呼吸ワークを続けてきて


すこーしずつ“身体の声”が聴こえるようになってきた気がする


胸が固いとき、呼吸が浅いとき


その奥にはちゃんと気持ちがある


不安や焦り、がんばりすぎ


全部、身体が先にサインを出してくれてる



でも最近思うんだよね


呼吸だけじゃ届かない


もっと深いところに何かがある気がして


そこで出会ったのが、MOMED(モメッド)


正直、まだよくわからない


「身体を開く」ってどういうことなんだろう


「魂のズレを感じる」って、どんな感覚なんだろう


説明を聞いても


頭ではピンとこないけど


なぜか“身体のほう”が反応した


やってみたいキラキラ


感じてみたいってキラキラ



MOMEDでは


音や呼吸、動きを通して


身体そのものが記憶している


“なにか”を解放するらしい



壊れる前に気づける——


そんな言葉にも、心が動いた


半年間、MOMEDを続けてみようと思う


どんな身体の反応が出るのか


何が変わっていくのか


理屈じゃなくて、体感で知りたい


開くって、どんな感覚なんだろう


それを、自分の身体で確かめてみたい


今はまだ


まっさらなスタート地点


だからこそ


小さな変化も、丁寧に感じていこうと思う


そしてこの半年で


いいことも

悪いことも


起きても


ちゃんと戻ってこられる身体を育てたい


失敗を恐れず


揺れても


また


中心に戻ってこれる——


しなやかなカラダ


そのために


まずは身体をゆるめること


そして、丹田に意識をおろして


自分の軸を感じること



思考よりも、感情よりも


先に身体が整えば


心は自然と静かになっていく


この感覚を

少しずつ

自分の中に根づかせていきたい
朝、家を出てすぐ気づいた
 
 
スマホ  忘れたアセアセ
 
 
バスに乗る直前で
 
 
やっちまったーって沈んだ気持ち
 
 
でも、そこでふと決めたの 
 
 
今日は1日、スマホオフの日にしようって
 
 
バスの中では、いつもなら音楽かYouTube
 
 
でも今日は、ただ車窓の景色を眺めていた
 
 
街路樹の葉が、少しずつ黄色くなっていて
 
 
秋の光がきれいだった
 
 
お昼休みは外へ出て、銀杏の下のベンチへ
 
 
風に揺れる葉っぱの音
 
 
少し黄色に色づいた葉っぱ
 
 
どこか遠くで鳴くカラス
 
 
ストレッチしながら、空をぼーっと眺めていた
 
 
秋風が、思ってた以上に心地よかったキラキラ
 
 
 
帰ってからもスマホには触らず
 
  
ワンコと散歩したり、娘と話したり
 
 
時間の流れが、ゆっくりに感じた
 
 
 
たまにはスマホを置いて
 
 
風の音や光のあたたかさに身をゆだねてみようスター
先週から夫は出張中


家の空気が少し変わった。


不思議なことに、寂しさはほとんど感じなかった。


むしろ、少しホッとしてる自分がいた。


思っていた以上に


私は気をつかってたんだなって気づく。


自分の時間がたっぷりある。  
  

呼吸ワークも、思いきり、ゆっくりできる。 

 
体の内側の静けさを感じる時間が増えて、  


「ああ、これが“自分に戻る”ってことなのかも」


と思った。




家庭内別居の頃、


単身赴任で別居の頃、  


“距離”がある生活は長かった。  


だから単身赴任が終わって同居になったとき、  


一緒にいられる喜びで胸がいっぱいだった。

  
でも、いつの間にか、息が浅くなっていた。  


嬉しいのに、


どこか窮屈で、気を張っていたんだと思う。  


今回の出張で、また少し距離ができて、  


その分、自分の呼吸や感覚が戻ってきた。  


静けさの中で、自分の声がよく聞こえる。  


そして、1週間が経った今、  


ふと「会いたいな」と思う瞬間が増えてきた。

  
連休には帰ってくるらしい。  


週末が、楽しみになっているスター


距離があることで見えてくるものって、やっぱりある。  


物理的に離れると、関係も新鮮に感じる。  



そして私は、  


夫がいても、

私は私でいたいルンルン
最近ね


朝と夜に「トランスブレス」という呼吸法を続けているんだ


これは


あえて“早くて浅い呼吸”を意識的に続けることで


ふだんは気づかないうちに


ためこんでいる力みや


緊張をゆらしていく呼吸


最初の頃は


どうしても肩に力が入ってしまって


終わるころには疲れてしまっていた


でも

少しずつお腹に意識を向けられるようになって


今では


力まずに呼吸できるような感覚がある

  

