母にぶつけたあの日のことを
もう一度思い出している


2年前 母に思いをぶつけた


兄ばかりを優先していたこと
あまりにも根深い男尊女卑
孫にまで平等じゃないこと


それなのに
両親は「平等にしてきた」と言い張った


その言葉に 何かがプチっと切れた


私は思わず言ったんだ
泣きながら責めまくったんだ


家庭内別居だったんだよ
ずっと無視されて
ご飯も食べてもらえなかったんだよ
この苦しさわかる?


こんな娘に育てやがって
謝ってよ


死にたくなるほど孤独だった
夜も眠れなくて
死んだ方がいいんじゃないかって
何度も思った


すると母は
「そんなこと 親に話すもんじゃない
友達に話しなさい
そんな友人がいないなんておかしい」  


そう淡々と返してきた


──その瞬間
胸の奥で何かが崩れた


ああ
この人は
私の痛みを見ようとしないんだ
 

何度手を伸ばしても
届かない場所にいるんだ


悔しさと
どうしようもない寂しさが一緒に込み上げた
  

「このくそ親!」って言葉が出たとき


私はもう泣きながら叫んでいた
「向き合えーーっ!!」って
嗚咽まじりに声を張り上げていた


それでも
母は黙ったままだった

何も返ってこなかった

その沈黙がいちばん痛かった


数日後
電話をくれたのは母じゃなくて父だった


「お母さんは、おまえを怖がっている」  
その言葉を聞いた瞬間 息が止まった


怖い?  
私が?  
どうして
こんなに苦しかった思いを伝えただけで
“怖い”って言われなきゃいけないの  


ただ 受け止めてほしかっただけなのに


「あなたのせいで」なんて言いたかったわけじゃない


「私はここにいるよ」って
それだけ
わかってほしかっただけなのに


受け止めてもらえなかったその夜
狂ったように怒りを出しまくった



それでも


あの頃は 
夫との関係が少しずつよくなってきた時期でもあったんだ


一番どん底にいた頃は
こんなふうに声を出すことすらできなかったから  


思うんだよね…


人は苦しみの底にいるときほど
助けを求める声を出せない


話すことで癒されるってわかっていても 
その「声」を出すまでに
どれほどの勇気がいるか


私はようやく
心を少し取り戻してから
“反抗期”を迎えたんだと思う



ずっと「いい子」で生きてきた私の
人生で一度きりの反抗期


振り返ると
あれは破壊じゃなかったと思うんだ


やっと「自分を生きたい」というエネルギーの爆発だった


そして今
娘は中3


いい子ちゃんで  優しくて  がんばり屋

そんな娘を見ると

「殻を破れるといいな」って思う


いや 違うなアセアセ
そう思う私の中に
まだ破りきれていない殻があるんだろう泣き笑い



あの時の寂しさは
まだ胸の奥に小さく残っている


でもその痛みが
「人の痛みを見ようとする私」を育ててくれた気がするスター
「いい子でいなきゃ」  
その言葉が
息をするみたいに  
あたりまえだった  
 
 
誰かに迷惑をかけないように
怒られないように  
 
 
気づけば
それが “わたし” の全部になっていた  
 
 
一卵性双生児の妹と
いつもふたりで生きてきた
 
  
顔も声もそっくりで 
身長も2センチ妹が高いくらい  
ほとんど同じ感覚で
分身みたいな存在だった
 
 
輪の中に入れない私たちは
ふたりだけで遊ぶのが日常だった
 
 
だから
寂しいなんて思ったことはない
そう
ずっと思ってきた  
 
 
でも ここ数年
自分と向き合う時間が増える中で  
ふと気づいたんだ
 
 
「ほんとは 寂しかったんじゃないかな」って
 
 
幼少期の記憶はあまりないけど
  
 
妹とふたりでがんばっていたあの頃を思うと  
胸の奥が少しきゅっとするんだよね
 
 
明後日
母が県大会のグラウンドゴルフに出るために  
実家から船で来る予定なんだ
 
会うことになっている 
 
 
2年前
私は相当やさぐれていた
 
  
50歳を目前にして
遅れてやってきた反抗期
 
  
「いい子」でいることに疲れて  
