メヒコ
最近、ラテンアメリカ、特にメキシコに興味があります。
もともとは、ヨーロッパの建築に興味がすごくあって、生涯で絶対行きたいところといえばヨーロッパだったのですが、最近授業でメキシコの現代建築についてのビデオを見て、軽く衝撃を受けました。
特に、見たいのがLuis Barraganこと、ルイス・バラガンの建築です。彼はモダニズムをメキシコの風土をうま~くマッチさせた、すごい人なのです。壁も赤、黄色、青、ピンクなど、ものすごい派手に塗られているのですが、なぜかこれがいやらしくない、っていうか、むしろ色の膨張効果と縮小効果があいまって、ものすごい空間に奥行きが出ている気がします。
また、Diego Riberaの絵も、モダンでありながら、何かスピリチュアルなものを感じさせてくれる、不思議な絵です。これも、メキシコの有名な建築家とコラボレーションしたりしてるので、見てみたいです。
あとは、バラガンの弟子Ricardo Legorreta、彼のカミノ・レアル・ホテルも見てみたいですね。
もちろん、メキシコだけじゃなく、アルゼンチンとかニーマイヤーのブラジルにあるカーブが主の建築にも興味はあります。
まず、スペイン語から始めたほうがいいのかな?
原点
芦原さんが、奥野健男さんの著書から引用した部分で
「原風景」という概念です。
この「原風景」っていうのは、簡単に言うと、作家や芸術家が幼少期・少年期を過ごした風景のことで、これらの「場所の記憶」が無意識に彼らの深層心理に埋め込まれていて、彼らの魂のふるさとになると同時に、彼らの創作活動にも影響を与えるというものです。
確かに、かの安藤忠雄さんも、氏の創作活動の原点は少年期をすごした大阪の長屋であり、その薄暗い室内を思い出すことで、氏の陽だけでなく、建築のもつ陰の部分を強調し、日本古来から受け継がれてきた精神を建築に反映しているとか言っていたような気がします。(間違ってたらごめんなさい)
また、フランク・ロイド・ライトがプレーリーの大平原にこだわったのも、コルビュジェが地中海の真っ青な空と照りつける太陽にこだわったのも、そこらへんからきているんじゃないでしょうか?
でも、最近は、同じような都会で同じような街の風景を見て育ち、同じようなテレビを見て育った世代になりました。
もちろん、自分ももれなくそのうちの一人だと思います。
彼によると、そういうった人たちはどうしても強烈な原風景ないし故郷の風景を持った人とは太刀打ちできないとのことです。
しかし、自分の今までを振り返ってみると、少しだけそういったものがあることに気付きました。
自分は昔3年ほど富山県に住んでたのですが、その頃は家の周りは田んぼだらけで、あぜ道を通りながら帰ってきたことを思い出します。と、いっても富山市だったから、そこまで自然の中でっていう感じではないんだけれども、そういう時期もあったなぁ、とすごい思い出します。
また、小さい頃から、都会育ちで、しかも転勤族だったため一つの場所に留まったことがないので、一軒家と田舎暮らしに強い憧れを持っているのは確かです。小学校の図工の時間で、将来住みたい家を作るって言うのがあったんですけども、そのとき作ったのは純和風の家で、囲炉裏とかついてて、しかも周りが田んぼなり、畑とかそんな感じでした。
こういった、憧れが自分の創作活動の推進力になればと思います。また、今いるネブラスカの風景をできるだけ記憶にとどめ、自分の「原風景」になればと思います。
Project 2 "Culture Center" -Getting Started
今学期の残りをかけたプロジェクトが始まりました。地元の人ならわかると思いますが、先学期くらいの新聞にNebraska Unionの隣の駐車場にCulture Centerを移設しようという話があったのを覚えていますか?まさに、今やっているのはそれです。
日本風に言うと、学生会館の隣に文化会館を併設しようということです。もともと、文化会館は別の場所にあったのですが、規模も小さく、キャンパスの中心からは離れたところにあるので、利用者が少ないのです。しかし、最近になって大学側が異文化交流をこの大学のウリにしようと決めたので、文化会館の規模を大きくすると共に、キャンパスの中心に移設してしまおうという話です。
ただ、もちろん課題としての話なので、敷地もキャンパス内なら自由。ただし、それなりの理由をつけて、自分の選んだ敷地を正当化しなければなりませんが、、、また、自分が選んだのが学生会館の隣なので、文化会館を学生会館の拡張として扱うのか、それとも独立した建物として扱うのかによっても、またコンセプトの練り方が全然違ってきます。
