ブログラジオ ♯146 Born in the U.S.A. | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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あるいはあの80年代に
数多登場してきた
珠玉のアルバム群の中で、

最強の形容が最も相応しいのは、
ひょっとすると
この一枚なのかもしれない。


ボーン・イン・ザ・U.S.A./ブルース・スプリングスティーン

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少なくとも怪物クラスとでもいった
大仰な称号にも十分
値するだろうといっていいのは、


MJのTHRILLER(♯143)を
除いてしまえば、

まず挙がってくるのは
本作ではないかと思う。


ほかあり得るとしたら
プリンス(♯138)の
PURPLE RAINくらいのものか。


そういう訳で今回は
いわずと知れたボスこと

ブルース・スプリングスティーンを
取り上げさせていただくことにする。



さて、このスプリングスティーン、
次回予定のビリー・ジョエルと並べ、


ダブルBなんて呼び方をする
場合も時にあるようなのだが、
それも頷ける存在感である。

確かにこの二人がいなければ、
80年代のロック・シーンは


まったく違ったものに
なっていたのかもしれない。


あるいは80~90年代を通じ
ロックンロールという
言葉そのものが生き続けられたのは、

一重にこの二人、とりわけ
このスプリングスティーンが
いればこそのことだったと


そのくらいにまでいっても
たぶんいい過ぎにはならないだろう。


それほど巨大な存在である。

そういう事情で今週と来週は、
僕自身少々肩に力が
入ってしまっている
かもしれないことは否めない。


まあ、割り引いてお読み下さい。


さて、とにかく僕が最初に
耳にしたこの方のトラックは、

80年発表の二枚組作品
THE RIVERからの
リード・オフ・シングル、


Hungry Heartだったことは
決して間違いはないのである。


札幌ローカルのラジオの
深夜番組での選曲だった。

それも火曜か水曜か木曜か
とにかく週の中頃の曜日。


今なおそんなことまで
忘れてしまわないでいるくらい、
強烈なインパクトだったのである。


時にラフに響くほど、
ワイルドでエネルギッシュな
スプリングスティーンの声と、

鍵盤やブラスが作り出す、
華美だけれど決して


センチメンタルにまでは
なろうとはしてこない
バッキングの全体の手触りが、


なんというか、鮮明だった。

骨太と形容してしまえば
実際それはそうなのだが、
どこかがしっくりとはこない。


スタイリッシュという言葉は
とりわけボスのヴォーカルが
あからさまに拒んでくる。


それなのにすっと入ってくる。

だからそれはやはり、
僕にとっては


今までに知らなかった
音楽だったのだと思う。


洋楽のアルバムを聴く習慣など
まだまったくといっていいほど
なかった時期だったのだけれど、

それからさほど経たないうちに、
タイトル・トラックの
The Riverの方も
耳にする機会に恵まれた。


こちらはイントロで響き渡る
ハーモニカの音色からしてもう
強烈な切なさを醸し出していた。


Hungry Heartの
軽やかさとは対照的な、

どちらかといえば
重苦しいタイプの曲なのだが、


一度聴いただけでなんとなく、
そこに物語みたいなものが


きっちりと存在していることが
はっきりとわかった。

大袈裟にいってしまえば、
夜の闇に沈んだ広い川面と


その川を前に行き場なく
立ちすくんだ主人公の姿が、
ふと見えたような気がしたのである。


正直まだ英語などろくすっぽ
わかりもしなかった時代である。

まあRIVERはわかったはずだが。

それはだから、僕自身にとっても
非常に希有な経験となった。


音楽の力みたいなものを、
改めて意識させられた
一瞬だったといえるのかもしれない。


少しだけ先に
結論めいたことを書いてしまうと、


このスプリングスティーンが
当時から変わらずに
圧倒的な存在感を誇っているのは


この人が実は
ロックのスタイルを借りた、

ある種の語り部みたいなもの
だからなのではないかと思う。


スプリングスティーンの場合、
ほとんどどのトラックにも
ある種のドラマが潜在している。