初めて母に思いをぶつけた
 
 
だけど
母はその気持ちをまるごと拒んだ
 
 
まるで私が気が狂ったみたいな扱いを受けて
  
「どうしてそんなこと言うの」と責められた
 
 
あの時
私はもう怒り狂った
 
そして
3歳児がギャーギャー泣きわめくように
いっぱい泣いたな
 
 
寄り添ってほしかったんだ
 
ただ
「そうだったんだね」と言ってほしかったんだ
  
 
突き放される痛み
 
 
寄り添ってもらえない悲しさ
 
 
いっぱい泣いたけど
胸の奥に
石みたいなしこりが残った
 
 
それでも今
 
あの時の母を思うと
 
  
あの人もまた
自分の中の寂しさを抱えたまま  
精一杯生きていたんじゃないかと思えるんだ
 
 
しこりはまだ残っている
  
 
会うとなると
すこしやっぱり緊張する
  
 
でも
親と過ごせる時間には  
限りがあることもわかっている 
 
 
だから
今のうちに話せることは話したい
 
 
わかり合えなくても
少しでも心が近づく瞬間があるなら
それを大切にしたい  
 
 
きっと今回は 
あの時言えなかった
「ごめんね」と  ほんの少し
やわらかく伝えられる気がしている
今日 娘の三者面談があったんだ

推薦で行く高校が決まっているから

あっという間に終わったんだけど

先生に言われた言葉が心に残っている


「推薦が決まっても  授業態度が変わらないし自主学習もよく頑張っています」  

その一言に 胸の奥がふわっと温かくなった
  

嬉しかったし
正直
ほっとした


あぁ うちの子  
ちゃんとしてるんだなって  


褒められて嬉しかったのは娘のことなのに… 


どこかで私が褒められているような気がしたんだよね…

  
その瞬間 安心と同じくらい

罪悪感も感じたんだ


でもそのあと もうひとつの感情が出てきてんだよね

 
“まじめ”って言葉を聞くと

どこかで息が詰まるような感じがする


私  まじめって言葉あまり好きじゃない


なんだか

融通がきかないとか

はみ出しちゃいけないような響きがあるから


きっと

私自身がそう生きてきたからだと思うの


まじめにしていれば  怒られない
正しくしていれば  嫌われない
頑張っていれば  認めてもらえる


そう信じて ずっとやってきた


だからきっと

娘にも同じものを求めてきたんだと思う


コントロールしてきたこと

正しさを押しつけたこと

枠からはみ出さないように導いたこと

感情を抑えこむように言ってしまったこと


そして

いい母に見られたかったこと


先生に褒められて安心したのは


娘を信じたからじゃなくて


私の中の「いい母でいたい」が
満たされたからかもしれない


それに気づいたとき  少し胸が痛くなったんだ


まじめであることは 悪いことじゃない


でも
まじめ“だけ”じゃなくてもいい


泣いても
怒っても
笑っても
ちゃんと愛される


そんな安心を
私は娘に伝えていきたい


そして、私自身も


“いい母でいようとする私”
少しずつ手放して


“ありのままの私”

娘と向き合っていきたい照れ
長期出張中の夫が 来週帰ってくる
 
 
この数週間
 
ラインや電話のやりとりをしたり
 
 
出かけた場所の写真を送り合ったりして
 
離れていても共有できることがうれしかった照れ
  
会える日を楽しみにしていた
 
 
 
でも、数日前の電話で
 
 
私の言葉に夫が突き放すような言い方をして
 
  
そそくさと電話を切られてしまって…
 
 
そのあとずっと、胸の奥にモヤモヤが残っていた
 
 
 
ノートに書いたり、呼吸ワークをしたりしても
 
どうにも晴れない
 
 
そしたら今日、「嫌われたかも」「見捨てられるかも」っていう不安が  
 
 
ブワーッと出てきたんだ
 
 
不安でたまらなかった魂
 
 
思いきって、久々に“怒りのワーク”をやってみた
 
 
息を思いっきり吐いて
 
 
文句を言いまくって
 
 
枕を殴って
(もちろん一人の部屋でね)
 
