構造改革を内側から進めてほしい、という期待があります。オーナーの若さと、勝つために必要な手段をある意味ドラスティックにとる、という姿勢も時には必要かな、と。

田尾監督、若くて魅力がありますが、選手を育てる手練手管があるかどうか、という部分はやや不透明に終わったかな、と。ある意味従来の持ち上がり監督と似たものを感じてしまうのです。

王監督の「監督を変えるよりも選手の補強を」、というのも一つの正論で、うなずける部分もあるのですが、もちろんそれにはお金もかかるし、いままであったようなチームならそれでいいのだと思います。新しいチームのあり方として、一石を投じるなら、若い戦力を鍛え上げて他に例を見ないような集団に成長させる、というのも醍醐味には違いありません。中日の落合監督には、そういう魅力を感じます。

ただ、今の楽天にとって、それを行えるのが野村克也氏や広岡達朗氏なのか、というとそれは時代が古すぎやしないかなぁ、と思うのです。元・名選手でなくてもいい、そういう自分なりの策をもった人が監督をやってくれませんかねぇ。
正確にはもう昨日の話なのですが、会社のスタッフの女性から質問があり、それはとあるお花の請求書の話なのです。最近いつの間にか回ってきたといわれ、みてみるとぼくが直接処理したわけではないものでした。

よくみるとそこには○に「再」という文字が押してあり、再発行を意味するもののようです。よくよく調べると、その内容は、今年の2月にあった送別会に関するもので、会社で花を贈ったことがたしかにあったのですが、その伝票ならばとっくに処理してあるはず。

いろいろと手繰ってみると、ぼくのいない間に郵送されてきたものを、班のスタッフが気を利かせて回送しておいてくれたもののようなのですが、調べてみるとすでに振込み済みだったことが分かりました。先方に問い合わせてみると、まだ振り込まれていないと思い込み、請求書を再送した、というのですが、これおかしくないでしょうか。

振り込まれていないと思ったら、まずこちらで振込みをしたかどうか、確認するのがスジだと思うのですが、そういうことをしないで、いきなり請求書を送りつけるってどうなんでしょう。あやうく15000円丸損するところでした。
なんか日曜大工ってあこがれるんです。本気で一生懸命うまくなろうとは思わないんですが、スピーカー工作をやるとストレス解消になるというか、でもスピーカーってあんまりたくさん作っても鳴らす機会もないし、大きい音は出せないので、ある程度で開店休業状態にはなりますよね。

そんな工作好き(下手の横好き)人間の僕として、次にハマってしまうのがパソコンの改造、とも言えないほどのマイナーアップグレードだったりするんですが、そういう人って案外多いんじゃないでしょうか。

で、今日は何気なくいろんなページを見ていて、Vintage Computerというアメリカベースの日本人向けサイトでブラウン管型iMacのアップグレード用ロジックボードを発見してしまいました。もちろんアップルの正式版ではなく勝手に改造するとサポートが受けられなくなるやつです。

実のところいまこれを打っている初期型iMac(rev.A~Dのどれか、確か266MHzだったような)も、SonnetのHarmoniというアップグレードカードで600MHzのFirewire対応に変えて、しかも親指シフトキーボード仕様で打っているのですが、これが調子悪くなった時に、もうダメかと思って1万円で買った、350MHzのiMacがもう一台あるのです。こちらの方が新しい割に改造できる部分がすくなく、メモリーを増設して、ハードディスクを入れ替えただけでほうっておいたのですが、今回発見したFastMacのロジックボードを載せると、周波数こそ550MHzとHarmoniには及びませんが、なんとG4マシンに変身して、しかもFirewire付きになるらしいのです。もしかしたらこの条件ならばTigerのインストールさえ夢ではないかもしれません。まあ、出来たところで、使い道はたかが知れてるのですが。

気になったのは、対応機種が350MHz~550MHzのiMac DV、と歌ってあるところです。僕の持ってるのはスロットローディングで、350MHzではあるのですが、iMac DVではありません。ダメかなと思って英文のインストールマニュアルも見てみたら、そこにはiMac DVの記述は見当たりません。これなら大丈夫かも、と喜んだ勢いで、衝動買いしてしまいました。

改造の難易度はタカが知れてるのですが、果たして本当にこれインストールできるんでしょうか。現物が来るまでドキドキです。大して実りのないことに散財してしまう、これがまさに趣味ですな。
今日になってマイクロソフトとインテルというPC界の2大巨人がHD DVDの支持を決めたというニュースが流れましたな。再生専用機の発売見送りを決めたばかりの東芝にとっては、このうえない援軍ということでしょうか。