お腹で呼吸すると


肩や背中のこわばりがふっとゆるんで


胸が自然に開いていく


その瞬間、気分まで軽くなる


続けているうちに気づいたのは


日常では呼吸がとても浅くて


気づかないうちに“息を止めている”ことがあるということ


緊張していたり、考えすぎていたりすると

 
呼吸まで止めていたんだなって




ブレスのあとには


ゆっくり細く長く息を吐く


吐く息を長めにするほど


全身がゆるんでいくのがわかる


思考が静まって


身体の感覚が360度に広がっていくような

  
そんな不思議な心地よさがあるんだスター


「呼吸って、ただの呼吸じゃない」  


身体が軽くなると、心もやわらかくなる


呼吸って、やっぱりすごいおねがい
数日前の夕食


久しぶりに餃子を作ったんだ音符
  

お肉ちょっと多めかな〜と思いつつ


そのまま包んで焼いた



食べてるとき、夫が一言


「今日の餃子、肉が多くない?」  


その瞬間、ピリッ


私の中で、何かが反応したんだ


「え、それって具が多いってこと?  


それとも、肉の割合のこと?」  


気づいたら、すぐ聞き返してた


たぶん、“否定された”って思ったんだよね


別に責める言い方でもないのに


本当は「うん、そうかも〜」って流せばいいだけなのにさ


なんか、できないんだよねアセアセ


すぐに構えちゃう


怒られたくないとか


あきれられたくないとか


そういうのが根っこにあるんだと思うんだ


その瞬間


肩がカチッと固まって


胸が重くなる


あぁ、またこれだなって思った



餃子ひとつでここまで反応するなんて


ちょっと笑えるんだけどね


でも、こういうことって、けっこうあるよねー!?
昨日のこと


夫は今日から1ヶ月間の出張に出るので


その準備で帰りが遅くなった


「遅くなるかも」と聞いてはいたけれど


やっぱり私は揺れた


はいはい、きたきたーあせる


みたいにね



そんな時、胸に手をあてて


自分の手の温かさや


手のひらのやわらかさを感じてみた


「怖いよね」「不安だよね」って声をかけながら


すごくスッキリしたわけじゃないけど


少しだけ心に余白ができた





そのあと、夫から「帰るコール」があった


自分に意識が向いていたからこそ


「お疲れさまー照れ」って


自然にあたたかい声で


言えている自分に気づいた



もしこれが、不安や疑いに意識を向けたままだったら


同じ「お疲れさま」でも


暗いトーンで嫌味っぽく伝えていたはず



同じ言葉でも


そこにのせるエネルギーが変わると  


相手に伝わるものも


まったく違ってくるんだなぁと実感したスター




あなたが最近口にした

「お疲れさま」や「ありがとう」

そこにはどんなエネルギーがのっていた??
先日の合唱コンクールの休憩時間


娘が隣の子や前の子と楽しそうに会話してるのを見て、安心したんだよね


あぁ、ちゃんと繋がれてるんだなぁって


でもその後、一瞬ポツンと1人で立っている時間があって


その姿を見た瞬間、胸がギュッてなったの

 
さらに、数人で盛り上がってる子たちを見たときも、胸がザワッとした


気づいたんだよね…


これ、娘を見てるんじゃなくて


私の中の「孤独が怖い私」を見てるんだなって

  
賑やかな輪に入れず


取り残されるのが怖かった私



思い返すと、ママ友の輪も苦手だったし


学生の頃もそうだった



目立つグループや、わいわいした輪の中には


どうしても入れなかった



きっとあの時に感じた孤独感が


今でも私の中に残っているんだと思う


だからこそ、娘が1人になることにビクビクしてしまう



結局、娘を通して自分を投影してるんだよね


  
「誰かと繋がっていたら安心」
って、私が強く思ってるんだ



合唱で心を震わせてもらった感動の時間の中に

  
そんなチクリとした感情もあったなぁ



娘の姿が、私の奥にある孤独感を映し出してくれたんだなぁ



あなたは、自分の孤独感を誰かの姿に重ねて見たことありますか?
昨日の夜ね、


夫がちょっとコーヒー用のミルクを買いに出かけただけなのに、  


私の心と身体は大パニック。  


顔はビリビリするし、動悸はバクバク


お腹はぎゅーっと縮こまるし。  


布団に入っても足は冷たくて、眠れなかった。 

 
「やっぱり女に電話してるんじゃないか」って疑いまで出てきて、


もう苦しかったの。  


胸に手を置いて呼吸してみたんだ。  


ゆっくり吸って、長めに吐いて。


「大丈夫」ってつぶやきながら。  


…でも正直、全然消えてくれない不安。  


