肥田舜太郎氏 放射能の怖さを語る | misaのブログ

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8月4日のNEWS ZEROに肥田舜太郎氏(94)が出演されていました。

肥田氏はご自身も広島で被爆した医師です。

過去記事より http://ameblo.jp/aries-misa/entry-10938479571.html

先生は、今は埼玉県に住まわれていますが、ご高齢にもかかわらず全国で講演会をされるほど精力的な方です。

2年前に現役を引退しましたが、これまで6千人もの被爆者の診察や相談を続けて来られました。

「私は広島・長崎の被爆者の方とずっと接して来たので、何年目にどういう病気が多かったか、全部知っている。

福島では毎日放射能が出るんだから、私は94歳だけど、まだ死ねない。

出来るだけ長く生きて、知らない人に放射線の害をちゃんと教えて歩く。」

肥田先生はさらに、広島での惨状を語りました。

「もう人間とは思えなかった。真っ黒けの縦に長いものに顔があり、目がおまんじゅうみたいに腫れてついていた。

鼻がなくて、下が全部口、上下の口びるが腫れ上がっていた。

自分はすぐに被爆者の治療に当たったが、せん光を浴びた被爆者たちは、次々と亡くなっていった。

直接被爆した人が、死ぬ前に出る急性症状がある。

まず高熱が出、口の中が腐敗、目鼻口から出血、肌に紫色の斑点が出る、そして最後に頭髪がとれる。

ところが、原爆のせん光を浴びなくても、3時間後に爆心地に手伝いに来た男性までが、同じような急性症状が出て亡くなった。」

そして被爆から3ヶ月くらい経った頃、肥田先生はある事に気がつきました。

直接せん光を浴びなくても、原因不明の症状に苦しんでいる人が大勢いるという事に。

「ある日突然、全身がだるくなって動けなくなる。仕方ないから寝転がって、翌朝起き上がっても仕事ができない。

でも3~4日経つと自然によくなる。その繰り返し。

その後30年経っても、そのような症状でずっと苦しんでいる人々がいる。」

これは内部被曝が原因でした。内部被曝の事など、当時はもちろん誰も知らないものでした。

この内部被曝には個人差があると肥田さんは言います。

免疫力によるものなのか、肥田先生のように直接被爆しても症状が出ない方もいるのです。

被爆調査結果は、当時アメリカに全部行ってしまったので、国内では何も解明されて来なかったのでした。

肥田先生は、被爆者の苦しみを知っているからこそ訴えたい事があるそうです。

「原発はただちにやめるべき。まだ扱う能力がない。

その証拠に、出たカスはおいてけぼりになっている。

ただプールの中に置いてあるだけじゃないか。

僕がこう言う事を言うのは、理屈を知っているからでなく、何万人と言う被爆者が死んでいくのを見て来たからだ。

人間をこんな形で殺すものは他に類を見ない。

被爆者が一生懸命生きようとしても、結局最後は殺されてしまう。

生きている間は他の人に理解してもらえない体の辛さを持ち、生きているよりも死んだ方がましだったというほど、被爆者は苦しみに耐えて生きて来た。

広島の場合は白血病は7年目、ガンは8年目に大量に出た。

そういう殺し方をするものを、医者として『いいよ』とは言えない。

これだけは絶対にいけない。

良心がある医者は、みんなそう言うはずだ。」

埼玉県の原爆慰霊碑には、みんなの悲願として、こう書かれているそうです。

『二度と被爆者をつくらせぬ』

「自分たちのようなあんなみじめな苦労は、世界中の誰にもさせたくない。

これは、素直なみんなの気持ちだ。」

多くの被爆者を見て来た先生からのメッセージを、私たちは重く受け止めなければならないと思います。

…原発は絶対やってはいけない…

肥田先生、いつまでもお元気でいて下さいドキドキ



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