どうも、家電メーカーとPCメーカーの間での思惑というのはちょっとずれているのだな、という感じがしました。マイクロソフトがHD DVDを支持するのは流れから見えていたし、アップルはMSとの対抗上、ある意味必然的にBDを選んでいるのかなとも思うのですが、アップルが乗り換えたばかりのインテルまでもHD DVDを支持するんですね。

2層化技術が先に確立している方を選んだ、ということなのでしょうか。ブルーレイも2層で50GBの容量はすでに実現しているので、あとはPC用のドライブが安定的に供給できるかの違いで決まって来るのかもしれません。ブルーレイが先行して収録機を発売していますが、その先行開発の割りにはコストが落ちてなくて、市場のシェアを十分に広げていない点がどう出るんでしょう。年内に安いソフトでも出回って「スターウォーズ6部作」のボックスセットでも出れば早々と勝負がついてしまう可能性だってあったような気はしますが、そこまでのキラーコンテンツは、まだないんでしょうね。

ちなみに「価格.com」では、ブルーレイディスクレコーダーの価格が微妙に下落傾向にあり、なぜか一番新しいはずのシャープのレコーダーが一番先に20万円を切ってましたな。この流れの意味するところはなんでしょうか。

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見てしまいました。M on TVの洋楽カウントダウン50を見ていたら、真ん中へんのランキングに新生クイーンの「FAT BOTTOMED GIRLS」がランクインしていたのです。

イントロはいい感じで、会場の盛りあがりも見えて、新ヴォーカルのポール・ロジャースをシルエットだけ見せて、壮年のフレ様をちょっとだけ連想させながら、少しずつ露出を増やしていって慣れさせる、というのはビデオクリップの戦略としては十分理解できます。

実際の所、ボール・ロジャースは声質こそフレディー・マーキュリーの代役にはならないものの、十分にクイーンのレパートリーを自分なりに消化してクイーンの曲としてプレゼントしていました。もっとも衝撃的だったのは途中に挟まったロジャー・テイラーの姿でした。もはや「あなたは病気してるでしょう」としか言えないくらいの怪物的な太りっぷり。ブライアン・メイの下あごがでていたり、おなかがぽこっとふくらんでいるのはまあ、認めましょう。ロジャーのあの太り方はちょっと異常です。不摂生なのか、持病なのか、見ているのが痛々しい。演奏そのものはまあ無難にこなしているように見えるのですが、この体で厳しいツアーをこなしていけるのかははなはだ疑問です。ショックであると同時に、健康が心配になるような映像でありました。摂生してください。
ニュージーランド産の牛肉から農薬が基準値以上の量発見されて、輸入を禁止するそうですな。消費量の約3割を占めるそうですからこれは大した量です。しかも焼肉文化の本家本元ですからな。品薄による値上げとかが起こると、一般家庭における肉文化はどうなるのでしょうか?

そして、アメリカからの輸入が再開できないことでニュージーランドから日本への輸入はむしろ伸びているらしいですが、日本の基準にはこの農薬の量は抵触しない、ということなのかどうか。仮に輸入が続くとしても韓国よりは日本の方が基準が甘いと言うことに過ぎないので、われわれは農薬の多い牛肉を食べている、ということになるのですな。

こういう風に考えてくると、食の安全、というものはあくまでも線引きや相対性の問題である、ということがはっきりします。その線引き自体にどこまで根拠があるかどうか、と言うことに尽きるんですな。

食つながりでは、韓国・ソウルの料理店で出されているキムチの半分は中国産だった、ということが最近わかったそうです。それだけキムチ文化が逆輸入されて世界的に浸透している、ということでもあるのでしょうが、人件費の安い中国のほうが、安く生産できる、ということかもしれません。味の文化を経済が侵食する、ということに危機感を覚える人がいてもおかしくありませんな。しかも鉛の含有量が最大で5倍にもなるんだそうです。

生きていればこそですが、心配の種は尽きませんな。
なんだか台風が過ぎたせいかまた日差しの強い一日になりました。朝方はなんだか暑さのために寝ぼけてへんな夢を見たのですが、もはやその内容すら思い出せません。

人間が夢を見るときって、脳の働きが変ですよね。起きた直後は鮮明に覚えている夢も、1日経つとほとんど思い出せなかったりします。でも自分がずっと若かった、ということだけは鮮明に思い出せたり、なんか恋愛がらみの夢だったような気も。なんか幸せな夢だったような気がしてきた。くそー。

