肥田舜太郎氏の訃報 | misaのブログ

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昨日、デービッド・ロックフェラー氏の訃報を載せましたが、彼と同じ春分の日にもう一人、肥田舜太郎氏が亡くなっていたのです。100歳でした。

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共に長寿のお二人ですが、まるで陰陽のように二人の生き方は違っていました。

肥田舜太郎氏は、広島で被爆し、戦後は医師として6000人以上の被爆者を診察しています。

肥田氏は被爆当時、広島陸軍病院の軍医だったのですが、戦後、医師を務める傍ら、30か国以上を訪問して核兵器廃絶を訴えて来ました。

方や、他人の命はないがしろにしても、自分たちだけは巨万の富を得て、世界を牛耳っていた人。

もう一人は、高齢になるまで被爆者の面倒を見て、人類の命を奪う「核兵器」をなくそうと活動された人。

二人は全く対照的ではありますが、それぞれの役割を演じる為に一緒に地球にやって来たのかも知れませんね。

同じ日に亡くなったというので、そんな風に感じました。

お二人のご冥福をお祈りいたします。

肥田舜太郎氏は、原爆投下により被爆をされたのに、どうしてこんなに長寿なのでしょうか。

それには理由があるようです。

こちらより抜粋

「当時の私は、広島市郊外の戸坂村の農家で、看護師7人とともに20000人にのぼる被ばく者を診察していました。

すさまじいだるさに襲われたのは、診療を始めてから4~5日後です。

最初は疲れが出たのかと思いましたが、症状はひどくなる一方で、しまいには立っていられなくなりました。

一度横になってしまうと起き上がれず、39℃近い高熱にうなされ、口や鼻だけでなく、目からも出血し始めたんです。

幸いだったのが、8月15日の終戦後に四国や九州の部隊から100人ほどの軍医や衛生兵が助けに来てくれたことでした。

毎日輸血を受け体内の血が入れ替わると、見違えるように元気になったんです。」

<抜粋終わり>

よく、輸血より「生理食塩水」を、と言われますが、肥田氏の場合は内部被曝した血液と被曝していない血液が入れ替わった事で、元氣になられたのでしょう。

輸血が怖いと言うのは、血液型は分かっても、その内容が見えないからなのです。

あちこちから出血し出したのは、身体が汚れた血液を排出しようとしていた為です。

血液をきれいにしておく事が、生きていく上でとても重要なことなのです。

それではここで、肥田舜太郎氏からのメッセージを皆様にご紹介させて頂きます。

内部被曝を乗り越えて生きるために

広島を経験した医者として、ああ、怖れていたことがついに起こってしまう、と思いました。

放射線によってすぐに何万人が死ぬということではありませんが、子どもも大人も放射線を出す物質が身体の中に入ったわけですから、これから何十年に渡っていろいろな病気が出てくるだろうということです。