この課題はおもってたよりも曲者で、コンセプト段階からすでにつまづいてます。
文化会館を設計するにあたり、まず考えなければいけないのは、「文化とは何か」ってことです。アメリカはご存知のとおり、多民族が入り混じった人種の坩堝です。だから、文化会館といっても、単に留学生のことを考えればいいのではなく、片親がヒスパニック、アジア人、アフリカ人だとか、そういうった少数派の人たち(Minority)についても考えなければならないのです。
いろいろ考え付くのですが、優柔不断な性格のせいかどの主張にも一貫性がなくて、すごい困ってます。また、考えても、それがどのように現実的に形として現れてくるかが、まったく見えてこないので、正直かなり焦ってます。
一応、考え付いたコンセプトとしては、
①Connectivity, Experience, Openness (結合、経験、開放性)
-異文化を理解するのはとっても大変なことです。なぜなら、普通人々はひとつの国の中、ひいては一つの文化のなかで育つからです。また、人々の価値観というものは、自分が育った文化によるところが大きく、異文化の理解というものが、違う価値観を理解するということと相違ないことから、それを完全に受け入れるには、かなりの努力が必要でしょう。
しかし、簡単に異文化を理解する方法として、常に異文化と「つながっている」ことが大事だと思います。異文化と常につながっていることで、それは自分の価値観と違う「経験」を生み出し、異文化というものを肌で感じることが出来るからです。
また、文化会館はそういった、少数民族と白人との境界を減らすことが大命題であるので、閉鎖的な空間ではなく、出来るだけ外部に向けて「開放的」であるべきであるとおもいます。
このコンセプトに対する具体的な建築言語としては、「シームレスな交流を可能にするためのブリッジ」、「交流のためのセントラルスペースと、そこから派生する放射状に展開するプライベート空間」ということを考えていました。
②Sky-People-Earth (天地人)
-全ての文化は、程度の違いはあれど、「大空」の下、「大地」の上で発展してきました。ゆえに、人々を挟み込むこの2つは全人類にとって共通の感覚ともいえます。この「天」と「地」を絶えず感じられる内部空間があれば、異文化交流において、「俺たちは違う、けれども空と大地の間で生きていることには変わりないんだ」という想いを抱けるのではないかと思いました。まぁ、これは極端な話ですが、要は、文化会館だからといって、文化の違いを前面に押し出すのではなく、異文化の中での共通点に焦点を当ててみようじゃないかということです。
③Background in Foreground (前面に押し出された背景)
-文化とは何か?というのを一番端的な言葉で表せるとしたら、「人々のBackground」でしょう。 この「background」には「背景」という意味のほかに、「素性」「経歴」といった意味もあります。つまり、彼らが今まで生きてきた人生全てです。そこで、文化会館とはどういう目的の施設か、ということを考えると、こういった多様なBackgroundをForeground、つまり前面に押し出して強調し、彼らのアイデンティティーを確立すると共に、違ったBackgroundの人々との交流を図るための施設だと考えます。
これらの考えから、フォームとしても、前面と背景が交錯する、少し彫刻的で詩的な空間を考えています。
④Gateway of Other Culture (異文化への入り口)
-異文化というのは、理解しようと努めなければ永遠にわからないものだと、自分は思います。ですから、文化会館を異文化を理解するための第一歩を踏み出す場として、提供することによって、人々の異文化理解に対する躊躇なども減るかもしれません。
と、まぁ色々考え付いたんですが、このプロジェクトは、異文化に3年間触れてきた自分の価値観を試されるプロジェクトだと思っています。スタジオ内での唯一の留学生として、こればっかりは他の人たちに負けるわけにはいけません。意地とかそういうわけではなく、留学生であるだけで異文化に対して考える機会があるというアドバンテージを経験として持っているのに、他の人たちより思考が浅かったりしてはいけないと思ったんです。