で、晩飯は職場の年下の同僚の女性と。この女性がちょっとぼくは苦手なのですが、嫌いと言うわけではなく、ただ二人きりで飯を食ったりするとちょっと甘えモードになったりするのです。このモードが苦手なだけなのですが。それで飯に誘われたときに他に一緒に行ける人間はいないかと探したりしたのですが、あいにくみんなもう食事は済ませたりしていたので、観念して二人で行きました。

オチなんかないですよ。すいません。

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カルロス・クライバーが指揮した唯一の音源と言われる、ベートーヴェン交響曲第6番「田園」のCDを聞きました。あれほどの人だから指揮するコンサートすべてちゃんと残ってるかと思うと、案外保存状態が良くなかったりするらしいですね。会場録音のマスターテープが傷んでしまい、発売できる状態ではなかったので、なんとクライバーが息子のために録っておいてもらったカセットテープをマスターにしてオルフェオが発売したものです。

聞くのは演奏と一緒で一気呵成。音質は最初の数分が過ぎればほとんど気にならず、むしろ表現の方に集中がいきます。

1楽章からクライバー流のテンポでぐいぐい進めていきます。何が一番特徴的かといえば、もはや乱雑とすら言えるほどのコントラバスの刻み。このテンポでよくぞ、というほどの細かい動きを弾力性を保ってキープしていきます。ここで目指されるのは一糸乱れぬ、というアンサンブルの精緻さを目指すことではなく、時にはわれわれを荒々しく翻弄する自然のふところの深さ。英国風の見事にコントロールされた庭園ではなく、ドイツの深い森なのでしょうか。

この1楽章があるから、2楽章の緩徐楽章が逆にコントラストとして生きているということが言えるかもしれません。細かいパーツとして分解して聞かせるのではなく、異なる原色の要素が自由に息づきながら、トータルとして一つの生命体をなしている、そんな印象を受ける演奏です。

この調子で万事がクライバーならではの表現、4楽章の嵐の猛々しさは荒々しくも巧妙な設計がなされ、5楽章のフレージングは序盤の丁寧なフレージングからクライマックスへと駆け抜けてゆきます。

演奏における指揮者の役割、と言うことについてはさまざまな立場があり、最も普遍的な姿勢は、「作曲者の感じたインスピレーションを再現する」という事なのだろうと思います。常々クライバーの演奏を聴くと、作曲者の発想を再現するために自らが依り代となり、作曲者になりきってそれを演じようとしているのでは、と感じる時がしばしばあります。もちろんそれをするためにはかなりの考証と読みが必要となるのですが、それを演じ切るだけの確信とそれを達成するための十分な練習が確保できたと感じる時しか、クライバーは演奏できなかったような気もします。すべてのオーケストラレパートリーで、それをできるような人はいないでしょう。クライバーの限られたレパートリーとはそのような物だった気がします。

彼の良さはそれをオーケストラの自発性を引きだしながらできるところだったでしょう。若いころにシュトゥットガルト放送交響楽団(当時の南ドイツ放送オーケストラ)を指揮した「こうもり」序曲と「魔弾の射手」序曲のリハーサルを観たことがあります。クライバーファンの多くは当時のクライバーの若さと彼の演奏の秘密はそういう緻密なリハーサルであった、という点に注目すると思いますが、僕がみていて強く感じたのは、むしろそういう彼の若さの空回りぶりであったような気がします。言葉を次々に繰り出して注文をつけ続けるクライバーに対して、当時のベテラン楽員たちは「またか」「そんなこと言われないでも分かってるよ」ぐらいのうんざりした表情を何度も見せます。練習の空気は決して友好的でも、熱いものでもない。当時かれはまだ、『文学青年気取りの青二才」でしかなかったのだと、そう見えるのですが。

しかし同じことを言い、同じ表現を目指しても、それが自然な説得力をもって出来るようになったのが、このバイエルン国立歌劇場時代だった、そんな気がしてなりません。
アメリカではイラク戦争への反対デモに15万人が集まったそうですな。記事を読むだけなのでもう一つ趣旨がよく見えないのですが、こういうデモの場合、その根拠というか、理由がどういうことなのか、というのが一つのポイントでは、と思います。

どうも記事を読む限りは、アメリカ兵の犠牲者が増えている、という事が反対の理由であって、戦争の意味とか、正当性についての議論は後回しのような印象を受けます。そうだとするとずいぶんエゴイスティックな反戦デモのようにも思えますが、実際のところどうなんでしょう。アメリカ兵以上の数の人が現地では日々亡くなっていると思うんですが。