事故後1年から、集中して出てくるのは3年から5年ほど経た頃だろうと考えています。

この私の計算は、広島や長崎の被爆者を診てきた経験によるものです。

今回の原発事故で出てきた放射線は、原爆のものと同じですから、同じようなことが起きて不思議はないと思います。

これから起きるべき事態に対して政府は慌てずに対応できるよう、医療体制をちゃんと作っておかなくてはなりません。

そして医者も患者をちゃんと診療できる力をつけておかないといけません。

慢性被曝の症状を前にして、何だかわかりません、というのでは広島や長崎の時と同じことになってしまう。

原爆の被爆者はどこの病院に行っても「病気じゃありません」と言われ、それで理由もわからないまま、多くの人が苦しみまた死んでいったのですから。

放射能に関する調査も研究も、アメリカの軍事機密といわれて、禁止されていました。

当時は占領軍が支配していましたからね。背いたら「厳重に罰す」とされていました。

それでも調べるんだという気概を持った医者はいたけれど、みんなクビになりましたね。

7年間占領が続き終った後は、講和条約と日米安保条約が結ばれ、日本はアメリカの「核の傘」によって守られることになりました。

それによって今度は、日本政府が「核政策」に関係する都合の悪いことを、徹底的に隠すことを始めます。

ですから日本は世界で唯一の被爆国ですが、原爆の放射線による健康被害のデータも持っていなければ、医療の研究もまったく進んでいないのです。

データもないし臨床経験もないわけですから、今の日本の医者には被曝症状がどういうものかは、全然わからないと思います。

それに治療法については、私にもわかりません。たぶん、今の医学界のトップにいる人だってわかっていないでしょう。

ただし、最近になって海外では新しい研究論文が出てきています。

チェルノブイリ原発事故は、26年前のことですが、汚染された地域に住民が戻ってきているので、また新しい被曝者が出ています。

そしてロシアになって新しい政府の体制になったこともあり、ロシアの若い医者たちが研究に取り組んでいると聞きました。

ユーリ・I・バンダジェフスキーの論文で、日本語に訳されたものを読みましたが、それによるとセシウム137が心筋細胞に一定濃度以上蓄積されると突然の心筋梗塞に繋がることがあると書かれていました。

昨年5月と今年の1月に、福島第一原発の事故処理で働いていた作業員が、急性心筋梗塞で亡くなりましたが、この論文を読んで、彼らの死因は被曝の可能性があると思いました。

そういうことが少しずつわかってはきています。

例えば、私が当時からずっと診てきた被爆者、結局6000人ほど診てきたわけですが、そのうちの1000人でも細かくカルテを書き残していれば、また違ったと思います。

広島で直接原爆を受けたのか、入市被曝なのか、家族がヒバクしたのか、どんな症状がいつ出たのか、いつ病気になったのか、亡くなった時はどういう状態だったか・・・などなど。

このような詳細な記録が1000人分でもあったら日本の医学会の対応もまた違ったかもしれません。

しかし私はそのデータを持ってはいません。カルテを書く時間が無かったからです。

目の前で次々と死んで行く人を助けるため、あちこち走りまわっていたのと、そういう仕事は私のような町医者がやるのではなく、大学病院の専門機関にいるような人がやるものだとも思っていました。

でもさっき述べたような事情で、カルテを作って保管している医者というのは、おそらく一人もいないのです。

町医者にだって外圧はありましたからね。医師会からもありましたよ。

ヒバク患者のことは、診てもいいけれど、あんまり熱心にはやるな、と言われましたね。

でも次から次へと私のところへくる患者を前にして「事情があるから診られません」とは私は言えませんでした。

みなさんの反応がこれまでと事情が違うのは、自分や子どもの命に関係することですからね。

特に我が子の命に関わることですから、お母さんたちはもう真剣です。

事故の直後、放射線を避けるために、まず遠くに逃げろ、と言われた。

その後、汚染された食べ物はなるべく食べるな、ということも言われた。

でもその後は、国も行政も放ったらかしの状態です。

親御さんたちの不安とストレスは頂点に達したと思います。

個人の力では、避難したくてもできる人とできない人が出てきますからね。

みんなができないことは、私は言いたくはないのです。

でもそこで「じゃ、肥田先生はどうしたらいいと思いますか?」と聞かれた時、果たしてなんて答えたらいいのだろうかと、ずいぶんと悩みました。

私は、原爆被爆者の集団に入って数十年に渡って活動をしてきましたが、そこでやってきたことを思い返していきました。

二十何万人の会員がいるうち、医者は私一人です。だからみんなからは、「健康で長生きするにはどうしたらいいのか?」ということをいつも聞かれていました。

だいたいみんな中年になってくると、成人病が出てくる。

それを僕にどうしたらいいのか?と聞いてくるのだけれど、それは本人が自分の命を引き延ばすという覚悟を持って、そういう生き方をしないとダメだよ、とまずは言いました。

かつて人間の祖先である生物は、海の中に住んでいました。

それが何かのはずみに陸に上がり、何億年もかけて、大気中にあった紫外線や放射能に対しての免疫力をつけて生き延びてきたわけです。

その時、どのような行動をとっていたのか。それは太陽と共に生きるということ。

日の出と共に目覚め、日の入りと共に眠る。

それを今の私たちの生活にそっくり置き換えることはできないけれど、夜遅くまで酒を飲み歩き、睡眠不足なまま起き、時間がないからと朝食もとらず、駆け足で電車に飛び乗って会社に行く。

