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皆さま、こんにちは!

 

今日から6月がスタートです。

今月は仕事の繁忙期ですが、

奈良や広島に行ったり

久しぶりの向山駅イベントに参加したりと

たのしいことが沢山な予定の自分。

そのためにも仕事を頑張らなくちゃね。

 

今日は伊豆箱根鉄道大雄山線から

飯田岡(いいだおか)駅の訪問記です。

大雄山線(当時は大雄山鉄道)が開通した翌年の

大正15年に開業した駅でした。

 

この駅の特徴は立地にあります。

飯田岡駅は二級河川の狩川のそばにある駅で、

駅の真ん前には橋(飯田岡橋)が架けられているのですよ。

 

ここから眺める景色がめっちゃイイの。

駅を下車した途端に絶景に出会える飯田岡駅って

素晴らしいと思いません?

ちなみに飯田岡駅がある地域の名前も「飯田岡」です。

駅名や橋の名は地域名から由来してるのでしょう。

 

駅舎はコンクリート造りの頑丈なモノです。

竣工年は不明ですが

造りから察するに平成ヒト桁辺りか?

 

駅舎内はこんな感じでした。

 

飯田岡駅は開業当時から

単式ホームを持つ停留所タイプの駅でしたよ。

 

ホームの全景なり~

 

さてさて、飯田岡駅の造りを見ながら

気になっていたことがありまして…

飯田岡駅は大正15年に開業した駅です。

なのに飯田岡橋に繋がる道路の陰に隠れていたり

駅前広場がなかったりと、

長い歴史を持つわりには風格を感じさせません。

昔からこんな手狭な印象だったのでしょうか?

 

そこで昔の飯田岡駅を見たくて

国土地理院のサイトに掲載中の

昭和27年撮影の航空写真を見ると…

今とはまったく違う駅の姿があったのです。

…というか駅前風景もまったく違ってるし。

 

下は現在の様相を写すグーグルマップですが、

あるモノの位置が大きく変わっているのがわかりますかね?

正解は狩川に架けられた飯田岡橋でした。

ここで飯田岡橋を調べてみると

現在の橋は昭和30年に竣工したモノで、

それ以前は木製の橋梁だったとのこと。

狩川が氾濫するたびに流失するので、

護岸工事と合わせて現在の橋が架けられたそうです。

 

駅が道路の陰にあるのは、

嵩上げされた築堤上の飯田岡橋に道路が敷かれたから。

開業当時の駅舎は駐輪場の場所にあったみたいですね。

 

余談ですけど

更にさかのぼった昭和22年撮影の航空写真を見ると、

昭和27年撮影の写真とはまたまた違う位置に

飯田岡橋がありました。

この当時は狩川に中洲があり、

橋は中洲を経由していたようです。

この中洲には渡し舟があり、

駅前を下った所に船着き場があったとか。

 

ちなみにこの時代のメインストリートは

飯田岡駅の南側にある無人踏切でした(昭和22年撮影の写真を参照)。

飯田岡駅から電車に乗るにも、狩川を渡るにも

この踏切を通らねばならなかったようです。

 

ここに飯田岡駅が置かれたのは

渡し舟の船着き場があったからだったりして?

飯田岡駅のルーツを辿ると面白い発見がありそうですね。

 

 

 

 

 

 

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