建築におけるポエティック(詩的)とロジック(論理)
建築はポエティックかロジックか。これは、産業革命以降繰り返し唱えられてきたテーマでもある。
ただ、厳密にはどちらかひとつを選ぶことはできないと思う。なぜなら、建築とはいかに論理的に組み立てられていようと、そこには多分に直感的、つまり詩的な要素が絡んでくるからである。すなわち、完全に論理的な建築は存在しないし、また完全に詩的な建築は存在しないと僕は考える。
まず、完全に論理に基づいて建てられた建築、言い換えれば機能、技術に焦 点をあてたような昨今の資本主義的な建築は、もはや建築ではない気がする。完全なる理論の結晶、それはArchitectureじゃなくて、ただのBuildingだと思う。
また、逆に完全にポエティックな建築、これもまた問題だと思う。完全にポエティックになるということは、すべてのデザインの原点が設計者の直感のみで構成されていることに他ならないからである。建築が使う人と、周囲の文化をデザインの基盤にすることを大前提としている限り、完全にポエティックな建築など存在しないことになる。
このロジックとポエティックという観念は、しばしば対立概念として考えられているが、本当にそうだろうか?もし、この2つの対立概念が排除された建築が可能ならば、それはどういう概念に基づいたものになるのだろうか?興味をそそられる、テーマである。
ただ、厳密にはどちらかひとつを選ぶことはできないと思う。なぜなら、建築とはいかに論理的に組み立てられていようと、そこには多分に直感的、つまり詩的な要素が絡んでくるからである。すなわち、完全に論理的な建築は存在しないし、また完全に詩的な建築は存在しないと僕は考える。
まず、完全に論理に基づいて建てられた建築、言い換えれば機能、技術に焦 点をあてたような昨今の資本主義的な建築は、もはや建築ではない気がする。完全なる理論の結晶、それはArchitectureじゃなくて、ただのBuildingだと思う。
また、逆に完全にポエティックな建築、これもまた問題だと思う。完全にポエティックになるということは、すべてのデザインの原点が設計者の直感のみで構成されていることに他ならないからである。建築が使う人と、周囲の文化をデザインの基盤にすることを大前提としている限り、完全にポエティックな建築など存在しないことになる。
このロジックとポエティックという観念は、しばしば対立概念として考えられているが、本当にそうだろうか?もし、この2つの対立概念が排除された建築が可能ならば、それはどういう概念に基づいたものになるのだろうか?興味をそそられる、テーマである。