幼い頃からずっと頭にあった言葉なのですが
最近特に私が気になっている言葉が 平等 です。
実は私自身、平等 が何かよくわかっていません。
平等のために具体的にはどうすればいいか?
と考えた時・・・答えがでてこないんです。
なのにこの言葉を使っていていいのか?という
疑問と申し訳なさが湧いてきまして。
辞書を調べると
① 差別なく、みなひとしなみである・こと(さま)
② 近代民主主義の基本的政治理念の一。
すべての個人が身分・性別などと無関係に等しい
人格的価値を有すること。「自由、―、博愛」
③ 〘仏〙 真理の立場から見れば、事物が独立している
のではなく、同一の在り方をしていること。
とあって、
え?仏教用語だったの?!
という驚きもあって、ますますわからない。
ウィキペディアを見てみると
平等(びょうどう、英: equality)とは、
偏りや差別が無く、みな等しいこと
とありまして、
偏りや差別がないというのは理解できるのですが
「みな等しい」というのがよくわからないのです。
というのが、人間は皆同じではないからです。
金銭面のことなのかな?と最初は考えました。
農家や製造業の方、
災害時に駆り出される自衛隊・消防・警察、
そしてエッセンシャルワーカーの方々などの
生活に絶対に必要な職業の方々にこそ
高い賃金を支払われるべきと私は考えています。
でも現実には・・・です。
私は上記のような職業の方々はもっともっと
報われてもいいはずだと考えます。
平等についての疑問はまだあります。
例えば同じ仕事をするにしても
すごく頑張る方もいらっしゃれば
適当に手を抜いて怠ける人もいます。
仕事に対する意識の問題です。
思い出すのが中学時代の草取りの思い出で
学校周辺の草取りをする時間がありました。
みんな一列に等間隔にならんで
自分の目の前の草を取るんですね。
黙々と草取りしました。
自分の目の前の草を取ってしまってからは
先生が言うようにまだ済んでいない人の分も
手伝うように草取りしました。
でも、その時初めて気づいたんです。
世の中にはズルをする人がいるってことに。
人間はみんな違うし持てる能力も違います。
できる仕事の内容も量も違います。
仕事に対する考え方の違いや熱意の差もあります。
その中で 平等 を保つとなると・・・
平等 の環境を作り出すのって・・・
一体どうしたらいいんだろう?
・・・と思った時にハタと気づいたのです。
「あ、そうか!私は
不公平にならないように
とばかり考えていたんだ?!
みんな同じ量の仕事をして
みんな同じ額を得たらいい
と思っていたんだ?!
だから難しいと思っていたんだ!」と。
平等ってもしかしたら
「みんな同じ・・・ではない」のかもしれません。
自分の分担・貴方の分担、とか
自分は自分・他人は他人、とか考えないで
自分を含めた(← ここ大事!)みんなのために!
みんながそれぞれに助け合い補い合って生きていく
その気持ちが大切なのかも?
・・・なんて今更ながらに思ったのですが
本当のところはわかりません。
まずは自分の生活基盤をしっかり整え
毎日の生活を大切に生きようと思います。
自分のことさえしっかりできないのに
自分が健康でしあわせでないと
人を元気にしあわせにはできないと思うから。