建築は実際に建物を建てるだけじゃなく、こういった思考のプロセスの学問でもあります。自分の持てる知識・経験・技術を総動員して、がんばりたいと思います。
Project 1-3 -Completion : 総括-
やっとこさ、最初のプロジェクトが終わりました。
結局、コンセプト①のDirectionalityでいくことにしました。でも、このコンセプトを更に発展させるために、いくつかのバリーエーションをパラメーターを一つづつ変えたり、それらを合成してみたりしたので、まずそれを紹介しようと思います。
まず、変化させたパラメーターは
A-Perforation : 穴あけ
B-Transparent : 透明
C-Structural Hierarchy : 構造的階層
D-Height Decrease ; 高さによる階層
E-Structural Expression : 構造的表現
F-Separation : 分離
G-Overlap : 重複
A-1 porous(多孔)
A-2 Horizontal Strip(水平)
A-3 Vertical Strip(垂直)
B
C
D
E
F
G
そして、コンビネーション
こういった、数々の試行錯誤を重ねて、最終的にはA-2,B,Dの組み合わせに、壁の厚みを加えたのを最終案にしました。また、天井もただの放射状ではなく、段階的に変化する格子状にすることにより、2つの壁の交差点に向かい空間が広がっていく様を表現しました。そして、ベンチは脚を排除し、壁から生えているようにすることで、構造的な表現が出来たのではないかと思います。
そして、これが最終模型です
今回のプロジェクトで、模型から考えること、3Dでコンセプトを練ることの面白さと有用性をすごく学びました。この経験を次のプロジェクトにも活かせたらいいな、と思います。
シンプルであることの難しさ
「LESS IS MORE」
の有名すぎる名言を残したミースだが、それに対し、ポストモダンの建築家ロバート・ベンチュリーは
「LESS IS BORE」
といって、合理的空間を第一としたモダニズムを否定した。
自分が読んでいた教科書の一説に
「LESS IS MORE」を達成しようとして、エレメントを減らしていくと、簡単に単純な「LESS」に陥ってしまう
といった趣旨の文章があった。これは、考えてみれば当たり前で、余計なものが大量にくっついているものからはがしていくのは最初は簡単だが、だんだんどれが本当に大事でどれが余計なものなのかがわからなくなってくる。しかも、ほぼ合理的に完成されたものから、さらに洗練しようとなると神がかり的な審美眼が必要となってくる。
そう考えると、こてこていろいろ付いていた新古典主義からの脱却をはかって、合理的でシンプルな空間構成を達成したコルビュジェやミースはおそろしくすごいと思う。
おそらく、ベンチュリーがそのモダニズムに辟易したのは、モダニズムがインターナショナルスタイルとして世界中に広まり、その真髄を理解しないまま真似しようとした建築が世にあふれたからなのであろう。(こんなのは建築人にとって常識なのかな?)
※でも、実はミースは建具の収まりやなどの特徴的なディテールでも知られているって授業でやりました。天才にはいろんな顔があるんだね。
Project 1-2 : コンセプトモデル
この前少し書いた、バス停のプロジェクトの続きです。今日は初めて写真付で説明したいと思います。
この、バス停はプロトタイプとして作ることを目的としているようですが、いくらプロトタイプといっても完全に敷地から乖離された建築なんてものはありえないから、どこに建てても簡単にそこの敷地の色に染められるように作らなければならないそうです。
今まで、図面中心でコンセプトを練ることが多かったのですが、あるテレビ番組で有名な建築家の人が模型中心でコンセプトを練っていくといっていたので、試してみる価値はあるかなと思って、今回はコンセプトをいきなり3Dで考え始めてみました。実際にやってみると、これが意外とよくて、図面だと非現実的なものでも簡単に出来上がってしまうけれども、実際に模型にしてみると、作れないものは作れないわけで、ある種の制約が課せられるから、ふるいにかける意味でもかなり役に立ちそうです。
では、コンセプトを説明したいと思います。
①Directionality: 方向性