 
そしたら、涙が止まらなくなった
 
 
安心したい  
ぶつかっても崩れない関係を築きたい  
大事にされたい  
関心をもってもらいたい
 
 
頭では「大事にされてる」ってわかってるのに
 
身体の中には
 
まだ「大事にされてない感覚」が残ってたんだと思う
 
 
しばらくそのまま感じていたら
 
 
胸のあたりがすっと軽くなった
 
 
「不安だったよね」  
「流してしまってごめんね」  
「我慢しなくていいからね」  
 
 
胸に手を当てて  自分にそう声をかけたら
 
  
気持ちがふわっと上向いたスター
 
 
きっと  こうやって何度も何度も繰り返しながら
 
 
少しずつ癒えていくんだろうな
 
 
あらためて思ったんだよね
 
 
気になることを、ちゃんと口に出すこと
 
抑えこんでた感情を発散すること
 
 
やっぱり必要なんだって
 
 
私  つい「いい子」でいようとして
 
 
物わかりのいい方向に考えがちだけど
 
 
「ん? 気になる」って感じたときは
 
 
とことん  自分に付き合ってあげよう
 
 
それが

私を大事にするってことなんだと思うな気づき
ちゃんとしなくてもいい

夕食を手抜きしても

洗濯を明日に回しても

笑い声がある食卓なら

それだけで十分だと思えた


この3連休、そんなふうに自分をゆるめる時間を過ごした照れ



初日は、時間を気にせず温泉へ

外の風と湯の温度差が気持ちよくて

ただただ“今”を感じてた


湯けむりの向こうに見える空が

やけにきれいだった



2日目は、20年ぶりに

ドラマ『世界の中心で、愛をさけぶ』に見はまった

泣きながら、気づけば夜  

夕食も作らず、お風呂も入らず——  


これ、子どもの頃、やりたかったことなんだよね


「やりたいこと」「やりたくないこと」に口出しされない環境が


ただ、ただありがたかったなおねがい


夕食もちゃんと作らなきゃダメとか


思わなくてもいいんだよね


炊き立ての白いごはんと

海苔とか佃煮でも

会話が楽しめる食卓だったら

それだけで美味しかった

ご飯の甘みが増したなぁキラキラ



罪悪感を感じなくても


いいお母さんしなくても、いいんだよねー

  
機嫌よくいられることの方が、ずっといい

  
そんなことにも改めて気づいた日だった



そして昨日は、娘とワンコを連れてドッグランへ


青空の下、思いきり走る姿を見ながら


スタバを飲んで、ちょっと贅沢な時間


そのあと


ずっと捨てられなかったダンボールをようやく処分して


洗面台の鏡もピカピカにした


したいことをして
したくないことをしない

 
その感覚を大切にして積み重ねていくと


エネルギーって

ちゃんと戻ってくるんだなと思った


静かで、満たされた3連休だった


あなたは、この連休、どんな“自分のしたいこと”ができた??
泣き止まない夜に、泣きたかったのは私

今ならわかるんだよな


あの夜


いちばん張りつめていたのは

娘じゃなくて私だった


誰かに「大丈夫だよ」って言ってほしかったのに


そんな言葉を受け取る余裕さえなかった



玄関がガチャリと開いた


――なんで今なん?  


やっと寝かしつけたのに


このあとの“自由時間”を楽しみに


朝から外遊びに連れて行って


午後もできるだけ相手して


お風呂もゆっくり入れず


ご飯もさっさと済ませて



わざと、この時間狙って帰ってきてるんやろう

……なんて、ほんとに思ってたんだよね


不機嫌むき出しで


「おかえりー
もう、〇〇(娘)起きちゃったよ」  


って、嫌味っぽく言ったこと何度もある


夫からすればさ


「帰ってきたら悪いの?迷惑なの?」って思うよね


それも、今ならわかる


でもあのときの私は


頼れる人もいなくて


ずっと娘と二人きり


孤独だったんだ


それに


専業主婦は“楽でいいよね”って思われるのが  


たまらなく嫌で


忙しいアピールばっかしてた


「よくやってくれてるね」って
言ってほしかった


「おかげで仕事に集中できるよ」って
言ってほしかった


ほんとは


ただそれだけでよかったのにな


今なら言えるよ

あの頃の私に


笑ってなくてもよかったんだよ


泣いてても


抱きしめてあげれば、それだけで充分だった 


あの頃は


ほんとに必死だったね


誰にも頼らないことが“強さ”だと思ってた


「母親なんだから」って、気を張って


でも本当は


ただ安心したかっただけなんだよね


頑張らなくてもよかったけど


頑張ることでしか


自分の存在を感じられなかったんだ


そのくらい、孤独の中で立ってたんだよね


いまは、あの頃よりずっと

ゆるんだ顔で笑えてる

泣きながらでも、ちゃんと生きてる

あのときの私を、優しくむかえてあげたいなー照れ 
今なら笑って言える
  

「完璧なお母さん」にならなくても
 

子どもはちゃんと育つし、私もちゃんと生きてる  
 

でも、あの頃の私はそんなこと、信じられなかった  
 

保健師として、母として、必死に“正解の育児”を追いかけてたんだ
 
 
 
