こんにちは、スタルペスです。

 

先日、日本一短い新幹線として「西九州新幹線」が開通しました。

佐賀県武雄温泉駅から長崎駅までの約60㎞の間を走ります。残念ながら九州新幹線とはつながっておらず「リレーかもめ」として乗り継ぎをしなければならない新幹線です。

理由は、佐賀県が反対したことによります。在来線の列車本数が減り佐賀県は通過点となることで県民の利便性が低下することが理由だそうです。

 

 

 

※JR九州カラーの「赤」が美しい西九州新幹線N700S(HPより)

 

 

 

 

※9月23日の開通式典のニュース画像

 

 

 

今回紹介する佐賀県太良町(たらちょう)も、西九州新幹線の影響を直接的に受ける地域となります。

長崎本線では特急が一日あたり上下45本の特急があったものが、新幹線開通後からは14本に大幅に減少しました。

しかも、これまで慣れ親しんだ愛称の「かもめ」は、新幹線に取られ、「かささぎ」という名称に変更されました。

地域の足として通勤通学に使われていた在来線も、大幅に減便し寂しくなりました。

 

 

 

※有明海沿岸を走る在来線は列車本数が激減

 

 

 

どうせ在来線が減便されて不便になるのだったら、佐賀県は反対せずに九州新幹線の新鳥栖駅から西九州新幹線が通ったほうがよかったのではと思いますがどうなんでしょうか?

 

昨年の12月、佐賀県太良町に石室に入れる古墳があるということで伺いました。

熊本市からは、高速道路を使わず、熊本県荒尾市から自動車専用道路「有明海沿岸道路」を通り佐賀県に入ります。

太良町は、熊本県とは有明海を挟んで向かい側になるので直線距離では、短いのですが有明海をぐるっと半周回らなければならないのでずいぶん時間がかかります。

 

 

 

※近くて遠い佐賀県太良町の古墳

 

 

 

※今回は、太良町の3つの古墳を巡る予定です。

 

 

 

まず、私たちが伺ったりは、「道越古墳(みちこしこふん)」です。

6世紀後半に築造された単室の横穴式石室をもつ円墳です。現在は直径9.5mとなっていますが、高さもあり築造当時は今よりも少し大きかったのではと思います。

 

 

 

※大浦港から向かっていきます。(漁村の路は狭い!)

 

 

 

※おぉー!! 「道越古墳」です。 キュン!!です。

 

 

 

※道越古墳の横穴式石室の開口部が大きな口を開けています。

 

 

 

石室は北西に向いて開口しており、全長11.8mの長さをもつ石室です。??

 

古墳の直径が9.5mで石室の長さが11.8mって??

古墳より石室のほうが大きい??

 

 

 

※墓道が長い古墳です。

 

 

 

※いよいよ入室!!です。ワクワクします。

 

 

 

現地の説明書きでは、羨道が長いことと天井部が石で持ち送りがされている穹窿状(ドーム形)になっていることが特徴とのことです。

 

 

 

※両袖式の単室の石室です。

 

 

 

※玄門から奥壁の大きな鏡石が見えます。この光景が九州の石室の景色です。

 

 

 

持ち送りの石は、比較的大きめの石で積まれています。横長の石を選んで積んだのか、平たく加工した石なのかは分かりませんが人の頭ぐらいの大きさの石が何段にも積まれています。

 

 

 

※玄室の奥壁の様子。大きな腰石の上に比較的大きな石で積まれています。

 

 

 

※玄室奥壁。天井が「とんがり帽子」のように尖っています。

 

 

 

※玄室右側の壁の様子。大きな石の間に小さな石を埋めています。

 

 

 

※右壁側です。腰石はちょと大きめだけど大小の石が不規則に積まれています。

 

 

 

北部九州の横穴式石室は穹窿状になっている石室が多くあり特徴の一つです。いわゆる「肥後型石室」と呼ばれるものです。

石室の天井部から光が漏れています。

どうも天井石の隙間から光が差し込んでいます。墳丘の盛土がなくなっていて天井石が露出しているようです。

石室を出て、墳丘に登ってみると予想どおり天井石が露出していました。

 

 

 

※ドーム形の天井のてっぺんから光が漏れています。

 

 

 

※墳頂には案の定、天井石が露出していました。

 

 

 

※天井石の隙間から石室内部がわずかに覗けます。

 

 

 

墳丘に立って周りを見渡すと、眼下に大浦港を見ることができ、その視線の先には有明海が広がっています。

カメラを少し望遠にすると、対岸の建物もよく見えます。

巨大な天井クレーンがある工場は、たぶん熊本県長洲町の造船所だと思います。

 

 

 

※墳頂からは、大浦港と有明海がよく見えます。

 

 

 

※あの工場は、熊本県長洲町の造船所?

(旧、日立造船 今はジャパンマリンユナイテット株というそうです)

 

 

 

また、その左手に少しずらすと、赤白の煙突が数本が目に入ります。ここは福岡県大牟田市の工場群だと思います。

まさに有明海の対岸はすぐ目と鼻の先ということがよく分かります。

 

 

 

※あの高い煙突があるのは、大牟田市の工場でしょうか?

 

 

 

古代、この地域はすべて「火の国」と呼ばれていました。それが「肥前」「肥後」と別れたのですが、たぶん同じ文化圏だったことだと思います。

有明海は、遠浅の内海で外海に比べて穏やかな海です。小型の船でも安心して行き来ができることから、この有明海沿岸は古代より活発な人との交流があったとこが容易に想像ができます。

 

この「道越古墳」が肥後型石室だということの理由も十分に理解できるものだと思います。

 

 

 

※国土地理院の航空写真からみた「道越古墳」周辺

 

 

 

北部九州は地政学的にも朝鮮半島に最も近く古くから交流が活発に行われていました。そのため北部九州は半島の技術・文化がいち早く取り入れられ我が国でも先進地域としての地位を不動のものとします。

しかし、その北部九州の中でも時代により。微妙に変化していくことが判っています。弥生時代から4世紀ごろまでは伊都国や奴国といった玄界灘沿岸地域が朝鮮半島との交流の中核でしたが5世紀後半から6世紀にかけては、ここ有明海沿岸地域が朝鮮半島との交易の中心に移ってきました。

 

その証拠として、前方後円部が5~6世紀になると有明海沿岸地域での数が圧倒的に多くなることだそうです。

玄界灘の荒波を通るよりも、有明海の内海から出入りするほうが安全に航海できたのかも知れませんね。