そしてその主人公の姿形は
微妙に絶妙な具合に

スプリングスティーン自身の
イメージと重なってくるのである。


Rosalita、Thunder Road、
それからBorn to Run等々、


THE RIVER以前に
発表されていた
初期のどの代表曲も
大体この特徴を欠いてはいない。

72年にデビューしていた
このスプリングスティーンは


だから僕がその存在を
知った時にはもうすでに
ビッグ・スターだといってよかった。


いやでも、スターとかアイコンとか
その手の言葉は
似つかわしくないかもしれない。

アーティストという言葉も
なんだかちょっと違う気がするし。


結局ボスはあくまで
ロッカーなのだと思う。


むしろ今なお誰よりも
この言葉が似合うのが

このスプリングスティーンなのだろう。

いやもちろん、
個人的な所感であることは


やっぱり割り引いて
いただきたいのだが。

まあそういう訳で
80年の衝撃的な出会いから、
82年のNEBRASKAを挟み、


いよいよ登場してきた一枚が
この今回のピックアップの
BORN IN THE U.S.A.だった。


僕自身が本当に
リアル・タイムで経験したと
いっていいのは本作からである。

今になって振り返れば
その幸運を神に感謝せずにはいられない。


そのくらいいっても
かまわないだろう作品である。


まずこのアルバムに関して
触れて置かなければ
ならないかと思われるのは、

当時のチャート・アクションに
ついてである。


発売直後に当然のように
四週連続1位を記録した本作は、


しかし五週目にあのプリンスの
PURPLE RAINに
その地位を奪われてしまう。

そしてこの二枚はところが
それぞれ実に半年近くにわたって、


競い合うように
売れ続けるのである。


以前にも紹介したように
PURPLE RAINは
24週の間トップに君臨し続け、

一方のBORN IN THE U.S.A.は
その後ろにしっかりと張り付いて
2位か落ちても
3位のポジションをキープし続ける。


そして三枚目のシングルとして、
Born in the U.S.A.が
カットされた後の85年1月


いよいよこの順位が逆転する。

すなわち本作が実に24週間振りに
トップへと返り咲いたのである。


――こんなアルバム、ほかにない。

たぶん断言して大丈夫だろう。

ほんの少しだけ、
以前エクストラ(♭55)で扱った


浜田省吾さんの
「愛の世代の前に」の動きを
思い出さないでもないけれど、


まあやっぱりそれとは
少なからず違っているだろう。

それに、いずれにしても、
どちらもそうそう頻繁に
起きることではないことだけは
絶対に間違いがないはずである。


この時はカットの順番も
実に上手かったなあと
後になってみれば思いもするのだが、


まあその辺りはまた
長くなるのでそのうち改めて。


さてアルバムBORN IN THE U.S.A.は
全編にわたっていわば
スプリングスティーン節全開と
いっていい安定感を誇っている。


ただし、ボスの最高傑作が
単純にこの一枚かといってしまうと


それはそれで
少なからずどころはでなく躊躇われる。

上でも少し触れているが、
もうすでに押しも押されぬ
ビッグ・ネームだった訳だし、


本作に先行した
デビュー以来の6枚の作品には


名曲といっていいトラックが
随所に複数ちりばめられている。

それらとまで比べてしまうと、
本作の収録各曲が


すべてを凌駕しているかというと、
正直たぶん、そうでもない。


むしろアルバムという物語を
過不足なく構成する役割を

絶妙に果たしているとでもいった
表現の方が相応しいだろう。


それでも本作がボスの
代表作であることが
決して揺らいでこないのは、


一重にこのタイトル・トラックの
異常な存在感の故である。

何がすごいってこの
Born in the U.S.A.という曲、


本質はタイトルのフレーズが
きちんと載ってくる二小節、


音数にして6つ、
音程で数えれば3つしかない、
シンプルなパターンが、

曲の本質にして
すべてであるという点である。


冒頭から甲高い鍵盤で、
繰り返し鳴っているこのライン、


実は四分半を超える
同トラックの最初から最後まで、
一瞬足りとも休んでいない。

もっとも、たとえばレノンの
Tomorrow Never Knowsのように


曲の全体をワン・コードで
作ってしまおうといった
実験的な試みでもないのである。