娘が生まれてから、私はずっと“正解”を探してた  
 
 
母として間違えないように  
 
 
人から「ちゃんとしてる」って思われるように
 
 
 
マニュアル通りの発達  
 
月齢ごとのチェックリスト  
 
それが私の安心材料だった
 
 
 
私は保健師として、健診をする側だったから  
 
「何カ月でこれができないと発達が遅い」  
 
「関わりが悪いと思われたらどうしよう」  
 
そんな思い込みを、自分にびっしり貼りつけてたんだ
 
 
 
娘が寝返りしないと焦り  
 
離乳食を食べないと不安になり
  
全部“できない”が私の評価になる気がしてたんだよね
 
 
 
乳児サークルにもよく通ってた  
 
 
「社会性を育てるため」と理由をつけながら  
 
 
ほんとは、安心したかっただけだったのかもしれない
 
 
同じ月齢の子たちを見て  
 
比べて、焦って、落ち込んで  
 
それでも笑顔を貼りつけてた
 
 
ママ友ができて楽しかったけど  
 
「いつもキレイでオシャレなママ」を見ては  
 
私なんて田舎っぺみたいだって  
 
また自分を責めてた
 
 
 
今思うと  
 
 
“完璧に育てる”ことより  
 
 
“完璧な母に見られたかった”んだと思う
 
 
その頃の写真を見返すと  
 
どの写真の私も笑ってない  
 
目だけが張りつめていた
 
 
 
ある日  
 
娘が「いないいないばあ」の絵本を見ながら  
 
きつねを指さして言った んだ
 
「お母さん」って
 
 
その瞬間、胸がぎゅっとした 
 
ああ、私  
 
こんな目をしてたんだ  
 
 
娘の目には、きつねみたいに  
 
つり上がった顔で映ってたんだ
 
 
 
守りたくて、頑張って  
 
必死に“ちゃんとした母”を演じてたけど  
 
あの頃の私は、笑えてなかった
 
 
あの時はほんと必死だったね  
 
誰にも頼らないことができる=立派な母  
 
みたいに思ってて
 
きつかったね  
 
頑張らなくてもよかったけど  
 
頑張ることでしか
 
 
自分の存在を感じられなかったもんなー
 
 
 
いまは、あの頃よりも
 
ずっと、ゆるんだ顔で笑えてる照れ
「ねー聞いてー」


最近、娘がよくそう言うようになった


あんまり自分から話すタイプじゃなかったのに


中3になってから


ぽんぽん話してくれるようになった


ねー聞いてー  

ねー助けてー  


そんなふうに言いながら


学校であったことを楽しそうに話す


金曜日は


「あー明日は学校休みかぁ」なんて言ったりして


それを聞いてると


ほんとに学校が好きなんだなって感じるんだ



担任の先生にも


笑顔が増えて軽くなったって言われてるらしい


きっと


私が少しずつ軽くなってるからなんだろうなって思う

---


思い返せば、小1の2学期の終わり


娘は母子分離不安になって


お腹が痛いって言って学校へ行けなくなった


学校に行けるようになってからも


ずっと私が付き添って登校してた


教室の後ろで授業を見て、毎日が授業参観


給食の時間には


お弁当を持っていってみんなと一緒に食べた


正直、惨めで、恥ずかしくて、泣きたくなった日


もあった


自分の子育てもいっぱい責めたアセアセ


でも、あの頃の私も、娘も

必死だったんだと思う


「行けたね」ってジュースで乾杯した日


あの時間があったからこそ


今の娘の笑顔があるんだろうな

---


楽しいことだけじゃなくて


困ったことや悩んでることも


「ねー聞いてー」って言ってくれる関係でありたい照れ


母子登校のあの日の私に
今のこの光景を見せてあげたいな
きっと、泣いちゃうと思うけど
美容室で、髪洗ってもらうときに


「力の強さとかお湯加減はいかがですか?」


って聞かれるじゃん?


