ブログラジオ ♯130 Have You Never Been Mellow | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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さて、では予告の通り
オリビア・ニュートン・ジョンである。

なお、本当に厳密にいうと、

オリヴィア・ニュートン=ジョン

のように表記するのが、
たぶん今では
正確ではあるらしいのだが、

デビューがやはり
かなり前のことなものだから、


僕らもずっとこの表記で、
慣れ親しんできているし、


現在流通しているカタログも、
基本こちらの書き方を
踏襲している模様なので、

今回のテキストに関しても
表記はこのままいくことにする。


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さて、この方も実は、
いわゆる出生地は、
決してオーストラリアではない。


むしろケンブリッジらしいから、
バリバリのイングランドである。

で、レコード・デビューも
実はイギリスの会社から
だったらしいのだが、


五歳からずっと、
オーストラリアで
生活していたことと、


それから、そもそものその
デビューに至った経緯というのが、

同国のテレビ局が主催していた、
おそらくはスター誕生的な番組で


見事優勝を勝ち取ってという
きっかけがあっての
ことだったらしいので、


やはりこの国を抜きにしては、
オリビア・ニュートン・ジョンなる

シンガーの存在は
なかったのかもしれないな、と


そんなふうにも思われたので、
こちらで扱うことにした次第。



さて、まずはこのオーストラリアの
TV番組だけれど、名前を、
シング!シング!シング!といい、

優勝者には、渡英の権利を
プレゼントしていたらしい。


単にイギリスへの航空券を
出すだけだったとは、
さすがに思えないから、


おそらくは同国の、
レコード会社なり業界なりへの、

ある種のコネクションを
込みでのものだったのでは
なかろうかとも想像される。


時代は60年代の半ばである。

ポピュラー・ミュージックの
分野においては、

オーストラリアという国は
まだまだ到底成熟しているとは


いえないような
段階だったに違いない。


だからこそ、有望な才能には、
イギリス進出の足がかりを
与えていたのではないか。

まあそんなふうに思うのである。

もちろん個人的な
想像に過ぎない訳だけれども


でもそう考えると、ちょっとだけ
あのシーナ・イーストン(♯76)が

デビューに至った背景と
似ていなくも
ないのかもしれないなとも思う。



まあ、詳細はともかくとして、
そういう訳で1966年に、


当時若干17歳のオリビアは、
イギリスへ渡って、というか、

彼女にしてみれば
事実としては
帰国ということになる訳だけれど


とにかく彼女はこの地で
プロとしてのキャリアを
スタートさせることとなったのである。


ちなみにこの66年はまさに
僕がこの世に
生を享けた年であったりする。

まあだから、
なんだかこういうのを
今自分がこうやって
つらつらと書いていると、


ちょっとだけ、なんというか
昔話を捏造しているような
気分がしないでもなかったりする。



まあとにかく。

この最初のいわば
イギリス時代には


なかなか面白い逸話が
散見されるようでもある。


この時オリビアは
まずは母親と一緒に
渡英しているのだけれど、

比較的早い段階で、
結構なホームシックに
襲われてしまったらしく、


何度も帰りの飛行機を
自分で勝手にブッキングしては、


その都度母親が、
これをキャンセルしたりも
していた模様である。

それでも何度目かにはついに成功し、
単身オーストラリアに
帰国してしまったようなことも
実際にあったらしい。


この、いわば繊細さと行動力とが、
奇妙な具合に同居しているのが、


いかにもこの人の
キャラクターらしいなあ、と
思ったりもする。

それでもやがて
シング!シング!シング!での
優勝よりも
さらに以前からの友人だった、


パット・キャロルなる女性が、
彼女を追いかけるようにして
イギリスへとやってくると、


おそらくは歌うことへの情熱を
共有していたであろうこの二人は

パット&オリビアという
まあ、そのまんまの名前の
デュオを組んで活動を始める。


当時はあのクリフ・リチャードの
バック・コーラスを
努めたりなどもしていたらしく、


思えばこれが後年のSuddenlyでの
彼とのデュエットにも
たぶん結びついているのだけれど、

まあそういう仕事と並行しつつ、
クラブ・サーキットといえば、
多少は聞こえはいいかもしれないが、


要はパブでのステージを
こなすようなことも
どうやらやっていたらしい。


ある時、指示された会場へと
二人が着いてみると、

そこが実は
ストリップ・クラブだったと