→ 皆さんは、バス停を見かけたとき、それがどっち方向へ行くバスのバス停か判断に迷ったことはありませんか?自分はもともと左右の区別を瞬時にできないので、よく間違えたりします。と、いうわけで、このコンセプトではバスの進行方向(間違えたため実際は逆)に向けて収束していくようなデザインにしています。屋根は敷地ぎりぎりに置かれた一本の柱から歩道側の大きい壁をなぞるようにして放射状に骨格が組まれ、その間にアクリルかガラスが入ります。降った雨が傾斜によって後ろに流れるようになっているので、乗り込むときに濡れないようにしました。
先生からのアドバイス
→ ・大きい壁と小さい壁が同等のものとして扱われているので、ヒエラルキーをつける。
材質(片方を透明にするとか)
大きさ・高さを変える(小さいほうの壁を低くする)
大きい壁には屋根の荷重をかけて構造物とし、
小さい壁は仕切りとしての役割だけを持たせ構造物としない など
・このままだと来るバスが見えないので、内部からの視界をもう少し広げる
→これは逆になるので問題はないと思われる
・屋根から壁への加重をもう少し、構造的に表現する。屋根のリブの間に少しくぼみをつけるなど。
②Transition (inside→outside:outside→inside):遷移(内部から外部:外部から内部)
→ バス停とはどこにあるか、ということを考えたときに、バス停は基本的には「外部」に位置する空間である。しかし、雨風をしのぐためには、そこは「内部」である必要がある。ということは、こういうタイプのバス停を考えると、これは「外部」であると同時に「内部」としての性質も持ち合わせているということになる。この、不思議な二律背反の関係性を「内部」から「外部」、「外部」から「内部」への連続性を用いて表してみた。すりガラスのS字カーブを基調にして、凹側に屋根を用いることによって、一つの壁が歩道側では最初はな「内部」であるのに、偏曲点を過ぎると、そこはもう「外部」であり、同じように道路側では反対の現象が起こっている。また、歩道側の屋根を次第に変えていくことにより、突発的な変化ではなく、緩やかなTransitionを達成できるようにした。
先生からのアドバイス
→ ・一続きの壁の変化がコンセプトなのに、真ん中に人の通り道を作って壁を分断している。
これを、あえて2つのC字カーブに分けて、オーバーラップしたり、逆に離してみたりして、その間の隙間をうまく使う。
・すりガラスだとやっぱりバスが来たのが見えにくいから、材質にも注意。
・バスに乗る口は逆なので、S字の向きを逆にする。
③Flotage: 浮遊
→ バス停にはなぜバスが止まるのか?それは、そこに止まると規則の上で定められているからである。と、いうことはもし、その規則が改訂される、つまりそのバスのルートが変わって、そのバス停が使われなくなったら、そこはもうすでにバス停ではないのである。このように、バス停は一時的な建物であって、住居などのようにいつまでもそこにあるとは限らない。一時的であるからこそ、その土地そのものに根付いてはいけないものでもある。というわけで、写真だと少しわかりにくいが、メインである壁とベンチを床から浮かして、それを天井から吊って支える感じの構造物とした。
先生からのアドバイスはありません
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まだまだ、1,2個秘めているコンセプトがあるので、それは週末にこれらのコンセプトを少しづつ手直ししながら作っていこうと思う。来週からは具体的なディテールに入るらしいので、がんばってこの土日に決めてしまわねば、、、
Architecture History - 建築史
今、明日の授業のために建築史の教科書を読んでるのですが、範囲が現代建築(第二次世界大戦後)なので
リチャード・ノイトラ
エーロ・サーリネン
ミース
フィリップ・ジョンソン
イームズ
ライト
などの大御所ばかり
そして、建物では
ライトのグッゲンハイム美術館
ミースのファーンズワース邸
同じくミースのレイクショア・ビルディング
イームズハウス
そして、来週はコルビュジェのロンシャンの大聖堂
正直、よだれがでそうです。
※ちなみに、教科書にMiesianという言葉があったので、辞書でひいてみたら「Mies van der Rohe」と出ました。つまり、ミース風の建物や思想を形容するときに使うのでしょうが、一個人の名前が形容詞になるとは、、、すごすぎる!!それだけ、影響力が強かった証拠ですね。
Project 1
