皆さま、こんにちは!
今日は古い木造駅舎が残る駅の訪問記です。
誰もいない無人駅を訪れ、
そこに木造駅舎があると
嬉しくて舞い上がっちゃう自分。
この気持ち、同志の皆さんならわかってくれますよね。
オレンジ色のしっくい外壁がオシャレなこちらでした。
土讃線・吾桑(あそう)駅です!
思わず壁を撫でちゃいましたよ。
子の近さから見たら木造駅舎には見えませんがな。
吾桑駅は土讃線(当時は高知線)が開通した大正13年に開業。
今ある駅舎はその当時に造られたモノかと思いますが、
建物財産標が見当たらず確認出来ませんでした。
ちなみに国鉄時代の駅舎はもう一回り大きかったっぽく。
吾桑駅は昭和45年まで駅員配置駅だったので、
宿直施設分大きかったのでしょう。
駅舎内はこんな感じでした。
駅舎が減築され現在の仕様に変わったのは
JRに移行した以後かと思いますが、
既に無人化されているのにも関わらず出札窓口が備わります。
Wikipediaによると
吾桑駅は昭和45年の無人化以後、しばらくの間は
近所の商店で切符を売る構外型簡易委託駅だったとのこと。
いつでも駅舎で切符を売る通常の簡易委託駅に戻せるよう
窓口が残されてたのかもしれません。
土讃線内の駅でよく見かける「高知線の歌」、
ここにも掲げられてましたっけ。
なぜ土讃線ではなく高知線…?
高知線が改称されたのは昭和10年で
歌が制定されたのは昭和7年ですから納得ですね。
続いてはホームにイン。
吾桑駅は列車の行き違いが可能な
相対式ホーム2面2線構造でした。
最近までホーム上に古い待合室があったそうですけど
現在は惜しくも解体済み。
土台を埋めた跡だけ残ってましたよ。
さてさて、吾桑駅の構内を眺め
個人的に気になってたのはこの景色です。
吾桑駅の構内にある行き違い設備の線路有効長、
やたらと長いのですよね。
国鉄時代に長大な貨物列車が運行されてたのが
理由なのはわかりますが、それにしても長すぎます。
この長さの理由、あくまでも個人的な憶測ですが…
吾桑駅を含む斗賀野駅~多ノ郷駅間では平成4年まで、
土佐石灰工業から大阪セメント高知工場に石灰石を輸送する
貨物列車が運行されてました。
この列車は古典的なスタイルの専用貨車・
ホキ5200が任に就くことで知られてました。
この貨車について知りたい方はこちらをチェックくださいね。
大阪セメント高知工場への貨物専用線は
多ノ郷駅で分岐しますが、
多ノ郷駅の構内には貨物列車の退避線がなく、
吾桑駅の構内が待避線の役割を果たしていたのではないかと。
ホキ5200編成は最大17両が組まれていたらしいですから、
吾桑駅構内の線路有効長の長さは
当時の名残ではないでしょうかね?
…などと考えながら吾桑駅構内で時間を過ごしてました。
有人駅時代の吾桑駅自体も貨物の取り扱い駅で、
当時使われていた貨物ホームが今も残ってましたぜ☆
吾桑駅は自然豊かな山間にあるため、
周辺には景勝地か数多くある模様。
観光案内の看板も多く掲げられてました。
最後は通過する特急列車の画像で〆ます。
特急列車の乗客も
ピンク色の木造駅舎が気になってるのでは…って、
それはないかな?
見ていて楽しい吾桑駅の様子でした。
朝倉駅
伊野駅
日下駅
西佐川駅
佐川駅
斗賀野駅
吾桑駅(令和2年2月2日)
須崎駅
土佐久礼駅
影野駅
窪川駅
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