最低限のコード・チェンジは
行われているし、

Aメロとサビも
きちんと独立して存在していて、


ある意味ではポップ/ロックの
極めてオーソドックスな
スタイルに則っているともいえる。


しかも、のみならず、
曲の全体がいかにもボスらしく

一つの物語を
次第に浮き彫りにするように
できあがっている。


死んだような街に生まれ、
徴兵されベトナムと派遣され、
そこで兄弟(あるいは同胞)を亡くし、


帰還しても、
折からの不況の煽りを請けて、
仕事を見つけることも
ままならないでいる。

そんな主人公の境遇が、
残された写真とか、
採用担当者や退役軍人の態度とか、


そういったシンプルで
かつ丁寧な細部の
巧妙な積み重ねによって、
鮮明に描き出されてくるのである。


これはだから、そういう歌である。


それを権力と呼んでしまえば
やや安直に過ぎるかもしれないが、


この曲が描き出し
糾弾しようとしているのは、


個人を翻弄していく、
巨大な一つのシステムの存在である。

それはたぶん
政治的な施策のみならず、


時代や歴史といったものまでをも
包括した場所にある
ものなのだろうと思う。


今、ここにあること。

そういうふうにしか存在できないこと。

そして、その事実に対する
ほとんど怒りに似た焦燥。


このトラックの音の全体、すなわち
鍵盤のリフや力強いドラミング、

そしてスプリングスティーンの
エネルギッシュなヴォーカル等々、


その一切が渾然となって
暴き出そうとしているのは
たぶんそういうものの存在であり、


その試みは十分どころではなく
成功しているといっていい。

だから、このトラックにおいて
アメリカという国家の名前は、
むしろ比喩的なシンボルであり、


やり場のない怒りの向く
その矛先として
終始登場しているのである。


そしてそれを根底で支えているのが
鍵盤によるあのリフなのである。

ところが問題のこのパターン、
あまりに力強過ぎた。


まさに本作発表当時の、
84年の大統領選挙において、


レーガンとモンデールの両陣営が、
同曲を自身の選挙の
キャンペーンソングとして、
使用したい旨を

スプリングスティーンに
申し入れてきたという逸話は
たぶん有名な話かと思われる。


背景やその後の推移というか、
そういった諸々は
村上春樹さんがエッセイ集


「意味がなければスイングはない」の中で
触れている通りだと思われるので
ここでは割愛してしまうが、

結果として同曲がレーガンの再選に
一役買った形となったという理解は
間違ってはいないはずである。


まあ、どちらのスタンスも
理解できるというのとも
納得できるというのとも
やっぱりちょっとだけ違うけれど、


首を縦に振らざるを
得ないかなあとは思う。

この曲の作り出す高揚感はやはり
いってしまえば異常なのである。


そのエネルギーを
選挙キャンペーンの、


しかもアメリカという国の
指導者を決めるクラスのそれに、

援用したいと思うのは、
まあ当然の推移だよなあと
やっぱり思ってしまわないでもない。


ただし、ボスの側からすれば
これはもう
複雑極まりなかっただろう。


本質的にはガバナンスという
システムそのものに
真っ向から意義を
唱えていたはずのこのトラックが、

新たなそれを生み出すための、
一つの手段として利用され、


組み込まれてしまったのだと
いう見方をすれば、


確かにこんなに皮肉な物語も
そうそう見つからないのかもしれない。

でもたぶん同時に、
当時レーガンに投票した者も


そうでなかった人々も
とにかくこの曲に
触れた誰も彼もには


この曲の本質が、
単なる愛国心でなど
決してないなんてことは、

間違いなく届いているのでは
ないかとも思うのである。


それはだって、アメリカに
生まれていないこの僕にも


音からだけで
しっかりと伝わってきたからね。

完璧な国家も政治形態も、
それが過去でも未来でも、


歴史のどこを探したとしても
絶対に見つかりなどはしない。


そして我々はつねに、
自身が生を享けた時代と

それから社会の形態とに
縛られ続けることを余儀なくされる。


それ以外の存在の仕方はあり得ない。

時にその重さに
押しつぶされてしまいそうな場面は、
誰にでも少なくなくあるだろう。

僕自身だって、
この年になって今なお、


国家ほど大きなものではないにせよ、
システムと呼ぶしかない諸々に


憤りに近い感情を
覚えることは
決して皆無ではなかったりする。