今日から授業が始まったので、これまでのがちがちな理論だけじゃなくて、アメリカの授業の様子も紹介しようとおもいます。留学を考えている人とかの参考になれば、これ幸いです。
建築を学びはじめて、はや4年目に差し掛かったわけですが、はっきりいって、最初の2年間で設計したものは「建築」とよぶのもおこがましいほどです。見れば見るほど、自分の無知と無力さがわかって恥ずかしいんですが、なぜか模型はとってあります。壊すのも、、、ねぇ
3年目になって、ようやく設計らしい設計になったわけですが、課題で出されたものは順に、
・湖畔の別荘
・市民カルチャーセンター
・Farmer's Market(農家が自分の作物を小売店に卸さずに直接売るための、即席市場みたいなもの)の配置
・立体駐車場
・ワイナリーと宿泊施設とブドウ畑の総合施設
でした。これも、今考えると、構造や設備なども全然考慮に入れてなかったりして、未熟さ満開。壁も板一枚しかなかったりして、めちゃくちゃコンセプチュアルな感じ。
と、いうのも去年の設計の授業では
・Human Need(人間の基本的欲求を満たすように作るということ)
・Site Context(敷地の特性をうまく生かして、環境に配慮しながら作ること)
この2つに焦点が絞られていたからです。
そして、4年生になった今、今回の授業の名前は
Architectural Design Tectonics とTechnical Application で、もちろん焦点は構造・施工・設備です。
今まで構造力学とか建築設備を勉強したけれども、それを実際の建築物に組み込んで考えたことはないので、かなり苦労しそうですが、ようやく実際に「建築」できる建物を設計するという観点では、ようやく建築の世界に大きな一歩として近づけるのではないかと自分では思っています。そして、この4年間学んだことが机上の空論にならないように、応用力として身につけばと思います。
その、設計のクラスの今年最初の課題は
バス停
10人くらいを収容できる大きさで、屋根つきのちょっと豪華(?)なバス停です。いかにして、待っている人を厳しい雨風から守るか、そして歩道の通行を邪魔しないように境界を確立しながら、いかに歩道との関連性を保ててるかが評価のポイントだそうです。結構締め切りが近い(2週間ほど)プロジェクトなので、焦りますが、ここでつまづくと後がきついので、なんとかがんばろうと思います。
建築におけるポエティック(詩的)とロジック(論理)
ただ、厳密にはどちらかひとつを選ぶことはできないと思う。なぜなら、建築とはいかに論理的に組み立てられていようと、そこには多分に直感的、つまり詩的な要素が絡んでくるからである。すなわち、完全に論理的な建築は存在しないし、また完全に詩的な建築は存在しないと僕は考える。
まず、完全に論理に基づいて建てられた建築、言い換えれば機能、技術に焦点をあてたような昨今の資本主義的な建築は、もはや建築ではない気がする。完全なる理論の結晶、それはArchitectureじゃなくて、ただのBuildingだと思う。
また、逆に完全にポエティックな建築、これもまた問題だと思う。完全にポエティックになるということは、すべてのデザインの原点が設計者の直感のみで構成されていることに他ならないからである。建築が使う人と、周囲の文化をデザインの基盤にすることを大前提としている限り、完全にポエティックな建築など存在しないことになる。
このロジックとポエティックという観念は、しばしば対立概念として考えられているが、本当にそうだろうか?もし、この2つの対立概念が排除された建築が可能ならば、それはどういう概念に基づいたものになるのだろうか?興味をそそられる、テーマである。
攻める建築と守る建築 2
また、上記の例でわかるように、同じ時代にこれら2つの思想が入り混じることもある。なぜならば、これらの姿勢はある意味で対立しているようで、完全に相反するものではないからである。その例として、2つの姿勢が同時にひとつの建物に現れる場合もある。例えば、稚拙な例で申し訳ないが、環境問題を強く意識した建物がこれにあてはまる。環境を守るということで、昔の自然と共存し恐れ敬った、古代の価値観を再認識し、さらに人類の将来のために「今」の自然を無視した発展という状況を変えてやろうという積極的に将来を見据えた建築となっている。
その、成否はどちらにせよ、これからはこの2つが共存した建物だけが生き残れる時代になると、僕は思う。


