いったようなこともあったそうで。


ちなみにこの、
パット・キャロルなる女性、


後に初期のオリビアの
プロデュースのほとんどを手がけた

ジョン・ファウラーなる
ギタリストと
ほどなく結婚してしまった模様。


そして、このファウラーが実は
今回のピック・アップである
Have You Never Been Mellowや


あるいはMagicや
You’re the One that I Wantなど、

オリビアの主な代表曲の
ソングライターで
あったりもするのである。



そういう意味では、
このオリビアもやはり、


形を変えた、
ブリティッシュ・インヴェイジョンの
一画だったのだと、

見做したほうがいいのかな、と
いう気も実はしないでもない。


というのも、
このファウラーのほかにもう一人、


オリビアのキャリアを語る上で、
重要な存在がいて

ブルース・ウェルチなるこの方も
やはりギタリストで、


のみならずこの二人が二人とも、
シャドウズなるグループの
メンバーでもあったのである。


このシャドウズとは、
上でちらりと名前を出した、

クリフ・リチャードの
バック・バンドを
努めていたグループで、


シャドウズ名義では主に
インストゥルメンタルを
演っていたらしい。


あるいはボブ・ディランと
ザ・バンドの関係と

少しだけ似ていたのでは
なかったのかなとも思うけれど。


ちなみにレノンによると、
シャドウズ以前には、


イギリスには聴くべき音楽など
存在していなかったのだそうで。

そのうち彼らの音源も、
聴いておくべきなのだろうなあ、とは
思わないでもないのだが、
遺憾ながら、現段階では未聴である。



さて、そしてこのウェルチと
ファウラーとの二人が、


再びソロとして
活動を始めたオリビアに
レコーディングを勧めたのが、

ボブ・ディランが
ジョージ・ハリスンの
ソロ・アルバムのために
提供していた、


If not for Youという曲だった。
これが71年の出来事である。


なお、厳密にいうとオリビアは
渡英直後の66年にまず一枚、

最初のソロ・シングルを
一応リリースしては
いるらしいのだけれど、


こちらはほとんど
注目を集めることも
なかった模様である。


そしてこのIf not for Youが
アメリカのカントリーと、それから、

いわゆるイージー・リスニング、
現在ではアダルト・コンテンポラリーと
称されているジャンルのチャートで、
一気に上昇を始めたのである。


たぶんこれが、いわばシンガー、
オリビア・ニュートン・ジョンが
世界に登場してきた
その瞬間だったといえるのだと思う。



しかし、考えてみればこの時、
実はずいぶんと不思議なことが、
起こっていたことになる。

オーストラリアで育った女の子が
イギリスで録音したトラックが、


本人はまだイギリスに
いたままであるにも関わらず、


アメリカのカントリー・チャートを
賑わすことを始めていた訳である。

本人あるいは周囲のスタッフが
特にプロモーションのために、
動いたような形跡もないから、


ちょっと大仰だけれど、
ひとえにトラックそのものの力、


とりわけ彼女の歌唱の魅力だけで、
話題が集まっていったのだと、
いうことになるかと思われる。

詳しいことはわからないけれど、
当時アメリカ国内の


とりわけカントリーのジャンルの
シンガーたちからは


少なからぬ反発も
起きたりもしたのだそうである。

しかしまあ、オリビアと
それからウェルチと
ファウラーとによるこのチームは、


その後も、いわば
カントリー/フォーク・ロックの
ジャンルに、


ある種の英国流の咀嚼を施した、
トラックを次々と発表し、

ついには『愛の告白』と
邦題のつけられた
I Honestly Love Youなる曲と


それから今回の
Have You Never Been Mellowとが


連続してHOT100の
トップを獲得するまでの
大ヒットとなる。

この二曲を含め、
ことACチャートに限っていえば


実にオリビアはこの時期
7曲連続で首位を
獲得しているというのだから、


自ずと当時の勢いが
想像されてこようというものである。


さて、ここまででも、
十分どころではなく、


ものすごい
サクセス・ストーリーだよなあと
つくづく思うのだけれど、


この人の進撃は
これだけでは止まらなかった。


映画『グリース』の公開は78年。

この直前に、
ビー・ジーズ(♯129)が音楽を手がけた
『サタディ・ナイト・フィーヴァー』が


空前のディスコ・ブームを
引き起こしていたことは、
前回でも触れた通り。

同作で瞬く間にスターダムへと
のし上がったJ.トラボルタが


今度はこのオリビアと
共演するということで、
相当盛り上がっていた。


この辺りになると、どうやら
リアル・タイムでの記憶がある。

もっとも当時僕は
ようやく中学生である。


それでもこの二本の映画が、
