毎日暑い日が続いていますが、広島で犠牲になった方々は、もっとあつかっただろうと思います。
アメリカの先住民ホピ族は、母なる大地から心臓をえぐり出してはならないとの教えを守り生きていました。
けれどある日、白人たちがやって来て、大切に守ってきたものは奪われてしまいました。
そして、ホピの予言は的中してしまうのです。
『彼らはこの聖なる大地を掘り返し、そこで搾取したものから灰の詰まったひょうたんを造るだろう。
そのひょうたんが地上に投下されれば、すべてを焼き尽くし、地上は一瞬で灰になる。
多くの病が長く続き、医者も薬も、もはや何の役にも立たないだろう。
このひょうたんの灰は、とてつもない破壊力を持ち、川を煮えたぎらせ、不治の奇病を起こし、長いこと生命を育てなくさせてしまうだろう。』
そのひょうたんが地上に投下されれば、すべてを焼き尽くし、地上は一瞬で灰になる。
多くの病が長く続き、医者も薬も、もはや何の役にも立たないだろう。
このひょうたんの灰は、とてつもない破壊力を持ち、川を煮えたぎらせ、不治の奇病を起こし、長いこと生命を育てなくさせてしまうだろう。』
そう、ホピの大地からえぐり出されたものこそ、原爆の元となったウランだったのです。
そうして、1945年8月に2発の原爆が広島・長崎に投下されてしまったのでした。
これは、戦争を早く終わらせるためという口実の元で行われた核兵器の影響を調べるための人体実験でした。
さらに、広島と長崎に原爆が落とされる約2週間前に、首都東京に原爆一号機が投下される予定だったというのも驚きです。
戦後74年が経ち、被爆体験を語れる人はほとんど居なくなってしまいました。
けれど明らかに伝えるために生かされていたとわかる方々がこれまで何人か存在していました。
●山口彊(つとむ)さんは、広島・長崎の両方で原爆の被爆を受けたという稀有な方です。
しかし、差別や偏見を避けるため、長い間「二重被爆」のことは黙っていました。
そして、戦後60年経った頃、ようやく「二度も被爆してなぜ自分は生きているのか。伝えるために生かされているからだ!」と氣づき、93歳で胃がんで亡くなるまで、核廃絶のために力を尽くして下さったのでした。
●漫画家中沢啓治さんは、「はだしのゲン」の中に全ての想いを込め、2012年73歳で亡くなりました。
中沢さんは、原爆投下が人体実験だった事も語っていました。
『ABCC(原爆傷害調査委員会)が来てね、オフクロの内蔵をくれというんですよ。棺桶の中にいるオフクロの内蔵をくれって。怒ったんです。帰れって。
彼らは、広島市を見下ろす比治山の上から、じっと見ているんだ。今日は被爆者の誰が死んだんだ?って。』
●「福島の事もあるから、私はまだ死ねない!」と100歳まで頑張って下さった方が医師の肥田舜太郎氏です。
肥田先生は広島での惨状をこう語っていました。
「もう人間とは思えなかった。真っ黒けの縦に長いものに顔があり、目がおまんじゅうみたいに腫れてついていた。
鼻がなくて、下が全部口、上下の口びるが腫れ上がっていた。
自分はすぐに被爆者の治療に当たったが、せん光を浴びた被爆者たちは、次々と亡くなっていった。
直接被爆した人が、死ぬ前に出る急性症状がある。
まず高熱が出、口の中が腐敗、目鼻口から出血、肌に紫色の斑点が出る、そして最後に頭髪がとれる。
ところが、原爆のせん光を浴びなくても、3時間後に爆心地に手伝いに来た男性までが、同じような急性症状が出て亡くなった。
直接せん光を浴びなくても、3か月くらいしたら原因不明の症状が出る人もいた。
ある日突然、全身がだるくなって動けなくなる。仕方ないから寝転がって、翌朝起き上がっても仕事ができない。
でも3~4日経つと自然によくなる。その繰り返し。
その後30年経っても、そのような症状でずっと苦しんでいる人々がいる。」
これは内部被曝の症状でした。
そして、肥田先生は、原爆と同じ核を使った原発についても警鐘を鳴らし続けて下さいました。
『原発はただちにやめるべき。まだ扱う能力がない。その証拠に、出たカスはおいてけぼりになっている。ただプールの中に置いてあるだけじゃないか。
僕がこう言う事を言うのは、理屈を知っているからでなく、何万人と言う被爆者が死んでいくのを見て来たからだ。
人間をこんな形で殺すものは他に類を見ない。被爆者が一生懸命生きようとしても、結局最後は殺されてしまう。
生きている間は他の人に理解してもらえない体の辛さを持ち、生きているよりも死んだ方がましだったというほど、被爆者は苦しみに耐えて生きて来た。
広島の場合は白血病は7年目、ガンは8年目に大量に出た。
そういう殺し方をするものを、医者として「いいよ」とは言えない。これだけは絶対にいけない。
良心がある医者は、みんなそう言うはずだ。』
僕がこう言う事を言うのは、理屈を知っているからでなく、何万人と言う被爆者が死んでいくのを見て来たからだ。
人間をこんな形で殺すものは他に類を見ない。被爆者が一生懸命生きようとしても、結局最後は殺されてしまう。
生きている間は他の人に理解してもらえない体の辛さを持ち、生きているよりも死んだ方がましだったというほど、被爆者は苦しみに耐えて生きて来た。
広島の場合は白血病は7年目、ガンは8年目に大量に出た。
そういう殺し方をするものを、医者として「いいよ」とは言えない。これだけは絶対にいけない。
良心がある医者は、みんなそう言うはずだ。』
命をかけて、ずっと被爆体験を私たちに伝え続けて下さった方々は、今は安らかに天国で過ごしている事でしょう。
あとは私たちがどう生きるかです。
ホピ族のご先祖様が、大地から掘り起こしてはいけないと言っていた警告を、今こそ重く受け止めるべきです。
人類はまだ核を扱うには早すぎるのです。
世界から核を廃絶し、絶対に原発を廃炉にしていきましょう。