今なら笑って言える
  

「完璧なお母さん」にならなくても
 

子どもはちゃんと育つし、私もちゃんと生きてる  
 

でも、あの頃の私はそんなこと、信じられなかった  
 

保健師として、母として、必死に“正解の育児”を追いかけてたんだ
 
 
 
娘が生まれてから、私はずっと“正解”を探してた  
 
 
母として間違えないように  
 
 
人から「ちゃんとしてる」って思われるように
 
 
 
マニュアル通りの発達  
 
月齢ごとのチェックリスト  
 
それが私の安心材料だった
 
 
 
私は保健師として、健診をする側だったから  
 
「何カ月でこれができないと発達が遅い」  
 
「関わりが悪いと思われたらどうしよう」  
 
そんな思い込みを、自分にびっしり貼りつけてたんだ
 
 
 
娘が寝返りしないと焦り  
 
離乳食を食べないと不安になり
  
全部“できない”が私の評価になる気がしてたんだよね
 
 
 
乳児サークルにもよく通ってた  
 
 
「社会性を育てるため」と理由をつけながら  
 
 
ほんとは、安心したかっただけだったのかもしれない
 
 
同じ月齢の子たちを見て  
 
比べて、焦って、落ち込んで  
 
それでも笑顔を貼りつけてた
 
 
ママ友ができて楽しかったけど  
 
「いつもキレイでオシャレなママ」を見ては  
 
私なんて田舎っぺみたいだって  
 
また自分を責めてた
 
 
 
今思うと  
 
 
“完璧に育てる”ことより  
 
 
“完璧な母に見られたかった”んだと思う
 
 
その頃の写真を見返すと  
 
どの写真の私も笑ってない  
 
目だけが張りつめていた
 
 
 
ある日  
 
娘が「いないいないばあ」の絵本を見ながら  
 
きつねを指さして言った んだ
 
「お母さん」って
 
 
その瞬間、胸がぎゅっとした 
 
ああ、私  
 
こんな目をしてたんだ  
 
 
娘の目には、きつねみたいに  
 
つり上がった顔で映ってたんだ
 
 
 
守りたくて、頑張って  
 
必死に“ちゃんとした母”を演じてたけど  
 
あの頃の私は、笑えてなかった
 
 
あの時はほんと必死だったね  
 
誰にも頼らないことができる=立派な母  
 
みたいに思ってて
 
きつかったね  
 
頑張らなくてもよかったけど  
 
頑張ることでしか
 
 
自分の存在を感じられなかったもんなー
 
 
 
いまは、あの頃よりも
 
ずっと、ゆるんだ顔で笑えてる照れ