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私ががん治療で入院している時に
遠い親戚の人もがん治療で入院
同じ部屋で出会い
そこから約3年間
共に頑張ってきた記録を
残したいと思います
共に治療を頑張ってきた人を
Kさんと呼びます
Kさんとはじめましてをして
私は先に退院してしばらくしてから
Kさんも退院された
モスの駐車場で会って
その後
Kさんのお家でご飯をご馳走になった
お家にお邪魔する前にも
やはり飲み薬の
副作用が出ていて
発熱していない安定した時期にお邪魔した
初めてお家に伺ったのだが
大きな庭と大きな家
お部屋の一室には
トライアスロンのマウンテンバイクが
3台ほど置かれていた
壁には
メダルやトロフィーが
いっぱい飾ってあった
私の知人には
このような人はいないので
目に映るものは珍しいものばかり
夕食を作ってくださり
一緒にご飯を食べた
共通の親族の話から
仕事のこと
トライアスロンのこと
そして
お世話になっている
おじさんとおばさんのこと
やはりKさんは
実の親じゃないことが
小さい頃からずっと心の奥底に固まっていて
お姉さんのことでも迷惑かけてるし
いい子にしていないといけない
迷惑をかけてはいけない
ご近所さんの付き合いにも
かなり気を遣っていて
お年寄りの多いご近所さんたちからすれば
癌と言わなければ
誰も分からないほど
明るく振る舞う
話し方から全て
いい人
という人柄
言いたいことが言えずに
内にしまってしまう癖
遠い親戚ということもあって
友人には話せない
繊細な想いも
たくさん話してくれた
私が言えたことといえば
もう
癌になったんだから
いい人をやめよう
もっとわがままになっていいんだよ
言いたいことを言えるようにしよう
私ががん治療で入院している時に
遠い親戚の人もがん治療で入院
同じ部屋で出会い
そこから約3年間
共に頑張ってきた記録を
残したいと思います
共に治療を頑張ってきた人を
Kさんと呼びます
Kさんとはじめましてをして
私は先に退院してしばらくしてから
Kさんも退院された
私と同じ
キイトルーダの治療の前に
飲んでいる薬があり
その副作用で発熱が続いていた
解熱剤を飲みながらの治療だが
退院されてしばらくして
治療していると時に
ジャンキーな物が食べたくなると言い
モスバーガー

を買いに来たついでに
私と会うことになった
私もそうだったが
化学療法をすると
味覚がおかしくなる
私もTC療法の時
魚が食べられなくなった
白米も食べたくなくなった
薄味がダメで
濃いものを食べたくなる
煮魚などの香りも、白米の香りも
気持ち悪くなり

ジャンクフードなどの濃い味や
特に焼肉が食べたくなり
手術する前よりも5キロほど太ったくらいだ

(今は元に戻ってる)
モスの駐車場で会い
Kさんの車に乗り
しばらく話した
そこで
手作りのスポンジをいただいた

洗剤がいらないアクリルたわしを
作っていた
そう、のちにわかったのが
Kさんは
スポンジケーキやシフォンケーキ
手編みのものなど
女性っぽい

トライアスロンやる人への
偏見はダメだろうが
めちゃ日焼けしてアスリート体型からは
想像がつかなかった
(ゴメン)
そして
ここから
しばらくのお付き合いとなった
私ががん治療で入院している時に
遠い親戚の人もがん治療で入院
同じ部屋で出会い
そこから約3年間
共に頑張ってきた記録を
残したいと思います
共に治療を頑張ってきた人を
Kさんと呼びます
私たちが出会った時は
2021年1月年明け
その頃は
世間がコロナ禍真っ只中で
病院も厳しく
入院患者も少ない
私が入院する際も
毎回検査をして
陰性なら入院できる
という感じだった
病院では
コロナのワクチンを打つのが
当たり前の流れだった
私もかなり勧められたが
キイトルーダの免疫療法をするにあたり
婦人科で私が初の患者で
先生も薬剤師も看護師も
私の変化に敏感だったのに
コロナのRNAワクチンも
よく分からない状態で
ワクチンを打つことで
キイトルーダの効き目が無くなるかどうかも
判断できない状態で
打ちたくないと
断り続けていた
Kさんからも
ワクチンの相談があった
先生たちからは
がん患者なら
基礎疾患は優先的にという流れで
打つのが当たり前とされていたが
Kさんも打ちたくないと
断った
だからこそ
絶対にコロナにならない!
コロナになったら
ワクチン打ってないことを
言われるだろうから
何がなんでもならない!
と
気は引き締めていた
おかげで
現在私もなっていないし
Kさんも
ならなかった
私ががん治療で入院している時に
遠い親戚の人もがん治療で入院
同じ部屋で出会い
そこから約3年間
共に頑張ってきた記録を
残したいと思います
共に治療を頑張ってきた人を
Kさんと呼びます
KさんはMSI検査の前に
入院してすぐに
飲み薬の抗がん剤を処方されていた
それは
副作用もあり
発熱や吐き気ももちろんあり
解熱剤を飲みながら
肺がんの飲み薬を飲んでいた
私はLINE交換をし
私が癌告知をされてから
このブログに書き記していることを伝えた
Kさんは読んでくれたが
泣けてきて
なかなか先へ進まないとのことだった
LINEで繋がってからは
Kさんの身の上話も聞いた
独り身だった
ご両親はすでに他界
結婚していたが離婚されていて
子供はいない
お姉さんがいるが絶縁状態
お姉さんの連絡先も誰も知らず
自分のことを伝える
術もないとのこと
一番近い親族が
叔母さん叔父さんだった
だから
エンディングノートを書いて
亡くなった後もみんなに迷惑をかけないようにと
言っていた
大きなお家に
他の土地の不動産
仕事のことなど…
エンディングノートに書けることは
事故で突然死ぬよりは良かった
とも言っていた
幸い
親しい友人が何名かいらしたので
その方たちがよく家に来てくれてたが
ここに来てまさか
遠い親戚にあたる私と出会うなんて
驚くばかり
私は何ができるのだろうか?
私も治療中だが
何の使命があるのか?
と思った
私ががん治療で入院している時に
遠い親戚の人もがん治療で入院
同じ部屋で出会い
そこから約3年間
共に頑張ってきた記録を
残したいと思います
共に治療を頑張ってきた人を
Kさんと呼びます
私は抗がん剤治療中に
MSI遺伝子検査をして
陽性反応が出たため
キイトルーダという
免疫療法の治療ができることになり
スタートしていた
過去記事↓
始めた時期が夏だったので
子宮と卵巣を切除して
翌月から始まったホットフラッシュと
解毒を頑張っていたから
ほとんど副作用が出なかった抗がん剤治療
とはいえ
キイトルーダという新しい点滴で
あせもと湿疹が酷く
下着を全てシルクに変えたりと
色々変化が絶えない時期を越えてからの
遠い親戚のKさんから
MSI検査のことを話された
そして同じく
陽性反応だった
ということは
キイトルーダが使える!
やはり遠い親戚とはいえ
遺伝子は繋がってるね
という話になった

