現在、町田市立国際版画美術館では、“版画の青春 小野忠重と版画運動”が開催中。
こちらは、1930~40年代に起こった版画運動を、
リーダーであった小野忠重の旧蔵品を中心に紹介する展覧会です。
まず紹介されていたのは、1932年に結成された新版画集団。
小野忠重や藤牧義夫、武藤六郎といった、
当時20代だった若手のメンバーで結成されたグループです。
彼が掲げていた目標は、ズバリ「版画の大衆化」。
版画に青春を賭けた彼らは、版画を一般大衆に浸透させるべく、
オリジナルの版画を挿入した版画誌の発行したり、版画の展覧会を開催したりしました。
なお、当時の展覧会のポスターには、こんな一文も。
「版画は再び大衆の中に還った。
新時代よ我々の版画展だ。」
若干の中2病感があります。
青春していますね。
版画を大衆化するために、リーダーの小野忠重は、
作品の内容を今日的にする、つまり、時事問題を取り上げました。
小野は、プロレタリア運動に共鳴していたこともあり、
工場や戦争といった時事問題を多く取り上げています。
また、新版画運動で特に注目されていた作家・藤牧義夫は、
初期こそはアドバルーンといった当時の都会の光景をモチーフにしていましたが、
やがては、現実に対する不安や希望といった、
時代や社会意識を反映した抽象的な作品を発表するようになります。
残念ながら、24歳という若さで、謎の失踪を遂げてしまった藤巻ですが、
もし、その後も制作を続けていたら、日本を代表する版画家になっていたことでしょう。
さてさて、小野が目指した「版画の大衆化」ですが、
メンバーの中には、裸婦や人物像、馴染みのある風景など、
一般の人々にとってわかりやすいモチーフに安易に手を出すものも。
それゆえ、次第に全体的に新版画集団の作品の質が低下してしまいました。
結果として、リーダーの小野は、新版画集団を一度解散することを決めます。
そして、新版画集団の解散から約3か月後、リーダーの小野は、
新版画集団のメンバーの中でも特に志が高い作家4人とともに、新たなグループを結成。
それが、造型版画協会です。
彼らは、版画もまた絵画であるとし、
絵画のようなマチエールや、絵画のように大きな作品を追求しました。
そうすることにより、結果的に、版画の大衆化が進むと考えたのです。
それほどまでに、版画を大衆化させようとした小野忠重。
そんな彼の情熱に頭が下がるとともに、
新版画集団から造型版画協会に移行する際に、
首を切られてしまった(?)メンバーに同情を禁じ得ない展覧会でした。
なお、造形版画協会結成時にお呼ばれしなかった作家の中で、
一番印象に残っているのは、医師としても活動していた蓬田兵衛門です。
彼の作品は、とにかくシンプル。
いや、シンプルを通り過ぎて、切なさすら感じます。
ほのぼのとしたトーンなのに、
不思議と、ディストピア感が漂っていました。
↑なお、こちらも蓬田兵衛門の作品。
やはり物寂しい感じがします。
寂しいと言えば、畑野織蔵の《晩秋》という作品も。
何でまたこんな光景を版画にしようと思ったのか。
どういうモチベーションで版木を彫って、
どういうモチベーションで版木を摺ったのか。
非常に気になるところです。
ちなみに。
美術館に併設された喫茶けやきでは、
本展の開催記念として、特別メニューが提供されているそう。
それは、麦とろ定食。
左上の人物の吹き出しには、
「江戸っ子の小野忠重も食べていたかも」とありました。
いや、食べていない可能性もあるんかい!
だったら何で、麦とろ定食がセレクトされたのか。
こちらも非常に気になるところです。