私、いつも反射的に


「大丈夫です!気持ちいいです!」って
言ってたの


本当はちょっと強いなって思っててもアセアセ


でも昨日はね


「もう少し弱めでお願いします…」って言えたの


しかも2回もおいで


そしたらさぁ

めっちゃ気持ちよかったのよ音符


「あ、ちゃんと伝えるって、自分のためになるんだ」って


身体で実感した瞬間だった


みんなって、こういうの素直に言えてる?




で、昨日、美容室に行ったのには理由があって


前髪が伸びてきて、自分で切ったらなんかしっくりこなくてね


ちょっとテンション下がってたのよ


だから、整えてもらえて嬉しかった〜


ベッドスパも追加して


頭と首の凝りほぐされて


「あー私、今、丁寧に扱われてる…」って安心感に包まれた


終わったあと、髪もつやっつやになるじゃん?


鏡見たら天使の輪っぽいのができてて


「お、私、今日いい感じゃん気づき」ってなったときの、あのちょっとした嬉しさ



やっぱり美容室って


髪を切るだけじゃなくて


頭も体もこころも軽くなる場所だなって思う


私にとっては、ちょっと贅沢なごほうびタイムキラキラ



……で、やっぱりさぁ


「ちょっと強いな」って感じたときに


「もっと弱くお願いします」って言うのって大事だなって感じたの


遠慮して我慢するより


ちゃんと心地よさを選んだほうが


終わったあと気分が全然ちがう


次からも言おうって決めたスター



みんなは、美容室でちゃんと伝えられる派?


それとも


私と一緒で


つい「大丈夫です〜」って言っちゃう派?


こんな小さな日常の中にも


言いたいことを我慢する癖ってあるなーと


感じたんだ照れ
「推薦で行くって、逃げって思われないかな」
 
 
娘がそうつぶやいたとき
あぁ、やっぱりそこ気にするんだな…って
胸の奥がきゅっとした
 
 
応援したい気持ちはちゃんとある
 
 
でも、「受験っていう壁、越えてこそじゃないの?」って
思ってる自分も、どこかにいたりして
 
 
応援する母でいたいのに
 
 
私も同じところでぐらぐらしてる感じ
 
 
「どう支えたらいいんだろ…」って
 
 
しばらく私までモヤモヤしてた
 
 
娘の迷いはすごくリアルだった
 
 
「楽な道って思われるかも」
 

「逃げたって思われそう」
 

「塾の先生、反対しないかな」
 

「担任の先生、応援してくれてたのにガッカリさせないかな」
 
 
そんなふうに
 
 
まだ起きてもいない評価とか期待とか
 
 
“目に見えないもの”を気にしてたんだよね
 
 
人からの評価への不安もあるんだよね
 
 
その感じがすごくわかってしまって…
 

 

だって私もどこかで
 
 
「努力してこそ意味がある」って信じてきたから
 
 
だから、「推薦でいいのか・・・」
 
「ここで簡単に進んでしまっていいのかな・・・」
 

という私自身のモヤモヤにも気づかされてしまった
 
 
だけど
 

数日後
 

娘が担任の先生に「推薦で受験します」と
 
伝えた瞬間から、明らかに表情が変わったんだ
 
 

迷いは消え、晴れた空を見ているような目になり
 

「これから楽しみ」といった声は
 

迷いからではなく「自分で決めた人」の声だった
 
これから

きっと嬉しいことばかりではなく
 
苦しくなる瞬間もあると思うんだ
 
 
推薦を選んだことを後悔しそうになる日もあるかもしれない
 

「やっぱり受験しておけばよかったかも」と思う夜がくるかもしれない
 
 
 
でも、私はそのときに
 

「自分で決めたんでしょ」と突き放す母ではいたくないなーと思うんだ
 
 
どれだけ自分で選んだ道であっても
 
 
人は迷いもするし、弱くもなる
 
 
そのときは、まず
 
 
「そうだよね、つらいよね」と共感できる母でありたいな
 
 
そして

「でも、大丈夫。あなたなら、また前に進めるよ」
 
 
そう信じて見守れる存在でいたい
 
 
私は、自分の選択を大事にしたいと思っている
 
 
だからこそ、娘の選択も
 
 
その結果だけではなく


“選び続ける力”を支えていきたい照れ
 
 
これからも


娘が自分で選んだ道を歩けるように
 
 
たとえ立ち止まる日があっても、また歩き出せるように
 
 
私は

隣を歩いたり

少し後ろから見守ったりしながら

そっと支えていこうと思うスター