気づけば「まただ」って、自分を責めてる。  



そこでね、言葉をちょっと変えてみたの。  


「あーまただ」  


そのあとに、「それだけ傷が深く残ってるんだね」って。  


そしたらね、涙じゃなくて、


胸の奥にズーンと重みがきた。  


でも、その重みは苦しさとは違って、


「あぁ…私はそれだけ傷ついてきたんだ」って、  
なんか腑に落ちるような感じだった。  


で、次の日。


勇気を出して夫に言ったの。  


「夜に外に出られると不安になる。疑う自分も嫌で苦しい」って。  



返ってきた言葉は「買い物に行ってもいいじゃん?」  


うん、正直やりきれなかった。  


本当は「そうだね、怖かったんだね」って言ってほしかったから。  


わかってほしいのに届かない


このもどかしさ。  



でもね、そのあと夫がスキンシップをしてくれて。  


それだけで、ふっと軽くなったんだよね。  


言葉は物足りなかったけど


自分の気持ちを出せたこと


弱さを見せられたことが、  


私を楽にしてくれたんだと思う。  



不安に効く方法って、いつも効くわけじゃない。  


でも、“責める声理解の声に変えることとか、


“弱さを相手に出せたこと”って、  


ちゃんと私を少しずつ変えてくれてるんだなぁって思う。  



あなたは、不安とか責め声が出てきたとき、


どんなふうに自分に声をかけてる?
昨日は、娘の合唱コンクールを


夫と一緒に見に行ってきたんだ。


私、合唱ってすごく好きでね。  


あの一体感やハーモニーを聞くと、


体がゾクゾクして、自然に涙があふれてくるんだ。


歌って、人をこんなに感動させるんだなぁって思う。


娘のクラスは、伴奏できる人がいなくて、アカペラだった。  


これが逆に新鮮で、力強さやチームワークをすごく感じた。  


娘も楽しそうに体を動かしながら、曲にのって歌っていた。  


「この瞬間を味わってるんだな」と感じて、


胸が熱くなった。  



結果は残念ながら金賞は取れなかったけれど、  



練習を積み重ねてきた時間があったからこそ、

  
最後にクラスメイトみんなで、


指揮者やパートリーダーへ感謝を伝える場面があったらしい。 

 
その時、クラス全員で号泣したと聞いて、


私ももらい泣き。  


娘って、感動して泣くことはあまりない。  


鳥肌が立つことはあっても、涙までは滅多にない。  


だからこそ、


「泣くほど心が動いた」経験をできたことが、本当に尊いなって思うんだ。



そして、昨日は、夫と並んでその姿を見られたことも、私には特別だったんだ。


単身赴任で、これまで学校行事にほとんど参加できなかったからこそ、  


一緒に娘の成長を見守れる時間が、何より嬉しくておねがい


感動を共有できることに、じんわり安心感が広がった。  



青春の真ん中にいる娘を見られた日。


母としても、妻としても、心に残る一日になった照れ
お彼岸だったから、夫と2人でお墓参りに行ったんだ。


お花を替えて、お線香をあげて、


静かに手を合わせる。  


小さな骨壷を抱きながら、


しばらく眺めていた時間は、


心が落ち着く特別なひとときだった。  




その後は義母宅へ。  


お盆も顔を出さなかったし、


気になっていたから、


今日は「仏壇に手を合わせてくる」ことをゴールにして出かけた。  



4ヶ月ぶりの義母は、相変わらず自分の不調の話を止めどなくしてきて、  


私の質問にはそこそこ答えるけど、


深く聞こうとするとシャットアウト。  


…はいはい、

これぞお義母さんワールド  


結局、こちらのことを聞かれることもなく、


虚しさと寂しさだけを持ち帰ることになった。  



でもね、

帰りの車の中で初めて夫に言えた。  


「お義母さんに優しくできなくてごめんね。  

義妹さんに負担かけてるのも申し訳ないと思うけど、どうしても優しくできない自分がいるんだ」 

 
これまで胸の奥にあった言葉を、やっと出せたんだ。
 

夫は「母は、昔からそういう性格だし、別に気にしてない」と言ってくれた。  



思えば半年前、


義母宅を出る玄関で、思わず口から出た言葉は


「クソババアムキー


……完全にクソ嫁じゃん、私泣き笑い



それに比べたら、今日はゴールも達成できたし、夫に謝れたし、義母とも会話できた。  


よくやったな、私拍手


ただ


やっぱり


「優しくできない自分」を責めてしまう気持ちもある。  


進歩したのに、まだ足りないって思ってしまう。 

 
でも、そんな揺れごと抱えながら、


「行けるときに無理なく」で関わっていけたらいいなと思う照れ