アナスタシアシリーズを

1巻ごとに1章づつ

振り返る企画

 

2巻に入ります。

 

 

 

 

アナスタシアと

タイガの森で

3泊4日を過ごし

 

アナスタシアと別れて

元居た世界に戻った

メグレ氏は、

書くつもりのなかった

1巻を書き上げ

瞬く間にロシアで

その本が読まれ

さまざまな反響を呼びます。

 

 

2巻の最初に書かれているのは

アナスタシアに対する反応が

 

 

タイガの女王

シベリアの魔法使い

占い師

神の化身

宇宙人

弥勒菩薩

完全な人間

 

などであった一方

 

 

 

メグレ氏に対しては

彼は精神性が低いので

アナスタシアを理解出来ない

 

というものもあったということ。

 

 

 

 

たしかに

初めてアナスタシアを読んだとき

あまりに自分と違い過ぎる彼女を

人間とは思えなかったし

 

宇宙人のなかには

人間より優れている存在もいる

と思っていた時期でもあったから

 

「宇宙人か人間か」という

この章のタイトルは

そのままわたしの当時の

感想ともリンクしていました。

 

 

 

 

 

2巻を読んでいるとあちこちに

アナスタシアとの会話の内容が

出てくるので

 

アナスタシアと過ごした

3日間のすべての会話を

1巻に書いたわけではない

ということが分かるのですが

 

 

2巻1章ではとくに

メグレ氏がどうしても

理解出来なかった

 

アナスタシアが

光線で目の前にないものや

過去や未来をも

見ることが出来る能力について

質問したときの答えが印象的です。

 

 

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人間から生み出される

いかなる意識も、

消滅して無になることは

決してない。

 

もしそれが

明るいものであれば

光の次元空間を満たし、

光の勢力の側に立つ。

 

それが暗いものであれば

逆の側に立つ。

 

今の時代に生きる誰もが

これまで人々によって

あるいは創造主によって

生み出された

いかなる意識でも

活用することができる。

 

 

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人によって程度の差はあるけれど

みんな利用はしている。

ただ、利用するには、

それについて意識する

という行為が必要になるから、

日々の雑事や慌ただしさのせいで、

それができなくなっている人もいる。

 

 

*****

 

 

ある人の意図が、

光の勢力とコミュニケーションを

とるために必要とされる

純粋性を十分にもっていなかった場合、

 

彼はそれとは逆の

闇の勢力の次元空間から

自分の考えというものを

取り出してきて、

 

自分自身を苦しめ、

結果的には他の人々をも

苦しめるようになる。

 

 

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アナスタシアが

光線で見ているのは

有史以来の人間が発してきた

意識の情報だということですよね。

 

それは

明るいものなのか

暗いものなのかで

保存される場所が

より分けられていて

 

アナスタシアは

明るい意識を見に行く

 

その目的は

メグレさんに見せて欲しいと

言われたから見せてあげたい

気持ちだったり

 

大好きな地球

大好きな神

大好きな人々のために

役に立ちたい

という気持ちだったり

 

そのために

一人一人の人生を観察して

幸せになれるポイントが

どこにあるのか調べて

それを光線で

そっと伝える為だったり

 

それ以外の目的が

全くない場合に

意図が純粋だといい、

 

 

同じような

表の目的があっても

その裏に

自分の利益にもしたい

誰かに認められたい

不安を解消して安心したい

という気持ちがある場合は

 

同じものを見ようとしても

意図の純粋性が足りないので

闇の意識のほうへ情報を

取りに行ってしまう

 

ということ、なのかな・・・

 

 

 

 

 

メグレ氏は

このアナスタシアの発言と

科学雑誌を読み

研究した結果

 


宇宙規模のデータベースを

アナスタシアは

利用しているのだろう

と予測し

 

そのデータベースの存在には

近代科学も気付いていて

これをスーパーコンピュータと

呼んでいる、と書いています。

 