そして同時に、そういう感情に
身を任せてしまうのではなく、
上手く制御して収めていくことが、


前へ進むためのエネルギーを
自分の中に生み出すその助けに


しばしばなってくれることも、
ようやくなんとなくわかってきた。

たぶんそういう作用がきっと、
ロックという音楽の
本質というか、核なのだと思う。


走るために生まれてきたんだと、
彼のレコードを聴くといつも、


まあそんなカッコいいことを
呟いてしまいたいような気持ちに
いまだになってくるのである。

だからその意味でもまたこの
スプリングスティーンこそが、


やっぱりまさに僕らの時代の
唯一無二の
ロックンローラーなのだと思う。



さて、もうずいぶんと書いたので、
以下はさらりとにしてしまうが、

本アルバムは同曲を含め、
実に七枚もの
トップ10シングルを産んでいる


だから佳曲揃いという点は
絶対に間違いがないのだけれど、


これだけではやはり
スプリングスティーンに
触れるには足りないのもまた
同時に事実である。


それからもちろん、
ボスはまだしっかりと現役で
ステージに立ち続けてくれている。


これは今回のウラ取りの中で
僕も初めて知ったのだけれど、


本年四月のNYでの
E.ストリート・バンドを
従えた公演では、

彼らはプリンスの追悼に、
なんとあのPurple Rainを
演奏したのだそうで。


こればっかりは
その場にいたかったものだと
心底思いました。


いやもう結局は
歯噛みするしかないのだけれどね。

はあ。

ため息しか出てきません。


さて、ではそろそろ
恒例の締めのトリビア。

いや今回は、なんだか上手い具合に
いつもより格調高く収まったところで、


ほんと脱力というか
しょうもないネタで
大変申し訳ない気もするのだけれど、


やっぱり結局これしか
思いつかなかったもので。

ある意味相当蛇足だと、
自分でも重々
わかってはいるのですが、


まあでも最後にちょっとだけ
失笑などしてもらえれば幸甚です。



昔タモリさんが
プライムでやっていた番組に
ボキャブラ天国というのがあって、

爆笑問題やネプチューン、あるいは
くりぃむしちゅう(当時海砂利水魚)らが、


ここから大きく一歩を
踏み出した番組として


よく知られているのでは
ないかとも思うのだが、

これ実は、放映開始当初は
空耳アワーの発展型みたいな


視聴者参加型の内容が
メインだったりしたのである。


つまり、すっごいチープな
ビデオ映像の上に、

ちょうどカラオケみたいに
歌詞のテロップが載ってきて、


その歌詞が改変されるところで
映像にも落ちがつくという、


なんといえばいいのだろう、
だから一瞬の替え歌みたいな、

そういうものを
視聴者から募集しては映像化し、


そこにパネラーが随時点数を
つけていくといったような
内容の番組だったのである。


なんかあの頃僕も、
結構面白がって
可能な時はほぼ視聴していた。

本家空耳アワーの方は
ネタの本質からして当たり前だが、


もちろん洋楽しか
登場してこなかった訳だけれど、


こちらは替え歌なので、
ほとんどの場合元ネタは
邦楽作品ばかりであった。

ところがある時、突然このボスの、
しかも今回の
Born in the U.S.A.の


あのラインが
画面から流れ出してきたのである。


お、どうするつもりだと
眉をひそめながら見ていると、

会社員風の顔の映らない
登場人物たちが、


お前も見たの?
ああ、見た見た、


みたいな感じのやりとりを交わし、

そしてヴォーカルの始まる
タイミングとなって、


明らかなパンチ・インと一緒に
声が変わって、


テロップが現れたのである。

「盆といや、幽霊っすね」

いや、だから。

――。

そういう訳で僕は今でも、
八月になると無性に
このアルバムが聴きたくなり、


なんでだろうな、と
自分でふと首を捻って、


はたとこの時の映像と
あの時の力の抜けた歌とを
思わず思い出してしまい、

なんだか悔しいような
どうしようもなく複雑な思いに
しばし苛まれてしまうのである。



まったく、どうしてくれる。


いや、しかし本当に
今回のネタは
それこそ大蛇足そのものでしたね。

台無しだよなあ、まったく。

いや、これも自分で進んで
書いしまっている訳だけれど。


だけどまあ、
本当にくそ暑い中だからこそ

このアルバムが十分以上の
パワーをくれることもまた
同時に確かだったりするので、


だから、極めて複雑なのである。