ブログラジオ ♯200 Like a Rolling Stone | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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さて、いよいよ200回目。

そういう訳で今週は
ボブ・ディランである。

いうまでもないが史上初の
ノーベル賞受賞者となった
シンガーソングライターである。

ザ・ベスト・オブ・ボブ・ディラン/ボブ・ディラン

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去年の夏ヴァン・ヘイレン(♯136)で
本企画がアメリカ編へと突入した時

本来ならこの人から始めるのが
本当なのではないか
みたいなことを
書いていたかとも思うのだけれど、

この切り番なら妥当かなと、
自分としてはまあそんなふうに
思わないでもないでいるのだが。


しかし改めて、よく200まで来たなと
自分でもちょっとびっくりしている。

確か8回目くらいから
週一のペースで
休まずに来れているのでは
なかったかと思う。

しょっぱなからまた些か
愚痴めいてもしまうけれど、

あるいは皆様お察しの通り
まあずいぶんといろいろあって


ちょっともうすでに
多少どころではない長い期間
作品の刊行ができていない。

作家のジャンルのブログに
分類されていることも
気が引けてしまうくらいである。

それでもまあ、
決して書くことを
すっかり止めてしまった
訳ではないからねと

そんなことをまだ多少なりとも
僕という物書きに

興味を持って下さって
いらっしゃるような方々に、


なんというか、元気ですからねと
報告するようなつもりで

ここだけはなんとか毎週
頑張ってきたつもりである。

それもまあ、毎週毎週、
テキストのアップの作業に

力を貸して下さる会社と
スタッフがいるから
維持できていることも本当である。

改めて謝意を表したく思う。

さて、気がつけばもう
デビューから数えて
15年以上が過ぎている。

身の回りばかりではなく
本当にこの期間いろいろあった。

政権の交代もあったし、
大きな災害も各地を襲った。

届いてきた訃報も数え切れない。

自分の関心事の周辺でいえば
レコードショップで
カタログを探すことが
相当に難しくなってしまったし、


書店数の激減についても
この業界界隈の人と話をすれば
必ず出てくるのみならず、

未だ歯止めになるような要素が
見つかってこない状況である。

書籍もまた
パッケージ・ソフトと
呼んでいいのなら、

そういうものの在り方が
根本から問い直されていると

たぶんそんなふうに
いわざるを得ない時代なのだろう。


その状況下で自分が
何を書くべきかというのは

それなりにいつも
考えているつもりではある。

そんな中、今年なんとか新たに
納得のできるレベルにまで

仕上げることのできた短編も
幾つかないでもない。

これもまた、
日の目を見させる手段を
画策している最中である。

いや、とにかくだから
結局何がいいたいのかというと、

やはり「時代は変わる」のである。

――上手く繋がっただろうか。

いうまでもないがこれはもちろん
今回のディランの
代表作のタイトルの一つである。

発表から半世紀を経て
こんなふうにいわば生きて
響いてくるのだからすごい。


こういうのをたぶん
普遍性というのであろう。


さて、愚痴の次は今度は
言い訳めいてしまう訳だが、

このボブ・ディランという人については、
僕自身はたぶんあまり
きちんとは通過してきていない。

最初に頭に名前が入ってきたのは
間違いなくあのガロの
『学生街の喫茶店』の
歌詞に登場してきていたからで、

その後、吉田拓郎さんが御自身の
ある種のイメージの
モデルとされている方だといった
把握をしていたではなかったかと思う。


そんな感じで、
いつのまにかそこにいた。

本場のフォークの大御所とでも
いったような存在だった。

そもそもBlowin’ in the Windを
初めて耳にしたのが
いったいいつだったのか、

それも本人のオリジナルだったか
それともPPMの
ヴァージョンの方だったのかさえ
今となってはあやふやである。

その後もO-Nジョン(♯130)や
ロッド・ステュワート(♯41)の
レコードのクレジットで名前を見つけて

へえ、この曲も
ディランの作品なんだみたいな
そういう感じであった。

MTVでディラン初の
ビデオ・クリップとなった
Jokermanを観た記憶もあるにはある。

その後FREEWHEELIN’くらいは
ちゃんと聴かないと思って
ずいぶん昔に買ったのだけれど

当時は今一ピンとこなくて
ずっとそのままにしていたような
状況だったことも本当である。

そういう訳で
自分で決めていたことでは
あるのだけれど、


いよいよ本テキストに
挑まなければならなくなって、

とにかくまずは
