こんにちは、スタルペスです。
「八雲立つ 出雲八重垣 妻込めに 八重垣造る その八重垣を」は、我が国初の「和歌」と言われている歌です。
八岐大蛇を征伐した素戔嗚尊(すさのおのみこと)は、稲田姫命(いなだひめ)を娶ります。この和歌は、その素戔嗚尊がを妻に娶った喜びをうたった歌です。
今回は九州を離れ、島根県に来ています。
メインは古墳と遺跡巡りですが、それだけでは家内に申し訳ないのでいくつかの観光地を巡ることとしました。
島根県の神社と言えばもちろん「出雲大社」ですが、出雲大社は過去にも伺ったことがあるので、今回は出雲大社の再訪と出雲三社詣でをすることにしました。
まずは、素戔嗚尊と稲田姫(古事記では櫛名田比売)が結婚した地、八重垣神社に伺いました。

※八重垣神社
高天原から斐伊川の上流に降り立った素戔嗚尊は、老夫婦と稲田姫が泣いているのでその理由を問うと、「娘が8人いたのですが毎年、八岐大蛇(やまたのおろち)が来て娘たちが食べられてしまいました。また八岐大蛇が来る頃で、最後に残った娘(稲田姫)が食べられるのを怖れて泣いているのです」と応えます。

※八重垣神社拝殿
そこで素戔嗚尊は稲田姫を八重垣に囲み大蛇から隠し守ります。その八重垣がここ八重垣神社の場所となります。
もちろんご祭神は、素戔嗚尊と稲田姫命です。
八岐大蛇を退治した素戔嗚尊は和歌にあるように老夫婦の許可をとり稲田姫を妻にします。
その謂れからも、この神社は、縁結びや夫婦円満にご利益があると言われています。

※八重垣神社の拝殿(右)と本殿(左)、大社造りです。
境内には「鏡の池」と呼ばれる池があり、池に占い用紙を浮かべ硬貨(十円または百円)をそっと乗せる占いがあります。
私たちは30分も待てる時間もないことから占いはしませんでしたが、人気のスポットのようでした。
早く沈めば縁が早く、30分以上と遅く沈むと縁が遅く、近くで沈むと身近な人、遠くで沈むと遠方の人とご縁があると伝えられてるそうです。

※八重垣神社奥の院の「鏡の池」
また、道路を隔てた反対側には「夫婦椿」と呼ばれる椿があり、稲田姫命が2本の椿の枝を地面に立てたところ芽が出て1本の木になったという伝説がある椿の木です。縁結び・良縁の象徴として親しまれているとのことです。

※八重垣神社の夫婦椿(ほかにも2か所に夫婦椿があります)
縁結びの神としての代表選手は「出雲大社」の主祭神「大己貴命(おおあなむちのみこと)」です。
次に訪問したのは、もちろん「出雲大社」です。
「大己貴命」は、根の国(地上界とは異なる世界)を訪れた際に「素戔嗚尊」の娘・「須勢理毘売命(すせりびめ)」を妻に迎えます。このとき素戔嗚尊は大己貴命に数々の試練を課し、それを乗り越えたことで認められ、「大国主神」の名を授けられた とされます。
※さぁ、出雲大社に到着です。
「大国主」とは、この国の主(あるじ)ということで、素戔嗚尊の後継者として出雲の地を治めることを認められたことを意味しているのだと思います。
※出雲大社境内にある「大国主命」(幸魂奇魂像)
その証の一つが、 大国主神が素戔嗚尊の娘婿(むすめむこ) になったことからも分かると思います。
大国主神を主祭神とする出雲大社としては、八重垣神社は"義理の父"として崇め奉らなければならない存在だったのではと思います。
※出雲大社の拝殿
ただ、須勢理毘売命が 素戔嗚尊の娘であることは古事記に記載があるのですが、稲田姫命(櫛名田比売)の娘であるという記述ばどこにもありません。須勢理毘売命が根の国に住んでいたということから、根の国にいる女性と 素戔嗚尊との間の子供だったのかもしれません。

※出雲大社の本殿
どうも、古事記はわかりづらくてしかたありません。根の国も、人間の住む葦原の中つ国とは、別の世界のようで、高天原(天つ国)とも黄泉の国とも違う世界のようです。

※出雲大社巨大本殿の柱跡(宇豆柱)、平成12~13年に発掘された巨大柱。
高天原で悪さをした素戔嗚尊は、地上世界に追放されて、そこに八岐大蛇の征伐をしたり、稲田姫命と結婚して宮を築いて地上界に秩序を築きます。地上界で秩序を整えた素戔嗚尊は、次世代に地上界を継承させるため根の国を治めることとします。それが大国主命だったのではないでしょうか?

※十九社(全国から出雲に集まった神様の宿舎です)
翌日、鳥取県米子市に宿泊し弓ヶ浜を通って「美保神社」に伺いました。
出雲大社と美保神社は、主祭神が親子の関係のため、両方をお参りすることがよいとされています。
※美保神社
出雲大社だけをお参りするのは「片参り」となり願いも叶わないとのことのようです。私は若い女性ではなくバリバリのおじさん(おじいさん)なので、良縁の願いもなにも望みはないのですが、せっかく島根まできたのですから、全国の恵比寿(戎)神社の総本宮の「美保神社」にお参りをしなくてはと思い訪れることにしました。
美保神社は「三穂津姫命(みほつひめのみこと)」と「事代主神(ことしろぬしのかみ)」をご祭神とする神社です。
三穂津姫命は「美保神社」という名前の由来にもなっている神様です。一方「事代主神」は、海上安全、大漁満足、商売繁盛、などの守護神として全国で信仰されていて、「えびす様」の名前でも親しまれています。
※美保神社の拝殿(奥は本殿)
この事代主神は、大国主神の子供ですので、まさにれっきとした親子関係です。
美保神社の父は、出雲大社と言えるかもしれません。
国譲り神話では、事代主神(えびす様)は国譲りに賛成しますが弟の建御名方神(たけみなかたのかみ)は、国譲りに反対し抵抗をします。しかし、天照大神から派遣された 建御雷神(たけみかづちのかみ)に武力で敗れ、信濃諏訪に移封させられてしまいます。
※美保神社の門前町"美保関"の青石畳通り
このことは、ヤマト王権が武力を背景に、出雲の在地勢力に対して政治的統治権の禅譲を迫りますが、建御名方神に抵抗されたため武力を背景にして禅譲を迫ったといえると思います。出雲勢力は宗教的祭祀権や地方行政権を前提条件としてヤマト王権に服することします。

※美保神社参拝のあと近くの美保関灯台(地蔵埼)に伺ってみました。
これをもって出雲はヤマト王権の地方官(国造)となっていきヤマトの政治体制に統合されることになるのです。