これでは毎朝自殺行為を繰り返しているようなものです。

そんなことで本当に病気にならないで長生きできるの?という人には、「では私をみなさい。あなたよりもずいぶん年を取っているけれど、明日死ぬとは見えないでしょう?」。

当時はまだ私も70歳でしたから。

そういうことを言いながら、被爆者を長生きさせる運動を「生活改善」を説きながら行ってきたのです。

それを思い出したら、今、被曝した人間が子どもも含めて、自分の意志でやれることは、これしかないと思ったのです。

実際、私の長年の経験に基づいてやってきたことです。

私自身もそうですが、被爆者という悪条件のもと96歳まで生きてきましたし、広島の被爆者も70~80歳まで生きのびて、今も元気な方はたくさんいらっしゃいます。

ヒバクしたからといって、みんなが病気になって早死にするわけではありません。

放射線による影響を受けながらも、病気を発症させなければいいのです。

自己免疫力を上げて病気にしなければいいのです。本人が努力をすることでできることなのです。

講演会などでみなさんが、私に必ず聞くのは何を食べたらいいのか?ということですが、明らかに大量の放射線を浴びているもの、測ったところベクレル数が高いもの、これは食べない方がいい。

だけれども一般的に、じゃがいもとさつまいもとどちらが、いいか、というのはまったくありません。

大事なのは、食べ方です。ゆっくり食べる。楽しんで食べる。これが大事です。

敵に襲われない安全な場所でゆっくりと食べる。これは大昔からの人間の楽しみです。

食事は、心身を癒す大事な時間です。あんまり楽しいことのない今の中にあって、本当に貴重なことです。

夫婦二人がせっかく揃ったのに、食卓で喧嘩をするというのは、一番悪い行為です。

せめて1時間は、楽しく語らいながらゆったりと食事の時間を過ごす、それをおやりなさい。

私は今回の事故が起こった後、早い時期から、政府や各政党や委員会に対して、小中学生の集団疎開をさせるように進言してきました。

戦時中のように強制力をもってやる。これは国にしかできないことです。

広島原爆を体験した一人の被爆医師として、政府だけでなく各省や各政党に何度も申し入れをしましたし、実際に会って話をした方もいます。

実際にある役所においては乗り気になった担当の方もいました。

しかし最終的にはどこも「子どもの集団疎開をさせるべき」という結論には至らなかったのです。

結局は内部被曝の怖さを誰もわかっていないから、こういうことになるのです。

これから出てくる慢性的な被曝症状、病名のつけようのない様々な疾患について、甘くみているんだと思います。

しかし私のような一人の医者が、いくら声をあげても国の方針を動かすことは無理です。

せめて、子どもたちの健康が心配で、不安で毎日イライラしながら生活を送っている親御さんたちの苦しみを取り除いてあげたい。

だから若いお母さんたちにはまず「被曝をしたと覚悟をしなさい」と語っています。

これから広島、長崎で起こったことと同じことが起こるかもしれない。しかし何が起こっても驚いたり慌てたりしてはいけません。

あなたや子どもの健康を守れるのは、あなた自身しかいません。医者だってあてにはなりません。

世界中探しても、あなたの細胞はあなただけしか持っていないものです。

大事なかけがえのない命なのだから、他人任せにはしない。

一番大事なことは、自分自身の価値に目覚めること。強い意志を持って乗り越えてください。そのように話しています。

今の日本では内部被曝から逃げることはもうできないのですから、せめて未来の子どもたちのために、放射能の心配のない日本を残していけるよう、みんなで努力しましょうよ。

原発は事故が起きなくても動いているだけで、放射能汚染はあります。

処理のできない核のゴミもたまる一方です。

だから原発は全部停めないと、廃炉にしないと終わりにはなりません。

自分たちが汚してしまったこの日本を、きれいにして未来の子どもたちに渡すために、残りの人生を費やす。

そんなふうに1億2千万人の日本人みんなが、この問題に向き合わなければならない、そう思っています。 

<転載終わり>

肥田さん、天寿を全うしお役目を果たされましたね。

本当にお疲れ様でした。

デービッド・ロックフェラー氏と肥田舜太郎氏、二人の生き方を見れば、健康で長生きするにはどうしたら良いか自ずと分かるはずです。

そう、化学的なものは取らず、自己免疫力を高めることが1番なのです。

放射能さえも怖くないほどの身体を作っていきましょう。

福島にお住まいの方々に、是非希望を持って頂きたいと思います。