マーティン・スコセッシ監督の

「ノー・ディレクション・ホーム」を
一度観て見た。

――いや、率直に面白かったです。

この作品、05年に
制作されたものらしいのだが、

そこに向けて新たに
撮り下ろされたであろう


御本人と関係者たちの
結構な分量のインタビューと

それから50年代から
60年代に撮影されていたはずの

様々なアーカイヴ映像で構成された
三時間余りの大作であった。

ストーリーといっていいのか
全編のプロットが
描き出して見せているのは

デビューに至るまでの人生から
66年のバイク事故で

ディラン本人が一旦
隠遁してしまうまでの時期である。

ちなみにこの66年というのが
まさに僕の生年なので、

正直本当に、
歴史をひもといているような
そんな感覚でありました。

両親のコレクションであった
カントリーのジャンルの
レコードを聴いて音楽に目覚め、

ケルアックなんかを読みながら
学生時代にはこのディランも


ロックのバンドを組んでいたりも
したのだそうである。

本作は御丁寧にもこの時の
ディランのピアノ演奏を観ていた
教師にまで取材を敢行している。

その後、ウディ・ガスリーの
諸作品と出会ったことで、

ディランは自分の道を
まずはフォークのジャンルへと
狙い定めたと
いった感じになるようである。

このウディ・ガスリーも
僕なんかはまだ
ほとんど名前しか
知らないような存在なのだが、


当時すでに第一線を退いて
隠遁してしまっていたこの先達を、

若き日のボブ・ディランは
その居所をどうにか探し出し、

わざわざ見舞いにいったりも
しているのだそうで、
なんだかそれだけでもすごい。

しかもそれも
一度きりではなかったらしい。

その病院に通う目的もあって
遙々ニューヨークへと出てきた
ボブ・ディランは

この地でジョン・ハモンドなる
CBSのA&Rのヘッドだった人物に
見出されることになる。

この方については
レナード・コーエン(♯198)の回で
一応名前を出している。

ハモンド本人はすでに
80年代のうちに
他界してしまっているので、

本作のインタビューには
登場してはこないのだけれど、

PPMのカヴァーを仕掛けた
音楽出版社の人物の
映像なんかは収録されていた。


その方の発言から、
そもそもはこの頃ディランと
PPMとのマネージメントを

同じ人物が手掛けていたというのも
今回初めて知った内容の一つである。

ただまあ、このグロスマンという方は
結構強引そうな臭いがしないでもない。

なんとなく黎明期のロック産業の
押しの強い傑物という感じである。

いや、直観的な単なる
印象でしかないのだが。



それからこのインタビュー映像について
半ば横道ながらここでさらに触れておくと、

ほかにもジョーン・バエズや
マリア・マルダー、
ピート・シーガーなど、

なんとなく名前だけは
見たことのある人たちが、
喋っている映像だけではなく、

フルでこそないけれど、
パフォーマンスの一部も

初めて目にすることができて、
これは実に楽しかった。

さらにはアレン・ギンズバーグも
本作のために取材を受けていて、

ディランのみならず
ビートルズにも言及している
ような場面もあったりする。

ちなみにギンズバーグは、
映画の完成を待たずに
亡くなってしまったのだそうで、

いやはやまったく
時の巡り合わせというのは

皮肉というか、
容赦がないものだなと
まあそんなことも考えた。


もっとも僕らとしては
あのギンズバーグが
改めてディランを語る

その映像が残されたことだけで
実に幸運だったと
いえてしまう訳ではあるが。

それからまた、スーズ・ロトロという
FREEWHEELIN’のジャケットで

ディランと並んで写っている女性が
インタビューに応じていることも

相当貴重な映像であるらしいことは
ここに付け加えておかれるべきだろう。



さて、Blowin’ in the Windで
一躍時代の
ある種の象徴とでもいうような

扱われ方をされるように
なってしまったディランなのだが、

本作にはとりわけこの時期の
ディラン自身の葛藤が
極めて克明に描かれている。

詳細はまあ
本編を見てもらうのが
一番早いとも思うのだけれど、

御本人が繰り返し
僕は自分がやりたいと思ったことを
やってきただけだと口にするのが
極めて強く印象に残った。

それからこの逸話はまあ
映画以前から一応は
知ってこそいたのだが、

やがてバンドを従え
演奏するようになった
その途端にディランは、

各地のステージで
ブーイングを浴びるようになる。

先達としてガスリーと同じほどの
敬意を抱いていたはずの
ピート・シーガーその人が、

ディランのステージの最中
ケーブルを切ってしまえと
叫んだとか叫ばなかったとか、


あるいは本人をろくでなしと
ののしりながら

彼にサインして上げてよと
迫ってくるファンとか

生々しい映像や証言が
次々と出てきて凄まじかった。

実際本作には、曲が始まる前
