アナスタシア7巻を振り返っています。

残り7章になりました。
 
 
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この章は、前章と
繋がりがないように
感じる内容になっています。
 
そして、
ここまで振り返った7巻ですが
実は一度も
リアルタイムのアナスタシアは
登場していません。
 
アナスタシアの祖父との
対話がメインとなっていて、
さらにその話題について
以前にアナスタシアがメグレさんに
話した内容を紹介する形では
出てきています。
 
この巻を書くよりも
前に会ったときアナスタシアが
メグレさんに話した情報が
あまりに膨大で
あまりに深すぎて
1冊では収まらなかったから
もう1冊書いたという感じです。
 
 
おそらく
メグレさんの記憶とかメモとかに
話題別にたくさん保存してあって
そうそう、この話題にも
触れておかないと
 
という雰囲気で
今日の章は始まっています。
 
一応、ヴェド文化がかつて
ロシアの地に花開いていた
証拠として、
あれこれあげているという
流れではあるようです。
 
 
 
テーマは
ヴェドルシア時代の祭と
現代も続いている祭の比較です。
 
日本でいうところの
お彼岸とかお盆のような
みんなで親族のお墓参りに行く日が
ロシアでは6月初めにあり
トロイツァと呼ばれているそうです。
 
 
現代では、墓地に到着すると
それぞれの墓をきれいに飾り
大半の人が酒を持ってきて
墓の前で酔い、
故人にも酒の入ったコップと
小さなパンを残していき
訪れた親族みんなで
故人を思い出して
語らったりするそうです。
 
 
その際、多くの人が
墓の前で悲しみに暮れなければ
ならないと考えているけれど
 
ヴェディズム時代の祭日は
すべて人々に
ポジティブなエネルギーを
蓄えさせるものであり、
 
悲しみに沈んだり
寂しい気持ちになる祭日は
なかった、と。
 
 
 
ヴェド期にはそもそも
墓地が存在せず、
 
故人は一族の土地に埋葬されたが
石板の墓標も棺を入れる穴もなく
 
ときが立てば地面と同じ高さになる
くらいの小さな盛り土があるだけ。
 
 
親族みんなが意識の中で
故人を「死んだ」存在として
かたどってしまえば
 
故人が再び肉体を得ることを
その意識で妨げてしまうから
 
故人を思い出す時には
その人の生前の行いを語り合った。
 
 
一族皆で
最も古い一族の土地に集まり
先祖やまだ生きている世代の行いを
最年長者が
若い世代に話して聞かせた。
 
「お前の父さんが
お前と同じ背丈の頃に
小さな苗木を植えたのが
今はこんなに大きくなっている」
とその木の実物のところへ行ったり
 
他の木は誰が植えたのかや
それにまつわるエピソードを。
 
 
最後にもっとも古い木について
それを植えた先祖について
知っている限りのことを話し
 
みんなで
なぜこの場所に
この種類の木を植えたのか
議論になったりもする。
 
 
 
誰も分からない疑問があったりすると
子どもたちのうちの誰かが突然
しかも無意識に語りだすこともあったそう。
 
「どうしておまえたちにはわからないんだ。
わしがこの木をここに植えたのはな・・・」
 
 
 
 
 
このエピソードを読むと
本当に、みんなが
自分の命に直接繋がる人として
そして間違いなく今
みんなが集まっているこの土地に
立って歩いて木を植えた人として
ごく親しみをもって
イメージしていることが伝わります。
 
 
 
このような意識を共有することは
モノや写真では難しく
 
ましてや
墓地が集まる一画にある
墓石の前でも難しく
 
土地と木があってこそ
という気がしますが
いかがでしょうか。
 
 
 
 
 
このエピソードのあとに
メグレさんは
日本の神道を紹介しています。
 
神道は多神教でありながら
日本人の精神性と技術力は
とても高いと評価し
賞賛しています。
 
 
 
その後、再び
アナスタシアが語った話として
今も直接目で見ることの出来る
ヴェディズム文化が実在した証拠
 
それは今日の人が建てている
近代的な家と
農村に残っている古い家を
比べて見れば分かる、と言っています。
 
 
古い家のほとんどには
彫刻模様があるそうです。
 
 
家のみならず
門やくぐり戸も芸術作品のように
美しく装飾されているそうです。
 
他に、様々な博物館に
美しく彫刻された紡ぎ車や
カップなどの生活用品が遺されていて
 
それらは300年とか500年ほど前に
普段の生活で使われていたものであり
 
一部の芸術家たちが
高官に注文されて作っていたのではなく
民衆全員がつくっていたもの。
 
紡ぎ車を皇帝や女帝、高官は
使わないから。
 
当時のヴェドルシアでは
普通の民衆が、垣根を含め、
家じゅうに愛をこめ、
窓枠に沿ってレース模様の彫刻を施したり
家にあるすべての道具に絵を描いたり
衣服に刺繍をしていた。
 
民衆の全員が創作活動に励んでいた。
 
このことは民衆の暮らしが
豊かだったことを意味する。
 
創作には多くの時間が必要。
 
時間があったから
闘いのときの華麗な剣つかいや
馬に鞍もなく乗りこなす術を
身につけたり
美しい装飾に彩られた日用品を
生み出すことが出来た。
 
 
 
 
 
 
 
今、宮本常一の
「忘れられた日本人」を
読んでいます。
 
 
昭和20〜30年代に
70.80代だった 
田舎の老人たちから
聞き取りした
かつての日本人の暮らしが
綴られています。
 
 
午前3時4時に起きて
夜12時まで田畑で働いていた人が
村一番の働き者として
賞賛されていたり
 
その働き者の
田畑の前に家がある人は
彼のために明かりを消さないでいた
という思いやりが語られたりしますが
 
そこに
創作活動に励む人々は
出てきません。
 
 
 
庶民が貧しかった時代
朝から晩まで農作業しても
食べて行くのが精一杯で
創作活動する時間はなく
 
そのかわりに
歌は随分と盛んに
歌われたようです。
 
歌がうまくて尊敬される人
もてる人
結婚出来た人も出てきます。
 
 
たいがいが島や
山間地域の話なので
 
平らで肥沃な土地の人々は
また違ったかもしれませんね。
 
 
 
 
 

 

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