2022年1月24日はマヤ暦でキン146。
今日、ふと子どもの頃のことで思い出したことがありました。
子どもの頃、家にお客さんが来ることが多かったんです。
父が小学校の先生をしていて、同僚の先生や卒業生、相談に来る親子とか・・・。
今じゃ考えられないと思うんですけど、昔は、先生の自宅に親や子が来ることってあったんですよ。
大人のお客さんだと夜遅くまで帰らないことがあり、小さい頃の私は、
「うるさくて眠れない~!」
と、たびたび怒ってました。
一人で寝るのが寂しいという気持ちもあったでしょうね。
親たちは、私が怒っているのに気付いたと思うけれど、何かしてくれたんだろうか?
あえて何もしなかったんだろうか?
したけれど変化がなかったのだろうか?
とか、そんなことを思い出したんです。
いろんなことで、
もしあの時、
~してたら
~してなかったら
~してもらえていたら
~が起きていなかったら
・・・
と、「もしあの時…」と思うことってあります。
でも、その時にさかのぼってやり直すことはできない。
その時のことをどうとらえるかは変えられるけど。
喜怒哀楽の「怒」「哀」系の過去であれば
「もう許す!」
ときっぱり決めるのも手かもしれません。
特に「自分」について。
「あの時の私は最善を尽くしていた。」
まず「自分」が許せれば、他人のことも
「あの人も、あの時、最善を尽くしていた」
と思えるかもしれない。
それでどうだろうか?