ユダ(裏切りもの)と揶揄されたという

これまた有名なイギリスでの公演の
その映像も収録されていて、


これに対しディランが
I don’t believe you,you’re a liarと
いい放つ音声が続いている。

そしてそのまま歌い始めたのが
このLike a Rolling Stoneだったのである。


歌というものの世界というか
在り方を大きく広げたといった
確かそんな内容が、

あのノーベル賞の
授賞理由だったと思うのだけれど、

今ようやくその内容が
なんとなく
腑に落ちかけてきている。

ジョニ・ミッチェル(♯196)や
スプリングスティーン(♯146)なんかの
楽曲群が、

ああいう形になることができたのは
やはりこのディランが
いたからこそのことだったのだろう。

そもそもがビートルズの歌詞の
世界観というか話法というか、

そういうものが、たぶん
A HARD DAYS NIGHT辺りを境に

あからさまに変質していったのも
このディランの影響が
大きくあったのだろうと思われる。


たぶんこの人は60年代のその当時、
歌というものが背負っていた
ある種の見えない制約を、

本人も期せずして思わず軽々と
飛び越えてしまったのだと思う。

いや、自分でも
上手くまとめられた気が
あまりしてはいないのだが。


Like a Rolling Stone――。

近頃富みにこの言葉が身に染みる。


あるいは転がり落ち続けて
いるのかもしれないけれど、

でもまあ、それでも
動き続けてさえいれば

いずれなんとか
なるのではなかろうか。

そう思えるようになって来ました。

どこで読んだものだったか
すっかり忘れてしまっているのだけれど、

ある時突然このディランの歌詞が
圧倒的なリアリティーを持って
迫ってくるような一瞬があって、

そこからなんとなく彼の曲が
わかったような気になったといった

そんなことが書かれた
誰だかの文章を目にしたことがある。

今ようやく自分がそういう経験を
通過しているのかもしれないなと
そう思っていないでもない。

ただまあ、今回はほとんど
映画の中身にしか
触れられなかったように、


この人をきちんと語るには
僕などはまだまだ全然
準備不足なのである。

この先いろいろと
歌詞を味読するなりなんなりすると
きっといろんな発見が

それこそ次から次へと
あるのだろうなと思う。

70年代末のゴスペル三部作なんかは
なんとなく自分に合いそうで、

ちょっときちんと
聴いてみたいかなとも
思わないでもなかったし。



では今回はこの辺で小ネタ。

まあこれも、この映画で
書かれている通りなのだが、

このLike a Rolling Stoneを
書く直前の時期にディランは

小説めいたものを仕上げようと
しばらく取り組んでもいたようで、

その草稿をたぶん徹底的に
刈り込んでいくような形で、
できあがってきたのが、

どうやらこの曲であったらしい。

そのせいだとも思われるけれど、
最初の段階ではこの
Like a Rolling Stoneなる曲

実は歌詞が50番まで
あったのだそうである。

探せばどこかでその全文も
見つかるのかもしれないけれど、

さすがに今回はそこまでは
手を伸ばしてみてはいない。


いやまあだから本当は
そういうのもきちんと

目を通した上であれば
もっと面白いことが
書けたかもしれないなあと

そうつくづく思っているのも
本当なのである。

なんか今回は本当
付け焼き刃になってしまった感が

自分でも否めなくて
大変恐縮である。



さて、そういう訳で
という訳でもないのだが

ここから先はちょっと、
レギュラーのペースを

少し落とすことに
させていただこうかと思っている。

毎週結構なリサーチが
必要な種類のネタを扱うことが

少なからず
しんどくなってしまったもので
どうぞご容赦いただきたい。

ただまあ、アメリカで全100回、
だから最低235回は
当座一応の大目標でもあるし、

できれば250くらいまでは
やりたいなと思っているので、

今後は書けた時にポツポツと
上げさせていただくような
感じになるのではないかと思う。

毎週こう、きっちりと
見に来て下さっている方も

複数いらっしゃっていて
くれることも
わかっているものだから、


まあですから、ここの更新が
毎木曜日ごとでは
なくなってしまっても

あまり心配しないで下さいねと
その程度に受けとめて
いただければ恐縮である。

とりわけ今後この
ボブ・ディランにしても
歌詞をじっくり味読して

何か書きたいことが
出てこないとも限らないし。

うーんでも二百回。


やはりちょっと一区切りであります。

たぶん来週はなんか
全然違うことを書く。

いや、休むかもしれないかな。

正直行き当たりばったりに
なってしまいそうですけれど、

とにかくまあ
あまり心配はしないで下さい。

転がり続ける覚悟だけは
どうやら結構きっちり
できあがってきた感じなので。