クラスでもそれなりに話題に
なっていたことは間違いがない。


たぶん僕らにしてみれば、
洋画なんてものが、
共通の話題になった、

最初の経験だったの
ではなかろうかとも思う。


さて、それこそ空前の
ビー・ジーズ旋風を
引き受けたような形となって、


同作のサウンド・トラックからは
『愛のデュエット』の
邦題で紹介された

You’re the One that I Wantのほか
計三曲が、
トップ5に入るヒットとなった。


とりわけ最初のカットだった、
You’re the One~は
オリビア三曲目の、
全米一位ともなっているのだが、


この曲、今聴いてもやはり
本当によく出来ていると思う。

オールディズのテイストを
ほどよく噛み砕いた、


いわばゴキゲンな
ロックンロール・ナンバーに
仕上がっているのである。


いやまあ、でも
ゴキゲンな、なんて
形容そのものが、

いささかどころではなく
時代遅れかもしれないことは、
認めざるを得ないとは思うが、


でもやっぱりこの曲には
こういういい方が似合うよなあと
つくづく思うのも本当である。


これとHave You Never ~とを
同じ人が書いたのかと思うと、

あえてこのタッチを
徹底したのだろうなと
穿った見方さえしたくなる。



そしてさらに80年には、
今度は『ザナドゥ』が公開される。


こちらは実は、
映画そのものの評価は
散々だったらしいのだが、

この時は当時破竹の勢いだった、
ジェフ・リンの
あのELO(♯83)が音楽を担当し、


オリビアとの
共同名義みたいな感じで発表された
サウンド・トラック・アルバムからは、
タイトル・トラックが八位、


そして先行してリリースされていた
こちらはファーラーの
ソングライティングによるMagicが、
オリビア四曲目の一位となっている。


なお、ELOを扱った際、
このXanaduを
全米トップを獲得していると
書いてしまっていたのだけれど、


上記のように最高位は
八位というのが正しい。


英国ほか、欧州各国では
軒並みトップを
獲得していたものだから、

どうやら資料を
見間違えてしまった模様である。


今回ついでながら、
お詫びと共に、
訂正させていただくことにする。



それからちなみに
このXanaduなる語

てっきり造語だろうと
当時は思い込んでいたのだが、


サミュエル・コールリッジという
18世紀のイギリスの詩人が、


モンゴル帝国の首都上都を
紹介する際に用いたことで
有名になった語であるようで、

転じて現在は、
ある種の桃源郷みたいな
ニュアンスを有する


主にファンタジーの用語として
すっかり定着して
しまっている模様である。


同名のゲームもあるようだし。

まあそんな一切の背景に、
この歌の存在が
大きく影響しているだろうことは、
むしろ想像に難くない。


大体Xで始まる
ポピュラー・ソングなんて、
寡聞にしてこれしか知らない。



さて、そしてこのXanaduの次に
さらに世間をあっといわせたのが、
あの問題のPhysicalだった訳である。

英語だとどのくらいの
インパクトなのか
実際にはよくわからないが、


辞書で引けば和訳は、
肉体的に、である。


こともあろうにこの
オリビア・ニュートン・ジョンが
歌ってしまっていいのだろうか、

みたいな気持ちは
たぶん誰しもが
持ったのではないかと思う。


トラボルタとのデュエットとか
あるいはELOと組んでの
シンセ・ポップへの接近とか、


確かにそういう伏線は
あったといっても
いいのかもしれない。

でもここまでやるとは
たぶん誰も思っていなかった。


同曲のインパクトというのは
それほど大きかったと思う。


オリビア自身、まず曲を聴いた時、
すぐにヒットを確信したとも
いってはいるらしいのだが、

レコーディングを終えた後では、
これを発表してしまって
はたして従来のファンが


離れていってしまわないものかと、
不安にもなったそうである。


それでもやると決断できる、
そういう強さがたぶん、

この人がほかの
白人女性シンガーに比して
圧倒的に長い時間、


第一線に君臨し続けることのできた、
その秘密なのではないかと思う。



しかもこのPhysicalの
ビデオ・クリップもまた

なんというか、
すれすれのところで、


すでに際物の域に
踏み込んでしまっていると
いっていいような出来なのである。


80年といえば、それこそMTVが
ようやく開局したばかりで、

ビデオ・クリップなるツールの
必要性、あるいは有効性を
アーティストなり
レコード会社なりが認識し、


今のように楽曲を
プロモーションする上で


無視できないものへと
成長していく、

その最初の兆しが
現れた始めた時期だといっていい。


ほどなくM.ジャクソンの
あのThrillerが登場し、


一気に趨勢を塗り替えて
しまうことになる訳だが、

そんないわば、黎明期と
いっていいような時期に