 

 

他にもメグレ氏は

様々な

アナスタシアの発言を

検証しようと


1年半くらいの間に

それまでの人生で

読んできたものを

上回る量の書物を読破し

 

その結果、

自分なりに得た

唯一の明白な結論が

 

「歴史的信ぴょう性や

精神性、

真実性を自負する

多くの学術書には

誤った情報も含まれている」

 

だったそうです。

 

 

 

素晴らしい結論じゃないですか。

 

 

 

 

多くの学術書を読んで

 

「ここは恐らく

真実だろう

 

ここは恐らく

信ぴょう性が高いだろう

 

ここは恐らく

人間の精神性について

正しく理解しているだろう

 

だけど

 

ここは真実ではない

ここは信ぴょう性が低い

ここは人間の精神性についての

理解が誤っている」

 

という読み分けが

わずか1年半ほどで

出来るようになった、

 

ということですよね。

 

 

 

 

 

この、混ざっている

ということこそが

世の中の真理じゃないかと

本当に思うんです。

 

「わたしは人間よ」

とアナスタシアが言う時

 

「わたしは光も闇も

宇宙のすべてを内包した

神のこどもよ」

 

と言ってるわけだし

 

「正しいも誤りも

全部わたしの中にも

あなたの中にもあるのよ。

 

わたしだって

自分の選択を

間違えることもある。


どちらを選ぶかの自由が

神から与えられているのは

わたしたち人間だけなのよ」

 

というアナスタシアの主張に

通じていくわけです。

 

 





 

わたしが2012年に

スピリチュアルな本を

一気に読み始めたときは

 

メグレさんのような結論には

達しなかったんです。

 

つまり、

1冊読んでは

これこそが

探し求めていた真実!

と感動し

 

次の1冊を読んでは

あら??

あの本と反対のことが

書いてあるけど、

どっちが真実?

 

と揺れ動くの繰り返しで

 

どこかに完全なる

真実の1冊がある

 

そこに答えが

すべて書いてある

 

というような気持ちで

読み漁り続けていたんですよね。

 

 

1冊の中に両方が含まれている

という視点で読んだことは

当時は1度もなかったです。

 

 

だからその視点を持って

アナスタシア以降の

読書生活を送れたメグレさんは

 

導いてくれたのが

アナスタシアだったという

幸運も大きいでしょうけど

 

鵜呑みにしないで

自分で確証を得ようとした

その姿勢と

 

どれにも

真実と誤りが混ざってるな

と思えること自体、

さすが成功していた実業家、

現実的で冷静だなと感心します。

 

 

 

 

ちなみに2巻の第一章には

メグレさんが生まれて初めて

書いた詩がわりと長々と

掲載されていて

わたしはここをほとんど

飛ばして読んでしまいましたが

 

 

その詩を捧げた

グレゴリーラスプーチンと

アナスタシアがともに

シベリア杉の生い茂る

タイガの森で育った

という共通点には

とても興味を惹かれました。

 

 

 

また、

この章の最後に書いてある

 

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わたしはアナスタシアと

共にタイガで過ごした時間を

たびたび回想したが

そのたびにふつうとは

異なる体験をした。


個々のエピソードを

思い起こすたびに

わたしの記憶の中に

そのときの状況が

細部に至るまで再現され、 


アナスタシアの表情や

声のイントネーション、

さらにはそのしぐさまでが

生き生きとよみがえって

くるのだった。

 

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という描写も、

ものすごく興味深いです。

 

 

 

過去の思い出で

これほど鮮やかに

よみがえるシーンがあるかな、

と思い返してみるのですが

ちょっと思い浮かばないです。

 

 

 

 

でも、長男は

人生のありとあらゆる

ブラックな思い出が

ささいなきっかけで

一気に蘇ることが多々ある

とよく言っているので

 

それはもしかしたら

メグレさんが書いている

この状況の「闇」バージョン

なのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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