あのO.N=ジョンが、
ここまでやってしまって
いいのだろうかという
代物が登場していた訳である。



舞台はセット感丸出しの、
フィットネス・スタジオである。

冒頭こそ、マッチョな人たちの
筋肉のアップが、
なんとなく歌の世界を
想起させこそするのだけれど、


いざ蓋を開けてみれば、
極彩色のレオタード姿の
オリビア以外に
そこにいるのは、


ぽこりとお腹の突き出た、
ダイエットが必要としか
形容しようのないタイプの、

ほぼトランクス一枚の
男たちの姿ばかりである。


これ、でもむしろ
上手く考えたんだなあ、と、
今になってみるとそうも思える。


完全におちゃらけてしまうことで、
このPhysicalという曲の

とりわけ歌詞のきわどさを、
ぎりぎりのところで中和して、


結果として、むしろオリビアだけが
健康的に見えてしまうという
実に不思議な映像となっている。


しかし、それにしても、
このキャストたちが、

曲の中盤では
バック・ダンサーよろしく
オリビアと一緒に踊り出す訳で、


それは群舞の美しさなどとは
到底程遠い種類の代物で、


かといってThrillerが
強烈に見せ付けたような
独創性がある訳でもなく、

しかも編集も、雑なのか
それともわざとなのかさえ、
わからないほどおざなりで、


これだけでもう十分、
ヤバさでお腹がいっぱいに
なってしまうのだけれど、


最後の最後のオチが、
まあさらに輪をかけてひどい。

終盤では
エクセサイズの効果が出たのか、


男たちは皆すっかり
マッチョな姿へと変わっていく。


まあもちろん、
そんな効果が実際に出るほどの
撮影期間があったはずもなく、

単に役者が
入れ替わっているだけなのだが、


そこへシャワーを浴びたオリビアが
今度は純白の上下、
しかも下はホットパンツという
テニス・ルックで戻ってくる。


ところが男たちは、
彼女には一切目もくれず、

いつのまに二人一組になって、
それぞれに妙な雰囲気を
目と目で醸し出しながら、


順次スタジオを
後にしていくのである。


なんだこれ。

腐れオチ?

いや、そういう呼び方が
あるのかどうかは
寡聞にして知らないが。


正直今作ったけれど。

で、最後の最後に
どう見てもまだ
エクセサイズが必要なタイプの


いうなればそれこそ
まだジャック・ブラックみたいな
体格のままの一人が
ラケットを手にして現れて、


オリビアと連れ立って
去っていくというカットで
全編が締めくくられているのである。

――いや本当。

よくもまあここまで
やったものだという感じである。



それでも、少なくとも
このビデオが決して
この曲にとってマイナスに

働かなかったことだけは
どうやら確かなようで、


このPhysicalはなんと、
81年に10週にわたって、
ビルボードのトップ・ワンに
君臨してさえいるのである。


正直それほどの曲かというと、
疑問符がつかないでもないが、

それでも、これもまた
彼女の代表曲の一つであることは
今となっては間違いがない。



いや、なんかついつい
いろんなことを書き過ぎて


振り返ってみれば
タイトルに掲げた

Have You Never Been Mellowに
全然触れていないけれど、


これはまあ本当に
名曲中の名曲である。


僕自身はもちろん後追いで、
聴いたはずなのだが、

最初に耳にした時から、
懐かしさみたいなもの
感じさせられた記憶がある。


清々しくて、
あまり暑過ぎない夏の日の、


木漏れ日みたいな光景が、
とても似合いそうなトラックである。

なるほど『そよ風の誘惑』とは、
まさに名訳とでもいうべきだろう。


これ以上のものは考えられない
邦題だと思う。


こういうのはやっぱり、
ちょっと悔しかったりする。


さて、では締めのトリビア。

70年代中盤に、
オリビアはJ.デンバーの


あのCountry Roadを
カヴァーしてもいる。

このヴァージョン今でも、
夕方の天気予報とか
思わぬところで耳に入ってくる
場面が多々あるのだけれど、


実は英米では
シングルのリリースはなく、


日本とあとヨーロッパの
どこだかでだけ
カットされていたらしい。

そしてこの国内のシングル盤、
いわゆる洋楽チャートながら、


オリコンで実に15週にわたって、
首位をキープしたのだそうで。


いや、ほかに売れるもの
なかったのだろうか。
そのくらいにも思ったけれど。

まあ、だからある意味では
オリジナルの
ジョン・デンバーのものよりも、


本邦においては、
彼女のヴァージョンの方が
よほどポピュラーなのかもしれない。


ついでながら
Joleneなんかも実は

たぶんこの人のヴァージョンが
一番通りがいいかと思う。


僕なんかは同曲はまず
S.スウィッチブレイド(♯24)の
カヴァーで耳にしているのだけれど。


でもこういうのを
久し振りに聴いてみると、

改めてこの人の表現力に
すっかり圧倒されてしまう。